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かなーり長い間ほったらかしにしておりましたこのブログですが少しずつ実家(笑)のほうに移しながら最終的にはCLOSEしたいと思います。介護中に支えてくださった方々、ありがとうございました。そしてこれからは本家びたーあんどすうぃーと の方でよろしくお付き合いいただけたら幸いです。
2006年07月20日
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「介護」というこのブログの目的から解放された私。はっきり言ってネタ切れです。ぼちぼちと父のことで嫌な事はまだ起こるものの何の役にも誰の役にも立たないページになっています(^_^;)そこで、これをなくしてしまおうかと・・・。ただ、内容的には私本人の記録だったりもするので本館の方に移そうかとも思うのですが実はめんどくさいとか思っていたりして。こんなこと思えるようになったのも父が亡くなって介護をしなくてよくなり余裕ができたのでしょうね・・・。
2005年03月31日
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父の手紙を元実家から転送していたために督促やらなんやらを目にすることが多くそれらがうちに届くたびに嫌な思い出がのしかかってきてブルーになることが多々ありました。それともこれでサヨナラ。私たちの引越しに伴い、郵便局に転送の届出をしました。すると「ご家族で転居ということですが○○さん(父)の郵便物現在転送になっておりますがこちらも一緒に転送しますか」といわれました。そんなの忘れていた。転送をストップさせればよかったんだ。家族の分だけ転送をお願いしました。これからは父宛の郵便は「転居先不明」で返還になるそうです。まだ、私の中では「嫌な思いをさせられたけれどこんないいときもあったじゃない」という感情は沸いていません。
2005年03月23日
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ダーリンの実家にはお墓参りの習慣がありません。出不精、というせいもあるのでしょうけれど霊園にお願いしてあるのでいいという事です。でも、ダーリンも私と一緒になってからはお彼岸・お盆・暮れくらいはきちんと行くようになりました。いや、ダーリンの実家が行くか行かないかは別にどうでもいいんです。ちょっとだけ嫌な気分になったことがあったのでここで愚痴ろうかと(笑)そのお墓参りなんですが日曜に私の用が済んでから横浜を出たので沼津に着いたのは夜。なので次の日にうちとダーリンのお墓参りをする予定でした。そしたら、義父ってば「んなもん、行かなくていい、いい。霊園にカネ払ってやってるんだから」だって。行くかどうかは私たちが決めることで指図されたくなんかないんです。私はお墓参りくらいちゃんと行きたいだけなんだから。別にお墓を守ろうとかそこまでの責任感はなくてでも、うちのお墓だけ花がなかったら母が寂しがるから。そのくせに、9月に亡くなったダーリンの祖母の7回忌を5月28日にやるって。私、6月18日が出産予定日なのに「来てくれなっ」って(笑)行きたくないわけじゃないけれどムリでしょ。常識というのは家庭や個人によって違うけれど違いを認めるにはうちとはかけ離れているのでどーもうまく付き合えないモカマミ~です(^_^;)
2005年03月20日
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お彼岸ですね。連休にはお墓参りに行ってきます。車で2時間ほどだけど天気が良いようなので楽しいドライブになるといいな。モカモカはお線香をあげたりするのがひとつの遊びになってしまっているようで思いつくと「なーむーする。おせんこうあげる」と骨壷の入った箱の前に行きます。鐘をたたくのが面白いみたいです。でも、やたらと鳴らすのは怒られるからお線香にかこつけているんですね。今日は、そんなモカモカに気づかされました。モカモカのボーイフレンドからホワイトデーにもらった大事なお花。テーブルに飾っておいたのですがモカモカは「お花はじいじでしょー」と言いながら持って行きました。「これはモカモカのだからいいのよ」とテーブルに戻したらいつの間にかまた父のところに・・・。そして、造花のガーベラを欲しがるので安かったしいいかって買ってあげたらそれも家に着くなり父のところへ。「モカモカね、飾ってあげたの」と報告しに来ました。そういえば、最近、花って飾っていなかった。引越し前だから片付けることばかり頭にあって余計なものは買いたくなかったから。ふとした時に「じいじ、もう痛くないもんね~」と言うことがあります。私がモカモカによく言っていたので覚えているのでしょう。父の痛がっていた姿が印象深かったのでしょう。リウマチのために最後の1年くらいはモカモカを抱っこすることもできなかった父。少ない年金の中からわずかだけどモカモカに服やおもちゃを買ってくれました。モカモカのことは無条件にかわいがってくれたことを思うと私の薄情さに涙が出ました。父のしたことはまだ許せないけれど私にとっては子供の頃から苦労をさせられた父であってもモカモカにとっては「じいじ」で・・・。恨みも何もなく、ただ、家族だったんですね。
2005年03月17日
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新しいおうちはバリアフリーです。お風呂にも手すりがあったりして親切設計。私は知らなかったのですがバリアフリーというのは必ずしも完全フラットじゃないんですね。ダーリンによると基準は2センチ以下の段差だとか。でも・・・この2センチって曲者だったりしませんか?私は少し前までベビーカーを押す生活をしていました。コツをつかんでしまえばひょいっと前輪を持ち上げて段差を乗り越えたり、階段も下りてしまったり(危険ですのでまねしちゃダメよ)思うように操作できるようになるのですがそれまでは道路のほんのちょっとの段差でつまづいてモカモカがムチ打ちになりそうな勢いでした(^^ゞ私の住む町はいわゆるニュータウン。子供も多いのでそういう配慮は行き届いている方です。歩道も広いしスロープはいたる所にあり店内の通路もベビーカーで楽に通れます。なので市内でも繁華街に行ったりすると段差だらけでエレベーターは不便な場所にしかないし歩くだけで疲れちゃいます。便利さに慣れてしまっていますね。かといって、目が不自由な方には全く段差がないということが危険だったりするんだそうです。障害物で自分の居場所を知るんですね。例えば、点字ブロックもそうですね。万人に便利ってどういうものなんでしょうね。
2005年03月09日
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あと一ヶ月足らずでこれから私たちの生活の場になるマンションが完成し、4月の中旬には引越しする。このマンション、私たちのためではなく父のために買ったものでした。今のアパートでは父に5畳の部屋しか与えられず2階建てなのでエレベーターなんてあるわけもなく降りるには急な階段を私が抱えながら。狭い通路に狭いトイレ、お風呂の入り口には20センチもの段差。私たちには十分快適なアパートだったけれど父には障害だらけ。私たちに金銭的な余裕なんてなかったけれどここでこのまま暮らすにはかなりの無理がありました。プライバシーも全く守られていなかったし。そこで広告を見て私たちにも手が届きそうな価格のマンションのモデルルームに行き何件目かで折り合いがつき契約に至ったのでした。こんなきっかけがなかったらこの先何年かはここにいたと思います。さて、良かったのか悪かったのか。
2005年03月08日
