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旦那は日曜日は出勤なので、何かするなら土曜日しかないなぁ、と思っていた。木曜日から彼は休みなので、木曜の夜、「土曜何するの?」と聞いたら「朝早くから、ひさ子マミーとリタのところと、礼子さん家に行って、夜は(学会の)ミーティングがある」とか言い始めた。ゆーゆーが生まれるまでは別に良かったが、去年もそう、この赤の他人の家を回るっていうのは面食らうのだ。母の日父の日の学会のミーティングなんて殆ど人が来ないって言うのに(アメリカではそういう日に家族と過ごすのは常識)、この男はミーティングに行くとか言い出すのだ。私はポツリと「晩御飯食べに行きたいな」と言った。何も気を利かせない彼に言えた唯一のわがままだった。「じゃ~、金曜の夜にエクセサイズに行く予定だったけどそれを今夜に引き上げて明日晩御飯行こうか」やっぱり晩御飯でさえも連れて行こうと思っていなかったこの男にむっと来たが一応申し出たので「それでいいよ」と返しておいた。***金曜日は彼は朝から東奔西走で、グロッサリーショッピングに行って(頼んでないけど買い物が好きな彼は勝手に行く)他人達への花を買い込みに街に来た。その中の一つはうちのオフィスのジェーンに渡すもので、ゆーゆーと彼はそのうちうちのオフィスにジェーンに花束を渡す為にやってきた。ジェーンはとても喜んだ。喜んでいる彼女を見て私もうれしいのだ。彼女はうちのオフィスのMother的な存在なので、感謝の気持ちは一杯なのだ。私は彼女を好きだ。その後3人でオフィスを出て彼らを送りに行った時に「じゃー、今日の晩御飯はあそこのステーキが食べたいなぁ」と言うと「え~、ステーキ~…。センターシティーは駐車するの大変だし~」とぶちぶちと言いはじめた。「じゃー何か考えて連れてってよ。仕事終わるまでまだ時間あるし…」彼はう~ん、と言いながら取りあえず私達は別れた。***その後彼が私を職場まで車でピックアップしに来ると「晩御飯行くんでしょ?どこ行くんだっけ?」とまた聞いた。「考えなかったの?」「忙しくて俺疲れてんの。そんな時間無かったよ」「じゃぁ私が言ったところで良いよね?」「金曜の夜だしパーキング大変なんだよね~」と泣き声みたいなのを出して言い始めた。そのうち「ねー、もう込んで大変かもしれないからさーゆーゆー連れて歩いていってくんない?俺パーキング探して運転するからさー」というので「ね、まだ6時にもなってないよ、大丈夫だよ?」「分かんないから降りてよ~」とレストランから随分離れているところで降ろそうとした。行きたくないっていうのがありありで私の体の力が急に抜けた。もし計画性とかそういうのがあったらこういう対応にはならないのだ。母の日だからディナーに行こうっていうんじゃなくて、私が言うからディナーに行こうって言う感じなのだ。「何でそんな言い方になるの?」と聞くと「疲れてるの、昼だってオフィスに行っただろ」「てか、誰の何の為に疲れてんの?ね、何で私がディナー行きたいって言ってんの?明日の夜ミーティング行くとか言ってる人誰なの?」そういう質問をするのも疲れてきて、既に私はぶち切れていた。物も花も別にいらないけど、労わってくれても良いんじゃないの?何でせかされるの?あの人が仕事を手に入れるまでこれだけ神経すり減らしてきたし、ゆーゆーだっているし、こういうときに感謝ぐらいされても良いんじゃないの?ここ1年でぐっと増えた白髪は誰のせいだと思っているの?鞄を持って車から出ようとすると、彼はすごい力で鞄を引っ張り返したので指にあざが出来た。何度引っ張っても鞄を渡してもらえないので、それは諦めて私は車を飛び降りた。だーっと涙がでてきて、道をとぼとぼ歩き始めた。空しくて空しくて、悲しくて悲しくて、一歩一歩が淋しく感じて、また涙が出た。真横で私の速度にあわせて車を走らせながら「戻ってきてよ!」と怒鳴っている。ゆーゆーは心配そうに私を見ている。私はこの家族に愛着がなくなっている。かわいい自分の子供も他人に見えてしまうのだ。彼が横を車で走っているのも空しくなって、もう一度車に乗った。言葉が出なくて、涙しか出てこない。彼がどんなに「みんみん!」と荒く呼んでも返事が出来ない。「食事行こうよ?」と彼が言ってももう行きたくない。「家に帰らせて」数回頼んで家にようやく帰らせてもらい、部屋に閉じこもってずっと泣いていた。***次の日早朝から彼はゆーゆーを連れてお花のデリバリーに行ってしまった。彼がお花を渡す人々を決して嫌いではなくむしろ大切な人々であるが、私は一緒に行きたくなかった。ポイントレスだ。行くだけ空しすぎる。うちの母親や彼の母親ならともかく。午後3時過ぎにようやく帰ってきてこれからもう一件尋ねるなどと言う。ジョセフから電話が来て「フェスティバルに7時ごろから来ないか?って、聞かれたけど、」と話し始めたら「行ってきなよ~、俺ドロップオフしてあげるからさ、その間俺ミーティングいけるし」と切り替えした。こいつまだミーティング行くとかほざいてる。「ジョセフにディナー行くから行かないって言ったんだけど。」私の中ではディナーは完全な"予定"だったのだ。彼の中ではそうじゃなかったのにまた激しく驚いて、言葉が出なくなった。いい加減、私の落ち込み具合に気付いたらしく5時半には帰ってきてディナーに行こうと、言い始めて、私は分かった、と言った。5時半に帰ってきて、ディナーに向かうと激しい雨になった。おいしいステーキを食べたけれど、何度取り戻そうと思っても私の気持ちは晴れることはなかった。日曜日は朝早く彼は出勤なので、私とゆーゆーでいつも通り過ごした。
May 14, 2007
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向井夫妻の子供達が戸籍に入れなかったという判決を受けて殆どの人が当然だと言っている。それは良い。だが、彼らはわがままで…と非難しているという人があまりにも沢山いるようだ。多分メディアがそういう放送の仕方をずっとしてきたんだろうなぁ。いやはや、驚きだ。わがまま、だとかそういうところを非難する人々は皆ピントがずれている。何故、わがままだと非難するのか、日本の外で記事を読んでいる私にはさっぱり分からない。問題は彼らがわがままだとかそういうことではなく、これからその子供達が今のところ事実上外国人として日本で生きていかなければいけないという面である。養子も考えているだろう、でもどういう形であれ実の子供であるし、DNAなどで調べれば証明できるわけで、彼らとして自分の子供に対して出来る全てのことをしてあげたい、ただそれだけなのだ。何故トライをした人に「自己責任」を問う?トライしている人は失敗は100も承知なのだ。そんなこと他人が失敗を失敗だと非難して一体どうなることなのだろう?イラクで日本人のニート君が殺された時も同じだった。メディアに踊らされて「自己責任」を人々は連発していたが、彼は死んだし、だからなんだというのだろう?それで彼が死んだことを正当化して、だから?日本人は人の失敗をけなしがちだ。だから、失敗しようとしないし、挑戦しない人だらけだ。本質は違う。失敗しないと学ばないし、失敗は次のステップの為にあるものなのだ。先日の日記に屈辱について書いたりしたが、そういう激しい屈辱を経験したことが無く他人の失敗に目が行き過ぎて本質に目が行かない人々があまりにも多くて驚いた。そして、そういう人々は特に、逆境に立ったときに何もできずに終わっていく人ばかりなのだ。
April 12, 2007
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イースターウィークエンドだったので、今はDCに引っ越した元同僚のポーランド人のLudwikaが実家に戻る為フィラデルフィアにやってきた。丁度その日、同僚で親友でもあるJosephが友人のタパス(スペインの居酒屋料理みたいなもの)レストランでパーティーを開くことになっていたので彼女も来ることになった。フィラデルフィアのレストランは最近すべて禁煙になったので子供も安心して連れて行ける。私は旦那とゆーゆーと、そしてゆーゆーのお気に入りのトーマスのミニチュア達を連れてそのバーに向かった。4月を過ぎたというのにその日は雪がちらちらと舞い随分と寒い日だったけれども、バーには既に沢山の人がいて熱気で温度は高く感じられた。旦那は過去の仕事の都合上、こういうパーティーに来たのはとても少ないのだが今回仕事が変わって初めて土曜日が休日になったので来ることができた。私とゆーゆーがここに着たのは既に4回目ぐらいで、いつも二人でジュースを飲んで、タパスを数品頼んで分けて食べている。ここに来る時は必ずJosephと友人達と一緒なのでゆーゆーは皆にかわいがられて私の手元にはそのうち戻ってこなくなり、私はゆっくり友人達と会話をする。子連れのお出かけだが意外にゆっくりできるもんである。久しぶりに会ったLudwikaは幸せそうだった。長年付き合ってきた彼とついに婚約したのだ。Finally、という言葉がぴったりだ。一回別れたこともあったし、結婚の話がでそうになる度に、お互いの仕事や進路、家族が亡くなったりとあまりにもばたばたしていて話が立ち消えた。進路のことで別れを決断しなければならなくて悲しんでいる彼女を励ましてきたし、職場を辞める時も次の彼女のステップを心から喜んで応援してきた。だから、彼女の指の大きなダイヤはひときわ輝いていて見えて、それを見ている私も幸せにした。プロポーズの時の話とかまた新たな進路のこととか(彼女はGeorge Washingtou Universityの外交政策学科で修士を獲得して、新たにLaw Schoolに行こうとしている超エリートで、さらに超美人である)、過去1年に私に起こったこととか職場で今起こっていることとかそんなことを話しているうちに、彼女はふと「もしフィラデルフィアに家族と友達が住んでいなければ、こんな街は絶対私は戻ってこない」と口にした。その感想に私は思わず頷いてしまった。ここに住んで9年になるが落ち着いたらこの町を出て行きたいという気持ちは私の中で全く変わっていないのだ。他の州を訪ねれば訪ねるほど、その気持ちは強くなっていく。彼女は今DCにいるからなおさら実感しているのだろう。「あのさ、あれだよね。シカゴとか他のところに行くと、綺麗で、整理されていて、そして何よりも人々が親切なんだよね。」「そうそう。DCにはね、世界中の人が集まっていて、皆、親切に受け入れてくれるのよね。大きな街ってそういうのいいよね。」「フィラデルフィアってさ…標準的な人に接する態度ができてないっていうか…だよね?」「そう、それ。」フィラデルフィアはアメリカで一番古い街であるが為、建物がとにかく古い。古いのは良いのだ、もしきちんと整備してあるのならば。しかしこの街は違う。何もかもが雑なのだ。道路も歩道もぼこぼこだし、街はゴミだらけ、人々の接客態度は横柄で「感謝」ということすら知らないと思ったりさえする。サンフランシスコやハワイなどに行くと、道をちょっと迷ったりしても誰かがやってきて「大丈夫?」と聞くのは普通だったりするが、フィラデルフィアでそれをやると金をせびっているように思われるし、逆にせびられたりするのではないかと不安になるのだ。今は親切で素敵な友達が沢山出来たし、人を知っているから住むことが出来るけれども、何も知らないでくるにはあまりにも冷たい街なのだ。フィラデルフィアに似ている街としてニューヨークやラスベガス、ロンドンなんていうのを私は挙げてみたいが、違いは肌ですぐ感じ取ることが出来る。街角でちょっと立っていて笑顔でいると笑顔を返される街と、笑顔でいるとそっぽを向かれる街、そんな風に違いを述べれば分かりやすいだろうか。お金で人間関係が成り立っている街なのだ。Ludwikaと私はデザートを頼んで、結婚式はどうするの?とか子供を産んだらどうなるのかな?とかそんなことでまた話に花を咲かせた。気付くとゆーゆーは皆にトーマスのミニチュアを渡して、バーの高いテーブルの下をうろうろし始めたので、あ、彼、疲れてきた、と感じて荷物をまとめることにした。早く着たから彼が寝るまで時間はあったが、こういう場所は2時間が限度である。またいつ会えるか分からないのでLudwikaとしっかりハグをして大切にお別れをして、連れと共にその場を去った。
April 10, 2007
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金曜の午後上司達が皆早く帰ってしまったので、ビジネスマネージャーのハリーは「M(私)も早く帰っていいよ」と言ってくれ、早速うちに電話を入れた。金曜日は旦那は仕事が休みで家にいるので、車で迎えに来てくれることになっている。電話をして早く帰れるの事実を伝える前に一つ「ね、DSLどうなった?」と聞いた。先日からDSLの調子がおかしくて、その日電話会社から技術士が派遣されていた。すると彼は剣幕でDSLが繋がらなかったのは私が悪い、だの、繋がっても遅くてやってられない、だの、古い鍵を整理するのに大変だから疲れてるんだ、だの落ち着いて言えば大したことのない内容を怒鳴り散らした。私は「ね、そんな言い方しなくても伝えられる事柄を、何故そんな言い方で言うわけ?」と問いかけたが一向に怒鳴り口調が治らなかったので「もういい。歩いて帰るから!」と電話を切った。相手が怒鳴るのは自由だが私はとにかく小さい頃から理不尽に責め立てられ怒鳴られてきたので、そういうストレスはもう散々なのだ。体ががくっと重くなって、でも相手に同じパワーで言い返すのもばかばかしいので、こういうときの私の中の解決法は遠く離れて心が落ち着くまでゆっくりすることと決まっている。そんなわけで私が黙って歩いてすごすご家に帰るわけ…なんてないだろう!?大体あの人が傲慢で怒鳴り散らしているのに私がすんなり帰ったら自分が悪かったと彼は思うわけが無い。どうしよう、と思い、あ、一人だったら…映画でも見て帰ろう!と思い立つ。オフィスを出て東のRitzシアターまでてくてく歩く。じゃ、こんな時の気持ちはどんな映画かな~、と思い映画館に到着後、ポスターを吟味。一つはドキュメンタリー、一つはなんか恋愛もんみたいなドラマ、一つはよくわからん、で、最後はファンタジーだった。お~、ファンタジー!そうそう、こういう暗い気持ちの時は夢見たいな話を見たいわね!これでいこう、これ!カンヌやらフランスやらの映画祭に出展、など華々しいタイトルが付いているその映画のチケットを購入。携帯電話はオフ。これでノリノリは私のことを心配し自分が何を私に言ったのか胸に手を当てて反省することだろう。人に反省を促すには反応しないことが一番なのだ。激しく拒絶をすると最初は「なんだよ、あいつなんか!」ぐらいにしているだろうが時間が経てば経つほど自分のことを省みるものだ。作戦は失敗することはまずない。***映画はくら~い画面で始まった。お腹の子供を抱えて馬車で苦しむ母親と不安げな少女。スペイン語で英語の字幕。(お~スペイン映画!と心で喜ぶ私)…。それから展開されたのは第二次世界大戦という舞台の設定、ヒットラーみたいな怪人軍曹が無実の農民をぐさぐさに殺して、血が飛び散り、言うことを聞かない兵士をばさばさ殺し、市民軍の人質をペンチやかなづちで拷問しまくり…恐怖におびえた少女は現実を生きたくないので妖精を追いかけて地下の妖精王国のプリンセスになる為に試練を受けて…あぁ、あぁ、あぁっ!私はこんなホラーファンタジーなんて見たくなかったのに!やられた。しかも何の身もないエンターテインメント目的の映画。ホラーにしては甘いしファンタジーにしては薄いし、人間の情も成長もないドラマにもなっていない映画!***とぼとぼ映画館から家まで歩いた。旦那から数回電話が着たが無視。選んだ映画があんなので、なんか笑えるんだけど複雑な気持ちで家に着いた。旦那とゆーゆーは家にいなかったので、は~、せいせいするわ~、とシャワーを浴びてから横になってぼーっとしていると二人は帰ってきた。旦那は「みんみん、ごめんね~!探してたんだよ~!淋しかったよ~っ」と反省一杯の顔をして謝ってきた。作戦は成功なのだ、知っていたけれども。しかしだな。あれはハズレだった。
April 3, 2007
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バスに乗って電車に乗って家から街へ二人ででるわけだが、もう既に何回も同じように乗っているのにゆーゆーは電車を見るたび感激している。ゴゴーッ、っと地下鉄の音が響くと「でんしゃっ!」と目を輝かし、電車の頭が見えると指をさして、はっ、と息を呑み、私の顔を見て感動を伝える。もちろん私も、はっ、とした顔をして一緒に感動する。乗るとまぁ落ち着くのだが、降りたら必ず手を振って電車を見送る。朝方は混んでいるので端っこの方で人ごみの迷惑にならないところを選んでバイバイをする。見えなくなるまで見送って初めて私達は「電車での移動」が終わったことになり、保育園に向かって歩く。子供が一つ一つ同じように感動できるのはすごいことだと思う。自分にもそういう感覚があったことは間違いないし、忘れたくないな、と今でも思う。アメリカに来てからその日その日の天気を楽しむようになったけれども、良い天気の日やその日にできた雲の形とか、小さいことで感動できるのは体にもいいことなんだと思う。何で日本にいた時は良い天気に感動できなかったのかな、と、誰もそんな話をしなかったなぁ、とか、色々物がありすぎて気候とかを気にする余裕が無かった生活を思い出す。***昨日家にゆーゆーと二人で帰ってくるとまず、私は外付けの電話回線ボックスを調べに裏口に出た。何故か家の電話が繋がらないので故障していると思ったのだ。彼も外に出たがったので靴を持ってきなさい、と持ってこさせて履かせてあげて二人で裏庭をうろうろする。電話線がオッケーだということを確認したのでそれで家に入ろうとしたのだが、まだ外は明るくいい天気だった。去年活躍した植木鉢に、残っていたハーブの種が芽を出して咲き始めていた。セージだと思うのだが、とにかくかなりの勢いで繁殖している。そういえばハーブの種をそろそろ植えておかないと季節が終わってしまう、と思っていた。既に種まきとしては遅い時期なのだが、すぐ植えられるようキープしていたハーブの種を台所から持ってきて植木鉢に撒き始めた。ゆーゆーも一緒にしたいと言ったので、小さな鍬を使って二人で土を耕し手持ちの種を色々植えてみた。去年も私達は一緒に植えたのだ。なんとなくだけど彼は覚えているようで一生懸命私の手伝いをしてくれた。穴を掘って、袋から種を落とす。横に誰も手入れのしていない空き地があるので、そこにも二人で穴を掘ってマジョラムとかディルとかオレガノとかを植えてみた。そういえばこの土地は去年何者かに荒らされたのだ。荒らされてなければ今頃花もハーブももっと増えていただろう。新しいハーブが咲けばこの土地はもう一回綺麗になって、去年のそんな思い出もかき消してくれることだろう。
March 29, 2007
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ズルイ男は、女が別れを切り出した時に飛び切り切ない顔をして、女の同情を誘う。ズルイ男は、女が自分に夢中になるとさっと興味を無くして他のものに熱中する。ズルイ男は、思いっきり拒絶をされた時にその女に思いっきり引かれて、力ずくでその女を物にする。ズルイ男は、Sense of Emergencyをわきまえおり「今だけ」「この時だけ」というそんな機会を使ってすごく短い時間内で女に決断を迫る。大抵の女はそれで落ちる。ズルイ男は、けじめをつけないことがやさしさだと思っている。ズルイ男は、女が自分のもとを去ることが怖い臆病者である。そして。ズルイ男が好きな女は、自分達の関係にあたる90%は不満である。残りの10%にあたる「短い時間」の幸せを得るためにそしてその時の絶頂の喜びを忘れられないが為に、男から離れられない。***勝つ女は、相手の好意に非常に敏感である。勝つ女は、腹の立つような征服したい男に上手にわなを仕掛ける。勝つ女は、大切にしたい男にはゆっくり迫る。勝つ女は、自分で避妊具を用意している。勝つ女は、下心見え見えの男とは寝ない。勝つ女は、セックスをじらせる男と寝る。勝つ女は、自分が相手に引きずられる前にさっと身を引く。勝つ女は、何食わぬ顔の他人の振りをして、寝た男と別の日に会える。それが男を生殺しにする方法だと知っている。そして勝つ女が好きな男は、その女が自分に落ちるのを心待ちにしている。落ちなければ引きずるが、既に他の数人を頭に平行して考えている。***そしてどちらの男女とも若い時に誰かにめちゃめちゃにされた、辛く苦い思い出があるのが普通である。一人一人を征服することで、ささやかな独占欲を満たすだけなのだ。
March 27, 2007
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ツボ押しは痛いけど好きな人が殆どだろう。そしてまた気持ちの良いブランケットのように、また冬のさむ~い日にぬくぬく布団に埋まっている感覚もたまらない「好き」の一つだ。全然違うものなのに好きという気持ちは一緒だ。違うところといえばツボ押しは一瞬の刺激が快感で好きと思えるところで、永遠にツボが押されたままでは痛くも痒くもなくなって好きの快感が薄れていくものだ。もちろんたまには出たくなるだろうが、ぬくぬくの布団は冬が永遠であるなら何回でも長い間入っていたいものだ。***ノリノリが先日ラジオで聴いたのだが、とある既婚の女の人が悩み相談をしていた。その人は旦那に魅力を感じない、私は悪い男の人が好き、と言う。でも子供が欲しいからその人と別れるかどうか迷っている、と言っていたそうだ。もっとBad Looking Guyが好きなのに、旦那は全くそうじゃなくて、別れて人生やり直したいんだけど子供が欲しい。なんだか笑える相談だが、なんとなく彼女の気持ちは分かるのだ。彼女の旦那は彼女の理想じゃなくても、毛布の安心感をくれる人だ。Bad Looking Guyはツボ押しの刺激を与えてくれる人だ。刺激は気持ち良いから、快感が心地よくてぐっと惹かれる。安心感は…遠くに離れていても多分どこか行かないから(永遠であることが安心感を呼ぶ、と言うことだ)、このまま去って戻ってきてもまだ残ってる、だから安心より一瞬の快感を選びたくなる。***ここで恋愛の話に振ってみようと思う。先に述べたとおり安心は永遠と通じるものがあるので、一瞬の刺激である快感の方が「好き」という度合いが強く感じる。インスピレーション、という言葉があるが、それは心に受ける刺激のことだ。刺激が大きいほど快感が強い、快感が好きという気持ちを確信させる。あたまからその人が離れなくて、もっと刺激が欲しくて、相手に恋焦がれる。問題はそこからだ。一瞬で燃え上がる恋は激しい刺激から始まるが、時間が経つとその刺激もあまり感じなくなるものなのだ。相手が距離を取ってくれるといつまでも刺激として残るが、それ以上の発展はない。しかし人間関係はそんな状態で長い間続かないものだ。逆に刺激からではなくて、緩やかな温もりから始まった恋は燃え上がることほど少ないが、長く残る。刺激が少ないからもしかしたらつまらなく感じるかもしれないし、刺激=好き、という感覚しか本人になければ一生その類の「好き」には気付かないかもしれない。しかし毛布の温もりを思い出せば分かるように、人は必ずそちらの「好き」の感覚も持ち合わせているのだ。先日の日記に揺ぎ無い安定があるからこそ、好きなことが出来るし次に進める、ということを書いた。自分が次に進めないのは何故か、とふと疑問にぶつかった時、色々な種類の自分の好きなものやその理由を見つめなおしてみると新しい鍵が見つかったりするのかもしれない。
