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先月半ばに出会って、ハマってるお菓子があります。昔 マクヴィティのチーズクラッカーにハマってたことがあるが、大きさ的にはいい感じ。チーズ感もいいです。ちょっと塩味がきついですが、ビールのつまみだけでなく、小腹が減った時にも満足できる感じ。ファミマで手に入ります。
May 2, 2024
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以前、超教派の集まりがあったときに、ルーテル教会の牧師さんが使っていました。そこで、探して買ってみて、今日の牧師たちの会議で使ってみました。ZOOMを介してのミーティングに3人が、対面で11人が集まっての会議でした。会議室の真ん中において、リモート側の発言がよく聞けましたし、こちらの発言も届いたようです。ハウリングなどもせず、便利な機器でした。もっと早く知っておけばよかったです。というわけで、以下の商品をおすすめです!きっと、もっといいものもあるでしょうね。eMeet Luna Lite スピーカーフォン 会議用マイクスピーカー Bluetooth対応 Skype Zoom など対応 ノイズキャンセリング VoiceIA技術 オンライン会議 テレワーク 在宅 会議用システム ウェブ会議 テレビ会議 ビデオ会議 PCマイク web会議スピーカー 全指向性集音マイク ブルーWERJIA 専用保護収納ケース 用の にとってeMeet Luna /M2/M1 会議用マイクスピーカー
Mar 16, 2021
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10月29日朝のわたしからのメール(○○○△△△△@nifty.ne.jp ○はアルファベット、△は数字)は、スパムメールですので、ご注意ください。これまでに数多くの問い合わせの電話やメールが寄せられました。一見すると、メールのタイトルがその人にふさわしいようなタイトルとなっており、過去の受信メール、送信メールも読み取られていたことになります。Zipファイルが添付されていて、パスワードが1234567となっているようです。また、文面の最後が「ありがとう」となっていて、わたしの署名がされています。ある方から、今回のウィルスは「トロイの木馬」にあたるものが検出された、とご連絡をいただきました。開こうとしてしまって開けなかった方も、念のためウィルスチェックをお願いいたします。なお、このアドレスは普段使っていないものです。そのようなメールを受け取った方は、そのアドレスを受信拒否してください。また、わたしのほうも念のため自分のパソコンのウィルスチェックをしましたが、「脅威は発見されなかった」とでました。(普段、パソコンのメーラを使っていないし、そこにメールの送受信情報を入れていないので、わたしのパソコンから送信された可能性はない、と考えていました)また、NiftyIDのメルアドは使わないことにしましたし、ログインパスワードも、ワンタイムパスワードにするなどセキュリティを上げました。いずれ、Niftyのメルアドも変更しようとは考えています。
Nov 2, 2020
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人との出会いは無論のこと、本との出会いも不思議である。と同時にどうしても読まねばならぬ本と出会う時は至福の時であり、自分自身を深みへと連れ立っていく。 今回は『押田成人著作選集』の第1弾。〜深みとのめぐりあい 高森草庵の誕生〜 である。 教会員ですでにこの本を購入した という方から借りて読んでいる。 押田神父がホイヴェルス神父に導かれこの道に入ったこと、修道院の長が深夜の大沈黙の時間に、ウグイス笛を鳴らしながら歩き回った挙句、「規則を守るのはいいことだ。守れば守られるが、ただそれだけだ。守らない人を批判してはいけないよ」と言った話。自給自足をする高森草庵ができた時の話など興味は尽きない。 禅とキリスト教との融合的な営みにおいて、あらゆることに公案を見出している姿勢、自分の立場は最後は残るもんだね、と認めた上で、全てを神に委ね切ってしまおうとする姿に感銘を受けた。 またヨハネ福音書の冒頭「初めに言があった」の「言」を「ことコトバ」と言いなおす。夕陽や落ち葉にも語るコトバがあると説く。まさにヘブライ思想におけるダーバール。 あと半分ほど。次の日曜日までに読み切りたい。【中古】 深みとのめぐりあい 高森草庵の誕生 押田成人著作選集1/押田成人(著者),宮本久雄(編者),石井智恵美(編者) 【中古】afb
Feb 14, 2020
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日本中が大寒波が来ているというのに、松本は、確かに寒いのだが、まあいつもどおりかな、と思えている。妻も「冬だもの。あたりまえじゃない」とのこと。特に、水道が凍ったりもしていない。 さて。教会の図書に 帚木蓬生著『ネガティブ・ケイパビリティ 答えのない事態に耐える力』という本がリクエストされた。聞きなれない言葉であるが、「消極的能力」、「消極的受容力」などと訳されている。 実は、副牧師がリクエストした本だったが、先の日曜日の礼拝説教でこの本のことが紹介された。 その中で、なんとなく分かったような分からないような感じだったので、ざっと読んでみた。 実は、私は帚木蓬生なる作家のことも全くしらなかった。しかし、読んでみて大変興味を持った。 彼自身が、どのようにしてネガティブ・ケイパビリティ―という言葉と出会ったのか、また、その言葉の出どころが、どこにあるのか、ということから語られていた。 もともとは、イギリスの大詩人キーツによるもので、しかも、彼が兄弟に当てた手紙にたった一度しか使わなかった言葉だった。それが、キーツの死後150年ほどたって、イギリスの精神科医ビオンによって再発見された、ということだった。そして、帚木自身は、精神科医として、患者との間で起こる現象や言葉、その不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度として、この考え方を受け入れ実践している。さらに、本書は、その概念が精神科の治療だけでなく、教育の過程や、政治においても応用され、役に立つことが示されていた。ある種、自分の考えを一つに定めないという宙ぶらりんな態度において、他者の立場を理解し共感できるのだ、というのである。 すぐに答えを出そうとする、すっきりしようとして人間は、性急さゆえに、多くの過ちを犯してきたのではないか、と考える。人を決めつけ、善と悪、敵か味方かにレッテルを貼ってしまう。そして、敵対するものを滅ぼそうとするのだが、それが近代は特に悲惨な戦争に向かってしまった、と解釈する。歴史的には、宗教改革者ルターがカトリックと袂を別ったのは、ネガティブ・ケイパビリティ―が足りなかったのではないか、と手厳しい。一方、『愚神礼賛』でカトリックの堕落を批判した人文主義者のエラスムスは、最後はカトリックにとどまっており、ネガティブ・ケイパビリティ―を要していた、と解釈する。また、その関係を、カルヴァンとラブレーにも見たりしている。また、フランスの思想家モンテニューが、ネイティブ・アメリカンに共感した例も出されていた。 また、本書では、マグリット・ユルスナールの短編『源氏の君の最後の恋』にも触れていたし、彼自身の児童文学ともいえる『ソルハ』という作品も紹介していた。これらにも、大変興味を持ったし、深いところで私たちの魂を動かすものがあると感じさせられた。 現代人に欠けるのが、共感する力であり、二元論的に考える方向が、近年特に進んでいるかのように思える。そして、誰もが中途半端な状態を嫌がるのだが、それに耐えてこそ、他者と共感していく道も見えてくるのではないか、と思わされた。 しかし、寛容であろう、共感しよう、という立場の人が、不寛容である人に対して、なかなか寛容になれなかったり、共感できなかったりするのだが、その矛盾はどう考えたらよいものだろうか、と思わせられている。ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力【電子書籍】[ 帚木蓬生 ]ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力東方綺譚/マルグリット・ユルスナール/多田智満子【2500円以上送料無料】ソルハ [ 帚木蓬生 ]
Dec 14, 2017
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月曜日は、今年初めて積もった雪。しかも40センチぐらいはある感じ。朝起きて雪かきをすればよかったのだが、もう少し降りが弱くなってから、なんて思っていたら、全然できなかった。ようやく10時ちょっと前ぐらいから2時間ほど教会の駐車場とその前の道路を雪かきした。さらに玄関とそれにつながる道をほんのちょっとしたが、汗だくになりおなかも減ったので休憩をとったものの、その後、なかなか次のスタートに行くことができなかった。3時過ぎにまた1時間ほど雪かきをして、不十分ながらその日は終了。火曜日 朝から幼稚園の保護者向けのお話し(アパルーム)のため、歩いて出かけた。雪かきが十分のところもあれば、そうでもなく歩きにくいところもあった。どこかに雪かきが置いてあれば、ちょっとはかいていくのに、なんても思った。アパルームは「放蕩息子のたとえ」について。それが終わって、子どもたちがかまくらを造ろうとしていたので、ちょっとだけ雪を盛ってあげた。午後は、やんちゃ坊の方々を招いて、キムチづくり。12人が集まった。いろいろとキムチの効能など伺い、白菜の塩漬けの仕方や中につめるタネの作り方を習う。また、ジャガイモのチヂミを教えてもらった。日本で作られている漬物で、今はキムチが生産量が一番だ、ということも初めて知った。店主の李さんは、渡来人倶楽部でも日韓の懸け橋になるように、文化的交流を目指し、平和を創り出すことに一役買っている方。そうした互いに文化を認め合うことの大切さも話してくださった。水曜日 祈り会。今日は3人。雪のためか人数が少なかった。午後は、雪かき。今晩ぐらいまた積もりそうだ、とのこと。その前に、できるだけ凍ったところを取り除きたい。パカパカはがれるような感じは気持ちがいい。2時間ほど働いて休憩。木曜日 前から頼まれていた子どもの部屋の障子を張り替えた。お昼、松本のカレーラリーに参加。妻と伝道師と一緒に喫茶店されどに行って、牛すじカレーをいただく。パソコンの調子がおかしかったので、前のハードディスクに戻してみた。症状は変わらず。しかし、分解したところ、メモリーがキチンとはまっていなかったことに気づく。メモリーをはめ込んで、起動。パソコンの反応が良くなった。金曜日 三村さんの記念文集編集会議。 次回月曜日の予定。午後は、よりそい福祉バンクの会議。4時半まで行った。夕食担当。土曜日 午前中 やまびこ編集会議。原稿チェック。読み合わせ。午後、Yさんの会。
Jan 23, 2016
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11月2日は、日本基督教団の教会暦では永眠者記念礼拝(聖徒の日)として覚えています。…が、全然関係なく、子どもの礼拝では、9月のテーマはダビデでした。そこで、礼拝後に、子どもたちで大きなゴリアテの絵を描いていたのです。そして、それを裏から段ボールで補強して大きなゴリアテの的にしました。ゴリアテは教会の部屋の中には立てられなかったので、教会の中庭に立てました。石ではなく紙を丸めた弾をつくって当てました。本当は、羊飼いが使うような石投げ器も真似て造ってみたのですが、うまく弾が飛ばなかったので、今回は手で投げて的当てをしました。
Nov 2, 2014
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10月12日の午後は、子どもの野外礼拝でした。 午後1時半に教会に集まって、歩いて20~30分の沢村公園というところに行きました。 現地集合の子どもたちもいます。 2時から礼拝をはじめて、そのあと4時まで遊びました。 沢村公園は、私の子どもがまだ小さかった頃に散歩がてらに出かけましたが、日曜日の午後は、機序の子どもたちも大勢いて、サッカーやテニスをしていたり、バレーボールをしている高校生、中には勉強を公園の机でしている学生もいました。それから、バイクを乗り回してくる若者もいましたが、 その中で、おにごっこをしたり、はないちもんめをしました。 それから、フリスビーをもってきた親御さんもいたり、ボールをもってきた子どももいましたので、フリスビーやキャッチボールでも遊びました。おやつも一緒にいただきましたよ…(鈴蘭幼稚園に来ているお子さんのご家族も偶然来ていて、一緒におやつを食べたり、お話をしたりしました。) 台風が近づいていましたが、こちらは暑いぐらいのいいお天気(明日から雨ということですが)。久々に体も動かして、少しストレス解消になりました。 以下、写真はそのときの様子です!