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私たち姉妹は2度、相続放棄をしました。一度は母がなくなったとき、2度目は父が亡くなったとき。前から何度か触れたことがありますがちょっとまとめてみたいと思います。母の時は、原因になったのは雇用関係にあった主人兼寮の大家さんでした。ヤミ金もやっているようなクリーンとは言いがたい人でしたが亡くなった時におそらく保険金目当てで1千万以上を寮の修繕代と称され請求されました。それプラス、母が預けてあった預金、300万強を奪われてしまいました。そんな汚い人からいつまでもしつこく請求されたのではまだ20代の私たちはたまりません。そこで私が当時結婚していた人の知り合いの知り合いの弁護士さんに相談すると相続放棄を勧められました。何も知らなかった私たちは言われるがままにまず着手金10万を支払い、手続きや相手方への証明などで最終的に50万ちょっとを支払いました。この時はこれでよかったんです。もうあちらとは縁が切れました。2度と会うこともありません。風の噂で私たちがなんて言われているかも聞いていましたが間違ったことをしていない自信があったのでまったく気になりませんでした。父の時、会社を倒産させて5年程でした。裁判を抱え、借金だって債権会社から督促が届き保証人となっていた人の倒産でまた督促が届き・・・。亡くなる前から相続放棄はやらなければならないとわかっていました。日記を読んだ友達が弁護士さんを紹介しくれました。かかった費用は相談料の5250円プラス相続放棄の手数料×3人分=1万円足らず。もちろん、方法は弁護士さんが教えてくれました。その後にまた相談に乗っていただくことがあったのですが予約を入れようと電話したらその場で答えてくださって無料でした。父の時と母の時の差額は50万円近くになります。何が言いたいのかというと、自分の手でできることを知っていれば無駄なお金は使わなくていいんだとうことです。行政って代行料がおかしいくらい高額ですよね。私が携わっていた自動車関係だと2600円ほどの車庫証明がディーラーに頼むと1万円したり。手続きなんて簡単です。知識を持って、自分でなさることをぜひお勧めします。
2005年03月06日
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昨日の新聞の小さな記事にある出版社から「ちびくろサンボ」が復刊するという記事が載っていました。私が子供の頃、この絵本はどこの家にもあったと思います。ご他聞にもれず我が家にもあり、暗記するほど読んでいました。88年に人種差別との見解から絶版になっていましたがこのときも「ん?そうかな?」と疑問に思っていました。だって子供には黒人だろうが白人だろうが関係ないもの。壁を作ってしまうのは大人。そんな気がします。ゴルフ場でフロントをしていたとき、いやな思いをしたことがあります。メンバーに在日外国人の方がいました。その頃はまだぎりぎりバブルで混雑はすごいもので平日の予約もなかなか取れないほど。その方は「キャンセル待ちになってしまう」と告げるといきなり「オレが日本人でないから予約を取らせない」と怒鳴り始めたのです。もちろん、丁寧にお詫びしながら伝えたのにです。そして散々文句を言った後、見かねた同僚が上司を呼びに行きその上司(男性)がフロントに顔を出したまさにその瞬間「もういい!」と言い放って去っていきました。どこの国の方かは申し上げませんが戦時中は日本が侵略をしたという過去があるところです。その方の心の中には、イコール「バカにされている」という意識が片隅にあったのでしょうか。そしてまた、女性をも差別していたのですね。人類、みな兄弟。なんてCM覚えていますか?早く、そんな時代がやってきますように。
2005年03月04日
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先日、父の相続放棄の手続きが完了しました。これでもう、父の借金に惑わされることもないでしょう。そんな通知から一週間ほど経ちましたが今日、債権回収業者ら一通の通知が届きました。これは父自身の借金ではなく、保証人になっていた方の会社が倒産したらしく400万円ほどが未回収になっておりその債権の権利を銀行から業者に譲渡してそれがまた違う業者に渡ったというものでした。郵便の転送手続きをしてあるので10月まではこんなものがうちに届き続けることになります。嫌だけど・・・まだまだ、ですね。入院前に裁判も抱えていました。たぶん、2件ほどあったのだと思いますがそれがどのようになっているのかまったくわかりません。弁護士さんもどなたに依頼しているのかしていないのか休廷になっているのかなっていないのか・・・。縁を切るって口では簡単だけど死んでも切れない縁ですね。
2005年03月03日
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昨日くらいから風邪をひいてしまいたった37度なんだけど熱を出していてすごく久しぶりに寝込んでいます。先ほどお風呂に入りに起きたところ。起きてびっくり!モカモカとダーリンはもう寝てしまったのですが(早い!)キッチンは食器が山のように積まれて(夕飯を作ったのは私)お風呂の前に脱いだものは脱ぎっぱなし、モカモカの歯ブラシはテーブルの上に置きっ放し、おもちゃは出しっ放し・・・・全部書いたらきりがない(^^ゞもちろん、片付けましたよ。洗濯物は明日、調子が良くなってから畳むとしよう。あ、これは私の仕事だからいいんだけど。で、私は一日家族のためにご飯のたびに起きて支度をしたんだけど私のためにご飯を作る人がいない(/_;)昨日からろくに食べていなかったのでさすがにお腹もすいてこれまた久しぶりにおかゆを作りました。おかゆは大好きだけど風邪でもひかないとなかなか作りませんね。お米から炊きたいけれど今日は面倒だからご飯から☆玉子がゆを作って一人でひっそり?食べました。なんか寂しい、いや、わびしい・・・(笑)父にもよくおかゆを作りました。最初は知らなかったけれど噛む力がないため普通のご飯を出したら「意地が悪い」と激怒されたので。私はたまにだからおいしいって思って食べるけれど歯ごたえがある食べ物のほうが好きなので毎日だと飽きるだろうなと思いました。白がゆばかり作っていたのでもっとバリエーションをつけてあげればよかったかな。ダーリンが風邪のときなんかは少しでも栄養をと思っておじやを作ります。せめてこっちにすればよかったのかも・・・。
2005年02月19日
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今朝、ダーリンと引越ししたら絶対必要なものを話していました。オールフローリングだから直接布団を敷くと汗で床がびっしょりになるのでベッドは必須。それからカーテンと照明。残りは生活しながら広さを見て少しずつそろえるつもり。こんな話ができるようになったのもとりあえず父のもので支払いをするべきものが終わって先が見えてきたから。そんな矢先、早朝から電話が鳴った。父の住んでいた公団の供給公社からで「1月分の家賃が滞納になっている」何で?だって、12月末が最後の家賃だと言われていたからちゃんとお金を入れて引き落としの確認もしている。確かに立会いのときにそれが引き落とされていれば終了だと言われていたのに・・・。ところが、それが立会いした人の間違いで1月の家賃は1月の引き落としになるそうだ。で、その口座は残高が足りなくて落ちなかったのね。うちだって余裕がないからそんな他人名義の使い道のない口座、ギリギリしか入れてないに決まってる。もうないと思っていたのにまた支払いか。朝から嫌な電話でした(^_^;)
2005年02月17日
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父の生命保険・・・県民共済には入っていたものの先日の日記のとおりどうやら下りそうにありません。思い出すのは私が貸した1000万弱の大金。あれだけのお金があればマンションの頭金にだってなったし今、手元になかったとしても自分のために使えていたのに。最後の最後まで迷惑ばかりだったなぁ。保険だって高額なものに入っていたのに全部外交さんとけんかしたりして解約。挙句の果てに入った共済は受取額が焼け石に水ってほど少ないのにそれすら下りない。いざと言うときに備えて、入院費を節約するために同居を始めてからはいろんな滞納したものの精算を進めていて年金でわずかながらも貯蓄して行こうと思った矢先の死。ゼロどころかマイナスからになってしまった。すべてがトラブルメーカーである父の生きてきた「証」なのである。まだ素直な気持ちでお線香を上げるまでには時間がかかりそう。
2005年02月16日
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モカモカとダーリンが昼寝したのでこっそり抜け出して本屋さんへ行ってきました。目指すは最近煮詰まって来たモカモカのご飯のレシピ。お肉が苦手なので手持ちのレシピでは思いつかなかったりします(^_^;)ダーリンはお肉が好きなんだけどあまり食べさせてないかも。二人分、違うものを作るのって手間が倍なんだもん。でも、父がいた頃のことを考えると3人分別々だったからこんな悩みは贅沢なのかな。本屋さんまでは歩くと15分くらい。いつもはモカモカ連れで倍はかかるので車で行ってしまうけれど私一人ならもちろん歩きます。本屋さん、大好きだけどモカモカと一緒だとゆっくり見ることができなくて、ずっとひとりで行きたいと思っていたのです♪歩いていると・・・歩きタバコのご夫婦。個人の自由ですが私は男性でも歩きタバコが嫌。私も以前は喫煙者でした。だから「どうしても吸いたい時」があるのはわかります。でもね、歩きながら吸うと・・・私の顔に煙がかかるでしょ。妊婦なのよ。狭い歩道で追い越すとき、触りそうで怖かったのよ。その人が吸い終わったタバコを持ち帰ったかどうかはわかりません。でも、歩道を見ると吸殻やパッケージが無数に落ちています。条例で歩きタバコを禁止しているところもありますよね。でも、本当はマナーの問題なので恥を知れ!と言ったところなのかも。
