学ぶ意欲を身に付けるフィンランドの学校教育
(1)フィンランド豊かさのメソツド(堀内都喜子著・集英社新書)
(2)教育立国フィンランド流教師の育て方(増田ユリヤ著・岩波書店)
(3)
NHK未来への提言
オッリペッカ・ヘイノネン「学力世界一」がもたらすもの
(オッリベッカ・ヘイノネン+佐藤学著・NHK出版)
この3冊の本は、学習到達度調査(PISA)で世界一位に輝いたフィインランドは、どんな国で、今、何が起きているかを訪問して調査検証したものである。
(1)の本を著した堀内都喜子さんは、フィンランドの大学院生として暮らした時のフィインランドの豊かさの不思議をエッセイ風に綴っている。
(2)の本を著した増田ユリヤさんは、高校の教師という視点から、フィンランドのさまざまな学校を訪問し、フィンランドの教師たちと対話し、子供たちの授業や生活を見たり、聴いたりして、フィンランドの教師像に迫っている。
(3)はNHKのBS特集「未来への提言」のプロジェクトの企画によるものである。教育改革の中心メンバーであり、1994年から1999年にかけて教育大臣を務めたオッリペッカ・ヘイノネンと教育学者・佐藤学との対話である。フィンランドの教育改革の理念、哲学がどこにあるかを対談のなかで明らかにされていく。
フィンランドが教育を未来への投資と考えて、大胆な教育改革に乗り出したのは、1990年から2000年にかけてである。
1989年のベルリンの壁の崩壊、1991年のソ連の崩壊。これらの崩壊は、それまでNATOに加盟せず「中立」掲げて、ソ連と東欧諸国との経済関係を拡大して繁栄していたフィンランドに、深刻な経済危機をもたらした。失業、不動産価格の暴落、貿易の衰退、銀行危機など、私たちも経験済みの経済の混乱である。
フィインランドの経済活動は麻痺状態に陥った。1992年には失業率は20%を越えた。
この深刻な実態において、フィンランドの政府が行なった改革は、国家公務員の増加による失業者の救済であり、知識社会の到来を見通した教育改革の推進である。
中でも当時29歳の若さで教育大臣に就任したヘイノネンは、国の未来を切り拓くには、教育に 投資 して新たな産業を興すしかないと大胆な教育改革を推し進めた。ヘイノネン氏は語っている「教育で大切なのは、機会の平等です。その基盤があって初めて世界の頂点に立てる高い水準の人材を育成することが出来ます。教育はいわば「 投資 」です。国の競争力に関る問題なのです。」と。
そして、次々に打ち出した政策は、教育現場に大きな裁量権をもたせ、子供たちに教える内容や教え方を現場の教師が自由に決められるようにした。
改革前は、教育省や国家教育委員会などが、国が中心となって教育の内容、教材の選択や指導内容、指導方法、授業の時間数など細かに定めていた。
ヘイノネンの改革で、自治体への大幅な権限委譲が行われた。
次に、教師養成教育の質の向上である。その徹底ぶり、その本気さはすごいものがある。小中高の教師全てに大学院の修士号取得が義務付けられている。最低でも5年の年月が必要である。教育実習のプログラムも長時間に及び徹底して訓練される。教員養成大学への競争率も高く(10倍余)、最も優秀な学生が集まって来る。、学び研究する中味も妥協は許されず厳しい。しかも何よりもすごいのは、色々な社会体験や職業を体験している人が多く(その道の達人)、日本のように高校卒業して大学で教員免許をとったらすぐにでも教員になるというようなことは、ほぼあり得ない。人としてもとても魅力的な人々が教師になっている。
おちこぼれを出さず、どの地域でも(都会でも極北の田舎でも)同じ質の教育を保障する。この機会均等と平等の実現の徹底はすざましいものがある。平等ということは、一人ひとりの能力にあった教育をあらゆる方法で追究することであり、その一人一人の力量の向上、自立が全体の協働した力も高めるという、日本では夢のような話なのである。
この機会均等と平等の教育は、成績低位者の数が圧倒的に少なく、学力上位者の数が多いという特徴を示している。成績上位者の成績はエリート教育の卓越性を誇示しているドイツのギムナジウムの生徒よりも高いレベルを達成しているというから驚きである。
この教育改革によって、フィインランドは生徒間格差が最も少ない国であると同時に、学力レベルの地域格差や学校間格差が最も少ない国へと変化している。
更に、教育のなかに、ITを徹底して普及することも、改革の柱である。
あらゆる教科が連動してITを駆使して教育する環境の整備。(どんな地域のどの学校でも)
パソコンから得る情報を選り分け利用する知性や技術を学校教育のなかで、積極的に取り入れ取り組んでいる。(日本のように、ITの技術を教える教科として学校教育に取り入れているのでなく、ITを学びの「道具」として徹底的に活用できる能力、知性を育てる教育の実践をフィンランドは試みている)
これらの教育改革を支える理念をヘイノネン氏は次のように述べている。
「当時、すでに私たちは誰ひとり未来が予測できない、そんな時代にきていると実感していました。これまでの教育がそうであったように、特定の仕事や職業につくためにひとりひとりを教育する時代ではなくなっていたのです。「未来がわからない世界」、人々が一生の間に何度も仕事を変える必要がでてくるような、そんな時代です。
とりわけ、今日の世界では何もかも目まぐるしく変わり、周囲に膨大な量の情報が溢れています。変化に適応し生き抜くためには自分を自分で導いていかなければなりません。自分自身を知らなければなりませんし、自分の内面から新しいことを学ぼうというモチベーションが生まれなければなりません。 人々が自ら学ぶ力が必要なのです。新しい出来事に対処する能力、将来思わぬ問題が起きた時それを解決する能力が重要です。その能力をやしなうためには、学ぶ力を身につけなければなりません。他者と協力する力や他国とコミュニケーションをとる力も求められ、言葉の教育も重要です。こうしたテーマが真の焦点でした。」
この改革の理念は、21世紀の世界に生きる子供たちを育てるに、すぐれて洞察力あるものである。人が人らしくグローバルに生きていく社会。そこで生きていくための「学び」の必要性を的確に表現している。生涯学び続ける「土台」をつくる教育。
このような教育改革は10年余りで、フィインランドを世界一の学力に導いた。IT産業で世界をリードする経済的な発達も成し遂げている。
このフィンランドの教育改革とは全く反対の教育改革をしてきたのが日本である。
即ち、競争をさせないと子供たちの学力は落ちる。
機会均等や平等はエリート教育には害である。平等は教育の質を落す。などという思想が横行している。
全国学力テストの実施、その点数序列公表で学校を競わせて点数を上げさせる。などなどである。
そう言いつつ、一方では、大学では競争どころか、基礎学力中学レベルでも堂々と入学させ、卒業させている。(中学3年レベルに達していないものもいっぱい入学している)そんな大学が日本には半数ぐらいある。
今日本の子供たちには、益々、学力格差が大きくなっている。
上位者と下位者にかたより、中間者が少ない。
「勉強」は嫌い。
試験のテストの点数のためやる勉強。
学ぶことが楽しいと感じている子どもは極めて少ない。
年齢が進むほど学ぶことが嫌いに成っていく。
自らのなかに学ぶ意欲を作り出す学校とは程遠い。
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