Oct 12, 2014
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松本教会で毎年恒例の行事、ぶどう液づくりが終わりました。教会の聖餐式用には15本で足りるのですが、他に出身教職や関連する方々に贈ったり、購入していただいたりしております。毎年40キロほどのぶどうから作りますが、今年は350mlのビンで129本できました。作業が無事守られたこともありがたいことですが、こうした作業を通して、いろいろと交わりが与えられることは、ありがたいことです。お昼も皆持ち寄りで豊かにいただきました!そして、元松本教会員で、遠くから来て下さった方もいました。以下、その時の様子です。びん煮沸瓶詰作業 打栓(相当古い打栓器を使っています。) ラベル貼 後片付け後
Oct 1, 2014
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9月25日木曜日 午前9時半から11時40分ぐらいまで、オリーブ会を行いました。今回は、「絵本を持ち寄って語り合おう」の第2弾でした。語り合うというところまでいきませんでしたが、絵本に思い入れを持つ方々が集まったというところで、また新しい発見がありました。20名ぐらいの参加者が、1冊だけに限らず2~3冊紹介されたり、ご家族のオリジナルの絵本や紙芝居を紹介してくださった方もいました。わたしが今回新しく出会った絵本で印象深かったのは、次の絵本です。『光の旅 かげの旅』(作・絵:アン・ジョナス 訳:内海 まお、評論社)、“A Life With The Poor”(Written by Didith T. Rodrigo Illustrated by Mhery Ann Andes 「貧しい人と共にある生き方」 フィリピンの絵本)、『さがしてあそぼう春ものがたり』(ロートラウト・スザンネ ベルナー)のハンガリー版でした。以下、リストです。(画像はまだアップ途中ですが...)9月25日のオリーブ会で参加者が持ち寄って紹介した本のリストです。ご参考ください。『ペドロの作文』作: アントニオ・スカルメタ 絵: アルフォンソ・ルアーノ訳: 宇野 和美 、アリス館 『風が吹くとき』作・絵: レイモンド・ブリッグズ 訳: さくま ゆみこ、あすなろ書房『やめて!』作・絵:デイビッド・マクフェイル 訳:柳田邦男、徳間書店『ペレのあたらしいふく』 作・絵:エルサ・ベスコフ 訳:小野寺 百合子 、福音館書店『おりこうなアニカ』作・絵: エルサ・ベスコフ 訳: いしいとしこ、福音館書店『もぐらとずぼん』作:エドアルド・ペチシカ 絵:ズデネック・ミレル, 訳:うちだ りさこ、福音館書店『富士山うたごよみ』絵: 短歌・文:俵 万智絵: U.G.サトー、福音館書店『ぐうぐうぐう』作・絵:五味太郎 文化出版局『しあわせならてをたたこう』 つまみしきしかけえほん 作・絵:デビッド・A・カーター訳:きたむら まさお、大日本絵画『光の旅 かげの旅』作・絵:アン・ジョナス 訳:内海 まお、評論社“A Life With The Poor”Written by Didith T. Rodrigo Illustrated by Mhery Ann Andes 『さがしてあそぼう秋のものがたり』作絵 ロートラウト・スザンナ・ベルナー 『ぼくを探しに』作絵:シルヴァスタイン 訳:倉橋 由美子 講談社 『ぽっぽぉー よぎしゃ』作:矢崎 節夫 絵: 北田卓史 出版社: 至光社 紙芝居「かぶとむしのトムとこがねむしのネム」作・絵:なかむらたつき 非売品『スリーピーとたつきくん』作・絵 なかむら ゆき 非売品『チリとチリリ』作絵 どい かや アリス館 『よるくま』作絵 酒井駒子 『ぼくがラーメンたべてるとき』長谷川義史 『かないくん』文:谷川俊太郎、絵:松本大洋 糸井重里出版 『アミ 小さな宇宙人』エンリケ・バリオス (著),さくら ももこ (イラスト), 石原 彰二 (翻訳)徳間文庫『ぼくはここにいる』ピーター レイノルズ (著) さかき たもつ (訳) 『パンケーキにのっけたバターみたい』ジョナサン ロンドン (著),G.ブライアン カラス (イラスト) わかまつゆうこ(訳) 『いいから いいから』長谷川義史 『ちびゴリラのちびちび』ルース・ボーンスタイン (著) いわた みみ (翻訳) 『ぞうのババール』ジャン・ド・ブリュノフ (著), やがわ すみこ (翻訳)『ことばのかたち』おーなり 由子 (著) 『だいじょうぶ だいじょうぶ』いとう ひろし 作 『はせがわくん きらいや』長谷川集平 作 『ともだちから ともだちへ』アンソニー フランス (著) ティファニー ビーク (イラスト)『あさになったのでまどをあけますよ』作絵:荒井良治『滝平二郎切り絵名作集』朝日新聞社 『やっぱりおおかみ』さく・え ささきまき
Sep 29, 2014
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堤未果さんの解説。「政府が嘘をつく」って当然、と思っていますし、隠されていることたくさんあると思います。 以下のビデオでも、イラクの大量破壊兵器、放射能の人体への影響や原発のメルトダウンのことなど政府の嘘が誰の利益になるのか、を語っています。 特に知ってほしいことは、TPPの問題。 15分48秒ぐらいから、ISD条項について説明があります。 「相手国に投資した企業が 相手国の政策によって損害を被った場合 相手国を提訴できる」というもののようです。 これってすごくおかしいことです。 例として次のことがあげられていました。 北米自由貿易協定での例。 「アメリカが有害な物質を添加した石油をカナダに輸出していました。それをカナダ政府が禁止したところ、A社はISD条項によりカナダ政府を提訴。カナダは敗訴して、規制緩和をした」とのこと。 こうした裁判がカナダ、メキシコとアメリカ企業の側にあったようですが、アメリカ側が全勝している、ということです。 しかも、その裁判はアメリカ資本の息がかかった裁判所でなされ、密室裁判の中で控訴も控訴ができない、とのことです。政府は必ず嘘をつく著者:堤未果価格:819円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る
Jan 30, 2014
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13日、予定では家族でスキーに行こうって思っていたのですが、雪模様で天候が不安定かな、と思って中止にしました。 そこで、何か映画を見に行こうか、と言ったところ、娘が、「永遠の0」を見たい、と言ったので、家族で「永遠の0」を見に行きました。 「永遠の0」の山崎貴監督は、松本出身なので、松本ではちょっと盛り上がっています。 山崎監督は、「Always三丁目の夕日」で注目された方で、CGの使い方が上手ということでも、興味深いところがあるかもしれませんが、戦争をどう描くか、ということが、同世代として最も興味深いところでした。また、こうした映画を家族で見るということが、また戦争のことを話できることになるかな、と思いました。 原作者の百田さんのことは、あまり良いイメージを持っていませんでしたが、映画は泣けました。 V6の岡田さん扮する主人公が、「とにかく生き残ることを考える」「自分が死んだら悲しむ人、困る人がいる」「若い人には生き残って戦後の社会を作ってほしい」ということを大事にして、凄腕のパイロットでいるにもかかわらず、味方からは、卑怯者、臆病者と言われながらも、生き延びることを大事にしますし、それを小隊長として部下にも浸透させようとしました。 最後は、特攻隊の一人として出撃し戦死するのですが、その前に、若い隊員に自分の願い、すなわち「家族を頼む」という願いを託するのです。 途中で、話のオチが分かってしまうところもありましたが、でも、命を粗末にしてはいけない、ということ、国のために命を捨てろと言われた時代に、それに静かに抗う人を描いている、というのは、感銘を受けました。小説には、零戦賛美とか、特攻賛美という批評もあるようですが、少なくともこの映画には、その評価は当たらない、と思いました。零戦も戦争後期には、米軍戦闘機に敵わなくなっている様子も描かれていましたし、特攻の無謀さ、愚かさを主張する人のほうにシンパシーを求めるところもありましたし。 一方、現代の若者が、特攻を馬鹿にするような発言をするところなどがありました。そういう描き方は、ある人たちが「だから若い人に愛国心を教えなければならない」という考えを強化してしまうのではないか、と思いましたが…。 映画館は一杯でしたし、こうした映画を機に、すこし戦争のことについて話し合う機会があればいいかもしれない、と思いました。 それから、最後に、主人公の妻が「あの人は死んでも戻ってくるという約束を守りました」というところにも感じるところがありました。人のいのちが、肉体の死をもっては終わっていない、ということが示されていました。生き残った人の中に残される生き方、生き残った人に課題を突き付けるものがある、ということです。 もう一つ、この映画を見て、映画というか小説の主人公のモデルは、特にいなかったようですが、そうしたことが実際は、いろんな形であったのだろう、と思っています。ある方のおじさんは、泳げなかったけれど船が沈む時に、数に限りのあった救命具を自分よりも若い人に渡してなくなった、ということを聞きました。その方は、そのおじさんのことを思うと、つらいことや大変なことでも乗り越える力が与えられる、と言っていました。 それにしても、岡田准一さんは、黒田官兵衛でも人の命を大事にする人として役が与えられているんだなぁ、なんて不思議にも思ったりもしました。
Jan 14, 2014
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この数年、肩こりがひどく、特に右肩が痛かったので、教会員で鍼灸師の方に今日の午前中見てもらいました。触診していただき、確かに右肩がひどいとのこと。最初はマサージをお願いしていったのですが、マッサージは一時しのぎとのこと。 「針をやってみませんか」と言われて、ちょっと怖い感じもしたのですが、おすすめに従いました。 背中のほうからはじまり、首の付け根まで何箇所か針をさしてもらいました。チクリと痛みがあった後、じわっと胸の奥のほうまで伝わるような痛みというよりも熱さを感じ、脇の下からじわっと汗がでてくる感じがありました。が、決して気分が悪くなるわけではなく、終わってからも、まだ肩に熱い感じが残っていました。 「左肩もこってますが、やはり右肩がひどいですね」とのこと。「できれば、毎週1回来ていただいて、しばらく続けていただくと、治りますよ」とのこと。 それと、「肩こりに適した運動はありますか」と尋ねたら、「歩いたりして、体を動かすこともいいですし、ラジオ体操はいいみたいです」とのこと。 そして「今日は、お風呂に入れば、また効果がでますとのこと」。で、ゆっくりお風呂に入って体を温めました。なんだか、本当に肩が軽くなった感じがしています(でも、こうしてパソコンをしていると、だんだん重くなってきました...)。 サラリーマン時代は、まだ運動していたけれど、この十年は、本当に運動らしい運動をしていませんから、これからラジオ体操でも習慣化しようかな、と思いました。明日から...ってできるかなぁ…。
Nov 28, 2013
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7月14日、15日と仙台で開催されたNCC教育部主催の教会教育フェスティバルに参加してきました。2年前に松本で開催した際には、主催者側として全国諸教派の教会から参加者をお迎えしたものですから、今度は一般参加者として参加したいという思いがありました。 また、仙台は25年前の学生時代を過ごした街であり、震災後にもなかなか訪ねられなかった場所でもありました。子どもが参加できる分科会もあったので、家族で参加し、わたしは「讃美歌を作ろう」、「どうしてますか?成人科」という分科会に出席し、妻は「紙しばい、学ぼう、やってみよう!」と「CSわいわい、やってみよう!」という分科会に出席しました。「讃美歌」の分科会では、ヨハネ福音書13章34節に基づく讃美歌を作りました。また、「成人科」とは、大人の学ぶ場ということですが、従来の教える、ということではなく、共に学ぶこと、参加者の言葉を引き出していくことの大切さを考えさせられました。妻と分かち合う中で、「紙芝居」は、「芝居」なのだ、ということに目からうろこが落ちました。「紙芝居」が登場人物の台詞で繋がれる「芝居」にならずに、ナレーターの説明が主になっていることが多いとのことでした。「CSわいわい」では、CSの分級のアイデアがいろいろと紹介されたようです。一緒に参加した娘が、松本教会のCSの分級にはもっと工夫が必要だ、と厳しい指摘をして、私にその時の資料を渡してくれました。 14日は、松本の教会の礼拝はお休みし、その日の午前中は、仙台北教会の礼拝に出席しました。学生時代お世話になった方にお目にかかりたいと思ったことと、個人的に尊敬していた方の出席されていた教会ということで伺いました。思いがけず神学校で旧約聖書を習った先生にお目にかかり嬉しく思いました。また、プログラムに出るのが精一杯で、残念ながら他のところに立ち寄る機会を得ることはできませんでした。(実は、子どもたちと妻は土曜日の朝に出かけましたが、わたしは所用があり、日曜日の朝に仙台につくように深夜車を運転していったので、帰りも車で帰ることになり、長居ができなかったのです。)以下、派遣礼拝の様子とみんなでつくった讃美歌の譜面です。
Jul 15, 2013
