今こそ「オシムの言葉」が生きる
木村元彦著 『オシムの言葉』 集英社インターナショナル
イビツァ・オシムは、、もし途中で病に倒れなかったら、日本代表のチームを率いて、7月に南アフリカで開催されたサッカーのワールドカップ大会に乗り込むはずであった。オシムの人柄、オシムのサッカー指導者としての卓越した能力、指揮官としての実績は、日本代表チームをどう成長させ、どうまとめ、世界にオシムの名を更に高めるかとても興味深いものであったが、実現する事はなかった。夢に終った。
オシムのすごさは、プロとして通用するプレイヤーを育てるということで、一点の妥協も許さないことである。彼の指導者としての、選手を育てる目の確かさ、透徹した分析力もさることながら、教育者として若者をプロにしていくそのプロセスは凄まじい。
教育のお手本といっていい。
人を育てるとはこうあるべきというお手本といっていい。
ジェフ市原の監督に就任したその日から、トレーニングペースをトップギアにして、選手達に「走る」ことをメインに据えた過酷なメニューの練習を課した。根をあげて不平不満の選手達に 『君たちはプロだ。休むのは引退してからで十分だ』
オシムが監督に就任した年、ジェフ市原はリーグ開幕 2連勝。上々の立ち上がりにメディアは讃えたが、第3節、ホームで3-0と完敗。その時のオシムの言葉。
『2連勝して選手は自惚れてしまい、傲慢なプレーをしてしまった。今日、唯一よかったことは全員が最悪のプレーをしたという点だ』
失敗を恐れないで、果敢に攻め続ける美しいサッカー。それを貫くための厳しい日々のトレーニング。失敗を体験することでしか学べないものを選手に体験させ、大きな長期的な展望のもとに選手をチームを育てようとするオシムの哲学、その生きざまは、すざまじいものがある。
さらに、すごいのは、その組織論である。
ひとりひとりのプレイヤーは、チームの歯車のようであること要求されながらも、その組織は、柔らかに自由自在に機能し、個々の能力は、更なる高み、更なる創意を自らに課して伸びようとする。(日本社会の硬直した組織にとってもこれは貴重な組織のあり方)
オシムはそのような素質を内に秘めた若者を好んで選手として起用し、無限に伸ばそうとする。また育てる援助を惜しまない。
その深い愛情には敬服する。
オシムは「サッカーは美しいスポーツだ」という自負があり、華麗な攻撃的なサッカーこそ追及すべきサッカーである」と機会あるごとに公言し実践している。
華麗な美しいサッカーこそ、サッカーがプロとして存在できる唯一のものだ。観衆を魅了し、プレイヤー自身も競技することで、充実した快感を味わうことができる。選手がサッカーへの前向きな意欲を掻き立てられるサッカー。無限にプロとしての力量を伸ばそうという気持ちに選手が駆り立てられるサッカー。このようなサッカーこそサッカーの王道である。プロとして厳しく極めるべき道である。
本書の中で著者は、オシムに、『・・・指導者のなかには「自分だって攻撃的に行きたいんだ。でもこのメンバーでは無理だから守るのだ」という人が、多く見られます。そういう人に、監督として伝えたいことがありますか?』という質問をしている。それに対して、オシムは次のように答えている。
「何もありません。それが彼らの考えであるからです。それに、いい話ではないですか。そういう選手がいないから守るというのは。攻められる選手がいたら攻めればいいのです。だからと言って、『ロナウジーニョのような選手がチームにいないので攻めない』というわけではないのですが。 守るのは簡単ですよ。作り上げることより崩すことは簡単なのです。家を建てるのは難しいが、崩すのは一瞬。 サッカーもそうでしょう。攻撃的ないいサッカーをしようとする。それは、いい家を建てようとする意味。ただ、それを壊すのは簡単です。戦術的なファウルをしたり、引いて守ったりして、相手のいいプレーをぶち壊せばいい。作り上げる、つまり攻めることは難しい。 でも作り上げることのほうが人生でしょう。 そう思いませんか?」
この言葉のなかには、ユーゴスラビア分裂のなかをでサッカーの監督として指揮し、生き抜いてきたユーゴ最後の監督オシムの人生が、彼の生きざまと深く結びつき折り重なっている。
オシムが生まれた1941年は、第2次世界大戦の戦火が彼の生まれた地サラエボに燃え広がり、ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した年であった。
ベオグラードは爆撃され陥落。ボスニアは枢軸国の占領するところとなった。
彼の幼い日々は、このドイツ占領軍に抵抗して、抗うチトー率いるパルチザン軍との闘いが延々と展開された日々であった。長い抵抗運動の末、オシムが4歳の時、サラエボは解放され、第2次世界大戦が終結した。
独立したユーゴスラビアの建国とともに、オシム少年は成長していく。
彼が暮らすボスニアは、他民族が同居して暮らすも、ユーゴ(東スラブの意味)の名を国家の名に冠して、民族名を冠しない唯一の共和国であった。とりわけその首都サラエボは、セルビア、クロアチア、ムスリムの3民族が融和して暮らす多元主義精神の極めて発達したコスモポリタンな都市であった。
オシムは、このサラエボのコスモポリタン的な精神を自己の血肉としながら成長した。
しかし、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を内包するこの国は、チトー大統領亡きあと、崖をころげるように、崩壊へと突き進む。
偏狭な民族主義が扇動する内戦へと突き進む。凄惨な民族間の戦いが繰り返され、憎しみを断ち切るこできない、民族間のはてしない内紛・抗争の時代へと突き進む。
オシムがサッカーの監督として、この大きな歴史の流れに翻弄されながらも、確たる強い意志で、若い選手たちを守り、育て、ユーゴのチームを最後の最後まで率いて闘った。
その強靭ともいえる知性に敬服する。
オシムの生きる根源での問いかけは、サッカー人生と深いところで統一され、困難を打開して、新局面を切り拓き前に前へと進み続ける。彼が命を賭けてしか、局面を打開できなかった厳しい現実から導き出されたものでそれはある、とはいえ、守りの生活に明け暮れる今の私たちが、おういに学ぶべきものである。
バルカン半島の複雑な歴史、その民族間の抗争の歴史は、世界史で学ぶところであるが、今ひとつよくわからないところがある。コソボ問題など、2010年の今なお解決しておらず、ニュースの記事になっている。
真の人としての自立、独立とは何か。国とは何か、などなどに始まって、この本は、オシムの生きざまを通して、私たちに今世界で起きている戦争、内紛にまで考えさせてくれる。
若い人たちに、この夏休みにぜひ読んで欲しいこれは1冊である。
これをきっかけに更に広い世界に目をむけてほしい。
2010年南アフリカで行なわれたサッカーW杯の決勝戦は、スペイン対オランダで行なわれ、延長戦の末1-0でスペインが優勝した。
オシムは、この決勝戦について、オランダはゲームを壊すことで乱戦に持ち込む手法をとったが、スペインは、自分たちのリズムを寸断され壊されながらも我慢強くプレーし、集中力を切らさなかったことで、スペインが勝機をつかんだことを、高く評価している。 日本チームはどうか。泥縄式に2勝して、ベスト16にはいった。大会が始まる前のテストマッチでは、ことごとく負けていた日本。
国民は「岡田監督辞めろ」の大合唱をしていたが、1勝するや、「感激した、勇気をもらった。岡ちゃんは偉い」などと、ころりと態度を変えて、またまた大合唱。
このような日本の世論はあきれるばかり。恐ろしい。
一夜にしてこのように態度を変える日本国民の皮相な功利主義。勝てば官軍。
これが全ての分野で日本を今覆っている気分なのだ。
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