ひまじんさろん
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昨年11月に認可された障がい者自立支援事業(正式には、就労継続B型事業所)も、定員までは届いていませんが、利用者も10人近くとなり毎日賑やかに過ごしております。職員は日常の作業の段取りはもちろん、利用者一人ひとりの現況にあわせた就労計画や生活のケアにあたらなければなりません。その間に、担当当局への請求や報告事務、研修などをこなしてゆくわけですが、それがなかなか大変です。就労への世話をすことにより事業所の運営経費が降りてくる仕組みになっていますが、当然ながら公正明快に報告できなければなりません。また、法律や条例が変わるごとに加算減算ポイントなども変わったりします。そのチェックや訂正もしなければならず、利用者(障害者)へのケア負担もさることながら、事務負担もばかになりません。といいながらも、そういう難しいところは他のスタッフにまかせて、僕はもっぱら利用者と共同作業やスキンシップの毎日です。実は、利用者も一緒になってこの事業所を支えている面が多く、それが「信州こころん」の最大の特長かも知れません。事業所にくる人たちには、家族のように打ち解けた雰囲気で過ごせるように心がけています。自分で言うのもはばったいのですが、僕たち夫婦は、利用者にとってのお父さんお母さんという位置づけで、そのように呼んでいる人もいます。どのような支援が必要なのか、一人ひとりの現況や生い立ち、家族関係なども調査しますが、大部分の利用者が、あまりにも過酷な人生を歩んできていることに唖然とさせられます。 ここからは、個人のプライバシーを特定されかねない内容にもなりますので伏せ字となっています。ここへの入所者第一号は、僕とは20年以上も前からの知り合いの女性でした。そのA子は知り合った頃は、まだ20歳くらいだったと思います。あるスナックで働いていて、宮崎あおい似の可愛い女の子で目立っていましたから彼女目当てに通っている常連客も多かったように記憶しています。僕もときどき通っては、会話を楽しんでいました。店では求められるままに俳句らしきものを教えたり、ときには仕事で受けたパンフレットのモデルになって貰って撮影したり、友だちを誘って美術館へ一緒に行ったりもしていました。A子は当時、店では僕のことを「お兄さま」などと呼んでいたと思います。その後、嬉々として結婚することになったという報告をしにきたのを境にして、僕もスナックには通わなくなり、疎遠になっていました。それから4、5年経った頃、A子から事務所近くのレストランに突然の呼び出しがあり、当時の宝石のようにキラキラしていた人と同一人物とは思えないような、変わり果てたA子と出会うことになりました。そこでは、結婚したはずの夫とは別れ、僕の文芸上の友人だったひとりとつきあっていると告げられました。彼は既婚者で、言葉は巧みで女性扱いも上手でしたが、けして女性を幸せにできるタイプではありませんでした。身の上話も始め、別れた夫からは、性的興奮を高めるというような薬物を無理に使われたとのことで、何かの副作用で薬物中毒のような状態になっていました。ろれつは回らず、食べ物はときどき口からこぼれました。元夫は、店の経営者の弟。イケメン風でしたがマル暴にかかわる人物でした。たぶん違法な禁止薬物でも使われたのでしょう。このままでは殺されてしまうと思って夫のもとから逃げ出して、失意のうちに怯えた生活をしているときに、飲食店をしていたその知人の店に行き、慰められて…という絵に描いたようなパターンです。その知人は特別に悪人ではありませんが、女との関係は無責任でよしという、独特の世界観をもっていました。といっても、いつか僕がA子に(文芸仲間として)紹介していたようです。そんなわけで、とても話題が豊富な面白い人ということでもあり、訪ねたのでしょう。だから、そのつきあいに関しては賛成しかねる気持ちでしたが、さりとて僕が彼の代わりに何ができるというものではないので、あたらず触らずそっとしておきました。それから1、2年、そうこうしているうちにまたひょっこり顔を出して、自分の父親の友人であったという土建会社の社長と再婚することになったと報告に来ました。そして子供を出産。このまま落ちついた幸せな生活に入るのかな、と思いましたがそうはなりませんでした。