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毎年、教会の駐車場の上のほうにツバメが巣を作ります。(2011年だけは来なかったのですが。) 今年も5月終わりぐらいから、つばめがしきりと来ていましたが、いつのまにかかわいい5羽の雛が返っていました。 今日見ると、その中の3羽が一生懸命口を開いています。呼ぶ声がしたと思ったら、すぐに親鳥が来て餌を食べさせていましたが、それはあっという間の出来事で、わたしのデジカメでは親鳥が飛んでくる姿を収めることはできませんでした。
Jun 23, 2013
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教会バザーが4月29日に行われますが、喫茶コーナーのクッキー作りのために有志が集まり、クッキーを作りました。 なかなか良い感じでできましたので、写真をアップします。 バザーのチラシは、こちらから。(pdfです)
Apr 26, 2013
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朝、起きたら、妻が「雪だよ、雪」と興奮して叫んでいました。「それも、結構積もってるし、まだ降ってるよ」と。 外を見て、本当にびっくりしました。 以前、桜に雪といった時がありましたが、桜も散った後、雪がふるなんて、なかなか信州の冬は侮れませんな。春はまだまだ…? 庭に一輪咲いていたチューリップと、ぼけの花が咲いているところに積もった雪を撮ってみました。
Apr 21, 2013
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『遺体―明日への十日間』石井光太原作 君塚良一脚本・監督 西田敏行主演 山形村アイシティシネマのメンズデイに合わせて、ようやく見に行くことができました。以前、見に行こうと決めていた日があったのですが、お葬式が入ったりしていくことができなかったのです。 知人の中には、映画を見るのが怖い、という方もいたのですが、私自身は、映画だし、あまりリアルには遺体が映るということはないのでは、という思いがありました。震災があった直後の様子に関心を持っていましたし、釜石や大鎚の町並みがどんなふうに映っているのだろう、と興味がありました。 映画では、震災直前の人の様子が描かれた後、地震があったときの揺れや津波については、何も描かれず、その直後に、町を津波が襲った、人が沢山亡くなった、という情報が行き交うところから物語が展開していきます。 山手のほうの人たちは、地震の被害が大きい、と思って、津波には、ほとんど頭がいっていない、その被害がどれほどのものか想像がついていっていない、ということが、弟から聞いていたこともあって、リアルだと思いました。 そして、遺体安置場所となった体育館を舞台に、ほとんど外の様子は描かれることはなく、「ご遺体」と向き合う西田敏行扮する相葉恒夫や市の職員、医師や歯科医たちの働きが描かれていきます。 亡くなっていった人たちの体が運び込まれ、皆が立ち尽くしてしまうところで、まず涙が溢れ、その後、妊婦さんの遺体、子どもの遺体、助けられなかったと罪悪感を持ち続ける母親などが登場し、また、自分の知り合いが検査する遺体の中にあることが分かって涙する歯科医、またお世話になった人の遺体を前に号泣する歯科助手の様子も、ぐっと迫るものがありました。 私自身、釜石に行ったときにも、今日、海のほうで一人見つかった、とか、人が手をつけていないところで片付けに入るときに、「(亡くなった人が)出るんじゃないか」と町の人が声をかけてこられたことを思い出しました。 その中でも、相葉が遺体に声をかけていく、家族に慰めの言葉をかけていく、という中で、市の職員の「僕らには言葉があるんですね」というセリフがあり、言葉を失った、ということがあっても、言葉の力が持つところを改めて教えられた感じもしました。 ただし、映画についてではないのですが、なんと映画を見ている途中に、携帯電話が鳴り出し、その電話に出て話をしだすおじいさんがいたのにはびっくりしました。私の席の前だったのですが、一度電話がなったら電源をきるか、マナーモードにしておけばよいのに、再びかかってきました。さすがに二度目のときは席を外しましたが、電話にどうしても出なきゃいけない状況があるのなら、映画を見てはいけないし、映画を見るなら、他の人の事を考えて電話にでない、電源を切っておく、ということを徹底してほしい、と感じました。 ところで、畠山直哉さんの『気仙川』を読んでいたときに、自分自身が最初に釜石や大船渡に行った時のことも思い出しましたが、震災直後の動揺や恐れや悲しみを忘れてはいけないな、とこの映画を見ながら、思いました。
Apr 18, 2013
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1956年6月30日、石川市(現・うるま市)での米軍空軍機墜落事故と2004年8月13日の米軍ヘリコプター墜落事故が重ねられながら、沖縄の今を語る映画の有料試写会に娘と一緒に行って来ました。楽しく仲良く遊ぶ子どもたち。その子どもたちが通う宮森小学校に飛行機が突っ込みました。衝撃で即死した子どもの姿もありました。辺り一面が火の海になり逃げる教師と子どもたち。娘が私の腕をぎゅっと掴むのを感じましたし、そこで亡くなった子どもの姿と彼らを回想する場面では、涙が溢れてきました。「操縦士が脱出前に少しでも長く操縦桿を握ってコントロールすれば、学校のない畑に墜落させれたのに」という悔しさを語る声がありました。亡くなった児童は11名、重軽傷者210名で、映画のシナリオは、その事故の証言集にもとづいて書かれたものです。子どもを死なせてしまった教師や自分のせいで弟分を失ったと思う児童の心の傷も描かれていました。 一方、映画では、沖縄国際大学に通う青年が、ゼミで自分たちの子どもの頃に大学構内にヘリコプターが墜落したことを考えるようになります。そこからかつての米軍空軍機墜落事故のことも調べ始め、生き残った人たちの証言をまとめる中、その青年は自分の祖父が事故の生き残りということを知ります。そして、米軍基地のこと、平和のことを考えよう、というコンサートを企画します。その中で、父親が米軍基地で働く女子学生が葛藤を持ちますが、「できることなら基地がなくなったほうがよい」という父親の言葉を聞きます。事故を忘れたいと思っていた祖父がコンサートで三線を手に歌う場面、米兵の幾人かがそのコンサートに参加する場面、立場の違いを越えようとする平和への切実な思いが伝わって来ました。 松本近辺の映画館では6月に上映とのこと。自主上映会も募集しています。 映画「ひまわり」の公式ホームページはこちら。
Feb 22, 2013
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2月11日、教会では、思想・信教の自由を守る集いをしました。 2013年は、沖縄から彫刻家の金城実さんをお招きしました。 金城さんは、父親が戦死したあと沖縄に生まれ、英語の教師となって大阪で働きつつ、独学で彫刻を学び、迫力のある人間の生き方を表現されている方です。以前、沖縄に行った際に、アトリエまでお訪ねしたことがありました。是非、この人の話をみんなで聴いてみたい、この人の存在を知ってほしいと思ってお招きしたのです。 せっかく松本に来るのだから、荻原碌山美術館に行きたいと言われましたので、集会が終わってからご案内しようか、と思いましたが、冬季は閉館時間が早いのと、12日は閉館日だったので、9日に来ていただき、10日に美術館を巡って頂きました。 9日から、松本らしく、と思い、夕食は、馬肉、イワナ、と日本酒で歓迎をしましたが、金城さんは、沖縄から来られたのに、思ったほど寒くはない、と言われましたし、「あんた、俺をホテルにとめて、接待して、それで無難だ、なんて思うなよ」と言われました。「立派なホテルじゃなくても、お前の教会に泊めてもらってもいいんだ」と。講師だから失礼があったらと気を使うのではなく、腹をわって話せる関係を大事にしたい、ということを言われました。「講師だ、なんて言って、ホテルに泊まりたい、なんていう奴は最初から呼ぶな!」とも言われていました。2.11集会について 金城さんは日曜日に碌山美術館に行かれて、碌山と内村鑑三との関係について知ったと語られました。そして、内村鑑三の「病的愛国心」ということを教えてくれました。内村は、愛国心を持て、と騒ぐような人よりも、畑を耕し、読書や勉学に勤しみ、子どもを育てる母親のほうが、愛国心があると言える、というようなことを言っていた、とのことです(病的愛国心について、内村鑑三は1898年3月11日『万朝報』に寄せている)。また、猪木正道(第3代防衛大学校長)の愛国心にも触れていました。猪木は、軍国主義的な愛国心と真の愛国心を区別しようとしていましたが、愛国心、愛国心と吹聴するような奴は、とんでもないものだ、と語っているらしいです。 金城さんは、語り放しではなく、最初40分話したところで、質疑を受け付けました。また、金城さんが出演しているテレビ番組や映画などからの映像を見ました。そうしたなかで、心に残ることがありました。 たとえば、原発運動に関して、なかなか政府やマスコミに無視されていくが、どうしたらよいのか、運動が意味を持たないのではないか、といった質問がありました。それに対して金城さんは 「靖国裁判をずっとやっているが、ずっと負け続けている。しかし、勝ち負けにこだわっているなら、それは虚しい。むしろこの戦いは、人間の尊厳、自分の尊厳の問題だ。勝つか負けるか、運動の人数がどうこうということではなく、そうせざるを得ないところがあり、あきらめないこと、続けることが大事なのだ」と言われました。 また、別な質問にも応えて「運動は、時にはゆるやかに、芸術的なセンスをもってすることが大事。政治的なこととして行うだけではなく、文化的活動、交流が大事」とも言われました。その中で、かつて「象の檻」があった読谷村長をされていた山内徳信さんに触れ、彼が当時のアメリカ大統領のジミー・カーターに手紙を書く祭に、毛筆で巻物風にかき、それを桐の箱に入れリボンをかけて送った、ということ、さらに、奥さんにあてて沖縄の特産品をクリスマス・プレゼントとして贈って、その手紙が読まれたかどうか、手紙で確かめたところ、大統領から返事が来た、とのこと。徐々に読谷村の米軍基地を減らしていくことができた、ということ、を語られました。そして、それは日本政府をこえた回答だったので、政府からは文句が出たが、国と国との外交というのではなく、自治をもった村とアメリカとの交渉ということが成り立った、という点が さらに、運動に壁をつくってはいけない、敵対する相手の尊厳も考えなくてはならない、と言われました。デモにいっても、まず警察の人たちにも、機動隊の人たちにも「朝からご苦労様です」と挨拶をしている、警察の人も沖縄の人、彼らに向かっても沖縄の歴史を語り、今日の授業は終わり。授業料はいりません、とユーモアをこめて言ってきた、とのことでした。 後半になって、より金城さんの存在に勢いが出てきて、話が盛り上がったところがあり、おもしろかったです。午後になって、諏訪から、写真家の石川文洋さんも来られました。また、神学生時代に辺野古に1年ぐらい関わっていた信濃村教会の稲垣牧師にも来て頂きました。それから、東京からもシンガーソングライターの大崎靖史さんという方が来られました。彼は、20年ぐらいまえに金城さんに会って、芸術論やさまざまなことで影響を受けた、ということでした。 終わってから、何人かで打ち上げをしました。講演後には、金城さんには、浅間温泉玉の湯ホテルに泊まって頂きました。このホテルの若旦那がかつて沖縄に一年半ぐらいいて辺野古に座り込みもしていたということでしたし、ここの料理は信州らしいもの、地産地消を意識しているところがあって、紹介したい、と思っていたからです。 なお、金城さんと辛淑玉さんとの対談集が、春に七つ森書館から出るそうです。
Feb 11, 2013
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先週、カトリックの松本教会で、松本キリスト教協議会(MCC)主催の「聖書人形展」が行われました。その人形作家の杉岡広子さんと打ち上げでお話をしていて、紹介されたドラマがありました。 それまで全く知りませんでしたが、「すいか」というドラマで2003年に放映されていたものでした。視聴率は低かったものの、向田邦子賞などを受賞するなど、玄人受けしていたドラマのようで、今でも密かに(?)人気があるようです。 このドラマの脚本は、木皿泉というペンネームを持つ夫妻。古くは「やっぱり猫が好き」の第2シーズンのいくつかを手がけたようですが、比較的新しいところでは「野ブタ。をプロデュース」「セクシーボイスアンドロボ」などが有名です。 その「すいか」は、なかなかいいです。 ハピネス三茶という三軒茶屋にある昔風の下宿(食事付き)が舞台で、今時ないような密な人間関係が描かれています。その中で、名言がたくさんあります。 小林聡美扮する主人公が、腐ってしまったスイカがもったいなくて、その種を土に埋めて、「すいかのお墓」と札を立てました。しばらくして芽が出ているを、ともさかりえ扮するエロ漫画家が発見してこんなセリフを言っています。 「お墓って、終わりかと思ったら、はじまりだったんだ」って。 他、もたいまさこ 市川実日子 浅岡ルリ子 小泉今日子 高橋克実 金子貴俊 白石加代子 片桐はいり など個性的俳優が味を出していて 随所に、はっとさせられるようないい言葉に出会います。ドラマの主たるストーリーと深く関係したものではないように見えるのですが、ドラマ全体にスパイスのように効いている感じです。 これは、DVDも買おうかなって思っています。
Nov 7, 2012
