旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

ジーン・アーサージェニファー・ジョーンズ



      1.ジーン・アーサー  ≪オペラ・ハット≫
      2・ジェニファー・ジョーンズ ≪慕情≫

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1.ジーン・アーサー  ≪オペラ・ハット≫

さて、今夜はなでしこでも以前紹介しました、
一世一代の名演技と言われた≪歴史は夜作られる≫の
ヒロインを演じたジーン.アーサーの登場です。

ご存知の方はフランク.キャプランの三部作、
≪オペラ.ハット≫や、≪我が家の楽園≫、
≪スミス都へ行く≫で
作品をご覧になっているかもしれません。

ジーン.アーサーは、
1939年の≪スミス都へ行く≫以降、
1951年の西部劇、
≪シェーン≫の淋しげな人妻役まで
長いスランプ状態にあったようである。

≪歴史は夜作られる≫では、
フランスからハリウッドと活躍していた重鎮
シャルル.ボワイエの軽妙且つ、重厚な演技の
相手役として一歩も引けを取らない演技で
それまでの多くのファンをうならせた。

履いていたヒールを脱ぎ捨てて彼とタンゴを踊る名シーンは
今でも頭に焼き付いている。

そして中年になって返り咲いた名作≪シェーン≫。
アラン.ラッドが馬にまたがり去っていく。
その後を少年が追っかけて
”カムバック.シェーン!”と叫ぶシーンばかりが
クローズ.アップされがちですが、
後姿を影から淋しそうに見送る淋しげな人妻のジーンの
しっとりとした演技のほうが、
悪役.ジャック.パランスの存在感とともに
むしろ印象に残っている私でござります。

スターというよりも女優と言われる事を望んだように
彼女は自分にも厳しかったようで、作品を選び、
熟慮して撮影に臨んだと言う.

そんな彼女だからスランプも長く、≪シェーン≫出演後
数本をとり終えた後、テレビや舞台に活躍の場を移している。

さて、フランク.キャプラ三部作のうちの最初の一本、
ゲーリー.クーパーが人気上昇中の時の共演作、
   ≪オペラ.ハット≫を今夜は取上げます。

まずは、彼女の経歴から。

1905年、ニューヨーク生まれ。
プロ写真家の父のモデルとして幼い頃から活躍する。

子役からハリウッドに入り、ジョン.フォードの
≪鉄骨カービー≫がデビュー作で評判となり、
順調にスター街道を歩む。

1936年に≪オペラハット≫に出演。
人気は不動のものとなる。

キャプラ監督との出会いにより、
スタートしてよりも女優として。。。。にこだわり、
最後まで演技者として自己鍛錬に励んだ女優である。

ニューヨーク生まれの都会的で洗練された雰囲気は
他の女優とまた違った天性の垢抜けた雰囲気が日本でも
人気を掴む結果となったようである。

   ≪オペラ.ハット≫


1936年   フランク.キャプラ監督。

ゲーリー.クーパー主演の最もクーパーらしい要素をもち、
キャプラお得意の社会風刺を、朴訥で純粋な
田舎の青年の人間らしい生き方を
当時の大恐慌の時代背景の中で描く。

10歳の時にリアルタイムで観た≪昼下がりの情事≫での
ゲーリー.クーパーはその後、
アラン.ドロン様とめぐり逢うまでの私の恋人でした。
その彼クープ(クーパーの愛称)との共演です。

優しい目が印象的でそのころのアメリカ人の持つ
おおらかさを全身に醸し出すクーパーと
都会的で洗練されたジ-ン.アーサーの
組み合わせはしっくりと馴染み
キャプラの手腕により素晴らしい映画となりました。

ストーリー


ロングフォード.デイーズ(ゲーリー.クーパー)は
ある田舎町で油脂工場を共同経営しながら
絵葉書詩人としても知られ、
町のブラスバンドでチューバを吹いている夢想家である。

