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霊峰「大山」は中国地方の最高峰、大山隠岐国立公園の中心に位置しています。剣ヶ峰(1,729m)を主峰にした連山の総称で、深田久弥の日本百名山に数えられていますが、崩落の恐れから登山禁止、現在は弥山(1,709m)を頂上として開放されています。今年もいよいよ夏山登山シーズン到来、そんなことから大山トリッキングのご案内です。 大山西壁の山姿は富士山模様、ご当地自慢の伯耆富士になります。伯耆国とは鳥取県中西部にあたり昔の地方行政区分名が由来、出雲国との境には神話のイザナミノカミ(生・死両界の創造神で万物を生み成す女神)が埋葬された比婆山もあります。鳥取市から大山に向う北側(日本海側)の山容は衝立の壁、西側(島根県側)からの山姿を想像すると大間違いです。また、早朝5時の高速道通過時に眺めた大山は、空気が澄み星が瞬き迫り来る景観に絶句です。 登山コースは2本、メイーンコースで初心者向きの夏山登山コース(上り3時間)と中・上級向けユートピアコース(上り3.5時間)があり、今回は家族・団体が楽しめ6月に山開きされる夏山登山コースを登ります。登山口には、嬉しいトイレ付き無料駐車場が用意されています。そんな中で頂上を保護する会が一木一石運動を展開中、長年の登山者の不始末で緑が減少し、保水力を無くし雨水で侵食溝が、だから石一個でもリックに忍ばせ山頂を目指したいですね。 二合目付近までは登り易い幅広階段、それ以降もしっかり整備階段を登るだけで頂上です。 標識は標高と合目が別々しっかり表示、それを目安に登坂時間を計算して登れます。 出発が鳥取市からなので登山口到着は遅いAM10:30過ぎ、下山して帰り仕度の方も見られアドバイスを得て登坂開始です。大正9年に造られた登山道を二合目までゆっくり身体を慣らし、それ以降は体力に応じて・・・、阿弥陀堂(大洪水で破損し1552年再建)にも寄り道です。西日本一のブナ林をひたすら登りますが、登るというより階段登りの連続、でも嬉しいことに標高は100m毎に、また、合目毎にもしっかり標識表示されていますから安心して登れます。小休止は三合目、大休止は六合目、視界も開けて来て急峻な北側山容が目前に迫ります。 下界を覘けば、麓には牧場や果樹園などが広がっています。 弥山の頂上到着、この先はラクダの背を通って剣ヶ峰になりますが立入り禁止です。 聖地の昔、山岳信仰の弥山禅定は(六波羅蜜で布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の修行)、選ばれた役僧が年に一度弥山に登り仏事儀式を行う以外、誰も登ることが許されない山でした。八合目付近、群生するダイセンキャラボクの赤い実を見やり、ひたすら間近に迫る頂上を目指します。仰げば上空に3百羽ほどのヒワ鳥が舞い、その群れ飛ぶ光景に不思議を感じました。 秋の登坂挑戦でしたから初夏ほどの花は見られませんが、天然記念物のダイセンキャラボクの半透明の赤い実とか、麓のリンドウやモミジ紅葉とか、秋ならではを満喫出来ました。総務省発表、全国の登山者数は年間延900万人、半数は高齢者で女性愛好家が急増、年齢層が広がりリピータが多いとか、そこには登るだけで無く季節毎の花を愛でる楽しみがありました。 聖地だけあって、由緒ある大神山神社や大山寺が身近にあります。健脚なあなたは下山の時、五合目付近の行者別れから元谷方面に折れ、神社や寺を回って帰る手もあります。大山寺は養老年間(720年頃)に開山した古刹、名物は一つの願いを一心に念じ牛を撫でれば、叶えてくれる有難い宝牛(撫牛)です。牛の霊を慰める江戸時代からの牛馬市の名残で、牛の鼻繰りの銅を集め鋳造して作った銅像、あやかりたい人達の手で牛像はいつもピカピカです。 最初の大山付近への訪問は13年前、大山寺の様子はすっかり変わり整備されていました。また、大山西壁の裾野に広がる桝水高原、錦模様が舞い降りて来る光景は観光スポットです。次回は北海道南部で、千歳空港に近い支笏湖の探訪を予定しています。
