旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

黒澤明 1.≪用心棒≫2.≪姿 三四郎≫


  黒澤明監督作品
1.≪用心棒≫
2.≪姿三四郎≫

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1.≪用心棒≫

≪用心棒≫

1970年代テレビで、三匹の侍などに見られるような
それまでの時代劇、チャンバラとは、
違ったリアルで荒々しいテレビ時代劇がこぞって放映されるように
なった.

これは、おそらく黒澤明の痛快娯楽時代劇としては最も面白い
≪用心棒≫のヒットの影響であろう.

≪七人の侍≫は別格として後に述べる楽しみとして
とっておきます。

それまでの時代劇は様式美優先のものでしたが、
この用心棒は完全に西部劇の影響濃く、
もともと、監督がj.フオードのフアンであり、西部劇の
フアンであったことから、
こういう娯楽作品を作るのは得意だったと思うのである。

マカロニウエスタンがヒットしたように、
和製西部劇と言うか、だが、作品としては1級なのです.
その後に作られた
≪椿三十郎≫の少し軽妙なタッチの作品も大好きです。

黒澤作品としてはこの後作られた≪天国と地獄≫までが、
作品としてはそれぞれ、好きで絶好調の時期だしその後は
下降線だと個人的には思っている。
なぜなら、偉大な監督、と言われ続け、問題作や、ヒューマニズム
といった、テーマに束縛されてしまい、才能があるからかえって
ご自分の本来好きな西部劇のような肩を抜いて楽しめる映画に
それまでは取り組めなかったのだと思うのです。

それが、この作品で子供がおもちゃを得た時のように、
又、水を得た魚のように、彼の娯楽作品としてのあらゆる
才能と、また、観客を喜ばせる妙を心得たエネルギーを
一挙に注ぎ込んで作られたように思う。

過去、或いは当時 優れた時代劇は作られたが、
手放しで楽しめる痛快と言う名の作品はこれが最初であろう。

セットの宿場町は、完全に西部劇のゴーストタウンであり、
殺し屋が身に付けたマフラーや、持っているピストルなど
時代劇としては非現実的である.
砂塵の舞い上がる程の殺陣のシーンのド迫力、
その人物設定など、完全に西部劇そのものである。

これが、西部劇と比べ完璧に抜きん出ているのは、
宮川一夫のカメラワークであろう.

洗練された彼のカメラはいくら黒澤の指示とはいえ、あの
羅生門で証明されている筈だ。

そのストーリー展開もやはり唸らせるものがあり、
殺陣のシーンというよりアクションシーンと呼ぶほうが
ふさわしい。

ドラマとしても面白く、
配役、シチュエーション、どれを視点において観ても
第一級の”痛快娯楽時代劇”である.

黒澤作品では、最初一分間の出演→通行人であった仲代達矢が
三船敏郎相手の敵役から始まって、
三船が黒澤映画を卒業した後の主役へと変わるその過程として
観ても面白いのではないでしょうか.

製作  東宝  1961年度作品
監督  黒澤 明
撮影  宮川一夫
出演  三船敏郎/仲代達矢/東野英治郎
山田五十鈴/司 葉子


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2.≪姿三四郎≫

明治の宮本武蔵は≪姿 三四郎≫!黒澤 明 監督第1作目!

テーマ「旧い日本映画に観る..(76)」

午後には風邪も一旦落ち着いたようで、
ゆっくりぼんやりしていましたが、
さすがに縫い物はする気になれず
夕食を頂いた頃にはしゃきっとしました。

さてみなさんの青春の一冊はなんでしょう?
わたしの場合、当時の売れっ子作家だった
五木寛之だとか庄司 薫だとか数冊読んだだけで、
記憶にも何も残っていない。
ああいう種類はどうも肌に合わないようだ。

恋愛小説もダメ。
そういうのは世界文学全集など親が買ってくれたものを
読んで卒業って感じかな?

私の愛読書は宮本武蔵(吉川英治)、徳川家康(、山岡荘八)
竜馬がゆくなど司馬遼太郎のもの、
そして富田常雄の”姿 三四郎”だ!