ある日、彼のもとに彼の叔父が交通事故で亡くなり、
遺産相続の権利が生じたと叔父の顧問弁護士がやってくる。

彼は遺産の話にも大した反応も示さなかった。

夢想家の彼は絵葉書きに詩を書くことや、
町のブラスバンドでチューバを吹き、
町の人たちと触れ合う生活に満足していた。

彼は悩める女性といつかめぐり逢い、
結婚すると言う夢もあった。

ニューヨーク見物が出来ると言う事もあって彼は
叔父の邸へと向かうのであった。

顧問弁護士は悪徳弁護士で、この田舎の若者を丸め込んで
残された遺産を自由に操ろうと数人で画策していた。

叔父には内縁の妻という人もいたが、
彼女もデイーズに渡った遺産を
何とかして巻き上げようと夫と画策していた。

都会の仕事に疎いデイーズではあったが、
ものの道理もわかる彼はシーダ弁護士の
思い通りには動かなかった。

ディースは時の人となり、新聞各社は彼の人と成り、

また、今後の成り行きに大いに興味を持った。

彼についての特ダネを狙うある新聞社の編集長は

敏腕女性記者ベーブに(ジーン.アーサー)名前も偽り、
不幸な運命の女性となって彼に近づかせ、
特ダネを掴ませようと動き出した。

ベーブは
デイーズが邸から出かけたところを、
邸の前でそぼ降る雨の中、
失業して内ひしがれた哀れな女を演じ、
彼に近づく事に成功した。

まずは腹ごしらえと。。。レストランに行った。

そこで詩人たちが集まるテーブルに気付いたが、
彼らは時の人ディーズを
からかおうと
絵葉書の話から彼をじわじわと褒め上げた。

笑いものにしようとしていることに気付いたディーズは
彼らの二人を殴りつけた。

そんな様子にベーブは記者としてではなく
女としてデイーズに興味を持った。
都会の人間が忘れているものを持っている好ましい人物として
彼女の目に映った。

記事は””シンデレラ男”という見出しで大反響だった。

仕事は仕事としてベーブは面白おかしく記事を書いた。

しかし、それを当然知らないディーズであった・。

それどころか、ディーズはベーブに恋してしまった。

ベーブも仕事と恋の板ばさみになり苦しみ始め、
彼に告白しようとした矢先に、
ディーズは真実を知るところとなった。

ショックを受けて沈んでいるところへ
失業したひとりの浮浪者が
彼の邸へ乗り込んできた。

何万人という失業者が
その日の食べるものにも困っているのに
パーテイーか!!!とピストルを向けた。

ディーズはベーブと一緒に食事をしようと
用意していた料理を彼に与えていて
ふと思いついた。

どうせもらう気のない遺産。

彼らのために使おうと。

巨大農場を作り、失業者を雇い、
三年でそれぞれが農場主になれるという
プロジェクトを発表し、失業者の面接を始めた。

しかし、悪徳弁護士達は
そんなことをされては困ると内縁の未亡人も巻き込んで
ディーズを狂人に仕立て上げ、逮捕、裁判となった。

原告の証人たちは
彼が今まで起こした行動をひとつひとう変奇人として
立証し、まくし立てた。

傍聴席には失業者達がみんな傍聴していた。
今となっては彼を何とか救おうとベーブも
必死で彼がいかにまともで
すばらしい人物かを立証しようとしたが、

一言もしゃべらずに相手側の発言を聞いているだけのディーズは
不利で、
このままでは精神病院送りになりそうな成り行きであった。

彼が変奇人で
躁鬱のれっきとした精神病患者であると力説する医学博士や、
弁護士達。

裁判長は最後に述べることはと諫言したが、
彼は”ノー”というだけであった。

だが、
失業者達の"俺たちを見捨てるな”という言葉に奮起し、

ゆっくりとしゃべりだすのでした。

チューバを吹く事が変人なら、
演奏家はみんな変人か?というように。

そして裁判中に
彼はみんなの行動をじっくりと観察していて、
ひとつひとつ指摘し始めた。

裁判長は発言を聞いている間、
書類の丸印を塗りつぶしていた。

だれそれは似顔絵を書いていた。

だれそれは鼻をぴくぴくさせていた。

だれそれは指をぽきぽきさせていた。

自分は考え事をする時にチューバを吹く.