2009.06.20
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富山県宇奈月町は県下一の温泉郷、富山市から車で約60分の山間に位置しています。そんな町が黒部峡谷鉄道トロッコ電車の出発駅、四季折々が楽しめるスポットになっています。 黒部峡谷鉄道の生い立ちは黒部川の電源開発、その端緒は高峰譲吉氏が電気の缶詰といわれるアルミ精製会社を日米合同で作る時のことです。この地の水力発電開発に着目し踏査を開始したのが大正6年、黒部峡谷の開発にはそんな先人達の歴史が残っていました。石川県出身の高峰氏はタカジアスターゼやアドレナリンの発明者、現日産化学や旧三共の設立者、ワシントンポトマック河畔の桜並木は当時の東京市長尾崎行雄氏との寄贈、米セントルイス万博の日本館を政府依頼で引き取り別邸に、科学者より実業家として活躍した人でした。 秋の紅葉時期がベスト、宇奈月駅前の駐車場(900円)へは満杯直前に滑り込み、駅舎内は人込みでごった返している状態です。霧雨模様で肌寒かったので窓付きの車両に・・・と思ったのですが、当日は生憎満席、窓無しの普通車に防寒を万全にして乗車です。 黒部峡谷鉄道は宇奈月から終点欅平までの20.1kmの区間、トンネル41、橋22を巡りながら1時間20分で運行しています。立山・剱岳・薬師岳などの立山連峰、白馬岳・鹿島槍ヶ岳・五竜岳などの後立山連峰、その間に挟まれた黒部川、浸食により深く刻み込まれたV字峡谷を電車はゆっくりゆったり走り見せてくれます。 その電車には窓の無い普通客車の他に、特別客車・リラックス客車・パノラマ客車など、特別車両料金を支払うと優遇乗車出来る仕組みになっています。しかし予約は3ヶ月前からで満席のことが多く、負け惜しみで・・・陽を浴び風を受けての自然体感は普通車に限る・・・と吠えて!でも寒く雨降りの日は辛い! 昔の国鉄、特等車や1~3等車の差別が思い出されます。 崚剣な山や谷、その日本一深いV字峡谷を縫うように走るトロッコ電車。宇奈月駅を出発して直ぐに仏石が、石仏に似た天然岩で昔の入山者はここで安全祈願をしたようです。そのすぐ先には人を寄せ付けない険しい谷に架かる後曳橋(高さ60m、長さ64m)、スリリングな景観を窓無し車両だから間近かに実感することが出来ます。だけど前の席の中年男女、どう見ても呑み屋のお姉さんとその客風情、寒い寒いと言いながら密着のご様子は羨ましい限り? 絵の具をちりばめたような鮮やかな紅葉・・・には一寸時期が早い訪問、碧色の水が流れる黒部川や原生林とのコントラストが見られず残念至極です。ここはもう中部山岳国立公園内になり、皆様には10月下旬前後のベストシーズンを選んで訪ねてみて下さい。 電源開発(ダム開発)のために作られたトロッコ電車、その黒部軌道は資材や作業員運搬が役割り、だから当初は電力会社の専用鉄道でした。便乗されるお客様には切符(便乗証)の裏に『安全については保証はしない』と書いて、了解の上で乗車させていた歴史がありました。今日では自然を求める地元民や観光客の要望もあって、昭和46年に電力会社から独立し黒部峡谷鉄道と名前を変え、車両もリニューアルして運営されています。 我が国有数の水力電源河川黒部川、その激流の秘密は立山・後立山連峰に囲まれた勾配、豊富な水量、それが86kmという短い距離を一気に日本海に注いでいる地形にあります。峡谷流域の平均勾配は36°と強く、これはプロのスキーコース並の斜度ですから驚きです。欅平は鉄道の終点、山懐深いだけに時間を取って散策をお勧め、それもこれも天候次第です。ここから先に難工事の黒部川第四発電所が、出力335千kWは原発の約1/3の出力です。 沿線には楽しみな天然露天風呂が幾つもありますが、双璧は黒薙・鐘釣・欅平になります。黒薙温泉は宇奈月町の源泉の露天風呂で、湯の吹き上げが見ることが・・・。鐘釣温泉は駅から徒歩15分、開湯90年の歴史、対岸の万年雪を眺めての露天風呂は野趣あって一品。大自然に囲まれた岩風呂の名剣温泉、欅平から徒歩15分の近さは疲れを癒してくれます。 切符は往復でも割引無しの料金、混雑具合を見ながら、途中下車も考え購入して下さい。写真の電気機関車は米国ジェフリー社製EB5型、こんなに小さな機関車が黒部川電源開発の初期から資材や作業者を運搬、集電ポールを車体の上で人間が操作する珍しい機関車です。次回は世界遺産登録申請した宮城県松島、しかも奥松島を予定しています。