姿三四郎は明治の宮本武蔵である。
武蔵の二刀流にあたる”山嵐”という技を特技に
絶対不敗の強さを持つ。

柔道を通して、自己の人格の完成を目指すべく、恋愛さえにも
振り向くことなく、つきすすむーー
そういう意味で武蔵と似ているし比較されるのも頷ける。

明治時代に実在した、西郷四郎という柔道家が
モデルと言われる。
人との出遭いを通して自分を鍛え、
またそこから学び、柔術一筋に生きる。

作者富田氏のお父さんは講道館の四天王の一人、
富田常次郎氏で作中、戸田雄次郎として登場する。

これはストーリーを書くより、登場人物の概略を
書いたほうが分かり易いので記します。

姿 三四郎ーー会津出身の青年柔術家・
(藤田 進)   矢野正五郎と運命的な出遭いのあと
          師の元で稽古に励む。 

矢野正五郎ーー三四郎の柔道の師。学習院講師。
大河内傳次郎)紘道館(大衆小説ではー紘ーの字を用いている)を
       経営し古来の柔術諸流を統合して、
       近代的な柔道に育て上げる。

乙美ーー  良移心当流の柔術家村井半助(志村 喬)の娘。
(轟 由紀子) 父の半助は三四郎との試合に敗れ、
        柔術かとしての生命を終えるが、
        乙美は三四郎を愛すようになり、
        終生その純愛に生きぬく。
         三四郎を武蔵とすれば、
        さしずめ乙美はお通といったところか。

檜垣源之助ーー村井半助の高弟。
(月形龍之介) 乙美を愛して三四郎の恋敵となり、
        憎しみのあまり決死の一騎討ちを
        挑むが敗れる。が、三四郎の技と人柄に
        魅せられ、人間の善を取り戻す。

        決闘の場所ーー大台ケ原へも行きましたよ。

南小路高子ーー子爵家令嬢。
        乙美の腹違いの姉、三四郎を乙美と争って
        やぶれる。
        乱行がひどくこの時代ーー文明開化
        の初めの時代を背景に新時代を個性的に
        生きようとする新しいタイプの女性として
        描かれている・

真崎東天ーー演歌を生活の手段とする自由民権荘士。


壇 義麿、津崎公平、戸田雄次郎ーーー
        三四郎と並ぶ紘道館 の 四天王。

柔術、柔道の呼び名のうん蓄などはさておいて
単行本で500ページに及ぶ長編であるが、
これはもう面白くてむさぼり読んだ。

武蔵の波乱万丈の人生と重なるその自己完成の厳しさを
オーバーラップしながらワクワク読んだ。

この三四郎の小説の魅力は主人公の魂の形成がたどられると
いうだけでなく、その青春を通して、明治開化期の時代が
語られ、映し出され、そこが読むものの興味を
そそる要因ともなっていると思う。

こういうタイプの小説はいろんなタイプに当てはまる
代表的な人物が登場するので、それだけで魅力的だ。
ちまちまとした心理小説は
どうも物足りないし、ミーハー的で受け付けないのだ。

その映画化は黒澤明監督である。
監督第一作ーー1943年度に作られたが戦時中のアレで、
封切とならず、戦後すぐに封切られたものである。

会津出身の三四郎に扮する藤田 進は、笠智衆をスポーツマンに
したような感じでその朴訥なキャラクターが三四郎のイメージに
ぴったりでした。
後年加山雄三で作られたようですが都会的な彼では
原作のイメージは湧きませんねえ。

つまり笠さんに似たタイプの藤田さんがピタリの役といえば...
イメージして頂けばぜんぜん違うと言う意味が
おわかり頂けるでしょう。

柔術を極限まで極めようとするその意志、そして品性、
この二つをとって武蔵と類似していると
言えるということでしょう。

戦前お蔵入りになった作品ですが、東宝映画としては
勿体無いと言うことで封切っただけのことはあります。

青春のお気に入りの一冊、この映画を観たのは昭和60年代
でした。
感激でしたね。

監督第一作という作品をみつめるのも面白いものです。








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