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★RYUの事『13』
11月末の 家族そろっての旅行。目的は結婚式だったが 家族みんなでと言うのが 子供達も私達も嬉しかった。
ところが 千葉で滞在中から 私の体調はおかしかった。
不正出血だ・・・
その状態は その年の始めと6月、子宮筋腫が見つかった時と同じ症状だった。
2回とも 外来で切る事が出来ると言われ 入院の必要もなかったが 2度目の時は 前回と同じ場所に
出来ていると言われていた。
「まさかね・・・」年に3回もなるなんて考えられなかったし 6月に取った時も癌検診から
他に大きな筋腫もないか調べていた。
子宮筋腫は30代の女性なら5人に1人はあると言われている。
必ずしも手術の必要があるものではないけど 私の場合、子宮の入り口に出来ていたため 取った方が良いと言われた。
いくら子供を4人産んでいるとはいえ 婦人科はやっぱり抵抗がある。
千葉から帰った後も 随分迷ったが 出血は酷くなる一方で仕方なく病院へ。
今回はRYUが最近まで入院していた病院へ行く事にした。
義姉から婦人科に腕のいい医師がいると聞いたからだ。
結果が出るまでは 誰にも言わないと決めていた。
RYUと主人が続けざまに入退院した事もあり、心配をかけたくなかったからだ。
12月の初旬、病院へ行くと 担当になった先生は 私より若い女性医師だった。
色の白い、見るからに女性ではあるが しゃべるとハキハキしたちょっと男勝り?と言う感じ。
診察をしてもらうと 先生が驚きの声を上げた。
「今年になって2度切除しているんですよね?」
「はい」と私が答えると 「OOさん、切除したという同じ場所だと思うけど 筋腫がピンポン玉大になっていますよ。
それにちょっと触っただけでかなりの出血があります。」
「はっ?!」ビックリしたのは私の方だ。
「何故?どうして?」
6月に取った時も その前も 医師は大丈夫と言ったのに・・・
診察を終えて 医師の説明を受けた。
子宮内の入り口に近い所に出来た筋腫が 大きくなり外に出てきている状態だという。
出血もかなりあったでしょうと言われ はいと答えた。
「子供さんは4人でしたよね?もう作られるご予定は?」唐突に聞かれ「えっ?」何を先生が言いたいのか・・・
「お子さんを作る気がないのなら 子宮ごと取った方が良さそうです」と言われ頭が真っ白に・・・
「子宮・・を・・ですか?」
「ええ、入り口に近いので 開腹せずに下から切除し、傷口をやくという方法もありますが 筋腫があまりに
大きくなりすぎていて 根元を取りきれない可能性もありますし 今の段階でこれだけ出血しているので
メスを入れた途端 大出血を 起こす可能性があります。
危険をおかすより 子供を作らないのであれば 再発の事も含めて 取ってしまった方が後々いいでしょう。
ただ時間がありませんので 一番早く取れるMRの予約を入れますから 受けて下さい。
どちらにしても出血が多いので 手術になります。MRの結果で 開腹か下から取るか 判断しましょう。
それまでにご主人ともよく相談されてきて下さい。」と言われた。
私が即答も出来ない状態だったからか 先生が付け加えられた。
「
大丈夫ですよ。子宮を取っても 卵巣は残りますから 更年期がすぐに来るとか そんな心配はいりません。
ただ 生理がなくなって妊娠が出来なくなるだけで後は何も変わりません」と・・・
そうは言われても私の頭の中は真っ白だった。
帰りに車を運転しながら 考えた。
どうして、こう悪い事ばかり重なるの・・・
手術自体 私は虫垂炎しかやった事がない。
17歳の時だったが その時も麻酔がよく効かず 血管が細く出ない為 普通は血管確保の為に
点滴を打ちながら手術を受けるのに 私の場合看護師が針を刺すのを諦めたほどだった。
麻酔が 効きにくいので 切られる感触、腸を引っ張られる
感触がわかり 手術の途中ですごく気分が悪くなり吐いた。
その時の事が思い出されて身震いがした。
それに、子宮を取ってしまうという事は 女でなくなる気がした。
子供を作る予定など当然なかったが もし出来れば産んでもいいと思っていた。
主人とは「宝くじでも当たったらな」と冗談をよく言っていたが 高齢でも出来れば産んでいいと思っていたからか
