元MONOZUKIマスターの独白

元MONOZUKIマスターの独白

第六篇第三九章~四十章


        (差額地代1)
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 リカードが次の諸命題で言っていることはまったく正しい。
  「地代は」(というのは差額地代のことで、彼は差額地代のほかにはまったく地代は存在しないものと想定している)「つねに、二つの等量の資本および労働を充用することによって得られる生産物のあいだの差額である。」(『原理』、59ページ。[岩波文庫版、上、61ページ。])
 問題が、地代であって超過利潤ではないかぎり、彼は『同じ面積の土地で』とつけ加えるべきだったであろう。
 言い換えれば、超過利潤は、流通過程での偶然のできごとによって生みだされるのではなく正常に生みだされるものであるかぎり、つねに、二つの等量の資本および労働の生産物のあいだの差額として生産されるのであって、この超過利潤は、二つの等量の資本および労働が等面積の土地で用いられて不等な結果を生む場合には、地代に転化するのである。

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 そこで、まず第一に、同じ面積のいろいろな土地に充用される等量の資本から生まれる不等な結果を考察しよう。または、面積が同じでない場合には、同じ大きさの地面について計算した結果を考察しよう。
 これらの不等な結果の、資本にはかかわりのない二つの一般的な原因は、(1)土地の豊度(この第一の点については、いろいろな土地の自然的豊度のうちには、いったいなにが含まれており、どのようないろいろな契機が含まれているかを論じなければならない)と、(2)土地の位置とである。この位置は、植民地の場合には決定的であり、また一般に、いろいろな土地が次々に耕作されて行く場合の順序にとっても決定的である。さらに、差額地代のこれらの二つの違った原因である豊度と位置とは反対の方向に作用することもありうるということは、明らかである。ある土地が位置は非常に良いが豊度は非常に低いということもありうるし、またその逆の場合もありうる。この事情は重要である。なぜならば、それは、与えられた一国の土地を開墾する場合に良いほうの土地から悪いほうの土地に進むこともあれば反対に進むこともありうるのはなぜか、ということを説明してくれるからである。最後に明らかなことは、社会的生産一般の進歩は一方では、地方的諸市場をつくりだし交通運輸機関の建設によって位置をつくりだすことによって、差額地代の原因としての位置を平等にする方向に作用するとともに、他方では、一面から見れば農業を製造工業から分離することや生産の大きな中心を形成することにより、他面から見れば農村を相対的に孤立化することによって、いろいろな土地の地方的な位置の相違を。はなはだしくするということである
 しかし、さしあたりはこの位置という点は無視して、ただ自然的豊度という点だけを考察することにしよう。気候などの契機を別にすれば、自然的豊度の相違は、いろいろな地面の化学的組成の相違にある。・・・・・
 いろいろな土地の豊度の相違へのこれらの影響はすべて結局次のようなことになる。すなわち、経済的豊度として見れば、労働の生産力の水準も、すなわちここでは土地の自然的豊度をすぐに利用できるものにする農業の能力――発展段階の相違によって違ってくる能力――も、土地の化学的組成やその他の自然的な属性と同様に、いわゆる土地の自然的豊度の一つの契機だということである。
 そこで、われわれは農業の与えられた一発展段階を前提する。さらに、いろいろな土地種類の等級はこの発展段階に関連して評価されているということを前提する。言うまでもなく、いろいろな土地で同時に投資が行なわれる場合にはいつでもそうなのであるが、そうすれば、差額地代は上昇的かまたは下降的な順序で現われることができる。なぜならば、現実に耕作されているいろいろな土地の総体については順序はすでに与えられているとはいえ、絶えず継起的な運動が行なわれてきて、その運動のなかでこの順序が形成されたのだからである。

