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3年ぶりの更新に自分のことばかりと不満顔の我が家の▽o・ェ・o▽より新年の挨拶があるようです。。。しっ新年あけっあれっ?せまっ!!この紐邪魔よ。。。(優ちゃん。それはコードですよ。)明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いしますそれでは、そろそろ朝の散歩の時間なので失礼しますby優あ~狭かった(優)・・・ヾ( ̄o ̄;)オイオイ そこは覗き穴じゃないよ~
2014.01.01
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新年明けまして明けまして明けましてオメデトウ(^▽^)ゴザイマース♪♪オメデトウ(^▽^)ゴザイマース♪♪オメデトウ(^▽^)ゴザイマース♪♪新年早々からテンションでスミマセンなんとなんとΣ(゚д゚lll)3年ぶりの日記なのです。。。3年ぶりなのに・・・またまた休職中・・・( ( (__|||) ) ) どよぉ~ん。。。じつは2012年2月末よりパニック障害が併発してしまいまして。。。休職当初は、パニック障害の原因は会社の対応の悪さからなどなどと思っていたのですが、1年以上ゆっくり休んでいても治る見込みがないような医師と原因についていろいろ話し合った結果、先の原因ばかりではないのではという見解にパニック障害の症状が出るのが多いのは、決まって地震があったとき。地震で少しでも身体に揺れを感じると座っているのに目眩で立ち上がることができず脳だけが揺れているような気持ち悪さで ||||||||||||||(_ _。)ブルー||||||||||||||||地震がキーポイントなのだろうか? 地震といえば東北の震災・・・・・あの時は会社内で仕事の真っ最中でした。突然の大きな揺れに気持ち悪さを感じ、心拍数が一気に上昇したのを覚えています。とても嫌な予感と不安を感じ始めていたのかもしれません。一緒に仕事をしていた人が、危ないからと私の腕を引っ張り移動を促してくれました。その時は、放心状態に近くなっていて、騒がずボーっとしていたのでとても落ち着いている人と勘違いされていたらしいのですΣヽ(゚∀゚;)チガウカラ!揺れが収まり始め、外の避難場所に移動してから、すぐに頭に横切ったのが我が家のことでした。母は大丈夫だったか、優は?文鳥様たちは?一気に不安が押し寄せ、携帯を慌てて取り出し自宅に連絡をしたもののやはり不通状態以前の震災の時にも携帯が繋がらないという状態に陥ったのを思い出し、Twitterで愛知県と広島県の友達に連絡をとってみたら広島のお友達から東北で津波が発生していると教えてもらいました。えっ津波? なぜ? 他県はどうなっちゃってるの?もう何が何だか分からずでした。それなのに肝心な会社の対応はもたもたしているばかりで、私のTwitter情報の方が早くて、周りの人達はびっくりするばかり当時はTwitterしている人が少なくて「お前なんでもやってるね。」と感心され ;^_^A いつまでたっても指示が出されないので、みんなに不安が広がるばかりでした。 今思えば、それがパニック状態に陥る原因であったのかもしれません。地震情報が入り、会社側からの指示で帰宅に至るまで数時間私にとっては連絡の取れない自宅のことが心配でストレスは溜まるばかり帰宅待機の指示が出されるまでの間、とても時間が長く感じられ不安で不安でずんずんストレスは蓄積されるばかりでした。帰宅途中は市内外はすべて停電状態で信号機が止まってしまっているから道はどこもかしこも渋滞で帰宅まで2時間以上も車内でイライライライラやっと家路に着いて母や優の顔を見てホッ C=(^◇^ ; ホッ!即2階に駆け上がり文鳥様たちの無事確認の点呼開始。全員無事を確認しまたまたC=(^◇^ ; ホッ!夕食時に母から地震の時の話を聞きました。地震の揺れで驚いた母は外に出て周囲を確認していたら地域の避難場所に移動するようにと指示をされ家に鍵をかけ一時移動。しかし地震の揺れがおさまって落ち着いてきたからと、さっさと帰宅。