2005年02月13日
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父がわずかばかりではありますが共済に入っていたのでその保険金を請求しました。しかし、診断書の内容と父が申告していた内容が違うようで何度か電話のやり取りをしましてどうやら受け取ることはできないようです。調査員と称する方からお電話をいただくのですがこのおっさん(あえてこう言わせてもらいます)がまたなかなか理解をしてくれない人で同じことを同じ電話の中で何回となく説明しなければなりません。今言ったことを繰り返すときに内容が変わっているのです。大抵、10回は超える同じ話をしますのでもう100回以上になるでしょう。私もわかりにくい話をしているつもりはないのできっとこの方はメモを取っていないのでしょう。父の倒産した会社や母の死因まで聞いてきます。離婚していたのだから無関係でしょ。「それって必要ですか?」と聞いたらお茶を濁されたので必要ではないのだと思いますが。一緒に住んでいなかった理由も聞かれました。結婚して家を出るのって不思議かしら。こういう方のお仕事だとは思いますがまあ、私が保険金を騙し取ろうと言うような口調で繰り返されるので付き合うこちらは電話を切った後、とてもいやな気分だけが残ります。保険金をどうしても欲しいというわけではないのです。そりゃあ、50万以上も医療費がかかりそのほかにも葬儀代や家の片付け賃、さまざまなお金がかかっています。あれば受け取りたいです。でも、これはもうないものだとあきらめています。でも、証券があれば誰だって請求くらいしませんか?加入するときは「どーぞどーぞ」で支払いのときは疑う、なんて殿様商売もいいところですね。一時はお客様だったのですから。
2005年02月09日
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今日は朝から冷た~い冷た~い雨。そのせいだと思われるけれどスーパーの駐車場はいつもより混んでいるみたい。そういう私も雨の日以外は歩いて行くんだけど。たまに疑問に思うことがある。「車イスマークのついた“障害者スペース”」には本当にそういう人だけが車を停めている?どこでも大体一番便利な場所にありちょっと広めのスペースをとっていると思う。それはからだが自由に動かせない人にとって必要なスペースだと父の介護の体験から良く知っている。ずっと昔、車イスに乗り移ろうとしている人をたまたま見かけてとても大変そうだったので手伝ったがそこは狭めのスペースだったので慣れていない私にはかなり苦労するものだった。今日も2台あるスペースには車が停まっていた。一台はちょうど私が帰ろうと車に乗り込んだときに駐車、スタスタと中年の夫婦が降りてきた。どこから見ても手も足も丈夫そうでした。見ただけではわからないので声もかけられませんが・・・。知らない人に手を貸すと言うのはなかなかできないことだと思います。でも、せめてそのスペースを必要としている人のためにあけておいてあげることはできるのではないかと思います。
2005年02月08日
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介護の生活を中心に綴っていこうと思っていたこのHP。肝心の父が亡くなり、また介護のことでは提供できる知識もない私だけが取り残され何をどう書こうか非常に悩んでおります(^^ゞ浮かんでくるのは生前の父を思い出しての辛い仕打ちや悔しい思いばかりで死から2ヶ月たった今でも前進していないことに気づいてしまいました。これも一種の喪失感だと思う今日この頃です。
2005年02月06日
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今日から父は本当にお空に旅立つわけですね。お墓参りに行こうと思っていたのですが妹に「お骨がお姉ちゃんちにあるのにお墓って意味なくない?」と言われそれもそうだと家で過ごす事にしました。朝からいつも通りお団子を作ってお線香を上げて・・・。ほめてもらった炊き込みご飯、作ろうと思ったけれどあまりの寒さに出かけられず昨日行った山梨のお土産で買ってきたほうとうを作ったのでお供えしました。体が温まってこの方がいいよね。それからおせんべいも用意してあったのをあげてお夕飯は私たちと同じピラフ。いつだったか、まだ私たちが子供だった頃不仲だった母が家出をした時に(笑)チャーハンを作ってくれました。塩辛い、こしょうも入れすぎのチャーハン。それをふと思い出してチャーハンにしようと思ったら材料がピラフっぽいものしかなくて(/_;)今頃バッグにお弁当とお団子とおせんべいを詰めてお線香の煙をたどって歩いているのでしょうか。雪が降ってきて寒い日なので旅立ちは明日にしようかと考えているかもしれませんね。
2005年01月23日
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妹にほとんど世話になっています。父の死後にかかったお金の話です。私が30万ほど、一番下の妹が20万ほど、真ん中の妹は60万くらい・・・?いや、もっとかも。最終的にはきちんと割るつもりですがいま、うちは大きなお金がかかってしまう時期で。父のために買ったマンションへの引越しが4月です。私の出産が6月です。タイミングが悪いのでお金を出すことができません。それでも妹は「働いているのは私だけなんだから、出せる人が出せばいい。すぐに取り戻すよ。お姉ちゃんには安心して赤ちゃんのことを考えてほしい。」と言ってくれます。自分で稼いだお金だから自分のために使いたいでしょう。まだ彼女も32歳、同棲中の彼がいます。結婚だって考えるでしょう。この彼がとてもいい子で父の生前も私たちのことを気遣ってくれていました。なんど励まされたかわかりません。こういう人に守られる妹はきっととても気持ちにゆとりができるのだと思います。シアワセなことだし、周りをシアワセにできる。いい人に囲まれるといい人になれる。私の周り?いい人ばかりだけど私はあまりいい人ではありませんね(笑)
2005年01月20日
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父の四十九日までは7日ごとにお団子をつくります。亡くなったのが日曜なのでいつも日曜の朝に作るのですがモカモカが粘土遊びをしているのかと思って自分にもやらせろと大騒ぎ。目を盗んで作っています。そのお団子作りも来週の一回を残すのみになりました。四十九日なんてあっという間ですね。これはこれで面倒ではあったのでなくなると楽ですが寝たきりになってからは食べ物に執着していた父のことですからお団子だけでは足りなかったかな、なんて思ったりしています。お彼岸には父のほめてくれた炊き込みご飯でもつくって備えてあげようかな。亡くなる前はおかゆじゃないと食べられなかったしステロイドの副作用を気にして煮干やチーズばかり食べていたから・・・。好きだった硬いおせんべも一緒に。
2005年01月16日
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とっても久しぶりの更新になってしまいました。ダーリンがPCをフォーマットしたらいろいろなデータが飛んだ上に起動すらしなくなり・・・。やっと復活です。父のN市にある住まいの引渡しに伴う立会いをしに行ってきました。私が一人で行ければいいのですがモカモカをつれて2時間の道のりをドライブというのはとても大変で飽きたモカモカはたいてい暴れるので危険です。なのでいつもダーリンは会社を休んで一緒に来てくれます。今回は13時半に先方と待ち合わせだったので現地でお昼を食べてから向かうつもりが渋滞に巻き込まれ4時間以上かかってしまったのでギリギリに到着。県営の団地なのでうるさいことはいわれず畳とふすまの張替えだけで約7万円ほど。これで大きなお金がかかるものはいったん終了したと思います。やっとここまできたって感じです。
2005年01月13日