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 四つの土地種類、A、B、C、Dを想定しよう。さらに小麦1クォーターの価格を3ポンド、すなわち60シリングと想定しよう。地代は単なる差額地代なのだから、この1クォーター当たり60シリングという価格は、最劣等地では生産費に等しい。すなわち、資本・プラス・平均利潤に等しい。
 Aはこの最劣等地にあって、50シリングの投下で1クォーター=60シリングをあげるとしよう。つまり、10シリングまたは20%の利潤である。
 Bは同じ投下で2クォーター=120シリングをあげるとしよう。これは70シリングの利潤または60シリング超過利潤となるであろう。
 Cは同じ額の投下で3クォーター=180シリングをあげるとしよう。総利潤=130シリング。超過利潤=120シリング。
 Dは4クォーター=240シリング=超過利潤180シリングをあげるとしよう。
 そうすれば次のような順序になるであろう。
 それぞれの地代は、Dでは190シリング・マイナス・10シリング、すなわちDとAとの差額であり、Cでは130シリング・マイナス・10シリング、すなわちCとAとの差額であり、Bでは70シリング・マイナス・10シリング、すなわちBとAとの差額であった。そして、B、C、Dの総地代は6クォーター=360シリングで、DとA、CとA、BとA、の各差額の合計に等しい。
表  1

土地種類
 生  産  物 資 本
前 貸  利        潤 地      代
クォーター シリング クォーター シリング クォーター シリング
    A 1 60 50 1/6 10 - -
    B 2 120 50 11/6 70 1 60
    C 3 180 50 21/6 130 2 120
    D 4 240 50 31/6 190 3 180
  合   計 10 600 6 360