すごく悲しくなった。
家に帰ると RYUが「どうだった?」と心配そうに聞いてきた。
どこが悪いとは言っていなかったが 病院へ行って来るねと出かけたからだ。
「うん、大丈夫だよ」と言うと「OO病院に行くとか言うけ次はおかん?って思ったやん」
RYUが心配するので 寝室から主人に電話をかけた。
先生はとにかく急を要すると言い 手術日まで仮押さえをしていた。
電話で医師に言われた事を一通り話すと主人は「医者がそう言うんだから 手術を受けて取った方がいいやろ」と言った。
そこで 私の張り詰めていた気持ちが切れた。
「何で そんなに簡単に取れとか言えるん!!」
いつも主人は私の八つ当たりの対称になる。
私自身どうして こんなに気持ちがモヤモヤしているのかは分からなかったが子供が産めない体になる
女じゃなくなる 手術は怖い・・そんな気持ちが入り混じり 機関銃のように
主人にきつい事を言った。
「人事だと思って!!」「人の気持ちも知らないで」「何にもわからないくせに!!」本当にただの八つ当たり・・
ひとしきり 言い続けて疲れた頃 「気がすんだや?」と主人が言った。
「子供が産めんって言うけど 作る予定もないし 仮にあったとしても 出来てもいない子供より自分の体の方が
大事やろうが。お前の気持ちがどうとかは 分かってやれんかも知れんけど RYUも今退院しているとはいえ
この先どうなるかもわからんし 俺達が元気でおらなやろ?」
冷静に聞けばその通りだ。
まずはRYUの事を考えなくては・・・
主人の言葉で 少し冷静になった。
医師が「これだけ早い時期に再発して 半年も経たないうちにこんなに大きくなっているので 取った後は細胞検査に
回しましょう。」と言われていた。
つまり良性ではないかもしれないという事・・・
その恐怖が一番だったのかもしれない。
2日後MRを受けた。
その結果を医師に聞くと やはり開腹手術が適当だと言われた。
大出血を起こす危険が大きいので すぐに入院と言われたがその日は12月13日。
お正月も家で過ごせないのと思っていると 先生が「手術日を18日に押さえていますから 何もなければ
年末ギリギリですが退院できますよ。」と言われた。
手術前検査もあるので 15日に入院してくださいと・・・
帰って子供達に極力心配をかけないように 明るく話した。
手術をすると言った瞬間 みんな言いようのない暗い顔をしたが「簡単な手術だから全然心配ないよ~兄ちゃんの時に
比べたら かすり傷みたいなもんだよ~それより2週間入院になるから ばあちゃんの言う事を聞いて 兄弟仲良く
協力してよ。特にRYUは一番上なんだから 頼むよ」こんな時RYUはすごく勘がいい。
「うん、家の事は心配せんでいいからね。手術日も行ってやるしお前らもいいの?ちゃんとできるよの?」と勤めて明るく
下の子達に言ってくれた。
「本当に心配ないからね。ちび達の事はまかせといて、ゆっくり養生してきてね」とRYUが言ってくれた。
母に家の事を頼んで 14日の朝、その頃はまだ弟の彼女だった 今の義妹に病院まで送ってもらった。
主人は 手術日に休みを取る為仕事に出ていたからだ。
私には入院に当たって すごく気が重い事が2つあった。
ひとつは 病院食が食べられない事・・・
何故かは自分でも分からない。
小学校の給食で トラウマになる事があり それ以後 トレイに乗った給食のような食器に入っているものは食べられない。
それは入院が決まったときに 医師に伝えていた。
その病院には 幸い 食事の出来る喫茶店と 売店と言うよりコンビニ近い店が入っていたので助かった。
医師は病院の食事は取ってもらわないと・・と言ったが 私が絶対に無理と言うのを聞いて 術後の回復食だけは
食べる事を約束して了承してくれた。
母からも主人からも「子供じゃあるまいし!」と怒られたが こればっかりは仕方がない。
そしてもうひとつ・・・夜電気を消して眠れないと言う事・・・
これも自分であほかと思うのだが 主人が家にいる時は 消して寝る事も出来るのだが 子供と私だけの時は
豆球といわず 電気をつけたまま寝ている。
それも担当になった看護師さんにお願いしていた。
私の手術は 緊急に決まった為部屋が空いておらず 2日間は 2人部屋を無理やり3人部屋にしてもらっていた。
