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カテゴリ: フナ理論
私のもっとも古い記憶は2才ごろだと思う。
1967年生まれなので、69年頃ではないかとは思うのだが、正確ではない。
真夏の海辺で砂遊びをしていると、意地悪な叔母に砂を水着のなかに入れられて泣いてる自分だ。

1970年の大阪万博を見に行った記憶はしっかりと残っている。
父親が肩車をしてくれて、月の石を見るために並んでいた。
ソビエト館の前で記念写真を撮影して、そのときに着ていたコートは、母方の叔母がアメリカで買ってきてくれたものだ。
その少しあとになると、一番最初に両親が結婚して住んだアパートの前で、カートに乗って遊んでる光景も覚えている。
妹が生まれてから家族で六甲山の麓に遊びに行き、ソーメン流しを楽しんでる記憶もある。

ひとつの記憶を思い出すと、それから連続して過去の記憶が甦ってくる。

ロウセルフに働きかけて、古い記憶を思い出すように命令すると、こんな感じでいろいろと出てきた。

前回までで、自分の意識がミドルセルフとは言えないものであり、ほとんどロウセルフに近いものだろうと言う考えに至った。
だがおなかの部分はサブシステムなので、それとも別の意識であろうと言うことである。

普段、私たちが自分であると意識してる自我は、様々なものが混じりあっている。感情、感覚、反射、サブシステムからの刺激や情報、過去の記憶、そしてミドルセルフからの信号。
これらがすべて混じり、自分と言う人格になっている。

フナでは一人の精神は三つの意識でできていると言うが、それが混じってるのか、独立してるのか、重なりあっているのかと言う事にはあまり説明がなされていない。

独立してるわけではなく、かといって現代心理学のように連続したものであると言う立場もとっていない。
ただ、私が考えていることは、”自分と言う自我”は、そのままひとつの意識として考える方が良いのではないかと思う。
そのなかにロウ、ミドル、ハイと言う要素、成分があって、それぞれが独自の働きをしてるのだと考える方がすっきりする。

それぞれが分離してると思うから変なこだわりや勘違いをするのであり、自分は自分であると思ってる方が思い違いにならない。

そのように思い直してから祈りを考えてみる。


これは本能ではないし、かといって感情でもない。
明らかに教育や環境によって培われたものだ。

人が成長する上で周囲の人間や知人、家族からの影響で育まれたものであるのは間違いない。
自我の芽生えと共に育ってくるものである。

ロウセルフのサブシステムは本能であり、なにもしなくても自動で動いている。だがモラル、道徳心、常識は教育による。

ミドルセルフが人格や性格に大きく関わっていると言うのはこのためだ。
教養と知性は教育によって大きく変化するものであり、人間の社会では基本的でありながらとても重要な意味をもつ。

この部分が発達してる人は、ほぼ反射的に良い行いをしようとする。
満員電車で座っていても、老人が乗車してきたのを見れば、自然と席を譲るし、落とし物を見つけたら、すぐにそれを持ち主へ届ける方法を考えるだろう。
”そのように思う”心の反応こそがミドルセルフが発達してる証拠であり、その瞬間の心の動きがミドルセルフなのである。
自分の行動をつぶさに観察してみると、何か行動を起こそうとしたり、何かを考え始めた瞬間に、”~のようにすべきである”と言うものが立ち上がっているはずだ。
”~のようにしなくてはならない”ではない。

英語の動詞で言うと、have to ではなく、 should で現されるだろう。
実際、前者の行動を素直に聞くと、物事がすんなりと進むことが多く、後者だと軋轢や障害を生むことが多い。
それは前者が論理的なミドルセルフが導き出した答えなのであり、後者は非論理的なロウセルフの考えだからだ。

私たちはほとんどの考えをロウセルフの反射に頼っていて、そこにはしがらみ、感情、思い込み、見栄、野心、妬みと言うものが複雑に絡み合っている。
だが、それらをすべて取り去って考えれば物事はとても単純に解決できる場合がある。
自分と立場の違う人間に任せれば、すべてのしがらみをはずして最適な方法を考え出すだろう。それと同じなのだ。

祈りを行う前に私たちが行わなくてはならないのは、素直な心の動きに自分の意識を会わせることなのだ。
真の自我と呼ばれるのがミドルセルフであり、それは完璧に論理的で道徳的である。
仏教で言う八正道は、心の導き出す素直な道徳心に従うとき、涅槃に至るとダンマパダで説いているが、まさしくこの事だろう。
ロウセルフの考えで凝り固まった心では、ミドルセルフに従うこともできないし、ハイセルフに接続もできない。
おそらくフナでは、ミドルセルフとロウセルフの意識を会わせるための技術が存在したはずであり、それは難しくない。
心を落ち着け、素直な心を甦らせると成功する。
その状態で祈りを行うと、成功率が格段に上がるだろう。

ちなみに、ロウセルフによる願望実現ではこれは必要ない。





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最終更新日  2015.10.08 19:37:34
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