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西新宿から新宿に向かって歩いて、ようやく新宿に到着です。新宿駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)・京王電鉄・小田急電鉄・東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅になります。1日平均乗降者数は約353万人(2017年)と世界一(ギネス世界記録認定)多い駅であり、地下道などで接続する西武新宿駅・新宿西口駅まで含めると約377万人(2017年)となり、この数字は横浜市や静岡県の人口に匹敵するそうです(→→→こちら)。 こちらが、丸ノ内線の新宿駅の西側の改札口です。東側の改札口(新宿東口)とは、地下通路「メトロプロムナード」でつながっています。そのメトロプロムナードを東口方向に歩いて行きます。ちなみに「メトロプロムナード」隣の新宿三丁目駅までつながっています。こちらが東側の改札口です。11月末に撮影したのですが、半袖の人もいたんですね。新宿から帰ります。休日だと駅もそんなに混んでいないですね。ホームの床を見ると青線と白線が引かれていました。青線は普通に並んで待つ乗客用、白線は新宿始発に待って乗ろうという乗客用ということですね。毎朝、通勤で新宿駅を利用される方、なんか大変そうですね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(西新宿~新宿)(その5) 新宿駅
2020年01月20日
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西新宿から新宿に向かって歩いています。青梅街道を東に向かって歩いています。この歩道橋が、新都心歩道橋です。歩道橋の上から西新宿の方を撮影しました。こちらは新宿大ガード(しんじゅくおおガード)→→→こちら)の方を撮影しました。丸ノ内線は、この道の下を通って新宿駅に向かっています。新宿駅西口に着きました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(西新宿~新宿)(その4) 新都心歩道橋
2020年01月19日
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西新宿から新宿に向かって歩いています。新宿アイランドの前にあるパフリックアート「LOVE」です。Oの字がちょっと傾いているのが、デザインの妙味ということですかね?高層ビルの谷間あるモニュメント。都指定 旧跡の「策(むち)の井(→→→こちら)」です。元和年間に徳川家康が鷹狩の際にわざわざ水を飲みにより、ムチを洗った故事が由来とされているそうです。こちらは、「淀橋浄水場跡」の石碑です。新宿西口、東京都庁はじめ、高層ビル群がそびえ立つこのあたり一帯は、かつて淀橋浄水場(→→→こちら)だったそうで、当時浄水場の正門を示す石碑だそうです。新宿西口の高層ビルの谷間で、ちょっと東京の歴史の一端に触れることができました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(西新宿~新宿)(その3) 淀橋浄水場跡
2020年01月18日
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西新宿から新宿に向かって歩いています。この建物は新宿署です。さらに、新宿に近づくと色々と高層ビルが見えてきました。こちらは、新宿野村ビルディング(50階)。新宿三井ビルディング(55階)モード学園コクーンタワー(50階)【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(西新宿~新宿)(その2) 高層ビルの町
2020年01月17日
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西新宿から新宿に向かって歩いています。丸ノ内線の西新宿駅です。1996年(平成8年)5月28日 に 開業した丸ノ内線では新しい駅です。駅を出るとすぐに新宿アイランドタワー(→→→こちら)があります。ビルの前には、ちょっと意味がわからないオブジェが展示されています。また、これもちょっと変わっていますね。東京厚生信用組合(→→→こちら)がありました。聞き慣れない信用組合ですが、主に福祉、医薬、環境衛生、食品等を取り扱う業種を対象とした業域の信用組合だそうです。特定の職域の人を対象にした信用組合というのは、結構あるようで、MoMo太郎が以前働いていた岩手県、埼玉県、福岡県、佐賀県や鹿児島県では、それぞれ、岩手県医師信用組合、埼玉県医師信用組合、福岡県医師信用組合、佐賀県医師信用組合、鹿児島県医師信用組合といった医師会の会員やその家族、医療機関を対象にした信用組合がありました。また、医療関係の職域だけではなく、公衆浴場業者を対象とした東浴信用組合や警察関係者向けの警視庁職員信用組合、朝日新聞社およびその関連企業の従業員を対象とした朝日新聞信用組合といったものもあるようです。【つづく】追伸マイクロソフトのサポートが終了して使えなくなったWindows7でしたが、調べてみると、以下のURLにアクセスして、Windows 10 アップグレード用のアプリケーションを入手できました。https://www.microsoft.com/ja-jp/software-download/windows10ちょっと時間がかかりましたが、今までサブで使っていたWindows 7のノートパソコン、無事Windows10にアップグレードできました。人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(西新宿~新宿)(その1) 東京厚生信用組合