同室の人は 乳がんで 抗がん剤治療をしているおばあちゃん2人だった。
部屋に入って挨拶を済ませてすぐに 真っ暗では寝られないので頭元の電気だけでもつけてていいですか?とお願いした。
おばあちゃん2人は 快く了解してくれた。
「私のいびきがうるさくて 逆に寝られないかもよ~」と。
実は私は病院自体が 怖いのだ。
いい年をして恥ずかしいのだが 子供にもバカにされる程の怖がり・・・
初日は 簡単な検査が続いてあちこち回らされた。
夕食は売店でお弁当を買い食べた。
同じ部屋の人達はビックリしていたが・・・
次の日も手術の為の準備。剃毛されたりおヘソの掃除までされてビックリした。
術後、2人部屋に変わる予定だったが 何故か夜になって「部屋が空いたので移りましょう」と言われた。
今度の同室の人は50代の人で2日前に子宮筋腫から子宮摘出手術を受けた人だった。
その人は もう年も年なので 今後の病気の事も考え 旦那さんと相談して 卵巣も一緒に取られたそうだ。
旦那さんは 京都に単身赴任中で 手術前後付き添い その日の夜、赴任先へ帰られたそうだ。
前日も一晩中眠れなくて 本を読んでいたが この日も緊張の為か眠れない。
電気をつける事は同じく了承してもらっていたが夜が明けるのが すごく遅く感じた。
そして手術当日・・・
その日は子宮筋腫の手術の人が3人いて私は2番目、11時頃の予定だった。
他の2人も 私と同じ年ぐらいで 一人は私と同じ開腹手術一人は下から摘出すると言っていた。
朝から緊張でガチガチになりながら ベットにいると主人と母、RYUがきてくれた。
この日は二女がマーチングで埼玉へ全国大会に出発する日だった。
3泊4日で大会の後 ディズニーシーへ行く事になっていたので 持って行く荷物は入院前に
用意していたが忘れ物はないか気になっていた。
朝の集合が早いので 主人が学校まで送って行ってくれたそうだ。
RYUが笑わせる為か 手術ってね~・・・と脅す。
主人は 寝て起きたら終わってるから 心配すんなと・・・人事だと思って~と話していると
看護師さんが車椅子を持ってお迎えに来た。
「大丈夫です。歩けます」と言ったが 実は前日から出血がいよいよ酷くて 先生が「出血が酷いと手術できない事も
あるんだよ」と言ったほど・・・
その先生の指示で歩いてはいけないという事だった。
「じゃあね・・」と言うと「心配せんでいいから」とみんなで送ってくれた。
大きな病院の手術室。初めての経験だ。
大きな扉を入ると「ここで全部脱いで これに着替えて下さいね」と看護師さんが言った。
着替えるとストレッチャーに寝かせられ もうひとつの扉を通り奥の部屋へ・・・
入った瞬間異様な不陰気・・・
ドラマで見る手術室と同じで 壁はタイル張り、手術台の上には大きな電気、医師も看護師も同じ格好で目しか見えない。
急に ものすごく怖くなった。
周りがバタバタと準備をしているうちに手術台に寝かされた。
途端に吐き気を催すような恐怖で涙が出てきた。
いい年をして恥ずかしいので かけられたシーツを頭までかぶっていると麻酔科の先生が 「説明をしますね」と
シーツを取られた。
目が合った瞬間 先生の方がビックリして「泣いているんですか?」と間抜けな事を聞く。
見ればわかるだろう・・・
周りを見ても担当医のOO先生がいない
見える範囲にいるのは男の先生ばかりだ。
「手術はOO先生がするんじゃないんですか?」小さな声で聞くと「OOさん!心配しなくて大丈夫だよ。
ここにいるから」と大きな声。看護師だと思っていた中に担当医はいた。
麻酔科の先生が「少し落ち着きましたか?」と説明を始められた。
「まず、脊椎麻酔をします。虫垂炎の手術をしたなら やり方はわかりますね。その後この点滴のチューブから
麻酔薬を入れると眠くなりますからね。我慢しないで寝てくださいよ」と笑わせる。
「横になって」と言われて横向きに丸く体制をとった。
「危険だから絶対動かないで下さいよ」と言われ針が・・・
針を刺されるのは我慢できたが 液が入りだすと右足の神経がキーンっとなるような鋭い痛みで
思わずうめき声を出して体が動いた。
「動かないで!!」「だって右足が変!!」手術台の上で医師に言い返す人って私ぐらい???