March 21, 2007
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夫婦になるともうこの相手無しでは生きていけないんだな、と思うことはないだろうか。財政面でも家事でも相手との共同作業で生活がまわるし、実際それでいいのだけれど、自分の出来ない役割に対して相手に依存しすぎて自分の可能性を忘れる。本当は結婚する前には自分ひとりで出来ていたことは沢山あったのに共同作業になると負担が減って楽になる反面、飛び立てる翼を失う。失った翼を気にすることなく過ごせるが、何かきっかけがあると突然「自分が翼を失っていた」という事実に気付く。それを知らなかった自分自身に愕然とする。***欝で苦しんでいた頃、私は長い間「新しく生活をやり直したい」と毎日毎日願っていた。フロリダとかボストンとか、どこでもいいけれどフィラデルフィアに来たときと同じように0からの生活を始めて、一生懸命就職活動して新しい人々と出会って、そして誰かと結婚してまた…、そんなことを半分ぐらい具体的に計画していた。真剣だった。しかしその願望の中で一つ自分の中で確信していたことは、例えばそうやって新しい生活を築いて頑張ったとしても新しい子供を生んだ瞬間、また同じように苦しみ、新しい生活を始めようと試みるだろう、ということだった。私の人生は子供を産んだことで終わって、その先が続けられないのだ、と激しく焦り混乱していた。何故そう思うのか分からない、でも切羽詰っていた。なんせ行動力は人並み以上なので、思い立ったら家出した。旦那の顔も子供の顔も見れなくて会社帰りにそのままホテルに向かって泊まったり、夜中思い立って遠くに車を走らせてモテルに泊まったり、週末は子供を連れてホテルに消えたこともあった。家にいると料理とか掃除とかそんなことも思い出して気が狂いそうだったのでホテルは良かった。あまりにも気が狂ってきたので仲の良い友達は心配して週末、旦那が仕事で一日中不在で私が子供と二人でいなければいけない間、子供の面倒を引き受けてくれた。「どこでもいいから、行っておいで」「別の部屋でじっとしていても大丈夫。ゆーゆーは見ておくから…」「今日はあっちの家で一日ゆーゆーを見とくね」完全な隔離をしてもらうと心が安定してきて落ち着いた。旦那と話すと落ち込み度が増すので帰ってきても簡単な会話をするだけですぐ部屋にこもってじっとしていた。そのうち母親が来て一ヶ月の間少し気が楽になったけれども「生活をやり直したい」願望は私の中から消えなかった。カウンセラーの人に会う度「逃げたい」を連発していて「それは非現実的だよね?」とその度教えてくれて、そうか、それは非現実的なんだ、と頭で理解した。理解はしたけど、信じられなかった。私に新しいきっかけが来た時、初めて逃げなくてもやっていけるんだ、と自信がでた。旦那のことを決して嫌いではないし愛している。でも、彼がいなくても私は生きていけるんだ。子供を抱えて一人で生きていこうと思えばできるんだ。私にはまだそのくらいの一人で生きていける力があるんだ、と確信した時「逃げたい」は無くなった。
March 21, 2007
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先日携帯に「XX工務店ですか?違うかもしれないけど?」とやけに丁寧な間違い電話がかかってきた。「違うと思いますよ?」と答えると「あ、そうですか…すみません…」とその人はアメリカ人とは思えないくらい丁重に電話を切った。なんなんだろ、と思った瞬間、あ、と思い出したことがあった。見慣れない市外局番をインターネットで調べるとウェストバージニアからだった。テネシーからはちょっと距離があるけど間違いない。あの人は多分、仕事の都合か何かでそちらの方に出向いていたんだ。確か、そういうことがある、と話していた…。浮気はすぐばれた。ばれた時には既に終わっていたのだが、ある意味ばれてほしかったのかもしれないし、それを旦那がさっと感で受け取ったのかもしれない。携帯電話の請求書をオンラインビルに切り替えたのだが間に合わず、ペーパーで来たところをなんとなく隠そうとしたら旦那はいつも見ない請求書を突然見たい、と言い出した。大体テネシーから何回も電話がかかってきたり電話しているなんて異常なので追求され、うそもへたくそな私はあっけらかんと「知り合った人と電話してた」と答えるしかなかった。***その頃は旦那が12時間労働でほとんど家にいないで、帰ってきたら仕事の愚痴をいつも話していた。毎日親身になって愚痴を聞いて旦那の転職を願い、私達の幸せを願っていた。新しい家のローンの手続き、リモデルの手続き、生命保険の手続き、そして当選したグリーンカードの手続き、タックスリターン、など必要な手続きは私が全て請け負って、旦那に相談してもあんまり役に立たず、とにかく自分を頼りに初めてのことに次々と挑戦した。仕事帰りに子供を1時間のドライブで迎えに行き帰宅、夜の7時から晩御飯を作り始めて食べるのも8時がやっと、9時には寝かせて、旦那が帰ってくる夜の11時までが私の時間。週末も旦那が働いているので子供の面倒が必要だが、体の疲れがピークで一日動けず、でも子供は元気だから色々しなければいけないし、動かない体に鞭を打って子供の相手をしていた。自分の時間に見つけた楽しみはオンラインゲームだった。完全に一つの別社会がそこに存在していて、人々は働き、お金を稼ぎ、遊び、旅行をして、私は仕事と子供との往復で遊びにもいけない状態であるのにゲームの中で広い世界を思いっきり旅行して、人々と話して遊んで、好きな方法でお金を稼いで買い物して、と現実にできないことを思いっきりできるところが気に入った。ゲームをしていくうちに色々な人々と知り合ったが、類は友を呼ぶ、とあるように私は数人の「話せる人」とであった。敵を殺したり、木を切ったり、運動場を駆け回ったりとそんなことだが、現実問題を一切忘れて一緒に色々なことをしていくうちにそれが楽しくなって、家庭のこととかパーソナルなことも仲の良くなった人とはとことん話すことが増えた。音声で話していなくても相手の性格とかやさしさとか見えてきて、今の辛いこととかお互いの家族が抱える問題点とか、そんなことも話せるようになっていくうちにオンラインした時にその人がいないと寂しく感じたり、逆にいるととてもうれしく感じたり、そんな感情の変化が増えた。そして毎日毎日繰り返していくうちに感情が高ぶって、一人がぽろり、と「好意」について語ると私も一気にその人の気持ちに引きずられた。自分にはまだ人を幸せな気持ちにさせる価値があったんだ…。実際そんなことは忘れていた。子供と旦那と家庭の面倒で精一杯で、そんなことが起こる前の昔、私は人々をちゃかしたりかわいいことをして楽しい時間を作っていたことを忘れていた。親身に話を聞いたり、相手を楽しませて男女構わず皆に好かれるのが楽しかったり、そしてそれが自分の喜びだったりで、これからの人生子供と旦那をうまくやっていけるように頑張るしかない、と肩肘張っていた私に「好意」を語ってくれた人はぼこっと風穴を開けてくれた。その人を話をすればするほど昔の自分が蘇ってきて、私はまだ他の人に愛されるキャラクターであるのだ、と自信がでた。見た目とか全く抜きでオンラインで話すだけのキャラクターで人を惹きつけることができるのだと、自分の中身、というものに感動さえした。彼も感動していた。感受性が強くてやさしい性格であるが為に強気な他のアメリカ人達に傷つけられることが多く、子供を心から愛しているけれどもパートナーへの感情は義務でしかなかった。結婚した頃のパートナーへの愛がまるっきり思い出せなくなって話すのも苦痛で、でも自分の子供が大切で彼を安心させたいが為に無理していた。お互いセックスとかそんなのは全く興味がなくって唯私達はオンラインの別世界でそんな周りへの感情の配慮も気にしないで画面で話したり、一緒に何かして時間を過ごせることがうれしくて、ひたすらゲームの時間を見つけては一緒に遊んだ。電話で話したい、と言ったのは彼だった。確かに旦那は殆ど家にいないから可能だったが、かなり戸惑った。深入りすればするほど終わりが痛くなる。終わるのは分かっているんだ、だからその痛さを心配する。メールで伝えても彼にはその感情は止められなくて、結局彼は私の名前で電話番号を調べて電話したい、と伝えてきた。ま、いっか。なるようになれ、っていうのは私のやり方だ。オンラインの出会いは現実とのギャップが非常にあるので色々な危険性について語ったが、相手の気持ちが強ければ強いほどそんな注意は一向に耳に入っていないようなので取りあえず相手の思うようになんとかやってみた。電話は実際は成功した。お互い相手の声が聞けて、最初の一回は緊張したがまた声が聞きたくなって二回目からはもっと気楽に話せるようになった。それもうれしくて電話がかかってくる度、どきっとして、うれしい気持ちで一杯になった。なんだかんだ言っても相手は、押しが強い自分の意志をとにかくリクエストして通そうとする、アメリカ人だ。ここまで来たらやっぱり、会いたい、と言いはじめた。かなり年上の人だったしいまいち私は自信がなかった。家族でメインにバケーションに出るので彼らを飛行機で送り出して、仕事だからと自分はテネシーから車でフィラデルフィアに寄ってメインまで行くことにすれば会えるから、とかなり具体的な計画まで言い始めた。微妙なタイミングで旦那は仕事を辞めた。転職活動も何もしないでとにかく仕事を辞めた。一緒にいる時間が増えたので一気にゲームをする時間が減り、それからは仕事中に電話がかかってきたがなんとなく疲れてきて、電話をとるのも億劫になってきた。そのうち「僕達の将来についてどう思ってるの?」「嫌いならそういってくれよ」とか、彼自身も「子供の為に結婚生活は続ける」とか言い張っているのに将来なんてありもしないのにそんな質問とか、好きだといっているのに「嫌いなら…」とわざと否定的なことを言って私に好きだと言わせる態度とか、ますます疲れてきて、あれほど「将来なんて考えない方が仲良く長くゲームで遊べるよ?」と伝えているのに何か結論を出そうそしていて、そんな結論が欲しいなら、と最後に伝えた。「将来がないんだから、結論が欲しいなら、もう止めよう。もう悩まなくていいよね?」話すのを止めた一ヵ月後の携帯の請求書に彼の番号が載っていて、旦那がそれを見たとき不思議な気分だった。確かにその彼は私に自分の価値を思い出させてくれた、そして心の底からうれしかった、毎日が楽しくてしょうがなくなった。現実旦那は仕事を辞めて私と一緒にいて、夫婦の会話がもっと増えた。将来だとか嫌いだとか好きだとか、そんなことを話さなくても私のことを愛してくれていて子供との将来をあれこれ話し合って、一緒に食事を作ったりして、毎日を小さな幸せで歩み始めた。当然、旦那は起こったことに激しくショックを受けていた。私には言い訳も何もなかった。ただ、その人が自分を取り戻させてくれたことは事実だし、結局何か関係を持とうとしたわけでもなく終わったのも本当で、これ以上自分ではどうしようもなくて、なるようになるのをただひたすらじっと眺めるしかなかった。
March 17, 2007
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色々なことが頭を駆け巡っていて自分の中だけで消化しなければいけないことも沢山あるのだが、どうも消化不良でなんとなくこんな状態を受け入れている。解決しない事柄ばかりで自分では手にかけられないこともあるので、それを忘れる為にゲームのこととか(奥が深いゲームなので戦略を考えなければいけない)、日本の少子化問題と経済社会、移民受け入れ体制についての問題だとか、なんだか気が狂ってるようなことを毎日真剣に考えていて日記にも何を書けばいいのかよくまとまっていない。一日の目標や頭の整理をするのに朝シャワーを浴びるのは何故かとても役立つ。これはお風呂でゆっくりつかったりなどでは絶対できないことで「水に打たれる」というこの行為が果てしなく頭を活性化するのに役立っていると感じる。よく、昔の修行とかで滝に打たれたりしに行っている人々がいたが、毎朝シャワーでノウミソが回転していく自分を意識していると滝に打たれるのも同じことなのだろう、とあれも満更ではないな、と感心する。本来なら日記に一日の出来事とかを書きたいところだが、それ以上に思想や生き方についての面で自分の頭が一分一分回転しているので、今週は多分そんなことについて少しずつ日記を纏めていきたいと思う。できれば楽天日記にミクシィで書いたベースを基に、過去の思い出とか、そんなことが書けたらいいなとは思う。(ここは方向転換で当分の間ミクシィ日記でブログに配信したいものだけコピーすることにした。たまに知らん顔でこちらにとんでもないことを書く気がする)***先週のとある朝、シャワーを浴びているうちに日本でこれから起こる移民問題と将来の税金とその受け入れ体制の不備から起こる犯罪の増加について「はっ!」と思い出して色々考えて突然ブルーになった。シャワーから出て寝室に戻ると、旦那がゆーゆーのおむつを変えている。私がすごい血相で出てきたので彼はあわてて「ど、ど、どうしたの?」と聞いた。「いや…何にもない…」と余りにも場違いな思想でブルーだったので濁そうとしたが「なんだよ~、いいなよ~!」と返ってきたのでおむつを替えたばかりで着替えが終わっていないゆーゆーをよそに先程思いついた問題点について語ってしまった。旦那は当然固まっていたが(だから何もないって言ったのにぃ~)一応優しい人なのでそれに合わせて彼の思うことを話してくれその場は落ち着いた。が、おむつを替えている旦那と自分のシャワー中に辿りついた考えが余りにもかけ離れていて、現実問題、私ってこれからどうするんだろう?とさらに自分の世界に入って考え込んでしまった。そのうち学校に行くと思っているんだけど、問題研究っていうのは日々のおむつを替えたり洋服を買ったりなど、日常生活の為の収入は入ってくるのだろうか。
March 10, 2007
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先週久々に会えた友達と色々話していたのだが、その中で「屈辱」が自分の原動力、という話になった。彼は日本で既に博士号を取っているにも係らずこちらでも大変な学校生活を送り(これにも話したいことは色々あるが取りあえず飛ばす)4年のレジデントもようやく終わりが近づき、白人社会の中で揉まれに揉まれて就職を最近決めた、努力、根気、意志の強さ、頭の良さ、を備えたある意味アメリカ生活の成功者だ。ビザのこともあるからまだまだ問題は山積みだが、彼ならきっと自分の望む方向に道は開けるのだろう。「屈辱」というのは自分の自信のなさ、その人の性格の良し悪しが災いして、その人相応のものを他人から受けるものだと、私は思う。私は私なりの器に値する大変な屈辱をアメリカに来てから受けたし、彼は彼なりの器に値する相当な屈辱を受けた。お互い、今の苦しみながらでも着実に進んでいる自分というのはその受けた屈辱から築きあげているといっても過言ではない。(もちろん苦しみもだえている時をかげながら支えるパートナー、日本の家族、友達、などを忘れてはいけない。どんなステップでも揺ぎ無い安定が側にあるからこそ次がある)***こうやって屈辱を原動力にして次に進むのは良い意味で人間の生き方の基本であると思うが、時々同じ殻から抜け出せない人々がいる。分かりやすい例を出せば先日のうちの旦那だ。引っかかるのはいつも同じところ「あいつは俺を白い目で見てる…」「あの人は俺を出来ないと思っているに違いない…」つらつら文句を並べて同じところに留まっている。そんな人のことだ。これはどういうことか。同じ殻で留まっている人は自分に対する「屈辱」を認められないでいる、と私は思う。自分に甘いと相手の自分の評価がどんなに悪くても冗談に聞こえる。相手は本気でこちらのことをばかにしている。しかし相手の言っていることが本気だと思えないから、ついつい相手のせいにして終わらせる。「屈辱」というのはどんなに理不尽なものでも受ける側の気合次第でレベルが変わる。本当にこんなものは耐えられん、と受け入れた時、その時点では大変な苦痛で気が狂いそうになるが、その相手に執着しないで次の自分を信じて前に進むことが出来る。だから、屈辱を与えている相手にもちろん腹は立つが、その相手を非難するだけに執着してしまったら新しい道は絶対開けてこないのだ。相手は変わらない。自分がその相手を放って次に進むしかない。毅然とした態度で相手に接すると必ず向こうが折れる。そこで自分は屈辱した相手を克服したことになる。それは私の経験でもあるし、多分間違いない。屈辱はしっかり気付いて受け止めて、強い態度で流していくしかない。次に進まねば。
March 8, 2007
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無意識に出るため息の多さに長年悩んできたのだが、先日「口を開かなければため息にならない」ということにふと気づいて早速実行に移してみた。ため息をつきそうな時間や状態でいるときに意識的に口を硬く結ぶ。あ、ため息、みたいな状況になると自然に大きく鼻から息を吸い、鼻から吐き出すことが判明。無意識にため息が出る時、きちんと口を結んでいると「むん~!」とハミングになるだけ、と判明した。あぁ!こんなに長い間ため息を一つ一つ後悔してきたのに!口を閉じていればいいだけ、とはなんともシンプルで簡単な解決法で拍子抜けだ。何故気づかなかったんだ…。逆にこれに気づくまでの間ずっとため息をしてきたわけだから、無意識に口を開けて続けていた自分にも驚きだ。そんなに口のしまりが悪かったのか。ん~。
March 1, 2007
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うちの旦那は次の仕事が決まったがあれからすぐ辞めようという態度は全くなく、一件だけでも仕事が取れてから辞められるようまだあの営業の会社で頑張っている。 これは私が助言したことでもなく本人が決めたことで、意外に感心した。とにかく思うことを頑張りなさい、と応援。私が友達のことでうろたえているので彼のこういう自信を持った行為っていうのは安心感を与えてくれる。それでいい。 *** 私達が頑張ることで彼らもいい方向に導くことができるんじゃないか、とお互いの幸せを願っていた友達夫婦がいた。 うちの旦那の就職が決まった日、奥さんは泣いて喜んでくれた。大きな達成感があった。 しかし彼らはそのニュースの後の夜中、別れることになった。 それはきっと就職が決まったのと同じくらいのいいことに値するいい結果であったのだと分かってはいるし、私達が頑張ったからこそ彼らに最高の結果が来たのだと信じているのだけれど。 悲しい。 彼女の気持ちを思うと悲しくて悲しくて、何も出来ない自分がまた悲しくて、気持ちが堂々巡りしている。 私の旦那は「こういうときこそ友達の僕らが元気でいなきゃいけないんだよ。」と励す。だから彼は気丈に頑張っているのかもしれない。 *** 人間はおもしろいのだ。誠実や不誠実などの言葉は単に言葉だけであって目に見えないし、測りどころがないようなものに思えるだろう? しかしそれは違う。 二人は別れた。100歩譲って喧嘩両成敗と言うことにしてみよう。 奥さんは人を大切にし精一杯愛情を尽くせる人だ。そして意志がしっかりしていて、頑張れる。 旦那さんは無口で、はっきりしないところが優しさだと思っている人だ。意志がないから誰にも掴み所が無いと思われている。 別れて、私は奥さんの気持ちを思って泣いた。私の旦那は彼女が彼の荷物を詰めるのも手伝ったし、運ぶのも手伝った。彼女を知る他の友達も彼女を心配し、幸せを願った。 旦那さんはうちの旦那に「別れて家をでることになりました~」と電話したが「じゃ~家においでよ」とは言われなかった。学会のコネで居候先を一つ見つけて移動したが、相手にも彼の問題に大して「他人ですから」と言われた。 その違いはあまりにも分かりやすくないだろうか? 人生の結末と言うのはこういうことの繰り返しで迎えるものなのだと思う。何が「幸せ」であるのか判断は本人次第なのだが、年老いて弱った時に、 「死」というものに対する恐怖に直面した時に、人が求めるものは何なのだろうかと考えるとそれは人々に「幸せ」を望まれることなのではないか、私はそんな気がするのだ。 (ミクシィ日記よりコピー)
February 24, 2007
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一時は諦めかけ、三日坊主になったところを私に頭付かれまた取り直し、ノリノリは営業の仕事を続けた。収入が無くても仕事を始めて良かったことは、新たに彼自身の環境が変わっていったことだ。家にいるより社会に出ている方が時間が回る、人と話している分だけ自信がつく。そう、運は自分で呼ぶものだった。営業の仕事を始めてからすぐ、全く別の仕事の面接の依頼が来た。就職活動中、ノリノリは「何がしたいのか」と(年齢的には遅いけど)自分に問いかけて、子供やソーシャルワーカーとしてのキャリアを積みたいと彼は願っていた。出しても出しても「経験なし」で履歴書は門前払いであったが、沢山出した甲斐がありようやく一つ、面接を手に入れた。無職時代は面接で何回も失敗した彼だが営業の会社で学んだことを活かして、その日の面接はとてもうまく行った、と彼は言った。自分の子供をしっかり育ててきた自信、就職活動中に気付いた「自分のしたい仕事」へのパッション、そして「あぁこの営業、早く辞めたい~」と感じて後が無い、まぁそんな気持ち(笑)、全てその日はうまく働いた。それから1週間半が経ち、Job offer accepted、の連絡が来た。時給こそ高くは無いが、週40時間労働、有給年間3週間(祝)、学費100%補助などなど今までのどんな仕事にもなかった手当てがきちんと付いて来た。ニュースを知った時、私もうちの母親もそして大事な友達も、みんな泣いた。
February 21, 2007