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日曜日の子どもの礼拝で、説教担当の方が、聖書の箇所とは別だったのですが、お話してくださったことが心に残りました。 その方は、いつもエプロンシアターとか紙芝居をされるのですが、今日は、紙芝居を持ってきたはずが荷物に入っていなくて、即興で物語をしてくださいました。 それが、宮沢賢治の『虔十公園林』でした。 わたしは全然知らないお話でしたが、胸を打つものがありました。 風が吹いて葉っぱがチラリと光ると嬉しくなったり、木の葉からしずくが落ちるのをみるとそれがきれいで嬉しくなったりするような虔十という人の物語。彼は、うれしくなるとあはあはと笑っていたのですが、人はその嬉しさや笑いを理解できず、彼をいつもどこか足りない人としてバカにしていました。 そんな彼がある日一生に一度という願いを父母にします。それが杉の苗700本。父母は、めったに願い事をしない虔十のいうことを聞きます。裏の庭に虔十は杉林をつくり、一所懸命その世話をしました。そして、いつか、そこに子どもたちが遊ぶようになりました。子どもたちが遊ぶのを見て、虔十はとても嬉しくあはあはと笑うのでした。 虔十はチフスで死んでしまいますが、杉林は大きくなり、子どもたちは遊ぶようになりました。 いつしか時を経て、その町出身ので偉くなった博士がやってきましたが、虔十の森が残っているのを喜びます。かつて彼自身もそこで遊んだことがあったのです。そして、賢くないと思っていた虔十の業績をたたえます。なぜなら、その他の田畑がつぶされて工場や家になっていくなかで、森は開発を免れ、子どもたちの遊び場となっていたからです。 その博士はその森を『虔十公園林』と名付けて、町で保存するようになったということです。 全文は、こちらの青空文庫でよめます。
Sep 9, 2012
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堀越信司さんがパラリンピックの陸上5000mで入賞されました。 直接、ご本人には面識はありませんが、お父様の堀越喜晴さんのお話は、一度、「信州なずなの会」というキリスト者の障がい者の会でお伺いしたことがありました。信濃毎日新聞にもお父様の喜びの声が載せられていました。こちらも嬉しくなりました。 また、競泳男子で銅メダルを二個とった鈴木孝幸さんについては、かつて教区の「部落差別問題特別委員会」主催の「人間大学」で、鈴木さんの出演したNHKの番組を見ながら、聖隷クリストファー学園大の山本誠先生にお話を伺った時を思い出します。本当は、鈴木さんに直接お話を伺いたいと企画していたのですが、ご都合が合わなくてだめでしたが、こういう方がいるのだ、と心に残りました。 パラリンピックもろくにチェックはしていなかったのですが、教会に関わる方々が選手として出ているというのは、もうちょっと注目しても良かったかなと思いました。
Sep 4, 2012
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8月1日、2日と教会、平出博物館、アスティかたおか、を会場として、松本教会の子どもの夏のキャンプが行われました。こども37名、スタッフ・保護者15名の参加で大いににぎわい楽しく過ごすことができました。 毎年楽しみにしている子どもたちもいるので、期待外れにならないように、楽しくいろいろと学べるプログラムを工夫しています。 おかげで、今年も盛りだくさんではありましたが、良い会でしたし、企画側も心地よい疲れとなりました。こちらに写真を載せています。ご覧いただけるかな。
Aug 2, 2012
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教会員のMさんが先週土曜日の朝、97歳で天に召されました。 90歳をこえて、施設に入られていた方ですが、伺うといつも静かな落ち着いた感じで、笑顔で迎えてくれました。 今年の2月から脳梗塞でお体が不自由になられ、ときどき入退院を繰り返してましたが、先週金曜日の夕方はお元気だったとのこと。 前夜式、お葬式と日曜日、月曜日としましたが、その方は、ずっと看護婦として活躍され、県の看護婦長や様々な日赤病院で婦長としてご活躍もされた方でした。看護学校での講師の経験もあり、ご自分では言われなかったのですが、なかなかすごい方だったということが後になって、お葬式に集まられた方々の証言で分かりました。 1930年代に、石川県で乳幼児死亡率を下げ、住民の生活改善のために尽力され、そのことが語り継がれていること、従軍看護婦として大陸に行かれ、帰国は1949年だったこと、県職として女性で最初に課長となられたことなども伺いました。 看護学校の生徒だった方々も20名ほど参列されましたが、最もよくお付き合いのあった方に、Mさんは、いつも穏やかでしたか、と尋ねると、一度だけ、別人のように厳しい表情をされたことがあったが、いつもやさしかった、とのこと。お身内の方々も、いつもやさしい笑顔だった、と言われ、芯の強さは感じられるものの、本当に控えめで、それでいて素晴らしい働きをされた方だったのだ、と改めて思いました。 そうしたお働きは、お身内の方々もほとんど知らず、控えめで成果を知られないように生きられた謙虚なお姿は、地の塩としての姿ではないだろうか、と感じました。 前夜式で、ローマ書12章1~8節を、参列者に聞いていただきましたが、自分の体をささげた姿、奉仕するものは奉仕に専念した姿が、Mさんと重ねられたからでした。前前任のO牧師からも、「Mさんを送る言葉」をいただきましたが、その中にローマ書12章7節の言葉が引用されていて、O牧師も同じように感じられていたのだ、と嬉しく思いました。 前任牧師のO牧師からは、Mさんのことが記述された論文を紹介されました。 論文アブストラクトはこちら
Jul 2, 2012
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今日は、10年前に天に召された方の記念会がありました。(御連れ合いは、その方が召された後に、受洗されました。)わたしは生前のお姿を知らないのだが、前任の大澤牧師が、彼からのハガキや、葬式や記念会の式次第、お連れ合いのコメントなどをファイルしてくださっていて、とても役に立ちました。高校の物理の教師をされていた方で、組合活動のリーダー的存在だった方。そのハガキには、ご長男の結婚のこと、教師として感じていること、病気のことなど様子が綴られていました。ご遺族の方々にご紹介しましたら、とても喜ばれました。筆まめでかつ達筆だった方。最後は、筆で様々な聖句を綴った巻物風(?)のものを見せていただきました。どこかに貼っていた跡もあるので、この言葉を毎日見ながら過ごされたのかな、と思い、会ったこともないTさんの信仰生活をしのびました。飾らないご家族との出会いと交わりもまた良いひとときでした。感謝! 最後に、息子さんが「こうした会は、キリスト教だからできた感じがします。わたしは特に信仰心はありませんが、教会でいろいろとお願いしたいと思います」と好意を示してくださいました。
Apr 28, 2012
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江宮隆之著『白磁の人』が「道~白磁の人」(監督:高橋伴明)として映画化された。これは、美須々交差点のすぐ近くの韓国料理店「やんちゃ坊」オーナーの李春浩(イ・チュンホ)さんが、10年ほど前から企画していたものだった。 この『白磁の人』の主人公は浅川巧(たくみ)という人である。浅川巧は、現北杜市出身。日帝時代の朝鮮半島に林業試験場の一員として働くかたわら、兄の伯孝(のりたか)と共に、朝鮮半島の陶磁器の美しさを研究した日本人の一人でもあり、柳宗悦の朝鮮美術開眼に影響を与えている。彼はキリスト者であり、現地の人びとに溶け込み、ハングルを覚え、衣服も朝鮮の民族衣装をまとっていた。朝鮮の貧しい人たちを助け、学費を援助した子どもたちも多かったという。差別的な政策をとる日本政府に対して、差別される側に身をおいた人として、韓国人に慕われている稀有な日本人である。41歳という若さで亡くなっているが、その葬儀も朝鮮式で行い、棺を大勢の韓国人が担ぎ、1時間もかかって埋葬された。戦後、日帝時代の怨みから日本人の墓が蹴倒されかかったとのことだが、浅川巧の墓は大切に守られている。白磁の人 / 江宮隆之 【文庫】 私自身が浅川巧について初めて知ったのは、詩人茨木のり子の『ハングルへの旅』(初版1986年)というエッセイである。まだ韓流などない時代、隣国の言葉を学ぼうとする人も少ないような時代に、彼女は50歳を過ぎてハングルを学んだ動機とハングルの面白さを語っている。その最後の2章で、二人のキリスト者、浅川巧と尹(ユン)東柱(ドンジュ)について紹介している。隣国で慕われている日本人と、隣国で人気のある詩人についてであるが、共に日帝時代を背負っている。尹東柱は、日本の立教大学と同志社大学で英文科に学んだものの、独立運動の嫌疑により福岡刑務所に送られ、そこで日本の敗戦の半年前に獄死する。ハングルの詩が百余編残されているが、官憲に押収された詩は行方知れずとのこと。 そして、映画「道~白磁の人」制作に尽力した李さんの「やんちゃ坊」の店内の入口付近に、尹東柱の「序詞」がハングルで大きく掲示されている。序詞死ぬ日まで空を仰ぎ一点の恥辱(はじ)なきことを葉あいにそよぐ風にもわたしは心痛んだ星歌う心で生きとし生けるものをいとおしまねばそしてわたしに与えられた道を歩みゆかねば今宵も星が風に吹き晒される。(伊吹郷訳)【送料無料】 朝鮮の土となった日本人 浅川巧の生涯 増補3版 / 高崎宗司 【単行本】価格:2,625円(税込、送料込)【送料無料】ハングルへの旅価格:567円(税込、送料別)尹東柱詩集 文庫本サイズ価格:1,100円(税込、送料別) なお、「道~白磁の人」は6月から全国ロードショーが始まり、松本ではシネマライツでの上映が決まっている。
Mar 29, 2012
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昨年の秋、グループホームに入っている教会員のUさんが、その施設の職員に伴われて来られた。礼拝堂で礼拝をしたときのメッセージで、『慰めの共同体・教会』の317ページにある「高齢者の祝福の祈り(歌)」を紹介した。すると、施設の職員さんが、それを心に留めてコピーを取って行かれた。 そして、クリスマスの頃、Uさんのいるグループホームを訪ねた。すると、Uさんの部屋だけでなく、すべての方の部屋に、その「高齢者の祝福の祈り」が貼っていて嬉しかった。 以下、その言葉であるが、これは元々、アフリカの讃美歌とのこと。どなたか元歌をご存知の方はいないものか、と思うこのごろである。「私のよろめく足 萎えた手に理解を示してくれる人びとは祝福されています。私の耳が苦労しないと人が語りかける言葉を聞き取ることができないことをよく分かってくれる人びとは祝福されています。わたしの目がかすみゆっくりでなければ考えることができなくなっているのをわかってくれる人びとは祝福されます。親しい微笑みを交わししばらくのおしゃべりを楽しんでくれる人びとは祝福されます。「今日、そのことを二度も口になさいましたよ」と決して言うまいとしてくれている人びとは、祝福されます。私のこころのうちに、遠い昔の思い出を呼び覚ますすべを心得ている人びとは、祝福されます。私が愛されており、尊敬されており、ひとりぼっちではないことを経験させてくださる人びとは、祝福されます。私になお残されている日々をその優しさで、軽やかな者にしてくれる人びとは祝福されます。」http://www.kyobunkwan.co.jp/publishing/archives/7729【送料無料】慰めの共同体・教会価格:3,675円(税込、送料別)
Jan 27, 2012
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今日は月曜日で、しかもひさびさに何もないような月曜日で、お休みしました。(本当は、しなくてはならないことはあるんですけどね、「明日できることは、今日するな」ってことで…) 朝も寝坊して、起きるころには、子どもたちが学校に出かけるところ。朝食の用意はなく(昨日の夕食の残りを食べきったとのこと)、仕方なく、玉ねぎ入りの玉子焼きと里芋と人参の味噌汁を作り、いただいた野沢菜を切って、ごはんとしました。 その後、教会員のIさんが、パソコンとプリンタの調子がおかしいので見てほしい、と現れて、若干格闘するものの、プリンタのドライバを再インストールして解決。Iさんの趣味の写真のいくつかを試しにプリントしました。王滝川の自然湖の写真が見事でした。長野県に住んで9年が経ちますが、まだ行ったことのない美しい自然のようすを伺い嬉しかったです。 プリントした写真をスキャナーで読み込んだものが以下です(ファイルそのものをいただければよかったのですが…。それでもいい写真だと思います)。 その後、お昼は連れ合いと一緒に外に食べに行きました。連れ合いがカタクラモールで買い物があるというので、街中を歩き、最初は、中町通りのクアトロ・ガッツというお店で食べるつもりだったのですが、なんとそこは今日は貸切。こういうことって僕はよくあるんです。行こうと思ったお店がお休みだったり、貸切だったり…。そこで、小澤征爾が毎年サイトウキネンフェスティバルのときに来ているというけど地味な中華料理屋さん「美味屋」に行きました。 それで、連れ合いは買い物をして、家に帰ったのですが、私も珍しいものを見つけて買ってしまいました。それが「北のおいち~ず」というおつまみ系のチーズ。成分表をみると、チーズ、醤油(大豆、小麦、塩)のみで、なかなかよさそう。見たところ「さきいか」って感じですが、たしかにチーズでした。 その後、連れ合いは、生活クラブの料理講習会の準備のため忙しいということで、夕食を適当に作りました。豚ひれ肉のパン粉焼き(チーズ・バジル風味)、白菜とリンゴのサラダ、ネギと人参と豆腐の味噌汁、という具合です。 さ~て、明日から、頑張るぞ!