後から考えるとそう思ったが 本当に大声を出したくなるような痛みだったのだ。
すぐに差し替えたのか・・わからないがその後は大丈夫だった。
それから静かに仰向けになり 「薬を入れますからね。
ゆっくり数えて・・・」といわれる間に意識はなくなった。
気がつくとまだ手術室にいたが 担当の先生がすぐに近くにこられ「無事終わりましたからね。
気分は大丈夫ですか?」と言われた。
その時は特に痛みもなく ただすごい脱力感。
部屋に戻りましょうという声を 半分寝ながら聞いた気がする。
私は術後室には入らず 元の病室へ戻ってきた。
心配そうな家族の顔を見た瞬間 パッと目が覚めて 覚えていないのだがベラベラしゃべりだした。
数日後に隣のベットの人が言っていたが「この人本当に手術してきたの?」って言うほどしゃべっていたらしい。
私自身は 何を言ったのかも覚えていないが 小さい頃から心配をかけるのが 嫌で 痛い時、辛い時でも 人前では
元気に振舞う癖がある。多分その時も同じ感覚だったのだろう。
しばらくすると 弟と彼女も来てくれた。
母はしばらく付き添うと「あんたはOO君がいるから大丈夫やね。OO(二男)が帰ってくるから
お母さんは一足先に帰るよ、また明日来るから」と弟達と帰って行った。
RYUは私が普通にしゃべっているのを見て「友達の所に行ってくるね」と自分が入院していた病棟へ行った。
麻酔が完全に覚めても 痛み止めが効いているのか全然痛くなかった。
横に座っている主人を見ると 目が真っ赤に充血している。
前日に夜通し眠らずに運転して帰ってきて 大した仮眠も取らないまま二女を送って行き その後病院に来てくれている。
子供の時から ここが痛い、苦しいと親に甘えるのも苦手だった私は主人にも同じで相手に気を使ってしまう。
RYUも朝から病院にきて 全然横になっていないままだったので主人に「RYUを連れてもう帰っていいよ」と言った。
「いいよ、面会時間が終わるまでいるから」と主人は言ったが下の子達も帰ってるだろうしRYUも疲れるから。
それに寝てないままきたんやろ?帰って寝て」と私。
「大丈夫や?」と言うので「うん、眠たいから寝るよ」
この選択はあとでとても後悔した。
「じゃあ、明日また来るの」RYUも「また来るからゆっくり寝て」と帰っていったのだが・・・
夜になるにつれ 体が燃えるように暑く汗が拭いても、拭いても出てくる。
お腹の傷は大して痛まないのだが キーンっと痛みの走った右足が ずきずきと痺れたように疼く。
段々その痛みが腰に・・・
隣の人が「ご主人帰して大丈夫なの?私なんか口も聞けない状態だったから許可をもらって
一晩主人に泊まってもらったわよ」と主人達が帰ってすぐに言った。
「大丈夫です」とその時は笑っていったが 全然大丈夫ではなかった。
ベットから起き上がる事も出来ないので 電話をかけに行くわけにも行かず・・・
夜中になると 痛みは更に酷くなり 膀胱に入ってるカルーテルの痛みまで・・・
もしかして このまま死ぬのでは?と思ったぐらいだ。
一睡も出来ないまま 朝になり看護師さんに 膀胱の管を抜いて欲しいと頼んだ。
「でもトイレにいけますか?」と言うので「抜いてくれるならどこへでも行きます」と・・・
「先生の許可が要りますので 待って下さいね」と看護師さん。
もうとにかく どうにかして!!って感じだった。
