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大伴家持八千草やちぐさの花はうつろふ常磐ときはなる松のさ枝を我は結ばな万葉集 4501たくさんの花々は色褪せしおれてしまう。エヴァーグリーンな松の清らかな小枝をわたしは結ぶよ。註「八千草」は「八千種」とも書く(同語源)。松の小枝を結ぶのは、当時の呪術・まじない的行為。
2007.12.22
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THE ALAN PARSONS PROJECTDON'T LET IT SHOW原題:何も見せないでくれ アラン・パーソンズ 近影ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.11.04
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正岡子規(まさおか・しき) 「暑さかな」連作 俳句あら壁に西日のほてる暑さかな松陰はどこも銭出すあつさかな (茶店の木蔭のことか)暑さかな八百八町家ばかりぐるりからいとしがらるる暑さかな犬の子の草に寝いねたる暑さかな昼顔の花に皺しわ見るあつさかなやるせなき夕立前のあつさかな雨折々あつさをなぶる山家やまがかな我わが部屋は茶代も出さぬ暑さかな (旅先の宿のチップ)やせ馬の尻ならべたるあつさかな 岩代日本松にて幾曲りまがりてあつし二本松掛茶屋のほこりに坐るあつさかな熱き夜の寝られぬよその咄かな昼時に酒しひらるるあつさかな (強いられる)店先に車夫汗くさき熱さかな道々に瓜の皮ちるあつさかな馬車うまくるま店先ふさぐあつさかな博奕ばくち打つ間のほの暗き暑さかな夕まぐれ馬叱る町のあつさかな腹痛に寝られぬ夜半よはの暑さかなくたびれを養ひかぬる暑さかな昼顔はしぼむ間もなきあつさかな裸身はだかみの壁にひつゝくあつさかな (引っ付く)ひびわれて苔なき庭のあつさかな石原に片足づゝのあつさかな上野から見下ろす町のあつさかな (上野忍ヶ丘、現・上野公園)ぬれ足に河原をありく暑さかな (「歩く」の古語)鍬くはたてゝあたり人なき暑さかな小蒸汽こじょうきの機械をのぞく暑さかな (小さい蒸気機関車)頭陀づだ一つこれさへ暑き浮世かな (頭陀袋、粗末な作りの袋)さはるもの蒲団木枕きまくら皆あつしあつき日や肌も脱がれぬ女客傾城けいせいにいつわりのなき暑さかな (手練手管てれんてくだの遊女が嘘でないことをいうのが暑苦しい)海士あまが家やに干魚ひうをの臭ふあつさかなあつき日や運坐はじまる四畳半 (運坐:句会)此のあたり土蔵の多きあつさかな大仏を見つめかねたる暑さかな気違ひの壁叩きたる暑さかな破やれ垣の隣見えすく暑さかな出立しゅつたつの飯いそぎたるあつさかな 病中猶なほ暑し骨と皮とになりてさへ明治26年(1893)夏* ( )内は筆者註。
2013.08.20
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和泉式部(いずみしきぶ)黒髪のみだれもしらずうち臥ふせば まづかきやりし人ぞ恋しき後拾遺ごしゅうい和歌集 755黒髪の乱れにも気づかずに横たわっていると初めてこの髪をかき撫でてくれた人が恋しくて仕方がない。註古来敬愛されてきた、艶麗な恋の名歌。まづかきやりし人:初めて(いとしく)かき撫でてくれた人、つまり「初恋の人」とするのが普通だろうが、一説には、親を偲んでいるのだという真面目な(禁欲的な?)解釈もある。案外、捨てがたい解釈とも思う。さらに、「まづ」が「かきやり」ではなく、「恋し」に掛かっているという見方もある。この場合は、「(かき撫でてくれた人が)まず第一に恋しい」という意味になり、初恋ではなく最近の恋という解釈もある。与謝野晶子が、明治の一世を風靡した第一歌集『みだれ髪』で歌集タイトルおよび歌に引用した。
2013.03.10
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)21日放送。今回の兼題は「号外」。的場浩司昭和逝く凍星いてぼし今日もそこにある秀句「職質をするもされるも着膨れて」が俳句愛好家必携の参考書である「歳時記」に掲載されている、研ぎ澄まされた感性を持つ作者が、またもやってくれた感がある。季語「凍星」。掲題から、昭和天皇の崩御と昭和の終わりに思いを馳せ、冬の清冽なイメージとともにまとめた。作者や読者の多くが生まれ育った昭和という激動の時代への鎮魂と懐旧の思いがこもった、柄の大きな秀句となった。中村草田男の、俳句史上の名句「降る雪や明治は遠くなりにけり」を連想したのは、私だけではないだろう。千原ジュニア極月ごくげつの号外無傷のチャンピオン季語「極月」(12月の意)。昨年末の、井上尚弥選手のボクシング4団体統一王者達成を報じる号外を手堅く詠んだ。「極」の字の「極み」「極まる」「極める」といったニュアンスも利いている。松田和佳悴むや皺の号外握りしめ原作「かじかむ手シワの号外握りしめ」を俳人・夏井いつき氏が添削。母校・慶応高校の夏の甲子園優勝の感激を思い出し、冬の俳句にアレンジした工夫もナイス。
2023.12.22
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産経歌壇 今年の6首伊藤一彦選車に乗り行く当てもなくハンドルを切りて走れば友の墓に着く大阪・堺市 鈴木武雄「アカシアの雨がやむとき」が包み込む棺の叔父と泣いてる叔母を大阪・羽曳野市 西村真千子秒速で届くLINEよりバイク音とコトリと音する郵便が好き静岡・下田市 倉内野梨子シュレッダーの紙屑すべて湘南の釜揚げシラスならばいいのに神奈川・横浜市 杉本ありさピンポーンが鳴って「わたし」という人が来た鍵を忘れたと妻が大阪・高槻市 東谷直司サイバーテロ警戒と政府「妻婆さいばあは確かに怖い」と父は言うなり群馬・前橋市 西村晃小島ゆかり選おテイさん吾を呼ぶ声がふと声が聞こえてきそうな長き秋の夜石川・中能登町 神前貞万緑に白髪を染めるやう妻は帽子を脱いで風を呼び込む兵庫・明石市 小田慶喜黄砂にて霞める瀬戸の島々はけものの眠るごとく静けし岡山・玉野市 古川一郎春来れば春に匂いのあることを思い出させてこの春はゆく奈良市 河野久恵寺うらに羽虫ながれて右ひだり風のかたちであってまたなくて東京・渋谷 朝倉修鉢植えの防寒用の新聞にプーチンの名のあるを除外す秋田市 小林純子産経新聞 12月28日付〔坂本野原 寸評〕近年は産経新聞しか読んでいないので、これだけご紹介しておく。選者のお二人は、いずれも歌壇の重鎮。とりわけ小島さんは、お嬢さんのなおさんも歌人として第一線で活躍しておられる。五七五七七という定型韻律を持った、たったの31音(三十一文字みそひともじ)で、おまけに1300年にも及ぶ分厚い歴史の中で発想の前例・類例がないか(パクりになってないか)にも注意する必要のある、短歌という唯一無二の詩形。考えてみれば、僕らはけっこうめんどくさいことをやってるわけだ。・・・興味がない人から見れば、ヲタクの変態趣味としか思えないであろう そんな中で、皆さん(多少字余り破調になったりしながらも)黒光りするような重厚・清冽な詩のきらめきや、くすりと笑わせる軽妙洒脱な機知の閃きで自ら楽しみ、読者を楽しませてくれる。とても勉強になる。特段言いたいこともないのだが、ひとつ言えるとすれば、短歌という国民文学が滅びることは絶対にないなという確信である。
2023.12.30
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私も、世界映画史上の最高傑作は『ロッキー』だと思っている一人である。そう思う理由が、名もない名文家によってここに完璧に解説されている。どうやらだいたい同世代っぽい。同好の士がいて本当に嬉しい。読んでいて感動したので、リンクしてご紹介したい。□『ロッキー』がなぜ人生ベストムービーなのか?【ヤマトさん『シネマの流星』 2026年6月27日付】* リンクのタグを書き間違えまして、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません
2026.07.24
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塚本邦雄(つかもと・くにお)雉食へばましてしのばゆ 再また娶りあかあかと冬も半裸のピカソ歌集「緑色研究」(昭和40年・1965)註雉:「きじ」/ 娶り:「めとり」難解さを以て鳴る、いわゆる前衛短歌に分類される作品だが、感覚的には何となく分からないでもない。「草食男子」などという言葉も実体もつゆあり得なかった頃の、元気な「肉食男子」もしくは「悪食(あくじき)男子」の歌であるといっていいだろう。とりわけ塚本氏の場合、男性的で雄渾な、今でいうマッチョな感じに加え、ことさらにそれを示威するような露悪的な傾(かぶ)きさえあり、一種異形(いぎょう)の“婆娑羅(ばさら)ぶり”とでもいうべき強烈な個性が持ち味だった。それが如実・ストレートに出ている一首といえる。それ以上の解釈は、個々の読み手に委ねられよう。ともあれ、力感溢るるイメージと色彩感を伴った鮮烈な歌だと思う。猫が獲物の鳥を銜(くわ)えている凄まじい図柄の、パブロ・ピカソのキュビズムの傑作「鳥を食らう猫」辺りから着想を得たものであろうか。山上憶良の名歌「瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ」(万葉集 802)を踏まえている。パブロ・ピカソ 鏡の前の少女(複製)価格:63,000円(税込)【送料無料】
2011.01.30
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式子内親王(しきし/のりこないしんのう)ながめわびぬ秋よりほかの宿もがな 野にも山にも月やすむらん新古今和歌集 380(草木が衰え枯れてゆくさまが寂しくて)眺めることに堪えられなくなってしまった。秋のほかに宿る場所があればいいのになあ。それでも野にも山にも月は黙ってすんでいるのだろうか。註ながむ:じっと見つめて物思いに耽る。わぶ(侘ぶ):・・・するのが堪えられなくなる。もがな:願望を示す終助詞。すむ:「澄む」と「住む」を掛けている。「宿」と「住む」は縁語。
2013.11.11
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枕草子 角川、新潮第39段(岩波42段)気品があるもの薄紫に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。雁の卵。かき氷に甘葛(あまずら)の蜜を入れて、新しい銀のお椀に入れたの。水晶(クリスタル)の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかったの。めちゃめちゃかわいい稚児(幼子)が、苺なんか食べてるの。(「ちご」と「いちご」のお上品なシャレにもなってるのよ。・・・ザブトン3枚だわね 。)(拙訳)あてなるもの 薄色に白襲の汗衫(かざみ)。かりのこ。削り氷(ひ)にあまづら入れて 新しきかなまりに入れたる。水晶(すゐさう)の数珠(ずず)。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる。 汗衫(かざみ):一重または二重の、主に夏季の軽装の上着。国風文化の中で、後に宮中の女官や童女の正装と見なされるようになった。
2007.02.19
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)初雁はつかりのはつかに声をききしより なかぞらにのみものを思ふかな古今和歌集 481玉梓(たまずさ)の恋文を運んでくるという初雁のように初めてあなたの声を聞いてから心が憧れて中空にものを思うばかりだなあ。
2011.11.14
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奥村晃作(おくむら・こうさく)ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く歌集「鴇色の足」(昭和63年・1988)註現代短歌の最高傑作水準あたりの秀歌であると思う。崇敬する巨匠・小池光氏も絶賛していると仄聞する。作中で作者は季節に言及しておらず、論理的な根拠はないが、私はこれは直観的に春の歌ではないかと思う。内容としては、たぶん男にはけっこう分かりやすい、感情移入しやすい気分が詠(うた)われている。作者にとっては、ボールペン=ミツビシである。いや、等号でも足らず、ボールペン≡ミツビシという恒等式なのであろう。もしくは、絶対的な「公理」のごときものである。また、それを買いに行くという後段(下の句)は、短歌定型の員数合わせの付け足しの文言であり割とどうでもいいが、どうでもいいなりに意図的につまらなく凡庸に、適切に処理されている。たぶん大抵の男は、こういったたぐいの思考を不断に行っている。女性にはなかなか理解され難い、しばしばマニアック・オタク的と揶揄され疎んじられる種類の思考である。「ボールペンはミツビシがよく、ミツビシでないボールペンは(あんまり、もしくはきわめて)よくない」というような思考である。問題点の整理といってもいいし、排除の論理といってもいい。作者がどこまで意図しているかどうかはともかく、「ミツビシ」という固有名詞も独特なニュアンスを帯びている。大河ドラマ「龍馬伝」でお馴染みの通り、三菱は岩崎弥太郎が興した旧財閥であり、明治維新以来、日本の近代に常に寄り添ってきた代表的大企業である。私個人は、ボールペンのことは何も知らないし興味もなく、ミツビシだろうがゼブラだろうがシマウマだろうがどのメーカーのでも大差ないと思っているが、これはひとつの命題措定の雛形(基本形・プロトタイプ)と見るべきであろう。例えば、「ミツビシのボールペン」という固有名詞&普通名詞の部分に変数の代入を試みるならば、「アイドルはあっちゃんがよくあっちゃんの卒業告知涙ぐましも」とか、「オートバイはCBR750がよくCBRを見にホンダに行く」とか。いくらでも応用が利くように思われる。・・・ところで、私は今「短歌人」6月号詠草の締め切り間際で、アタマの中が強制ナチュラルハイのトランス&炎上状態になってますので、今日のところはこのへんで~
2012.04.08
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サザン30周年ということで小文を書いていて思い出したが、そういえば歌人・俵万智さんはサザンが相当好きと見えて、作品の中で効果的に使われていると思った記憶があるので、彼女のメジャー・デビュー作(?)で、一世を風靡した名歌集「サラダ記念日」(1987)をけさ久しぶりに繰ってみたら、やはりと言うべきか、3首もあった。・・・以下、「研究目的」ということで、テキストの引用をお許しいただきたい。思い切りボリュームあげて聴くサザンどれもこれもが泣いてるような吾の好きなサザンオールスターズを弟も聴く年頃となる忘れたいことばっかりの春だからひねもすサザンオールスターズ「サラダ記念日」の中では、むしろ地味目な感じの3首であるが、どれもこれもが細心の神経が行き届いていて、平明でありつつ上手いなあと思う「どれもこれもが泣いてるような」と言うのは、桑田のヴォーカルの特徴をとらえて見事。2首目も「吾の」なんて万葉集みたいな上古語を唐突に使って、ある種の格調とメモリアル(記念碑)感を醸し出している。・・・いうなれば、和歌短歌は「そんじょそこらの散文とは違うのよ~、ツンツン♪」感でもある3首目の「ひねもす」も同工異曲な古語の使い方。歌集の中で、そのほかのJ-POPについては、けさざっと見た限りでは、松任谷由実の「ダウンタウン・ボーイ」への言及が一箇所あるだけだと思う。・・・なるほど、確かにこれもすごい名曲で的確な使い方だと、かつて片田舎のダウンタウン・ボーイであった僕も思った。「サラダ記念日」は、普通に庶民的な、当時の20代前半ぐらいの女の子のデレ~ッとした日常生活を詠みながら、ビミョ~なツンツン・タカビ~・シンデレラ系お嬢様感も漂わせている。今の言葉でいえば、その「ツンデレ」な感じが、絶妙と言えるかも知れない。こうして見ると、確かに当時、プロ歌人から一般読者にまで、あまねく衝撃を与えただけのことはある。ちなみに、当時から上野千鶴子東大教授を首魁とする、闘うジェンダーフリー過激派フェミニズム陣営からは、「女の敵」だの「タヌキ顔」呼ばわりだのされて、激しく敵視されているのは、まことにご迷惑さま・お気の毒さま~と言うほかはないそれはともかく、当時、僕もそのインパクトを、けっこうまともに受けとめた一人だ。そして、しばらく経ってからだったが、自分でも歌を詠む真似事をしはじめた。200万部以上売れ、短歌表現におけるポピュラリティ(大衆性)を代表する分かりやすい作品であるが、歌壇のプリンセスと呼ばれ、今なお別格扱いである俵さんは、やはり庶民の心(・・・というのも手垢にまみれた言い回しだが)と同時代性ということを、天賦の才で熟知している才女と言うべきであろう。・・・めちゃくちゃ尊敬している。というか、崇拝に近い