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日本では昨日だったのだろうがこちらは今日がバレンタインデー。昨日から降り続いた雪が今朝は更に積もってもう二進も三進もいかない。ホワイト…っていうようなロマンチックなものじゃなくて「あぁ!どうやって仕事に行けばいいんだ~?!」と絶望感に浸ってしまうような激しい雪の積もり方、そしてまだ霙のような細かいものが空から降ってきている。ノリノリは出勤の準備をしたが、激しい雪を見てさっさと欠勤を決めた。(確かにこの雪では人々は働いていないだろうし、基本給も無いので効率悪いところをわざわざ隣の州まで出勤する必要は無い)ノリノリの仕事事情と予算の都合上週二日しか保育園に行かせられないのでここ数日ゆーゆーは馴染みのベビーシッターさん宅に泊まりにいっていない。がゆーゆーがいない今日、保育園のクラスイベントで皆でバレンタインカードを交換すると言う。昨夜しぶしぶ23人分のカードを手作りして用意したので、今日持っていかないわけにはいかない。車から雪を下ろし、街に向かう。私は職場の近くで降ろしてもらい、ノリノリは保育園へ。朝の10時というちょっと遅めの時間に到着したのだが、オフィスには誰もいなかった。ノリノリが保育園に着くと、ゆーゆーのクラスだけ沢山子供が来ていたが他のクラスにはあまり人がいなかったらしい。皆クラスイベントのカードの為に来たのだろうか?取りあえずわざわざ持って行ったので誰もいないよりは良い。私はしばらくオフィスで小さな仕事を片付けていたが、誰からも連絡が無く誰も来る気配も無く、雪が深くなる一方で帰れるかどうか心配だったから、ノリノリから「保育園でるよ~」と連絡があるとそのままオフィスを出ようと決めてしまった。帰宅途中「バレンタインデーで何にもできなくてごめん」とノリノリは謝った。いえ、こんなお金もあんまり無いしそんな時は何もしなくていいよ…と答えたがそういうちょっとした贅沢を求めていない今の自分にも驚く。ちょっと前まではクリスマス、誕生日、バレンタインデー、などなど何かあったら気持ちだけでも楽しみたいな、と思っていたが何故か今はそういうことではなくてノリノリの仕事がうまくいったときの喜び、ゆーゆーが新しく何かできたときの喜び、私が何か新しいことを達成したときの喜び、そんなことを小さく祝いたい、と心から思うのだった。寒いので急にチリカンコンみたいな辛い暖かいスープが飲みたくなった。近くのスーパーでトマトやコーン、ハラペーニョ、コリアンダー、牛ひき肉などを買い込んで手持ちのクミンパウダーやコリアンダーシードパウダーなどを使ってチリを作った。ゆーゆーがいなくてちょっと静かではあるのだけれど、おかげで子供を気にしないで思いっきり辛いスープが作れて寒いバレンタインデーには丁度良かった。
February 15, 2007
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ノリノリは今週から心機一転、営業の仕事を始めた。100%出来高制なので本当はこれで大丈夫か?という話なのではあるが、しかしこの会社、只者ではない。もしかしたらアメリカの営業職は皆、この会社がしていることを基本として社員を教育、モチベーションを与えているのかもしれないが、会社全体が若い人で一杯なだけに活力が違うのだ。始めたばっかりで全然収入には結びついていないのだが、今彼があそこで学んでいることを聞いていると、それも満更では無いな、と思うのである。彼の話によると、その会社は昇格が多い。入社一ヶ月で既に新入社員をトレーニングするまでにさせるのだ。たったの一ヶ月!それから段階を経て、マネージャー、そしてシフトマネージャーとなり、その「シフトマネージャー」だけが出来高制でなく給料払いをされることになっている。だからそれまでは全部出来高制。もちろん達成度によってボーナスも渡される。急成長中の会社なのでシフトマネージャーになると新しくオープンする支店のシフトマネージャーとして配属される。会社の一日はなんと「ゲーム」で始まる。その日によってゲームは違うのだがどういうゲームをするのかと言うと「ジェスチャー伝言ゲーム」「頭文字を見て、その後にどんな言葉を続けるか考えるゲーム」などそんな感じのものだ。部屋に社員を5チーム、一列に並べて、言葉を最初の人に渡す。その人は後ろの人にそれが何かをジェスチャーで伝える。伝えられた後ろの人はさっぱりなんだか分からなくても、そのジェスチャーを真似して後ろに伝える。それでどんどん変な方向にジェスチャーが伝わっていって、最後の人がそれがなんだったかを当てる。たまに当たっているチームがあって、そんな時は大歓声で湧き上がる。「頭文字ゲーム」はまず状況を設定してそれに合わせてA,G,Hとか適当にアルファベットをボードに書き、それから始まるセンテンスをできるだけ早く思いついて競い合うゲームである。例えば、状況を「営業に出たとき、相手に『いや、うちはそんなの必要ありません。』と言われた。」という風に設定する。そしてボートに「A」と書かれた場合、思いついた人が「A.....Anyway, we are offering...」とか「G...Generally phone bills are...」とかそんな感じで文を作って完成させる。で、それができたらまた、わ~っ!と大歓声で盛り上がる。これを朝最初の20分程やるらしいが、いちいち大歓声で盛り上がるところがすごい。それからまた20分程、支店のリーダーがレクチャーをする。これがまたすごい。例えばこんな話。『シフトマネージャーは給料払いで出勤時間も遅くても良いし、定時に帰ってもよい。すごく楽に聞こえるが、そうなる為には必要な努力をきちんとしてきたんだ。 例えば、自分が昔オハイオ州に住んでいた時。オハイオに行ったことある人いるか?お、そこの君、オハイオを一言で言うと何だと思う?(Nothing,という答えが来る)そう、Nothingなんだよ。何にもないのさ。自分が祖父のコーン畑を耕すのを手伝った時にこんなのを使って(畑を耕すシャベルみたいなものがあるのだがそれでさえもいちいち説明したらしい)、畑を耕すんだよ。それがすごい作業でね。時間が掛かる。作業をしていると水が欲しくなるんだけどその水が無い。でも作業中で、家まで戻るとすごく遠くて往復したら日が暮れてしまう。井戸がここにあるけど水が枯れていて使えないのさ。祖父に聞いたら、川から水を取って来い、と言うんだけど、あそこの川は下流で、上流に住む牛の糞尿とかそんなのも流れてくるきったない水なんだ。でもしょうがない、それ取って来いっていうから取りに行ったよ。バケツに救った水なんてすごくてね。言いづらいけどゴミとか糞とかクモの巣とかで一杯で、一体これどうやって飲むんだよ?って感じ。とにかく祖父のところに持って行ったよ。そしたら彼は井戸にそれを入れろ、っていうんだ。井戸にいれた。そしたら井戸の奥に溜まっていた綺麗な水が今入れた水から押し出されて出てきて、井戸をパンプしたら飲める水が出てきたんだよ。 ・・・と言うわけでだね、シフトマネージャーは綺麗な水のような仕事に聞こえるかもしれない。が、しかしそれを得るにはわざわざ汚い水を川から持ってきたりなどのそれなりの苦労をしなければ 手に入らないんだ。だから、みんな、シフトマネージャーになれるように、努力を惜しまないで頑張ってくれ。』晩御飯の合間にノリノリに「今日はどうだった?」と聞いただけなのにそんな話を聞くなんて、ひぇ~!である。あ、っとも思うし、うまいなぁ、とも思うし、っていうかその捕らえ方時間を惜しまずするその説明の仕方、もう全て開いた口が閉まらない、そんなレベルの驚きである。営業後も会社の雰囲気はとにかく明るい。帰ってくると「今日はどうだった?」と聞かれ「一件とれた」「寒かった」どんな答えでも「そうか、今日もきちんと頑張れてよかったな~!」とガッツポーズをしたりはしゃぎあったりするのである。全然大したことない結果でも喜びあうのだ。それはまさしく、フットボールの試合を見ている観客のノリなのだ。他にも会社の方針で「5つのアルファベット」「8この心構え」みたいなのが色々あるらしいのだがその中でも心に残るのが「フルタイムで働け」である。どうせ5時で全ての会社が閉まる、5時以降は営業できないのだから、最後の数分でも時間を無駄にしないで5時までしっかり働け、というものだ。当たり前だけどなるほど、である。そして続いてポジティブシンキングと説得。言葉の使い方をちょっと変えれば相手を引くことが出来る。このくらいお金が掛かることになります、と伝えるよりも、これだけお金を節約できます、と言う。相手が、いや君の会社は嫌な思い出があるから好きじゃない、と言えば、いいえ、隣のオフィスのXXさんも同じことを言っていましたけど私達のサービスが良いので思いなおして返ることにしましたよ、と言う。相手のネガティブをさらっと言い換えて違う思いにさせる。この話を総合すると営業は体を張ったゲーム、つまりスポーツだ。最後の一分まで全力で戦い、それについてくる歓声。グッドプレーヤーは大金を稼ぎ、悪いままだと2群3群のまま、声援が大きければもっと頑張れるし練習にも力が入る。戦略も練らなければいけないし、相手の精神もこちらの者にして「勝ち」を得ていかなければならない。ノリノリが生き残るかどうかはともかく、彼がこの戦略を学んで口が回っていく様子を見ていると今やっていることは絶対無駄なことではないんだな、と実感するのだ。
February 9, 2007
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もっとお経を唱えるように、と私はノリノリに言うことにした。学会嫌いの私がこれを言うのは度肝を抜くだろうが、何度も言うけれどもお経自体は反対ではないのだ、きちんとやることをやれば。 ミクシィで今の問題についてさらに細かく近い友達に語っていた。持つべきものは友達、というのは本当のことで皆が心配し励ましてくれコメントやメイルを貰い、皆それぞれの意見を伝えてくれた。友達にももちろんノリノリと同じ学会員の人もいるし、皆それぞれ一生懸命信心をすること、頑張ると言うことについて考えていて、どれを読んでもその一つ一つに大きな意味があって、一生懸命自分で考えていたつもりでももっと奥深い考え方対処の仕方もあり、ここ数日私の頭はフル回転でノリノリと、自分とそしてこれからについて考えていた。 先の日記で「自分について」ということをノリノリにもっと考えてもらうことにしたのだが、そういえば、お経を唱えると言う行動の意味の一つに「自分を開く」というのがあったことを思い出した。 *** 私は弱い自分をずっと鍛えてきた。泣き虫で人前で意見も言えなかったような小学生時代。自分の生きる意味について悩み続けた中学時代。将来について、将来の意味についてそして自分の理想について考え続けた高校時代。その頃だろうか、私の中で「理想」が生まれたら私は必ず紙に書いて、毎日自分の頭の中に「理想」を思い起こさせていた。 自分の行動で反省したところがあるとそれを手帳の一ページの箇条書きに足して「今度XXの場面があった時、XX をしてあげる」「今後一切XXという言葉を使わない」「ビックになる!」(笑)「難しい顔ばかりしない」今思うとかわいいが、そんなことだ。この頃は「楽しいことだけ日記」というのを不定期でつけていて、もちろんその時の悩みや苦しいことはぶちまけたりしたけれど基本的に楽しかったことしか書かない、そして楽しいことは忘れやすいから覚えておく為に残したい、とそんな意味もあって楽しいことだけ書いていた時代があった。 長女だったので親から も厳しく当てられることも沢山あり、その度部屋にこもって音楽を大音量にかけて歌を歌った。あまりにも怒りが抑えきれないと物を投げて沢山壊した。妹弟と喧嘩をすれば、親に叩かれてきたのと同じように相手を叩いた。今思い起こせば、有り余る怒りとストレスをがむしゃらになって吐き出していた。でもそれもそのうち「自分の弱さ」と思うようになって治したい、治したい、と毎回気をつけていくうちに違う形で抜くことができるようになった。 アメリカに来てから友達関係などであまりにも悲しいことが続いて、私は弱い自分を断ち切る為に完全な自己改革を行なった。その時は自分が辛い立場であるというのに 人々から沢山の電話や相談事が来ていたので、治したいところは必ず一日数十回は手にする電話の周りに、紙に書いて張った。悲しいことがあると大好きなメタルをかけて、電話の周りを眺めて紙に書いてあることを何度も復唱した。 また別のアパートに引っ越すと、電話の量は減ったけれども人間関係にどうしても断ち切れない弱さに耐えられなくて、ベッドで寝た時の目線の天井に「人を絶対信用しない」という悲しい張り紙もした。あの頃の私は仲良くなった人誰でもに自分のことをぺらぺら話して、その人は自分と仲がいいんだ、と思い込んでいた。後で考えると表現の仕方は本心と違っているのだがどういうことかというと、自分では「この人とはこれだけ話したし、友達なんだ」と思って自分のベストを尽くしても相手は別にそれ以上の恩も喜びも何も感じてない、ということ。無差別な熱い人間関係は誰とでも存在するわけでなく、自分と相手にとって本当に必要ならば生ずる、ということ。自分がこの原理について理解していないと、出会いがある度に傷つくのだ。 頭をリフレッシュする為に音楽を聴いて目をつぶる。天井の言葉を頭にまた焼き付けて音楽に浸る。そしてまた就職など自分を取り巻いている色々な問題について考え、音楽を聴きながら「あ、あれやってみよう」「こういうのはどうかな?」と思い起こす。そしてまた新しい朝が来る。 *** メイルをくれた友達が「具体的に祈る」と言うことについて書いてくれた。 あっ、と思った。私は自分の頭のリフレッシュにはきちんと時間をかける。毎日楽しく、そして一日あったことを整理するのに必要な時間だ。そして音楽と歌は私に強いやる気をくれる。終わったらさわやかな気持ちになって、今日も頑張った、と思えるのだ。そして明日も頑張ろうと。 ノリノリのお経の時間が無駄に見えていたのは、彼が信念をもってお経をしていないんだ、ということに気付いた。一応「題目ノート」と言うのを彼も持っていて以前見せて貰ったりしたことはあったが大体他の人の幸せについて書いてあって、自分の幸せや自分のことについて具体的に一個も書いていなかったことを覚えている。今はきっと就職についてぐらいは書いてあるのだろうが、就職っていうのは頑張ったことの結果であってそうじゃなくて、彼に必要なのは見つめなおした自分と自分の弱さを具体的に克服することなのだ。だから、もし彼が自分の中の「XXを治す」「もうXXとは言わない、思わない」「就職できる為にXXする」とかそういうことなんじゃないのかな、と思った。もし具体的に物事を決めていったら、お経をあげてやる気が出た時に必ず何倍もそれに対して近づくことができる。それは私が歌と音楽でしてきたことと全く一緒なのだ。 お願い事をしているお経に興味はない、でも自分の前進を願う為の集中力を高めるお経なら幾らでもやって欲しい。その結果ノリノリが生き生きと頑張れれば私にも元気を与えてくれるし、毎日が楽しくなるのではないかな。 そう思って自分のことを見つめなおしたノリノリに自分の意見を述べてみた。既に自分のことを一生懸命考えたノリノリは就職先も決めて、それに対する挑戦するぞ!という意欲で一杯であったが、私の意見を聞いてさらにやる気が沸いてきたようでお経にも元気が伴っていた。今まで何回も同じことを言ってきたし励ましてきたけれど、「自分」っていうものに対する意識を高めた分「自分の高め方」について話し合ったとき彼の頭にきちんと知識として入っていったようにも見える。昨日・今日見た彼は自信に満ち溢れていて、昨日は同じような問題を持つTさんのところに自分と照らし合わせて話をしに行き(今までは一緒に会っても「なんとかなりますように」的な取りあえずお経ばかりあげていた彼らだった)今日の朝は張り切って新しい仕事に向かっていった。 挫折をしてもいい、自分を見失わないで、と会社のデスクで目をつぶると私は自分の中でノリノリに気持ちを送る。新しい仕事はきっと辛い。もしかしたら考え直した方が結果的に良くなるかもしれない。家に帰ってまた彼と会った時、彼がどんな状況で感じたことがあっても彼が自分に対して一生懸命であるならば、幾らでも私は我慢が出来る、とそれもまた自分に言い聞かせるのだった。
February 6, 2007
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先週末は立て続けに予定が入ってなんだか忙しかった。木曜の夜は楽天友達の祐さんが遊びに来て、彼女とは去年の私の誕生日会以来会っていなかったので一年ぶり。去年はとにかく人と顔を合わすのが辛かったけれど、それを超えて久しぶりに会ってなんと楽しかったんだろう。私は楽天でさえも顔を出さず近況に疎かったので話すことが沢山あり、夕方に来て晩御飯を一緒に食べ、ゆーゆーもすっかり祐さんに懐きそれから途中で寝て、それからも私達は話し続けて気付いたら既に夜中の2時だった。 友達と会うからにはいろいろなことを話したい。ノリノリの就職の件では途方に暮れていたので、そのことについて思っていることを話した。ノリノリには今二つ就職のオファーがあるけれど、一つは中卒でも出来そうな3Kの仕事。一つはリスクがあるけれどChallengingな仕事。そして本人は既に逃げ腰で3Kの仕事がしたいと言っていること。私 は自分なりに色々なアプローチで彼に対して現状と将来と、これから選ぶ仕事について考え方を説明しているがなかなかはっきりしないのでストレスが溜まること。 人生経験豊かな祐さんは彼女なりの視点を色々話してくれて、3Kの仕事でも子供を持ち、さらに仕事を掛け持ちして学校で勉強している人のことや、ノリノリの基本的な人生のモチベーションって何だろう、っていう疑問など私が思い悩んでいることに別の風を吹き込んでくれて私の頭の中はまた新しい観点で一杯になって「あぁなんて会えてよかったんだろう!」とうれしくてしょうがなくなった。そうだった、結局色々な苦労をして、やりたいことを成し遂げられる人は成し遂げられるんだ。どういう仕事であれ、やりたいことを決めて突き進めば必ずそれなりのゴールが来る。仕事の内容よりもそれから先。本人が意志を持たなければ、結果は同じなんだ。 そして次の朝出勤が遅れることを覚悟でノリノリに「自分」について考えるよう、頼んだ。何故彼は日本で10年も勤めた会社を辞めてアメリカに来ることにしたんだろうか、何で大学を出て学位が欲しかったのだろうか、学位を貰って思ったことはなんだったんだろうか、何故財政学科と国際ビジネス学科を出たんだろうか、これから自分は何をしたいのか、自分の弱点と長所は何なのだろうか、どうしたら弱点を克服できるのだろうか、何をどうすれば自分のしたいことに近づいていくのだろうか…。既に人生を苦労して生きてきた人々は皆笑うかもしれないような、今更、の質問だが、彼は私より長い時間生きてきているけれどたぶん「自分」について詳しく考えたことがなかった。 だからその日は就職活動も何にもしなくていいからお経を一生懸命それこそ唱えたりして、自分について紙に書いたりして頭の中でよく考えをまとめるように、と頼んだ。生きていく中でこういう質問っていうのはあまりにも基本中の基本で、こういうことについて真剣に頼んだというのは私の中では最後の手段だった。「自分」についての答えが出せない、つまり自分自身に真剣になれない、ということは将来の人生においても同じステージのまま生きることになる。それは私がパートナーとして求めるものではなくて、頑張って失敗して、また頑張ってそれで結果を出して、また失敗して、そんな繰り返しでお互い成長できる人が自分のパートナーであってほしいから、ノリノリに真剣に考えて欲しかった。この最終手段のお願いに彼が勝てなければ、私はいつだって別れる心の準備ができている。 *** 仕事から帰ると休むまもなくノリノリの学会員の仲間Jayの家に晩御飯に招待されていた。こんな人生大事なときで考えなければいけないことが沢山あるというのに無節操にノリノリのことを誘う学会員の人々にここ数週間かなり苛立ちを感じていた。ノリノリに何故行かなければならないのか?と問い詰めると、奥さんのSueが入信したばかりでJayは親しいメンバーと話して彼女の学会に対する気持ちをほぐしたいらしい、と言う。確かにJay達は嫌いでないのだが一体全体、なんでこんな時に?というのが私の疑問である。とにかく失礼ならないよう、私達は彼らの家に向かった。 彼らの家に着くと私とSueを残して皆お経をした。(ゆーゆーは真似事したり私達のところに着たりうろうろ楽しそうだった)その間、Sueは最近どう?仕事なんかは?と聞かれて、私は自分の仕事はともかくノリノリの就職先を見つけるのに大変な思いをしている、という話をした。Sueはそれを聞いて「彼は可能性も一杯あるし、色々なことが出来る。自信を無くしているんだわ。私からも励ましてあげるから!」と元気よく言ってくれた。 実はとても驚いた。ノリノリは私とゆーゆーが日本に帰っていた3週間の間もJay達と時々こうやって家を行き来して話しているのは知っていたが、ノリノリは無職で就職活動中、という話を彼らにしていても、実は前のバイトで挫折して就職にほとほと困っている、という話はしていないのだった。心底困ったりなにか希望を持ちたい時親しい人に話して意見を聞いてみる、というのが普通だと思っていたので、何も話していないノリノリという人物に驚きまたその延長で、あ、だから学会員の人はやたらノリノリを誘ったりするんだ、彼らは今彼が目くじら立てて人生を立て直さなければいけない時だ、というのは知らないんだ…と妙に納得がいった。結局問題は彼自身の話だったのである。 それからタイ人Jayの作ったスパイシーな母国料理を頂いて会話の時間になったのだが、Jayは他の人が息をつけないくらい喋りに喋りに喋りまくった。苦労している人だし、一杯考えを持っている人であるが、とにかく自分の思うこと話したいことを彼は喋り続ける。ノリノリと一緒に来たもう一人の日本人の彼も聞き上手である分、延々とJayは止まることなく喋り続けるのだが奥さんのSueはうんざりしていてお酒が入ってくると横で「聞いてらんないわ~」とか始まってしまって私ははらはらした。 しかしさすがに1時間以上これだと私も眠くなりいらいらし始め、それ以前にとても重要なことを喋っているならともかくどうでもいいことをこう聞かされるのならこんな時間の無駄はない、と思い始めた。はっとテーブルを囲むメンバーを見つめる。喋り捲るJay、アルコール依存症を抱えるSue、一緒に来たTさん、ノリノリ…、あぁ、君たち!皆自分に大きな問題を抱えているだろう?皆それぞれ一杯知恵が詰まっていて、でも解決しなければいけない問題が山積みなのに(別に何事もなく平和で落ち着いているのなら特に文句はないのだがね)、何でここに集まって問題についても話し合わないで目をそらしたまま、時間を潰していくのだい?あなた達、なんで学会員なの?こうやってコミュニティーに入っているなら、しかも平和だとか人間革命だとか、そんなことを唱っているなら、こんな時間も無駄にしている暇はないだろう!直視しなさい、直視! 耐えかねた私は「あの、うちの旦那は今無職で、オファーがあるどちらの仕事も選びづらくてすごく困っているんだけど!」と切り出した。祐さんに話したのと同じように、ノリノリの仕事の選び方、今後の考え方、選び辛い仕事に対する自分のアイデア、そんなことをつらつら述べてSueに「ノリ、あなたなら絶対出来る!」という言葉を言わせて、ノリノリに彼らの視点を聞かせた。それからそのことについてJayはさらに喋り捲ったがどうでもよいことではなく彼の経験から来る会話であったのでそれはそれで参考になったし、何より、皆がノリノリの可能性を信じていること、やればなんだってできること、必ず将来があることなどを話すことで皆問題に対して人事だと無視するわけではなく、親身になって考えてくれるんだ、ということを実感できた。ノリノリは自分に対して真剣じゃないから、他人にも自分のことがきちんと話せないんだ。コミュニティーに入って沢山の人と接してきているのに自分の殻にこもって全然活用していない。私なら、人と人とのつながりは色んなことをシェアしてもっと強くする。 朝約束していた通り、ノリノリは自分についてその日一日よく考えて自分なりの結論を出していたようだった。帰りの車のなかでそれをなんとなく感じ取ってはいたのだが、熱い会話が終わりJayの家から帰ると既に夜中の12時を回っていて、今日はどうだった?と聞こう聞こうと思いつついつの間にかベッドに入って曝睡していた。