2020年01月16日
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中野坂上から西新宿に向かって歩いています。成子天神社から新宿方面に向かって歩くと立派な病院があります。東京医科大学病院です。東京医科大、国立大学法人の東京医科歯科大学ではありません。また、私立の東京女子医大でもありません。 創設は1916年(大正5年)の名門の私立の医科大学です。卒業生には日本医師会をバックにして参議院議員を4期務めた故丸茂重貞先生、同じく日本医師会元副会長で元参議院議員、元自由民主党副幹事長も務められた宮崎秀樹先生。そして、小説家の山田風太郎(本名:山田 誠也)氏、精神科医でよくマスコミに登場する香山リカ(本名:不明)といった方々も卒業されています。東京医科大学の前がもう丸ノ内線西新宿駅(→→→こちら)です。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野坂上~西新宿)(その10)東京医科大学
2020年01月14日
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中野坂上から西新宿に向かって歩いています。これは、成子天神社にある富士塚です。富士塚というのは、古来から富士山は信仰の対象とされており、その富士山を模して造られた人工の山です。この富士塚には本物の富士山の溶岩を用いていて、高さは約12m、新宿区内の富士塚では最も大きいものだとか。ちゃんと石碑もありました。でも刻まれた文字は「湯殿山」(→→→こちら) 山形県にある出羽三山のひとつ、修験道の霊場です。こちらの石碑「成子富士浅間神社竣成記念碑」で、ようやく富士塚らしく。そして、富士山といえば浅間神社。ここにもありました。この石像は浅間神社の主祭神、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の像です。結構、険しい山道になっていました。これが、本物の富士山の溶岩なんでしょうね。山頂にある浅間神社の祠です。山頂からの眺望です。高層マンションが目立ちます。それでも麓にある浅間神社を見下ろしてみると、結構高く感じました。マンションに囲まれた富士山です。中央の無大木は夫婦公孫樹の雄木です。雌木は境内の中央にあります。しかし、成子天神社、都会の中にあるとはいえ高層ビルの谷間なっていました。というのは、境内の土地を借地にしてこういう高層ビルを建てて、神社はその収入で建物を新しくしたり境内を整備したようですね。これも現在に生きる学問の神様、菅原道真公ならではのアイデアですかね。【つづく】追伸Windows 7は、2020年1月14日にマイクロソフト社の延長サポートが終了するとのことで、今までサブで使っていたWindows 7のノートパソコン使えなくなりました。今のところサブマシンの追加ないしはWindows 10へのバージョンアップを考えていないので、PCは一台体制となります。ということで、ブログの更新作業などにちょっと不便があるかもと心配しています。人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野坂上~西新宿)(その9)富士塚
2020年01月13日
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中野坂上から西新宿に向かって歩いています。本殿の脇には立派な石碑がありました。「菅公二千年祭挙行の碑」揮毫は菅原道真を顕彰する菅公会などの会長を務めていた侯爵の黒田長成(→→→こちら)となっています。その石碑の横には、石が7個、並べられていました。これは力石(→→→こちら)と呼ばれるもので、祭礼などで余興の力くらべに使用されたそうです。よく見てみると石には文字が彫りこまれていました。これはこの石を持ち上げることができた人の名前だそうです。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野坂上~西新宿)(その8)力石
2020年01月12日
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中野坂上から西新宿に向かって歩いています。神社なので、狛犬が設置されているのは当然なのですが。江戸時代に建立されたものでずっしりとして体つきの狛犬でした。天神社ということで、撫牛もありました。牛は、天神さまの神使(しんし:神さまのお使い)とされる動物ですから。身体の具合の悪い所を撫でた後、「撫牛」の同じ場所を撫でると病気が治ると言われています。昔、その話を亀戸天神で子供にすると、彼女は自分の顔を撫でたあと牛の顔を撫でていました。そんなことより、学問の神様、天神様に来たのだから頭を撫でて欲しかったです。3本の柱でできた鳥居で囲まれた井戸がありました。災害時には役に立つかもしれませんね。背後に写っている娘さんがお参りしているのは水神さまの社でした。この建物は神楽殿だそうです。こちらはお神輿が保管されている所です。この大木は夫婦公孫樹の雌木です。雄木は境内の奥にある富士塚というところにあるそうです。ここが本殿、天神様、菅原道真公が奉られています。この成子天神は2014年(平成26年)頃に社殿などが建て替えられたみたいですね。ところで、今では天神イコール菅原道真というように思われていますが、実は道真公以前から天神はあり、高天原にいる神々のことを意味していたそうです。したがって、道真公の天神社ができる以前からあるような小さな神社で〇〇天神社という名称のものが残っています。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野坂上~西新宿)(その7)成子天神境内