 このような、ある与えられた状態でのある与えられた生産物が表わしている順序は、抽象的に見れば(そして、なぜ現実にもそうでありうるかの理由はすでに述べた)、下降順序(DからAに、豊度の高い土地からだんだん低い土地に下がってくる)でできたものでも、上昇順序(AからDへ、相対的に豊度の低い土地からだんだん高い土地に上がって行く)でできたものでもありうるし、また最後に、かわるがわる下がったり上がったりして、たとえばDからCへ、CからAへ、AからBへというような順序でできたものでもありうる。
 下降順序の場合の過程は、1クォーターの価格がたとえば15シリングから60シリングまでだんだん上がって行くということだった。Dによって生産されていた4クォーター(これは100万単位で考えてもよい)では足りなくなると、小麦の価格は、不足がCによって供給できる点まで上がった。すなわち、価格は1クォーター当たり20シリングまで上がったにちがいない。小麦の価格が1クォーター当たり30シリングに上がったときにはBが、また60シリングに上がったときにはAが、それらの投ぜられる資本が20%よりも低い利潤率に甘んずる必要なしに、耕作できるようになった。こうして、Dにとっては、最初まず1クォーター当たり5シリング、すなわちそれが生産する4クォーターでは20シリングの地代が形成され、次には1クォーター当たり15シリング、すなわち4クォーターでは60シリング、また次には1クォーター当たり45シリング、すなわち4クォーターでは180シリングの地代が形成されたのである。
 Dの利潤率が最初はやはり20%だったとすれば、4クォーターにたいするその総利潤も10シリングにしかならなかったわけであるが、この10シリングは、穀物は労働力の再生産にはいるものであり、また各1クォーターのうち一部分は労賃を補填し他の一部分は不変資本を補填しなければならないのだから、この前提のもとでは剰余価値はより大きかったわけであり、したがって、他の事情が同じままならば、利潤率もより高かったわけである。(利潤率に関する事柄は、これと別に、そしてもっと詳しく考究しなければならない。)
 ところが、この順序が反対で、過程がAから始まったとすれば、新たな耕地が耕作されなければならなくなったときに、まず1クォーターの価格は60シリングよりも高くなった。しかし、必要な供給量2クォーターがBによって与えられたので、価格は再び60シリングに下がった。というのは、たしかにBは1クォーター当たり30シリングで生産したのであるが、しかし、Bの供給はちょうど需要に応ずるのに足りるだけだったので、1クォーターを60シリングで売ったからである。こうして、まずBにとって60シリングの地代が形成され、また同じようにCやDにとっても地代が形成されたのである。どちらの場合にも、前提は、CとDはそれぞれ1クォーター当たり20シリングおよび15シリングも現実価値で生産したのだが、Aの生産する1クォーターの供給が相変わらず総需要を充たすために必要なので、市場価格は相変わらず60シリングだということである。この場合には、最初はAによって充たされ次にはAとBとによって充たされた需要を越えてさらに需要が増大したということによってひき起こされたのは、B、C、Dが次々に耕作できるようになったということではなくて、一般に耕作可能な範囲が拡大され、たまたま豊度のより高い土地があとからその範囲にはいってきたということであろう。