February 5, 2007
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ノリノリは2つ程内定を貰って仕事が選べる状態になったが、どっちが良い仕事か、というよりはどっちがマシな仕事か、という選択肢になっている。それを考えるだけでまた、は~っとため息が出てしまう。来週からどこかで働き始めることになるが、初給料まで2週間、それまでどうやって生き延びよう、という不安と疑問が私の中にある。考えても結論はでないのだが、考えないとこのパズルを解くことは決してできない。色々なことは行き当たりばったりで済むのだが、お金ばっかりはそうはいかないのだ。ここで明るい話題を探そうと思えばゆーゆーのことであるが、こういう日に限ってゆーゆーは私に複雑な思いをさせる。お風呂の栓についているチェーンが外れて、落ちていた。その鎖を手に掛けてゆーゆーは正座し、壁に向かって「なんも~お~えんえお~」(なんみょうほうれんげっきょう)と唱えてくれた。かわいいんだけど、これもまた私の中からため息となって生気を奪っていくのだ。体の力を抜きたいけれど、こんなことも油断ができないと、ついつい神経を張り詰めてしまう。そんな時もっと楽な生き方を思い浮かべようとするのだが、悲しいことに私は自分の「芯」を忘れられるほどやわらかい生き物でないらしく、頑なに「芯」が辿るべき道について考えてしまうのだ。
January 31, 2007
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波に乗ってきたのか、ノリノリの就職活動の勢いが半端ない。最初からそのくらい頑張ればいいのにって言う言葉はさて置いて、面接後のフォローアップの電話もきちんと行ったり(昔はそれさえもしなかった)、だめもとでも自分の希望の職種に応募して面接を勝ち取って見たりだの、あれよあれよという間にオファーが舞い込んできて「フルタイム就職活動」に花が開いている。頑張った分だけ結果がでるっていうのをやっと実感したみたい。あぁ、よかった、よかった。自分のことのようにうれしいし、そんなノリノリが誇らしい。前回の悲壮な日記を読み返すと自分でもなんだかこれでいいのかな…って思ったりしたが今日のノリノリを見る為に私はあの時を抜けてきたんだ。辛いときのことを書いて記録に残したけど、これからはもう去年のことは忘れられますように。
January 27, 2007
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→ 昨日の骨抜きになったノリノリからの続き→次の日私達は家族3人でゆーゆーのベイビーシッターさんの所に挨拶しに行った。個人的にも仲の良い私達に彼女は「最近どう?就職どうなった?」と聞いた。嘘のつけない私は「私達別居するんです。」と決意を表明した。ノリノリは横で口を噤んでいた。泣きながら経緯を語るとノリノリの友達でもある彼女は彼にびしっと発破をかけて、彼を励ました。悲しそうな顔を見る度「別居した方がお互いの為なんだ」と言う意志が強くなり、彼女に言われてうんともすんとも言わない彼を見て辛くなった。私はもう明日にでも家を出て行って貰おうと考えていたが、彼女がうまく取り持ってくれて今月一杯頑張って職を見つけたら、見逃してあげよう、あげれるよね?と期限をつけた。私ががみがみ言うと相手のやる気を殺ぐかも知れないから、口出しをしないであげて。あと半月しかないけれど、彼だって家族が大切ならきっと出来るよ。その後家に帰るとノリノリはずっとお経を上げていた。目くじらを立てて就職活動を始めるのかな?と思っていたので心外だったけれども、これで彼の集中力ややる気が出るのかもしれないと思って黙ってゆーゆーと遊んでいた。次の日も彼は朝からお経をして、お昼ご飯になって最近近所に引っ越してきた仲の良いT・T夫婦と食事をした。家に帰って少し休んでから彼は学会のミーティングがあるといって晩御飯の後に出て行ったきり真夜中まで帰ってこなかった。帰ってきたらお経をした。そして次の日もお経を上げ続け、私がゆーゆーと友達のJosephのところに挨拶に行くから、というのに付いてきたいといい、行かなくていいんだよ?と主張しても付いてきた。そして、訪問が終わった後、また学会のミーティングに行った。我慢は頂点に達していた。あの態度はなんなんだ?就職活動をしないと言うのは別居したいと言われているのと同じようなことだとしか思えない。私は彼の宗教に反対していない、お経をするのだってダメだと思わない、でも就職活動なくして就職できるわけないだろう!別居して、離婚して、新しい生活を始めること自体は悪くないかも、と考えていたけれどあの何もしない彼が、彼自身が今変わらなくて、いつ変わるのだろう?私は努力した、でも彼は私の努力に甘えてきた、じゃぁ誰が彼に、今はお経だけで縁起担ぎしてる場合じゃなくて汗水たらして一瞬一瞬頑張っていかなければいけない時だと、教えてくれるのだろう。今彼が頑張らなくて変わらないまま私が受け入れたら一生私は今の思いを持ち続けるだろう。そんなのは嫌、私は人に甘えない人と一生を過ごしていきたい。私は別れてもいいけど、と思いながら彼に実際一番近い人々のことを頭に思い浮かべた。そうだ、彼には10数年のお付き合いの「お母さん」と呼んでいる人がニュージャージーに住んでいた。彼女なら、あんたしっかりしなさい、もっと頑張れるでしょう?と彼に一言言ってくれるんじゃないのかな?と考えた。彼の友好関係は乏しいけれど、そういうときの為の学会の人脈でしょう…自分を失っている彼に彼のことを心配してくれる人から少しでも励ましの言葉をあげて欲しい。私が彼女に電話をして経緯を説明して、彼に何か言葉を掛けてくださいと頼むと意外な答えが返ってきた。「彼は過去数年ミーティングに出てこなかった。運を使い果たしたのよ。仕事辞めたときだって、え?っと思ったし、ミーティングでなさいとは言ってきたし。彼に言うことはもう無い。今はみXXちゃんが(私)彼の就職が決まるようにお経をあげてよ。」さっぱりわからなかった。彼の境涯(宗教用語?性分)が変わらなければいけない時に私が彼の就職が決まるようにお経をあげる、というのはどういうことなのだ。じゃぁ仮に私が一生懸命祈ったとしてそのご利益で彼の就職が決まったら、また彼は私の努力に便乗するではないか。何の躊躇もなく真っ直ぐに伝えられたそのリクエストに戸惑って苦し紛れに「ん…でもそれで彼の就職が決まったら腹が立つ。」と答えると「でも、彼の就職が決まらないのは彼だけの問題じゃなくてあなたの問題でもあるでしょう、困っているんだから。自分の問題を乗り越える為にお経があるし。」分からない。彼が変わらないのは彼の問題で、確かに彼がぐうたらしているのは私の問題でもあるけれども、私はそこまでして彼と将来一緒にいたいのかな、と考えた時、いや彼のこんなぐうたらな境涯と共に暮らして自分の人生を蒙るのはごめんだと、彼の問題を治すのは私の生涯の課題ではない、と結論はこの数日でもう出ているのだ。私が彼女から欲しい言葉は私のことじゃなくて…あなたをお母さんと何年も慕ってきたうちの旦那に対する言葉なのに。あきらめて電話を切った。確かに本当の親ではない。でももし本当の親だったらこんなむごい対応は無いだろう。愛情あって、怒りも激励も生まれるのではないか。彼に言う言葉はない、ってそんな冷たい対応があるのか、私がお経を唱えるのは彼女から彼への愛情に匹敵することなのだろうか、とにかく、私が勇気を出して彼女にわざわざ電話をして助けを求めたことは予想外れの結果となって、ノリノリがかわいそうで仕方なくなった。別居するまで伝えたのに、彼女は彼の幸せを実際それほど望んでいないのだろう、と受け取った。結局、今私にとても近い存在でもある先に書いたT・T夫婦の奥さんの彼女がノリノリに私の気持ちや頑張る為の気持ちの持ちようなどを説明してくれて、彼は随分気を取り直して家に帰ってきた。彼らも学会の人だ。何を話したのかよく知らないのだが、私が電話口でショックを受けて泣いていた時間、彼らはきっと密度の濃い話を重ねて、ノリノリはいよいよ「目くじらを立てて」就職活動を始めた。不思議なもので、元気に頑張っているノリノリを見ると私も元気が出てきて、じゃぁこれもやってみようか、がんばろうか、とやる気が出てくる。彼のことを信じたい、と意欲が沸いて来る。あとX日でお別れかもしれないね、とキツイ冗談を言いながら心で絶対大丈夫、これからも頑張ろうね、と言っている私がいる。
January 25, 2007
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骨抜きになってヘドロになっていたノリノリはあれから私の友達に正されてしゃきっとするようになった。別居宣告をされてその期限の間になんとか就職をしようとようやくやる気がでてがむしゃらになって頑張るようになった。多分、期限以内にどういう形でも働くことが決まるであろう。日本から帰ってきてノリノリと話した時、彼は約束の「トレーニングを終わらす」ということをしていなかった。無職になり数ヶ月が経ち、就職活動をぼんやりやっていた彼は、生活費が無いと私が泣いて怒るまでバイトも始めなかった。やっと始めたバイトはダンキンドーナツで、時給6ドル50セントというファーストフードと言えばまぁ当然の賃金で、働く分だけゆーゆーの高い保育園代が超過して私は口を噤んだ。もう一つバイトをすればいい、と私は言った。何はともあれ、始めたのは彼の責任だからすぐ辞めて欲しいと思わなかった。が、あまりにも赤字が進むので何かマシなものでいいからして欲しかった。フルタイムで申し込んだバイトをパートにしてもらって(何故フルで申し込んだのか私は納得できなかったが、パートだと雇ってもらえないと彼は主張した)、給料がもう少しマシなところでまたパートをすればいいじゃない。数日後彼が思いついたのは昔の知り合いが働いているレストランでウエイターをすることだった。「昔の…」と言う発想はいかにもノリノリらしく安直だと思ったが彼が主張するので自分を抑えた。レストランが嫌で辞めたのにレストランでまた働こうと思うなんて到底理解できることではなかったが、とにかく彼のやる気を信じることにした。彼は面接に行き、パートを掛け持ちしたら良い、という私のアイデアもさっぱり無視して、ダンキンドーナツをさっさと辞めてしまった。一体何を面接を話したの?と問いただすとフルタイムで働くと向こうに言ったから、と言う。これからのお給料はどういう仕組みでいつ貰えるの、フルタイムっていつからそうなるの、と基本的な質問をすると彼は「いや最初に働く日にそれを聞いてくる…」と答えた。なぜ面接の時に聞かないんだ、とこみ上げる苛立ちを抑えるべく、私はそれからノリノリとの会話を減らしてオンラインゲームに熱中することにし、働き始める日を待った。働き始めてからしばらくして、私が泣いて机を叩いていい加減にしてくれ、と叫ぶまで彼はお給料がいつもらえるのか、時給が幾らでいつからどうチップが貰えるのかでさえも聞いてこなかった。結局フルタイムで働くと申し出たものの、最初は「トレーニング期間」ということで週4日4時間のみの勤務であった。ダンキンドーナツを辞めたことを責め立てたかったが、彼は「僕はこの仕事に専念したい、そうでないとこの先もきちんと出来なさそうだし…」と主張した。どうしたらトレーニングが終わるの?と聞くと「スケジュールを終えてテストをパスすればすぐさ」と自信ありげに答えた。テストは簡単なものではなかった。高級レストランなので基準が厳しく、メニューの中身、リカー・ワインリストを含めた原材料などを全て丸暗記しなければいけなかった。彼は生涯丸暗記などしたことがなかったのでかなり怖気づいていた。こんなことも手取り足取り教えなきゃいけないんだなぁ、とあまりにも頼りない旦那に愕然としながら私はそれでも丸暗記の仕方を教え、自分でも一緒に覚えてあげて、ノリノリも調子をつかんでどんどんメニューを覚えていった。テストは前菜、メインコースなどのセクション別で5,6個に分かれ、トレーニングが終わることを信じて週に1個のペースで彼は受けていった。それから約一ヶ月が経とうとし、クリスマス前の私とゆーゆーの日本への帰国が迫ってきていた。トレーニングが終わっていないチップ無しのノリノリの給料は一週間$100を切り、ゆーゆーの保育園代は週2日で$136、それだけでも苦しいのにノリノリは時間がある分「牛乳が…卵が…肉が…」と買い物に行く度お菓子だの、雑貨だの余計なものを買ってきて私は怒りを通してあきれた。私は既に自分の両親に泣く泣く生命保険代などの大きな出費を助けて貰っていた。彼のお金の使い方には我慢が出来ず、クレジットカードも現金も全て取り上げた。テストは残り一つとなっていたので私達が日本で過ごしている間、ノリノリはトレーニングを終わらせてしっかり働いてお金を稼いでいるように、と約束した。今まで赤字になった分きちんと蓄えて、来年またきちんとした就職が決まるまで持たせよう、と明るい気持ちで彼を励ました。就職活動が一番だけど、とにかくトレーニングを終わらせて…。だから。アメリカに帰ってきた夜、まさかとは思っていたけどノリノリがテストを結局受けず、レストラン側が以前の経歴を考慮して一ランク上のポジションをオファーしていたのにも関わらず、テストを回避してトレーニングを終わらすために「もっと簡単な仕事にしてくれ」と頼んだと聞いて、頭が真っ白になってゆーゆーを彼の腕から取り上げて部屋にこもって泣いた。日本にいた時、私は彼の弁護をするのが大変だった。私の両親はとても堅実で努力をして生きてきた人々なので、彼の就職活動の仕方や態度について理解できないことが沢山あった。彼らが「何でXXさんは(ノリノリ)…しないの?」「何でXXできないの?」と思うことは既に私の疑問でもあり、その度「あの人はちょっとつかみが遅いんだけど努力してるし…」とか「トレーニングを終わらす約束だから今はお給料少ないけど大丈夫」とかとにかく「あの人は大丈夫、やれば出来る人だから」と説得し続けた。彼の実家にゆーゆーと二人で行った時も「あの人は今無職で残念ながらこちらには一緒に連れて帰れませんでしたけれども、トレーニングを終わらすために一生懸命頑張っていますから、大丈夫です」とご両親にいかに彼が頑張り屋で優しいお父さんをしているか一生懸命説明して、浪費癖があって困ってるとかそんなことは一言も言わないように気をつけた。あの人はそんな私の気遣いも全て無駄にしてくれた。泣いてる私を見てゆーゆーはいい子、いい子、と頭を撫でてくれた。色々考えてみたけれど、これはもう別居して家を出て行って貰えば彼も自分で生活する為に必死に働くのではないだろうか、と思うようになった。次の第二の母だと思っていた人に続く
January 24, 2007
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2歳半になった男の子のゆーゆー。一応記録として、そして他の子供ってどんな風になっているんだろう?というそんな人々の気持ちも考慮して、思いっきり親ばかだけど、今のゆーゆーが出来ることについて書こうと思います。★取りあえず自慢ばっかりもなんなのでゆーゆーが出来ないことについて1.ゆーゆーは言葉をまだはっきりしゃべれない。英語と日本語両方で育っているからだと思うんだけど、同じ年のアメリカ人とも日本人とも比較しても遅いと思う。単語は言えるけど、長いセンテンスになると何を言っているのかさっぱりわからない。英語発音、日本語発音が頭の中でごっちゃになっていていまいち声に出す音がつかめていないらしい。人が言っていることはどちらの言語でも殆ど理解しているが。2.ゆーゆーは体重がとても軽い。アメリカ人平均より30%以下。日本人の子でもきっとこのぐらいの子は12-13キロはあるんではないだろうか?ゆーゆーは11キロいったかいかないか、背丈は普通だけど小さすぎる!ご飯は一杯食べるのだけど、すぐうんちになって出てしまう…ついでに体がすごく筋肉質。3.ゆーゆーはおむつ卒業からまだ程遠い。トイレに行くことは知っている、トイレで何をすべきかしっている、時々トイレに行きたいと言う、けれども自分がいつトイレに行くべきなのか良く分かっていないのだと思う。おしっこもうんちもまだ頻度が高いのでいまいち決め手がないのかな。保育園でトイレにちゃんといける子もいるみたいなのでうすうす焦ってはいるみたい。4.お気に入りの毛布から卒業できないし、眠いときの指しゃぶりはまだ卒業できない。束縛される時間は既に随分短くはなってきてるけど…出っ歯ですよ、出っ歯!5.箸はまだ使えない。そろそろ同じ歳でも使える子がいるのが気になるところ…★子供自慢・2歳半ならこんなことができます!1.ゆーゆーは歌を既に沢山覚えていて、歌える。ABCの歌は随分前から、他にも手ぶりつきでおべんとうばこの歌、Happy Birthday、機関車トーマスにでてくる10曲ほどの歌、アンパンマンの歌とDVDに出てくる歌、童謡えほんの歌、を歌詞も覚えていないものもあるけれど、大体既に歌詞付きで覚えている。それらの歌が彼の鼻歌となってもでてくるし、DVDで流れると一緒になって歌っている。はっきりいえない言葉もたくさんあるけれど、ABCは言えるかな。おべんとうの歌とか歌うと「おじにり、おじにりちょっととまち~(おにぎりおにぎりちょっと詰めて~)」とかなってかわいいかも。2.ブレークダンスをする。Black Eyed PeaとかUsherなどのヒップホップ系の音楽ですごく気に入っている曲があって、それらの曲にあわせて踊る。それもただ体を動かすとかそんなもんじゃなくて、体をちょっと動かしたかな、と思うとひょっと飛んで地べたに這いつくばって着地、手で体を支えて足を上げ、また着地した後起き上がったりでんぐり返しをしたり、くるっと回ってみたり、、、しかも曲自体を覚えているので曲が止まるとこ、リズムが変わるところでポーズをつける。最初見たとき私は空いた口がふさがらなかったよ~!確かにダンスをよく一緒にしたけれど…ブレークダンスは教えてないよ!昔シッターさんの家でUsherのライブビデオを見たのは知ってるんだけど…。*注釈:家には今テレビがないのでパソコンで子供のDVDを見る意外映像を見せるチャンスがない。3.小さい子にやさしく、他の子供とどう遊べばいいのか知っている。私が他の子連れの友達と会ったり、どこかの場所で他に子供がいた時にゆーゆーはその子を年下か同じくらいの歳か、年上かを判断して、小さい子であればおもちゃを貸してあげたりハグしてあげたり、真似をしてその子の気を引いたりして相手の心をほぐすことができる。(どこで覚えたんだろ、すごいなぁ~)同じくらいの歳の子とかに会うと、相手が持っているおもちゃにすごく嫉妬して取り上げて喧嘩する。でもいったんおもちゃを離れると一緒に走ったりとか万歳と奇声を発して威嚇しあったりとかして楽しそうに遊ぶ。相手に突き飛ばされてもやり返したりしない。年上の子と会うと結構緊張するらしく、相手が触ってる公共のおもちゃなどを相手が使い終わるまで端っこでいじいじ待っていたりする。でも一旦相手が一緒に遊んでくれるとなるといい子分となって一緒に走ったりなんだりして遊ぶ。基本的にシャイじゃないんだろうな。しかし!同じくらいか年上の女の子に「あ!ベイビー!」と愛情たっぷりに近寄られると顔を背けて「女には興味ねぇっ」みたいな顔をして相手にしないときがある。ちょっと不思議。4.ゆーゆーは言うことを聞く。基本的に本当に危ないとか迷惑になって良くないとき以外には私は注意しないので、止めて、と頼んだときには必ず止める。一歳になる前からして欲しくないことをゆーゆーがしたときは「これはxxxxで危ないから止めようね」とか「こうするとうるさい音がでて皆に迷惑だから止めよう」とかしぶとく言って聞かせてきたので、何が良くないことなのか怒られることなのか、というのを大体分かっていて、最初からめちゃめちゃしない。例えばレストランなどに友達などと行き、ゆーゆーは大抵おなかが一杯になったら椅子から降りたくなる。大人はまだ食事が残っているのでここで切り上げるわけには行かないから、私はゆーゆーを席から下ろす。男の子だし、小さい子にずっと席に座っていろなんて無理、それは分かってる。しかしゆーゆーはその後レストラン中を駆け回って、とかそんなことは絶対しない。私達の食べているテーブルの下か、テーブルの周りで勝手に遊んでいる。そして一緒にいる人々に挨拶をして回ったりする。例えば沢山人がいてちょっと静かにしなければならない場所にいく。他にも子供がいて駆け回っていて、壁にぶつかって大きな音を立てる。ゆーゆーも真似して走って壁にぶつかったりしたがこちらが「ゆーゆー、しーっ!ダメ、ぶつからないで!」と注意すると、走って壁側に来たとき、ゆっくりになって両手でちょっと壁を触るだけにして音をもう立てない。そしてそれをしない他の子供に「NO!」とか注意したりする。(まぁそういう子はゆーゆーに言われても言うことを聞くわけではないが)他にもペンやクレヨンで何か書くときは机の上で紙に書くこととかそういうことも守ってくれる。高いところにある、割れそうなものは絶対触らない。5.本が好き。機関車トーマスとアンパンマンのDVDはほんと、大好きで毎日のように見たがるんだけど、それ以外にちゃんと本が好き。静かになったな、と思うと絵本をめくっている時もあって、「いやー、ノリノリに全く似てないねぇ」と私達は時々冗談を言う。日本語も英語もどっちも好きで、寝る前に時々読んであげるのだが、一冊といわず、こっちが止めようというまで何冊も読んでもらいたがるのでちょっと大変な時もある。6.大人とも積極的に遊ぶ。ゆーゆーは殆ど人見知りをしない。私の友達は自分の友達でもあると思っているらしく、どこにいってもどんな人と会っても自分に注意を引いてもらえる時は一緒に遊ぼうとする。私と友達が話しこんでると遠慮して一人で遊んでるが、あ、っと思ったら人の手を引いて席から立たせ、ボール投げをしよう、と誘ったり自慢のトーマス機関車を見せてあげようとしたりする。ダンスが好きなので時々私に「ダンス!ダンス!」と音楽を要求する。(ダンスを要求するとき必ず右手を素早く上下してダンス!というのでかわいい)音楽を流すとその場にいる人全員を広い場所に集めて、自分と共にダンスをさせる。ゆーゆーがいなかったら私達絶対一緒に踊んないってば…、としぶしぶ踊っている友達を見てほくそえんだりしている。7.人にウけたことをまたやって人を笑わす目をつぶって変な顔をして千鳥足で歩いてみたり…時々「誰がそんなの教えたの~?」みたいなおかしいことをして皆が笑うとまたやる。人を笑わすのがうれしいらしいんだよね。それって性格なのかな。小さい子の本能なのかな。とにかくゆーゆーはいつでも楽しそうにして、皆を笑わすのが好き。Happy Boyと人々によく言われるけれど本当にそうだと思う。あんなにいつも楽しそうなのがうらやましいし(は~、私もそうなりたい!)、とっても誇らしい。8.以前にも書いた気がするけどシャワーを頭から浴びることができる。6ヶ月のときから躊躇もせず頭からシャワーを浴びせて親しませて来たので頭を洗うときは水を被るものと既に理解している。とにかく親としてありがたく、便利。★★★そんなこんなで思いつくことを書いてみました。最近は少し日本語が上手になって「No!」「No way!」「Mine!」だけじゃなくて「やだ」「ぼくの」とか少し言えるようになりました。な行をいうときどうしても英語発音が抜けず「n」が入るので「いんぬ~(いぬ)」「おんなら~(おなら)」とか聞こえて面白いです。