2020年01月11日
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中野坂上から西新宿に向かって歩いています。立派な赤い鳥居が建立されています。鳴子ウリ(→→→こちら)という野菜がこのあたりの名産だったようですね。こちらが成子天神社の由緒(→→→こちら)です。歴史のある神社にしては、新しい神門です。神門の中には風神様と雷神様が設置されていました。ちなみに菅原道真は死して天神(雷の神)になったと伝えらているそうです。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野坂上~西新宿)(その6)神門
2020年01月10日
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中野坂上から西新宿に向かって歩いています。交差点です。成子天神下交差点です。ビルの間に成子天神社があるようです。ここに来たのは11月だったので、七五三の時期でした。立派な石柱。なかなか、立派な神社のようです。参拝して行くことにしました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野坂上~西新宿)(その5)成子天神
2020年01月09日
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中野坂上から西新宿に向かって歩いています。青梅街道が二手に分かれます。左に行けば飯田橋。右に行けば新宿です。淀橋を渡ると新宿区になりました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野坂上~西新宿)(その4)ここから新宿区
2020年01月08日
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中野坂上から西新宿に向かって歩いています。淀橋(よどはし)(→→→こちら)です。橋の下には、淀むことなく神田川が流れています。橋の下では、水鳥が集まっていました。淀橋を渡ります。大正十三年に出来ていたのですね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野坂上~西新宿)(その3)淀橋
2020年01月07日
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中野坂上から西新宿に向かって歩いています。スーパーマーケットのライフ(→→→こちら)を発見。むかしここは別のスーパーがあったような記憶が。こちらのビルには、変わったものが置かれていました。石臼?ビルの名前もストーンミル(stone mill)、石臼ですね。このビルの中にあったのは石森製粉株式会社(→→→こちら)。そば粉を扱っている会社でした。かつて、中野区では製粉が盛んに行われており、その名残としてこの石臼が置かれているのでしょうか。そういえば、この近くの宝仙寺ありましたこの塚。石臼塚です。むかしは神田川に水車があって、それでそば粉を挽いたのですね。自然のエネルギーを上手く使って挽いた中野のそば粉でそばを食べていた江戸っ子の皆さん。スウェーデンの女子高生、グレタ・トゥーンベリ(→→→こちら)も認めてくれるかしら。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野坂上~西新宿)(その2)石臼のあるビル
2020年01月06日
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中野坂上から西新宿に向かって歩いています。中野坂上駅からスタートします。こちらが中野坂上駅への入り口です。駅の前は山手通と青梅街道の交差点です。中野坂上には高層ビルが立ち並んでいます。このビルはハーモニータワーです。こちらは住友中野坂上ビルです。こちらは、中野坂上サンブライトツインです。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野坂上~西新宿)(その1)高層ビル
2020年01月05日
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中野新橋から中野坂上に向かって歩いています。国旗がたくさん飾れていました。国際色豊かですね。このお店は、食パンの店でした。「うん間違いないっ!」このマークが見えてくると、地下鉄の駅です。丸ノ内線の中野坂上駅に到着です。「うん間違いないっ!」【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野新橋~中野坂上)(その5) うん間違いないっ!
