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alex99 @ Re:悲しい母の日(05/14) う~~ん。 日本人の男性とか、アメリ…
February 6, 2007
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もっとお経を唱えるように、と私はノリノリに言うことにした。学会嫌いの私がこれを言うのは度肝を抜くだろうが、何度も言うけれどもお経自体は反対ではないのだ、きちんとやることをやれば。

クシィで今の問題についてさらに細かく近い友達に語っていた。持つべきものは友達、というのは本当のことで皆が心配し励ましてくれコメントやメイルを貰 い、皆それぞれの意見を伝えてくれた。友達にももちろんノリノリと同じ学会員の人もいるし、皆それぞれ一生懸命信心をすること、頑張ると言うことについて 考えていて、どれを読んでもその一つ一つに大きな意味があって、一生懸命自分で考えていたつもりでももっと奥深い考え方対処の仕方もあり、ここ数日私の頭 はフル回転でノリノリと、自分とそしてこれからについて考えていた。

先の日記で「自分について」ということをノリノリにもっと考えてもらうことにしたのだが、そういえば、お経を唱えると言う行動の意味の一つに「自分を開く」というのがあったことを思い出した。

***

は弱い自分をずっと鍛えてきた。泣き虫で人前で意見も言えなかったような小学生時代。自分の生きる意味について悩み続けた中学時代。将来について、将来の 意味についてそして自分の理想について考え続けた高校時代。その頃だろうか、私の中で「理想」が生まれたら私は必ず紙に書いて、毎日自分の頭の中に「理想」を思い起こさせていた。

自分の行動で反省したところがあるとそれを手帳の一ページの箇条書きに足して「今度 XX の場面があった時、 XX をしてあげる」「今後一切 XX という言葉を使わない」「ビックになる!」(笑)「難しい顔ばかりしない」今思うとかわいいが、そんなことだ。この頃は「楽 しいことだけ日記」というのを不定期でつけていて、もちろんその時の悩みや苦しいことはぶちまけたりしたけれど基本的に楽しかったことしか書かない、そし て楽しいことは忘れやすいから覚えておく為に残したい、とそんな意味もあって楽しいことだけ書いていた時代があった。

長女だったので親から も厳しく当てられることも沢山あり、その度部屋にこもって音楽を大音量にかけて歌を歌った。あまりにも怒りが抑えきれないと物を投げて沢山壊した。妹弟と 喧嘩をすれば、親に叩かれてきたのと同じように相手を叩いた。今思い起こせば、有り余る怒りとストレスをがむしゃらになって吐き出していた。でもそれもそのうち「自分の弱さ」と思うようになって治したい、治したい、と毎回気をつけていくうちに違う形で抜くことができるようになった。

アメリカ に来てから友達関係などであまりにも悲しいことが続いて、私は弱い自分を断ち切る為に完全な自己改革を行なった。その時は自分が辛い立場であるというのに 人々から沢山の電話や相談事が来ていたので、治したいところは必ず一日数十回は手にする電話の周りに、紙に書いて張った。悲しいことがあると大好きなメタ ルをかけて、電話の周りを眺めて紙に書いてあることを何度も復唱した。

また別のアパートに引っ越すと、電話の量は減ったけれども人間関係に どうしても断ち切れない弱さに耐えられなくて、ベッドで寝た時の目線の天井に「人を絶対信用しない」という悲しい張り紙もした。あの頃の私は仲良くなった 人誰でもに自分のことをぺらぺら話して、その人は自分と仲がいいんだ、と思い込んでいた。後で考えると表現の仕方は本心と違っているのだがどういうことか というと、自分では「この人とはこれだけ話したし、友達なんだ」と思って自分のベストを尽くしても相手は別にそれ以上の恩も喜びも何も感じてない、という こと。無差別な熱い人間関係は誰とでも存在するわけでなく、自分と相手にとって本当に必要ならば生ずる、ということ。自分がこの原理について理解していな いと、出会いがある度に傷つくのだ。

頭をリフレッシュする為に音楽を聴いて目をつぶる。天井の言葉を頭にまた焼き付けて音楽に浸る。そ してまた就職など自分を取り巻いている色々な問題について考え、音楽を聴きながら「あ、あれやってみよう」「こういうのはどうかな?」と思い起こす。そし てまた新しい朝が来る。

 ***

メイルをくれた友達が「具体的に祈る」と言うことについて書いてくれた。 あっ、と思った。私は自分の頭のリフレッシュにはきちんと時間をかける。毎日楽しく、そして一日あったことを整理するのに必要な時間だ。そして音楽と歌は私に強いやる気をくれる。終わったらさわやかな気持ちになって、今日も頑張った、と思えるのだ。そして明日も頑張ろうと。

ノリノリのお経の時間が無駄に見えていたのは、彼が信念をもってお経をしていないんだ、ということに気付いた。一応「題目ノート」と言うのを彼も持っていて以前見せて貰ったりしたことはあったが大体他の人の幸せについて書いてあって、自分の幸せや自分のことについて具体的に一個も書いていなかったことを覚えている。今はきっと就職についてぐらいは書いてあるのだろうが、就職っていうのは頑張ったことの結果であってそうじゃなくて、彼に必要なのは見つめなおした自分と自分の弱さを具体的に克服することなのだ。だから、もし彼が自分の中の「 XX を治す」「もう XX とは言わない、思わない」「就職できる為に XX する」とかそういうことなんじゃないのかな、と思った。もし具体的に物事を決めていったら、お経をあげてやる気が出た時に必ず何倍もそれに対して近づくことができる。それは私が歌と音楽でしてきたことと全く一緒なのだ。

お願い事をしているお経に興味はない、でも自分の前進を願う為の集中力を高めるお経なら幾らでもやって欲しい。その結果ノリノリが生き生きと頑張れれば私にも元気を与えてくれるし、毎日が楽しくなるのではないかな。


そう思って自分のことを見つめなおしたノリノリに自分の意見を述べてみた。既に自分のことを一生懸命考えたノリノリは就職先も決めて、それに対する挑戦するぞ!という意欲で一杯であったが、私の意見を聞いてさらにやる気が沸いてきたようでお経にも元気が伴っていた。今まで何回も同じことを言ってきたし励ましてきたけれど、「自分」っていうものに対する意識を高めた分「自分の高め方」について話し合ったとき彼の頭にきちんと知識として入っていったようにも見える。昨日・今日見た彼は自信に満ち溢れていて、昨日は同じような問題を持つ T さんのところに自分と照らし合わせて話をしに行き(今までは一緒に会っても「なんとかなりますように」的な取りあえずお経ばかりあげていた彼らだった)今日の朝は張り切って新しい仕事に向かっていった。

挫折をしてもいい、自分を見失わないで、と会社のデスクで目をつぶると私は自分の中でノリノリに気持ちを送る。新しい仕事はきっと辛い。もしかしたら考え直した方が結果的に良くなるかもしれない。家に帰ってまた彼と会った時、彼がどんな状況で感じたことがあっても彼が自分に対して一生懸命であるならば、幾らでも私は我慢が出来る、とそれもまた自分に言い聞かせるのだった。






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Last updated  February 6, 2007 05:46:41 AM
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