伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2022年08月16日
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加納神社(かのうじんじゃ)
美旗新田にある、『日本書紀』には、この辺り一帯は皇室の狩猟所ないし薬草採集地の禁野とある。

江戸時代、ここで新田開発を提案したのが、加納藤左衛門直盛。直盛の父は藤堂髙虎に仕え朝鮮役や関ヶ原、大坂陣に活躍。その跡を継ぎ直盛は伊賀加判奉行として1800石を有し「伊賀者」を創設した人物だ。

一方、美旗新田開発は直盛の最も大きな功績であったが、完成直前に死去。息子直堅が引き継ぎ、美旗新田を完成。

ところが、延宝8年(1680)年、伊賀で銅山事件という大事件が起こる。その責任を取らされ直堅が切腹することになる。

加納神社は享保16年(1731)に、新田村開発恩人加納直盛の遺徳を顕彰するために創建。村民の内心は表向きは直盛を祀るが、不遇の死を遂げた、直堅の霊を祀る心に、より傾斜していたのは想像にあまりある。




加納大神頌顕碑
加納直盛公は、慶長十五年(1610) 伊賀上野生まれ。藤堂藩に仕え、伊賀加判奉行職。
家老職、侍大将二家は代々世襲ですが加判奉行職はその時代の一番優秀な人が給わります。

延寶元年(1673) 六十三歳で病死。
 現・伊賀市上野寺町の大超寺に墓所があります。




その大超寺の加納藤左衛門墓碑
一際目を引きます。








美波多神社(みはたじんじゃ)は、三重県名張市新田にある神社。










美波多神社本殿向かって右に
三柱神社 
 現在の社殿は、皇學館大學名張学舎にあったものを譲り受け、第六回式年造営(平成24年)の際に移築したものです。





美波多神社 本殿


その後、新田村開発の恩人である加納直盛を、その遺徳を顕彰するために、死後54年目となる享保16年(1731年)11月7日に勧請された加納神社を合祀。これが現本殿向かって左奥に鎮座する。

現在も毎年12月7日を加納祭として、その功績を偲び感謝を続けており、地域に祖先崇拝、自然崇拝の信仰を根付かせている。

その後、明治43年3月に村内東田原九頭神社、同中村国津神社、同小波田福田神社を合祀して美旗地域の氏神として現社号となった。

明治の大合祀において、元伊勢の伝承が残っていた田村大明神も合祀されている。



平成10年(1998年)の台風7号で境内に大きな被害が出たが、その後再建されている。

【ご利益】
五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全





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Last updated  2022年08月16日 16時25分15秒
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