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友人に誘われ、宝塚市の小濱の宿を歩くことになりました
住んでるとこから近いのに、歩いたこと無いところ(゜゜)
阪急 売布神社駅で降りて、せっかくなのでまず 売布(めふ)神社
にお参りしました。
歩いて5分くらいの緩やかな坂道で
途中に女子修道院もありました。
かつてはさぞ鬱蒼としていただろうと想像します。
石の階段の麓の左には石やコンクリで囲んだ池の跡のようなものがありました。
(撮ってません)
昔は水が湧いてたのかな…と思ってたのですが帰って調べたら
古社に詳しい瀬藤さんの 「神奈備」
(物部氏HP) 賣布神社
では「石室」となっていました
ご祭神は、下照(したてる)姫または高比売(たかひめ)とその夫、天稚彦(あめのわかひこ)
御鎮座1400年
民に麻の機織り、衣を作ることや、稲作を教えてくれた神様で
衣食を護ってくれるそうです
ありがたいですね
衣服のことなので「仕立てる」から来た名前だと思ってましたが
下照姫は大物主(大国主)の娘さんだそうです。
このあたりに勢力のあった物部氏の一族が
売布大神を祀ったのが始まりと云われているそうです
出雲にも売布神社はあるので関係ありそう(゜o゜)
江戸時代は「貴船明神」と呼ばれていたけど
大岡忠相
(寺社奉行当時)が部下に調べさせたら
平安時代の記録にある名前は「賣(売)布神社」だと分かったんですて。
売布神社をあとにして
もと来た路を戻り、駅を過ぎて、中国道の高架をくぐると
かつて街道だったとわかる道
このあたりは 小濱の宿
といって、かつての交通の要衝
京伏見街道や、有馬街道、西宮街道が交わるところで、
売布神社や中山寺の巡礼の道とも繋がり
海も近くて川も近い
「海の堺、陸の小濱」と並び称されたんだそうです
ものすごい栄えていたんですね
途中、友人が惹かれたお宮があったので立ち寄りました
小浜皇大神社
。15世紀の創建で、ご祭神は天照大御神
大正時代は近くの身佐村にあった身佐神社が武庫川の洪水で流されたので
こちらにに合祀したとか。
その身佐神社は、奈良県の高市から移ってきた豪族が 壬申の乱
で天武天皇側について戦い
功績があったため天武天皇に喜ばれたことから、生璽として
天武天皇を祀るようになったといいます。
それは「日本書紀」にも記されているとか。
合祀の時は地域住民は外出禁止、全戸消灯して厳かにご神体をお遷ししたとか…
そんな由緒もありますが、とりわけ賑わうのは
境内摂社の戎さんのとき(1月10日)と
小濱のだんじり
だそうです。
戎さんがあるのは、灘の発展まではこちらに造り酒屋が多かったためですって
、
とても大きな椋の木や楠があって
向って右に妙見宮と、妙見宮の馬の祠の付近がとっても感じよかったです。
妙見信仰が盛んだったのでしょうか。
境内を写すのもすっかり忘れていたので詳しくはこちらをどうぞ⇒小濱地車保存会青年部HP ☆
鳥居のそばの灯篭の間に、街道を示す立て札がありました。
いわし坂とは、浜で水揚げしたイワシを運んだから(*^m^*)
住んでいながら知らないことって多いです(^_^;)
もうちょっと先まで歩きます
読んでくれてありがとう
○o。.梅.。o○ 甲東梅林で 2014年03月03日 コメント(7)
梅.。o○o京都御苑 2014年02月25日 コメント(2)
門戸厄神さんへ、厄除け.。o○ 2014年01月27日 コメント(2)