 第一の順序では、投下資本にたいする利潤率は同じままであろう。利潤の量はより少ない穀物で表わされるであろう。しかし、他の諸商品と比べての穀物の相対的な価格は上がっているであろう。ただ、利潤の増加分は、それが生ずる場合には、産業家である借地農業者のポケットに流入して増加利潤としては現われないで、地代という形で利潤から分かれて行くだけであろう。しかし、これまでの前提のもとでは、穀物の価格は不変のままであろう。
 差額地代の発展および増大は、価格が変わらない場合でも上がる場合でも、また劣等地から優等地にだんだん前進して行く場合でも優等地から劣等地だんだん後退して行く場合でも、同じままであろう。
 これまでは次のように仮定してきた。(1)価格は一方の順序では上がり、他方の順序では不変のままだということ。(2)つねに優等地から劣等地に、または逆に劣等地から優等地に、進んで行くということ。
 しかし、今度は、穀物の需要が最初の10クォーターから17クォーターにふえると仮定しよう。さらに、最劣等地Aは別の土地Aによって押しのけられ、このA地は60シリングの生産費(50シリングの費用・プラス・20%で10シリングの利潤)で11/3クォーターを供給し、したがってその1クォーター当たり生産価格は45シリングだとしよう。あるいはまた、古いA地が合理的耕作を続けることによって改良されたとか、またはたとえばクローバーの採用などによって元のままの費用でより生産的に耕作されるようになったとかで、その生産物が元のままの資本前貸で11/3クォーターに増加するとしよう。さらに、土地種類B、C、Dは相変わらず同じ生産物を供給するが、AとBとの中間の豊度B´B´´とが耕作されるようになったと仮定しよう。この場合には次のような現象が起きるであろう。
 第一に。小麦1クォーターの生産価格またはその調節的市場価格は、60シリングから45シリングに、すなわち25%下がっているであろう。
 第二に。豊度の高いほうの土地から低いほうの土地への進行と、低いほうの土地から高いほうの土地への進行とが、同時に行なわれたであろう。土地A´はAよりも豊度が高いが、これまで耕作されていたB、C、Dよりも低い。またB´、B´´はA,A´、Bよりも豊度が高いが、C,Dよりも低い。だから、進行の順序は交錯しているであろう。Aなどに比べて絶対的に豊度の低い土地に向かっては進まなかったであろうが、これまで豊度が最も高かった土地種類CやDに比べれば相対的に豊度の低い土地に向かっては進んだであろう。他方、絶対的に豊度の高い土地に向かっては進まなかったであろうが、しかし、これまで豊度の最も低かった土地に比べれば、またはAとBとに比べれば、相対的に豊度の高い土地に向かっては進んだであろう。
 第三に。Bでの地代は減少したであろう。CやDの地代も同様であろう。しかし、穀物で表わした地代総額は6クォーターから72/3クォーターにふえたであろう。耕作されて地代を生む土地の大きさは増し、生産物の量も10クォーターから17クォーターに増したであろう。利潤は、Aにとっては相変わらず同じでも、穀物で表わせばふえたであろう。しかし、利潤率そのものも、相対的剰余価値が増大したために上がっていることがありうるであろう。この場合には、生活手段が安くなったために労賃が下がり、したがって可変資本の投下が減り、したがってまた総投資額も減ったであろう。貨幣では地代総額は360シリングから345シリングに減少したであろう。