2019年12月28日
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中野新橋から中野坂上に向かって歩いています。青梅街道沿いにある味噌屋さんです。あぶまた味噌(→→→こちら)です。江戸あま味噌で有名な老舗だそうです。でも、MoMo太郎は食べたことはありません。この裏が工場になっているそうです。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(中野新橋~中野坂上)(その4) 江戸甘味噌
2019年12月27日
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中野新橋から中野坂上に向かって歩いています。このビルには、アニメを制作する株式会社マッドハウス(→→→こちら)が入居しています。このビルなら火災には安全かもしれませんね。さすがはブラック企業(→→→こちら)、不慮の事故で従業員が亡くならいような配慮です。青梅街道との交差点にきました。ここを右折です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(中野新橋~中野坂上)(その3) マッドハウス
2019年12月26日
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中野新橋から中野坂上に向かって歩きます。中野新橋を渡ると、青銅製の擬宝珠が展示されていました。この擬宝珠、新橋の親柱に平成23年8月まで取り付けられていたそうです。今は、銀色の擬宝珠になっています。この道を進みます。ちょっと緩い坂道になっています。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野新橋~中野坂上)(その2) 擬宝珠
2019年12月25日
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中野新橋から中野坂上に向かって歩きます。中野新橋駅です。ホームがカーブしています。改札口を抜けて外へ。中野新橋駅のすぐ横にある橋。「中野新橋」という名前の橋です(→→→こちら)。橋の下を泣かれるのは神田川です。こちらが上流側。こちらが下流側です。護岸がしっかりと整備されていますね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野新橋~中野坂上)(その1) 中野新橋
2019年12月24日
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ちょっと大回りで寄り道しましたが、中野富士見町から中野新橋へ向かって歩いています。中野新橋、本当の新橋ほどではありませんが、駅に近づくとちょっした飲食店街がありました。飲食店を抜けると高いビルが。日曜日で店休日なのでしょうか。本屋さんのようです。いつわ書店、いつわ、五輪、五輪といえばオリンピック。前回の東京オリンピックを記念して開業したのでしょうか? そしてビルを建てるまでに稼いだとか。実は歌手の五輪真弓(→→→こちら)のご実家らしいです。(→→→こちら)中野新橋駅に到着です。結構、立派なビルですね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野富士見町~中野新橋)(その5) 飲食店街
2019年12月22日
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中野富士見町駅から中野新橋に向かっていますが、ちょっと寄り道します。この交差点までやってきました。こちらが川島通りです。商店街になっています。日曜日の朝なので、閉まっているお店も多いですね。この商店街、ドラマのロケでも時々使われているそうです。昔ながらの元気な商店街です。MoMo太郎もこの近くに住んでいたので、時々利用していました。昔ながらの地球瓶(→→→こちら)月一回、日曜日に朝市があるようです。こちらは、中野新橋に向かう途中、住宅街の中にある銭湯です。当時は風呂付のアパートに住んでいましたが、一度、行ったことがあります。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野富士見町~中野新橋)(その4) 川島商店街
2019年12月21日
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中野富士見町駅から中野新橋に向かいます。ちょっと懐かしい看板を発見。チェリオ(→→→こちら)、セブンアップ(→→→こちら)とハイクロンA(→→→こちら)です。チェリオやセブンアップは今でも見かけますが、ハイクロンAは見かけません。ということで、ハイクロンAのCMです。このあたり中新商店街、つまり中野新橋商店街になってきました。弥生町二丁目です。ここから、南に向かって寄り道します。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野富士見町~中野新橋)(その3) 懐かしい看板
2019年12月20日
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中野富士見町駅から中野新橋に向かいます。この道、「本郷通り」を進みます。本郷通りといっても、あの有名大学の前を通っている同じ名前のあの道とはつながっていません。ちょっと気になる古びたビルディング。地下には、レトロ感あふれるお店が入っています。こちらはコンビニエンスストアですが、イートインスペースが二階にあるようです。こういう構造だと、「イートイン脱税」はやりにくそうですね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野富士見町~中野新橋)(その2) 気になるお店
