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足利義満の決めた五山を断った京の禅宗
禅宗・臨済宗大徳寺派の本山に参ります。
戦国時代の将者の菩提寺になっています。何故か
豊臣秀吉の名は有りません。然し大河ドラマ真田丸に
登場する石田三成の墓所はそして何故かあります
この前の真田丸では遂に甥の豊臣秀次の高野山での自刃に
秀吉は怒り心頭 秀次の妻子供仕えた女官30名を三成も止めても
無惨にも秀次の晒し首と共に斬首この世の地獄絵と化しました
【大徳寺】 済宗大徳寺 開基 宗峰妙超 (大燈国師)
山号 龍宝山
紫野大徳寺と言う、広い境内の中に21の塔頭 (たっちゅう)が
有ります。殆どが一般公開されていませんが、4箇所は、常に
公開されていますので、序々に訪れたいです。
先ず本坊からまいりましょう。
「大燈国師」により、創建され、位も臨済宗として「五山」の上位
に有りましたが、三代足利義満により、十刹(じゅうさつ)の内9位
に寺格を下げられた為、辞しました。現代「南禅寺」が「五山」の
上位にされたままです。
応仁の乱で、焼土化し衰退しましたが、一休宗純により、難波堺
の豪商の支持で再建されました。一休さんの庵は、「大仙院」の
隣に「真珠庵」として今も残されています。
千利休と茶道にも関係あり、利休の墓は、 「聚光院」 にあり
、各塔頭には、夫々「茶室」が設けています。
豊臣秀吉に関係する緒大名が競って塔頭を建てました。
【大徳寺の七堂伽藍】 (ひちどうがらん)
【勅使門】 御所の陽明門を後に下賜されました。桃山時代の
遺構です。
勅使門
【三門・金毛閣】
(きんもうかく)初め初層のみの唐様の三門の
上に「利休」の弟子たちが上層の【金毛閣】を建て増し、「利休像」
を置きました。
今回の真田丸では【利休像 】は茶々が利休の側にと利休に
頼んで像を造らせたが等身大となり置き場所にこまり
利休に頼んで大徳寺に置いたとの設定でした
そして秀吉をその門をくぐらしたことから、秀吉の
逆鱗に触れ、遂に切腹の原因の一つと成りました。
秀吉は、自分より秀でる者は難癖をつけても押さえつけたいとして
敢えてと承知で三門を潜りました。切腹を命ずれば利休もきっと
命乞いすると踏みました
然し、利休は泰然として切腹を選びました。
秀吉は慌てて「頼むから頭だけ下げてくれればすむことじゃ」
利休に懇願するも時遅く、素晴らしい側近の味方を失いました。
金毛閣
【仏殿】(本堂) 本尊 釈迦如来 狩野元信の図があります。
仏殿の釈迦如来本尊
【法堂】(はっとう)法要を営む。狩野探幽の龍の図があります。
法堂
【浴室】昔、和尚さんが入浴された場所。
浴室
【経蔵】(きょうぞう)天平時代から、南北朝時代の写経が
納められています。
経蔵
【鐘楼】(しょうろう)この鐘の合図で、現在も一山の和尚さん
たちの諸行事に、出頭されます。
【大徳寺本坊】 (非公開)
【唐門】 本坊に据え付けられています。
「聚楽第」(関白豊臣秀勝の御殿)の遺構とされています。
本坊が非公開でも、外から観られます。
獅子・松・孔雀・滝に鯉。見渡している内に日が暮れると言うと
ころから、【日暮門】とも言われています。
七堂伽藍の参道
順次、大徳寺境内にある、塔頭をご紹介してまいります