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 以上三つの表(そのうち表1の順序は、AからDに上がって行く場合とDからAに下がって行く場合との二通りのものとして見なければならない)は、社会のある与えられた状態での与えられた等級――と考えてもよいし、あるいはまた同じ国の違った発展期に次々と現われるものと考えてもよいのであるが、この三つの表を比べてみれば、次のようなことがわかる。
 (1) 順序は、でき上がったものとしては――その形成過程がどんな進み方をしたにせよ――、どの表でも、下がって行くものとして現われる。なぜならば、地代を考察するにあたっては、いつでも、まず、地代の最大限を生む土地から出発して、最後に、全然地代を生まない土地に達するであろうからである。
 (2) 地代を生まない最劣等地の生産価格はつねに調節的市場価格である。といっても、表1が上昇順序で形成される場合には、そこでの調節的市場価格が不変なのは、ただ、つねにより良い土地が耕作されて行くということによってのみであろう。この場合には、土地Aがいつまで引き続き調節的であるかということが最優等地で生産される量にかかっているかぎりでは、最優等地で生産される穀物の価格が調節的である。もしBやCやDが需要を越えて生産するならば、Aは調節的ではなくなるであろう。シュトルヒが最優等地が調節的だというときには、彼はこういう場合を考えているのである。このようにして、アメリカの穀物価格はイギリスの穀物価格を調節するのである。
 (3) 差額地代は、そのときどきの与えられた耕作発達程度にとって与えられたものである土地種類の自然的豊度の相違(ここではまだ位置は考慮に入れない)から生ずる。つまり、最優等地の広さが限られているということから、また、同量の資本がいろいろに違った種類の土地に投ぜられなければならず、したがって種類の違う土地は同量の資本にたいして不当量の生産物を生むという事情から、生ずるのである。
 (4) 差額地代の存在、そして等級別の差額地代の存在は、下降順序で優等地から劣等地に進むことによっても、また逆に劣等地から優等地に進むことによっても、または二つの方向が交錯して進むことによっても、生ずることができる。(順序1は、DからAに進むことによってもAからDに進むことによっても形成されうる。順序2は両種の運動を含んでいる。)
 (5) 差額地代は、その形成様式がどうであるかにしたがって、土地生産物の価格が変わらなくても、上がっても、下がっても、形成されることがありうる。価格が下がる場合には、最劣等地Aはより優良な土地によって押しのけられるか、またはそれ自身がより優良な土地になっているにしても、また、他の優等地では、そして最優等地でさえも地代が減少するにもかかわらず、総生産と地代総額とは増大することがありうるし、またこれまで地代のなかった土地で地代が形成されることもありうる(表2)この過程は、地代総額(貨幣での)の減少と結びついていることもありうる。最後に、耕作の一般的な改良のおかげで価格が下がり、したがって最劣等地の生産物が減り生産物価格が下がる場合には、地代は優等地の一部分では変わらないかまたは下がることもありうるが、最優等地では増大することがありうる。最劣等地と比べての各種の土地の差額地代は、生産物量の差額が与えられている場合には、たしかに、たとえば1クォーター当たりの小麦の価格によって定まる。しかし、価格が与えられている場合には、この差額地代は生産物量の差額の大きさによって定まる。そして、すべての土地の絶対的豊度が上がる場合にも、優等地の豊度が劣等地の豊度よりも相対的より多く上がるならば、それとともにこの差額の大きさもまた増大する。こうして(表1)価格が60シリングの場合には、Dの地代は、Aに比べてのDの生産物差額によって、つまり3クォーターという超過分によって、規定されている。したがって、地代は、3×60=180シリングである。ところが、価格が30シリングである表3では、Dの地代はAと比べてのDの生産物超過量=8クォーターによって規定されており、8×20=240シリングである。
 これによって、ウェストやマルサスやリカードではまだ一般的に見られる差額地代の第一のまちがった前提、すなわち、差額地代は必然的にますます劣等な土地への進行または絶えず低下して行く農業豊度を前提するということは、なくなる。差額地代は、すでに見たように、ますます優等な土地に進んで行く場合にも生ずることがありうる。それは、以前の劣等地に代わってそれよりも優良な土地が最下位を占める場合にも生ずる。それは、農業のいっそうの進歩と結びついていることもありうる。差額地代の条件はただ土地種類の不等性だけである。生産性の発展が考察にはいるかぎりでは、差額地代は、総耕地の絶対的豊度の上昇がこの不等性を解消させないで、この不等性をひどくするか、または元のままにしておくか、またはただ減らすにすぎないということを前提するのである。