2019年12月19日
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引き続き、中野富士見町駅から中野新橋に向かいます。中野富士見町駅です。中野富士見町駅を過ぎると、バスの車庫が。さらにこの道。中野通りを渡ると、またしてもバスの車庫。こちらもバスの車庫。バスの車庫がこんなに多いのは、中野富士見町、正確には東京都中野区弥生町5丁目、に京王バス中野営業所(→→→こちら)があるからですね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(中野富士見町~中野新橋) (その1) バス車庫
2019年12月18日
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神田川です。神田川沿いをまだ歩いています。この狭い道を歩きます。対岸の堤防には、丸いゲートが付いていました。フラップゲート(→→→こちら)とというタイプのゲートです。バスの車庫がありました。そして、中野富士見町駅に到着です。歩いている辺りの地図です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その11) 中野富士見町駅
2019年12月16日
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中野富士見町に向かって神田川沿いを進みます。神田川の堤防です。自然の石を積んで無機質なコンクリートの表面にアクセントをつけるデザインでしょうか。それとも表面のモルタルが剥がれたところを補修しているのかも。堤防の上には、鉄板の鳥さんもとまっていました。歩いている辺りの地図です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その10) 神田川の堤防
2019年12月15日
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また橋が見えました。和田廣橋という名前です。橋の下を流れる川は、杉並区の善福寺公園内にある善福寺池に源を発する善福寺川(→→→こちら)です。下流側はすぐに神田川に合流しています。善福寺川についての説明板がありました。歩いている辺りの地図です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その9) 善福寺川
2019年12月14日
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神田川沿いの道を進みます。神田川です。水位を示す標尺がありました。そして、このような施設がありました。「河川情報システム 水位警報局」だそうです。この装置で超音波又は電波を発射して水面までの距離を測り、水位を計算するそうです。私たちの命を守ってくれる大切な設備ですね。、歩いている辺りの地図です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その8) 水位警報局
2019年12月13日
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いったん、広町みらい公園に戻ります。公園から眼下に神田川と中野車両基地(→→→こちら)を見下ろします。丸ノ内線の車両が止まっています。写真には撮れませんでしたが、ここには銀座線の車両も入ってくるそうです。遠くには、東京都庁も見えました。歩いているあたりの地図です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その7) 中野車両基地
2019年12月12日
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橋が見えました。名前は? 栄橋(さかえはし)。「さかえばし」と濁りません。橋の下には、濁っていない水が流れています。神田川です。歩いている辺りの地図です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その6) 神田川
2019年12月11日
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大きな公園です。名前は、「広町みらい公園」です。島忠ホームズ(→→→こちら)がありました。首都圏ではよく見かけるホームセンターです。今歩いているあたりの地図です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その5) 広町みらい公園
2019年12月10日
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方南通りに面して、ちょっと美味しそうなイタリアンのお店。住宅街ですから、こういう所に通う子供さんも多いのでしょうね。でも、ここでは知能を鍛える知育だけかも。こちらだと、空手と学習塾が一緒にあるので、知育も体育も鍛えられますね。でも、道徳心を鍛える徳育の場はないようです。今、歩いているところの地図です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その4) 知育、体育、そして徳育は?
