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2008/03/16
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カテゴリ: 私
「脱税」と書いてみて気づきましたが、2つの漢字の旁(つくり)は同じなんですね!いえ、何も脱税を企てているというわけではなく、「納税する立場を積極的に脱したい、脱しよう!それこそがオルタナティブな生き方なのではないだろうか」と考えついたしだいです。

私の本業は収入には結びつかない「母親」ですから、副業でホメオパスをしてはいますが、事業所得はたいへん低く、今年度も所得税はゼロ申告でした。でも、この春から母も来てくれるし、あちこちに出たりクライアントさんをもっと受け入れたりしようかなぁなんて思っていたんです。そうすると所得も増えてしまうし、今のうちに青色申告の届出をしたほうがいいかもしれないとか、時節柄、「税金」というものについていろいろと考えたりしておりました。

それと並行して、このたびは家を直したり母の引越しを予定していたりと、少しばかりまとまったお金を使う機会が増えて、「お金の行方」について考えることも多くなっていたのです。

ミンミを取り上げてくれた助産士さんに支払いをした際、「このお金は、こうやって私のところへ来ても、すぐに離れて行ってしまうんです。それがよいところへ回っていきますようにと願いを込めて渡してくださいませんか?」と言われたのがとても印象的だったのですが、本当にその通り、お金というのは人のもとを通過して回っていくもの・・・だからこそ、よい回り方をするよう心がけて使いたいと思うようになっています。(おかげさまで、家直しも引越しも、「ぜひこの人に回して行きたい!」と思えるような人が見つかりました。本当によかったと思っています)

最近は、銀行や郵便局にお金を預けるということについても、ちょっと考えてしまっています。既存の金融システムは、戦争や貧富の差などをドンドン作り出すことに加担しているし、自分のお金がそのような結果をもたらす目的に使われるとしたら、私がそうしたプロジェクトに出資しているということになります。そんなのはゴメンです。(『未来バンク』という素敵な「銀行」がありますが、もっとたくさん、こうしたオルタナティブな金融機関が出てきてほしい。そうしたら私たちは選択することができるのに!と思います)

金融に限らず、今の日本にあるシステムのうち、参加したい、支えたいという気持ちになれるものは数少ないのです。教育からは最初から外れることにして、子どもたちは家で過ごしています。婚姻制度も、再び利用することはないように思います。医療についても、保険証を持って医者に行くということはまずありませんし、健康診断も乗り気になれません。

「『教育と医療はすべて無料』というのであれば、税金をいくら払ってもいいと思う」と私の母はよく言っていました。スウェーデンなどのいわゆる福祉大国は、かなりいい線までやってくれているようですよね。それに英国も老後お金がかからない国だと聞いています。しかし、フランスのように、医療費も薬も無料だから薬をたくさんもらって飲んじゃうようなのはどうだろう?とも思いますが(現に日本だって似たようなところがありますね)。

話が少しずれましたが、母の台詞をここで出したのは、いくら税金を払ってもいいと思えるシステムを自分で選べたらどんなによいだろうかという話をするためです。「よし、私はこの国に住んで納税したいわ!この国のシステムを支えます!」と、そんなふうに住む場所を選びたいものです。

しかし、現実はなかなかそうはいきません。私は日本政府がまったく好きではありませんが、できたら日本語圏で暮らしていきたいなぁと思うし、現にここに住んでいるわけですから。選挙のたびに抱えるむなしい気持ち・・・私の一票だけでは結局何も変わっていないし、この国に生まれてこの国に生きている以上、愚かな政治家を支えている愚かな国民のひとりでい続けなければならないのか?と。



お金を借りたり家を建てたりということは難しくなるでしょうが、もともと借金はあまり好きじゃないし、土地や家を所有したいという気持ちもないわけですから。今は自動車ローンを組むことさえ難しい私ですが、その気にさえなれば、車のない暮らしだってできないわけじゃありませんし。

実はもうひとつ、ずっとジレンマを抱えていたことがあります。ホメオパシーにしても、無農薬野菜にしても、オーガニック雑貨にしても、「害がない」「体にいい」「現状では希少である」ことはもちろんわかります。でも、現代医療、慣行栽培の農産物、環境に何も配慮しない粗悪な雑貨に比べてバカ高ければ、やはり庶民には手が出せません。

