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ギャラリーモーニング、中井敦子展自画像が何枚もかかっている一枚一枚から「視線」が投げかけられてじぶんいちばんわかっているつもりなのに、胸の内は案外、理解し難く肉体もコントロールできずにいるのに気づいたりじぶんを見つめ尽くした結果なのか描き終わった途端に、つぎのじぶんを見つめる行為が続いて行くじぶんを見つめ続けた一人の女性の生きるという行為そのものが展示されている12時から
2011/09/27
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フェイスブックにTwitterに誰かが、考えるもんでね。コンピュータのなかにコミュニケーションが必要なんだとせっかくね、コンピュータの前から離れて、目を見ながら肉声を聴きながら、話そうとしていたんだけれどね古いトモダチや若いアーティストたち業界の人みーんなフェイスブックに乗っかっちゃってるもんだから新しい出会いもあったりしてああ今日も、眼の奧がジンワリ分厚い座布団的に近所でお昼、ミートスパッゲッティには、粉チーズとタバスコが付いてやって来る17歳の時とおんなじじゃん後ろでMacBook Airを触っていた人がでていって珈琲が運ばれてきて一時、雑誌を読んだネット世界、それにしても、次から次に「やりたい」ことか「やらないといけない」ことかが増えてきてブログからもすこし遠のいてにほんブログ村MacbookとiPhoneに依存している秋だから長編小説でも読みますか
2011/09/26
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ケーキを切り分けたものがまず、自分のピースを選ぶ一番大きなケーキを食べるために、みんながんばって、きたいまもそれが続いているしかし、すでにケーキを食べ過ぎて、買いすぎて、ケーキ地獄それでも、まだ捨ててはいけないという気持ののこっているひとは「誰か食べない」とでも結局行き先はゴミ袋の中スポンジは引き裂かれ、白いクリームはベタリ幸せって、どんな、だったっけ~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~第4回GNH国際会議 2008年11月24日~26日ティンプー ジグミ・Y・ティンレイ ブータン王国首相による基調講演今回の素晴らしい集まりで、「GNHの実践と測定」というテーマについて議論する中で、ぜひ私に付きまとって離れない多くの問いについて、皆さんにも考えていただきたいと思います。どうすれば、市民が「一人ひとりの幸せはみんなの行動やみんなの幸せの結果であるということ」を知っている、意識の高い社会をつくり出すことができるでしょう? そして、「自分の幸せが続くかどうかは、まわりの人々が幸せかどうかにもよる。ほかの人の幸せのために努力をすることこそが、真の永続的な幸せをもたらす、生きがいのある経験につながる、最も確かな道である」ということを、人々が知っている社会をどのようにつくっていったらよいのでしょう?どのように、消費主義と相容れない、新しい倫理的なパラダイムを受け入れるよう、人々を説得することができるのでしょう?有限の世界で無限の生産性や成長を追求することは、持続不可能で、将来世代にとって不公正であるばかりか、私たち自身の社会的、文化的、精神的、美的探究をも損なってしまうことを、どのすれば人々にわかってもらえるのでしょうか?「貧困軽減のための経済成長」という正当づけさえ、大きく再配分を変えない限り、とても頼りないものに思われます。恥ずかしいことに、グローバル経済の総体の中で生み出されるばく大な富の中から、貧困軽減に割り当てられるのはほとんどないのです。同じことが、「環境問題を解決するお金を得るために、成長しなくてはならない」という議論にも当てはまります。これを信じることは、病気を治すために患者を殺すべきだと信じるようなものです。豊かな国の中で、「みんながより幸せになるためには経済的に成長しなくてはならない」という証拠が見られることはほとんどありません。それでは、どうやって新しい概念や定義??生産性・富・繁栄そして生きがいなど--を提唱していくことができるのでしょう? 物質的な持ち物とはほとんど関係なく、弱い者を押しのけてしまわず、社会的、心理学的、情緒的な幸福により関係している新しい概念や定義を。どのように幸せを測るかを知ること、そしてそれが政策の策定に影響を与えるであろうと望むことで十分なのでしょうか? GNHの政策やプログラムをつくることで十分なのでしょうか? 民主主義においては、人々の要求や望みを反映しているはずの政治的な意思や能力とは何でしょう? そして、もし人々がGNHをベースとした政策を理解せず、それを好まないとしたら、政治家たちは、それでもあえてそうすべきなのでしょうか? そして、もしそのようにした場合、政治家たちはうまくいくでしょうか? どのように私たちは始めていけばよいのでしょうか? どのように、机上の問答や声明文を超えて、その語る内容である価値観を内在化していくことができるのでしょう? 私たちは、研究者、思索家、科学者、リーダー、意識のある市民として、自分自身の生き方や行動をどのように変えていけばよいのでしょうか?~~~~~~~~~~~~引用ここまで~~~~~~~~~~~~~~~~~~(枝廣淳子さんの環境メールニュース http://www.es-inc.jp)より転載にほんブログ村写真:京都岡崎公園のはと。台風一過、いつものように「餌だけを求めて」
2011/09/21
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人生の椅子取りゲーム・・・そんな写真ではないのだけれど・・・・・・京都造形芸術大学、文化祭。展示されている三学年の絵に「価格」がつけられていた大学が学生の作品を売る時代、だのだなー学びの場がドラッガーを学び、マーケティングを施行する。そして学園祭は・・・すでに「消費社会」に組み込まれて崖っぷち・・・「ハコバカ」で古本交換販売会。誰もが家にある本をどうにかしたいと、思っていてブックオフに持って行けない本、そんな本を誰か必要な人にと・・・言うことで小さいけど賛同者を得て。シェアな一日・・・Win Winな関係。そんなこと誰が言い始めたのだろうケーキを切り分けたものが、まず一番に選択する社会これからの学生たちも家いっぱいに手に入れた人々達も誰かが音楽を止めるのに躍起になりながら、椅子の周りを回り続けている・・・にほんブログ村
2011/09/19
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どーも、そうらしいマツモトヨーコさんのマップケースからでてきたものマツモトヨーコさんのエッセンス濃縮、って感じがするgallerymorningkyotoで13日からにほんブログ村プリウスがまたまたナンバーワンの売れ行きプリウスを買う知性、キーを持たない知恵、そんな峠に僕たちは立っているいい国つくろう、何度でも。宝島の広告全30段。天野祐吉さんが今日の朝日新聞に書いている。2011年九月二日の イイクニは福島前とは変わらないといけない 内容は核問題と結びつけて興味深い。ご隠居はやはり怒っている広告の読者の声も拡声しているハイブリッドで市場活性化車に頼らなくても生きていける、そんな日本はあるのだろうか?マーケティング発想じゃない、イイクニ議論が始まって欲しい
2011/09/07
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