10時過ぎると 担当医がこられた。
「OOさん、本当に抜いて大丈夫ね?」
「全然大丈夫。トイレも行けるから抜いて下さい。」と言うと「じゃあトイレまでいける?」と・・・
体を支えてもらって起き上がり 足をベットから下ろした。
「ゆっくりね」と先生。
右足に鈍い痛みが走り 体もくの字にしないとお腹の傷が痛くて立てなかったが 何とか点滴を下げる台に体を預けるように
ゆっくり小さな歩幅でトイレまで歩いた。
傷が開かないかとちょっと怖かったが それよりも管を抜いて欲しいのが先立った。
トイレに行って抜いてもらうと 少し楽になった。
またゆっくり一歩ずつ ベットに戻った。
熱は引かないようで 体は熱かったが 少し動いた事で腰の痛みも和らいだ。
お昼前に主人が来たので 自分で帰ってと言いながら 失敗だったと文句を言った。いつもの八つ当たりだ。
2日目までは熱も高くきつかったが 3日目からはお腹の傷が痛いだけで 楽になった。
主人が次の日から仕事で 来れないので頭を洗ってもらった。
「まだ ダメやろう」と主人は言ったが「美容室と同じシャンプー台があるから大丈夫」と私。
手術後滝のような汗をかいたままだったので 気持ち悪くて我慢できなかったのだ。
そろりと椅子に座り ゆっくり背もたれを倒してもらいシャンプーをしてもらった。
当然後で看護師さんに怒られたが・・・
それからは 隣のベットの人が「私と同じ手術をしたのに」とビックリするほどの回復力で元気になった。
早く家へ帰りたかったのだ。
自宅から病院が 高速を使って 40分かかるので
母一人では来れず毎日は 来てもらえなかったが 弟がRYUや冬休みに入った
子
供達を何度か連れてきてくれた。
主人も2回上った後は 正月休みに入り、大掃除などもしてくれていた。
私の退院予定は31日だったが 先生に無理を言って29日に退院が決まった。
回復も早かったからだ。
元気になってくると 一日だって病院なんかにいたくない。
細胞検査の結果と 一ヶ月検診で 1月の16日に予約を入れ、29日の朝、主人に迎えに来てもらって 自宅へ帰った。
家に帰るとビックリ!!キッチンも腰壁もピカピカ。
フロアもワックスがかかっているし とてもきれいだった。
私はリビングのソファーに陣取り RYUと手術の話し話したり二女の大会の時のDVDを見たり・・
その間も主人は いそいそと 家の中、庭を掃除していた。
RYUが「良かったねー無事家族全員で正月を迎えられて」と言った。
「そうだね~傷が痛むから 今年は御節作れないけど
やっぱり家が一番だねー」と私。
「そうやろ~13ヶ月入院して帰ってきた時そう思ったもん」とRYU。
「あんたに比べたら ママなんか本当に大した事ないよねー」
30日は 庭で恒例の餅つきをしました。
私
はお餅を丸めるぐらいしか出来なかったけど・・・
リビングが粉だらけに真っ白になり「せっかく掃除したのに・・」と主人は嘆いていました。
「2週間だけど 主婦の大変さが分かった」とも・・・
大晦日は 隣の実家で母の御節を皆で食べて 年越しをしました。
考えると この年は主人が前厄・・・
「もうこれで 厄落としだね 来年はきっといい事があるよね」と皆で話しながら・・・
そして 2004年、新しい年です・・・
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