明治の町家   姫路の春霜堂  

明治の町家   姫路の春霜堂  

清瀬一郎 東京裁判の弁護士



東京裁判では、先ず清瀬を弁護人として届け出て、そのうち、本人や家族の方々が他の日本の弁護士を夫々の関係によって選ばれたら、そのとき清瀬の弁護届けを取り下げる事にしようと、取り決めてあった。

それで、各被告は逐次専門の弁護人が決定し、清瀬の弁護届けはその都度取り消されていったが、東条大将については、誰も弁護しようと申し出るものが見つからず、結局、そのまま陸軍省幹部も、いっそ清瀬にやってもらったらどうかと言い出したそうである。

清瀬の元来の信念は「法律は国家や国王のものでなく、国民のものである」という「権利主義」の信念であった。
清瀬の信念は、今から考えると特別のものではないが封建制とりわけ天皇の統治を厳格に規定した帝国憲法のもとにあっては、ずいぶん新鮮にみえた。

その後、清瀬一郎は文部大臣や衆議院議長を歴任し、自民党商工部会工業所有権法調査委員長として、昭和34年の現行法制定にも尽力した。

春霜堂には書等数点が展示されています。

経歴その他など、ここに詳細に述べられています。
http://www.kiyoseitiro.com/ho.htm

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