みんなそれぞれ癖はあるものだと。

田舎の彼の家の双子の老家政婦は
ディーズを変奇人と証言したが、

問い詰めると、自分たち以外は総て変奇人だというではないか。
これには満場爆笑で、裁判長さえ変奇人だと言った。

事の成り行きに
悪徳弁護士のでっち上げは暴露され、デイーズの
パンチでノックアウトとなった。。。。。

デイーズとベーブはしっかりと抱き合うのでした。

クーパーの最もクーパーらしい
  アメリカの青い草原のような  キャラクターを
100%出しきり、
キャプラの貧富の矛盾を鋭く突く風刺とユーモアたっぷりの
名作であります。

封切られた1936年と言えば

この年の12 /6に真珠湾攻撃がなされるわけですが

日本のアメリカ映画ファンは、
   (重厚なフランス映画も受けましたが)
恐らく、映画に
暗雲の兆しが出始めた世相とは
全く関係ないところで
クーパーを愛し、米映画を愛したはずで、

こんなご時世にこんな映画をのんびりと作り続けていた
アメリカと憎い敵アメリカを
切り離して受け止めていたと思う。

そしてこの頃から
アメリカ映画は戦争が終わるまで観ることは
出来なくなっていったことを知っていて欲しいと思います。

そして戦時中に作られた映画は戦後溢れるように公開され、
それを観た日本人は
こんな相手に
戦勝を上げる事を思っていた浅はかさを
知るのである。

1939年のあの名作≪風と共に去りぬ≫も
日本公開は戦後であります。

この昔から
一般日本人はアメリカ映画、アメリカ映画一辺倒で
こういう傾向は日本だけで、
欧州映画人は
アメリカ映画に対してそれほどの熱意はなかったようですね。

歴史と芸術のヨーロッパにしてみれば当然かもしれませんが、
世界から非難を浴びるようになった今のアメリカではなく、
開拓精神とおおらかな人間性があった
よきアメリカがまだ存在したころの
作品ですね。

ジーン.アーサーの≪シェーン≫もいつか取上げましょう。。

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2.ジェニファー・ジョーンズ  ≪慕情≫
1900年代から1910年代生まれの超一流の部類に入る女優は
今夜紹介するジェニファー.ジョーンズで終わり、明日からは1920年代生まれへと
入ります。

まあ他にも入れたい女優さんはいっぱいいますが、
作品と話題性、演技、人気と総合的にみて、
勝手に選ばせて頂きました。

今夜登場するジェニファーはなんと言っても
オールド世代には≪慕情≫でしょう。

この人もデビュー後1、2本の映画に出演後、
≪聖処女≫でいきなりオスカーを手にしている。

私たちはロバート.ウオーカーというとジュニアの方が
世代が近いのですが、
お父さんの方のウオーカーと結婚しているんですね。

二度目の結婚はかの大プロデユーサー、
デヴィッド.O.セルズニックがお相手です。

まず、経歴から。

1919年、オクラホマ州に生まれる。
両親共に舞台俳優で彼女も大学卒業後演劇学校に入っています。
ロバート.ウオーカーと結婚後、
1939年、ハリウッドで映画デビュー。

1943年にセルズニック製作の
≪聖処女≫出演でオスカーを・
その後、
1945年、ウオーカーと離婚し、セルズニック夫人となる。

彼の庇護のもと、しっかり着実にスター街道を進む。

1945年の≪白昼の決闘≫、
1953年の≪終着駅≫、
1955年の≪慕情≫、
1856年の≪灰色の服を着た男≫
1957年の≪武器よさらば≫と
セルズニック夫人として最高に恵まれた女優人生を送っている。

しかし、1965年に夫、セルズニックの死後、
アル中、睡眠薬中毒と
どん底に身を置く事になるが、
またまた億万長者という再婚相手にめぐり逢い、
1971年、≪タワーリング.インフェルノ≫で
52歳の円熟した姿を
見せてくれた。

私たちの母の世代には、
≪慕情≫と言う作品はすばらしい主題曲と共に
香港を舞台にしたロマンテイックなメロドラマとして、
ものすごい人気であったように記憶している。

