80年代後半、史上最強の名を欲しいままにしてきた マイク・タイソン
が、
1990
年
2
月、東京ドームで初敗戦。その勝者である ジェームス・ダグラス
が初防衛戦の相手、 イベンダー・ホリフィールド
に同年
10
月、
3
回
KO
負け。
1996 年 11 月、遂に 宿敵 の タイソン と ホリフィールド が激突。 タイソン は 11R レフェリーストップで TKO 負け。翌年 6 月の再戦、 ホリィ の戦法に激怒した タイソン は、 耳を食いちぎって 減点 2 を受けるも再び噛みついて 失格負け 。
1998
年
6
月、 ダグラス
は ルー・サバリース
に初回
KO
負け。この試合で ダグラス
が勝っていれば、 タイソン
と因縁の再戦が予定されていたらしい。
しかし
2000
年
6
月、 タイソン
は サバリース
に初回
38
秒
KO
勝ち。試合開始直後の左フックが サバリース
の頭頂部をかすりダウンを奪うと、再開後、朦朧とした サバリース
を滅多打ち。無我夢中で乱打する タイソン
と サバリース
の間に入って制止するレフェリーだが、 タイソン
は背中を向けているレフェリーの頭越しに左フックを放つも、その上腕部がレフェリーの頭を直撃。そしてレフェリーはダウン。 タイソン
は、またしても反則負けになっても仕方のない勝利だった。
2007
年
6
月、
44
歳の ホリフィールド
は サバリース
と対戦。
3R
にはダウン寸前に追い込まれた。しかし、そこから立ち直り
2
度のダウンを奪って判定勝ち。
タイソン
戦から
10
年後で、ボクサーとしては老齢の域に達していた ホリィ
とはいえ、 サバリース
を軸に タイソン
と比較すると面白い。
ボクシングにおいて《 三段論法
》が意味のない空論であることを、もう一つ。
ホリフィールド
は、
1989
年
11
月、 アレックス・スチュワート
に
8RTKO
勝ちしているが、このときもダウン寸前に追い込まれている。
しかし タイソン
は
90
年
12
月、 スチュワート
に対し、初回に
3
度のダウンを奪い
KO
勝ち。まったく相手にしなかった。
最後に、三段論法・『無意味説』の最たる例が、モハメッド・アリに判定勝ちしたジョー・フレイジャーとケン・ノートンがジョージ・フォアマンに2RKOで子供扱いされたが、フォアマンはアリにKO負け。
ボクシングの伝説ファイターが58歳で復帰… 2024年11月11日
パッキャオと、特殊な選手たち。 2024年08月08日
★パッキャオ6階級と8階級の違い(補足→訂… 2024年08月04日