ミーコワールド

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社会にお礼を



  [社会にお礼を]

「世界中の不幸を背負って生まれてきたような人」

私のかつての境遇を見てそう言った友人がいる。

その時はどういう事か分からなかった。

真っ只中にいた私には分からなかった。

当の私は特別私だけが不幸だとは今も思っていない。

「あれは何だったのだろう」くらいの感覚でしかない。

振り返ってみると、友人が言うようにも思う。

無我夢中で生きて来た人生だったから。

いつからそんな人生が始ったのかと振り返る時、ハタと思い当たる事がある。

中学2年の冬だった。

私はバドミントンをしていた。

新人戦で勝ってしまったのが始りだった。

それからの人生は私の意志など無視して周りが決めた。

私はそれに抵抗するだけの人生であった。

いつも「皆と同じにしていたいのに」と心の中で叫んでいた。

高校進学も大学も先生達が決めて強引に押し切った。

でも私の事を思っての事が人生最悪の事態を招く事になった。

しかし私は恨んでなどいない。

今でもその先生とは付かず離れず付き合いがあって可愛がってくれている。

「先生が死んだら私が葬儀委員長をしてやる」と冗談交じりに言うと

「止めてくれ。何を暴露されるか分からん。安らかに永眠させてくれ」と

返してくる間柄である。

最初の些細なハズミが友人に「世界中の不幸を・・・」と

言わしめるような人生になったいきさつは又の機会にして

そのような不幸(?)を切り抜ける事ができた一端を話してみたい。

古くからの知人にM夫妻という人がいる。

今は疎遠になっているが忘れた事がない。

私が離婚して直後安堵から大変な病気をした。

その時一ヶ月ばかり親子でそこの家でお世話になった。

M夫妻は働き者でおおらかな人達であった。

私は何もせず毎日したい事だけして暮らしていた。

夫妻は何も言わなかった。

私の姉妹達や親戚は仕事の出来ない私を厄介者とみて

「来るな。電話も迷惑だ」と言った。

「子供の頃からあんただけが特別扱いして貰って、ざまあみろ」と言った。

そんな中でM夫妻の存在は正に「地獄で仏」であった。

それ迄余り親しい付き合いではなかったのに。

M夫妻は「僕達がこうするのは人として当たり前の事だから」としか

言わなかった。 それ以外は何も言わなかった。

M氏は仕事の合間をみてはいろんな話をしてくれた。

その時の話は今でも全部覚えている。

それがM夫妻への感謝だと思うから。

M夫妻だけでなくM夫妻の親しい人達(勿論私も仲間なのだが)も

M夫妻と相談して世話の限りを尽くしてくれた。

なのに恩着せがましい一言は今もってない。

自分達の事ができるようになって私は自宅へ戻った。

その時M氏は私にこう言った。

「君の事だから良くなったら僕達にお礼を、と思うだろうがその心配はない。

僕達は君からお礼をして貰った所で大した助けにはならないと思う」

ここ迄の話だとなんとおごりの強い事を、と思うだろうがM氏は最後を

「お礼を、と思う気持ちがあれば社会にお礼をしてくれればそれで良い。

すぐに出来なくてもいつかしてくれればうれしいよ」と結んだ。

それなのにあれからすでに20年近く経つというのに私は社会に対して

何のお礼もしていない。

お世話になるばかりである。

せめて社会の人達のお荷物にだけはならないように生きて行くのが精一杯だ。

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