いくら香港は近いとは言え、
世界的な旅行ブームはまだまだ先の話。
この映画を観て、
香港は日本の女性の憧れの地となったのである。

この曲はバラードのスタンダードとして
いろんな歌手が歌ってヒットし、
その後何年経っても歌われた。

♪ LOVO IS A MANY SPLENDORED THING ♪

特にアンディーウイリアムスのロマンチックなソフトな声に
マッチして、
母親族ならずとも私たちもアンディの歌に聴き入った。

今夜は≪武器よさらば≫とどちらにしようか迷いましたが、
彼女の登場でふと思い出したことがあります。

35年程前にこの作品のヒロインのハン.スーイン本人の講演に
出かけたことを。

作品≪慕情≫は彼女の自伝小説なのです。

英語の講演で分ったのか分らなかったのか
それさえも覚えてはいませんが
とにかく感激したことだけを覚えています。

ジェニファーの作品はなでしこでは過去に、
≪終着駅≫を
キャサリン.ヘップバーンの≪旅情≫と比較して紹介しています。

慕情、終着駅、武器よさらば。。。と共通しているのは
彼女の燃えるような激しい女心の描写による演技です。

一見、控え目で恋愛に対して臆病なところは共通していて、
一旦火が着くと激しい愛にのめり込み、理性を失うほどに
相手に着いていく。。。。そんな激情の女を演じて素晴らしいものを醸し出すひとである。

大幅な足取りで颯爽と歩くアメリカ女優の中で
この人は小股でチョコチョコと歩く。
容貌は作品のヒロインそのままに
どこか東洋風な雰囲気もある。

というわけでちょっとした因縁でこの≪慕情≫を選びました。

今でいえば不倫のドラマなのですが、
その当時のそれはちょっと違うんだな。

大人の恋として捉えて欲しい。
今の不倫のような俗っぽいものではない。
分別を弁えた大人が分別を弁えた周りの人物たちが
理解も示すような状況にあって、
恋が芽生え、必ずや戦争と言った背景などが絡むから
やるせなく、
観客は納得し、
彼らの身に自分を置き換えて見ていたのである。


ストーリー


出演  マーク....ウイリアム.ホールデン
     ハン........ジェニファー.ジョーンズ

    監督  ヘンリー.キング
    音楽  アルフレッド.ニューマン
    原作  ハン.スーイン

ハン.スーインは英中混血の美人女医で
香港のある病院で働いている。

アメリカからやってきた従軍記者のマークとは
名士たちが集まるパーテイーで知り合った。

ハンは中国からの難民の診察にも追われていた。
中国人の患者達からも慕われる彼女は仕事に厳しい。
亡くなった夫との愛の思い出を胸に
今は医療に情熱を燃やしていた。

マークは中国服に身を包んだ美しいハンに心惹かれた。

社交夫人達に理想を語るハンの話を黙って聞いていたマークは
一人になったハンに無くした扇を渡し、きっかけを作った。

マークは後ずさりするハンを強引にドライヴに誘った。
ハンはイギリス人と中国人の狭間で苦労もしているようだった。

平穏な今の暮らしを壊したくないのと、

愛する人を失う辛さを再び味わうような、そんな恋には臆病になっていた。
慎重すぎるくらい慎重であった。

だが、人柄の良いマークのエスコートに
ハンは自分の中に燃え上がる
恋の炎に逆らえなってゆく。

一旦燃え上がった恋情は、
そのためらいを吹き飛ばすようにマークとの
逢瀬が待ち遠しかった。

待ち合わせは香港を一望できる丘の上の木の下。

船に乗って月を眺めレストランで夕食。。。


”香港の月は大きいわ!”
”月はどこでも同じさ!”

”いいえ、ロンドンの月よりも北京の月が大きいように
ここのつきも大きいわ!”

”長い間、恐れていたわ、男の人の手を。。。。でも
       あなたの手は怖くないわ。”

”ぼくには離婚調停中の妻がいるが、ぼくと付き合ってくれますか?”

