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densuke369 @ Re:同様の事件・子供の「仲良し」同士に要注意!(06/20) これが、真相かもしれないですよ。でも作…
alex99 @ Re:悲しい母の日(05/14) う~~ん。 日本人の男性とか、アメリ…
August 15, 2003
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テーマ: 戦争反対(1197)



彼女はとても活発でパワーのある人で、話を聞いていた私は彼女の何も恐れないでやろうという勇気と行動力に感心していた。岡山出身の彼女は、日本ではこれまで「難民支援コンサート」などを数回開き国連の難民支援プロジェクトに集めたお金を寄付していたそうだ。他にもファッションショーや展示会などいろいろなイベントの手伝いをしたり、バンドを組んで歌ったり、バーテンをしたり、ダンスをしたりと芸術的なことを思いっきりやってきたそうだ。私も歌を長い間歌っているし、芸術的な活動は大好きなので彼女の話を興味深く聞いていた。

旦那の連れで渡米してまだ5ヶ月の彼女だが、アースチャーターという国連が出した環境保護条約の様なものを人々に知らせると言う活動を既にこちらに来て始めており、英語が理解できないのに会合に行っているというからすごい。まぁ、子育て以外の仕事はしていないそうなのでたっぷり時間はあるわけだからある意味うらやましいが。

そのまゆみちゃんの話の中でとても興味深く、またとてもすっきりしない現象を私は聞いていた。
彼女が難民支援のコンサートを始めるとき、協力してくれる人々を探すのに一苦労だったそうだ。まず彼女はXXXのメンバーなのでそのXXXの活動の一環で人を集めようとしたら宗教色が少々強いので敬遠されたと言う。次にXXXメンバーとは離れてきちんと宗教と切り離し、アーティスト個人として「戦争反対」とかそれ以上の理由や理屈を並べてコンサートをしようと思っても人が集まらなかったと言う。そして最後に一般的に「平和」だけを掲げて、それだけに賛同する人を集めたら人が集まったそうだ。「平和」ならどんな思想であれその言葉には人々は賛成するらしい。

彼女の結論は、「そういうわけだから<平和>と言う言葉であればみんな賛成できるのでイベントが開ける」とそのような感じであった。だからアメリカでも同じことができると思うし、やってみたいと。

私はウン、ウンと話を聞いていたがその時なぜ自分はそうだね!!!と心の底から言えないのかちょっと分からなかった。でも何かが違うんだよな~~~~というのは知っていた。

次の日も職場でそのことを考えていた。そしてやっと結論にたどり着いた。

彼女の言っていることはすこぶる日本人的だ。何がどうだという事実でなく、共感を呼ぶひとつの言葉に賛同すれば何を求めているわけでなくとも人が集まるということだ。「平和」と言うタイトルで人々を集めてもそれ以上の目的がない。難民支援の募金は集まるがそれと「平和」とは直接的に関係があるわけでない。そうならなぜ「難民支援したいから」と言う目的で人を集めなかったのだろうか?それでは人が集まらないのだろうか。

アメリカでは誰も「平和」とそれだけの理由で人は集まらない。「平和」を本当に求めているならもっと具体的にあれをしよう、これをすべきだと意見のアピールがいつでも大切だ。例えば、過去半年に数多く行なわれたラリーでも「平和」でなくて「無駄に人を殺すな」「国連と協力しろ」「企業の利益の石油のために戦争をするなら、そんなお金は教育費に使え」とか「爆弾では平和は来ない」などそれなりの主義主張をするために人々はパレードした。

そして私自身も、戦争賛成の人になぜ戦争反対かを説明するのにただ「平和が良いから」なんて甘っちょろい理由では絶対立ち向かわない。本当に「平和」を訴えたい時に、人々になぜこれが良くないのかをしっかり説明することで相手の考えが変わる。そうでなくては誰も納得しないし、「なにが平和だ?」と言われてもしょうがない。戦争賛成の人々はこちらが指摘できるだけの矛盾や事実を抱えているから、それを指摘してあげなければ彼らはなぜ「平和」が必要かなにが「平和」であるのか理解はできない。