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父の最期の住所地、という事でN市まで申請に行ってきました。提出自体は書類に必要事項を書き込み、受付に出すだけであっという間に終わりました。これから質問書が郵送されてきてそれに答えて郵送し、その後審判だという事です。受理されると証明が送られてきます。それで終了。今回は一緒に介護保険の被保険者証を返還にM市役所にも行ってきました。資格喪失届けが必要という事でしたので窓口に行きましたがこちらも難しい事はなくちょちょっと書類に私の連絡先を書く程度でした。これでも行かなきゃ用が済まないというのだからお役所仕事って・・・。
2005年01月07日
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12月半ばに依頼してあった入院証明ができたかどうか3週間後を目安に連絡して欲しいと言われていたので電話をしてみた。できているので取りにきてくださいという事。これでまた一つ、用事が片付く事になる。1通8400円もするのだからそっちから連絡してくれてもいいじゃん、なんてちらっと思ったりもするのだが(笑)明日はN市にいく用があり、行けないので来週早々に行かなくては。それにしても病院に行くと思っただけで気が重い。生きている人を見舞いに行くのとは全く違う。嫌な事はさっさと済ませよう。
2005年01月06日
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私がいた会社の同僚、といっても年齢は親子ほど離れていたのだが末期のガン患者を会社帰りに毎日何年も訪ねて行っていた人がいる。彼女たちは友人同士なのだがすごく固い友情で結ばれていて何をするにも運命共同体のようだった。子供が手を離れていたので近くにいる友人がとても大切な存在だったのかもしれない。「ガンに効く」と言われればいろんな物を買って渡していたり、勉強もいろいろしていた。亡くなった後には身寄りのない彼女の為にお墓まで建ててあげていた。私はその人にとても仲良くしてもらっていたので今でも帰省の折には会社に寄って「仏様に」と少しばかりのお菓子などを渡す事にしている。親切にしてくれた人の大切な人は私にとってもやはり大切な人である。
2005年01月05日
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私は目に見えないものはあまり信じない方で例えば占いは見たときは「ふーん」と思っても次の瞬間に忘れてしまうし宗教も先祖の為にあるものだと思っている。それでも最近運命の流れを感じる事がある。父が入院する前、介護保険を利用し始め、お風呂にも入れ髪もきれいにしてもらった。ベッドも元々処分しようと思っていて介護用のベッドが来る時に市に引き取ってもらう予定にしてあった。ちょうど救急車で運ばれたのはベッドが来る朝の何時間か前の事だった。ショートで空いているのでどうかと提案があったけれどまずは今まで滞納している家賃や光熱費などを支払いしてから、と延期してもらっていた。もし行っていたらショートステイ先で大変な事になっていただろう。引越しの事もある程度段取りはついていて正月に妹たちが行って片付けるつもりでいたのだ。もっと言えば私の家にいたのは地元の国立病院に通っていたけれどたまたまこちらにリウマチの権威の医師がいるという事で通院し始め、入院した事がきっかけでもし、N市の自宅で倒れていたら救急車も呼べず一人で死んで発見されていただろう。全てがこうなるように動いていたように思う。父も私たちも知らない所で運命は終息に向かって流れを作っていたのかもしれない。
2005年01月02日
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父の住んでいたのは一ヶ月18,000円の県営の団地です。最初は一戸建てでした。会社が傾き始め、所有していたマンションに移りましたが倒産した時に「会社をつぶしたのにマンションに住んでいる」とか、田舎なのでいろいろ言う人もいてマンションは人に貸し、団地に移り住む事にしました。とは言っても担保になっているのでいずれは手放すものだったのですが。引き払うためには荷物を処分しなくてはなりません。姉妹はみんなN市から離れて住んでいるので短い期間に済ませなくてはならないのですが妹がリサイクルと処理をやってくれる業者をみつけてきて事前に連絡を取ってくれていたので私たちは押入れなどの荷物を出しただけで後は何もせずにあっという間にきれいになりました。なんと、掃除までしてありました。私はその団地に住んだ事がなかったので家の中がすっからかんになっても寂しさはまったくありません。ただ、私がこの土地にはもう縁がなくなったんだとそれだけがなんとなく寂しくはありましたが。
2005年01月01日
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父の介護保険の被保険者証がやっと届きました。病院に一言言わなきゃならないのかなと気が重かったのですがこれで一つ楽になりました♪勝手に「要介護3」くらいだろうと思っていたのですが受け取った通知は「要介護4」。支給限度額は一月に300,600円。これが最初から使えていたらどんなに助かっただろうと思うと同時に自分がそれだけの介護を2ヶ月間やってきたんだと数字になって改めて大変さを感じました。例えば今現在も同じように要介護4に相当するのにでも、認定を受けられないという方がたくさんいるのだと思います。その方を介護する家族や介護されている方の心労はいかばかりか・・・自分のその時を思い出すとぞっとします。
2004年12月29日
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今年中に終わらなかったこと父の介護保険の認定。使ったサービスがあるので精算しなければならないのにケアマネさんの「認定が下りてからでいい」という言葉に甘えていますが本当は年内に済ませるつもりでした・・・。延長された暫定の保険証が1月15日までなんですがそれまでに下りるのでしょうか。全ては医師の意見書にかかっています。診断書。申請から3週間かかるそうなので年明けになります。亡くなったのが12/5ですから。こう考えると全て病院絡みですね(笑)10月にシステムを新しくして色々な作業を簡略化し診察の待ち時間やお会計の待ち時間を減らすという触れ込みでしたが父の存命中も半日がかり、予約時間を4時間過ぎての診察に帰宅は7時過ぎとかが当たり前でした。これで改善されたというのなら首を傾げてしまいます。こういうのって私一人が病院に訴えたところでなにも変わらないんですよね。
2004年12月28日
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喪中はがきで父の死を知った高校時代からの友人がお香典を送ってくれました。でも・・・嬉しかったのは添えられた手紙。今年生まれたばかりの子供がいるのですぐには行けないけれどいつでも電話してきて、と書かれていました。彼女は、私が流産した時も長いメールをくれました。こういう一つ一つが励ましになります。
2004年12月24日
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妹とメールで必要なものなどを確認しています。父は一人暮らしでしたので私たちの荷物もなく家具などは全て業者さんにお願いして処分する事になっています。なので私たちは主に掃除です。父は以前ネコを飼っていたのでふすまなどがボロボロ・・・。修繕費は覚悟が必要です。昨日、駐車場の持ち主に電話をしました。父が亡くなる前からもう使っていなかったので契約の解除を「たまたま」お願いしていたのですが契約書があり、それを持ってきて欲しいとの事。当然、そんなものどこにあるかわかりません(^^ゞでも、まあ、印鑑を持っていけば大丈夫みたいです。年末、押し詰まった時に申し訳ないのですが30日にダーリンの実家に行く事にしたのでその日にお願いする事に。父の家はダーリンの実家と同じN市にあるのでそのまま居座って正月早々お片づけです。元旦には姉妹3人が集まるので片付けはとても気が重いけれど楽しみです。みんなで食事に行って温泉にでも浸かれるといいんだけど☆ダーリンの実家は依然、私を拒否!元々しっくりとはいってなかったのですが今回の父のことでお金がかかったりするのを嫌がっているようです。大事な息子に苦労させているのだから当然ですよね。もう私も仲良くする気はありません。先日寄った時もお悔やみの言葉一つありませんでしたし。だから介護が必要になっても私には頼らないでね♪
2004年12月23日