とくに、自給的な暮らし、真にオルタナティブな暮らし(既存の社会システムの中で高収入を得ながらのナチュラル志向暮らしではなく)をしている人には続けられるはずもありません。(まあ、今の段階で、日本にそういう家庭がそう数多くあるとは思えませんが)

実のところ、医療にせよ、慣行栽培にせよ、国から多くの支援があって成り立っているわけです。すべて、私が支えたくないと考えているシステムです。たとえば保育や教育にしても、国や自治体が運営したり認可していれば、市民の負担は少なくて済む。つまりは税金がそこに使われているわけです。

保育は母親がしたらいいのではないか・・・そう考える家庭には、何の援助もありません。真の教育はこうあってほしい・・・そう考えて作られたプライベートスクールは、児童生徒の家庭から大金を集めなければ運営できません。行政の支援が得られないからです。

ルドルフ・シュタイナーは、「労働はお金を対価として行われるべきではない」と唱えました。教師は教えることを好んで教えるべきであって、給料のために働くようではいけないというわけですが、日本にあるほとんどのシュタイナー系スクールは、シュタイナーのこの偉大な考えを学校運営に反映してはいません。経営や教師の生活を成り立たせるために、高額な学費を設定しています。それは、公立の学校であれば行政の補助でまかなわれるはずの、「人が人間らしく暮らせるための最低の保障」を教師や学校経営者が得るために、いたしかたないことなのだろうと思います。

しかし、この「人が人間らしく暮らせる」というのは、いったい何を基準にしているのだろう?といつも疑問に思うのです。「人並みに土地や家を持ったり借りたりして、飽食の時代に見合った豊かな食生活をし、高い学費をかけて子どもを教育し、大きな冷蔵庫やテレビや車を所有し、ときには海外旅行にも出かけたりもできる」程度の生活を意味しているように私には思えます。

オルタナティブな教育を求めている人たちも、自分たちの暮らしは決してオルタナティブにはできずにいるのではないか。実際に、このような学校に子どもを(ときには複数の)通わせることができる家庭経済は、きっと彼らが批判的な目で見ている現代の日本社会において、それなりの役割を担う仕事によって成り立っているのではないかと思うのです。

なんだかおかしい、どこか違うんじゃないかと、ずっと長い間ひっかかっていたのですが、だんだんとそれがハッキリしてきたのです。他人のことはどうでもいいのですが、私自身はやはりそこから脱したいのです。

ホメオパスにも生活があるのだから、やはり一定の相談料をもらわないわけにはいかないんだと思ってきました。その一方で、お金のことを考えて相談に踏み切れなかったり、途中で休止するクライアントさんを見ると、なんとかしてあげたい気持ちになって仕方なかったのです。

「お金がない」とひとくちに言っても、実情はさまざまです。ご主人はそれなりの企業で働き安定した収入があり、旅行にも行くし、服も買うけれども、ホメオパシー相談にかけるお金はないというのなら、それはその人の優先順位の問題です。自分のからだや心の問題を後回しにしているとか、ホメオパシーそのものへの信頼度が低いということであれば、これは私が何かを考える必要はないでしょう。



しかし最近になって、相談料は所得に応じてもらうというのはどうだろうかと考えつきました。それぞれの家庭の所得証明を提出してもらうわけにはいかないけれど、たとえば住民税の請求をコピーしてもらって、その額に応じて下は無料から上は1万円まで設定するとか。そして私は、できるだけお金を得ない生き方をしている人から優先に受け入れていきたいと思うのです。

そうすれば、私の仕事が増えても、それにつれて収入が増えていくという心配もなくなるでしょう。納税してこの国の気に入らないシステムを支えることなく、オルタナティブな生き方を選択する人々を助けることで、新しい価値観を支援していくことができるのではないか。そんなふうに考えると、なんだか希望の光が差してきたように思えてホッとした気持ちになるのでした。



~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~  富士ヶ嶺MOMの家  ~・~





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最終更新日  2008/03/20 03:47:04 AM
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