「平和だけ訴えても何も変わらない」という批判の書き込みが反戦と唱える人々の掲示板に書き込まれるのも非常に日本人的である。では、あなたは何をするのか。なぜ世界中に「反戦」を唱える人がいるのか。「なぜ?」の言葉の基にそれ以上の事実や理由を知ろうと言う気持ちがあるだけで考え方がいろいろ変わってくるし、自分の考えに自信が持てる。

こんな感じの「とある事実」でなくて「とある言葉」に絶対的・漠然的に人に賛同したり賛同させたりする現象は、別にこの「平和」のケースだけでなくとも日本には沢山ある。

私の家庭でもあった。私はまじめな小学生だったが「なんで?」がそれなりに多い子だった。それゆえ、母親から「親」の言うことは絶対だから、反抗しちゃ駄目、という納得いかない圧力に耐えられず中学生の時にはひどく反抗した。

教育実習で母校に戻り、ひとつクラスを担当したがそこでも面白いことがあった。
生徒達に一日の出来事を聞くと、「今日は英語の山本先生に怒られたんだ」という。
私が「どうして怒られたの?」と聞くと、生徒達は「それがわからないんです」という。
そのクラスの生徒達は比較的おとなしい生徒達だったので多分発言が少なくて山本先生は怒ったのだろうと推測したが、生徒達に「じゃー、何で怒られたか分からないんだったら、どうして怒ってるんですか?ってきかなきゃ駄目ね。聞いてみたほうがいいわ。」とアドバイスした。
山本先生と私は実は仲が良かったので、後に会った時に「生徒に何で怒ってるんですか?って聞かれちゃったわ。」と言っていて私は心の中でよかった,よかったと思った。
山本先生はなぜ怒っているのか生徒に言わなかったし、生徒達はなぜ怒っているのか聞かなかった。生徒は先生が言うことだから、と理由が分からなくても受け止めているし、先生は、発言しないのはよくないと生徒は知っているはず、と勝手に推測していたに違いない。でもこの事件で、生徒は発言しなくてはいけないらしい、と思っただろうし先生も理由は言った方がいいと思ったに違いない。

教育システムもそうだ。なぜ一流高校・大学に入るために勉強するのか。どうして入学試験をパスする為の勉強を強いるのか。どうして高校・大学に入るのか。勉強とは一体何なのか。学校は生徒に疑問を持たせない。ただ「勉強しなくてはいけないから」「勉強しなくては就職できないから」「勉強しなくては大学に入れないから」ととても短絡的な方向に持っていかれているし、その時点で「なぜ?」と聞く思想を摘まれてしまっている。だから、「XXXしなくてはいけない」と義務的な漠然とした指標がなくなった時に人は生きる気力をなくしたり、新興宗教にはまったりだのしやすくなる。そのような人々には宗教のように人生の「XXXしなくてはならない」という思想が結局必要にはなるのだから。だから宗教に入っている人々を否定はできない。

沢山の日本の人々の政治や社会問題に対する姿勢もそうだ。「政治家はしょうがない」「よくない」「どうせ変わらない」と既にあきらめて選挙にも行かない人々がいる。では、なぜしょうがないのか?なぜよくないのか?なぜ変わらないのか?そしてあなたは変えたいのか?
「電気使っているから原発があるのはしょうがない」「景気がわるいからリストラだってしょうがない」いろいろあるけれどもではなぜ社会問題になるのだろうか?

本当の教育や勉強は大学に入るためでも就職する為でもなんでもなく、「なぜ」を追求する為にあると私は思う。しょうがないの一言で何事も納得してしまっては人生は誰かの操り人形だ。

話は戻るがそういうわけでまゆみちゃんとは、楽しく話をしたにもかかわらず私は不思議な気持ちで彼女の夢を聞いていた。私がこれからできることは、彼女のやる気を摘まないように彼女の方向性をもっと明確に導いていくことだ。多少時間はかかるが、じっくり説明すれば文化の違いをきっと理解してくれるだろう。そして彼女のやる気にあやかってその夢がきちんと実現すれば、私にとっても大きなステップに違いない。もう少し沢山の人々に「なぜ?」について考えてもらえるかもしれない。

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Last updated  August 4, 2004 05:04:36 AM コメント(164) | コメントを書く


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