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白い倍音の魔法使い

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白い倍音@ そうだったんですね ごちゃまぜアイスさんへ  ブログ閉鎖さ…

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April 5, 2010
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カテゴリ: 死別
 今日4回目のブログ


 意識するかな、それとも忘れてるかな
と思っていた、9時35分

 母の死亡時刻

 意識してしまった、8時半を過ぎると、ちょくちょく時計を見るようになった。
午後9時が近づくと、妹はどう過ごしているだろうと気になった。

 ふと、母が好きだった、美空ひばりの「川の流れのように」を聞きたくなった。
葬儀でも会場でずっと流してもらった曲・・

夫に、「ちょっと一人になるね、もうすぐ母の亡くなった時間だから」
話しているうちに、涙顔になってしまった、「ごめんね」と言って寝室に向かう。
 母の写真、遺骨、CDプレイヤーも持ち込む。
一人寝室の壁にもたれ「川の流れのように」を流す。
 母の大好きな曲だから、よく病室でも流してあげた。
最期の日も、母が息を引き取る間際に流し続けていた曲。
 最期の日の、最期の時間が曲の流れと共に蘇ってくる。
隣に、ティッシュの小山が出来ていく。
 妹は今、この時間どう過ごしているんだろう、そう思い電話した。
「もしもし~」元気そうな妹の声、
「あのさ、もうすぐお母さんが亡くなった時間だね」こっちは泣きそうな声、

「えっと、テレビ見てた、もうすぐそんな時間だってすっかり忘れてた」
明るい妹の声、「今日どう過ごしてた」と聞くと普通に過ごしたと言った。
 同じ姉妹でも違うんだなって思った。

 妹は、母がいたころは私より母想いで親孝行な娘だったけど
母が亡くなってからは、私の方が母を恋しがって泣き虫になっている。


 私って、こんなに母が大好きだったんだ
母の写真を見つめ、改めて思う。
 私って、こんなに涙が出るほど母が大好きだったんだ
 こんなに涙が出るほど、母に愛されていたんだ。
この悲しさや、涙は、まぎれもなく、愛されていた証なんだ。

 私は母に愛されていたから、今母がいないのがこんなに悲しく辛いんだ
思い出は、今まで私には辛く苦しいものでしかなかったけれど
こんなに辛く苦しいのは、愛されていたからなんだ、
そうだったんだ、
そんな風に考えたこと今まで一度もなかった。

 そして午後9時35分
母が息をしているのか、していないのか、心電図がないと分からなくなっていた
音がやみ、波形が平坦になり、ゼロをさす。(私は見なかった)
 主治医が入室し、母の瞳孔を確認する。
そして、時計を示しながら言った
「死亡確認をさせていただきます。
午後9時35分、ご逝去されました」
なんて、あっけない死亡確認だったろう

 今の今まで生きていた人なのに
こんな風に、簡単に生と死は分けられてしまう。

 母の意識はとうに肉体から離れていたかもしれないけれど
 もしかしたら戻ってくることだってあったかもしれない
本当に母はあのとき死んでいたのだろうか・・・
そんなことを今でも思ってしまう。
 それほど、あっけなく母の死は告げられた。

 一年後の午後9時35分過ぎ、母の写真の前で一人でお経をあげた。

お母さん、
 今もこんなに悲しく、涙が出るほど
お母さんは私を愛してくれていたんだね
 そして私も今もこんなに辛いほど、お母さんを愛していたんだね。

 お母さんがいるときはちっとも自覚しなかったけれど
今は苦しいほど、辛いほどそれがよく分かる。

 お母さんは私をこんなにも愛してくれていたんだね。

 ずっと気がつかなかったよ、お母さん

 この辛さや悲しみは、愛していたからなんだって。










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Last updated  April 5, 2010 11:03:47 PM
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