”そんなことは私には関係ないことだわ!”

だが、二人の行く手にはマークの妻の存在の他に
朝鮮戦争いう暗雲が
マークを戦地へと運ぼうとしていた。

混血というハン自身の問題は、
英国と中国の長所を併せ持ったものとして
ひとつの結論を見出した生き方をしたいと願っていた。
マークはそんなハンに

”君そのものがいろんな意味での答えだよ”と言った。

マークは妻との離婚問題を解決しにアメリカへ一旦帰った。
その間にハンは大陸の実家へ帰り、

中国人という血をつくづく感じた。

同じ混血の友人は生きるために恋をするのよと言い、
混血である事を隠していたが、
ハンは混血にプライドを持っていた。

仕事も順調、ハンはマークと、
泳ぎにもでかけ、友人の家まで泳いで行った。

ここのシーンがとてもいいんだなあ。

”あなたっていい人ね、マーク。
  こんな時代だけどなんだか希望が持てるわ!”

泳ぎながら空を見上げハンは叫んだ。

友人の家で午後を過ごした。
ダンスをし、語らい。
そして...黄昏の水面を船で帰った。

船でそっと頬にキスをするマーク。。”潮の味がする”

”マーク、中国のことわざにこんな言葉があるわ!
   眠った虎を起こすなって”

浜辺に着いて、
  ”運命は二人を結びつけるよ。”とマーク。

岩影から呼ぶハンに
マークが行くとタバコをくわえていたハン・

そしてタバコとタバコが近づく。。
    タバコとタバコの接吻です。

いいんだなあ情緒があって、
青い夕闇と相まってとても美しい。

母たちがうっとりしたわけだ。

そんな二人を引き裂く日がやってきた。

朝鮮戦争へと取材の為に戦地へ赴かねばならなくなった。

丘の上に行き、”もう、行く、悲しまないでくれ!”
  ”悲しまないわ。悲しみは惨めですもの。”

   ”ぼくひとりで降りてゆく、振り返って君を見る。。”

   ”ここで待ちますわ。あなたが帰ってくるまで”


     ”来世は鳥になりましょう。”

    ”輪廻の法則では来世は僕が女で、君が男だ”

   ”男にはならないわ。
    私が女だから出会えたのよ。来世も今と同じように
      あなたに寄り添って生きるわ”


マークは戦地から毎日、毎日手紙を書いた。
丘の上でハンはいつも読んだ。

そして。。。マークの戦死を告げる公報が届いた。。。

  ”そんなの嘘よ!そんなの嘘よ!”
読んでいるマークの手紙には
  ”愛し合いされることはこの世で最高の歓びだ。
     神は慈愛深かった・・・・”
    ”僕は君を誇りに思っている。 
   君はどんな不幸な目にあっても
     他人を思いやることのできる人だから。。。
  そして苦しんでいる人に手を差し伸べる事ができる人だから。
    僕はそっとそばで見ているだけだ”と書いてあった。

思い出の丘に立つハン。
振り返るとそこにマークがいる。。。ふっと消えた。

手を差し伸ばすハン。だがマークはいない。

幸せな日々が走馬灯のように浮かんでは消え、
消えては浮かんだ.....

ハンはつぶやいた
   ”ここで...いつまでもあなたを待つわ.......”

★甘く切ない大人の純愛は胸にきゅんと来るシーンの連続です。
ハン.スーインの自伝は、
やはり戦争が無残にふたりの愛を引き裂いた。

しかし、
この時代の作品は背景に戦争があったがために、切ない
どうしようもない男女の愛の名作が生まれたと思います。

自分たちの努力だけではどうにもならない別れや死別。

切羽つまった愛の形は
この時代だからこそいろんな形で燃え上がった。

今観るとこんなメロドラマは旧さしか感じないと、
よく聞くが、

あの時代だからこそ、
あんな、こんな
メロドラマが出来たのです。

切羽詰ったものがあったから 恋も素晴らしい形で、
苦しい愛、耐える愛、それは旧さではなく、

それぞれの作品が、究極の純愛であったと思いたい。





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