January 22, 2007
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こんにちは。しばらく何も更新もしないで、連絡も取らず、無礼を本当にごめんなさい。これからもどのくらい書けるのか分からないけれど、そして前のように一杯書ける自信は今はまるで無いのだけれど取りあえず以前からページに来ていただいて心配をしていていただいた方々に、挨拶をしたいな、と思いました。産後欝は抜けました。針をあれから2ヶ月ほど続けて、それから時間が経つに連れ調子が戻って、もう少しあれをやろう、これをやろう、という意欲がわくようになりました。ゆーゆーを育てるのがもっと楽しくなって、その可愛さが自分のパワーに戻るようになりました。自信を持って子育てをしていたので、ゆーゆーはとても自立した2歳児になって、危ないこともしないし、人ともすぐ打ち解けるし、私と離れても一人で遊んでいられるし、ご飯も自分で食べるし、しかもそんなに汚さないし、私としては鼻高々な成長振りを見せています。状況判断力がすごくあって、私が困っている時は抱っこをせがまず、自分で歩いてくれます。甘えていい時とそうでない時を分かっているようです。今は週2日保育園に通っています。私自身の仕事もあれからずっと続けて何も迷うことも変わることもなく、順調です。ありがたいことであるし、でもいつも同じなのでこれからもう少しチャレンジを考えなければいけないなぁ、と焦ったりもします。去年の半分をノリノリが無職で過ごしました。仕事も決まらないうちにグリーンカードが手に入ったからと以前の仕事を辞めました。以前から努力する人であればあまり問題にならない話なのですが、極限の努力を経験したことの無い人なので数ヶ月経つとプレッシャーに負けて、バイトでさえもまともに出来ないようになりました。(簡単な仕事もなぜかきちんとこなせない)そのまま年が明けましたので、私達は夫婦として、家族として、局面を迎えています。去年の半分は旦那のだらけぶりにすごく怒っていました。怒鳴り散らすまで何もしない、生活が掛かっているのにそれを真剣と受け取らない、しまいにはうそをついて言い逃れをする…今の私には明るい話題がありません。ゆーゆーを楽しく育てるのが精一杯で、自分の時間にはストレスを忘れるべくゲームなど楽しいと思えることをしています。だから、自分が余裕を持って人に話したり書くようになるまで、これからもちょっと時間が掛かると思います。細かい近況報告はMixiなどで交流が小さい範囲でしたいと思いますので、もし個人的なものでもよかったらそこでもお会いしましょう…(連絡下さい!)でも今年こそは!転機かもしれないし、去年のストレスや怒りを忘れて健康に明るく頑張っていきたいと思います。皆さんお元気ですか?いつもいつもありがとう…
January 16, 2007
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自分の坑鬱剤歴と副作用について2004/8 ゆーゆー産まれる2005/6 産後鬱だと気づく2005/8 耐えられなくなって主治医に行く。Paxil20mgを処方してもらう。(SSRI系)一ヵ月後にまた医者に会いにくるように言われる。2005/9 最初の一ヶ月飲んでも飲んでも毎日激しい眠気。仕事もまともに出来ず。眠気で鬱を治す薬なのかと真剣に考える。一ヵ月後に行くつもりだったが何事にも元気がないので面倒になりリフィルが続くまでPaxil20mgを飲み続ける。2005/10 新居に引越し。ペンキ塗り、キッチン改装、ローン手続き、その他もろもろ家庭の大黒柱仕事を旦那の手助け無く一人で全て行う。もちろん仕事子育てしながら。2005/11 リフィルも切れる直前。パニック障害が起こり始める。仕事中に抜け出す、家に帰らずホテルに泊まったりが始まる。月の終わりにしぶしぶまた主治医に会いに行く。Paxil30mgに変更。2005/12 何も変化が起こらず主治医に相談。Paxil40mgに増やす。パニック障害は止まらない。2006/1 主治医はこれ以上多くPaxilを処方できないので専門医に会うように薦められる。Psychiatristの意味がよく分からずセラピストにもアポイントメントを作る。事実が分かってから専門医になんとかこぎつける。専門医から今までの2倍Paxil80mgを処方される。一ヶ月で体重2キロ増える。2006/2 2倍効果!妊娠したときと同じぐらいの幸せで素晴らしい時間を過ごす。今までの辛さが嘘みたい。体重もう2キロ増える。2006/3 先月の幸せ感が嘘みたいに突然絶望に襲われる。Paxil80mgは取り続けたままだがパニック障害復活する。家出を始める。セラピストの提案により週末は友達にゆーゆーを預けることにする。薬をしっかり飲み続けてきたがこの絶望感からどうしても抜け出せず、ある日突然薬を飲むのを止める。今まで絶対毎日飲むのを忘れなかったけれどもその時を境にして必ず「飲む」という行為を忘れるようになった。思い出すのは薬から遠く離れている時で、薬が手元にある時には飲むということが思い出せなくなった。(不思議だよねぇ~)*坑鬱剤は絶対突然止めないように、少しずつ止めるように、と言われています。私は80mgというかなりの量を摂取していました。これを突然止めるということは非常に良くないと思われます。突然止めてからの副作用歴2006/32nd Week 止めた。忘れた。お昼を過ぎると激しい頭痛が始まる。その時に初めて「飲むのを忘れた」ということに気づく。それが毎日続く。3rd Week 頭痛が続く。絶望感がなくなる。(これは良いこと!!!)しかし忍耐がなくなる。めまいが激しくなる。15分毎にめまいを感じる。4th Week 飲むのを忘れて2週間も経ったので薬に戻るのは止めようかな?と自覚し始める。人々は医者に行けというがそんな気はどうしても起こらない。15分毎めまいがしていたが、15分毎寒気に変わる。15分ごとに体が震えて固まる。死ぬんでないかと不安になる。しかし薬を飲むという行為が頭にインプットされない。忍耐が切れて、緊張感が日に日に高まり、ゆーゆーと二人でいるのが不安で不安でしょうがなくなる。週末ノリノリが働いて、友達にもゆーゆーを預けられず、二人でいなければいけなくなった日私はゆーゆーを連れてホテルに家出した。はっきり書くけど止めてこのぐらい時間を空けてからやたら性欲が沸く。いや普通に戻ったっていうのかな?坑鬱剤を飲んでいるときは体が冷たくて、落ち着けなかった。体重は増え続けこの月もまた2キロ増えた。2006/4 5th Week まさにつわりと同じ感覚がやってくる。臭いに敏感になり何もかもに吐き気がする。ご飯を食べると吐き気がする。排気ガスやタバコの臭いで失神しそうになる。めまいがしばしば起こるが、寒気はなくなった。感情的になりなにもかも、些細なことで頭に来る。妊娠を疑ったが思ったとおりしていない。全て坑鬱剤を止めた後の副作用であると気づく。しかし絶望感はもうない。母親が日本から助けに来てくれる。怒りを起こす些細な原因が、母親のおかけで随分少なくなった。ゆーゆーも気兼ねなく預けることができる。健康に時間も狂うことなくご飯が食べられる。6th Week 気持ちに疲労感が現れる。典型的な私の鬱症状。絶望感は無い。体の調子はほぼ戻る。未だ臭いに敏感だが、前週ほどではない。集中力、頭の切れが少しずつ取り戻されてきた。一つのこと以上のアクティビティに(私の場合はずーっと一つのゲームをして周りの環境との接触を避けていた)きちんと目を向けたり興味を示すことができるようになってきた。職場の友達、楽天のルーチェさんや母の薦めもあり漢方治療を始めることにした。ついでに針治療もしてくれることになった。なかなかよかった。これから毎週、治療しに行くことになる。今月は500gの体重増加で少し治まった。***来週母が日本に帰るのでこれからまた色々変わると思うけれども、取りあえず坑鬱剤を突然止めるとどうなるかということにフォーカスしてレポートを書きました。死ななかったので、1ヶ月半辛かったけど止めても大丈夫のようです。(笑)
April 21, 2006
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ホルモンバランスがおかしくなってから妊娠時と同じぐらい喜怒哀楽が激しくなってきて、一時は落ち着いていたかな、と思っていたものの鬱の症状が少し回復すればするほどさらに激しい感情の起伏が現れた。私はアンガーネイチャー(Angar Nature)であると思う。だからメタルとかヘビーロックの怒りの音の重圧が私の気持ちを和ませる。今まで忍耐強く生きてきて、どうしても怒りが止められないときはよく部屋にこもって音楽を聞いた。怒りを忘れられた。現在忍耐強さを少し失って、どうしても怒りが止められないと自分で何をしていいか分からなくなる。どこでもこもって音楽が聴けるわけではない。怒りの起伏は職場でも、買い物先でも所構わずやってくる。家に帰ってノリノリが私の調子がおかしいからそれが心配で新しい職探しが出来ないなどと言われる。グリーンカードを受け取ってから1ヶ月過ぎた。彼は昨年5月に当選した時点から仕事を変えたいと、絶対変えると言ってきたのだ。なのに履歴書さえも自分で仕上げられないその有様はなんなんだ。私は家に帰る度にそのことを理由にノリノリに対して怒りたくないといつも思う。変えないのは本人の責任なのだから。でも私の心にいつでも渦巻いている怒りは些細なことでも爆発してしまうのだ。そういう事態に何度も会うと、家もゆーゆーもノリノリも仕事も何もかも捨てて私は遠くに逃げたくなる。遠くに行ってまた一人でやり直したい。何でだろう。またやり直してこのぐらいまで来たら私はまた遠くに逃げていくだろう。怒りを忘れる為に逃げたいと、何度でも何度でも繰り返し私は考える。家を出て音楽が自由に手に入るようになってから怒りをとても上手にコントロールしてきた。Angar Natureはもう無くなったのだ、と勝手に信じていた。ゆーゆーに私が怒っているところを見せたくない。そんなことを覚えて欲しくない。ノリノリを愛しているけれど、喧嘩する時にゆーゆーに隠れて、なんてそんな忍耐力は今の私には無い。完璧ではない私を認められない私がきっとどこかに存在しているのだろう。だから私は逃げて、誰にも刺激を受けないでいて、完璧な私と過ごしたいと思うのだろう。頭ではそんな完璧でいる必要は無いと思っていても、そういう欠点が私の怒りをまた巻き起こすから私は、静かに過ごしていたい、と思うのだろう。
April 11, 2006
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楽天もメイルチェックもあやうくも請求書のオンラインの支払いまで忘れてしまいそうになるぐらい、ハマってるオンラインゲームがある。ノリノリが毎晩夜遅くまで働いて帰ってこないことをいいことに、仕事が終わってへろへろの体で必死にゆーゆーを出来るだけ早く寝かして、私に出来た時間を全て費やしているゲームがある。ゆーゆーの面倒を見なければならない、ノリノリの帰りを待たなければいけない、自由に行動できない私に最高の自由をオンラインで与えてくれる、そんなゲームだ。その名もRunescape。オンラインRPGでチャットしたり友達を作りながら、色んなクエスト(ドラクエで言えばイベント攻略みたいなこと?)をこなして、攻撃や防御だけならぬ、炭鉱・釣り・料理・工芸・農芸・調薬・跳躍力・材木作り・火起こしレベルだとかなんとかなんとかもうそれはそれは細かいものまで一生懸命訓練して、自分を高める。もう遊んでも遊んでもきりがないくらいやることがあって一回始めたらパソコンから離れなれないのだ。英語でのオンライン会話の仕方を相当学んだ。それがまたすごく楽しい。相手には私の日本語アクセントなぞ聞こえやしないからそれがまたなんだか楽しい。用語、省略用語も沢山あって、それを使いこなすのがかなりうれしい。色々なアイテムがあるからもちろん商売なぞもゲームでする。そうやってお金を稼ぐ楽しさを思い起こさせてくれるのもうれしい。難点はこのゲームをプレイしている人々は殆どが中学生ぐらいの14歳前後であることだ。あまりにも頭が若いか甘やかされているか知らないが礼儀を知らない子供があまりにも多すぎる。でもそういう奴らの扱い方を学ぶのがまた楽しい。そしてまれに私より半分ぐらい歳が若くてもすごく気があう素敵な人もいるし、私と同じか年上の人とも会うことがある。気が合う人は歳に関係なく話したりするのはやはり楽しい。若い子達と話すのは基本的にすごく面白い。そして自分が十代だった頃の色々な混沌とした気持ちを思い出す。部分部分にアドバイスをあげると気の会う子達は感銘してくれる。そんな人間関係が新鮮にうれしくて、楽しい。オンラインの世界であるけれどあまりにも行動範囲が自由で大きくて楽しい為、面白いことに子供達はオンライン彼氏・彼女をつくったりして人間関係を楽しんだりする。自分の格好も好きに選べるので、こだわっておしゃれな格好を選んでみたりすると一目ぼれしてくれる人もいる。(顔は同じだが髪型とか髪の色とか洋服の形、色、アイテムのセンスだとか・・・とにかく自由なのだ!)大抵はあまりにも若い子達なので相手にしないけれども、それでもまれに素晴らしい出会いがある。面白いけれどオンラインでも自分の表現の仕方で自分に合う人が現れてくる。現実社会ではないのに、同じ現象が起こるのだ。人種だとか年齢だとか体型だとか、そんなことに一切とらわれないで自分の自由と人間関係を気づいていける、RPGゲーマーの私には今一番の娯楽だ。==Runescape チャット用語==you = uyour = urfor = 4wait = w8plate = pl8 (よくアイテムで使う)thank you = tyyour welcome = ywnever mind = nm / nvmlaugh on loud = lol (日本語だと(笑)の感じ)rofl = (爆)の感じlmao = 同じく(爆)の感じpotion = pot初心者・怠け者・ずるい人 = noobfiremaking = fmwoodcutting = wcess = essence (アイテムのrune essenceのことを指す)boyfriend(彼氏)= bfgirlfriend(彼女)= gfと、取りあえずよく目にするものを紹介してみました。あんまりチャットすると本当の手紙とかに思わずタイプしてしまうので気をつけなければ。。。
March 30, 2006
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すごく簡単に記しておきます1.グリーンカードが三月の半ばに届きました。12月の頭に弁護士を通して申し込み、すぐ指紋摂取、面接がセットアップされ2月の終わりには手続きが完了していました。わずか2週間で全てが手元に来ました。(祝!!!)2.鬱はすごい波がきて、また家出をしたり食べまくったり浪費しまくったりして人生の道しるべを失ったり放棄したくなったりと繰り返していました。3.日本から母親がついに助けに来てくれました。たとえ苦しくても家で誰かがご飯を作って待っていてくれたり、ゆーゆーの面倒を手伝ってくれたりするのは随分違うと思いました。このまま回復に向かうと良いんだけど。4.私の自由は今、次に書いたオンラインゲームで獲得しています。5.ラップトップを購入して家出中もゲームができるようにしました。6.インディペンデンスディのあたりにカルフォルニアでのオズフェスチケットを購入しました。もちろん最前列にいけるピットシート。私の人生に今一番欠けているものはメタルのコンサートだって本当に気づいた。7.ゆーゆーがベイビーモデルになるという話が浮上して、今週末写真撮影が行われます。(祝!!!稼いでくれよ~)8.テネシーに出張しました。やっぱり違う土地でたまに働くって楽しいなぁ。9.鬱とか全てが影響して人生に今までにないくらい太りました。この事実だけでも人生やめたくならないか?私は回復できるのだろうか。10. アメリカには携帯のストラップがないのでそれをお土産にしたら友達達が最高に喜びました。皆さんにお勧めです。誰にも連絡しなくてごめんなさい。
March 29, 2006
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私は基本的に面倒くさがり屋だ。だからあれやこれやと子供の世話を焼ける他のママや旦那のノリノリに時々感心する。ノリノリは移動する時ゆーゆーを抱いて、ずっと歩ける。ゆーゆーをずっと抱えていたら、私なんてすぐ疲れちゃってだめ。部屋の向こうの方におもちゃがある。優しい他のママは子供のためにそれを取ってきてあげる。子供がよろよろ歩いて転びそうになるとすぐ「危ない!」と言って抱いてあげたり支えたりできるママがいる。私はそれを見ていちいち体を動かすのが面倒、なんて思ったりする。1歳5ヵ月になったゆーゆーがよちよち歩いて転びそうになると、私は黙って見て転ぶのか転ばないのか観察する。転ぶときもあるし転ばないときもある。転んだら起きあがるまでじっと見つめて待つだけ。よっぽど打ち所が悪かったら泣くけれど、大抵ゆーゆーはけろっとしてる。あぁ、余計な気を使わないで楽チン。ゆーゆーがお店で色々物をいじって棚から出す。私はそれをいちいち片付けるのは面倒なので「ちょっと元に戻してください!」とゆーゆーに言う。ゆーゆーが物を戻すまで私は動かない。時には私が拾って、ゆーゆーに渡して「はい、元の場所に戻してね」と言う。そんなことがよくあるのでゆーゆーはあきらめて物を元の場所に戻す。私は手伝わない。ごみがあると「じゃ、ゴミ箱に捨ててきてね」とわざわざ渡す。ゆーゆーはゴミ箱を見つけて捨ててくれる。たまにゴミ箱をあさってゴミで遊ぶので「ちょっと!ちゃんと元に戻して捨ててくださいっ」と言うとあきらめて捨てる。ご飯をゆーゆーの口にいちいち入れてあげるのが面倒くさい。だから適当に食べやすくした料理をゆーゆーの前に並べて、私はテーブルの逆側に座って自分のご飯を食べる。ゆーゆーはぐちゃぐちゃに散らかすけれど、なんとか手やフォークを使って自分でご飯を食べる。汚したテーブルにお手拭を置くと、自分でテーブルを拭いてくれる。床に落ちたご飯を一緒に拾ってゴミ箱に捨てる。私は一人でそれをしたくないのでゆーゆーに必ず手伝わせる。お風呂に入れてあげるようになって随分経ったので、最近「ね、自分で体洗える?髪洗える?」と頼んでしまう。すると一応いつも私にやってもらっているように石鹸を頭に乗っけてみたり、体にこすり付けてみたりする。シャワーも自分で頭から浴びようと必死で持つ。ちょっと重たいので手助けしてあげるが、取りあえず自分でやろうとしてくれる。ついでに私の背中を洗ってよ、と頼むとスポンジで一生懸命私の背中をこすってくれる。ゆーゆーの目線のところばかり洗うので「ね、上の首とか脇のここもこすってよ」というと弱い力だけどすーっ、すーっとこすってくれる。最近は自分でスポンジを手にとって私に「背中向けて!こすってあげる!」と合図する。1歳児に背中を流してもらえるなんて、すっかり私は女王気分だ。お風呂に入ったときは体を洗ったスポンジで軽くバスタブをこすって綺麗にしておくのだが、ゆーゆーは最近それもやってくれる。もうちょっと大きくなったら一箇所だけでなく全体をこすれるようになるんじゃないだろうか?洋服を着せるのも面倒なので早く自分でやってもらいたいと思い、「はい、これ着てみてください」と毎日お願いしてみる。当然できないのだが手を通したり足を通したりしなければいけないのは理解しているようだ。着せるときは手も足も差し出してくれる。靴を履くときも足を出してくれる。***私はそんなこんなで要求上手なのかもしれないが、そんな私を真似してかゆーゆーも負けずに要求上手だ。音楽をかけて欲しいときは私の手を引いてコンポの前に連れて行く。音楽をかけてあげると踊りだす。私はそれをソファに座って見ているのだが、そうするとゆーゆーは私の両足を抱えて引っ張って立たせようとする。私も踊らなければいけないのだ。一緒に踊ると大喜びして、今度は手を引いて立ち鏡の前に連れて行かれる。ゆーゆーはそこで自分の姿を見ながら踊る。そして私も踊らされる。またある時は「寝転んで!」と言わんばかりに私の手を下に引っ張る。うつぶせに寝転ぶと上に乗って「お馬さん!!!」と言わんばかりに洋服の背中を引っ張る。お馬さんをすると大はしゃぎする。余計な遊びを教えるんでなかったと、私は後悔する。毎朝ビタミンCのタブレットを家族で一粒ずつ食べるのだが、忘れて家をでようとすると「んー!んー!」と指を刺して忘れていることを教えてくれる。一日ぐらいどーってことないのにと思うがしぶしぶ食べさせてあげて、私もノリノリも食べる。ハーモニカを見つけたら自分で吹けないので私の口に押し付ける。ちゅーをしたい時は私の両頬を手で挟む。お気に入りのブランケットが欲しいときは「まんまんまん~!」とそれを指刺す。読んで欲しい本は持ってくる。遊んで欲しいおもちゃも持ってくる。水が飲みたければキッチンに手を引かれて連れて行かれるし、抱っこしてほしければ抱っこされるまで両足にひばりついて離れない。ノリノリが面倒を見ている日は別にあれこれと手を引っ張ったりおもちゃを持ってきたりなど要求はしないそうだ。面倒くさいな~とゆーゆーにやらせてると覚えてくれるし、言葉も理解してくれるし、怠惰なママとしては最高だけれど、やってもらう為に何回も見せたり導いたりコミュニケーションが増える分同じくらい面倒くさいことが増えてると言えば増えてるのかもしれない。でも!きっと1年ぐらい経ったら楽できそうな気がする。それでいいよねぇ?!