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 差額地代一般について言っておきたいのは、市場価値がいつでも生産物量の総生産価格を越えているということである。たとえば表1をとってみよう。10クォーターの総生産物が600シリングで売られるのは、1クォーター当たり60シリングというAの市場価格が規定されているからである。ところが、現実の生産価格は次のとおりである。
   A  1クォーター=60シリング;    1クォーター=60シリング
   B  2   〃  =60 〃   ;    1  〃   =30 〃
   C  3   〃 =60 〃   ;    1  〃  =20 〃
   D  4   〃  =60 〃   ;    1  〃  =15 〃


10 クォーター=240シリング;平均 1クォーター=24シリング
 10クォーターの現実の生産価格は240シリングである。それが600シリングで売られる。つまり250%高すぎる価格で売られる。1クォーター当たりの現実の平均価格は24シリングである。市場価格は60シリングであり、やはり250%高すぎる。
 これは、資本主義的生産様式の上で競争の媒介によって実現される市場価格による規定である。この規定は、ある虚偽の社会的価値を生みだす。これは、土地生産物が従わされる市場価値の法則から生ずる。生産物の、したがってまた土地生産物の、市場価値の規定は、社会的に無意識的に無意図に行なわれる行為だとはいえ、一つの社会的行為であって、この行為は必然的に生産物の交換価値にもとづくもので、土地やその豊度の相違にもとづくものではない。社会の資本主義的形態が廃止されて社会が意識的な計画的な結合体として組織されているものと考えてみれば、10クォーターは、240シリングに含まれているのと同じ量の独立な労働時間を表わしているであろう。したがって、社会はこの土地生産物を、それに含まれている現実の労働時間の二倍半で買い取りはしないであろう。したがって生産物が同じ金額だけ安くなるのとまったく同じに作用するであろう。したがってまた土地所有者という階級の基礎はなくなってしまうであろう。それは、外国からの輸入によって生産物が同じ金額だけ安くなるのとまったく同じに作用するであろう。それだから、――現在の生産様式は維持されるとするが、差額地代は国家のものになると前提して――他の諸事情が変わらなければ土地生産物の価格は同じままであろう、というのは正しいとしても、結合体が資本主義的生産にとって代わっても生産物の価値は同じままであろう、と言うのはまちがいである。同じ種類の諸商品の市場価格は同じだということは、資本主義的生産様式の基礎の上で、また一般に個々人のあいだの商品交換にもとづく生産の基礎の上で、価値の社会的な性格が貫かれる仕方である。消費者として見た社会が土地生産物のために過多に支払うもの、それは土地生産物での社会の労働時間の実現のマイナスをなすのであるが、それが今では社会の一部分にとっての、土地所有者にとっての、プラスをなすのである。