Jan 16, 2012
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以下は、松本平の有志が発行している『平和の種』というミニコミ誌に、2011年の6月ぐらいに載せたものです。(写真は後でアップします) 沖縄米軍基地のことが大きな問題となりメディアに登場しない日がなかったのが2009年終わりから2010年の前半。「普天間基地移設先は少なくとも県外」を公約としてきた民主党政権であったが鳩山首相が「在沖縄米海兵隊の『抑止力』」と言って公約を取り下げて辞任し、菅内閣は何事もなかったかのように辺(へ)野(の)古(こ)基地の計画を進めようとしている(後に鳩山前首相は「抑止力」は「方便(ほうべん)」と語ったが…)。 沖縄県民の意向の8割は県内基地建設反対でありながら、その民意は政府に無視されている。さらに基地のない地域であるわたしたちの意識にも「ずれ」があるに違いない。その沖縄との「ずれ」を皮膚感覚、身体感覚で少しでも埋めていきたい、という思いで、「沖縄スタディーツアー」と称した旅を企画してきた。これは、もともと塩尻アイオナ教会の横田幸子牧師の提案でずっと続けてきたもので、私自身にとっては3回目の旅となった。今回は参加者6名で2月21日にはじまる全日程4泊5日の旅であった。旅ごとに新しい発見があり、伝えきれないこと、消化できていないことは限りないが、辺野古・高江のこと、金城(きんじょう)実(みのる)さんとの出会いを中心にお伝えしたい。 基地建設反対の座り込み運動がはじまって2500日を超えたばかりの辺野古では、安次富浩さんからこの運動の意義、そして基地返還の運動の変化を伺った。返還された土地の利用によって、多くの町の経済が活性化されているということで、基地によって経済が成り立つという幻想が崩れているとのこと。防衛施設局のボーリング調査を阻止する非暴力抵抗運動であるが3000日に至る前には解決したいと語られた。 70代後半を迎える平良悦美さんは、この運動に関わって初めて素潜りができるようになったこと、エンジン付きのボートの運転ができるようになったことを嬉しそうに話された。また、海の美しさを知ると同時に、弱さが力になることを語ってくださった。自分のように高齢のものが施設局のやぐらにつかまって抵抗していると、そうそう乱暴な扱いはされないし、かえって気遣われているとのこと。厳しい現実がありながら、なおも喜びや笑顔を忘れない姿が印象的だったし、非暴力の抵抗運動の力を感じた。この運動の願いは普天間基地はじめ米軍基地の移設・新設ではなく廃止であり、その意味で一日も早く解決に向かってほしいと祈った。上関(かみのせき)原発反対運動の祝(いわい)島(しま)の人々も辺野古の人たちとつながっていることを、後で知った。 その一方で、浜には新たな壁が建設されようとしていた。工事の邪魔がされにくいようにするためのようであるが、辺野古基地建設に向けて美しい浜が破壊されようとしていた。今や隔離壁とか分断壁とか呼んでいるが、基地や原発の建設の計画が、町や村の人々を分断させていくことが象徴されている。 辺野古の後に、東村(ひがしそん)高江村(たかえむら)に向かった。ここは、「やんばるの森」「ブロッコリーの森」として知られている美しい自然のある場所で、人々が住む集落を囲むかのように6つのヘリパッドが新設されようとしている。しかも、垂直離着陸機オスプレーの配備が予定されているという。このオスプレーという機種は実験機でもあり、欠陥機とも称されている。墜落する可能性がまだまだ高く不安定な軍用機であるが、機動性のため米軍海兵隊の作戦では重宝(ちょうほう)する代物(しろもの)らしい。しかし、近くの集落にも墜落することを考えると恐ろしいし、そのためにヘリパッド建設反対運動が起こっている。人口200名に満たない小さな村といえるが、その命が脅(おびや)かされ軽んじられている事実をなかなか本土のメディアは伝えてはいない。政府としても、声が小さいならば無視できるものと考えているのかもしれない。 こうした基地に関わる動きを見るならば、普天間基地返還で沖縄の負担減をかこつけながら、結局は米軍基地の再編と強化という方向性があり、基地返還、負担軽減が何一つ実質化していないのである。高江では、わたしたちが訪ねた日の早朝、防衛施設局側では突然100名ほどの人員を送ってヘリパッド建設に必要な砂利などの入った土嚢(どのう)などを運びいれたという。その100名も近隣の町や村からアルバイトとして雇った人々のようで高校生らしい子もいたとのことであった。 緊迫した雰囲気の中での訪問となったが多くの方々が支援に集まっていた。キリスト教関係者でも普天間爆音訴訟原告団の島田善次牧師は午前中の戦いで疲れ切った顔をされていた。また、岩国から大川清牧師がかけつけていたし、普天間のほうから来たという女性は、「普天間で暮らすまでは基地のことなど考えもしなかった。連日連夜の轟音(ごうおん)によって基地問題が見えてきた。」と、辺野古や高江を応援したいという気持ちを語っていた。 今回の旅の直前に彫刻家の金城(きんじょう)実(みのる)さんとジャーナリストの柴野徹夫さんとの共著の写真集『鬼~沖縄のもの言う』(憲法9条・メッセージ・プロジェクト)を手にして、金城さんに是非会いたいと思った。予(あらかじ)め柴野さんを通じて連絡をして、読谷村(よみたんそん)のご自宅兼アトリエをお訪ねした。アトリエといっても彫刻やレリーフが雨ざらし・野ざらし展示されていた。半分朽ちてしまったものなどもあったが、それがかえって心に迫ってきた。 金城さんには、わたしたちがどんな人間なのか、やや怪しまれていたようだ。(共著を出したとはいえ柴野さんに対しても、最初は「難しいことを言ううるさいオヤジ」と思っていたとのこと。) 最初は靖国合祀反対訴訟の原告として金城さんが出演した番組のビデオを見せられた。ビデオ中で金城さんは、ご自身が生まれる前に戦死した父親は日本人になろうとしてなりきれなかったこと、まだ見ぬ子どもにも「立派な日本人になれ」と書き送っていたということ。その父のことと沖縄の歴史を知ると、その父親は「犬死(いぬじに)」だったと認めざるを得なかったが、自分の肉親を「犬死だった」と公言したことで母親とも難しい関係にもなったとポツポツと語っていた。最後はその母親が「実(みのる)のほうが正しいかもしれない」と言ってくれたという。 こうして泡盛を飲みながらビデオを解説していた金城さんは「よおし、だんだんと自分の言葉になってきたぞ!」と調子を上げ始めた。沖縄戦犠牲者においては戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)の適用によって支給されるお金によって、言いたいことが言えなくされている人たちが大勢いるとのこと。基地問題は靖国問題でもあり、その問題を抜きにして「憲法9条を守る」なんていうのは「バカたれ」と言いたい、と言われる。また「憲法9条」どころか日本でありながら日本国憲法が適用されていない沖縄のことを考えるなら、「守る」なんておかしなことさ、とも言う。ご自身が「父親は犬死だ」と言ったことには痛みを伴う。その痛み、自分自身をえぐっていくことなしに、平和はあり得ない、とも語られた。 わたしが持って行った写真集にサインをしていただいたが、そこには「時に風にのり 風をよみ 出口を見つつ 着地点を間違うなよ!」という言葉をいただいた。「出会いは風」といい、金城さんを訪問した後で別な方に会う約束があり、時間で動こうとした私たちに「人に会うのに時間で区切るか!」と笑われた。また、ビデオには「古来琉球に伝わる下駄踊り?」というナレーションのもと金城さんの舞が写っていたが、運動にはユーモアがなければならんのじゃ、と言われたことも印象的だった。いろんな人が金城さんを訪ねてきて相談ごとにも乗るとのこと。かつては高校の英語教師だった金城さんの教育者としての厳しくも心ある一面をも垣間見ることができたし、その感性が反権力に向かうこと、親鸞(しんらん)にも共鳴し「琉球親鸞塾」の代表を務めていることも当然のように思われた。 そして沖縄を発つ日の午前中、沖縄県立博物館を見学した。沖縄の美しい自然や文化についての解説や展示品だけでなく、現在にいたる歴史的な背景がよく描かれていた。特に沖縄の日本復帰の問題では、泥沼化したベトナム戦争とともに沖縄の米軍基地維持費の負担感が米国において大きくなってきたことと絡めた議論が紹介されていた。「本土復帰」とは「おもいやり予算」「密約」に示されるように米軍基地維持のための「うそも方便」だったのかと考えさせられる展示だった。そこで、平良修さんに紹介された本島北端の辺戸岬にある「祖国復帰闘争碑」のことを思い出した。まだ見たことがないが次のように書かれているという。全国の そして全世界の友人へ贈る 吹き渡る風の音に 耳を傾けよ 権力に抗し 復帰をなしとげた 大衆の乾杯の声だ 打ち寄せる 波濤(はとう)の響きを聞け 戦争を拒み平和と人間開放を闘う大衆の雄叫(おたけ)びだ 鉄の暴風やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は 米軍占領に引き続き 一九五二年四月二十八日 サンフランシスコ「平和」条約第三条により 屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた 米国の支配は傲慢(ごうまん)で 県民の自由と人権を蹂躙(じゅうりん)した 祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声はむなしく消えた われわれの闘いは 蟷螂(とうろう)の斧(おの)に擬された しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ 全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた 見よ 平和にたたずまう宜名真(じなま)の里から 二七度線を断つ小舟は船出し 舷々(げんげん)相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ 今踏まれている 土こそ 辺戸(へど)区民の真心によって成る沖天(ちゅうてん)の大焚火(おおたきび)の大地なのだ 一九七二年五月十五日 沖縄の祖国復帰は実現した しかし県民の平和への願いは叶えられず 日米国家権力の恣意(しい)のまま軍事強化に逆用された しかるが故に この碑は 喜びを表明するためにあるのでもなく まして勝利を記念するためにあるのでもない 闘いをふり返り 大衆が信じ合い 自らの力を確かめ合い決意を新たにし合うためにこそあり 人類の永遠に生存し 生きとし生けるものが 自然の摂理(せつり)の下に 生きながらえ得るために 警鐘を鳴らさんとしてある ところで、3月11日に発生した地震と巨大津波によって東北地方の沿岸の壊滅的被害がある一方、人災ともいえる原子力発電所の事故で多くの人々の目が覚まさせられたと思う。東京でも大きな原発反対のデモが行われていたが、あるプラカードには、「東京の電力のために福島の皆さんに犠牲を強いていてごめんなさい。」といったメッセージがあった。この状況は、決して原子力発電所だけの問題ではない。都市部やいわゆる「中央」が、地方の経済を人質(ひとじち)に様々な抑圧を押し付けている仕組みがあり、この沖縄の基地問題もこのような構図と無関係ではないと考える。原子力発電所に頼らない電力政策や地域再生というだけでなく沖縄の問題も含めて、「中央」の経済や政治支配によらない新しい枠組みや「生き方」を造りださなくてはと思うこのごろなのである。
Dec 28, 2011