2019年12月09日
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方南町通り沿いには商店街が続きます。方南町銀座アーケード街です。どちらかというと小銀座ですね。「牛めしの松屋」と「とんかつの松のや」、同じ会社なので仲良く並んで看板を出していました。方南通りを東へ向かって歩きます。道路標識が見えます。ここから中野区です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その3) 方南銀座
2019年12月08日
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方南町駅の地上出口です。目の前を大きな道路がありました。環七と呼ばれているますが、正式には「東京都市計画道路幹線街路環状第7号線」です。東京という街は、まず皇居を中心に放射状に、国道一号線(東海道)、国道四号線(日光街道)、などが郊外に向かって延びていて、さらにそれを皇居を中心に環状に道路が配置され、それらの放射道路をつないでいます。それらの環状道路は、内側から1号、2号となっており、八号まであります。正確には、一本の道路ではなく、外苑東通り、目白通り、言問通り、三目通りなどが組み合わさって環状3号線となっていたり、また中央区築地から港区新橋までの区間が事業中(多分オリンピックには間に合うでしょう)の環状2号線もあります。だいたいどの道が環状道路になるかをいうと次に示すとおりです。東京都市計画道路幹線街路環状第1号線(内堀通り)東京都市計画道路幹線街路環状第2号線(外堀通りなど、虎ノ門付近はマッカーサー通りと呼ばれています)東京都市計画道路幹線街路環状第3号線(外苑東通り、目白通り、言問通り、三目通りなど)東京都市計画道路幹線街路環状第4号線(外苑西通り、不忍通り、丸八通りなど)東京都市計画道路幹線街路環状第5号線(明治通り)東京都市計画道路幹線街路環状第6号線(山手通り、旧山手通り)東京都市計画道路幹線街路環状第7号線(環七通り)東京都市計画道路幹線街路環状第8号線(環八通り)方南通りは西新宿から杉並区永福に至る道です。方南通りと環七の交差点です。方南町交差点です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その2) 環七
2019年12月07日
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丸ノ内線の駅間歩きを再開しました。よろしくお願いします。今回は、丸ノ内線の始点のひとつである方南町から始めます。方南町に行くには、中野坂上から方南町に向かう方南町支線に乗り換えなくてはいけません。ということで、丸ノ内線中野坂上駅は島式ホーム2面3線の構造で、真ん中の線路が方南町支線の発着ホームになっています。また、本線から中野富士見町にある車両基地に行くために、以前から方南町支線へは途中の中野富士見町まで直通列車が走っていました。さらに、最近は方南町まで直通列車が走るようになりました。とはいっても本数が少ないので、この支線を往復する3両編成(丸ノ内線本線は6両編成)の列車に乗りました。方南町駅に到着です。方南町駅のホームが新しいのは、方南町まで本線の直通列車6両編成が乗り入れられるようにホームの改築を行ったからですね。丸ノ内線の路線案内図です。ところで、方南町駅の番号が、Mb03となっています。そして、次の中野富士見町はMb04、中野新橋はMb05という順番で、Mb01とMb02がないのはヘンですね。方南町からその先へ、例えば永福町あたりまで、いずれは延伸でもあるのでしょうかね?【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 丸ノ内線(方南町~中野富士見町) (その1) 方南町駅
2019年12月06日
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ようやく中野坂上です。中野坂上駅にある荻窪寄りの出入口です。これは2012年(平成24年)にできたそうです。こちらは山手通りに面した出入口、このあたり再開発で高層ビルができたので、その時、改装したのだと思います。中野坂上駅は東京メトロ丸ノ内線と都営地下鉄大江戸線の乗換駅になっています。こちらは、青梅街道北側の出入り口。MoMo太郎が住んでいた頃から変わっていない雰囲気ですね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新中野~中野坂上)(その8) 中野坂上駅
2019年10月16日
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中野坂上近辺でちょっと寄り道しました。住宅街の中の小さな公園ですが、こういう看板が立ててありました。享保13年(1728)にベトナムあたりから連れて来これて、中御門天皇が謁見し、さらに江戸で将軍吉宗が上覧した後、中野村の源助に下げ渡されたそうです。そして源助はここに象小屋を建てて飼育していたそうです。寛保2年(1742)に象が病死した後、皮は幕府に献上され、牙一対は源助に与えられました。この牙は、宝仙寺(現、中央2丁目)に保存され、戦災にあいました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新中野~中野坂上)(その7) 象小屋
2019年10月15日
