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白い倍音の魔法使い

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白い倍音@ そうだったんですね ごちゃまぜアイスさんへ  ブログ閉鎖さ…

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April 10, 2010
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カテゴリ: 死別
 母の遺品は、妹と分けた。
他にも、母の妹や、私の友人や義母にももらって頂いた。

 ずっと保管しておくばかりではなく、人に使ってもらいたい
そういう思いが私にはある。

 その中の遺品で今も使用せず、そのままの状態で保管しているのが
母の「財布」

 入院中、母は私が夕方帰るとき、必ずこう言うのだ
「そこのお財布から、夜ご飯代を持って帰って、美味しいもの食べて」


「お母さんの渡すお金はもらってあげて」
と言われていた。
 妹から、
母が父に、もう成人して結婚もしている私に、なぜ毎回金を渡すのかと咎められたとき
(いつも父が母の財布に数千円入れていた)
「なんで私の気持ちが分からんのや、
私はこんな状態になってしまって、
母親らしいことは何一つしてあげれなくなってしまった、
それが辛いんや。
せめて夜ご飯代をあの子に渡してあげることが、精一杯の私が母親として出来ることや、
こんなことしかもう出来ん、そんな自分をどれだけ情け無いと思っているか」


 母は昔からそうだった
私は、子供の頃からすごく痩せていて
(普通でも40~42キロ、母が入院してからは37~38キロになってしまっていた)
体力もなくてよく風邪を引いて熱を出した
夜中に病院へ母にタクシーで連れられていった記憶も何度もある。

だから私が大人になっても、母は会うたび
「よく食べてる?もっと太らなくては」が口癖だった。
 食事に行っても自分の分を必ず私に渡す。

 母にとっては、健康=よく食べる
そういうイメージがあるのだろう、いつもいつも痩せている私の食生活や健康を気にかけていた。
 それは私が結婚してもずっと変わることはなかった。

 入院中、熱が39度あった時も、帰り際
脇のテーブルの引き出しから、震える手で財布を取り出そうとした。
 どうして、自分の方が苦しくて仕方ないはずなのに
どうして、私の食事の心配なんてするんだろう・・・
 「私が出すから、お母さんいつもありがとうね」
そう言ってお金をもらって帰った。

 母が私にお金を渡さなかったのは、
肺炎が悪化して高熱で生死を彷徨った数日と、
転倒して寝たきりになってしまった、最後の数日だけだった。
 眠ってしまっているか、意識が朦朧としていたとき・・
そのときだけだった・・・

 その母の財布はまだ使っていない。
中身のお金もそのままだ・・

 母の財布とお金は
母の私への愛、そのものだ










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Last updated  April 10, 2010 03:34:12 PM
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