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以下、長野いのちの電話の広報誌の冬号に載せた文章です。 2011年3月11日金曜日の午後、私は松本教会で教会員と話をしていました。集会室のパーティションが大きく揺れ、長時間にわたる大きな揺れを三回感じました。"すごい地震だな!新潟かどこかが震源なのだろうか?"と思いました。連れ合いが「東北のほうがすごいことになっているよ。津波があるみたいだよ!」と叫んできました。私は岩手県大船渡市で小学生から高校まで暮らし、大学も仙台で過ごしました。何度も東北での地震や津波注意報を経験しましたので、「津波なんてたいしたことないんじゃない」と愚かにも答えてしまいました。しかし、経験したことのないようなことが起きていました。ニュースでは、仙台空港や陸前高田の映像が頻繁に流れていました。大船渡や仙台の友人たちも心配でしたが、一番気になったのは、釜石の教会で牧師をしている弟のことでした。釜石のニュースがあまりない中でも、津波が街を襲ったことを知りました。釜石の教会は、海からの直線距離で五~六百メートルでしたので、津波の被害は間違いないと思いましたが、教会の裏手の高台に逃れてくれれば、と願いました。確認する術はなく、インターネットで消息情報を探したり、消息を求めていることを掲示板に載せたりしました。弟の消息を求める彼の友人たちからも電話やメールが寄せられました。大槌町や気仙沼での火事や福島第一原発の恐ろしい事故が報道され、日曜日の礼拝準備もほとんど手につきませんでした。東北地方一帯の大停電のため、山形にいた両親はじめ妹弟との連絡も途絶えていました。釜石の弟家族の誰かは、命を失っていてもおかしくはない、と変な覚悟もしました。12日土曜日の夜、岩手県内陸北部に住むもう一人の弟から、電話がきました。釜石の弟の無事が分かりました。自分にとっては長い一日半でした。連絡をくれた弟は高校教師ですが、就職説明会が新日鉄釜石であったとのこと。説明会途中で地震に遭い、車を捨てて高台に逃れたところ、偶然にも釜石の弟と出会い、夜、ヒッチハイクのようにして自宅に戻ったとのことでした。電話を受けて涙があふれました。その後3月の終わりから3回、釜石に救援物資を運んだり、ボランティアとして出かけました。 わたしの弟は教会の牧師ですが、「被災地で何が必要か?」との多くの問いに「人と人とのつながり」と答えていました。その教会には「モノよりもつながり、さぎょうよりえがお」という幕が掲げられています。物があっても、人と人とのつながりがなければ、ふさわしいところに配られることはないし、物を介して人と人とのつながりを知ることで、不安から解放され希望を持ちやすくなるからだと思います。ですから「人と人とのつながりを届けるつもりで、物やお金を届けてほしい」と訴えていました。人とのつながりのために教会は、道路際にテントを設置して、人々が休める場を用意します。ボランティアや作業する人が慌ただしく動く中で、必ずホッとする場が求められていると弟は信じたからです。「みんな殺気立っていて疲れちゃいます」と言って休んでいった子連れの母親がいましたし、地域の交流の場となっていました。 一方で、弟は、津波があった日の夜、町が真っ暗になるなかで、"夜空の星がこの上もなく美しかった"と述懐しています。そして、復興が進むにつれ、"あの星のような輝きが失われてはいないか"と問いかけ続けていました。津波があった日の晩、見ず知らずの人たちが寒さに震えてはいたものの、互いに肩を寄せ合いながらわずかな食べ物を分かち合っていたからです。 さらに、原子力発電所事故からも見えてくることがあります。津波前は、中央の経済や生活のために、過疎化する地方に重荷を負わせる構造がありました。ですから、単純に津波前の世界に戻すのではなく、新しい世界や枠組みが求められているのだと感じさせられています。その例として、長野北部地震の被災地の一つ栄村や、原子力発電所の事故で政府指定の計画的避難区域となった飯舘村のことに触れます。栄村の地域連携による地域循環型経済や飯舘村の「までいの力」といった考え方が、過疎に悩む東北沿岸地域の希望となるように思えます。復興後の世界をイメージすることは、被災地だけの問題ではなく、わたしたちみんなの問題です。 さらに、わたしの弟は、被災者として"時が止まった感覚がある"と言います。復興のスピードが叫ばれる中、時間が止まってしまった心にどう寄り添えるかが問われます。実際に、半年経ってようやく店舗を片付ける気になった商店のオーナーもいました。また、被災者の思いを聞くにしても、被災者には、あの時のことを分かってほしい、という思いと同時に、あれだけの体験をそう簡単に分かってほしくはない、という思いがあるようです。その思いにどれだけ寄り添えるかは、とても難しい課題だと感じています。 釜石ではだんだんと津波の傷あとがなくなっていきます。岸壁に打ち上げられた貨物船も撤去されました。そのことを喜ぶ人がいますし、元どおりを望む人が多くいます。しかし、釜石の教会は、"傷あとをなくそうとするのではなく、傷があっても癒される場所"を目指しています。象徴的に、被害にあったピアノを修復しようとしていますし、壁を張り替える際にも津波の跡が分かるようにするつもりのようです。そのことを『壁のない教会』という象徴的な事として受け止めています。人々の"心の壁、意識の壁、宗教観の壁"を取り除くからです。その壁もなく傷ついた教会堂で、八月終わりにボランティア同士の結婚式が行われました。傷ついたからこそ、人と人とを結び付け、人の心の傷を癒す力も与えられています。弱さが力となり、弱さが絆をつくっているのです。強い立場からの希望ではなく、"弱さにあってなお希望を持つということが、被災地の人びとと共にいる"ということになるのではないか、と考えさせられています。
Dec 26, 2011
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高校生の時に読んだと思いますが、それからストーリーは覚えていてもタイトルが思い出せなくて、本を探せませんでした。先日、ネットで見つけました。『ベツレヘムの星』というタイトルでしたが、書評コメントを見ると、ああ、あの物語だ、と感じました。 表題の物語だけでなく、クリスマスにふさわしい詩や他の物語があり、お勧めです! 【送料無料】ベツレヘムの星価格:588円(税込、送料別)
Dec 19, 2011
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芥川龍之介 『金将軍』が韓国で評価が高いそうです。(青空文庫より無料で読めます。)12月5日の信濃毎日新聞「大変を生きる」災害と文学20 より 大震災などの際には、流言飛語の類が飛び交う。関東大震災の時には「朝鮮人来襲」との流言が走り、罪のない数多くの朝鮮人が殺害された。 大正12(1923)年に芥川龍之介が「中央公論」(10月号)に書いた「大震雑記」に、その流言をめぐる菊池寛との問答形式の文章がある。 (中略) ここで芥川は菊池をだしにして、とぼけながら朝鮮人による放火などの流言を否定。それはデマであることを伝えているのだ。 さらに芥川の深い歴史認識は震災から間もない大正13年1月に朝鮮を舞台に小説「金将軍」を書いたことでも明らかだ。 文禄・慶長の役の際、秀吉の命で挑戦に攻め込んだ小西行長や加藤清正に対して祖国挑戦を救おうとした英雄・金応瑞が主人公。金将軍が行長の朝鮮人愛妓と組んで、行長を殺害する話。 もちろん、行長は朝鮮では死なず、うその話。だが「歴史を粉飾するのは必ずしも朝鮮ばかりではない」として、最後に「日本書記」での朝鮮・白村江の日本敗戦の記述を芥川は記す。「日本の歴史教科書は一度もこう云う敗戦の記事を掲げたことはないではないか?」と、その時に書いている。 また一緒に組んで行長を殺害した女性が行長の子を宿しているのを知った金将軍は、女も腹の子も殺害してしまう。武将の非情残忍な姿には日本も挑戦も変わりないと書いている。 関東大震災から間もないころに、自由で平等な歴史認識を示した芥川の「金将軍」に対して、近年、韓国では高い評価があるという。
Dec 17, 2011
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火曜日に娘が発熱して、学校から電話がありました。 午後には、教会員の有志と施設入所や自宅療養中の方をお訪ねする予定だったのですが、わたしは行くのをキャンセルして、娘を迎えに行きました。(妻が岡谷に行っていたもので)。 水曜日の朝には、娘の熱はさがったようなので学校に行きましたが、午後にまた発熱して、戻ってきました。そのときは、妻がいたので迎えに行ってもらいました。そして、夕方になって、体に発疹があることが分かり、もしかして水疱瘡かも、と思いましたら、案の定、娘の隣の席の子が何日か前に水疱瘡だった、ということが分かりました。 ということで、木曜日の午前中、家の並びにあるクリニックに行って、診断してもらいました。水疱瘡だということで、病気を治すための薬とかゆみ止めの薬を処方してもらいました。院外処方でした。ところが、処方箋をもって近くの薬局に行くと、「うちにはありません」と言われてしまいました。次に近いところでもないとのことで、「取り寄せますか」と言われましたが、すぐに必要ですので、別なところにあたることにしました。大きな病院のそばの薬局ならあるだろうと思っていくと、そこでも「うちは在庫がありません」と言われました。でも、そこでは「うちの系列で聞いてみます」とのこと。別な店舗で在庫があるとのことで、そっちに向かいました。ところがその薬局はとても混んでいて、40分ぐらい待たされてしまいました。結局、クリニックを出て、1時間半ぐらいかかってしまいました。9時半に病院に行って11時半に帰ってきたのですが、午後からの集会用の資料も作っていなかったので、慌てました。医者に「どこの薬局に行けばいいですか」って聞けばよかったかな、と思いましたが、久々に無駄な時間を過ごしたって感じでした。おまけに、最後の薬局では、テレビでずっと「シャーク スチームポータブル」の宣伝をずっとやっていた(通販専用のチャンネル?)ので、ほとんど洗脳されそうになってしまいました。(この薬局は通販業界から何かもらってるのだろうか…。) 午後の家庭集会では、『クリスマスの黙想 新しい始まりを祝う』 (A.グリューン 著)から、「ろうそく」と「家畜小屋」の項目について分かち合いました。聖書やクリスマス・アドヴェントのこの時期に50の項目について黙想があります。言葉や物事を深めて考えるのに、この本はお勧めです! 【送料無料】クリスマスの黙想価格:2,100円(税込、送料別)
Dec 15, 2011
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2011年9月10日の土曜日「松本強制労働調査団」というところが企画した「松本の戦争遺跡を訪ねる市民フィールドワーク」に参加しました。松本に住んで4年目ですが、戦争遺跡について一部を聞いてはいたものの実際に見たことはなかったので、案内を見て参加することにしました。 最初に訪ねたのは、かつての憲兵隊長の官舎と憲兵の練習場(演武場)でした。大正時代のものが今なお残っていて、現在は会計事務所になっているというのですが、中を窓越しに見ると、銃剣を置くための穴がそのまま残っていました。また、塀も今のようなブロック塀ではなくコンクリートを厚く盛ったもので、そのまま残っている部分がありました。その他、馬をつなぐ場所なども残っていました。 それから、その近くには黒く塗った土蔵がまだそのままありました。空襲に備えて白い土蔵を炭などで黒く塗ったのだそうです。戦後もそのまま残されて今に至っています。 信州大の中のレンガの建物、その前に埋められた門柱など、軍隊の後も見学してきましたし、飛行場の跡地、掩体壕、出征する軍人を送る万歳塚、里山辺の軍事工場後なども見学してきました。 (下書き保存していたものを今頃アップします。)
Sep 12, 2011
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信濃毎日新聞に五木寛之さんの「親鸞」が連載されています。ここのところ、村の人たちに対して、親鸞が念仏をする意味を説こうとしています。 人びとは 「念仏を唱えれば、病気がなおるのか」「仕事がうまくいくのか」「暮らしが楽になるのか」などとご利益を期待します。 親鸞はそこで 「病気もなおらない。仕事もうまくいかない。暮らしも楽にならない」と言います。 すると人々は、念仏唱えても何にもならないんだったら、意味がない、と呆れあざ笑うものも出てきます。 しかし、親鸞が次のようなことを話すのです。 険しい山道を重い荷物を背負って登っていって、どんどん暗くなっていったとき、とても怖くなり泣き出してしまった。しかし、もうだめだ、と思った時に、光がさしてきて、足元がはっきりし、遠くの家の明かりが見えた。光があっても、重荷は軽くならず、道の険しさも変わりはない。しかし、それだけで安心し、前に進むことができた、と。 念仏は、その光のようなものだ、と親鸞は言いたいに違いありません。 そうした考え方は、私自身、神様について考えるときにいつもあることとつながります。自分の苦しみが、自分だけのものではなく一緒に苦しんでくださる方がいるということや、どんな困難な道も一人ではない、ということを聖書は語っているからです。イエス様は「神われらと共に」ということを表す方ですし、そもそも神様の名前「ヤハウェ」には、存在するということ、わたしが一緒にいる、というメッセージが含まれているのです。 そんなことを考えながら、今日(8月30日)の信毎朝刊の連載小説を読みました。
Aug 30, 2011