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今朝・・・多分3時ごろだと思います。「コンコンコン」3回ドアを叩く音で目が覚めました。ハッと起き上がり「寝てしまった!」と思いましたが次の瞬間夢を見たのだと気付きました。ドアを叩く音は父がトイレから出る合図に使っていて私が「犬を呼ぶようだ」と嫌っていたのにとうとうやめてもらえなかったものです。父を夜中にトイレに連れて行ったのにうっかり寝てしまったのだと勘違いしたのでした。父が亡くなってから”まだそこにいるような気がする”と思ったのはほんの一週間ほどですぐにいない状況に慣れました。忙しかったからでしょうか・・・。母や祖母の時は1年以上もそう思っていたのに。先週末までいろんな所から電話がありました。主に病院や役所関係です。書類の取り寄せや住んでいた所の退去の手配などで問い合わせが多く、少し留守にしていると留守電が入っていたり普段、電話はあまり使わない私にとっては特に内容が面倒なものばかりなのでブルーになる原因でした。今週に入って一通り落ち着いたようで激減しました。年が明けたらまだ少し残っているものを手配しなければなりません。もう少し、先が見えてきたので頑張りましょう。
2004年12月21日
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ある病院入院患者が他の患者と職員を刺すというニュースが流れてぞっとしました。「ベッドを覗かれた」というのが動機らしいのですが父が入院中、何度かトラブルを起こしたのを思い出しました。入院というのは同じ景色しか見れなかったり時間になったら食事が運ばれて消灯時間には灯りを消され・・・例えば病室で仲間ができなかったら一日中黙って過ごすかもしれない。集団生活はストレスも溜まる。古館一郎氏が「病気だけを診て患者を診ない」と言っていましたが一理あると思いました。病気は病気、専門外は一切関知せず。医師との面談の中でよく出てきた言葉が「私は専門外なのでまったくわかりませんから」父の場合はリウマチに起因して起こる現象なのだ。それでもわからないのは努力不足ではないかと知識がない私は単純に思ってしまう。結果、「次回までに調べておきます」と言った事さえこちらで調べたりした事が何度もあった。ソーシャルワーカーですらそうだった。医師は、病気を治すだけではなく心も含めて人間を治療すると考えて診てくれたらと思う。病気したら誰でも不安になるのだ。ちなみに私の通っている産婦人科の院長は2度の流産の時もお世話になっているので不安を察してくれてよく相談に乗ってくれる。ここは評判もいいのだがよくわかる。ファミリー編
2004年12月20日
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お友達から父にお線香を一箱いただきました。お金だと負担になると考えてくれたのだろうと思うととても彼女らしくて私もこういう心遣いができる人になりたいと思いました。出産前に働いていた会社の同僚(と言っても私の母くらいの年齢ですが)からも、書留でご霊前が届きました。喪中はがきを出してあったのでそれを受けての事でしょう。実は、親戚からも新聞を見て電話があったりしたのですが元々「縁を切った」と言われた父ですのでお香典などは遠慮していました。私たちにはまあ、よくしてくれるのですが電話のついでに過去をほじくり返されたりもしてしまうので父のことに関してはお世話になりづらいのです。でも、全くの他人である彼女たちがこうしてくれるのはとてもありがたくこういうお付き合いってわずらわしく思わせる人とさりげなくできる人がいるんだなぁとしみじみ思います。心遣いも過ぎると負担になりかねないしアバウトすぎると軽薄だったりしてまだまだ修行が足りないモカマミ~です。
2004年12月19日
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先日、医師から「最近、診ていなかったので意見書を書けない」と言われた話を書きました。そして、今日、M市役所から介護保険の暫定認定の期日の延長のお知らせが届きました。30日で認定の義務があるが医療機関の意見書が遅延しているために認定も遅れますと。もう使う人はいませんが生前にサービスを利用していたので認定をしてもらわないとなりません。そこで調べてみたら介護保険の申請をしたのは11月15日。調査員が来たのが11月19日。その前の診察は11月11日でした。これでも時間が離れすぎなんでしょうか。でも、今からではもう診察を受けることができないので困ってしまいますね。M市役所から何か連絡があるようならばもう答えようがないのですが・・・。なんとか意見書を提出してくれるように祈ります。昨夜から奥歯が痛み出しほとんど眠れませんでした(>_
2004年12月18日
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保証人になっている、医療費や住んでいたところの引き払いに伴う出費は逃れようがないので支払う覚悟を決めました。医療費3日入院で55万プラス引越し代(処分費含む)が20万くらい?もっと?それからうちで立て替えた家賃など15万ほど。大体90万位を考えています。火葬代35万円をプラスすると全部で120万ほどです。私が死ぬ時は最低でも100万くらいは残さなくちゃと思いました。父を引き取った時、目論み、というかちょっとした計算があって今までかかっていた入院費や家賃、水道光熱費の基本料金・・・いろいろな物がなくなるので寝たきりの父の事、そんなに必要なものもないと思うので私が年金を管理して少しずつでも貯金してこんな時に備えるつもりでした。ところが全てがマイナスのまま亡くなったのでみんな持ち出しです。これからは今までのように父にお金はかかりません。でも、最後の最後まで、いや、死んでなおまだ迷惑をかけられ続けてしまうのって普通の環境では考えられないでしょうね。正直、恨む気持ちで一杯です。なんてひどいムスメなんだ、実の子なのにって思うでしょ。でも、これ、ほんとにほんとの気持ちです。
2004年12月17日
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今日も今日とて朝から電話。父の出生場所の本籍がないとA市役所から。こちらにある物には従前戸籍という事でその住所と筆頭者が間違いなく載っている。どうしたらいいのやら・・・。A市の方でM市に照会して見ますとの事。次は父の最期の住所地のM市役所に電話。今回の医療費が55万ほどになったのでとてもうちでは払えない。高額医療費の貸付制度を利用したいと申し出るが相続放棄をすると高額医療費の払い戻し自体が財産という分類になるので受け取れない、貸付はできるが遺族が返済する事になるので医療費も放棄できるのでそうした方が良い、ただし、病院が認めるかどうかは別、という事だ。弁護士さんに私たちが保証人になっていることを相談したらそれはおそらく拒否できない内容だろうと。大体、入院時の保証人は「迷惑をかけない」というのと「治療費の支払い」についてうたってあるだろうと。とすると払う義務は生じてくるのであとは例えば何年かに分けて、とかの方法を打ち出す方向にもって行けたらという話だった。そうなると、父の住まいも私が保証人。修繕代など当然支払いの義務が。久しぶりに公園にモカモカを連れて行ってあげて帰ってきて昼食を済ませたら今度は病院。父の入院証明をもらいに行く。ただし、既往症があったため保険金は出ないかもしれないと言われている。3ヶ所の科をまわらなくてはならず疲れたモカモカはグズグズ始まったのでジュースでごまかす。帰りの車で寝てしまった。最近、お金の事ばかり気にかかって夜も満足に眠れない。夢を見ては何度も目を覚ます。これから出産、そして父のために買ったマンションへの引越しもあるのに今出費が重なりこのままでは安心していられない。
2004年12月16日
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49日まで待とうと思った父の衣類の整理を始めました。引越し前だったのでパジャマと下着くらいしかないけれどどうせなら年を越す前にきれいにしたいなと・・・。ちょっと情がないかもしれないですね。でも、父の為に毎日忙しく過ごしているのでできるときにできる事をやってしまいたいのです。私もいつまた安静なんて言われるかも知れないし。今日は区役所に証明を取りに行きました。父が亡くなってからいくつも必要になるので多めに取ってあったのですが足りなくなってしまったので。これまでの証明代、取り寄せるための切手代を合わせると15,000円はゆうに超えます。1週間前に速達で出し、返信用切手も速達分を貼った父の住民票除票は今日になってもまだ届きません。往復で700円・・・意味ないじゃーん!