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 表1aと1bと1cとに見られるそれぞれ違った状態を、別々の国に同時に相並んで存在する状態と見るにしても、同じ国で次々に現われる状態と見るにしても、とにかくこれまでに述べたことからは次のようなことがわかる。最劣等地の無地代の土地の収穫が変わらないので穀物の価格が変わらず、いろいろな耕作地部類の豊度の差が変わらず、したがってそれぞれの土地部類のうちの耕作面積中の等しい可除部分(エーカー)当たりの等量の投資のそれぞれの生産物の量が同じであり、したがって各土地種類の1エーカー当たりの地代のあいだの割合が不変であり、同じ種類の各土地部分に投下された資本にたいする地代率が不変である場合には、第一に、全増加分が無地代の土地に当たっている場合を除いて、地代総額はつねに耕作面積の拡張につれて、したがって投資の増加につれて、増大する。第二に、1エーカー当たりの平均地代(地代総額を耕作エーカー総数で割ったもの)も、平均地代率(地代総額を投下総資本であ割ったもの)も、非常に大きく変わることがありうる。しかも、両方とも同じ方向にではあるが、それら自身のあいだではまたいろいろに違った割合で、変わることがありうる。増加が無地代の土地Aだけに起きる場合を無視すれば、1エーカー当たりの平均地代も、農業に投下された資本にたいする平均地代率も、いろいろな土地部類が耕作面積中に占める割合によって定まるということがわかる。または同じことになるが、それぞれ豊度の違ういろいろな土地種類への充用総資本の配分によって定まるということがわかる。耕作される土地の多少にかかわらず、したがって(増加分がAだけに当たっている場合は別として)地代総額の大小にかかわらず、1エーカー当たりの平均地代または充用資本にたいする平均地代率は、いろいろな土地種類が総面積中に占める割合が変わらないかぎり、やはり同じままである。耕作の拡大と投資の増大とにつれての地代総額の増大にもかかわらず、またその非常な増大にさえもかかわらず、もし無地代の土地やわずかな差額地代を生むだけの土地の拡張が、より優良な、より地代を生む土地の拡張に比べて大きいならば、1エーカー当たりの平均地代も資本にたいする平均地代率も低下する。反対に、優等地が総面積中の比較的大きな割合を占め、したがって比較的多くの投資が優等地に割り当たるにつれて、1エーカー当たりの平均地代も資本にたいする平均地代率も増大する。

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 なお、差額地代1のところで考察した形態に関連して次のことを補足しておかなければならない。その一部分は2にもあてはまる。
 第一に。すでに見たように、耕作が拡張され、価格が変わらず、各種の耕作地の豊度の差が変わらない場合に、1エーカー当たりのへいきん地代または資本にたいする平均地代率は上がることがありうる。一国内のすべての土地が占有されており、土地への投資や耕作人や人口が一定の高さに達していれば――これらの事情は資本主義的生産様式が支配的になって農業をも征服すればすべて前提されている――、いろいろな質の未耕地の価格は(ただ差額地代だけを前提すれば)それと同質で同等な位置にある既耕地の価格によって規定されている。この未耕地は地代を生まないにもかかわらず、その価格は同じである――付加される開墾費を差し引けば。土地の価格は、たしかに、地代が資本還元されたものにほかならない。しかし、既耕地の場合でも、価格としてはただ将来の地代が支払われるだけである。たとえば、標準利子率が5%ならば、20年分の地代が一度に前払いされるのである。土地が売られるかぎり、それは地代を生む物として売られるのであって、地代(それはこの場合には土地の果実――といっても外観上そう見えるだけだが――とみなされる)の見込的性格は、未耕地を既耕地と区別しはしないのである。未耕地の価格は、その土地の地代――その合計式を価格は表わしている――と同様に、その土地が現実に使用されないかぎり、純粋に幻想的である。しかし、その価格はこのように前もって決定されていて、買い手がつきしだいその価格が実現されるのである。それゆえ、一国の現実の平均地代は、その国の現実の平均年間地代額と、総耕作地面積にたいするこの地代額の割合とによって規定されているとすれば、未耕地部分の価格は既耕地部分の価格によって規定されているのであり、したがって、ただ既耕地での投資とその成果との反射でしかないのである。最劣等地を除いてすべての土地種類が地代を生むのだから(そしてこの地代は、次の2で見るであろうように、資本の量とそれに対応する耕作の集約度とにつれて増大するのだから)、このようにして未耕地部分の名目価格が形成されるのであり、またこのようにして未耕地部分が一つの商品になり、その所有者にとって富の源泉になるのである。これはまた同時に、なぜ全地域の土地価格が、未耕地のそれをも含めて、上がって行くのか、を説明している。(オブダイク。)土地投機、たとえば合衆国に見られるそれは、ただ、このような、資本と労働とが未耕地に投ずる反射にもとづいているだけである。
 第二に。耕作地の拡張の進行は、一般に、より劣等な土地のほうに向かって行われるか、またはいろいろな与えられた土地種類の上で、それらのあり方にしたがって、いろいろに違った割合で行なわれる。劣等地のほうに向かっての進行は、もちろん、けっして自由な選択によって行なわれるのではなく、ただ――資本主義的生産様式を前提すれば――価格騰貴の結果でしかありえないし、またどの生産様式のもとでも必要の結果でしかありえない。といっても、無条件にそうなのではない。劣等地のほうが相対的に優等な土地よりも先に選ばれるのは、位置のせいであって、位置は、まだ若い国々で耕作が拡張される場合にはつねに決定的なのである。さらにまた、ある地域の地質系統が全体としては豊度の高いほうに属していても、個々に見れば優等地と劣等地とが雑多に入り混じっていて、ただ優等地とつながっているという理由からだけでも劣等地が耕作されなければならないということもある。もし劣等地が優等地のなかに包みこまれているならば、このような劣等地は、すでに耕作されているかまたはこれから耕作されようとしている土地につながっていない豊度のより高い土地に比べて、位置の有利さを優等地によって与えられるのである。・・・・・
 第三に。穀物をより安く輸出することのできる植民地や一般に若い国々では、それだからまた必然的にその土地の自然的豊度がより高いのだということは、まちがった前提である。穀物はここではその価値よりも安く売られるだけではなく、その生産価格よりも安く、すなわちより古い国々での平均利潤率によって規定されている生産価格よりも安く、売られるのである。

