伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2023年06月12日
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広瀬は流水の広がって浅く流れているところを表しています。

伊賀市の市花、ササユリ(笹百合、学名:Lilium japonicum)は、ユリ科ユリ属の球根植物。で日本を代表するユリである。地域によっては、ヤマユリと呼ぶこともある。
本州中部地方以西から四国・九州に分布する。
従って関東では見られない。




ユリの花は、6枚の花びら(花弁)が印象的ですが、植物学的には、3枚が花びらで、3枚が萼(がく)です。
萼は硬くて花を保護し花びらは誘引の役割を担っています。
この開き曲がっている方が顎でしょう。




6本のオシベの先端にある花粉の表面には、油の成分が含まれています。



「ユリ」という植物名は、ユリ科ユリ属の植物の総称です。ユリ属の学名に使われるラテン語は、「リリウム」で、「白い花」を意味します。

ササユリは日本原産とされます。




鳳凰寺廃寺

680年に、伊勢国から伊賀分立。
685年天武天皇から郡毎(ごと)に仏舎を作れとの命じられる。
阿拝郡に三田廃寺、
山田郡に鳳凰寺廃寺、
伊賀郡に財良寺跡、
名張郡に夏見廃寺の一郡一寺に分布し氏寺ではなく官寺とした。




鳳凰寺廃寺
三重県伊賀市鳳凰寺にある「薬師寺」の境内にある「鳳凰寺跡(ぼうじあと)」です。自然石を利用した礎石が20個ほど残っています。薬師寺は鎌倉~南北朝時代に開創されたと伝えられ、元禄年間に再興されています。



賀采女宅子娘 (いがのうねめの-やかこのいらつめ)
大友皇子の母親とされ伊賀の山田郡、鳳凰寺の出身とされ、この鳳凰寺は大友皇子を弔って建立した説があります。



辻堂古墳
墳丘はなく、横穴式石室の下部だけを見ることができます。




2つの石棺がそのまま残されています

6世紀後半。の山麓に所在。墳丘の殆どを流失しているが、直径20m程の円墳もしくは前方後円墳だったと推定されている。
つまりこれは、20m程度の円墳の部分に在ったということです。




天井石は失われている

横穴式石室床面全体に敷石が並べられ、排水溝を備えるほか、玄室内に組合せ式石棺2基が残存していた。出土遺物は鉄鏃や馬具、須恵器など。
市指定史跡、1973(昭和48)年指定。



西之沢のノハナショウブ群落
一帯に自生していたノハナショウブは、生息環境の悪化により見る事ができないが、近くの私有地に約2000株近く植えられており、地元の方により大切に保存されています。



かつては西之澤平池周辺に自生していましたが、現在は主に約2,500㎡の私有地に約2,000株が植えられており、6月になると気品ある美しい花を咲かせています。
1955(S30)年4月7日に県の天然記念物に指定されました。目を楽しませてくれます。






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Last updated  2023年06月13日 20時21分29秒
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