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densuke369 @ Re:同様の事件・子供の「仲良し」同士に要注意!(06/20) これが、真相かもしれないですよ。でも作…
alex99 @ Re:悲しい母の日(05/14) う~~ん。 日本人の男性とか、アメリ…
July 23, 2004
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ピザをばくばく食べて粗方の雑談が終わるとボスのアレンが「では、この場を代表して一言・・・」と話し始めた。「M(私)は小さな仕事も大きな仕事もいつでも上手に総括してくれて、本当に頼りになる職員として働いてくれていました。本当にありがとう。そして人間としても素晴らしいパーソナリティーを持っていてうちの財団でもまれな人物です。どうぞ健康なベイビーを産んでください。」とべた褒めした。(仕事してないところを上手くごまかしてるだけなんだけど・・・ははは)と内心こっそり思ったが、今までに聞いたことのないくらい立派な誉め言葉にちょっと動揺してそわそわしてしまった。日本人の私はこんな公の場で誉められるのに全く慣れない。とにかく、ありがとう、と返したが私もここまで言ってもらったら何かこの場で言わないと、と必死で「この職場で働いてもう約4年にもなります。周りの皆に『いい職場なんだからありがたく働きなさい』と言われて本当にありがたく働いてきました。本当にありがとうございます。ベイビーが産まれたら戻ってこないんではないか、と心配されていますが必ず戻ってきます・・・」とかそんなことを語って一息ついた。一応そこで「誉められっぱなし」にならないで公の場できちんと言い返せるようになったのも、ここでずっと働いてきて英語に慣れた成果なのかもしれない。もちろん、大した事はしゃべれないけれども・・・。っていうか、その前に、自分で開いた自分の為のパーティーって今まで一杯したけれど、アメリカ人が開いてくれた自分の為のパーティーってアメリカに来て初めてではないだろうか。

***

アメリカに来て最初の数年自分が周りの人に「大切な人」の一人として認められる自信が全くなかった。

とりわけ学生時代最初のアメリカ人の友達にお金を取られたり、次に仲良くなった台湾人の女の子にクレジットカードを使われたりして随分人間不信だった。日本人の学生でも沢山常識はずれの人々に出会って、何でこんな人々にしか出会えないんだろう?としょげていた。超距離恋愛をしていた当時の彼氏から毎日5回以上電話がかかってきて、大好きな人だったけれども、出かけて電話が取れない度に散々浮気の疑いをかけられて次第に自分のアパートに引きこもるようになり、アメリカ人や他の新しい人間関係を作るのも嫌になってきてひたすら勉強とプレステで遊ぶのみだったりした。それは日本で沢山友達がいた私からは考えられない生活だった。だから学生時代はとにかく卒業の事だけを考えて、「アメリカ生活の経験」とやらをほぼ諦めた。

そうやって大学を卒業すると、諦めたまま日本にすごすご帰る気にはならなかったので今度こそ頑張ろう、と決めた。長距離恋愛の彼氏と結婚したいとずっと思っていたし現に彼は「もう帰ってきなよー!」と言っていたのだが私は彼を取れなかった。結婚して幸せになる、とそれだけで満足できる人間ではもともとないのだ。短大の時に出会ったカナダ人の先生に「日本の女の子は『大和撫子』として考える翼を全部もぎ取って育てられるんだ。Mはそういう女性になる必要はないよ。」と言われたことがある。私は女子高でお裁縫だの一流大学受験だの女性らしさだのを散々言われて結局女子短大に入ったが、そこにいた教授軍はかなりのフェミニスト達で「女性とはどういうものでいたらいいのか」ということを随分考えさせられた。そしてそのカナダ人の先生の言葉はやけに新鮮に響いた。周りで勝手に作られた「女性らしさ」を追求するより「自分らしさ」をいつでも求めていた私はその考え方が合っていたし、人々に「女のくせに・・・」などと自分のする事にこそこそ言われても気にしなくなった。そんなバックグラウンドがなおさら、「私の人生、結婚ではないわーっ、黙っててくれぃ!」とアメリカに残る事に執着させたのだった。

就業ビザを手に入れてアルバイトを始めてから私のアメリカ生活は一転した。仕事をすると職場の一人一人と向き合うことになって、学校のときのようにクラスに来てハイ、さよなら、と言うわけにはいかないわけで自分を一人一人にアピールする機会が増えた。仲間の一員として一緒に遊んだり、話したり、たまには個人的なことを話したり、と日本で自分がしてきたような人に囲まれた生活を始めた。しかし私の見かけやもともと植え付けられた『大和撫子』風な日本女性的態度は・・・結構アメリカでも大変な苦労を招いたりした気がする。いやと言えず、文句も言わないでにっこり微笑み、屈辱を受けても取り合えず黙って受け止めて、ばかにされても相手を立ててしまう私・・・。本当は心の奥で「このやろっ、やだって言ってんだろー!」とか思っているのにはっきりと言えず、ついつい穏やかに相手の気持ちを考えてやんわり伝えようとする私・・・。日本ではそんな態度でも充分自分の身を守れていたけれども、アメリカでそんなやんわりした態度では相手に揚げ足を取られて利用されるのが落ちだ。だから粗方友達っぽい友達ができたとしても、結局相手が自分をどれだけ分かっているのか分からなくて人を信用しきれなかったりする。そして控えめさを一切持たないアメリカ人達に自分が振り回される。

今の職場はそんな私を理解してくれる、同じように控えめな人々であったり、はっきり言わなければならないところははっきり言わせてくれる、ありがたい職場だ。『大和撫子』風の雰囲気も兼ね備えた「自分らしさ」を思いっきり発揮する事ができて今まで以上に自分をアピールしてきた。私を受け止めてくれた職場は私に日本人としての自信を沢山与えてくれて、その自信がつけばつくほど自分の周りに集まってくる友人達もがらっと変わり、そしてまた、今までの友人にも今まで以上に自分を理解してもらえるようになったと思う。少しづつ培ってきたアメリカでの生活経験、そして見失わなかった日本人としての自分らしさが職場の人々との距離を縮めたんだと信じている。パーティーを開いてくれて、ありがとう。

その日は帰り際に皆とハグをした。ジェーンは目をうるうるさせていたけれども、USAママだもの、ゆーゆーが産まれる日には病院に必ず来てくれると約束している。自身の子供を産んだことの無い彼女には特別一緒にこの大事な時を経験してもらいたいと思う。超音波検査に一緒に行くのでさえもとても楽しんでくれているのだから・・・。うちの両親の為にもジェーンの為にもいいお産がしたいと思う。

ところで、見かけや態度だけ『大和撫子』な私を奥さんにしたノリノリは、私が実際そうでないことを分かっていても大変な苦労をしているかもしれない。夫婦別姓、共働き奨励、妊婦であってもあっちこっちに出たがるし、家事も分担、お互い支えあいながらもちゃっかりノリノリを手のひらで転がして甘えている。旦那の大事な宗教にいちゃもんをつけて納得のいくまで一杯議論をして、あぁ、そうだった、ヘビーメタルを聞きすぎてすっかりはめさせてしまったり、シックスフラッグス(こちらでポピュラーな遊園地)で地上XXmの高さのクレーンに吊り下げたりしてしまった。まぁ、それは一緒に楽しんでしまったのだから、お互いの共通の趣味、みたいな感じってことでいいということにしちゃおうか。



この日記は んでる

の企画に便乗して書かれました。





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Last updated  July 23, 2004 01:23:29 PM
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