2004年12月15日
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財産放棄をするための相談をするためお友達を通してお願いした弁護士さんにお会いしました。相談、といっても放棄をする方向で意思は固まっているので手続きなどを説明していただいたのですが自分たちでもできる、というか自分たちでやる割り合い簡単なもので数年前、母の時に弁護士さんに依頼して支払った30何万は一体何???って思いました。今回は相談料30分で5,250円。後は裁判所でかかる費用や戸籍などを取る費用がかかるだけです。できるだけ早く手続きをして気持ちをすっきりさせたいです。父は生命保険などに入っていないというか入っていたけれど2年未満は支払いナシ、といった類の物のみなので全てがマイナスになっていきます。大きな借金などはもちろん放棄することでなくなっていきますが葬儀(火葬のみでも30万以上)にかかった費用や細かい費用を計算するとけっこうな額になります。住んでいた家の片づけをする費用もかかってきます。まだまだ頭の痛い日々は続きます。父の使っていたベッド、もともは私の物で新しい家には持って行かないつもりだったのと偶然だけど父が入院した日に介護用ベッドが届く予定だったので粗大ゴミに出すことになっていて12月初めに申し込んでありその回収が今日でした。ベッドがなくなった部屋はがらんとしてけっこう広く見えます。
2004年12月14日
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社会保険事務所に父の死亡届をしに行ってきました。これって国のお仕事なんだから役所に届けを出したらスライドしてくれればいいのに全く違う場所に行って手続きしなくちゃならない。社会保険事務所なんてあちこちにはないから電車に乗っていかなくちゃならないし面倒・・・。着いたら27人待ち。時間かかりそうだなーと思っていたら内容別で私はすぐ呼ばれて書類の確認をしてトータルで30分ほどで済みました。モカモカは飽きて暴れ始めていたけれど迷惑をかけるほどではなかったので良かった(^^ゞ用意するべき書類は全部揃っていたので後は同一生計の証明をする用紙を持ち帰りそれができた時点で郵送すれば完了。年内にはいろんな物をすっきりさせたいけれど・・・。ケアマネさんに証明をお願いしてあるのですが介護保険の認定が出たら連絡することになっているんです。だから手を煩わせないようにその時一緒に書いてもらうつもりです。しかし、介護保険の認定自体、遅れているそうです。先週、市役所から電話があり、「医師の意見書が出ないかもしれない」と言われました。理由は「担当の医師が最近診ていないので書けないと言っている」という事なのですが2ヶ月前まで入院していて1ヶ月前にも通院しています。そう伝えたら「それで充分なのでもう一度問い合わせます」と返事をいただいたのですがみなさんはそんなに頻繁に通院して意見書を書いていただいているのでしょうか?だとしたら亡くなってしまったのでもう認定は受けられないのでしょうか。サービスを利用しているので出してもらいたいのですが。
2004年12月13日
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子供には「見える」ってよく言いますよね。私はこういう話を全く信じないタイプなのでこんな話をするのもどうかと思いますがそれをたぶん体験したのではと思う事がありました。父が運ばれていった時、モカモカはもう寝ていたので起こさずに私だけ行きました。帰ったのは次の日の昼です。車でちょうど近くを通っていた妹に最寄の駅まで迎えにきてもらい帰宅するとモカモカが「ばあば、来てるよ」とか「ばあば、いるね」と何度も言うので妹と冗談で「なあに、じいじのお迎えにでも来たの?」と軽口をたたいていました。ばあば、つまり私の母はモカモカが生まれる4年前に亡くなっているので写真でしか知りません。「ばあば」と口にする事はこちらから言い出さない限りなかったように思います。父が亡くなった日、病院から電話があったのは10時ごろで妹が来ていて興奮気味だったモカモカはまだ起きていたので着替えさせて一緒に連れて行きました。毛布などを持っていったので家族の控え室で寝かしつけ父の亡くなった時にバタバタしていたのは知りませんでした。家に着くと車から降りる時に起きてしまったのですがあちこちの部屋を覗いては「ばあば、いないねぇ」「ばあば、ドコ行ったの?」とすごくしつこく私たちに聞くのです。モカモカにはきっと母が見えていたのですね。母は最期の最期まで子供の事が気がかりだった様です。カレンダー、写真立て、ポスター・・・色々な物の裏側に「子供たちをお守りください」と書き残していました。もしかしたら父の病気が長引いたり悪化すると私たちが苦労するからと思い「もういいんじゃない?」と父を連れて行ったのかもしれません。ファミリー編
2004年12月12日
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父の様子を最初に見に行ったのはダーリンでした。父に呼ばれた時私は起きていたのですが半分寝かけていて起き上がろうとしたところダーリンが「いいよ」と言って隣の部屋に行ったのでした。そこですぐ父の様子がおかしいと私に伝えに来て飛び起きた私が救急車を呼ぶように言ったのでした。ダーリンは突然の事にすごく驚いたようでした。というのは多分、こういう場面に出くわした事がないのだと思います。私は過去にいろいろあって、男より度胸がすわっているとよく言われるような人なので・・・。この時のダーリンは本当におろおろするばかりでしたが私がとにかく冷静だったので救急病院に電話して指示を仰ぐといっていたダーリンを制して119に電話をさせ着替えをし荷物をまとめた後外に出て救急車を誘導をし寝ているモカモカのことを頼んで出て行きました。ダーリンはほとんど寝ずに連絡を待ってくれていたようです。病院にいて携帯が使えない私からの連絡を妹に伝えなくちゃならないと頑張ってくれていたのでしょう。モカモカを近所のママに連絡して頼んだので仕事に行っても大丈夫だったのですが彼の中の責任感のベクトルがこちらに向いて私が帰るまでなんとかモカモカにご飯をあげたりとすごく奮闘してくれていました。父が亡くなって一番下の妹が病院から葬儀会社の霊安室にそのま連れて行こうと言った時、その言葉をさえぎるように「家に連れて帰ります」と言ってくれました。短い間でしたが毎週見舞いに行って、一時退院した時や最期の2ヶ月間を一緒に過ごしてダーリンの中には自分の親に似た感情があったのではないかと思います。私がツワリでどうにもならなかった時、不器用な手でご飯の支度や下の世話までもしてくれました。話し好きで同じ事を何度も話す父に根気よく付き合ってくれました。後半、愚痴をこぼす事もあったけれどそんな顔は見せずに優しく接していました。私もダーリンといてちょっと変わったようです。ケンカがなくなり(そんな余裕もなかったのですが)「優しくなった」と言われました(笑)ダーリンに対する気持ちが尊敬に近いものに変わったのが自分でもよくわかります。こんな事で強くなる絆はいらない、そう思ったこともあります。介護はいつもイヤイヤでした。でも、父の存在は確かに何かを残しました。
2004年12月11日