February 4, 2006
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30歳になるのをずっと恐れてた。若さの象徴、美しい「にじゅーだい」の響きが無くなってしまうなんて。よんじゅーだいのノリノリを棚に上げてぶつぶつ文句を言っていた。アメリカで30歳になるのは「ビッグスリーオー(30)」と言って大イベントである。大イベントの前の日、私は過去数ヶ月の長いプロセスを経てようやく精神科医に直接会うことが出来た。一人の医者に会うのにも保険の関係やら何やらで色々回されて、返事待ちして、またやり直して、とまぁいつものことだが時間がかかるものである。去年8月からずっと坑鬱剤を飲んできたが全く効かず、パニック症候群もしばしば現れ始め、11月の半ばにはゆーゆーをシッターに預けたままホテルに家出をしたりノリノリやゆーゆーと離れて家の一部屋に閉じこもっていたりした。仕事先でもパニック症候群が来るともういても立ってもいられなくなって、外に飛び出したり、我慢してデスクに座っていると耐えられなくて泣き出したりした。体重が一気に15キロ増えた。約束した時間に友達に会うと思うと息切れがして苦しくて、会う前に一時間ぐらい瞑想した。ゆーゆーがすごくかわいいと、ノリノリがやさしくて素晴らしい旦那さんだと頭で分かっていても、私はそれを心から楽しめなかった。頭で分かってるのに、そして感謝しているのに、なぜかそれが辛かった。彼らが素晴らしい人間であればあるほど、私は辛かった。責める対象がないのに私は苦しくて、元気が出ないのだ。何かしたら楽しくなるかもしれないと思って、持ち前の行動力で色々挑戦してみた。ゆーゆーを映画に連れて行ってみたり、体験ミュージアムなどに連れて行ってみたりした。しかし、そういう行動をすればするほど私の状態はもっと酷くなって何もかもが嫌になってそこから逃げ出したくなる。ゆーゆーを置いて逃げ出したくなる。ゆーゆーが楽しんでいても苦しくて相手ができない。苦しいからゆーゆーを置いて逃げたくなる。その専門の精神科医はあっさり、今まで飲んでいた坑鬱剤の量を倍にして飲みなさい、と処方箋をくれた。え、そんなんで本当にいいのかしら、と思いながら私は早速もう一粒多く薬を飲んで次の日を迎えた。***誕生日は土曜日だったので、週末も出勤のノリノリは午後から働くことになっていた。いつものように午前中は買い物に行ってお昼ごはんを一緒に作って特別なもの食べようと計画していたが、朝からレストランのケータリングと配達の手伝いをしなければいけないんだよ、とノリノリは言いはじめた。配達時に路上駐車しなければいけないからみんみんも一緒に来て車で待っていてくれ、と頼まれる。「なんで誕生日にレストランの仕事手伝わなきゃいけないのよ~!給料払ってくれるんでしょうねぇ?!」とぶつぶつ文句を言った。ゆーゆーと私はノリノリがレストランで何かを取りに行っている間、車の中で30分ぐらい待たされた。ゆーゆーは待ちくたびれて寝てしまい、私もあまりにも長いのでふてくされておニューのケイタイでゲームをしていた。ノリノリがやっとレストランから配達のプレートを持って出てくるとまた他のお店の支店から物を貰ってこなきゃと言う。彼は仕事をしてるから文句は言っちゃいけないと快く車からまた送り出して、またまた30分ぐらい待たされた。いい加減おなかが空いてきた。もう作るの止めて軽くどこかのレストランに食べに行きたいな。ノリノリも午後3時からまた働かなきゃいけないし…。ようやくノリノリが戻ってきて配達先に向かっているとと今度は家に配達の請求書を忘れた、と言う。えー?!?!配達遅れるじゃない!!!と焦ると、ノリノリはすまなさそうな顔をして、ほんとごめん、どうしよう、取りに行かなきゃ怒られる、と焦った声でまた慌てて車を走らせ始めた。あぁ、なんてとぼけた旦那さんなんだろう。おなか空いたよぉ、とぶつぶついうとノリノリはごめん、ほんとごめん、といいながら自宅のすぐそばに来たとき電話をした。「今着きますから」え?今着きます、って?なんじゃそれー?と思うまもなく私達は丁度家の前に着いた。ノリノリは、じゃ、取りに行くから、と車を出て自宅の鍵を開けたがすぐ戻ってきて「大変、セキュリティーアラームが鳴っている!!!みんみん、ゆーゆーを連れてすぐ来なさい!!!」と私を引っ張って家に連れて行った。サッ、プラ~イズ~~~~~!!!カメラのフラッシュがパシャ、パシャ、と光って私の知っている顔がずらっと並んでいた。鬱の間、こもっていたおかげでしばらく会ってなかった友達達が勢ぞろいして、驚く私にハッピーバースディーと大笑いして叫んでいる。車で2時間かかる場所に住んでいるドクター、フランスに行く予定になっていたモー(行ったと聞いていたが実はまだ行っていなかった)夏に会ったきりのスティーブ夫妻、DCから丁度立ち寄ったルドウィカ、何食わぬ顔して会っていた職場のジョー、あれ、祐さんもいるじゃない!!!みんなみんな久しぶり!!!オーマイガ~ッ!オーマイガ~ッ!You!ユウ!ユー!You didn't say anthing!You were lying!Hey, you!!!You knew it!!!皆私の新居に来たのは初めてだった。友達が口々に「素敵な家じゃない!」と褒めてくれた。一人一人に感謝のハグをして胸いっぱいになってノリノリを見た。ありがとう、いつも私を愛してくれてありがとう。テーブルにはノリノリのレストランから調達した寿司と好物のはまちの刺身がこれでもか、と言うぐらい並び、私達は日本酒で乾杯をした。ゆーゆーは大勢の人に囲まれて大興奮し、「誕生日おめでとう!」「big 30!」と書かれた家中に浮いている一杯の風船に大喜びしていた。8年かかって集めた15人ほどの仲の良い友達が一緒になって私の新しいdecadeの幕開けを祝ってくれるなんて、考えてもみなかった。大勢の30代の友達が冗談めかして「Welcome to the (30's) club!!!」(30歳代クラブにようこそ~!)と言われると30歳になったのを嫌がってる場合でもなく、まぁ、それもいいかな、となんだか誇らしげに思えてきた。実はノリノリは3週間前からパーティーを計画していて、その日は仕事を休ませてもらっていた。それを知った時、私はまた彼に恋に落ちた。素晴らしい人々に囲まれて心から幸せだと思えた。薬も手伝ってなのか、全てが自分のエネルギーになって、心が躍動して苦しみも何もかもが楽しく思え始めた。
January 25, 2006
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「し、しまった~」鍵がない。ない、ない、ない!幾らかばんの中を探してもない。家の前まで運転してきただけに焦る。今日はValletパーキング(セルフサービスでなくて人に鍵を渡して停める駐車場)にとめたから車に既に鍵がついていて自分の鍵を確認しなかった。職場を出る前にトイレに拠って自分の鍵でトイレに入ったから(職場のトイレはオフィスにある鍵がないと入れないのだが自分でもコピーを持っている)トイレに置いてきたかもしれない。もしくは自分のデスクに置いてきたか。ゆーゆーは後部席で寝ている。慌ててオフィスビルのセキュリティーガードのリチャードに電話をかける。奥さんのキムが出て彼はいないと言う。電話をかけなおしてくれるというが、それでは間に合わない。あぁ。とにかく引き返してオフィスに向かうしかない。慌てて車を走らせた。ビルの近くに丁度パーキングがあったのでとにかくとめて寝ているゆーゆーを抱き上げてビルに駆け込む。セキュリティーのキャサリンに事情を話してマスターキーを借りてオフィスに入る。あ、私の鍵!あった。あぁ、よかった。キャサリンにしっかりお礼を行って何とか家に帰るともう8時を過ぎていた。ノリノリがご飯の材料を用意しておいてくれたので、これから作らなければいけない。ゆーゆーがおなかが空いたと泣いている。ゆーゆーに適当にスナックをあげて、材料を合わせる。あぁ、疲れた。あ、冷蔵庫に新鮮なキムチがあるな。ご飯ができるまでに取り合えず食べよう。キムチをお皿に持ってそれだけでがっつく。二人の食事が終わるともう9時半だった。あと30分でノリノリを迎えに行かなければならない。ゆーゆーをお風呂に入れたり寝かしつけるには時間がない。しょうがないからゆーゆーと遊ぶ。抱き合ったり、見つめ合ったり、くすぐったり、踊ったり。子供がかわいくてかわいくてしょうがない瞬間。ノリノリを迎えて帰ってくると家の近くに駐車できるスペースが残っていない。しぶしぶ歩いて2分ほど離れた先に車をとめて家に戻ると家の前にとめてあった車が出て行った。ノリノリは車を取りに行ってここに持ってくると言う。「じゃ、お願いね!」と頼むとゆーゆーと二人で取り合えず家に入った。玄関先に先日水曜日につけたばかりのセキュリティーシステムがある。今日セキュリティー会社からノリノリに「システムのバッテリーが切れてるみたいだよ。取り替えてください。」と連絡が来ていた。ディスプレイをよく見ると「OC」と書いた文字が出てきていて、幾らコードを押しても解除にならなくなっている。何回も試したけれど解除にならないので説明書を読むと「OCと出ているときはOutsideとContactがされていません。遅いテンポでビープがなっているときはバッテリーとシステムを確認する必要があります。」と書いてあった。ピ、ピ、と音はなっている。確かにシステムがオンになっているときとは違う音なので「多分、電池がないからコードを押しても解除にならないで止まったままなのだろう」と推測した。少々心配だが、何度ボタンを押しても変わらないのでしょうがない。そのうちノリノリが車を移動させて帰ってきた。ノリノリもシステムを確認する。「あれー、解除にならないんだね。」「そうそう、何度やってもだめだった。電池切れで動かないみたい。」「そっか~。まったくつけてもらったばかりなのに困ったなぁ。来週担当者が来るまでこんなぴーぴーなってたらちょっとやだね。まぁ寝室には響かないだろうけど…」そういいながらドアを開けたり閉めたりしていた。ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ピュオーン!ひっくり返った。突然、電池切れのはずのシステムがすごい音で鳴り出した。ノリノリも私も焦って慌ててシステムのボタンを押すが何も変わらない。ゆーゆーも呆然としている。私は慌てて説明書を取り出して、取り付けた人の連絡先をノリノリに渡す。ノリノリは外に出て携帯電話で慌てて連絡を取り始めた。あまりにもすごい音なので近所に響くと思い、椅子に上りサイレンのスピーカーを手でふさいだ。耳が痛い音が和らいだ。なんとか消せないかとボタンを押して試すが何をやっても変わらない。どうしよう。こんなんじゃ寝れないよ。そのうち私の携帯電話も鳴り出した。多分セキュリティー会社からの連絡だろう。椅子の上に立っているので電話が取れない。ゆーゆーに「電話取って!」と頼むがすごい音で聞こえないらしくぼけーっとしている。ドアを開けたり閉めたりしてノリノリが外で電話を終えて帰ってくるのを待っているとトランシーバーを持った覆面警官のおじさんが「どうしたんだ、大丈夫かい?」とやってきた。「は、はい、システムをインストールしたばっかりなんですけど、どうしてこんなことになったのか分からなくて、、、ごめんなさい」と慌てて謝ると「いいや、いいんだよ。大丈夫」と玄関先から去っていった。そしてパトカーが一台、二台、とやってきて「大丈夫か、何かあったか?」とやってきた。「大丈夫だと思うが、君はここの住人かい?鍵を見せてくれ」と言われ、慌てて鍵を出す。名前を聞かれて、スペルを述べる。サイレンは鳴り続けている。ノリノリも私も真っ青だ。ノリノリは地下室に行って、電源の出所を探しにいった。ノリノリがシステムの電源をはずしたのだろう、サイレンがはっと鳴り終わった。ふー・・・・・・慌てて外に出て警官全員に事情を話して謝る。こういうことがよくあるのか「気にしないでいいんだよ。大丈夫。」と気さくに答えてくれてそれが私達のせめてもの救いだった。折角インストールしたのに使えないまま来週になっちゃうね。なんだかね。まぁ、サイレンが鳴ったときはこうやってすぐセキュリティー会社にも警察にも連絡が行くってことがわかったよね。まぁ、それはよかったかな。。。冬が近づいて寒くなってきたので、ゆーゆーをお風呂に入れて温かい格好をさせた。その後ゆーゆーを寝かしつけていたがノリノリも私もそのまま寝入ってしまった。
November 12, 2005
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アパートを引き払う日が刻々と近づいてきたので数日新しい家とアパートを行き来して残りの物を片付けていた。粗方所有物は持ち去ったはずなのだが、いまいち綺麗になりきらなくて細かいものが残っている。古い大きな家具は捨てるか売ろうと思っていたので置いていた。台所で買いだめした食品やボトルをストックしておく為に使っていた棚。電子レンジを置いていたワゴン。テレビ台や本棚。そういう何か「物を置く場所」なんていうのが残っているとついつい細かいものを置き去りにしてしまっていて片付かない。使うかもしれないと思っていた工具とか、雑巾とか、捨てようと思って捨て忘れたものとか、片付けても後から後から出てくるものだ。先週末はそれでも意を決して「Yard Sale」なるものを開くことに決めていた。アメリカではよく見かける光景だが、自分のもう使わないものや入らないものを家の前に並べて通りがかる人に売る、という簡単な商売。自分でも実際人のYard Saleで買ったりなどしたことないので本当に人が買うのかどうかはかなり疑問だったが、どうせ捨てるなら誰かお金払って買ってくれないだろうか、なんて幻想を抱いていた。家具だけなら買う人も少ないだろうが、今回ノリノリと私は二人が独身時代から持っていて重複した電化製品なども捨てることに決めたので売る価値はあるかもしれない、と思ったのだ。新しい家には天井に電気もついているし(アメリカでは古い家だと電気スタンドが主な明かりになる)、電子レンジも真新しいのがついているし、掃除機は日本から軽くて良いものを持ってきたし、テレビはそのうち買い換えるし、と一回売ろうと決めたら何でも売りたくなってにやにやしたくなるくらい商品が取り揃えられる。ノリノリは全く信用しなかったが私はやるき満々だったので取り合えず商品リストと目玉が飛び出るような値段を書いた広告を作って前の夜からアパートの前に張っておいた。翌日まだ寝ているノリノリとゆーゆーを置いて早速アパートへ行って建物の前の歩道に品出しをした。棚やコーヒーテーブル、ワゴン、6年前に購入した電子レンジなどなど取り合えず並べて値段をつける。ノリノリが貯めまくったビデオコレクションは3本で1ドル。一番高いのは5年前に中古で買ったテレビで20ドル。と、全部の商品を出すまもなく「ね、ね、テレビ売るって広告に書いてあるけどどれ?」とお向かいの家族に聞かれた。家の中に連れて行って現物を見せると彼らは大喜び。ついでにテレビ台も10ドルだけどどう?と聞くと買う、買う!と言ってくれた。内心「うわー、こんな大きなテレビ台買ってくれるなんて助かるなぁ~」とか思いながらちゃっかり売り上げを手にした。ノリノリに「う、うれた~!!!」と早速報告の電話をする。本人は寝ぼけていて信じていなかった。そのうちあまり待たないうちに別の近所のおじさんが電子レンジを5ドルで大喜びして買って行った。(あんな古くて良いのか…?)そして家の前を通りかかったトラックが止まって、おじさんがあれやこれやと買い占める。一気に半分くらい目玉商品が無くなってしまった。ビデオも売れ行きが好調で一気に15本ぐらい消えていく。(そんなに見るのか…?)慌てて家の中に戻って商品を探して何気にディスプレイする。ノリノリが8年ぐらい前に買った小型のテレビ。同じく8年前のモノサウンドのビデオ。一人用のコーヒーメーカー兼カップ。車で通りがかった人がちらほら止めてやってくる。買う。一人売り上げは2ドルとか5ドルとかそんなもんだったりするが捨てることになっていた荷物が無くなっていく。ノリノリがゆーゆーをつれて来た2時間後頃には目玉商品はすっかり無くなって殆ど物が片付いた。私はうきうきで「いや~!!!売れるもんだね!!!う、う、うれし~!!!ごみでお金作ったわっ!!!」とはしゃぎまくった。ノリノリは「みんみんの行動力には圧倒するよ…」と顔を引きつらせ「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、そうでしょう、すごいでしょう、ほほほほほ」と私はますます態度を強くする。その日の売り上げは108ドル。売ったものの量のわりには額は少ないが、まあごみでこれだけ稼げれば良しでしょ。な~ににつかお~~かなぁ~~~!次の日は朝からまた片付けに行った。折角なので売れ残ったノリノリのビデオ(一体何十本持っていたんだ…)や家具をまた外に出して置いておいた。この日で最後だからビデオは5本で1ドル。30本ぐらい外に出しておいたら上に住んでいたお姉さんが5本、通りがかったおばさんが23本のビデオを手にして買って行った。売り上げは5ドルだったけれどもほんと、売る物がすっからかんに無くなったっていうこの事態に一人で関心しまくっていた。Yard Saleは侮れない。いや、これはまたやりたいなぁ!!!アメリカ文化のお気に入りが意外にも増えた。
November 1, 2005
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簡単に、私の体の変化を記しておきたいと思う。はっきりと「欝だ…」と自覚したのはゆーゆーが10ヶ月になってからだった。それまでは少し鬱気味のときもあったが普通の心の波であり、あまり問題に感じなかった。仕事や日常生活も楽しく、活力的に過ごせたと思う。体に生理が戻ってきたのはゆーゆーが6ヶ月を過ぎてからだ。女性の体には波があって生理や排卵の前後では随分精神状態が変わったりする。PMS(生理前症候群)という言葉を聞いたことはないだろうか。個人差はあると思うが私の場合は基本的に気分が落ち込むことが多かった。何が起こっているかというと妊娠して出産してから、ホルモンのせいなのか、感情の揺れは以前の1.5倍ぐらい広がっているように思う。妊娠中は喜怒哀楽が昔以上に現れ、だが、全体的には「幸せ!」と思える気分が普通の精神状態だったと思う。出産して生理が始まるようになってから、この1.5倍の感情の揺れはどちらかというと悪い方に動いた。「幸せ!」と思える精神状態のほうは薄れ、「苦しい、死にたい」という悪い方の感情の揺れは以前の1.5倍になった。PMSで現れる鬱の感情は今まで経験したことのない強さになり、毎日が、いや、その生きている一分一秒が、「助けてくれ、助けてくれ、私は生きていけない」という感情になる。人と話さなければいけないなら楽しく話す。私の本能だ。笑って自分の欝のことを話す。でも本当に酷いときは顔が真っ青になり、隠し切れなくなる。吐き気がする。涙がじわじわ出てきて、体が何かと戦おうと必死にしていることを感じる。仕事に集中できなくて、いや考えるという行為が辛くて、人と話すことや自分が感じる「責任」の全てを拒否したくなる。それが育児だったり、家事だったりするわけだ。薬は気分をよくするわけではない。その鬱の時の状態を少し軽くしてくれるだけで、結局鬱から抜け出せていない。飲み続けて効果が悪くなったのだろう、医者にもう一度いかなければならないようだ。パートナーは100%私の感情を理解してくれている。職場の友達、あるいは仲の良い友達にも説明しているので、シェアはできる。でもどれだけ人に話しても、鬱から逃れられるわけではなくて一分一秒は生きていなければならない。私はイベントコーディネーターの仕事をしているので、接客の時が多い。どうしても具合が悪いと、イベントの仕事を他の子に回して人との接触は何とか回避できるが、それを回避しても結局家に帰ってゆーゆーの相手などをしなければいけない。具合が悪い時に私の感情を無視してゆーゆーが泣いたりあれやこれやとリクエストしたり、ご飯や風呂に入れてあげたりすることが本当に辛い。ゆーゆーはかわいいが、面倒を見る責任は私にある。そのプレッシャーが辛いのだ。産後の鬱(postpartum depression)を経験した人のページによると子供が20ヶ月になるぐらいまで続いたという。ゆーゆーは14ヶ月、残り半年というところか。辛いときは一瞬一瞬が長く感じるが、気長に、自分をさらけ出していくしかないのだと思っている。
October 18, 2005
