夏希ヒョウの世界へようこそ

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2018年05月05日
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カテゴリ: 格闘技

​80年代後半、史上最強の名を欲しいままにしてきた ​​ マイク・タイソン ​​ が、​ 1990 2 ​​​​月、東京ドームで初敗戦。その勝者である ジェームス・ダグラス が初防衛戦の相手、 ​​ イベンダー・ホリフィールド ​​ に同年​​​​ 10 月、 3 KO 負け。

1996 11 月、遂に 宿敵 タイソン ​ホリフィールド​ が激突。 タイソン 11R レフェリーストップで TKO 負け。翌年 6 ​月の再戦、 ​ホリィ​ の戦法に激怒した タイソン は、 耳を食いちぎって 減点​ 2 を受けるも再び噛みついて 失格負け


1998
6 月、 ダグラス ルー・サバリース に初回 KO ​負け。この試合で ダグラス が勝っていれば、 タイソン​ と因縁の再戦が予定されていたらしい。​
しかし
2000 6 ​月、 ​タイソン サバリース に初回​ 38 KO ​勝ち。試合開始直後の左フックが サバリース の頭頂部をかすりダウンを奪うと、再開後、朦朧とした サバリース を滅多打ち。無我夢中で乱打する タイソン サバリース の間に入って制止するレフェリーだが、 ​タイソン は背中を向けているレフェリーの頭越しに左フックを放つも、その上腕部がレフェリーの頭を直撃。そしてレフェリーはダウン。 タイソン は、またしても反則負けになっても仕方のない勝利だった。​


2007
6 月、 44 歳の ​ホリフィールド​ サバリース と対戦。 3R にはダウン寸前に追い込まれた。しかし、そこから立ち直り 2 度のダウンを奪って判定勝ち。 ​タイソン 戦から 10 ​​年後で、ボクサーとしては老齢の域に達していた ​ホリィ​ とはいえ、 サバリース を軸に タイソン と比較すると面白い。​​


ボクシングにおいて《 三段論法 》が意味のない空論であることを、もう一つ。

​ホリフィールド​ は、 1989 11 月、 アレックス・スチュワート 8RTKO ​​勝ちしているが、このときもダウン寸前に追い込まれている。
しかし タイソン は​​
90 12 月、 スチュワート に対し、初回に 3 度のダウンを奪い KO ​​勝ち。まったく相手にしなかった。​​

最後に、三段論法・『無意味説』の最たる例が、モハメッド・アリに判定勝ちしたジョー・フレイジャーとケン・ノートンがジョージ・フォアマンに2RKOで子供扱いされたが、フォアマンはアリにKO負け。






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最終更新日  2019年11月21日 08時55分37秒
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