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介護を拒否していた妹の話です。救急車で運ばれたのを知ったのは翌朝でした。病院では携帯が使えないためダーリンにメールでの連絡を頼んでいたのですが(深夜だったしその時は急を要していなかった為)次女のアドレスしか知らなかったため経由して連絡が行ったのは早朝だったようです。私が病院から帰れないことを聞いて11時ごろには横浜に来てくれていました。妹は、連絡が遅れた事情を知らず私がわざと連絡しなかったと思ったそうです。そしてこんな時にも連絡してもらえないのは嫌だ、これからは心を入れ替えて私を助けると泣きながら話してくれました。私も恨む気持ちは全くないので「じゃあ、まだまだ頼りにしなくちゃならないからその時はよろしくね」と一言言って終わりにしました。妹と病院に行くと父は目を覚ましており握った手を握り返したりして話しかけに応えていました。この時は二人とも、父は元気になって家に戻ると信じていました。一泊して妹は自分の薬を忘れたといい家に戻ったのですがその後父の容態が急変したのです。妹はもうすぐ家に着くところだったそうです。それからとんぼ返りで病院に戻り父の最期、そこにいる事ができました。うまく言えませんが、父は妹に嫌われている事を知っていて「どうして来ないの?」と聞かれたことがありました。「しょうがないよ」と応えましたが私も何かもっうまく伝えられれば良かったと今更ながら思います。
2004年12月10日
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メールで様子を伝えると電話がかかってきて「今夜行く」と言うのでまだ意識もあった父のことを思い出し「来なくてもいいよ」と返事をしました。たまたま通りかかった上司に電話の内容を聞かれ「すぐに行きなさい」と言われ会社からそのまま新幹線に乗り横浜までやってきました。この辺り記憶が混同してよく覚えていないのですが妹は意識のある父にはあえなかったように思います。多分、鎮痛剤も使えず意識のない父の姿しか見ていないでしょう。いわゆる「死に目」のようなものには間に合いましたが離れているとはこういう事なのですね。残念です。それでも妹は「虫の知らせ」というものに敏感なのかもしれません。母が亡くなった時も名古屋に住んでいましたがたまたま別の用で沼津にいました。亡くなったのはちょうど名古屋に帰ろうとした日でした。妹の彼も父には一度会ったきりなのに長野から駆けつけてくれました。平日休みの彼は偶然次の日から連休だったのですが仕事を切り上げて来たのです。父の存命中も何度も私に励ましのメールをくれました。妹ももちろん私の愚痴をよく聞いてくれたし自分のお給料の中から自分も遊びたいでしょうにいくらかのお金を送ってくれたりしました。父の食費や雑費でけっこうかかっていたのでとても助かっていました。壊れる絆もあればこうして強く結びつく絆もあり・・・終わってみれば辛い事ばかりではなかったと思います。もちろん、これは私が介護から解放されたからであり現在も頑張っている方は本当に辛い事も多々あるでしょう。開放されるのは「良かったね」とは言いづらいけれどみんなが円満でいられますように。
2004年12月09日
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あまりにあっけなく死んでしまったので気が抜けました。介護をこれから何十年も続けるんだという覚悟はなんとなく出来つつあったのに死に対する覚悟は何一つ出来ていませんでした。最初の日、一度着替え等を取りに行こうと帰宅し駆けつけた妹と一緒に病院へ行ったとき父は目を覚ましていました。また眠らされる処置をしていましたが呼吸器の付いた口で何か話そうとし、手も握り返していました。この時、私も妹も元気になって帰ってくるのだという事を疑いもしませんでした。あの傲慢でわがままでいかにも長生きしそうな父が死ぬなんて考えもしませんでした。亡くなって家に帰るとき外は土砂降りでした。だから見ていなかったけれど今朝、月を見たら三日月だったので人が亡くなるのは新月の時が多いという言葉をなんとなく思い出しました。家ではいつものベッドに寝かせてもらいました。妹は葬儀会社の霊安室にと言っていましたが私はやっぱり一度は自宅に帰してあげたかったので。そこからは不思議なタイミングで物事が進みました。市民でない父が横浜で斎場の予約を取るのはかなり待たなくてはならないそうです。しかし、たまたま翌日に取る事が出来ました。棺おけを運ぶ人数が足りないかと思われましたが妹の彼がたまたま連休で駆けつけてくれたのでこれも大丈夫でした。そもそも名古屋の妹は連絡待ちをするつもりだったのが仕事中の使用電話を立ち聞きされ内容を把握した上司が「すぐに行きなさい」と許可してくれて仕事場から直行していたのでした。私は霊とかは信じない方ですがやはり何かの力が働いたのかもと思いました。骨になった父は・・・リウマチのせいかボロボロで手足の先は形がなく骨壷も余るほどでした。7月に手術した首のボルトは入れませんでした。もう必要ないのですから。自分の足で歩き、自分の手で自由に物をつかみ開かなかった口を大きく開けて大好きな甘いものや硬いおせんべいを食べていることでしょう。介護中、亡くなるという事は当たり前にあることだと思います。私にもやはり多少の後悔はあります。でも、これから直面する方に伝えたい。後悔は付き物だけど自分を責めないであげてください。その時の自分に出来る精一杯のことをしているはずなんですから。
2004年12月08日
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父が亡くなりました。12月5日、午前1時37分。いつ止まるかわからなかった心拍が急激に落ちたという事で待合室にいた私たちが最後を看取ることができませんでした。何があったのか・・・わかりません。直接の原因は血管の破裂、間接的にはリウマチも影響しているのかもしれないそうですが解剖はしなかったので究明には至っておりません。お葬式はしません。父の希望でもありましたし私たちしか身内はいないので改まってやる必要を感じないからです。なのでこんなPCを開く時間もあるのですが。もうリウマチの痛みもありません。泣かないだろうと思っていたけれど普通に悲しくてたくさん泣きました。本当に運良く明日の予約が取れたので午後2時から荼毘にふされます。私の介護はたった2ヶ月間で終わりました。なんとか形になり始めたところだったのに。次はいろいろな法的な後始末などが山積です。
2004年12月05日
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誰かが死に掛けているというのに悲しくもないしPCを開いたりして。人工透析の必要があり承諾書をとりたいので来て欲しいと病院から電話があり午後3時に着きました。処置中だというので少し待合室で待機。面接室に呼ばれ説明を聞きました。血圧が低下、70~80程度で回復せず出血は検査の結果認められないので心臓が弱っているためと考えられる。血流維持ができないため肝臓・腎臓・腸管の障害が深刻になってきており水分で負荷をかけているが水分過多になって肺などに水が溜まり始める、よって血液透析によっ徐水するが血圧の低下を招き危険な状態になる可能性がある。鎮痛剤を使用していないが意識はなくいつ心停止になってもおかしくない、今こうしているうちにも止まってしまう様な状態だという事でした。