停電が復興すると早速テレビで状況を確認したそうです。その後は、いつもどおりに優の夕方の散歩に行き道すがら会う人たちと地震のことで立ち話をしていたそうです。 夕食後、まだ余震が続いていたので心配になり夜中にコンビニに食品の買出し。行ってみて((((;゚Д゚))))なんと先客ぞろぞろで陳列棚には商品は少なく店員さんたちはわらわらしながら商品を出していました。とりあえず最低限の食料確保したので帰宅。翌日はまた夕方地震で大騒ぎでしたが、我が家は意外と揺れず、あれっ?という感じ。速報で知らされたほどの揺れは感じられず階段に積んでいたカップラーメンもそのままの位置に。しかし隣の家では大騒ぎで箪笥の引き出しは全部出てきてしまい玄関先の吊り棚は落下したりと酷い状況でした。なぜ我が家は無事? と母に一応聞いてみたら、なんと建築うん十年のこの家は、建てる前から地震が来ても大丈夫な家を建てさせてくれと当時の建築屋さんが祖父に申し入れをして建てた家なんだそうです。確かに揺れるけど土台がしっかりしている上に鉄筋も異常にしっかりしていてリフォームをした時に窓枠が錆びていて危ないからと地震対策用に割れても破片が飛び散らない窓ガラスとしっかりした窓枠にしていたため隣の家のような惨状とは全く考えられないくらいでした。その日も避難所に移動するように支持されましたが、全く被害のない家の方が安全と母も私も家から出ないで、テレビで被害状況を確認。避難所に移動した人たちは、とても寒いなか何時間も近くの小学校の体育館で避難待機をさせられて大変だったようです。今更ながら、この家を建ててくれた祖父と当時の建築屋さんに感謝感謝です。話がかなり横ズレしましたが、こうしてよくよく考えて思い起こしてみるとやっぱりパニック障害の発病に地震は関係しているようです。何はともあれ、そんな時に限って休職中なのにいろんなことがたくさん重なってなかなか精神的に落ち着かないことばかりが起こるものです。昨年、兄嫁のお義母さんが癌で亡くなりました。私のことを実の母よりも心配してくれたお義母さんの突然の死にショックを受け体調は悪化するばかり。やっと落ち着いてきたら、今度は実母が健康診断で胃に癌らしきものがあると紹介状を書いてもらい、只今がんセンターに通院中です。しかし、早期発見だったため初期の初期で内視鏡で確認されすぐ手術も決まったので、少しホッとしています。これは父に感謝しなければならないことです。父の職業柄の付き合いで、市の健康診断を受けた病院の院長さんは父のお客さん。たまたま健康診断を受けたとき診断をしてくれたのは、息子さん。息子さんのお友達ががんセンターに居るからと即紹介状を書いてくれたので、がんセンターに行ってからも診察も手術もトントン拍子で決まってしまって。親戚の叔父さんも同じがんセンターに通ったらしいけれど、母のトントン拍子にそれは信じられないくらいのことだよと驚いたほどでした。もし、癌に気づかず何ヶ月も病院廻りをしていたらと思うとゾッとします。今は亡き父の人徳に感謝感謝です。そんなこんなで相変わらず落ち着かない日々を送っています。1月9日に母は癌摘出手術のため、がんセンターに2泊3日の入院です。パニック障害になって休職して、お義母さんが癌で亡くなって、母が癌で入院手術。悪く考えれば最悪の状態になってしまうけれど、パニック障害で休職したから、母の癌の入院手術に対応できると考えれば全く悪いことばかりでもないと少し少し前向きになれる。なんで休職中なのにΣ(゚д゚;)って思うけれど、休職中で良かったなとふと思う。休職中だから癌で不安になっている母に毎日付き添ってあげられる。そう思えば休職になったのも悪いものではない。父の時にも鬱病で休職中だったから、最後まで父の我が儘にも付き合ってあげられた。いい事も悪い事も考え方次第で、少しは気持ちも変わるものなんだとつくづく実感中。。。とりとめもない日記更新開始となりましたが、今年はぼちぼち更新がんばろうと思います。あらためまして。新年明けましておめでとうございます本年も宜しくお願いします(*・ω・)*_ _)ペコリ
2014.01.01
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