2008.06.27
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石原慎太郎 辞世灯台よ汝なんじが告げる言葉は何ぞ 我が情熱は誤りていしや石原慎太郎・曽野綾子共著『死という最後の未来』令和2年(2020)6月灯台よ(海の男である私に)そなたが告げる最期の言葉は何なのか私のとめどなき情熱は誤っていたのか(・・・いや、そんなはずはない)。昨1日、石原慎太郎氏が永眠された。享年89。作家として政治家として、戦後日本を駆け抜けた鮮烈な生涯だった。けさのテレビ朝日の報道によると、辞世(この世を辞するにあたり短歌を詠む伝統的風習、また、その歌)は上掲の通り。解釈の文責は筆者。註誤りていしや:反語的疑問形。強い詠嘆と確信のニュアンスを帯びる。
2022.02.02
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今井美樹瞳がほほえむから
2024.05.07
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岡井隆(おかい・たかし)蒼穹おほぞらは蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶歌集「人生の視える場所」(昭和57年・1982)
2009.06.01
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永井祐(ながい・ゆう)ぼくの人生はおもしろい 18時半から1時間のお花見第一歌集『日本の中で楽しく暮らす』(平成24年・2012)註この歌は、もしかすると石川啄木の「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」(第一歌集『一握の砂』明治43年・1910)のパスティーシュなのではないかと思ったが、これは私の穿ちすぎかも知れない。ただ、前エントリーで触れた生沼氏の評論によると、作者と同世代の歌人・花山周子氏が短歌総合誌の座談会で、永井の歌は「近代(短歌)に近いような読み方で素朴によさを感じている」という趣旨のことを発言しているとのことで、なるほどと膝を打った。かねてから私も同じような感じを持っていた。ちなみに、生沼氏の評論のタイトルは「解体そして新陳代謝」だが、異議というほどではないにしても微かな違和感を覚える。解体どころか、もしかするとこれこそ一つの新たな「統合(インテグレーション)」なのではないかという考えがちょっと脳裡をよぎるのだ。・・・ただ、いまちょっと忙しいので、またね。
2014.10.02
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レモ・ジャゾットトマゾ・アルビノーニアダージョRemo GiazottoTomaso AlbinoniAdagioホルスト・ゾーム指揮コペルニクス室内管弦楽団Remo GiazottoALBINONIAdagioクサヴァー・ヴァルヌス:オルガンララ・ファビアンLara FabianAdagioデイヴィッド・ギャレットDavid GarrettAlbinoniAdagioアルビノーニのアダージョヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団* 20世紀イタリアの音楽学者レモ・ジャゾットは、ザクセン国立図書館から入手したアルビノーニの自筆譜の断片を編曲したと称して、《ト短調のアダージョ》を出版した。この作品が《アルビノーニのアダージョ》として親しまれるようになると、ジャゾットの名もアダージョの編曲者としてとりわけ有名になった。ジャゾットは、自分は編曲したのであって、作曲したのではないと言い張ったが、現在では完全なジャゾットの創作であることが判明している。音楽史上屈指の珍事といわれる。実際、曲調はアルビノーニが生きたバロック時代のものではなく、近代的な感性に溢れていることから、事実がばれるのは時間の問題だったろう。 ・・・よほど照れ屋さんだったのか(?)何だか知らないが、ジャゾット氏の気が知れない
2016.12.03
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岡井隆(おかい・たかし)つきづきし家居いへゐといへばひつそりと干すブリーフも神の仕事場歌集「神の仕事場」(平成6年・1994)註つきづきし(付付し):「似つかわしい、ふさわしい、相応している、調和している」の意味の古語形容詞の終止形。巨匠の第16歌集の表題作。直ちに、「神は細部に宿り給う(God is in details / Der liebe Gott steckt im Detail)」という西洋の成句を連想するが、さしずめその「細部」が、ひっそりと干されたブリーフなのだという。おそらく、性的なニュアンスも滲ませている。やや偽悪趣味を湛えた男性的なユーモアが豪快である。いうなれば「ニーチェ的」と評したい。
2011.09.04
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岡井隆(おかい・たかし)冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来こし一生ひとよのごとし歌集『神の仕事場』(平成6年・1994)註来こし:古語動詞「来く」の連用形に、過去の助動詞「き」の連体形「し」がついたもの。正岡子規一門(アララギ派)が好んで用いた語。 鶏卵 Anatomy of an eggウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014.09.13
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永井祐(ながい・ゆう)あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな日本の中でたのしく暮らす 道ばたでぐちゃぐちゃの雪に手を差し入れる元気でねと本気で言ったらその言葉が届いた感じに笑ってくれたあの人と仲良くなってこの人と仲良くならない 頭つかれた月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(平成24年・2012)註 現代短歌の明日を担うかも知れない俊英の待望久しき第一歌集が、オン・デマンド方式でやっと上梓された。 つとに賛否両論と好き嫌いと当惑の渦を巻き起こしてきた作者だが、きわめて鋭敏で繊細な精神が、真率に肩の力を抜いて一種の「ゆるい抒情」を表現しているとともに、世界との距離感の取り方が現実否定的な情動を伴わない形でほのめかされている。 俵万智氏や穂村弘氏の出現時にも吐かれた、歌壇では毎度お馴染みの科白「こんなものは短歌ではない」と公言する有力歌人もいるが、到底首肯できるとは思えず、自らの立場を危うくするだけではないかとよそごとながら心配してしまう。 全篇に漂う草食獣的な優しさは、世代的なものも反映しているのだろうが、「柳に風、暖簾に腕押し」な感じの、いわば「世界への無条件降伏」のような感覚を漂わせているのが、「清新」とか「新鮮」とかいう感じではないが、ある種新しい。 選び抜かれ彫鏤された言葉によって、「研ぎ澄まされたゆるさ」と適度な難解さ、深さを伴った抒情詩が成立している。○ 歌集『日本の中でたのしく暮らす』一部公開 作者公認公式立ち読みPDファイル