ある日A子が、子供のための詩と絵を描いたからそれを本にしてくれないかと事務所を訪ねてきました。なかなか気持ちのこもった内容でしたので、料金は材料費だけでいいよと喜んで引き受けて、数週間後にできあがった本を届けにA子の家に行きました。ちょうどA子の夫が玄関を出て来るところでしたので、来訪の用件を告げました。すると「あんたが俺んとこのキチガイを騙して金を引き出していたんか!」と突然に怒鳴りだして、「これ以上騙したらぶっ殺すゾ」とけんもほろろの態度で出てゆきました。後からA子に事情を聞いてみると、異常に嫉妬心と猜疑心が強い人で、A子を訪ねて男の人が来るとみんなにそんな態度をするんだと悲しげな顔をしました。しかしその後、A子は神経科病院への入退院を繰り返すようになります。A子に親しいA子の女友だちに事情を聞いてみると、家事の用件以外に家から外に出るのが許されず、ストレスが堪ると野菜でも何でもダンボールごと買ってきてしまうなど浪費をするようになり、そのたびに入院させられてしまうのだと話してくれました。たまたま僕の友人の奥方がそこの病院の看護師長をしていたので、それとなく様子を尋ねてみると、以前の薬物の後遺症などもあって、中途半端な状態におくと自殺などの心配があるのでそれを抑える治療中だというようなことをようやく聞き出しました。ちなみに、こうした病院の守秘義務は固く、A子のことではなくあくまで一般論として、ということで何とか語ってくれたものです。やがてA子は夫から離縁され、子供を置いて実家にもどりました。その後、A子は1年か2年に1度、ひっこりと僕の事務所に顔を出しては、自作の俳句を読んでくれと置いてゆく、つかずきれずのつきあいで、10年以上の経過を経てきました。そして、今度の自立支援事業を立ち上げたのをきっかけに、こちらに通わないかと声をかけ、利用者第一号として登録することになったわけです。それから約2ヶ月。利用者として入院時代の仲間を誘ったり、もともとの水商売時代の会話術なども活かして他の利用者の世話をやいたりと、大活躍です。A子を通じて通うようになった他の利用者も、いつしかA子のペースで声を掛け合うようになり、役所の福祉関係者からもアットホームで明るい事業所として、評判も上々です。見学に来る福祉関係者も、利用者がみんなイキイキしていて、職場としてとても羨ましいと褒めてくれます。そんな雰囲気づくりにA子が貢献してくれているのはいうまでもありません。ちなみにA子にはかなり年配のボーイフレンドが何人かいます。ときどきはそうしたジイサンたちが年老いたA子の母親の買い物の世話をやいたりしています。僕が「ずいぶん好みが渋いね~」と揶揄ったら、「だって若いとすぐに恋愛絡みになったりして面倒だもの」と、だいぶ大人になったようです。あっ、それから僕とも長~いつきあいになりましたが、一度たりともA子とは不適切な関係はございません。念のため。妻もずっと前から経過を知っていたこともあり、A子はここで拾ってくれた両親のようだと思っているといいます。そのA子も40歳台半ばともなり、当時の姿とはだいぶ変わってしまいましたが、20数年ぶりの溌剌とした様子に戻ってくるのを見ると、この仕事を始めたかいがあったなと思うこの頃です。もちろん、A子のことはほんの一例で、彼ら一人ひとりにまるでドラマ以上の人生があり、聞き取り調査をしていても圧倒されっぱなしです。逆境に耐え、はねのけてきた力をもつ彼らと接していると、僕らの心が洗われ勇気づけられることがしばしばです。時間のゆとりがとれるようになったら、そんななかのエピソードも少しずつ紹介できるかも知れません。当然のことながら、この話がフィクションなのか否か、A子個人についての一切の質問などはお受けできません。だれの人生も起伏があり、ときには大波にさらわれることもありましょう。こうした事業所の存在によって、一度は大波に出会った人でも社会復帰へと踏み出すお手伝いをすることができるのだということを、少しでも知っていただければ嬉しいのです。こんな日記でも応援しているよという方は、[Ctrl]を押しながら、左右クリックしてください。
2011.01.29
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