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もう中野坂上です。宝仙寺の山門の前にあるこのお店。熱帯魚プロショップとありますが、昔からありましたね。MoMo太郎が中野にいたのは、ミレニアムの前後ですから、もう20年以上かな。山手通りまであと200メートルです。もう中野坂上駅への出入り口が見えてきました。こちらのスーパーマーケット、都内ではよくみかけますが、この店も20年以上前からありました。でも最近リニューアルオープンしたのかも。また、ちょっと寄り道して行きます。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新中野~中野坂上)(その6) 古くからあります
2019年10月14日
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中野坂上に行く前に寄り道です。宝仙寺前という交差点に来ました。この宝仙寺、著名人の葬儀・告別式も多く執り行われることでも有名なお寺です。こちらが山門です。寺の正式な名称は、「真言宗豊山派明王山宝仙寺」です。山門には阿・吽一対の仁王像が納められています。こちらが「阿」でしょうか?右側が「吽」でしょうか。阿吽の呼吸でお寺を守っています。相当、広い境内です。これなら大きなお葬式もできそうですね。宝仙寺は 平安後期の寛治年間(1087~94)源義家によって創建されました。でもこちらの鐘楼は新しいですね。三重塔もありました。こちらは噴水のような積み方をした石臼の塚です。近くを流れる神田川に水車小屋があって、そこで使われていた石臼を供養しているのですね。頂上の石臼です。石臼、実物は初めて見ました。明治28年から昭和の初期まで中野町役場が、また区役所が境内に置かれていたそうです。中野町役場の石碑のいわれが記されていました。ところで、中野という地名は武蔵野台地の真ん中にあるからついたと聞いたことがあります。こちらが本堂ですね。真言宗のお寺だけに、やっぱり弘法大師の像は欠かせませんね。オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラマニハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン「大日如来の智慧の光によって私たちの心に光明がさし込む」という真言を唱えましょう。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新中野~中野坂上)(その5) 宝仙寺
2019年10月13日
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色々なお店がありますね。こちらはトヨタ自動車のディーラーですが、東京では、トヨタカローラとかトヨペットとか、ネッツトヨタというのはなくなって、トヨタモビリティ東京という店名になっています。平和ビル、なんか願いが込められているのでしょうかね。やっぱり、平和が一番ですね。日本犬専門のペットショップです。昔からありました。でも甲斐犬って、堂発音するんですかね。秋田犬は「あきたいぬ」と読みますが、それに倣って甲斐犬を「かいいぬ」と発音するのでしょうか。とそんなことを書いていると、親切な人から、こう呼ぶのですよというコメントをいただくので、調べてみました。英語表記では「Kai Ken」となるそうです(→→→こちら)。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新中野~中野坂上)(その4) トヨタのお店
2019年10月12日
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中野区を歩いています。MoMo太郎は昔、中野区に住んでいました。中野消防署がありました。消防車待機中です。中野新橋入口の交差点です。この道を行くと中野新橋です。中野新橋に住んでいた頃、松村邦洋さんとかダンカンさんを町で見かけました。あの辺りにお住まいなんでしょうかね。貴乃花、若乃花のいた二子山部屋もありました。こちらが青梅街道です。高層ビルが見えるのが、中野坂上の方です。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新中野~中野坂上)(その3) 中野新橋入口
2019年10月11日
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駅間歩き続けます。新中野駅の近くある「鍋屋横丁」です。通称「鍋横」です。横丁というには大きな道路ですね。両側は商店街になっています。交差点の傍に鍋屋横丁の由来を示す石碑がありました。中野区の史跡めぐりのコースになっていました。この鍋屋横丁は妙法寺というお寺へ行く道だったんですね。江戸から青梅街道を経由して妙法寺に向かう際、ここで左折する時の目印に「鍋屋」という名の茶店であったことから、「鍋屋の横丁」になったそうです。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新中野~中野坂上)(その2) 鍋屋横丁
2019年10月10日
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新中野駅から駅間歩き続けます。新中野駅、乗降客が多いのか出入口は4カ所あるのです。これは青梅街道北側新宿寄りのエレベーター出入口。こちらはその近くにある階段の出入口こちらは、同じく青梅街道北側の荻窪寄りの出入口。地下の線路の下を通る通路でつながっているとはいえ、階段の上り下りが面倒なので、新宿方面に行く人はこちら側を利用するのですね。こちらは青梅街道南側のエレベーター出入口。荻窪寄りにありました。こちらは青梅街道南側の新宿寄りの階段出入口。荻窪方面に行く乗客、または新宿方面から乗って来て降りる乗客がメインで使うのでしょうね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新中野~中野坂上)(その1) 新中野駅