2012.12.22
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外では桜の花が美しく咲き乱れているというのに、なんともうんざりさせられる、やりきれないニュースである。 先ほどの注目の記者会見で、理研は「STAP細胞論文」の主要部分に捏造や改竄の不正があり、ほぼ全ての責任は小保方さんにあると発表した。 STAP細胞の生成と存在の事実そのものはまだ首の皮一枚つながっているという見方もあるが、これも今やほとんど黒に近いグレーといったところに追い込まれた。 やっぱりそうだったのかと、われわれも十分想定していた結論である。言っては悪いが、なんとも恥知らずな事件だったというほかはないだろう。 こうなってみると、われわれの関心の焦点は小保方さん本人のパーソナリティに移るわけだが、結論的にいえば、自己愛性または演技性などと分類されるパーソナリティ障害の一種と見て間違いないだろう。これらの症候群は広い意味で、また俗なニュアンスで境界例(いわゆる「ボーダーライン」)と称されることも多い。 一般的に、パーソナリティ障害と知能に必ずしも相関がないことはよく知られており、早大大学院で博士号を取得したインテリジェンスと、この幼稚ともいえる行動には精神医学的な見地での矛盾はない。 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメインカラヴァッジョ ナルキッソス * 画像クリックで拡大ポップアップ■ [STAP細胞問題] 理研、「小保方さんが捏造」と判断【毎日新聞 1日】 新たな万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の作製成功を発表した英科学誌ネイチャーの論文に多数の疑問点が指摘されている問題で、理化学研究所の調査委員会(委員長、石井俊輔・理研上席研究員)は1日午前、東京都内で会見を開き、研究を主導した小保方晴子・研究ユニットリーダーについて「捏造にあたる研究不正行為を行ったと判断した」と発表した。 調査委は「小保方氏は科学的に許容しがたいプロセスによる2枚の異なるデータの切り貼りや、条件が異なる実験データの使用など、到底容認できない行為を重ねて行っている」とし「研究者としての未熟さだけに帰することのできるものではない」とした。
2014.04.01
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於もひをく言能葉なくて徒井爾行 道盤満よハしな類爾ま可せて 如水(花押)黒田官兵衛孝高 如水円清 (くろだかんべえ・よしたか じょすい・えんせい) 辞世思ひおく言の葉なくてつひにゆく 道はまよはじなるにまかせて真筆短冊福岡市博物館蔵思いを残し置く言葉など今さら何もなくて終ついの行き先に私は行くその道にもう迷うことはあるまい。なるにまかせて、行き当たりばったりで。註戦国乱世を駈け抜け、晩年に「如水(水の如し)」と名のった人の超俗洒脱な三昧境を示し、軽妙で涼やかとさえ見える非凡な辞世の一首。
2014.12.21
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栗木京子(くりき・きょうこ)「カルピスが薄い」といつも汗拭きつつ父が怒りし山荘の夏歌集『夏のうしろ』(平成15年・2003) カルピス ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014.08.13
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直江兼続(なおえ・かねつぐ)春雁似吾吾似雁洛陽城裏背花帰春雁しゅんがん吾われに似て吾雁に似たり洛陽城裏花に背そむきて帰る常山紀談北へ渡って行く春の雁(かり)が私に似ているのか、それとも、私が雁に似ているというべきか。華やかな都のちまたで、美しい花に背(そびら)を向けて、私は私のあるべき場所に帰ろう。註全体に短いのは、前半の起承句が散逸消失して、後半・転結句のみの残闕(ざんけつ)であるせいだと思われるが、残された2行からでも、NHK大河ドラマにも垣間見られる、義に聡く情に厚い武将の俤(おもかげ)が偲ばれる、爽やかな名詩。和歌で「雁(かり)」に掛かる枕詞(まくらことば)に「遠(とお)つ人(遠い人)」があり、この意味を言外に響かせているという解釈も出来る。
2009.06.29
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俵万智(たわら・まち)「勝ち負けの問題じゃない」と諭されぬ問題じゃないなら勝たせてほしい歌集「チョコレート革命」(平成9年・1997)これは最初に出会った時も今もなお、けっこう深く哄笑できる、この世の真実を穿った秀歌と思う。虫も殺さぬ涼やかな顔をして、敬愛する俵万智女史はなかなかしたたかでラディカルな哲学者である。「勝ち負けの問題じゃない、努力したことに意味があるんだ」とか何とか、大人が年少者に言いがちな言葉である。僕もけっこう言いそうである。具体的なシチュエーションは捨象されているが、作者は誰か年長者からこのように諭されたのだろうか。または、高校の国語教諭であった作者にとっては、教育現場で耳にした言葉であろうか。・・・が、小学生相手に言うのならともかく、いかにも安易な気休めの、口から出まかせに過ぎないことは、十代後半ともなれば言われた方は薄々気が付いてしまうだろう。むしろそのような利いた風な紋切り型の虚辞しか言えない大人を軽蔑するだろう。まもなく待ち受けている大人の社会は、表面上どれほど綺麗ごとを言っていても、一皮向けば弱肉強食・優勝劣敗が原理である。それで人類は進歩してきた。プロセスなどは(よほど反社会的でなければ)どうでもいい。結果が(ほとんど)全てだ。言い方を換えれば、「勝ち負け(の結果)こそが問題であり、プロセスなんか問題じゃない」というのが、僕ら大人の本音ではないだろうか。「結果の平等」を追及した共産主義・社会主義思想は、餓死者の山を築いて無惨にも破綻した。参議院選挙に惨敗した菅直人政権は、すでにズタボロだ。おそらく、どう足掻いてもほとんど何も出来ないまま立ち腐れるだろう。これらはまぎれもなく、「勝ち負けの問題」である。そんなこんなで、だからこそ大人というものは(自己責任かつ)自由なのだとさえ論理を敷衍することも可能だと思う。・・・ちなみに、「『勝ち負けの問題じゃない』と諭されぬ」で検索してみると、言及しているブログ記事などがかなり多数あって、これは人生と言うものを詠(うた)って、とりわけ若い人たちにとっては、インパクトの強い歌なのだろうなと、改めて思い知った。
2010.08.01
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俵万智(たわら・まち)むっちゃ夢中とことん得意 どこまでも努力できればプロフェッショナル『プロフェッショナル 仕事の流儀』NHK27日放送
2023.02.28
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割と緊急を要する事柄なので、結論から簡明に書く。(なお芸能人につき、慣例により文中敬称略・呼び捨て。)起こった事実(現象)よりも、非常に気になるのが、山崎まさよしの今の精神状態である。きわめて心配される。おそらく「鬱」(抑鬱状態、あるいは軽度の鬱病)であることは、ほとんど間違いないと見ていいだろう。直ちに心療内科または精神科の受診と、一定期間の休養を勧めたい。人生は長い、焦るべからず。周囲の家族やスタッフは、とりあえず首に縄付けてでも病院に引っ張っていくべきだろう。最近ではいい薬(内服薬)もあり、早期の緩解が期待できると耳にする。フルオキセチン(プロザック)などはよく知られている。「鬱は心の風邪」といわれたこともあるが、風邪も極度にこじらせれば死に至ることもある。また、「鬱」というとかなり深刻な病気の先入観もあって、臨床の現場では「適応障害」とか「自律神経失調症」といった診断名でお茶を濁すことも多いように仄聞する。おそらく、脳科学的には、ストレスや加齢その他の原因でセロトニン、ドーパミン、オキシトシンなどの神経伝達物質(脳内ホルモン)のバランスが崩れている状態なのだと思うが、この辺はしろうとの悲しさで、正確なことは言えない。近年の研究によれば、とりわけ「幸福感ホルモン」セロトニンの、何らかの原因による分泌の減衰が最も大きく関与しているといわれる。私はしろうとだが、思春期からこういった分野に興味を持ち、メンタルヘルス・精神医学の中級ぐらいまでの書籍を読み漁ってきた。今こそ、くろうとの精神医学者・臨床医師・心理カウンセラーなどの出番であり、その発言が欲しいところだが、むしろプロだからこそ、診察もしないで軽々な発言は出来ないということもあるだろうか。残念な状況と思う。しろうとでも、すぐにピンとくることだ。報道によれば、歌うことが楽しくない、むしろ苦痛だ、歌いたくないという状態に陥っているようだ。山崎の近影(最近の写真)の表情が、この分野の教科書に載せたほうがいいぐらい憂愁に満ちていることも、一目瞭然であろう。典型的で、分かりやすいといえるほどの鬱の症状だと思う。躁鬱病は、主として内因的に(はっきりとした大きな外的原因がなくて)「躁」(はしゃいでいる精神状態)と「鬱」(沈んでいる状態)を繰りかえす病気である。私自身、病的というほどではないが、自分の精神状態(気分)にサインカーブ状の「躁鬱」=「循環性」=「双極性」の傾向(波)があることを、若い頃からはっきりと自覚している。これを書いている今現在は、やや「軽躁状態」(思考や直感・言動が発揚している、ただし、言い間違いや言い過ぎ・失言などのケアレスミスも多い状態)である。世界が割とバラ色に見えていて、モノを書いていても何となくノッていて楽しい。私は、特に山崎の大ファンというわけではないが、非常にクリエイティヴな仕事をしてきた実績と実力は十分に知っている。その作風(特に歌詞)は、「循環性気質」に特有といわれるマイルドな優しさ・繊細さや、現実的・妥協的・明朗温和な人間味(共感性)にあふれている。この性格傾向を持った世界文学の代表者は、文豪ゲーテである。これと対比される性格である「粘着性気質」の場合、いわゆるマッチョでストレート、ストイックで悲壮・戦闘的であり、芸術家であれば、その作風は荘重・深刻・深淵性、時には神秘性すら帯びる。循環性のライトな持ち味の産物とは対蹠的である。この性格の代表者は、文豪ドストエフスキーである。亡き谷村新司も、かなり典型的な粘着性だったと思う。「なんだかんだ言っても つまりは単純に君のこと好きなのさ」「我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ」どちらも、きわめて秀逸な代表作の歌詞のエピローグ(結語)だが、作者の性格傾向により、こういったテクスチャー(風合い)の差が出る。また、粘着性性格に比べ、循環性性格は(精神的な)スタートダッシュは利くが、疲れやすい、粘り強くないことも知られている。短距離の一発勝負には強いが、持久力はないのである。物事に対し、飽きやすいともいえる。・・・全く、私自身の性格を記述しているかのようである。芸能界のことはよく知らないが、そろそろ仕事を選んでセーブして、マイペースでのんびりやっていきたい本人と、稼げるうちに馬車馬のように働かせたい事務所サイドの間に強い軋轢があるだろうことは容易に想像できる。コロナ禍を経た業界の事情もあるのだろう。これは「働き方改革」にもつながる問題だろう。こういったメンタルヘルス(心の健康)に関する知見・概念・用語は、最近ではけっこう常識になっていると思っていたが、知らない人もまだまだ多いのかもしれない。この観点からの記事や言及が見当たらないのが残念である。・・・市川猿之助の悲劇も起こったばかりである。われわれは人の心の問題にもう少し敏感であるべきと、切に思う。■ 物議の山崎まさよしライブ「聞いていられる話ではなかった」トークばかりの異様・・・客明かす「一番悲しかった」発言【J-CASTニュース 24日】
2023.10.24
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)くれなゐの林檎りんごがひとつ をりにふれて畳たたみのうへにあるが清しも歌集「石泉」(昭和26年・1951)(子供が置き忘れたのだろうか)紅の林檎が一つ折に触れて畳の上にあるのがすがすがしいなあ。註山形出身の作者にとって、林檎は幼い砌(みぎり)より親しんだ果物であっただろう。ふれて:「折に触れて」と「触れて畳の上にある」が掛けてある。
2009.09.21
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黒田官兵衛孝高 如水円清(くろだかんべえ・よしたか じょすい・えんせい)山深く分け入る花のかつ散りて 春の名残もけふの夕暮真筆短冊福岡県豊前市・国玉神社所蔵 / 求菩提資料館収蔵(平地ではもう桜は終わり)山深く分け入って見る花も咲きつつ散りはじめて春の名残も尽きようとしている今日の夕暮れ。註惜春の歌の佳品。作者の真意は茫漠としているが、一説によると、戦乱の世の習いで自ら武将として滅ぼさざるを得なかった九州の国人領主たち、とりわけ豊前(大分)宇都宮(城井)氏への鎮魂・追悼、あるいは後悔の念が籠められているという説があるのも尤もと思われる。* 豊前國中津 黒田武士顕彰会 求菩提山 桜狩* 豊前市ホームページ 官兵衛 桜狩の歌
2014.09.24
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永井祐(ながい・ゆう)夕焼けがさっき終わって濃い青に染まるドラッグストアや神社第一歌集『日本の中で楽しく暮らす』(平成24年・2012)註本人が望むと望まざるとにかかわらず、現代短歌最尖鋭の旗手の一人と看做されている若手ホープである。私も高く評価している。というより、一読者として惹かれている。例えば、荒唐無稽なハリウッドのSFX映画などと対極にある世界といえる。あらかじめ「大いなる物語」が存在しないであろう時代にあって、細心なまなざしで掬いとられ周到に選び抜かれたリアリティ溢れる言葉で捉えられた、この上なくフラットだが稠密な世界像がここにある。ベートーベン晩年の渋い傑作群、後期弦楽四重奏曲への言及は、示唆的と思える。このようにして、新しい時代の扉は開かれるのかも知れない。 ほぼ1年前、昨年10月11日の記事でこう書いたのをそのまま転載した。この感想は今も基本的に変わっていない。激しい毀誉褒貶の渦中にある作者の名状しがたい存在感は、私の中でいや増す一方であり、昨年から今年にかけて拙作の表現上も強い影響を受けていると感じている。 このほど、「短歌人」10月号誌上に、歌人・生沼義朗氏の現代短歌に関する評論「解体そして新陳代謝」が掲載され、この作者に関して、私の知る限り初めて納得のいく解釈と好意的な批評を読むことができた感があり、わが意を得た思いである。 作者の歌風に対しては、歌壇の一部から一方的に「ユルい」「脱力系」「短歌になっていない」などと口を極めて貶す批判があるが、たぶんほとんど的外れであることは確かと思う。歌壇というところには、旧帝国陸軍内務班のごとき新兵いびりの体質があることは否めない。 ・・・ただ、今私は多忙に加え、「短歌人」12月号詠草締め切りも迫っているという緊急状態なので、詳しく論評しているゆとりがない。また日を改めてちゃんと書いてみたいと思う。*「楽天市場」では扱われていない模様です。
2014.10.02
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小池光(こいけ・ひかる)薄明のそこはかとなきあまき香かは電気蚊取器はたまた妻子歌集『廃駅』(昭和57年・1982)註 特に懐古趣味ではないが、わが家では今もなお、昔懐かしい渦巻きの蚊取り線香を私も妻も好んで愛用している(香りもいいし、十分効くと思う)ので、最近の電気蚊取器の事情はよく知らないが、以前の「マット式」の電気蚊取器は、言われてみれば確かに何ともいえない仄かな甘い香りがしたものだなあと、ありありと思い出される。 鋭い観察眼で生活の一齣を把捉して、いかにもこの巨匠らしいクールで静謐でリアル感のある底光りするような抒情が表出されている。
2014.08.17
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正岡子規(まさおか・しき)ベースボールの歌 久方のアメリカ人びとのはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも国人くにびとととつ国人と打ちきそふベースボールを見ればゆゝしも *若人わかひとのすなる遊びはさはにあれどベースボールに如しくものはあらじ九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来きたる人の手の中になかなかに打ち揚げたるはあやふかり草行く球のとゞまらなくに打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな明治31年(1898)、新聞『日本』に発表。歌集『竹の里歌』(明治37年・1904)所収註この歌発表の時点でまだ「野球」という訳語は確立していなかったが、なんと正岡子規自身が、幼名の「升(のぼる)」をもじって、「野球(のぼーる)」という筆名を名のっていた。久方の:「天(あめ)」「雨」などに掛かる枕詞(まくらことば)。とつ国人:外国人。ゆゝし(ゆゆし)も:不穏な殺気がみなぎって、ぞくぞくするなあ。「も」は詠嘆。* 「近時、第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マツチ)ありしより以来、ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり」と別の随筆にある。さはに:たくさん。打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて:揚げ雲雀(あげひばり、ヒバリの雄の求愛行動)に擬(なぞら)えているのだろう。なかなかに打ち揚げたるは~:中途半端に打ち上げた球は結局どうなってしまうのか危ういなあ、草原の中を留まらずに転がってゆくけれども。グラウンダー(ゴロ)。打ちはづす球キャッチャーの手に在りて:ファウル球がキャッチャーの手にあって。ベースを人の行きがてにする:「ホームベースにランナーを行き難くする」の意味の上古語(万葉集)的表現。三つのベースに人満ちて:満塁のチャンスもしくはピンチで。そゞろに(そぞろに):気もそぞろに。そわそわ、わくわくと。
2013.03.04
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俵万智(たわら・まち)「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日第一歌集『サラダ記念日』(昭和62年・1987)Because you told me"Yes, that tasted pretty good"July the Sixthshall be from this day forwardSalad Anniversary.英訳 ジャック・スタム Jack Stamm【俵万智さん自註】 サラダがおいしかったというような、ささやかなことが記念日になる。それが恋というものだし、それを記念日として刻印してくれるものが、自分にとっての短歌だ。(角川「短歌」2009年7月号)註 見かけによらず、きわめて技巧的に組み立てられた一首である。表向きの社交辞令的公式解題というべき上記の「自註」はともかく、著書『短歌をよむ』(岩波新書)で自白しているところによると、手帳に書きとめた初稿は「カレー味のからあげ君がおいしいと言った記念日六月七日」だったという。「サラダ」は影も形もなかった。 そこから、「からあげ記念日」などの案も含め、文字として残っているだけで8パターンほどの推敲案を経て、発表された形になったという。 日付の改稿についても、季節感に留意しつつ、七夕の7月7日では恋の歌には即つきすぎとして斥けるなど、なかなかに周到な創作過程であることが分かる。 これほど苦心の彫琢ではないとしても、短歌実作者であれば例外なく、着想から推敲・脱稿に至るまで呻吟しながらこれに近いようなことはけっこうやっている(そこがまた楽しからずや、ではある)ので、こちらの勝手な一方通行ながら、共感と忖度の念を禁じえない逸話である。 作者は口を噤んでいるが、おそらく実際には7月4日がアメリカ合衆国の「独立記念日(インディペンデンス・デイ)」であることも踏まえているのだろう(くまんパパ説)。 この解釈が成り立つとすれば、作者が独立したのは、それまで庇護してくれた「両親」からだろう。「これゆえに、人はその父母を離れて偶つまと契りを結び合う」という旧約聖書・創世記のアダムとエヴァ(イヴ)説話の結語エピローグが想起される。 そうだとすると、この歌は若い女性が親元から離れて世の荒波に身を投じつつ、自由な恋愛の海に出帆する宣言であり、悲壮ともいえる覚悟が織り込まれているとも読めそうだ。 こうしたことにもかかわらず、一見してそうした技巧を全く感じさせない自然な表現にまで持っていった手際の妙。作歌当時、芳紀二十歳そこそこだったひとりの女の子のたくらみが、現代短歌の可能性を大きく拓いた記念碑的な名歌。俵万智 短歌をよむ【送料無料】¥840(税込)
2014.07.06
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明治天皇睦仁陛下 御製(おおみうた、ぎょせい)あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな明治37年(1904)初冬新緑のように生き生きとした青が澄みわたった大空の広大無辺を自分の心と出来たらなあ。註欧米以外で初めてこの国に偉大な近代化を齎した英邁なる君主にふさわしい、まことにおおどかで気宇壮大な名歌。『明治天皇御集』の時系列の配列から見ると、初冬(年の瀬)の作品と見られる。もがな:詠嘆を込めた強い願望を示す終助詞。「・・・であったらなあ」「・・・と出来たらなあ」。願望を表わす上古語終助詞「もが」に、詠嘆の終助詞「な」が付いたもの。上代では「もがも」の形で、万葉集に見られる。この語尾の「も」も詠嘆の終助詞。
2009.01.17
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小野小町(おののこまち)今はとてわが身時雨しぐれにふりぬれば 言の葉さへにうつろひにけり古今和歌集 782今はもう時雨が降ってわが身も古びてしまったので木の葉が萎れるようにあの方の言葉も変わってしまったのだなあ。註なんとも救いがない寂寥感溢れるやるせない歌だが、ここまで切ないと、いっそすがすがしいぐらいかも。「(時雨が)降る」と「(わが身が)古(ふ)る」が掛けてあるとともに、「時雨」が「涙」の縁語。また、「(葉が)うつろふ」(しおれる)と「(言の葉が)うつろふ」(変化する)が掛けてある。
2014.12.01
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作者未詳朝霜あさじもの消けやすき命誰たがために千歳ちとせもがもとわが思はなくに万葉集 1375朝の霜のように消えやすい命だけれども、わたしは誰のために千年も生きたいと思わないだろうか?(・・・あなたのためにこそ、千年も生きたいのだ。)註反語的強調表現が、今の目で見るとちょっと小難しい言い回しになっている(・・・古典文学ではよくある)が、要は万葉集らしいストレートな恋の絶唱。初冬の風物詩、朝霜の儚(はかな)さを生命になぞらえ、恋愛の永遠性との対比が見事な名歌。「消け」は万葉時代の古い動詞「消けゆ」の連用形。
2008.12.14
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枕草子 角川第183段(新潮180段、岩波188-190段)病気は、胸、もののけ、脚の気。それに、ただなんということもないけれど、ものが食べられない気分。十七、八歳ぐらいの人が、髪がとってもきれいで身の丈ほどもあって、その先はすごくふわゆらふさふさしてるの。とってもふくよかで、ものすごく色白で、顔が可愛らしくて、いいわ~と思える女の子が、歯をメチャクチャ患って、垂らした前髪もぐしょぐしょに泣き濡らして乱れ掛かっているのも知らず、顔も真っ赤にして押さえているのは、ホント、すてきなのよね~。九月あたりに、白い一重のふんわりしたのに袴のよく合うのを着けて、紫苑の着物のすごく上品なのを纏って、胸をひどく煩っているので友達の女房(キャリアウーマン)なんかが次々来てお見舞いして、部屋の外の方にも若々しい公達がたくさん来て、「大変お気の毒なことです。いつもこんなにお苦しみなのですか?」なんてお座なりに言う人もいる。心を掛けている人は、本当に可哀想だと(人知れぬ仲などはまして人目を忍んで、そばに寄るに寄れず)思い嘆いているのがホントにすてき。とっても麗しく長い髪を引き結わえて、吐こうとして起き上がった様子も、可愛らしいわね。陛下にも聞こし召されて、おまじないの御読経の僧侶の声のいいのをお遣わし下さったので、枕元に几帳を引き寄せて、隔てて座らせた。さほどでもない狭さなので、お見舞いの女性が大勢来てお経を聞いたりするのも丸見えで、ちらちら見ながら読んでいるのは、こりゃバチが当たるよ~、と思われたわよ。(拙訳)註:胸:不詳だが、この文の場合、結核(肺病、労咳)のことではないようである。角川ソフィア文庫版は、註釈で結核説を真っ向否定している。結核の場合、当時は不治の病。この文の場合、胃酸過多による胸やけの悪化したもの、みたいな感じか。・・・「太田胃散」でも服用すると利くだろうか。もののけ:怨霊(に取り憑かれること)。今でいうと、何らかの慢性疾患に、精神的な抑鬱状態が重なったようなものか。脚の気:脚気。ビタミンB1欠乏症。ビタミンB複合体が多い胚芽(米ぬか)を摂取せず、肉食をしないことによって起こる。悪化すると死に至る。後世、江戸時代には白米常食による「江戸わずらい」として恐れられた。樋口清之「おもしろ雑学日本意外史」(三笠書房・知的生き方文庫)によると、平安貴族の死因は、おおよそ肺結核が55%、脚気が20%という研究結果もあるという。平均寿命も、せいぜい35歳ぐらいだった。背景には、運動不足とストレスによる免疫力の低下もあったろう。当時の主食は玄米だったので、適量を食べていればビタミンB群は摂取できたはずだが、現在の炊いた(「煮る」ことの一種)ご飯と異なり、蒸し飯(いい)だったので、食感は非常にパサついて、とてもたくさんは食べられない代物だった。僕も玄米を食べたことがあるが、味はまあまあ悪くないが、これが毎日ではちょっとキツイな~と思った。まして蒸し飯ではキビシイね。おかずも、運輸流通・冷蔵庫のない時代とあって干物ばかりで、あまり食欲をそそるものではなかったようである。虫歯も、口腔内の糖質などの富栄養が背景にあると思われるから、これらはすべて当時の王侯貴族ならではの“特権的”病気だったともいえる。非常に贅沢な生活をしながら、食生活は糖質・炭水化物に著しく偏った、一種の栄養失調状態だったとも言われる。さらに、当時すでにけっこう発達した医学もあったが、平安貴族は医師を呼ばず、不例(病気)の時はこの文のようにもっぱら当時舶来のモダーンな先進思想であった仏教・密教の加持祈祷に頼った。宗教のもつ心身症(最近ではガン発生への精神的ストレスなども指摘されている)や精神病などへの一定の癒す力・治癒力は認めるが、これでは治るものも治らなかったろう。なお、庶民は野山を駆け巡る比較的健康的な生活をし、動物性蛋白質、すなわち肉類も食べ、またその日その日を生きるのに精一杯で、もののけに取り憑かれる暇もなかった?十八、九:数え年(生まれた時に一歳、正月ごとに一歳加える)なので、現在の満年齢でいえば、16~18歳に当たる。八月:太陰暦(旧暦)なので、現行の太陽暦(新暦)ではほぼ9月頃。( )内「人知れぬ仲・・・」のくだりは、能因本(写本)のみに存在。この部分は、どうも贋作臭いように思われる。病は、胸。もののけ。あしのけ。はては、ただそこはかとなくて物食はれぬ心地。十八九ばかりの人の、髪いとうるはしくてたけばかりに、裾いとふさやかなる、いとよう肥えていみじう色しろう顔愛敬づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう病みて、額髪もしとどに泣きぬらし、みだれかかるも知らず、おもてもいとあかくておさへてゐたるこそをかしけれ。八月ばかりに、白き単(ひとへ)なよらかなるに袴よきほどにて、紫苑の衣のいとあてやかなるをひきかけて、胸をいみじう病めば、友だちの女房など数々来つつとぶらひ、外のかたにもわかやかなる君達あまた来て、「いといとほしきわざかな。例もかうや悩み給ふ。」など、ことなしびにいふもあり。心かけたる人は、まことにいとほしと(人知れぬ仲などはまして人目思ひて、寄るにも近くえ寄らず)思ひなげきたるこそをかしけれ。いとうるはしう長き髪をひき結ひて、ものつくとて起きあがりたるけしきもらうたげなり。上にもきこしめして、御読経の僧の声よき賜はせたれば、几帳ひきよせてすゑたり。ほどもなきせばさなれば、とぶらひ人あまたきて経聞きなどするもかくれなきに、目をくばりて読みゐたるこそ、罪や得らむとおぼゆれ。〔寸評〕病気の話題でさえ半ば面白がり、いわばエンタテインメントにしてしまう、清少納言さまの超絶の美意識の面目躍如たる文章である。19世紀末にフランスの詩人シャルル・ボードレールが詩集「悪の華(病気の花)」を以って西洋世界に呈出した、病的なデカダンス(頽廃)の美が、わが国ではすでに900年も前に清少納言によって見出されていた。・・・ただ、こういう才気走ったところにカチンとくる人もいるのは世の常で、強烈であからさまなエリート意識もあいまって、彼女が嫌いという人は、政敵でもあった紫式部をはじめ、当時も今も少なくない。
2007.02.20
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藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう)散華さんげとはついにかえらぬあの春の岡田有希子のことなのだろう第一歌集『夢みる頃を過ぎても』(平成元年・1989)
2013.03.26
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8月2日(土)3日(日)の両日、栃木・宇都宮恒例の真夏の風物詩「ふるさと宮まつり」が盛大に開催されました。Miya-Matsuri at August 2(Sat) & 3(Sun). Summer night fever."Miya" means Utsunomiya Hutaarayama jinja shrineand Utsunomiya city (Tochigi prefecture)."Matsuri" is a Japanese traditional festival.Many people carry "Mikoshi" (so to speak portable shrine) and enjoy it.8月3日夜、宇都宮二荒山神社付近で筆者撮影。
2025.08.04
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〇『ムショラン三ツ星』原作者インタビュー【前半】【後半】さらば青春の光二人のツッコミも抜群で、面白い。「ムショメシ」は、決して食べたくはないが、興味は津々だよね。
2026.07.10
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大辻隆弘(おおつじ・たかひろ)紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき註一部では「ざまあみろの歌」の異名をもって鳴る、現代短歌最大級の問題作。2001年(平成13年)9月11日、ニューヨークなどで発生したアメリカ同時多発テロ事件、いわゆる「9. 11事件」を詠んだ。日本人の一人として、この歌に表明された感情が全く理解できないとは言わない。が、悪意と冷笑、反米的なルサンチマン(怨念)も露骨に感じられ、この歌に対する大方の毀誉褒貶は、当然ながらきわめて激しい。万が一、僕の脳髄が思いついてしまったとしても、発表する度胸は到底ない。少なくとも、この文脈で「壮快」という言葉を使える気は全くしない。普段はセンシティヴ(繊細)でリリカル(抒情的)な歌風で知られ、僕もファンの一人である中堅歌人の、発作のごとき突発的な魂の叫びか? ヒステリックな乱心か?紐育(ニューヨーク)空爆之図:「広島原爆之図」のパスティーシュ(パロディ)。テクニカルな意味では上手いと思う。紐育(ニューヨーク):ムスリム(イスラム教徒)の視点から見れば、ビッグアップル・ニューヨークは、イスラエルによるイスラム諸国への「侵略」を陰に陽に支持する勢力の巣窟・総本山とすらいえなくもない。
2010.09.10
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夏目三久アナ、有吉の子供を妊娠“熱愛” 結婚は未定10歳差、「怒り新党」 共演がきっかけ「あさチャン」 来春降板予定【日刊スポーツ、独占スクープ】
2016.08.24
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藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう)林真理子のヌードのように容赦なく秋の没陽いりひがわれを責めるよ歌集「夢みる頃を過ぎても」(平成元年・1989)註わが師である奇才の代表作で、現代短歌の秀歌の一つ。彷徨する青春の魂の苦悩と焦燥が、ほかの誰にも思いつくことのできない奔放な話法と、すばらしくふざけているが説得力のある豪胆な直喩によって詩に結晶している。「林真理子のヌードのように」は「容赦なく」を導く序詞(じょことば)であると同時に、「ヌードの林真理子」が「秋の没陽いりひ」でもあり「われを責める」ものでもあるという重層的な隠喩(メタファー)になっている、・・・のだろうか?そして、さらに気づかされることといえば、現代の女傑・女丈夫の姐御・林真理子は、いうなれば、いつもヌードでそこにいるのだ。抜き身の刀といってもいいだろう。生き方が容赦ないのだ。そのへんの正鵠を射得て言い得ている一首。そして結局、僕たちは林真理子が、好きかどうかは別として、いつも気になっている旧い弟分なのである。
2013.06.17
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○ 「トラキチ」 の父親が若林少年に放った珠玉の名言きのう深夜(けさ未明)の 「オールナイトニッポン」【世界は数字で出来ている 19日】 ・・・笑えたと同時に、ぐっと来た これを父親に言われた小6の少年は、なおさらぐっと来ただろう。いい父子関係だと思う。そしてまた、実に24年も前の出来事を克明に記憶していて再現できる若林の、(表現者に必要な資質である)いい意味での粘着質なドストエフスキー的・プルースト的感性も、相変わらず大したものだと思う。 いつもながら、びっくりするほど筆マメなブロガー『セカスー』さんが、早くも発言要旨の書き起こしをアップロードしてくれているので、敬意を表しつつリンクしてご紹介したい。 なお、私も録音していたので、ここの文言の一字一句正確な筆耕をしてみると、「俺たちは阪神ファンでいて、勝つっていうのはほんとに難しいんだってことを学ぶんだよ」である。胸熱(ムネアツ)の名言と思う。私は当然(?)巨人ファンだが、このことについては文句なしに拍手を送りたい。
2014.10.19
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紀貫之(きのつらゆき)春霞なに隠すらむ桜花さくらばな 散る間をだにも見るべきものを古今和歌集 79春霞は何を隠しているのだろう。桜の花は散っている間さえも見るべきものなのに。
2013.03.31
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平兼盛(たいらのかねもり)山里は雪降りつみて道もなし けふ来こむ人をあはれとは見む拾遺しゅうい和歌集 251山里は雪が降り積もって道もない。今日来ようという人に私はしみじみと感じ入ってしまうのだ。註あはれ(なり):「じーんとする」(橋本治『枕草子』訳)、「しみじみとする」「かわいそう、哀しい、切ない」「ありがたい、尊い、立派だ」など、いわく言い難い、感極まった情動を示す多義的な形容動詞の語幹で、古典最重要語。後世、転訛して「あっぱれ」にもなった。現代語の「あわれ(哀れ)」は、ニュアンスが狭く限定的になった。(けふ来こむ人を)あはれとは見む:「情趣(もののあわれ)を解する風雅な人と思う」といった解釈もあるが、ややうがちすぎか。 歌川(安藤)広重ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2015.01.30
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Audrey HepburnMoon RiverinBreakfast at Tiffany's オードリー・ヘプバーンウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2016.02.13
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■川崎中1男子殺害・死体遺棄事件主犯格とみられる18歳少年を逮捕■川崎中1男子殺害・死体遺棄事件主犯格の18歳の少年ら3人を逮捕【フジニュースネットワーク(FNN) 27日】■ 川崎中1男子殺害事件 「○○って人が犯人らしい」実名・顔写真がネットで拡散、法的責任問われる可能性も【J-CASTニュース 24日】 この記事の言わんとするところは、少年法などの趣旨に照らせばもっともだろう。しかし一方で、少なくとも主犯格の少年についてネットで流布されている情報は、(各種報道を総合すれば)ほぼ正確と見られるのも事実であり、「鬼女(きじょ)」と呼ばれるディープなネットユーザーの情報収集能力の凄さには、正直いって舌を巻くばかりだ。 少年であっても、凶悪事件の容疑者・犯人には、もはや事実上プライバシーはなくなっているのがネットの現状といえよう。その背景には、少年法による未成年犯罪者の保護が甘すぎる(理想主義的・性善説にすぎる、時代遅れである)という主張が横たわっていると見られる。
2015.02.27
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紀友則(きのとものり)花の香かを風のたよりにたぐへてぞ 鶯うぐひすさそふしるべには遣やる古今和歌集 13梅の花の香りを風の便りの供としてウグイスを誘う案内役には遣つかわすよ。註現代でも普通に使われる「風の便り」という言葉の典拠の一つ。たぐふ:伴わせる。供をさせる。しるべ:案内。道標(みちしるべ)。○ ちなみに、「風のたより」つながりで、当地・栃木の人気名店レストラン「風だより」はこちらです
2014.03.21
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