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引越しまで残り一週間を切った。家を買うまでは「こんなことできるわけない!」と思ったことが山ほどあったが、家が実際手に入った途端、好きなことが何でもできた。すごいパワーだ。しようと思えば、人は何でもできる。その時置かれた環境だとか差し迫った時間がパワーを呼ぶ。そして大きな変化を成し遂げる。地味な白い壁の家はアメリカで流行りの「アーストーン」やアールデコ風、はたまた私オリジナルの色合いに塗られ、スタイリッシュに生まれ変わった。野暮ったい電灯が取り外されておしゃれなものに付け替えられた。ドライバーや配線をじっくりいじって付け替えると、新たな自信が湧き出てきてあれよこれよと新しい電灯を買い始める。そうしておしゃれになればなるほど自信がでる。仕事帰りはゆーゆーをつれて新しい家に行く。相手にしてもらえず泣いているゆーゆーをほっといてペンキ塗りの作業をする。そんな時間は日頃の疲れやストレスを忘れ頭をまっさらにできる喜びの時間だった。大好きなメタルを聞きながら、頭や体中をペンキで一杯汚して作業に没頭する。一段落してゆーゆーの相手をして少し休む。そしてまた作業を開始する。ゆーゆーは怒るが、作業に没頭する喜びを味わいたくて放っておく。新しいローン、保険、電気、ガス、電話、セキュリティーシステム、洗濯機・乾燥機・冷蔵庫、デイッシュウォッシャー、家具、キッチンのカウンタートップ、配管工事などの手続きを始めるとそこらじゅうからイーメイルやら電話が会社にかかってきて、または自分でファックスしたり電話をかけたりして慌しくなる。フィラデルフィアの家は幾分か小さく作られていて洗濯機・乾燥機は分解して組み立てられる特別な種類のものでないと家に入らないし、取り付けられない。購入する店と分解して組み立ててくれる業者は別物なので配達日に合わせて個々に連絡を取らなければいけない。冷蔵庫もそういうわけで少しでも薄型のものを手に入れないと入らない。ディッシュウォッシャーは新しくキッチンに取り付けるので、キッチン全体のレイアウトを変えなければならない。キッチンのレイアウトを変えると、その上のカウンタートップの大きさも変えなければいけないので石の業者と連絡を取り合わなければいけない。流しの位置を変えるので配管工と話をしなければいけない。全部が色んなところとつながっていて、頭でいろんなことを理解していないと交渉できない。ノリノリは夜遅くまで働いているしオフィスワークではないので、こういう交渉の仕事はもっぱら私の担当だ。自分の可能な範囲で物事をまわすのでノリノリから商品や手続きについて質問攻めにされると「自分で電話して聞いてくれる?」とそっぽを向く。男と女の観点はあまりにも違うことがあり、ノリノリの質問は交渉時の私には思いつかない内容だったりすることがよくある。私は会計やビジュアルや契約の内容が気になるが、ノリノリは家の土台にどれだけ関係があるかなどの構造や影響が気になる。折角進めた契約も彼の質問具合よってはキャンセルしなければいけなくなり、指摘は間違ってないが私は疲れる。こんな毎日が始まって一ヶ月が経とうとしている。私の喜びはペンキ塗りの作業に没頭しているときに生まれ、家に帰るともう何もしたくなくなる。ふと体を休めるとなぜか過去の嫌なことを突然断片的に思い出す。慌ててゆーゆーをお風呂に入れたり寝かせたりしているとノリノリを迎えに行く時間が来る。体に鞭を打って車に乗る。ノリノリを迎えて家に着くとノリノリの晩御飯の間に一緒に座っているのが辛い。「ごめん。もうだめだ~」とベッドに行くとあっという間に記憶が消える。数時間して目を覚ますとノリノリは流しに一杯詰まれたお皿を洗い洗濯を済ませて、日課の勤行(お経のこと)をようやく始めたところだった。眠たいままよろよろと彼の部屋に入ってお経を唱えている彼の横にそっと横になる。「どうしたの?」と聞くから「家事しなくてごめんね。」と謝った。「しょうがないよ、そういう時期もあるよ。」と手をつないでくれると私は安堵の気持ちですーっと力が抜ける。毎日プレッシャーなんだよ。過去の嫌なことを思い出すんだよ。家事をする気力がないんだよ。ゆーゆーを100%相手してあげられないんだよ。作業をしている自分だけの時間が一番今幸せに感じるんだよ。でもノリノリを愛してるからね。愛してる・・・頭で何回も思うことを口に出してノリノリに告げる。今の自分に対する嫌悪や戸惑いが、相手に同じくプレッシャーや戸惑いを与えているのではないか、といつも不安になる。ノリノリも私もゆーゆーの面倒とその他もろもろでもうはちきれそうになっている。お互い色んなことを我慢してる。ノリノリが辛いのも知っている。「みんみん、大丈夫。僕も愛してるよ。」魔法の言葉だ。大丈夫、愛してる。そうだよね、大丈夫だよね。私も愛してる、だから今みたいに辛くても嫌いにならないものね。喧嘩しても愛しているものね。今の醜い自分でも愛してくれてるんだものね。歯を食いしばって頑張ってもいいんだよね。有難う、と言うと私は手をつないだまま勤行をしているノリノリの横で少し眠った。ノリノリはペンキの仕上がりはとても気に入っているし、ゆーゆーは新しい広いスペースに興奮して走り回っている。まだ沢山することは残っているけれど、二人が喜んでくれるなら私はもっと強くなれるんだ。
October 15, 2005
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→→→続き→→→殴りこみに行こうとしたら、何とかするからもう一日待ってくれとこの件を担当したセールスマンに止められました。一日待って出た答えは「家の契約書にちゃんとお金が返してある」ということでした。よく見るとローン申し込み金と金利固定申込金という欄に手当てが入っていて、それを合わせると無くなった頭金の$1000になるようになっていました。しかし家の件と土地の件は全く関係がありません。特にアメリカは契約社会です。「紙の上」で証明されていないとそれが本当に返ってきたことになりません。しかも小切手は用途と宛先とは全く別なところに換金され、使われているのです。これは詐欺(fraud)に当たります。ローン会社にその手当ての金額は一体どこから来たのか?とイーメイルで問い合わせました。最初、彼らは「あなたが小切手を$1000、家のローンに切りましたよ。」と答えました。びっくりして「私はしてないけど証拠はあるの?」と聞きました。すると慌てて返事がきて、「いや、手違いであなたの違う小切手をこちらで換金しました。」と答えが来ました。契約書に記述されていないから、彼らでさえもなんでその手当てが来たのか知らないのです。この事実を受けて、私はその土地のセールスマンに「その$1000を『土地の頭金』と言うことでちゃんと返してくれないと嫌だ。その小切手は不当に扱われたのだし、家のローンの契約書にはそのことに一切触れていない。ローン会社はそれとは別に家の件で請求書を送るべきだ」と電話で言いました。彼はなぜか怒りました。「何を言ってるんだ。そんなことは意味がないじゃないか。お金は返されているのだからあきらめてくれ。」「何を言ってるの?証拠がないし、小切手は勝手に使われたんだから、別物にしてもらわないと私の気は晴れない。証拠がない。」そう主張はしましたが、結局私達の会話は平行線になり最後に「あのね、これは弁護士を雇えるんだよ、弁護士やとうからねっ!!!」と怒鳴って電話を切ってあげました。彼は逆上し「なんて子供じみた態度だ!!!」とイーメイルを送ってきました。正当な要求をしてると思うのになぜ彼がそんなに怒るのか、私こそよく分かりません。私は書類上の問題を追及しているのに、イーメイルには「計算もできないなんて・・・」と私のことを散々馬鹿にしました。(君ね、馬鹿にする人を間違っているよ・・・他の人はどうだか知らないけど、この私を相手にするのは・・・)彼の不動産会社に電話をして上司の名前を聞きました。この件に関して何が起こり、どうして私が$1000のお金を別の形で返して欲しいのか説明した手紙を書いて、上司にまずファックスをし、それからその手紙と証拠の数々を書留で送り付けました。それとはまた別にローン会社にイーメイルを書いて「あなたの会社がして小切手の換金は詐欺に関わりますので、この件を解決しなければ法的手段に持ち込みます。」と送りました。ローン会社の担当から慌てて電話が来ました。「どうして$1000返さなければいけないんだ?!だって返しただろ?!」「あのね、小切手を不当に換金したのは詐欺だって言うのは分かる?」「はい」「だからその小切手はその小切手として返さなきゃいけないのは分かる?」「はい」「契約書にも何の記述もないのも知ってる?」「はい」「土地のお金が返ってこないと、土地が買えなかったって言う証明にもならないことは分かる?」「はい」「だから土地の頭金がきちんとした形で返ってきて欲しいの。」「わかりました。じゃぁここらは一歩譲って、土地は買えませんでした、お金は移動されました、という手紙を書いたら満足してもらえますか?」ほんとはそこで嫌だ、と言ったら何の証拠も無くなるので法的手段に持っていけるのですがあんまり欲張ってもいけないと思い、「わかった、いいよ。それで。手紙には土地が買えないこと、お金が間違って移動されたこと、お金がどのように振り分けられたかということを全部記述するようにね。」と頼むと、「わかった。この手紙はすぐ書いて全部僕の上司に送るから、それで満足してくれるね?」と言われました。これで謝罪と経緯の手紙を受け取り、ローン会社が不当に私の小切手を扱った件は解決しました。ローン会社の担当者はきちんと自分の誤りを認めて、上司にも手紙を通してこのことを通達しました。私の気持ちはこれで納得しましたが、不動産会社のセールスマンはなんとまだしぶとく「私の要求は子供じみている!!!僕はこんなに君につくして働いたのに!!!」とイーメイルを私に送り続けました。これにはびっくりです。ということで私はもう一枚彼の上司に「頭金を無くし他のところに回した挙句、責任も取らず、イーメイルで客を罵倒して、この人は不動産業者として失格です。この件は州の不動産委員会に苦情しました。」と手紙を書き、イーメイルで送りまた書留で送りました。アメリカではそういう他人からの書類上での評価はその人の業績にとても影響します。州の不動産委員会に苦情は実際していないのですが、そのぐらいの強気な態度を見せると、皆が恐れます。セールスマンはどういう賭けをしたのか知りませんが、感情的なメイルを私に送れば買うと思ったのでしょうか。ノリノリは私達のメイルのやりとりを見て「痛々しいくらい、感情的な言い訳しかできないぐらい、責められてる・・・あぁみんみんを相手にするなんてあいつは運が悪いなぁ・・・。」と言いました。私は彼への最後のメイルには少し寛容になることに決めて、感謝の気持ちを綴りました。彼は今年の初めに買えなかった家の申し込みを担当してくれたセールスマンだったのです。今回買った家は彼からは買わなかったけれども、実はノリノリと私はThank you Cardとレストランのギフト券を買って全部解決したらそのセールスマンに送るつもりでその日を心待ちにしていました。その日はもう来ませんでした。
September 23, 2005
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家をとうとう買いました。土地は買えませんでした。土地に「買いたい!」と申し出た時にその申し込み用紙と共に頭金の小切手を提出しました。普通ならその申し込みが拒否された時点でその頭金は返ってきます。申し込みは拒否されたのに小切手は返ってきませんでした。その小切手はなぜか、家のローン会社に手渡され、現金化されました。なぜ家のローン会社に手渡されたのか分かりません。なぜローン会社が土地の不動産屋宛てに書いた小切手を現金化できたのかもわかりません。土地の不動産屋の傘下にあったローン会社だからでしょうか。しかし家の申し込みと土地の申し込みは全く別会社からなされていて、全くの別件であり関係ありません。お金はローン会社に渡りました。ローン会社は家のローンを組む時に手当てを出してくれました。でもその手当てはその小切手の金額よりも$650少ない金額でした。お金はどこに行ったのでしょうか。私は誰にお金を請求したらよいのでしょうか。ローン会社に請求しようと思っていましたが、よくよく考えてみると土地宛ての小切手を私に返すのは土地の不動産屋の責任です。ローン会社が取ったとしてもそれは土地の申し込みとは全く関係ないのです。土地の申し込みは受理されなかったのだから土地の不動産屋から払った頭金を返してくれと催促すべきだと思いました。だから来週、土地の不動産屋のオフィスに殴りこみに行きます。頭金が奪われてからもう半月以上経とうとしています。皆さん責任をたらい回しにしてくれていましたが、私はもう容赦しません。ほほほ。あぁ、なんでいつもこんな感じなんだろ。→→→続く→→→
September 17, 2005
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明日からハワイに行ってきます。お盆とゆーゆーの誕生日に合わせて日本の両親とハワイで落ち合うのです。ゆーゆーはこんな小さい頃から色々旅行ができてラッキーかな。すごく混んでるだろうけど、ホノルルとカウアイでゆっくりしてくるね。最近の出来事:*ゆーゆーの誕生日パーティーを先立ってフィラデルフィアでやりました。30人ほどの人が来てくれて、私の特技、料理で皆さんをおもてなししました。その前の数日間は計画表を立てて、毎日帰宅してから料理の下ごしらえをして、当日の朝のパーティーを迎えました。大変だったなぁ。でもゆーゆーはみんなの注目を浴びてはしゃぎにはしゃぎました。*うまくいくか分からないけど、今の自宅の近くに家を買うことになりました。ただ今手続き中です。予算より随分安い家を買うことになって、しかもこの値段でこんなうちの近くに家が買えるなんて、何かの縁なのかな。すごく不思議。バブルだとかインベストメントだとかそういう問題を一気に解決した感じ。*ゆーゆーは私の真似をして歯磨きしたり、入れ物のふたを閉めたり、形あわせのパズルができたり、ハイチェアに座って自らベルトを締めようとしたりするようになりました。電話で話す真似をしたり、スイッチを押すのが大好きでコードレス電話のスイッチをいつもオンオフして遊びます。太鼓を叩くのがすきです。後、飲み物やごはんを食べているとき、必ず私の口に持ってきてくれて飲ませたり食べさせたりしてくれます。ハーモニカもそうです。ハーモニカを見つけたらやってきて私の口にハーモニカを押し付けます。あががが。。弾いてあげるから押し付けないで~*家を買うとまずホームインスペクション。これはなんとか終わりました。何個か直さなければいけないところがあって、それは売り手に頼みました。あとはローンの契約。必要書類を揃えてミーティング。もしかしたら横の空き地を一緒に買うかもしれないので、しかも空き地はローンが組めなくて現金で購入しなければいけないのでちょっと特殊なケースでローンを組むことになりそう。*ハワイです。一週間。私もノリノリもこの時の為に何ヶ月も生きてきたようなものです。スノーケリングリングセットも新調しました。おまけに旅行・スノーケリング好きの両親の結婚30周年記念プレゼントで彼らのセットも買いました。色々調べた結果classi-subのマスクとスノーケルにしました。家計は火の車・・・*まだパッキングしてません。今日は徹夜だ~(汗)みなさんも楽しい夏休みをね~♪
August 12, 2005
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こんなに時間が経ちました。仕事を始め、グリーンカードに関する手続きやら、ゆーゆーの誕生日パーティーの計画やらが進んで、なかなか日記に書く元気がまわらない~。***自分にとっては深刻な産後鬱の症状を改善する為、少し薬を飲み始めたのね。そしたら眠いのなんのって、お話になりませんわ。本当に酷いと感じる鬱の症状って月に一週間ぐらいのような気がするのだけれど、その為に薬は毎日飲まなければいけないのね。その辛い一週間を耐えようと思えば耐えられるのかもしれないけれど、その間の私はもう役に立っていないのよ。言葉数も減って、明るい自分と鬱の自分が真っ二つに割れて必死で外で明るく振舞って、はっとした瞬間に明るかった自分は忘れて家に帰ったら寝込んでるのさ…。これじゃ、ノリノリやゆーゆーがかわいそうだよね。アメリカのお医者さんは結構簡単に薬を出してくれるもので、じゃ、これ試してね、と処方してもらった薬。ついでにパッチとかの避妊薬まで処方してもらっちゃったよ。いや、あんまりにも簡単にオファーしてくれるもんだから…。女の避妊薬ってなんか悪いことのような罪悪感があるんだけど、私も今月からそのワル(悪)の仲間入りだわ。いやいやいやいや、そんなことこの日記に書いてどうする?って感じだけど…。これこそでも、日記らしい日記かな。少しづつ薬漬けの頭を整理して何か書けたらなと思います。
July 27, 2005
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10ヶ月も終わりに近づき、いよいよ一歳を迎える日が近づいています。最近は周りの子供達に感化されて一生懸命歩こうとします。手をつないでいたら50mぐらいは一緒に歩けるかな。ただのファッション靴でなくて、できるだけ良い靴を買ったお陰でゆーゆーはますます張り切って歩く足を止めません!公園で遊ぶのは今日で二回目。前回と違って新しいデジカメが手元にあるのでその様子を写してみました。初体験の時より慣れて少し楽しんでいる様子。ぅお~うっ!なぜか舌を出すのが好きなゆーゆー滑り台をすべった後よじ登ろうとする勇敢なゆーゆーお!歩いたよ!はしゃいでる~!自分のページだから書くけど・・・やっぱりね、自分の子はかわいいね。耐えられないね。育てるとか時間を全て費やして尽くしたりとか一つの命の責任を全部しょって親にならなきゃいけないけれども、それでも一緒に過ごすのはかけがえの無い時間だなぁ。親が自分をそうやって育ててくれたことも思い出すし、同じものを与えてあげたい。あとこうやって何事も問題なく健康に生まれてきたことにも感謝したいし、それを無駄にしないようにしたい、な。*最近のゆーゆーの変化*言葉(日本語)が色々分かると評判。英語もつかんでいる。(これはベビーシッターさんが日本語で話し、他の家族が英語を話してゆーゆーを遊んでいるお陰)突然、粉ミルクを飲まなくなった。どうしよう。突然、食べ物を好きかどうか考えてから食べるようになった。これも困る。私が手を叩くと一緒に叩く私が楽器を演奏すると一緒に演奏する自分でパンとかクラッカーとか適当に食べる。楽。指差すのが得意人を観察するのが得意。親と一緒にいても他の人を眺めつづける。他の若い赤ちゃんにほおずりしたり手を握ったりしてあげる。不思議。他の子供にまぎれて遊べる。自分がベイビーだと思ってないらしい。+++アルバムindexにいく+++
July 10, 2005
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洋風ベジタリアン料理の基本と言えば、いかにその野菜を大きく豪華に見せておなかをふくらますか、ということでしょうか。日本ではおひたし、ひややっこなどなど色々ありますがいまいちメインコースとして大きく飾れる物がありません。今日は旦那に「じゃ、なす(でかい米ナス)買ってきて水につけといたから(アク抜きのため)なんかそれでつくってね~」と適当に切られたナスを渡されたのでしぶしぶ簡単で豪華に見えそうなアントレーを作ってみました。米ナスの特徴はでかいこと。数時間水につけてアクをしっかり抜かないと食べられませんが、大きいことを活かしてダイナミックにアントレーにしたいですね。***ライト・エッグプラントパルメザン米ナス 大きくざく切りオリーブオイル沢山にんにく 数欠片 スライス塩・胡椒パセリ (飾り)パルメザンチーズレモン または トマトソース(時間がある人はこれがあるともう少しオリジナルに近づく)1.ナスは切ってあく抜きをしておく2.ナスは水気を切ってペーパータオルなどで拭き、裏の皮のところに数箇所切れ目を入れる。それから軽く塩コショウしてなでる。にんにくはスライスしておく。3.鍋にたっぷりオリーブオイルを入れてナスを一つずつ揚げる。4.揚げあがったナスにすごく薄く塩をぱらぱら落としておく。(これやるともう少しナスの味がでるよ)5.ナスの全てが揚げ終わりそうになったらスライスしたにんにくを一緒に揚げる。6.あれば温めたトマトソースを皿に敷く。その上に揚げたナスを並べる。にんにくのスライスをかける。パルメザンチーズをかける。上にパセリを飾る。7.トマトソースが無い場合はレモンをかけていただくとよりさっぱりする。****ほんとのエッグプラントパルメザンは茄子に衣をつけてモッツァレラチーズと一緒にカツみたいに揚げてトマトソースをかけて食べる料理です。すんごい油とカロリーなので、(しかも衣なんてやってたら時間がかかってしょうがない)のでナスは巣揚げ。ただの揚げナスじゃ~ん、って?え?そうです。ただなんとなく・・・折角作ったし・・・写真だけ載せるのも難だし・・・ごめ~ん!