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2011年6月16日に、松本平タウン情報に掲載された文面です。宗教者の独りよがりでしかないかもしれませんが。http://flat.kahoku.co.jp/u/flat05/aITXFP6RC7qodGZsBc3b 意味ある「なぜ」(第38回・2011年6月16日号) 「もし神がいるのならば、なぜこのようなことが起こるのか、この出来事にどんな意味があるのか」と問う人が多いと思う。「人間は意味のない苦しみには耐えられない」(V・E・フランクル)のであり、苦しみの中に意味を求めるのは自然なことだ。 震災後、弟のいる岩手県釜石市や縁のある同県沿岸に行ってみた。懐かしい風景が破壊されているのを目にし、愛する人を失った方の話に耳を傾けた。「なぜ、この場所でこの人々に対してこんな出来事が起きたのか」と、問わざるを得なかった。しかし、絶望的な中でも神がいないと考えることはできなかった。むしろ、そうした時ほど神を求め、祈らざるを得なかった。 私の弟が牧師をしている新生釜石教会は、「今こそ祈りの時」と掲示し、いつも「心を騒がせるな。神を信じなさい」という歌で礼拝を始めていた。神がいないとなれば祈ることはむなしくなり、人の考えを超えた希望はますます見いだすことはできないだろう。 人の業を超えた力を信じるならば、どんなに現実が悲惨で絶望的であろうとも、生かされていることと出会いは感謝と喜びの源泉となる。苦しみや悲しみにある人の中に、苦しみを共にする神の姿を見いだすことができる。 「なぜ」という問い自体が、決して無意味ではないと考える。真摯(しんし)に問う「なぜ」は、信仰の対象を深め、自分を変え、世界を変えるものになるからである。 (松本市の日本キリスト教団松本教会牧師・柳谷知之さん)【松本平タウン情報】 中信地方(松本市、安曇野市、塩尻市、大町市、木曽郡、北安曇郡)と呼ばれる長野県西部地域をエリアにした地域紙で信濃毎日新聞朝刊に折り込まれる形で週3回発行しています。タブロイド版で通常は16ページで、発行部数は11万部余。http://www.townjoho.co.jp/【畠山から】 ここ数年「そもそも」ということを、私はよく考えていました。それが「なぜ」という言葉を使うとするならば、今回の震災は誰に問いかけたらいいのだろうと思いました。神に対しての問いかけも大切ですし、内なる自分に対しても等しく大切だと感じています。 ---------------------------------------------------字数に限りがあり、だいぶカットされましたが、カットされない元の原稿は以下のとおりでした。信仰を持つものとして、この大震災を考える。柳谷知之(日本キリスト教団松本教会牧師) いわゆる「不幸」と思われるような出来事が身近に生じたとき、ある人々は何かの警告や罰として受けとめていることがあるに違いない。それは苦しみに対して意味を求めているからだとも言える。特に今回の東日本大震災における地震・津波・原子力発電所による惨事を前に、もし神がいるのならば何故このようなことが起こるのだろうか、この出来事にどんな意味があるのかと問う人が多いのではないだろうか。「なぜ子供も、こんなに悲しい思いをしないといけないのですか」という少女の質問に対するローマ法王の答えは、「私も同じように自問しており、答えは見つからないかもしれない。イエスも無実の苦しみを味わっており、神は常にあなたのそばにいる」というものだった。V.フランクルは、人間は意味のない苦しみには耐えられない、と述べているが、ここに苦しみの中に意味を求める人間の姿を見ることができる。 一方、この震災の後、わたしたちの教会が使っている讃美歌のあるものに次のような歌詞がある。「大地震も、嵐も、稲光も、 創られた方に 助けを求める」(『讃美歌21』425番)。ここには、神に創られたものが助けを求める姿として、大地震や嵐が語られている。例えば、ある人間が無差別殺人事件を起こしたとしても、それが神の業ではないことは明らかであるように、大地震も津波も神が引き起こしたものではなく、創られた物としての地球・大地・海原の営みの一つなのだと考えられるのではないか。ただ、神が全知全能だとすると、なぜその事件を知りながら阻止できないのか、という疑問が生じる。そこで、わたしは、神は被造物の行動や出来事を強制的に阻止することはしないと考えている。人間がある出来事に対して責任的に応答することを求めているからだと思っている。神は人に促しや選択肢を与えることをするに違いないが、最後は人間の意志により応答することを求めていると考えているのだ。 この震災後に弟の暮らす釜石や縁のある岩手県沿岸に行ってみた。懐かしい風景が破壊され、愛する人を失った方の話に耳を傾けたり、破壊された人々の生活を前に言葉を失うと同時に「なぜ、この場所にこの人に対してこんな出来事が起きたのか」と問わざるを得なかった。しかし、その絶望的な環境の中でも、わたしには神がいないと考えることはできなかった。むしろ、そうしたときほど神を求め、祈らざるを得なかった。私の弟が牧師をしている新生釜石教会には「今こそ祈りの時」と掲示してあったし、礼拝ではいつも「心を騒がせるな。神を信じなさい」という歌で始まっていた。神がいないとなれば祈ることはむなしくなり心の落ち着きどころは失われ、人の考えを越えた希望は意味を持たなくなるのではないか。むしろ人の業を超えた力を信じるならば、どんなに現実が悲惨で絶望的であろうとも、生かされていることと出会いは感謝と喜びの源泉となり、苦しみや悲しみにある人の中に、苦しみを共にする神の姿を見出すのである。 何れにしても、「なぜ?」という問いは、決してなくならないだろう。むしろ、その問い自体が決して無意味ではないと思われる。ある面から見るならば、イエスは、「なぜ、神の名のもとに貧しい人々が苦しみ、虐げられるのか」という問いから恵みの神、赦しの神をイスラエルの宗教の中に発見していったと言えるし、マルティン・ルターも「なぜ、どんなに善行を積んでも神の赦しに与れないのか」と問う中で、「信仰により義とされる」ことを聖書から発見していったのである。すなわち、真摯に問う「なぜ」は、信仰の対象を深め、自分を変えまた世界を変えるものになるに違いない。
Aug 7, 2011
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前回ブログを更新して、3か月が過ぎてしまいました。なぜ、こうも更新しなかったのか、というならば、2月終わりから3月初めにかけて、佐々木中の『切りとれ、あの祈る手を』を読んだからかもしれません。【送料無料選択可!】切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話 (単行本・ムック) / 佐々木中/著この本の中で、次のような表現があります。知、情報というものは、これほどまでに人を病み衰弱させるものなのかと思いました。あらゆることを説明できる自分に到達するために、知と情報を得なくてはならない、日々最新のものにそれを更新しなくてはならない。「堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落なのだ」。ハイデガーも「情報」とは「命令」という意味だと言っている。そうです。皆、命令を聞き逃していないかという恐怖に突き動かされているのです。どうでしょうか。だれもが情報を発信でき、誰もが自由に情報を手にできるような時代になりました。乗り遅れまい、そんな気持ちがますます人を駆り立てているように見えます。急いで情報を得て発信する、ということが、人を病み衰弱させていくということだとすると、ちょっと待てという思いが出てきてしまったのです。ちょうどそれと重なりつつ、釜石に行ってきたのですが、牧師をしていて被災している弟からこんなメールが届いたのです。これは4月初めごろのものです。被災地の外の人が先走りしているのを感じます。こちらは中で緊急のことだけで手一杯です。すぐ用意してくれるのはありがたいのですが、こちらの要望にあわないものを送られても困惑するだけです。誰の満足のために動いているのか、誰が忍耐を必要としているのか、よく考えていただきたい。外の人が満足するために外の人が待つことができないから、そうして結局は被災者に我慢を強いているという現実に気付いてもらわなければなりません。これは、今大量にモノが溢れている状態にも当てはまります。 釜石の人たちは我慢していますが、私は被災地の声を、被災地の我慢を外の人たちに届ける必要を感じています。(本当は被災者と一緒に慰めと希望を見つけるほうが急務です。わたしが安心してその勤めを果たせるようなサポートをお願いします。) 津波以降、一人の人間の力が弱いことを思い知らされています。思い通りに物事がはこばないことにも慣れました。だから、あなた方に協力をお願いしています。私たちを助けてください。そして、いま一番不思議なのは、なぜ被災地の外はこんなに焦っているのかということです。我先にサポートする速さを競うのでなく、2ヶ月3ヶ月先、2年3年先、5年10年先まで見据えて焦らずじっくりいきましょう。 停電や電話回線が通じないために、被災地からの情報が遅かったことに対して、被災していないものの中には、「なぜ情報がないのか。電話がないのか」と心配したり、ときには憤慨したりしていた人もいたのですが、その心配は誰のためだったのだろう、と考えさせられることもありました。そして、自分の落ち着かない気持ちを被災地や被災者に届けていないだろうか、と反省させられたのです。 そこから、いわゆる情報としては古いものであっても、忘れたくない気持ちや、なお聞いてほしいことだけを綴ろうと決めたのでした(これは本当は当たり前のことなのにね。今更何をかいわんや、かもしれませんが…。 ) 次回、最初に釜石はじめ岩手県沿岸に行った時のことを綴ろうと思います。
Jun 18, 2011
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昨晩、岩手の二戸にいる弟と話をした。彼は、高校教師であるが、3月11日はたまたま高校の学校交流会というので釜石に行っていた。その際中、地震が発生し、「銘々逃げてください」という指示で逃げた。車に乗ろうと思って、港のほうの駐車場にいこうとしたが、携帯電話で「大津波警報」というのを確認し、慌てて高台に上った。そこで偶然、釜石に住んでいる弟夫婦と出会ったというから不思議だ。 津波の様子を聞くと、他の地域で壁のように襲い掛かってきたというのとは別で、だんだんと水かさが増えてきて、あっという間に町を覆い尽くしてしまったとのこと。高台について、あっという間の出来事で、ちょっと遅れればあの水に飲まれていたのだ、と思うと生きているのが不思議だ、と言っていた。 その後、その弟はヒッチハイクのようにして二戸の家族のところに帰り、翌日、また釜石にいってきた。その際、呆然として何も手につかなかった釜石の弟をいったんは花巻の妹のところに連れてきたのだった。
Mar 18, 2011
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近いところでの支援!栄村の地震被害に対しての情報は、こちらにあります。17日午後にボランティアセンター発足とのことですし、義捐金も受け付けています。それから、松本市浅間に事務局を置いている日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)が、「福島原発震災の被災者支援募金」のお願い を始めました。JCFでは被災地支援のため募金募集を行います。以下の郵便振替口座に「福島原発震災の被災者支援」とご記入下さい。口座番号:00560-5-43020口座名:日本チェルノブイリ連帯基金連絡欄:福島原発震災被災者支援寄付 これまでチェルノブイリやイラクの被爆者をケアしてきた実績があります。飯田市が被災者を受け入れています。南相馬市からの要請にこたえたようです。
Mar 17, 2011
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東日本大震災ということで、関東・東北を襲った地震であるが、個人的には両親妹弟の安否を確認できた。 二戸に住む弟が仕事で釜石に来ていて被災し、釜石に住んでいるもう一人の弟夫妻の安全を確認して、二戸になんとかもどってから連絡をくれた。釜石市内では電話はまったく通じないようである。また、公衆電話が4台ほど置かれているとのことだが、5時間待ちほどの待機者がいるとのこと。内側からの情報発信も限られているとのこと。 妹が花巻にいて、そこから釜石方面の被災者へのおにぎりなどを届けようとしていた。届けたい避難所など3カ所を考えているが、とてもまわりきれない、安否確認が精一杯ではないか、と話していた。また、持っていっても食べる気力さえも失っている人たちがいるということも伺った。その先の希望が見えない、という声があった。 高校の友人にはメールを送ったが返事はない。 藤沢にすむ友人に連絡を取ったところ親戚からいろいろと連絡は入っているとのこと、両親は無事だが、現地入りしたいと言っていた。居ても立ってもいられない思いが多くの人たちにあることを感じている。 この先を考えると見通しが立たない面は多々あるが生きるということで一歩一歩先を行くしかないように思う。もっとも現地にいる人たちを思うと、それさえも他人事になってしまうのだろうか…。 また、福島原発事故の放射能汚染から避難する人たちも大勢いるようである。子どもたちにヨード剤など薬類が必要、医師の派遣が必要、ということが考えられているが、日本チェルノブイリ連帯基金(JFC)でも、できることを考えているとのこと。これまでチェルノブイリやイラクにおける放射能汚染・健康被害に対応してきた実績などが期待される。 郵便局払込口座口座番号 00560-5-43020口座名義 日本チェルノブイリ連帯基金
Mar 14, 2011
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午後3時前に、大きな揺れが松本でも感じた。 教会で、面会中だったが、長い揺れにちょっと怖くなるぐらいだった。 この近辺が震源でなければ、結構大きな地震がどこかで起きているかもしれない、とも思っていたが、東北地方の地震だったとは。 家族や友人は岩手、宮城に多くいるもので、ちょっと心配になっている。 釜石の弟は大丈夫かな、とか。 教会の方からも、ご家族は大丈夫ですか、と心配の電話をいくつかいただいたが、岩手の妹のところは無事との連絡はついたし、福島の親戚も無事ということを又聞きした。その他は、なんともいえないのが現状である。 もっとも自分の知人が無事ならそれでよいわけではない。 観測史上最大というマグネチュード8.8の地震被害は想像を超えているに違いない。津波の被害が各地から報道されているし、行方不明の人もまだ増えてくるだろう。仙台市では路上で200~300人の遺体が発見されたというから、とても恐ろしいことになっている。 避難されている方々も相当数いるようだし、停電の地域もかなりの広範囲にわたっているようだ。 ただ、祈って待つしかない。
