旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

≪太陽が知っている≫


アランのダンスのシーンを観る為に何度も
鑑賞する作品なのです.

太陽三部作のひとつ≪太陽が知っている≫であります。

純粋な恋愛ものは何本かありますが
アンニュイな雰囲気のいかにもフランス!!という感じの
映画はこの作品だと思います。

あの時代のフランス流恋愛はこうだったと思う作品ですね。

まずはストーリーを。

出演

ジャン.ポール....アラン.ドロン
マリアンヌ..... ロミー.シュナイダー
ハリー.......  モーリス.ロネ
ペネ.ロープ.....  ジェーン.バーキン

ジャン.ポールは恋人マリアンヌの別荘でふたりだけの
バカンスを楽しんでいた。

そこへ、娘ペネロープに南フランスを見せるために
旅行中のハリーが娘と共にやって来た。

ハリーはマリアンヌの元の恋人で、まだ、マリアンヌに
未練があった。

ハリーの娘ペネロープは離婚した両親の
母のほうに引き取られていたが
父の要望で無理に旅行につき合わされていた。

おとなしい娘ではにかみ屋だった。

作家のジャンポールは今スランプの中にいてくさっていた.

ブルジョワのハリーは優越感を剥き出しにして、
ジャンポールに高飛車な態度を取リ始める。

マリアンヌはジャン.ポールを愛していたが、
ハリー親子がここに来たことで次第に
不穏な空気が漂い始める。

ハリーはマリアンヌを自分の下へ
引き戻してみせる自信があることを
ジャンに剥き出しにし始める。

4人の男女の心の駆け引きを巡って、
複雑な関係へと展開してゆく。

マリアンヌはジャン.ポールが
自分を愛している事は知っていながらも
それを確かなものにしたい為に、
ハリーの自分へのアプローチを利用して
ジャン.ポールの嫉妬を掻きたてようと、
ハリーと戯れて見せる。

ジャンは、それを見て、ペネロープに接近する。

ある夜、ハリーは近くにいる友人の家に行き、
そのまま、友人達一行をここに連れてやってくる。

パーテイーとなり、ダンスを踊りながら、
ジャンの胸を掻き毟るようにハリーと戯れるマりアンヌに、
ジャンはペネロープを海へ連れ出す。

ペネロープはその時から、ジャンを愛し始める。

ハリーは夜遅くに帰ったふたりに憎悪を見せ、ジャンを
ののしる。
そしてまた、ハリーは友人のうちへと出かけた。

マリアンヌもジャンとペネロープのことは気がかりで
ジャンに問い詰める。

ジャンはペネロープが父を疎ましく思っているのを知り、
自分がペネロープの母の元へ送り届けると言う。

マリアンヌはジャンの気が惹きたかっただけのことだったのに
事態がとんでもない方向へ行ったことに少し後悔していた。

出かけたハリーが夜遅く酔って帰ってきた。
プールに入ったハリーをジャンはいたぶった。

水から上がろうとするハリーを上から押さえつけ、
何度も何度も水へ突き落とした。

そしてハリーへの憎悪が段々と燃え上がり、
ハリーの頭をプールサイドからジャンは押さえつけ、
息が止まるまで続けた。

明くる朝、プールに浮かぶ死体に、
警察はやって来た。

マリアンヌは事故だと言った。

前夜着て出かけたシャツは殺しの後で、
ジャンが着替えさせていた。
それをマリアンヌは見ていたのだ。

警察は夜,飲んでいたにもかかわらず、
シャツに汗のしみひとつないことに不信をもった。

しかし、マリアンヌは彼のアリバイを証明するかのように、
事故だと譲らなかった。

ジャンはペネロープを送って行く事は出来なくなった。

彼女とやり直そうと思っていたのかもしれないが、
秘密を握るマリアンヌの元を去る事は出来なくなった。

ここに居残ってももはやジャンとマリアンヌは
元のように純粋な恋人同士でいる事は出来ないだろう。

共犯という繋がりで、これからの彼らの関係は続くのだ....