2004年12月04日
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父が夜中に腹痛を訴え、様子がおかしいので救急車でかかりつけの大学病院へ0時搬送されました。症状は激しい腹痛と嘔気。救急車の中では体の冷えが原因でバイタルも取れない状態、血圧は上が80ほど。病院でも最初血圧は80近くあったものの処置中に下がり70ほどに下がったと説明を受ける。CTの結果、胃の後ろに血種があるがどこからの出血かがわからないので試験回復し場所の特定をし、処置するという事。胸の真ん中から腰まで開腹するとの事。ただし、血圧が上がらないと麻酔もかけられない最悪の場合はこのまま外来で死亡もありえる。午前3時半、手術ができるという事で移動。意識はあり、問いかけにも小さく頷いたりする。しかし、手術室に入って間もなく心停止。幸いすぐに蘇生して手術を行ったが出血場所の特定に至らない。出血量は2500mlを超え体の血液が入れ替わった計算、しかし、出血はどこかの血管が破れたでもなくじわじわと染み出ている状況で大出血による血小板の流出で血液が凝固せず出血が続く。午前6時、覚悟をしてくださいといわれる。午前9時、ICUに戻った父と対面。麻酔から覚めることにより体が起きてショック状態になることを防ぐため覚まさずに様子を見るとの事。少し顔色も戻った気がする。執刀医の説明ではすい臓の下部のほそい動脈からじわじわと出血し、おそらく腹痛を訴えた時に大出血をしたのだろう、ただ、すい臓からの出血はかなりピンポイントでぶつかったりしない限り考えられない。しかし、外傷もなく原因がつかめない、という事であった。そこで思い出したのは15年ほど前、父がやはり原因不明の下血で危篤になったときのこと。この時もいろいろな検査をしたが原因がつかめずに自然治癒し退院したのであった。それを話すと「血管の疾患があるのかもしれない」と言われる。入院の手続きや持ち物などを説明され帰宅したのはお昼のことでした。夕方、必要なものを持って面会に行ったとき目を覚ましていて、でも、起きてしまうと・・・というのでまたお薬で眠らせるところでした。いろいろ話しかけたりしてあまり長くてもと思いそこそこにして帰りましたがとにかく疲れました。今日は熟睡できそうです。いいニュースは、介護を拒否していた妹が駆けつけてくれたことです。
2004年12月03日
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父が長期にわたって入院していたため家賃、水道光熱費、駐車場料金、その他もろもろの管理が不十分になっていたため滞納がかなりありそれに加えて入院費の未清算分、実家の荷物を引き払い明け渡しをしたりしなくてはならなかったりで実家の方と私のところの役所に毎日のように連絡を取りそれに伴い送られてくる請求書に頭を痛めています。ショートステイも提案していただいて一週間に12000円ほどだという事なのだがまずは支払うべきものから精算していかないとならないのでそちらにまわす余裕がなく・・・。デイサービスは入浴もできるし週一度の事なのでこれだけはせめてという感じです。生命保険、以前は入っていましたが気の荒い父はしょっちゅう担当者とけんかをしてその度に保険を解約し、また違う保険会社と契約し高い保険料を支払いまた・・・と繰り返していて最後、入院する1年ほど前に解約した後ほかの保険に入ろうとしたら既往症のためどこにも入れてもらえずかろうじて100万ほどの死亡保障をもらえるだけの保険にしか入っていない。億の借金や裁判を抱える父。死んだら死んだでまた苦労が待っている。母のときのようにまた弁護士さんのお世話になるんだなぁ。
2004年12月02日
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3日ほど便秘の後下痢を繰り返します。まあ、私から見たら3日くらいは便秘ともいえないほどなんだけど父の場合はそうじゃないですよね。ストレスが原因なのでしょうか。とにかく、毎回それで悩まされています。昨日は昼に2回、夜1回、今朝4時に1回、朝1回、今日の昼に1回。夜はダーリンの食事時間でしたが力仕事という事で手伝ってくれました。そのダーリンに内容を細かく説明をしたそうなので「食事中だから・・・」とさえぎったそうなのですがこれは私が何度も止めて欲しいと言っていること。排泄物の詳しい話なんて医者にしてくれって。今日の昼も昼食時にトイレでしたがまた説明してくれました。デリカシーがなくてもストレスは溜まるんですよね。今朝4時の時は私たちも遅くまで起きていたのでなかなか父の声に気付かず少し待たせてしまったようです。けっか、間に合わずおもらしをしてしまったのですがずいぶん責められました。でもね、それでも目が覚めると同時に駆けつけているんです。それ以上はどうにもできません。着替え、清拭、洗濯、掃除・・・ダーリンも父の私に文句を言う声で起きてしまって二人とも寒さで目が冴えてしまい6時前まで眠れませんでした。こんな思いをダーリンにさせてしまって本当に貧乏くじを引いてしまったのはダーリンかもしれません。わざわざ人の女房を取ってまで結婚したのに待っていたのはこんな現実ばかりです。私さえいなければしなくていい嫌な思いをたくさんさせてしまっていることがとても辛いし、悲しいです。こんな事で強くなる絆は望んでいません。父のことが何もなくてただ2人でくだらない事でケンカしたり仲直りをしていた頃に戻りたいなぁ。ファミリー編
2004年11月30日
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読売新聞の記者の方が家に来て介護の事での取材です。11/3に育児と介護の両立を主題とした記事が載り私がそれに対する感想をメールしたところお返事を頂き、今日の取材という運びになりました。この記事には50件もの反響が寄せられ反響特集が組まれることになりその中の一つに私のメールが選ばれた次第です。とてもイケメンで・・・って関係ないですね(笑)1時間半に渡ってお話を聞いてくださいました。何を話したらいいのかわからなかったのですがさすが、こういうお仕事をなさっている方は上手に話を引き出してくださるので心配する事もなかったみたい。内容は父の介護をするようになったこれまでの経緯や私が流産した事に絡んで精神的な負担や今現在の状況などです。私なんかの話が記事になるのかどうか?と思うのですが12/5に掲載を予定しているそうです。「みんなが『頑張ってるね』って言ってくれるけれど美談にしないでください」と言う事をお願いしました。だって私はイヤイヤなんですもの。最後に「介護をしていなかったらどんな生活をしていたと思いますか?」と聞かれました。「普通にお友達の家に行って子供同士遊ばせてママ同士お茶したりたまにはショッピングに行ってランチしたり、今までどおりの生活を続けていたんだと思います」と答えました。これは・・・つい1ヵ月半前までは日常だった事なのに今は皆無です。もう少し、デイサービスなどの利用が軌道に乗ってきたら回数を増やして・・・今はいっぱいで週一しか取れないそうなので・・・そうしたらそういう日常も少し戻ってくるのかなと期待しています。ファミリー編
2004年11月29日
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