マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2009.05.03
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カテゴリ: 日本史全般



 「ききもせず 束稲やまの さくら花 よし野のほかに かかるべしとは」 西行


束稲山(たばしね)山は標高600mほどの山で、北上川を挟んで中尊寺の真東に見える。なだらかな山容が良く見える場所に西行の歌碑は立っていた。解説文によれば、天養元年(1144年)彼が26歳の時に詠んだ歌のようだ。彼が再びこの地を訪れたのは死の4年前の68歳で文治2年(1186年)の時。藤原三代目当主秀衡に東大寺再興を勧進するためのようだが、旅の途中で鎌倉で頼朝にも会っている。頼朝が弟義経を匿った平泉の藤原氏を滅ぼすのが文治5年(1189年)だから歴史とは非情なものだ。


13) 束稲も 霞みたりしか 西行碑

14) 西行の 歌碑苔むして 青樹の実




月見坂をさらに登って行くと宝物館の讃衡館があった。金色堂と共通の入場券を買って入館。中尊寺には3000点を越す国宝と重要文化財が遺されているが、その中でも中心となる仏像や経典がここに展示されていた。まさに目を奪うような見事な美術品の数々。


15) 閑けさや 古寺の秘仏に 桜風

16) 春の古寺 仏三尊 瞑目す

17) 鮮やかに 古代甦へる 寺宝かな

18) 金銀の経文 密やかに光る


金銀の経文とは、国宝に指定された「紺紙金銀字交書一切経」のこと。一行ごとに金と銀の字に分けて書かれたこの経文が完成するまで6年が掛かったとか。製作に当たった別当職の僧に与えられたのが一関市に残る骨寺荘園。この荘園も世界文化遺産に含めて申請されたのだが、再申請手続きの際に除外された。極めて残念なことだ。続いて金色堂へ。松尾芭蕉がここで詠んだ俳句は余りにも有名だ。


  五月雨の 降遺してや 光堂  <芭蕉>


芭蕉にあやかろうとしたわけではないが、私もここで1句ならぬ3句詠ませてもらった。もちろん比べようも無い駄作ではあるが。




20) 四代の 夢金色に 阿弥陀仏

21) 薫風や 一千年の 古寺眠る     <続く>


 今日のメモ 



 2)今日の記録。早朝のうちに畑から出た石ころ(バケツ4杯分)を捨てに行く。午前中妻と歩いて動物園まで行き見学。私は市から給付された「豊齢手帳」で無料だった。今日は竹の子、ニジマスなどのもらいものが多く、早速夕食のおかずとして登場。









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Last updated  2009.05.07 16:25:14 コメント(2) | コメントを書く


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