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2017.01.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類

東山歴史街道の円山公園のそばに八坂神社があります

本殿の側に【平家物語】平清盛の母御の悲話の基となる

【忠盛の燈籠】が立って居ます

坂神社 【東山区】

 祇園にある八坂神社は、祇園祭で有名です。祭神は

素戔鳴男尊 (スサノオノミコト)

P1030303.jpg

祇園の中心にある八坂神社

P1030305.jpg

疫神社 祭神 蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)

門を潜った位置にあります。祇園祭の際、撒かれる

「粽(ちまき)」に 蘇民将来の護符が付いています。

 【立札の説明】

むかし、祖神(おやがみ)が諸国を巡って、日の暮れに宿を

請うたところ 巨旦将来(こたんしょうらい)は、

富み栄えていたのに貸さず、

蘇民将来は貧しかったけれど、粟穀で座をしいて、

粟の粥で手厚く もてなしたので

「われはハヤスサノヲの神なり」といい、 後年疫病が流行しても

茅の輪をつけて  「蘇民将来の子孫なり」  とえば

災厄から免れると約束され、巨旦将来の子孫は

皆堪えてしまいましたが

蘇民将来の子孫は、今に栄えています。

P1030307.jpg

本殿

【平清盛のお母さんの悲劇が可哀そう】

【平清盛の出生秘話】  平家物語 【祇園女御の巻】

NHK大河ドラマ【平清盛】その主人公の

出生秘話が、此処京都八坂神社の境内にありますが、

殆どの人がその存在と縁起を知らないままに燈籠が建っています。

平忠盛は、一介の北面武士でしたが、冷静に思慮の深さで社僧の

命を落とさずに救った手柄が、歴史を変えました。

P1030309.jpg

平忠盛燈篭

P1030311.jpg

位置が判り易い様に本殿の側

燈篭の裏側から写して見ました。

殆どの人は、関心なく、素通りされています。

【忠盛燈籠】  (ただもりとうろう) 

八坂神社境内に、面白い伝説がありますので、ご紹介してみます。

本殿の東の方に、「円山公園」から八坂神社の境内に入った場所に

建っています。

【白河法皇】が【平忠盛】を伴って【祇園女御】 

(ぎおんにょうご)を

尋ねて、祇園社に来られたときに、雨の中怪しげな光を伴う妖怪を

目の当たりにされました。

「白河法皇」は「忠盛」に命じて、「射止めよ」と

次の忠盛の仕草が、歴史を作りました。

生け捕りにして、正体を確かめたのです。やはり正体は、

祇園の社僧 が、燈籠に火を灯すために、蓑笠からも

ローソクの火で光っていました。

沈着冷静な、忠盛により、尊い命は救われました。

よってこの地に、忠盛を讃えて、八坂神社の境内に飾られています。

お話に続きが有ります。

白河法皇は、即命令に応じず、叱るべきところ、

社僧を誤ってあやめる事 がなくってすみ、その功を讃え、

褒美をとらせようとして、

既に、法皇により、腹ぐんだ祇園女御の子が男子であれば

授けようと 結果男の子でした。それが何と 

【平清盛】 として、平家棟梁に 成りました。

祇園女御の妹の子との説もあります。

今回のドラマでは、 清盛の生母は、「もののけ」がついて

呪われて いるとして、白河法皇と忠盛の面前で、

お付きの者数人で槍に 突かれて亡くなる悲惨な

場面から始まり、心痛めます。

権力者は、強がりのようで、 妖怪変化、もののけには

弱かった ようですね。

清盛は、優しい生母には恵まれて居なかったようです。

そして血を分けた父は忠盛では無かったようです。

「祇園精舎の鐘の音   奢れる平家久しからず」何か因果が

ありそうです。

【白河法皇】 は権力者で、この世で適わないものは、

ひとつとして無い。

その有名な言葉が京に残っています。

白河法皇でも、思うようにならなかったもの。

鴨川の水

双六の賽の目

比叡の山法師

でした。それほど恐れられた権威者のようでした。

そして権力者ほど、物の怪などに恐れをなし終始臆病で

懐疑心が高まり、心の休まることが無かったのでしょう。

白河天皇御陵は、京都南インターを降りて、城南宮の南

当時、鳥羽離宮を建てられていた跡地に

鳥羽天皇と隣接して眠って居られます。

何時の世も権力者の横暴は、目に余るものを覚えます。

余話

平清盛の母は? 舞子 

祇園女御 池の禅尼 舞子の姉 清盛の養母

白河上皇は 孫の鳥羽天皇の中宮として待賢門院璋子を養女に迎え

その病が重病で 陰陽師の祈祷により  舞子に物の怪

付いているとして

白河上皇の面前で捉えられ家来たちの槍で殺害されました

平清盛の異常の出世は 権勢を誇る白河上皇の子としての後ろ

盾に基づくとも考えられています 

そして清盛の気性も同じく激しさがありました

参考 大河ドラマ そして平家物語

次回は【建仁寺】に参ります。






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Last updated  2017.01.26 07:19:12 コメント(14) | コメントを書く


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