Mar 11, 2011
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普天間基地はじめ米軍基地のこと、文化のこと、もっと知りたいという思いで、沖縄に行ってきました。もちろん、キリスト者としての関わりについても考えたいという気持ちもありました。 旅程は21日から26日までの5日間で、次のようになりました。 21日 松本から那覇まで移動。午前10時松本発、那覇空港17時半着。 22日 対馬丸記念館、沖縄戦激戦地のひとつ・すり鉢山(シュガーローフ)の見学、普天間基地・嘉手納基地の見学、沖縄キリスト教平和研究所・連続講座「沖縄の戦後における教会の歩みと回顧-苦難の中での平和への願い」参加。 23日 辺野古、東村高江訪問。平良修牧師と懇談。 24日 今帰仁城跡見学、金城実さんアトリエ見学と懇談、 25日 沖縄県立博物館見学。午後のフライトで帰路につき、松本には20時ごろ到着。 以上、概要だけですが、負って詳細報告します。 【送料無料選択可!】「沖縄問題」とは何か 「琉球処分」から基地問題まで (単行本・ムック) / 藤原書店編集部/編 大城立裕/著 西里喜行/著 平恒次/著 松島泰勝/著 金城実/著 島袋マカト陽子/著 高良勉/著 石垣金星/著 増田寛也/著 下地和宏/著 海勢頭豊/著 岩下明裕/著 早尾貴紀/著後 【送料無料】彫刻家金城実の世界
Feb 26, 2011
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2月21日(月)より25日(金)まで沖縄に行った。メンバーは牧師仲間に信徒合わせて6名。 月曜日は移動日だった。午前10時ごろに松本発の「しなの」に乗って、名古屋まで行き、そこで昼食をとってから中部国際空港にむかった。那覇空港到着は5時半頃だった。 22日、火曜日午前は琉球弧平和活動センターの西尾市郎牧師(うるま伝道所)の案内で対馬丸記念館や沖縄戦激戦地の一つ、すり鉢山(シュガーローフ)を見学した。今は、貯水タンクが立っているのだがそこに上ってみた。天候がとてもよく、何もなければ本当に平和なのにと感じた。 対馬丸記念館では、沖縄から本土に疎開するために対馬丸に乗り込んで、米軍潜水艦攻撃により亡くなった子どもたちが、戦争に加担したわけでもないのに靖国神社に合祀されている事実を初めて知った。対馬丸記念館の理事の外間さんよりご挨拶があり、彼女の二人のお姉さんが対馬丸でなくなったこと、お母さんが「東条英機の名前は忘れるなよ」と言われたことや、今もある悔しさを伺った。 午後は嘉手納基地を間近に見れる「道の駅」に向かい、思いがけず戦闘機などの発着訓練の場に対した。爆音が数十分続いたが、後から聞くところによると届出なしの訓練だったとのこと。 夕べは、志真志教会員で法学者の中原俊明さんの講演会に参加。アメリカ留学時、フルブライト氏より「異なった政治哲学が共存できないと信じてはいけない」と教えを受けたこと、対話と外交による平和主義、社会の現実に目をそらさない信仰の大切さを伺うことができた。
Feb 22, 2011
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ビートルズのGolden Slumberがテーマになっている小説として関心があったが、映画化されていたものでDVDを借りて見てみた。 特に期待していたわけではなかったが、思いのほか感動してしまった。涙が出てきてしまうシーンもあった。映画を見た後、夜遅くなっていたのだが、ついついもう一回見たいシーンもあって、飛ばしながらも、また見てしまう、それぐらい胸を打たれるものがあったし、主人公よりもその両親たちの姿に感動したのかもしれない。 堺雅人扮する主人公青柳は、首相暗殺の犯人として仕立てられてしまう。彼の大学時代の友人で家族によって借金地獄に陥った森田が、その役割を担うが、森田はそれでも精一杯青柳を思い、死の直前「信頼が武器だ。何としても逃げて生きろ。無様でもいいから生きろ!」という言葉を残す。 警察から青柳が犯人であると断定され、青柳は逃走するがその間に、マスコミが彼の実家を訪れていろいろと質問攻めにするシーン。彼の父親は、彼の無実を信じている。マスコミの一人が「息子さんを信じたい気持ちは分かりますが...」というと、父親は「信じたいんじゃない。知ってるんだ。何もかも...」と語り始める。 「信じたいんじゃない。知ってるんだ」。そんなふうに言ってもらえる存在があるっていうのは、本当にすごいな、と感じたのと同時に、ルカ福音書15章の「いなくなった息子の帰りを待つ父親」の姿とも重ねられた。 学生時代の友人たちの信頼、両親の信頼、他の仲間たちに支えられて青柳は生きる。 他、学生時代の回想シーンで、ポールがどんな思いでアビーロードを編集し、ゴールデンスランバーからThe Endまでメドレーでつないでいく様を話し合っているシーンもちょっと印象的。 伊坂幸太郎の原作も読んでみたいと思わせられた。 それにしても、キルオ役の濱田岳は、よくよく火野正平に似てるなぁなんても思ってしまった。【送料無料】ゴールデンスランバー【25%OFF】[DVD] ゴールデンスランバー
Feb 18, 2011
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こんな映画が公開されてるんですね。 初めて知りました。大場栄さんという方のこと。 公式ホームページはこちら。 太平洋戦争において、サイパンにおいて、日本軍は玉砕したと聞いていたし、バンザイクリフなどで民間人も皆捕虜となるよりも自害を選んだと聞いていた。しかし、その中でも、たった47人で連合軍に立ち向かい、多くの民間人を守り抜き、最後には敵であるはずのアメリカ軍から称賛を得たという、大場栄大尉という人がいたという。竹之内豊が主演。監督は、「しゃべれども、しゃべれども」の平山秀幸監督。 大場大尉は、将校ではあったが、もともとは地理の教師だったとのこと。多面的な見方ができていたのだろうか。興味ある映画である。 こちらも参考まで。 タッポーチョ 太平洋の奇跡 「敵ながら天晴」玉砕の島サイパンで本当にあった感動の物語 (祥伝社黄金文庫) (文庫) / ドン・ジョーンズ/著 中村定/訳
Feb 14, 2011
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2月11日は、通常建国記念日として祝われているが、わたしたちは、かつて思想・信教の自由が奪われたこと、思想・信教の自由を抑圧してしまったことの反省をこめて、「思想・信教の自由を守る集い」というのをしている。 通常、憲法問題や天皇制のことなどを扱ってきたが、今年は、生存権ということとも関わって、生活困窮者とどう向き合うかということから、釜ヶ崎で司祭として働かれている本田哲郎神父をお招きした。 師は、ローマ法王庁でも働かれ、聖書翻訳者として新共同訳聖書にも携わった方であるが、今はなんといっても、釜ヶ崎という日雇い労働者の街から聖書を読みなおしているところが注目されている。キリスト者が社会的弱者を指して「いと小さき者」と述べていることに対して、「小さくされた者」であると見方を変える。誰かによって小さくされた存在、貧しくされ、抑圧されているのだ、という視点を持つのである。そうしたところからの聖書を読み直し、「悔い改め」とは道徳的な意味よりも、視座を変えろ、ということだ、と述べる。視座を「小さくされた者の視点」にすることが、メタノイア(悔い改め)であると説いているのである。 その本田神父をお招きしての会は、大雪だったにもかかわらず、満員御礼となり、最初用意していた資料80部はあっという間になくなり、あわてて40部を増し刷りした。多くの方々に関心を持ってもらえた会となり嬉しかった。 講演題は「愛することよりも大切にすることを求めたい」というものだった。わたしたちが上から目線で「愛する」ということを実践しようとして自己満足になるのではなく、抑圧されみじめな思いになっている人の立場を考えよう、と呼びかけられた。 神のイメージを高いところに置きがちであるが、旧約聖書や新約聖書が示す神のイメージは低いところにある、ということを語られた。神が上から下に降られた、ということを「へりくだり」の見本のように考えがちだが、それが「上から目線」を持つことになる。高貴な人がわざわざ貧しくなる、卑しくなるということが尊ばれ、貧しい人は上層部の人たちの慈善という徳の対象でしかないのではないか、と問題提起されていた。イエスは最初から貧しい者として生まれ育ったのであり、へりくだりを美徳としたのではなかったのだと言われた。貧しい人や抑圧された人が本当に自分の足で立てるように、誇りを回復できるようにすることが求められているのだ、と感じさせられた。また、講演の後、昼食をとり、質疑応答もあったが、松本で生活困窮者のことを考えている「生存を支える会(仮)」の代表の方にも発言をしていただいた。釜ヶ崎などの寄場だけでなく、松本にもこの寒さの中、野宿生活を余儀なくされている人がいることを知ってほしい、その人たちのために行動を起こしてほしい、と訴えられた。 前日に、本田神父と打ち合わせをした際に、私の教会にも家のない人が訪ねてこられることがあるが、どこまで彼らの要求にこたえてよいものか、いつも悩むことがある、と言ったら、「自分の価値基準で判断しないように、痛みを知る仲間や先輩に尋ねるのがよい」と答えられた。そして、聖書の「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところにわたしもその中にいる」(マタイ18:20)というのは、キリスト者の二人、三人ではなく、本当に痛みをしる仲間のことを指すのではないか、と言われていたことが印象に残った。
Feb 11, 2011
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7日の地方新聞を見たら2月5日にスペインにて亡くなったと出ていて驚きましたが、実際は2月6日だったんですね。最近は、聞いていなかったけど、まだ60歳前だったんですね。「パリの散歩道」は、パリ(シャンソン)というよりも、演歌という感じで、やや食傷気味にもなったのですが、改めて聴くと懐かしくも寂しいって感じです。
Feb 9, 2011
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34歳でひきこもりになって、英語の勉強を始めたという方が新聞で取り上げられているのを読んだ。一日時間がたっぷりあるとのことで、英語の雑誌を一日一ページ読んでは、分からない単語を引いて覚える、ということを毎日繰り返したらしい。 6畳一間のアパートにひきこもって、誰とも話さずに一日が終わる、という生活だったが、7年たって貯蓄が底をついてようやく仕事をする気になったらしい。英語講師の試験を受けたらあっさり受かったとのこと。 独特の英語勉強法が本になっている。 『最強英語術』というタイトル。 【送料無料選択可!】イングリッシュ・モンスターの最強英語術 (単行本・ムック) / 菊池健彦/著 この菊地健彦さんという方、TOEICの満点がこれまでに24回とのことらしい。海外にはまだ行ったことがない、という。 7年間、ずっと勉強を続けることができた、というのも能力といえるが、「ひきこもり」で人とのコミュニケーションができなくなってしまったのに、英語でのコミュニケーションができるようになったなんて、こんなこともあるんだってちょっと感動した。 でも、この方、既にテレビではおなじみのようだ。
Feb 8, 2011
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小3の娘がテニスを習っているが、2月からクラスが一つ上がって、小学校5年生、6年生の男の子に交じってのクラスになった(といっても5クラスのうちの真ん中のクラスだが...)。 コーチから、ラケットについてのアドヴァイスがあり、もう少し短いラケットのほうが怪我の可能性が少ないだろうし、ボールをもっと強く打てるとのこと。 成長期で身長も伸びていくときなので、26インチぐらいだったらいいだろうと思っていたら、25インチのほうがよい、と勧められた。それでも、コーチもややあいまいで、「でも、うまく使えている感じですけどね」とは言うのだが、一応、ジュニア用のテニスラケットをスポーツ用品店に娘と一緒に見に行ってみた。しかし、娘が気に入るものがなかった。形や重さということよりもデザインで選ぶのだから仕方がない。ジュニア用にシャラポワモデルなどというのもあったが、娘はピンクはだめで、水色が好みである。今度、コーチにもスクールにあるものをいくつか見せてもらおう、ということになった。 う~ん、難しいものだが、親としては出費しなくてよくなり、ちょっとほっとしている。
Feb 5, 2011
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