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もう年が明けてからとうに1ヶ月過ぎてしまいましたが、本年もよろしくお願いします!(遅すぎ)年末年始は忙しくて、去年に続いて今年も年賀状を出せませんでした。しかも、熊本へ移ってから引越しに次ぐ引越しで住所が不安定なのに、転送手続きを忘れてしまい、こちらに出していただいた多くの年賀状が差出人に戻ってしまったようです。本当にすみません。来年は年賀状を出したいですが・・・。地方は年末年始が忙しくて、しばらく(数年)出せないかもしれません。申し訳ありませんがどうかご了承下さいませ。
2018.02.11
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父の四十九日に別の告別式のために喪服を着る事になるとは思わなかった。どの漫画家にもデビュー作品があって、同じ頃デビューした漫画家を同期と呼んだり、ライバルと呼んだりしていたりする。ダンナのデビュー期は新人の当たり年で、確実に同期という仲間がいて、また団結しているが、私の頃は曖昧で、後々掲載雑誌もバラバラに散って行ってるので同期と意識する人がいない。その中で、向こうは知らないが、唯一同期と言えそうな人が、中島さんだ。私と同じギャグ・コメディ系の作風で、同じ担当編集者の元に同じ時期にデビューし、後に同じビッグコミック系に進んだ。本当に似たような漫画家ロードを歩んできた。それが昨年から「病気療養の為しばらくお休みします」と休載していたので、どんな具合か編集者に聞いてみた。既に余命半年だということだった。読者へのメッセージも「無い」と言い、編集者からの電話にもあまり出ず、身の回りの物を片付け始めたと聞いた。漫画の道具も早々と始末し、親は年だし、兄弟は家庭を持っているし、家族に迷惑かけたくないから、独り暮らしのままで逝く、最期はヘルパーさんに来てもらって死ぬからと、編集者に語ったらしい。普通、余命が宣告されるような病気になると、人はもっともがくものだ。闘病記を発表したり、やりたいことをやり、行きたい所に行き、会っておきたい人に連絡したり、なんとか奇跡が起きないかと代替療法に挑戦したり、時には余命短い事を武器にして、「あなたは元気なのだから自分の望みを聞いてくれるよね」と我が儘をかましたりする。そんな人を何人も見てきた。けれどそれが人間なのだと思う。なんでそんなに潔いのだろうか?思うに、漫画一筋だった中島さんは作品に全てを注ぎ込み、人に会わなくても、闘病記などを発表しなくても、充分に自己表現をし、そして満足していたのかもしれない。もう20年近く会って無かったが、彼の連載が続いているのを見て多少なりとも励みにしてきたので、お見舞い品と手紙を送ったが、やはり返事は無かった。そして先月月26日に逝った。あと半年と宣告されてから1年、よく頑張ったと思う。見事に潔い逝きっぷりだった。その、死との向き合い方に、彼なりの美学を感じた。すごいと思う。お葬式に出席したが、遺族のほかは私だけだった。(ほかに二人いたが途中で退席)ご遺族にお声をかけづらく、また聞かれなかったので私が何者か伝え損ねてしまった。怪しい者かといぶかしく思われたかも知れない。すみません、同期の漫画家です。とても遠かったが、最後にお別れできてよかった。最期は病院で迎えられたそう。ファンレターや、アイディアメモなどを、沢山のお花と共に御棺に入れて逝かれた。デビュー作のファンレターなど、とてもきれいにとっておられた。昔、少年サンデーに小川智明さんというギャグ漫画家がいて、俺と森さんと中島君で同期だな! と言っていた。そしたら程なく小川さんはバイク事故で亡くなってしまった。中島さんはバイクも乗らないし、まだまだ生きて連載していくのだろうと思っていたのに…寂しいです。温かみのあるちょっといい話が受けている昨今(それはそれでいいのですが)、彼のようなギャグらしいギャグは貴重だった。南陪南の「このドシロウトがあっ!!」っていうセリフ、もっと聞きたかったです。面白い漫画をありがとう!お疲れ様でした。中島徹さんのご冥福をお祈りします。
2011.04.08
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