2019年10月09日
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もうすぐ、新中野です。青梅街道と中野通りの交差点で見つけたビルです。構造計画研究所(→→→こちら)です。なんか堅そうな名前ですが、業界ではなかなか有名な企業のようです。新中野駅に着きました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(東高円寺~新中野)(その3) 構造計画研究所
2019年10月06日
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新中野駅へ向かっています。東高円寺、大学が近くにあるのですね。女子美術大学、美しい女子大生が在籍していそうな名前ですね。新渡戸文化学園、武士道を教えてくれるのでしょうか。大して歩くこともなく、中野通りが近づいてきました。青梅街道と中野通りの交差点です。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(東高円寺~新中野)(その2) 女子美術大学
2019年10月05日
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駅間歩き、東高円寺駅から出発です。青梅街道南側の出入口です結構大きい出入口ですね。建物は駅事務所になっています。そして、裏に回るとエレベーター用の出入口がありました。こちらは青梅街道北側の出入口です。マンションの下になっています。丸ノ内線の新中野駅 - 南阿佐ケ谷駅間は1961年(昭和36年)11月1日に開業したのですが、東高円寺駅は、途1964年(昭和39年)9月18日に開業だそうで、後からできた駅なんですね。、【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(東高円寺~新中野)(その1) 東高円寺駅
2019年10月04日
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駅間歩き、ちょっと公園の木陰で休憩中。お約束の銅像です。子供だからでしょうか、股間は隠していますね。大きな滝があって、ちょっとはひんやりしているのが、うれしかったです。水音も心地よいものです。滝の裏には渓流を模した小川が流れ、子供たちが水遊びしていました。この蚕糸の森公園に併設されている杉並第十小学校です。校庭にも自由に入ることができるようです。23区内でもまだ土のグランドの小学校ってあったのですね。蚕糸の森の東側の出口にあった案内図です。そして、東高円寺の駅に到着しました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新高円寺~東高円寺)(その7) 公園の散策
2019年10月02日
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東高円寺駅までまだ着かないみたいですね。立派なレンガ造りの門には、「蚕糸の森公園」(→→→こちら)の表札が掲げられていました。蚕糸つまり生糸、シルクですね、ということは世界文化遺産の富岡製糸場(→→→こちら)にもつながる貴重な文化財があるかも。ということで、案内図を確認して入ってみることに。公園にお約束の銅像。腰にタオルを巻いてあそこは隠しているのは、なかなか上品な作品ですね。蚕糸科学技術発祥の地の石碑がありました。揮毫された平塚英吉(ひできち)(→→→こちら)とは、明治21年、山形県新庄市に生まれ、東京帝国大学農科大学卒業後は、大正15年から20有余年にわたり農林省蚕業試験場長と東京帝国大学教授を兼任し、国内外に高く評価されている蚕の栄養に関する研究をはじめ、化学的手法によりわが国の養蚕技術の基礎を確立した功績のある人だそうです。こちらには、この公園の来歴が綴られていました。簡単に言うと、かってこの地にあった「蚕糸試験場」は、明治44年に設置され、昭和55年に筑波に移転するまでの70年にわたってこの地にあったことから、その跡地を杉並区の公園にしたということです。なかなか、その手の研究者には歴史的には重要な場所かも。ちなみにこんなサイトもありました(→→→こちら)。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新高円寺~東高円寺)(その6) 蚕糸の森公園
2019年10月01日
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環七を越えて、東京の中心部に近づいた感じです。青梅街道と環七との交差点に建つガラス張りのビル。フィットネスボクシングだそうです。こちらにはちょっとシブい街灯がありました。結構、凝った装飾ですね。街灯の前には、これまた煉瓦でつくられたシブい門がありました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新高円寺~東高円寺)(その5) シブい街灯
2019年09月30日
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