マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2009.05.04
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カテゴリ: 日本史全般



江戸時代、仙台藩は何度か中尊寺の修復工事を行っているが、芭蕉が訪れた当時の中尊寺はどんな姿だったのだろう。金色堂の昭和大修理が行われたのが昭和41年から43年までの3年間。当時の貫主は小説家として名高い今東光で、僧籍に入ってからの名は春聴。彼はやがて天台宗の大僧正となった。ここ中尊寺で彼から得度を受けたのが同じく小説家の瀬戸内晴美。彼女は師の一字をもらってこの日から寂聴と号した。

帰路、本堂へ立ち寄る。高い樹木に囲まれて静まる堂宇。その近くに能舞台。寺の境内に能舞台とは不思議だが、開祖円仁が加賀の国から白山神社を勧請したと寺伝にあることと無関係ではないだろう。当時は神仏混交の時代だったのだ。


22) 悠久の み寺に添ひて 杉と松  <中尊寺本堂>


この句は境内で作ったものだが、帰宅してから数日後に浮かんだのが次の句。広い境内に咲いていた桜、スミレ、カタクリ、イチリンソウ、ショウジョウバカマなどの花々が、きっと私の脳裏に強いイメージとして残ったのだと思う。絵で言えば抽象画のようなものだろうか。頼朝軍が弟義経及び彼を匿った泰衡を攻め滅ぼした時も、この寺を焼くことはなかったのだが、1300年代に入って中尊寺は焼失する。原因は野火だった由。


23) 往き往きて 往き往きてなほ 花の寺


ずいぶん長い時間楽しんだ中尊寺を退散し、月見坂を下ってバス停へ急ぐ。疲れたのか、どうも妻の歩みが遅い。そろそろ巡回バスが着くころと思う間もなく、バスの姿が見え出す。急がせてもマイペースの妻。思わず大きな声で妻を呼んだ。私が次に行きたかったのは「柳之御所」。ここは藤原四代の政治を司った政庁で、永年の発掘調査で出土した大量の遺物を収容する資料館がある。だが妻の反応が鈍い。私と違って考古学には興味がなく、きっと不満なのだろう。仕方なく第二代藤原基衡が建立した毛越寺(もうつうじ)へ向かうことにする。<続く>


 メモ > 

1)「川の道520km」関係。トップは本日の未明にゴール。第19CP(新潟県津南町=394km地点)を通過した選手の中にJunさんの名はなかった。ニセコさんこと千葉のT内さんが8位で、また我が走友会のD口さんが朝の5時過ぎに19位で通過したようだ。

2)「トランスヨーロッパ4480km」15日目関係。S原パパ59名中51位で本日も完走。既にリタイヤしたのが5人。「八丈島一周」で重たい火山弾を持って走った栃木のHさんも今日はスタートラインに立たず、無念のリタイヤのようだ。

3)4万2千kmの「アースマラソン」を走っている寛平ちゃんは、スタート後139日目。今日はアメリカ大陸上陸後の走行距離が2000kmを越え、6つ目のカンザス州へ入った。アメリカ国内2つ目の標準時を通過した由。






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Last updated  2009.05.07 16:23:44 コメント(6) | コメントを書く


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