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ポンボ @ Re:まもなく発刊予定です(04/01) いいなぁ ご自分のご商売ですと、実費だけ…
msk222@ Re[1]:被災地支援(01/07) みちのくはじめさんへ ぼくの場合、感情の…
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aki@ Re:被災地支援(01/07) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

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2006.06.20
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カテゴリ: 流言飛語
金ケイソウ

「―鳴りやまぬ「目覚まし時計」をもう止めましょう―」 という意見広告を掲載して、長野県内では少なからぬ話題になっている。
たしかに、茅野氏はそれまで県議たちの力関係で好き勝手にコントロールしてきた40年間の長野県政がひきづっていた負の遺産を断ち切ろうと、田中知事を誕生させた立役者のひとりで、当時の県経済界のリーダーたちへの説得力としての役割を果たしており、僕も尊敬していた。
しかし、自分の意見が知事に通らなかったということと「(知事が) 何をやっても許されるというような言動 」とを結びつけてしまったことには、知事との関係で大きな錯誤があるのではないだろうか。
当時、知事選挙の表面でスポークスマン的役割を果たしていた人物が何人か袂を分かち、反田中的行動をとっていることに、事情を知らない県民は「やっぱり知事には何か人間的欠陥がある」と受け取っているむきもある。まか不思議な「百条委員会」告発もあり、当初は圧倒的だった支持率の低下につながってる。
自分たちの手で(県議たちや市町村の顔役たちの手から)知事を勝ち取ったことで、かつて吉村県政で県議等がそうだったように、田中知事も 自分にとって都合良く動いてくれる と勘違いしたのだろうか。
自分の思惑どおりにならないから、反田中となり、ことさら議会・市町村や県職員と田中知事の溝を深まることを憂うようなことを装いながら、実際はその役割を果たしているということは、大人げないといえる。
実際には田中知事誕生は、これら一握りのスポークスマンの力が左右したというより、長野県民の願いにとって、必然のなかでの出来事であった。
茅野氏自らもいうように「 一人ひとりの県民が県政に関心を寄せ、利権集団との長年の癒着を徹底的に断ち切る 」ことを望んだからこそ、できたことだった。
その結果が、過去の野放図なバラ播きや、オリンピック誘致等の残債で財政再建団体寸前まで陥っていた県財政の立て直しや、県内業者への落札率の向上やその結果としての落札価格の下落など、少なからずの痛みが総体的にはさまざまな成果を残すことになっている。それは田中嫌いの県民でさえ認めざるを得ないのではないだろうか。
「泰阜村住民票問題」をことさら知事の悪事の象徴のように言うのも、田中知事の真意を読み切れていないと感じる。
大規模な平成大合併のすすむなかで、信州僻地の泰阜村はきっちりと独自の展望と計画を打ち立て、小さな村でも(だからこそ)、人知を活かせばやっていけることを示していた。知る人ぞ知ることだが全国的注目も集めていた。
知事がそこに住み、県のトップ自らが地域や村政に学び、その土地に税金を納めることで、県全体にその精神を活かしてゆこうと考えたことは、通勤の妥当性はともかくとして僕などには素晴らしい試みに思えた。
これを、事情を知らない県民は「なんで県庁とはるかに離れた場所から知事が通う必要があるのか、(鷺沢市長のいる)長野市が嫌いなのか」と、考えたとしても不思議ではない。
しかし、本質を見抜く県民には、泰阜村の実践が県内の市町村の良い先鞭になって欲しくて、いつもの突飛とも思える行動をしたのだな、ということは十分に理解できた。茅野氏は理解できなかったとしても、立場上、真意を聞くことくらい出来たのではないだろうか。
ことの本質を確かめもせずに、知事のやろうとすることすべてノーという烏合の衆の混成合唱に加わってしまうのは、軽率のきわみだと思う。
県議会や市町村との溝が深まるばかり。知事を支えるスタッフも育たず、県職員の意欲も著しく衰えてきたと考えます。 」ともいう。
県会で知事提案をことごとく否決して、お門違いな「百条委員会」で、虚偽や偽証まででっちあげて混乱させたり、知事や県職員の職務を難癖でつるし上げ、議会との板挟みにしてて、溝を深めさせようと画策してきた集団は誰だろう、と考える。
一つひとつあげてゆけば、数え切れないほど県職員との分断工作もあるが、これらを容認して、知事が歩み寄り、県議や地域エゴとも妥協してゆけば、良い政治ができるのだろうか。
地域の首長が地域の利益を考えるのはある面では当然だ。過去には、ごく一部を除いて、多くの県議はその首長や地元有力者とのパイプ役として、地域利益の代表、もっといえば利権の窓口として機能してきた。そのスパイラルが県財政の悪化を招く元凶になったことは、金融界トップにいた茅野さんが一番ご存じだったはず…。
ということで、茅野さんの意見広告ははなはだピント外れで、これこそ無駄な出費だったと思う。

僕は、県政に密着して見ているわけではないが、さまざまな人たちから県政についての意見を聞く。
県職員のなかからは、 自分たちの実践が定着しないうちに移動させられることが多い、頭ごなしに理念を押しつけられる 、というような愚痴も聞いた。と同時に、 田中康夫でなければ出来なかったこと、これからも彼でなければ出来ないことも多いだろう 、とも聞いている。
政治は必ずしも一本道ではない。様々な要素が絡み合って、それらを解きほぐしながら前に進めてゆくしかないことも多いだろう。しかし、先例を変えるだけで改善できることも少なくないはずだ。そのための役割として、田中康夫の果たしている役割は大きい。
一方的に、田中憎しのお先棒に載って狂騒したり、イエスマンの腰巾着となって甘い汁を求めたり、県庁に縛り付けて知事に外に出させないというのも、長野県にとって、県民益にとって不幸なことだ。

今朝の「信濃毎日新聞」では、一時は30%台まで落ちた田中知事支持率が上昇しだして、48%になっているという。7月に知事選があるが、グラフの伸び率の様子からみると7月には50~60%台くらいにまで回復するだろう。
どのような支持率になろうと、長野県にとって大切なことは、田中康夫が一旦掲げ、進めてきた県政改革の仕上げをきちんとさせることだと思う。








くるくる








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Last updated  2006.06.20 17:50:05
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