マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2009.05.02
XML
カテゴリ: 日本史全般



月見坂を登って中尊寺の境内に入る。結構急勾配だ。両側には杉の並木があり、やはりここが古い寺であることを感じさせてくれる。えっちらおっちら登って行くと、土手に可憐なスミレの群落。そしてその先に幾つかの堂宇が見えて来る。


10)  月見坂 疲れし先に 菫かな  <中尊寺境内>

11)  杉参道 古代の夢に 繋がりて  <同>

12)  片栗も 桜もありて 弁慶堂




清衡の父藤原経清は、今で言えば宮城県亘理郡の長官だった。母は東北古来の蝦夷(えみし=地方豪族)の雄である安倍氏の娘。いわば中央政府の役人と現地人のハーフとして生まれたのが彼。

ここで少し歴史を紐解くことにする。源頼義、義家親子が出羽の清原氏と結んで、奥六郡を支配していた安倍頼時、貞任、宗任親子を滅ばしたのが前九年の役。夫を失った清衡の母は、望まれて清原氏に嫁す。清衡も連れ子として清原氏の一族となり清原清衡を名乗る。だが平安も束の間。やがて一族内で生じた内乱に付け入り、源義家は清衡と結託して清原氏を滅ぼす。これが後三年の役だ。

こうして再び陸奥に平和が訪れ、清衡は奥六郡の主となって父方の姓藤原氏を名乗る。百年間の栄華を誇った奥州藤原氏の誕生だ。清衡は2つの大戦で多くの命が失われたことを悲しみ、亡くなった人々の菩提を弔うために中尊寺を建てた。

清衡の夢はこの平泉を平和な仏教都市、すなわち浄土とすることだった。そのため金鶏山山頂に経文を埋葬し、都市作りする。「陸奥の中央に位置する尊いお寺」として建立されたのがシンボルの中尊寺。長治2年(1105年)に着工し、落成が大治元年(1126年)。完成まで11年を要した。この間、天治元年(1124年)に金色堂が落成し眩い姿を現している。

歌僧西行法師(1118~1190年)がこの地を訪れたのが天養元年(1144年)。まだ清衡が存命中のことだ。きらびやかな奥州平泉の噂は、きっと都まで伝わっていたのであろう。だからこそ陸奥の歌枕を訪ねる旅の途中に、中尊寺にも立ち寄ったのだと思う。束稲山を眼前にした境内の一角に西行の歌碑が立っていた。<続く>


 メモ >

1) 秋田のJunさんは「川の道520km」の第3日目に突入。今朝早く埼玉県から長野県に入った模様。既に200kmを走ったのは確実。本人のブログには「眠くて意識が朦朧」とある。初日から熱中症と戦って来た疲れが出て来たのだろう。眠れる時に少しでも眠って、何とか前進して欲しい。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.05.07 16:26:39 コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: