<5本のもめん針>
「人間の一日の仕事の量は決まっている」というのが
我、祖母「おひで」さんの言い分であった。
おひでさんは、学校へ行こうとしている私に「針に糸を通してから」と言った。
私は毎朝もめん針に糸を通してから登校した。
3本の日もあれば2本の日もあった。
最高5本までしか通さない。
なぜならおひでさんは最高でも一日にもめん針5本以上は裁縫をしないのである。
前日、3本しか使わなかったら次の日は3本しか糸を通さないのだ。
それで私は「昨日は忙しかったのか」と思ったり
「どこかへ出掛けたのかな」と思ったり
「誰か大切な人が来たのかな」と思いを巡らせたものだ。
ある日私は祖母に聞いてみた。
おひでさんの答は意外なものだった。
「そういう事もあるが3本の針を使うのがやっとの日がある。
そんな日は体の具合が悪いのに決まっているからそれ以上は仕事を
しないで体を休める事にしている」という事であった。
そして「仕事の量は自分で決めないと」と言った。
具体的にどのようにして仕事の量を決めたのかというと
5本の針をいっぺんに通しておく。
おひでさんは一本づつ糸の長さを自分で決める。
その長さというのがユニークで糸の端をつまんで両手一杯に広げるのである。
つまり自分の身長の長さが針一本分の糸の長さである。
一本目を使い切ると2本目も同じようにして長さを決めて使う。
3本目も4本目も5本目もそうするのだ。
いくら仕事がはかどっても6本目の針は通せないので諦めるしかない。
時間の余った時は何をしていたのであろうかとふと思う事があるが
恐らく時間が余るなどという事はなかったのではあるまいか。
人が訪ねて来ても手は動かしていたのを覚えている。
縁側でちっちゃなおひでさんが針仕事をしている傍らで知らないおばさんや
おじさんが何やら一所懸命に訴えているのを見た事もあれば、
泣きながら話しているおばさんを見た事もある。
嬉しそうに話している人を見た事もある。
おひでさんは近所のおばさん達の話相手だった。
相談相手でもあったのだろう。
私の家にはたえず誰かが来ていた。
縁側が社交場だった。
手ぶらで来るのが礼儀だった。
来訪者に対するおひでさんのあいさつは
「元気なのが何よりのみやげ」という言葉だった。
何か頂いてもその人が帰る時は何も持たせないで帰す事が多かった。
それをおひでさんは私にこう言った事がある。
「貰ったからといってすぐにお返しをするのは失礼だ。
迷惑だから来るな、と言っているようなもの。
お返しを貰う為にくれたのではないから」
その代り手ぶらで来られても上げるものがあったら新聞紙に包んで持たせていた。
私は大人になってから気付いた事がある。
私もおひでさんと同じようにしていたのだがある日ある人が
ヒソヒソと話しているのを聞いてしまった。
「あの人に何を上げてもお返しをしないからお土産も何も上げる事はないわ」と。
「そうか、中にはお返しに何をくれるか期待して持って来る人がいるんだ」と
気が付いた。 そんな人とは自然に距離が出来て行ったのはいう迄もない。
彼女の方から去って行ったのだ。 それでいいと思っている。
私の祖母、「おひでさん」は人生の最高の師匠である。