★わたしはこの作品のドロンが1960年代のドロンの
私生活での横顔と重なるのですね。

1970年代に入って事業や、プロデュースという
仕事に入って大人になっていくその前の
≪太陽がいっぱい≫のスター...ドロンとして
映るのですね。

スター.ドロンも普段のドロンも
何かを求めて模索しているころ。

その時のアランも非常に好きなんですね。

要するにスターの色気が真っ盛りのときなんです。
だから、冒頭述べましたように、

そこら辺の女の子とダンスを踊るシーンが
とっても普通ぽく演じているのが却って
素敵に映る。

彼のダンスシーンは≪山猫≫でカルデイナーレと
ワルツを踊るシーン。
ボルサリーノⅡでラストの船上のバーで
ローラとちょっとだけ見せてくれた
ダンスぐらいしかないんですね。

いつも踊りが不得手だと言うようなことを言って
逃げるドロンです。

が、この作品でのかなり長いダンスシーン。
その中でマリアンヌとハリーが
戯れるのをちらちらと見る顔。

ここの場面が非常に好きですね。

冷静を装った中に負け犬的な自分へのあざ笑いと

どうしようもなサ...がとても表れていてぞくぞくします。

父とマリアンヌの、その場面を娘ペネロープが見て、
いらつき、かっとなって
その場を去る.

女の子とのダンスを止め、咄嗟に、アランは彼女の後を追う。

淋しさを共有したふたりが
プールサイドを歩き、どこかに行ってしまう。

こういうシーンを持つ映画は
彼の作品ではこれだけなんです。

スランプとはいえ、
ひとかどの作家として活躍しているジャンを
またもやあのモ-リス.ロネ
  (太陽がいっぱいのフイリップですね)が
彼を軽蔑した扱いをする。

ここが面白いところですね。

少し,大人になった彼らがまた、同じ設定で犯行の動機を
作っているところが。

≪太陽がいっぱい≫ではすばやい犯行でしたが、
ドレー監督は執拗なまでにいたぶり殺すアランを
アランのアップとそれから、じーっとみつめて
冷ややかに殺す姿を映し出します。

このときの視線が後のアランの殺しなどの
目線の下地になっているような..感じがします。

そして、墓地へ向かうシーンの
サングラスを掛けたアランの表情は
もはや、太陽がいっぱいの初々しい
殺人犯(ちょっと変な言い方!)
ではなく、凄みさえ感じましたね。

ロミーが真実を知っていると言うことを
アランに伝えるシーンで
隠したシャツのことを言います。
  ”知っているのか?”と尋ねるアランの表情は
ちょっと眉間にしわを寄せ,哀願するような目。
ここも魅力ある表情です。

ロミーとアランは別離の後の共演です。
アランはすでにナタリーと結婚している時期ですから...

でも、ロミーはずーっとアランを愛していた。
だから、ひとつひとつ、アランに問い詰めるシーンは
穏やかで母のように...
殺人のことは許せないが
労わりさえ感じられた。
なんだかロミーの私生活でのアランへの想いと
重ね合わせてしまいました。
後始末をしてもらうと言う点でね。

作品の面白いところは作家としてのジャンの生活や、
ハリーのブルジョワがどんな生活レベルかを
くどく描いていなくて
愛のもつれに重点をおき、
殺人へと繋がっていくことに終始したからです。

それが最もフランス的と申しましょうかいいんですよね。

ジャンとペネロープが近づきはじめてからの
サウンドは今でも耳から離れません。

この♪サウンド♪を
思い出すとあのダンスの場面が浮かぶからです。

あまーい気持ちになります。
ここでも孤独のアランの香りはいっぱい・
屈折したアランもいっぱいです。

食事のシーンで中華料理を食べるのに
お箸の使い方がとっても上手いアランとロネ。

ふたりとも親日家なので和食も食べなれているのかな。

中華料理が好きなアランだから上手いのも当然か。

アランの魅力と共に、ロミーの美しさも満開。
モーリス.ロネの魅力もいっぱいの作品です。

学生時代にロネファンの友人と
アランの魅力とロネの魅力をいつも論じていたのを
思い出しました。


1968年度。ジャック.ドレー監督
音楽はミシェル.ルグラン


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