 第四十章 差額地代の第二形態
        (差額地代2)
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 これまでは差額地代を、ただ、それぞれ豊度の違っている同面積の土地に投下された等量の諸資本の生産性の相違の結果としてのみ考察してきた。したがって、差額地代は、最劣等の無地代の土地に投下された資本の収益と優等地に投下された資本の収益との差額によって規定されていた。この場合には投資は別々の地面に相並んで行われていたのである。したがって、資本の新たな投下には、そのつど、土地のより広い範囲の耕作、耕作面積の拡張が対応していた。しかし、結局、差額地代は、事実上はただ土地に投下される等量の諸資本の生産性の相違の結果でしかなかった。ところで、それぞれの生産性の違う諸資本量が次々に同じ地所に投下される場合と、それらの資本量が相並んで別々の地所に投下される場合とでは、ただ結果は同じだということだけを前提して、二つの場合あいだになにか区別がありうるのだろうか?

P869L18
 それゆえ、等量の諸資本が等面積の諸土地に不等の結果をもって相並んで投下されるか、それともそれらの資本が同じ土地部分に次々に投下されて行くかは、超過利潤の形成の法則にとってはなにも変えはしないとはいえ、超過利潤の地代への転化にとってはそれが大きな相違を生みだすということは、はじめから明らかなのである。あとのほうの方法は、この転化を一面ではより狭い限界のなかに閉じ込め、他面ではより不確定な限界のなかに閉じ込める。それゆえ、集約耕作が行なわれている国々では(われわれが経済学上集約耕作というのは、空間的に並んでいる諸土地へ資本の配分ではなく、同じ土地部分への資本の集積にほかならない)、土地評価人の仕事が、モートンが彼の『土地の資力』のなかで述べているように、非常に重要な、複雑で困難な職業になってくるのである。かなり恒久的な土地改良が行なわれる場合には、借地契約が満期になれば、土地の人工的に高くされた豊度の差は土地の自然的な豊度の差と合致してしまい、したがって、地代の評価は、土地の種類によって違う豊度一般の評価と一致する。これに反して、超過利潤の形成が経営資本の大きさによって規定されているかぎりでは、ある程度の大きさの経営資本のもとでの地代の高さがその国の平均地代に加算され、したがって、新たな借地農業者は同じように集約的な仕方で耕作を続けるのに十分な資本を自由に処分できるということを要求されるのである。
            ―――――――――――
 差額地代2を考察するにあたっては、なお次の諸点を特に明らかにしておかなければならない。
 第一に。差額地代2の基礎も、その出発点も、ただ歴史的にだけではなく、それぞれの与えられた時点におけるその運動に関するかぎりでも、差額地代1である。すなわち、豊度や位置の違っているいろいろな土地種類の耕作が同時に並行して行なわれることであり、したがって、農業資本中の別々の構成部分をそれぞれ質の違ういろいろな土地に同時に並行して充用することである。・・・・・
 第二に。形態2の差額地代では、豊度の相違のほかに、借地農業者たちのあいだの資本(および信用能力)の配分の相違が加わってくる。本来の製造工業では、やがてそれぞれの事業部門について事業規模の固有の最小限度が形成され、またそれに対応して資本の最小限度が形成され、それに達しなければ個々の事業を成功的に経営することはできなくなる。同様に、それぞれの事業部門でこの最小限度を越える資本の標準的平均的な大きさが形成されて、生産者の大多数がこれだけの大きさの資本を自由に処分することができなければならず、また実際に処分してもいる。この大きさを越えるものは特別利潤を形成することができる。これに満たないものは平均利潤も受け取らない。・・・・・
 このような事情のために、現実の資本家的借地農業者は超過利潤の一部分を自分のものにすることができることになる。超過利潤は、少なくともこの点に注目するかぎりでは、もし資本主義的生産様式が農業でも製造工業でと同じように均等に発展するならば、なくなってしまうであろう。
 ここではまず、差額地代2の場合の超過利潤の形成だけを考察することにし、この超過利潤の地代への転化が行なわれうるための条件はまだ問題にしないことにしよう。
 その場合に明らかなことは、差額地代2はただ差額地代1の別の表現にすぎないもので、事実上は1と一致するものだということである。差額地代1の場合にいろいろな土地種類の豊度の相違が作用するのは、ただ、この相違によって次のようなことが起きるかぎりでのことである。すなわち、土地に投ぜられた諸資本の大きさの割合から見て、それらの資本が不等な結果、不等な生産物をもたらすということが起きるかぎりでのことである。このような不等が同じ地所に次々に投下された別々の資本のあいだに生ずるか、それとも土地種類の違ういくつもの地所に充用された別々の資本のあいだに生ずるかということによっては、豊度の差または諸資本の生産物の差には、したがってまたより生産的に投下された資本部分にとっての差額地代の形成には、なんの相違も生じえないのである。どちらの場合にも、投資額は等しいのに土地が違った豊度を示すのであって、ただ、2ではいくつかの部分に分かれて次々に投下されて行く一つの資本のために同じ土地がすることを、1ではいろいろな土地種類が、社会的資本のうちからそれぞれの土地種類に投下される等量の諸部分のためにするだけのことである。

P879L17
 ここでわれわれは差額地代の二つの形態のあいだの本質的な相違に到達する。
 生産価格が同じままであり、また価格も同じままであるならば、差額地代1では地代総額とともに1エーカー当たりの平均地代または資本当たりの平均地代率も増大することができる。しかし、平均はただ抽象でしかない。1エーカー当たりまたは資本当たりで計算した現実の地代の高は、ここでは同じままである。
 これに反して、同じ前提のもとで、投下資本について計算した地代率は同じままでも、1エーカー当たりで計算した地代の高は増大することができる。・・・・・
 このことからわかるように、生産価格が同じままであり、利潤率が同じままであり、豊度の差が同じままであっても(したがってまた資本にたいして計算された超過利潤または地代の率も同じままであっても)、1エーカー当たりの生産物地代および貨幣地代の高さ、したがってまた土地価格は上がることがありうるのである。
 同じことは、超過利潤の率、したがってまた地代の率が減少する場合にも、すなわち相変わらず地代も生む追加投資の生産性が減少して行く場合にも、起きることがありうる。

P882L12
 そこで、差額地代1を基礎として前提する差額地代2のいろいろな組合せは次のようになる。

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