July 9, 2005
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→→→グリーンカード当選手続きのまとめ<1>からの続き→→→---7/5/2005June 29, 2005に書かれた手紙がKCCから到着した。日本で面接するか、こちらで面接するかを迷っていた申し込み用紙を記入した5月の頭、悩んだ末こちらで面接する、とその用紙に記入したのだが(そして色々恐ろしい情報を読んでやっぱり日本で受けようかなと迷い始めたのだが)、手紙の内容は「ローカルで受けることにして頂いてありがとうございます。それではあなたのケースはローカルオフィスに回しますので手続きはそちらで進めてください。しかしお金($375)をこちらに送って下さい。ローカルで面接を受けるということなのでKCC(移民局)が管轄するあなたのケースはこの時点で完了しローカルの移民局に完全移行します。」との内容だった。注:去年までは手続き代として$100送れと言っていたらしいが今年から$375になった。これはUSCISに払うお金で、他にもプロセスに関してお金がかかることになる。ローカルでやると時間がかかるのは間違いない。が、国に帰って面接を受けるのであれば、ケースナンバーがアクティブになった月に面接を受けなければならないらしい。私のナンバーがアクティブになるのは10月である。しかーし!今年の10月は日本に帰る暇など全く無いくらい私の仕事は忙しいのだ!(涙)この手紙も受け取ったことだし、本当は日本で面接するように変えようかなと思っていたのだけれどもしぶしぶローカルで面接の道を行くことに決めた。手紙が来た、ということは申し込み用紙が了承された、ということだからそれは良かった。うん。---7/6/05インターネットでUSCIS.govに接続、infopassという予約システムで予約を作る。最初の予約は7/21/05になる。注:他のサイトでDV2005に当選して同じ手続きをした人が「移民局に行ってもグリーンカード当選+ローカル面接の仕組みを知っている人が沢山いないので聞いても満足した答えを得られず辛い思いをするかもしれないが、しぶとく通ってアピールするように」とアドバイスをくれた。が~ん。まぁ、この国ってのはそういう場所なんだがね…---7/7/05病院に初診の予約を入れる。なんせ病院に行かないものでね…予防接種抗体検査をする為には初診が不可欠なので。は~。そのときにリクエストしたらできるかも?と電話口で言われる。だといいけど。予約日は7/18/05。とにかく10月になって直ぐ申し込めるように。まだ余裕があるからなんとかなるかもしれない。これが終わったらこちらで健康診断だ。→→→近況はそのうち続く→→→
July 8, 2005
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ペンシルバニア州と言えばかのハーシーチョコレートの本工場があることで有名です。フィラデルフィアのインディペンデンスデー(独立記念日)にはエルトン・ジョンが来たのですがあまり興味がなかったのでその休日、車で2時間ぐらいかけてハーシーに遊びに行きました。ハーシー一帯を見渡した風景。遊園地、巨大コンサートホール、工場などがあります。他にもハーシーホテル、ハーシーガーデン、ハーシー設立の学校、動物園もあります。行ってきたのはチョコレートワールド。入り口。横を見ると「キットカットカフェ」。う~ん、ナイス。中の乗り物を待っているときに建物内のネオンの明かりを見て興奮するゆーゆー。乗り物にのってハーシーチョコレートができるまでを見る。チョコレートをケースに詰める練習をするコーナーで帽子を貰う。遊園地には今回行かず、ハーシーガーデンへ行く。キスチョコ型の噴水。う~ん、スウィート!(英語でかっこいいって意味でもあるよ)こんな庭もありました。あとは日本庭園もありましたが池が恐ろしく汚くて廃れていました。ここを見学した後、ちょっと離れた場所にあるホテルでゆーゆーを初プールに入れて遊んだ後、リラックスして帰ってきました。+++アルバムindexにいく+++
July 7, 2005
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本日、話題で持ちきりのLIVE8に行ってきました。インディペンデンスデーの直前ということもあり、アメリカ建国の地フィラデルフィアは特に盛り上がりを見せています。この街のお祭りの雰囲気が少しでも伝わればと思い写真を撮ってきました。ベンジャミン・フランクリン・パークウェイのほぼスタート地点、ローガンサークルから既に溢れている人々。この場所ほぼ一帯にある街の道路全てが閉鎖され、碁盤の目の道全てが人々で埋まっています。横のテントは出店。ホットドックとかレモネードが売ってます。パークウェイ沿いにあるロダンミュージアム。考える人の銅像があります。この辺のわき道で一休み。取り合えず歩かせてもらったゆーゆー。脇道を見れば・・・なんと熱さを癒す為の水のシャワーまで稼動してました。あそこのミュージアムの前がステージです。とてもそこまで行けません。ゆーゆーは日に当たって疲れ果てる。後ろを振り返ると・・・まだ工事中のシティーホール。と、人々。テレビでも中継されましたが、ステージが見えなくてもその場で音を聞く雰囲気はやっぱり最高!コマーシャルや余計な司会者とか見なくて言い分、迫力が違いました。夏はこうでなくちゃね!!!+++アルバムindexにいく+++
July 3, 2005
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昨日ノリノリにたったの10ピースの解凍されたエビを「晩御飯にしてね☆」と渡されて、帰宅中に「これならできるかも?」と思い出した料理。簡単にすばやく、少ないエビで最大限おいしくおなか一杯になれます~。手早なShrimp Scampiエビ 大き目のを一人4-6個。殻は剥く。にんにく 好きに切ればいいが、摩り下ろした方がより風味が出てこの料理には最適パセリ 適当なハーブを。食べやすく見た目よく切るかちぎるか唐辛子 少々小麦粉・パン粉(あれば)少量オリーブオイル塩・胡椒 少々酒(ワインなど) 適当パルメザンチーズ 適量リングイ二(なければ普通のパスタでも良いが、これかエンジェルヘアぐらいがこの料理には最適)1.パスタ用のお湯を沸かし始める。2.エビを軽く塩・胡椒する。にんにくを摩り下ろす。パセリを切っておく。別皿に小麦粉を軽く入れる。3.お湯が沸いたら塩を入れ、パスタをゆではじめる。(エンジェルヘアを使うならもう少し後からゆで始めても良い)4.別のなべに気持ち多めのオリーブオイルを熱する。5.熱している間に、エビに薄く小麦粉をつけてさっとなべにいれて熱を入れる。パン粉もこのときに少し入れて一緒に色をつける。(パン粉を足すとえびに付くのでがえびが少し大きく見えるかもしれない。)両側にこげ色がついたらえびは一回お皿にあげる。えびはあまり熱を入れると固く小さくなるので、色がついたらすぐあげるぐらいの速さであげてしまってよい。6.えびを出したなべに直ぐにんにくを入れ少し色がつくまで待ち、それからお酒、唐辛子を入れて、少し煮立てる。(ここで少し塩やしょうゆを足してもよいが、えびに塩があるためあまり入れるとしょっぱくなるので気をつけて)7.このころパスタが程よく茹で上がっているので、少しチェックをしてからなべからあげる。8.あげたら水を切り過ぎない程度にして、にんにくなどが入ってるなべに入れて絡める。9.パスタにオイルが絡まったら火から下ろし、お皿に盛る。10.エビを上に綺麗に並べ、真ん中にパセリを飾る。11.最後にパルメザンチーズを思う存分振ってできあがり。というわけで、昨日うちでは一人5ピースずつ、エビがScampiに乗っかりました。オイル・にんにくたっぷりで夏っぽくて良いかも。
June 30, 2005
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最近発売された注目の商品、Coke Zero。カロリーゼロというのが売り。ついでにその2週間前にDiet Coke with Splendiaと言うものも発売されました。これもカロリーゼロ。Splendiaは最近開発されて人気大爆発の甘味料。ピンクの袋Sweeten' Low、ブルーの袋Equelと別にして黄色い袋が目印です。何でも砂糖が成分でできているということで、安全性が高い?と思われ(私も信じてるが…)アメリカの殆どのカフェにおいてあるくらい主流の甘味料となりました。さてさて上の二つの商品とは別にカロリーゼロの元祖Diet Cokeもアメリカのマーケットでは健在です。全部カロリーゼロなのに何がそんなに違うのか、と言うと実は名前だけ、ということなのです。一応、成分の甘味料の割合がちょっと違いますが、Splendia入りのコーラでさえも100%Splendiaで味付けされているわけでもなく、Aspartameが入っているのです。これで味の違いが分かるとするなら(一生懸命飲めば分かるだろうが)素晴らしいことですが、基本的には満足感としてあまり変化が起こるわけではなさそうです。ではなぜほぼ同じ成分なのに、名前の違うものを大規模に売り出し始めたのか?というと、アメリカには沢山の肥満の方がいますが、太っている男性の方になると"Diet"とついた銘柄を選ぶことを嫌う人が特に沢山います。その方達が選びやすいように"Zero"を作ってみた、ということだそうですが結局Zeroを選んだところでカロリーゼロを選んでいるのは明瞭ですからそれがどれだけ意味があるのか分かりません。新製品を出せば、お店にコーラが置かれる列もその分増えるわけで・・・。そんなに種類を出しても売れるくらいコーラは需要があるのでしょうか。コーラマニアの人の感想を知りたいなぁ。この種類の多さに意味があるのかどうか。---現在のコーラの種類---Diet CokeCaffeine Free Diet CokeDiet Coke with LimeDiet Coke with LemonDiet Cherry CokeDiet Vanilla CokeDiet Coke with SplendaCoca-Cola ZeroCoca-Cola C2Coca-Cola ClassicCoca-Cola with LimeCherry CokeVanilla CokeCaffeine Free Coca-Cola Classicう~ん、すごい種類。***ちなみにDiet Cokeはカロリーがゼロなだけで飲んでも痩せるわけではありません。
June 28, 2005
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ページを更新せずに現実逃避が始まった今日この頃・・・。週末の一日目が終わろうとしている今。朝から3人で物件を見に行って、終わったらウインドーショッピングして、昼ご飯を抜いてスタバのフラプチーノなんかで済ませちゃって、家に帰ったらゆーゆーが昼寝しちゃって、一緒に休んだ旦那をしばらくしてから起こして出勤させて、晩御飯作って、起きたゆーゆーに食べさせて、一緒に遊んで、外に連れ出して、公園でブランコしたり滑り台させたりしてみて、そのまま散歩がてらにターゲット(ウォールマートみたいな何でも屋)に行ってゆーゆーの希望どおりにベビーカーに乗せたり降ろしたり抱いたりして、家に帰ってまたちょっと食事させて、シャワーついでに水を溜めて水遊びさせてあげて、終わったら寝巻きに着替えさせて、ミルクをあげて、一緒にごろごろベットで寝るまで遊んで、寝たからベビーベットに移動させてあげた。これで夜の11時になった。平日は仕事が終わると駐車場に車を取りに行って、ベビーシッターさんのとこに30分かけてゆーゆーを取りに行って、着いたらちょっと話して、また30分かけて自宅に戻って、ゆーゆーを遊ばせて、晩御飯慌てて作って簡単に食べて、ゆーゆーと一緒に少しぼーっとして、シャワーがてらにお風呂で遊ばせて、寝巻きを着せて、ミルクをあげて、取り合えずベビーベッドで寝かせてから、晩御飯の食器の片付けをして、必要ならゆーゆーのお弁当の準備をして、旦那を職場に車で迎えに行って、帰ってきて、晩御飯に付き合う。これで夜の11時半。私の自由な時間はそれから。夜の1時には眠たいし。自由な時間はノリノリと話して過ごすか、オンラインゲームなんかしてみちゃったりして現実逃避をしてる。ぼーっと何にも考えないでただひたすら意味も無いゲームをするの。空き時間に何か書く創作意欲が湧かないよ~!
June 26, 2005
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後姿ばかりですが、いたずらぼ~や、10ヶ月のゆーゆーの成長をご披露致します。こんな感じで階段やテーブルをずかずか登るようになりました。(汗)クッションの上に乗る技を覚えました。(一応クッションは電話代の裏のコンセントを隠す役割をしているのだった)でもしっかり電話をゲットするゆーゆー。太鼓の中を覗き込むゆーゆー。柵によじ登って開こうとするゆーゆー。ヒップホップのビデオを見て、音楽に合わせて腰を低く踊るゆーゆー。立ってるでしょ?かえるが美味い!+++アルバムindexにいく+++
June 24, 2005
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グリーンカード抽選プログラム「DV2006」に申し込んだところ、私の名前で当選通知が来ました。まだ取得はしていませんが必要な情報を順を追って、これから当選する方々のためにまとめて見ようと思います。<2005年7月5日現在>---DV2006は2004年11月から2005年1月7日まで申し込み受付だった。オンラインのみの受付で、デジカメで写真を添付しなければならない。*注意 締切日に登録しようとするとアクセスが集中して接続できない、応募が終わらない可能性があるので(去年はそれで大変だった)必ず、締切日前に余裕を持って終わらせておくこと。*写真はサイズチェックがウェブサイトについているのでそれに従うこと。*不法滞在をしている人は当たっても貰えない上に、もし目に付けば国外退去などさせられる場合があるので応募すべきでない。*出生国によって応募資格がある、ない、がある。今年は韓国・フィリピンなど含まれなかった。*高卒以上か、2年以上の職務経験がないと応募できない。---5月3日に当選通知届く。今年は5月から7月までに当選通知が送付される予定であるので第一群で当選したといえる。*注意 当選する時期は重要である。ケースナンバー(case number)が当選した人に割り当てられるが、そのナンバーが早ければ早いほど確実に取得できる。---5月5日にDSP-122などの書類をKCCに返送。配偶者の分も含めて書類一式、指定されたサイズの写真を含めて送る。*弁護士に頼めるが、英語ができるなら自分でできる。分からない項目は人と相談した方が良いが、とにかくできるものはできる。***ケースナンバー***申請手続きは今年の10月から開始である。が、書類を出した全員が10月から手続きを開始できるわけでない。ケースナンバー順である。最初の月、10月に手続きが開始できるのはケースナンバー00000000番から00005000番まで、つまり5000番までである。同じように順を追って、5000から10000までが11月に手続き開始、となっていく。従ってあまりにも番号が遅いと(例えば00055000番以降とか)手続きが来年(2007)の8月以降に開始されるかもしれないため、既に当選分のグリーンカードが無くなっている可能性がある。おまけに2007年9月30日にはDV2006分の手続きは締め切られる。(ケースナンバーが何番まで出ているのかは疑問。)-ちなみに私の番号は1000番台だった。Yes!-***手続きは2通り***ひとつはアメリカ国外のアメリカ大使館で面接を受ける方法。もうひとつはアメリカ国内でAOS(Adjustment of Status)を申請して受け取る方法。<結論>調べた結果、国外のアメリカ大使館で面接を受けてもらう方がより確実である場合が多い。幾らアメリカ国内に住んでいてもこちらを選んだ方が確実である場合が多い。なぜなら、面接をしたら渡米して1ヵ月後にはアメリカ国内の滞在先にカードが届く仕組みになっているからだ。しかしAOSを申請した場合、その場でグリーンカードを発給されるわけでない。AOSというのはグリーンカードを取得する一歩手前のプロセスで、通常、このプロセスから実際カードが手に入るまで1年などかかったりすると言う。と、いうのはAOSはグリーンカード当選者だけでなく、「アメリカ人と結婚した人」「レイバーサティフィケートを取得したグリーンカード申請途中者」なども主に使うプロセスなのだ。AOSを頼むと間違いなくこちらとごっちゃにされる可能性がある。それで実際カードが届くまでとても時間がかかる。付け加えてAOSが受理されるまでは特別にお金と書類を申請しないと国外にもでれないらしい。---アメリカ国外のアメリカ大使館で面接を受ける方法---この場合は当選通知に入っていた書類をできるだけ早くKCC(移民局)に送り返すこと。今年の申請料金は一人375ドル。これは面接の時に持参するようにと説明書に書いてある。---アメリカ国内でAOS(Adjustment of Status)を申請して受け取る方法---この場合はまずKCCに連絡する。自分がそれができるかどうか確かめる。(出生国によってできない人もいる。)それから地元のUSCISにインターネットでアポイントメントを作り、申請方法の説明を受ける。AOSができると認定されらお金375ドルをKCCに送るらしい。送るとレシートが来てそれをローカルのUSCISに申し込む時に証拠として提出するらしい。情報によると、この場合I-485というフォームを使いAOSを申請することになる。これは「アメリカ人と結婚した人」が使う用紙と全く同じ。他にももろもろの書類一式を提出するが、これは先に説明したが、自分のケースナンバーがアクティブにならないとできない。誰もが今年の10月から申し込みできるわけではない。***必要書類について***当選通知に一式の説明があるが面接時までに出生証明書婚姻証明書卒業証明書・または職場からの雇用証明財産証明(銀行残高証明書など)あるならアメリカで納税している証拠(給料明細書など)警察証明書を用意する必要がある。以下訳がよくわからんが離婚しているなら離婚証明書(?)離婚して配偶者抜きで子供を申請したい場合などに要るのかな?軍隊に入ったなら従軍証明書(?)難民なら国外退去証明書(?)などなどそういうものもあるなら出す。離婚ぐらいならあるかもしれないがそれ以外は日本人にはあまり必要なさそう。***健康診断書***USCIS指定のCivil Surgeonで健康診断を受けなければならない。健康保険は利かない。相場は一人200ドル。予防接種歴を持参しなければならない。日本語でも良し。予防接種が足りないと、その場で受けることも可能である。この場合予防接種一本(?)相場は120ドルほどである。6月27日に見つけた情報によると、日本で面接する場合大使館指定の病院で検査を受けなければならず、アメリカのUSCIS指定のCivil Surgeonではできないという情報を見つけました。後日問い合わせる予定です。***電話・イーメイルで質問を受け付けている!***KCCの電話受付は平日7時半から4時まで。イーメイルには必ずケースナンバー、名前、誕生日を入れること。意外に気軽にできるようなので、お金を送ってレシートなど来なかったら積極的に問い合わせること。一回メイルを送るとオートリスポンスで回答されるのでそれに従ってタイトルを決めて、送りなおすこと。イーメイルを送るときは自分の誕生日、どんなサイズでも良いから自分の写真をつけること。(当選者であることの証明として)------------以上、現在までのまとめです。進展があったらまた続きを記録していこうと思います。→→→グリーンカード当選手続きの続き→→→
June 23, 2005
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なんとなくですが、ゆーゆーの勇ましいガッツポーズの立ち姿を激写しましたのでお披露目致します。後、随分と暑くなってきたのでおととい髪を切りました。最新のゆーゆーです!立った、立った、いえ~い!(最近は30秒ぐらい床の上でも立てます)鏡の前で必死で拍手して遊ぶゆーゆー。夏の髪型になりました!電話に向かって話すのが好き。遊んだり、話したり・・・+++アルバムindexにいく+++
June 9, 2005
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フィラデルフィア郊外、West Chesterの辺りにあるそれなりに有名な公園、Longwood Gardensに行きました。今でも健在のDu Pont(デュポン)という会社の創始者が以前所有していた庭です。大きくて綺麗なLandscape、内庭、温室まである見事な豪華っぷり。メインテナンスが大変そうです。もちろん、おかげで入場料も結構するのですが・・・、ま、たまにはいいでしょう、と思って先週の祝日にそこで一日を過ごしました。ここは韓国人の間で随分と名所になっているようで大量の韓国人観光客がいました。この庭の中では食べ物持込禁止で何も食べてはいけないのですが、庭の外に設けてあるピクニックエリアでは食べていいことになっているので、韓国人の方々はグループそれぞれ、焼肉をしていました。関係ないけどいいにおいだったなぁ。そんなわけで公園には半分くらいアジア人が歩いていたような気がする・・・ここの庭名物の噴水。とても広いのですよ。ベビーカーをせっせと押してます。あ~つ~い~蓮の花もいろいろな種類があって綺麗でした。内庭で見つけた不思議な形の花。綺麗なハイビスカス!池を見つけました。人々がそこの魚にえさをやってます。風流~!が・・・そこで見つけた魚は・・・な、な、な、なまず!!!えさが池に投げ込まれて集ると・・・ぎょえ~~~!アメリカではなまず(catfish)を食べるから、こりゃ間違えなく園内のレストランで料理されてる気がする!庭は綺麗だけどこういう水辺の風情の観念ってないんだな~(汗)鯉が見たかった~ここは当然、親ばか気分で子供用の椅子にゆーゆーを座らせてみました。その日帰り際に韓国系マーケットに寄って焼肉の材料を沢山買って、ノリノリと私は晩御飯に焼肉を食べました。休みだもん、たまには、ね!みなさんもフィラデルフィアに来た際は是非、立ち寄ってみて下さいね。焼肉食べたくなりますよ~(違うって)+++アルバムindexにいく+++
June 8, 2005
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