2007.10.20
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昔話の『鶴の恩返し』と同じような実話が、日本海に面する但馬国香住町の『大乗寺』に残されていました。絵画黄金期の江戸時代にあって、絵師『円山応挙』が貧しい修行時代に住職に才能を見込まれ学費援助を受け、名を挙げ功を遂げた晩年に大乗寺客殿建設に当たって、門弟12人を引き連れ障壁画165画(全て国指定重要文化財、応挙作38画?)を描いたというお話です。現在、障壁画のデジタルデータ化が進められ、今春にはレプリカ展示予定のため早めの見学を。そこで今回は、大乗寺=別名応挙寺に残る円山応挙と門弟が描く障壁画を中心にご案内です。 志賀直哉の小説『城崎にて』で知られる城崎温泉から車で約40分、周囲には何も無い寒村? に大乗寺はありました。氏の『暗夜行路』にも大乗寺が登場する西国薬師霊場28番札所、行基菩薩が刻んだ聖観世音菩薩立像を祀っり745年の創建ですが、戦乱で一時衰退し江戸安永年間に伽藍を再建完成、その時に客殿の建設も行われここに障壁画が描かれたという訳です。 唐破風の客殿正面には、帯名(源氏性)を許された応挙坐像が出迎えてくれます。客殿内は係員のガイド付き、偶然、元鳥取大教授の老夫妻と一緒の見学になりました。 円山応挙作品は、四国金毘羅さんの書院障壁画『絵本墨画遊虎図』や『竹林七賢者図』など(90画程あり)を見た程度でしたが、大乗寺には応挙画が38画程残され展示されていました。金箔地に薄墨で描かれた障壁画は、わずかな陽を拾い集め照り返して浮き出させる技法になり、応挙晩年の最高傑作の仕事といわれています。 客殿中心の仏間に十一面観世音菩薩立像、それを取り囲むように13の部屋の空間に立体曼荼羅(仏の世界)を絵で具現化、そんな全体構想を応挙自身が行いながら『孔雀の間』『芭蕉の間』『山水の間』の3室を描いています。孔雀の間には松の老巨樹と3羽の孔雀が描かれ、照明を消し座って視線を投げ掛けると、自然光を受けた孔雀が浮かび上がり実在感が伝わって来ます。この『松に孔雀画』を製作中に、京都天明の大火で焼失するというアクシデントがありましたが、でも眼病に悩まされながらも最晩年に再び描き完成させた作品になります。 『孔雀の間』の老松と孔雀の襖を開けると仏間が、中の国重文『十一面観世音立像』を取り囲むように、仏を守る四天王に見立てた絵が、客殿四隅の部屋に配された立体曼荼羅構図です。農業の間(持国天=生産)、芭蕉の間(増長天=政治)、山水の間(広目天=文化・芸術)、仙人の間(多聞天=生命・医薬)達になります。孔雀は十一面観世音の頂上仏の化仏で、阿弥陀如来の象徴になりますが、その見学は叶いませんでした。芭蕉の間には、手招き好々爺の『郭子儀図』が描かれています。余談ですが芭蕉は松尾芭蕉の名前にもなり、幹は沖縄名産の芭蕉布の原料になります。 芭蕉の間の襖を開けると、隣の孔雀の間とか山水の間が覗けます。 孔雀の間から山水の間に繋がる芭蕉の間、郭子儀図が描かれていますが驚いたことに二次元の絵が三次元に見えてしまうことでした。芭蕉に悪戯書き?している童の視線、小生が移動しても童の目は追って来るのです。いつも小生を見つめ追っかけて来ます・・・不思議、不思議です。そういえば息子や門弟達が描いた絵でも見る位置によって、犬が寄って来たり逃げてみたり、或いは、鯉が太って見えたり細って見えたり・・・と、騙し絵的で不思議な気分でした。 紙本金地墨画の『山水図』は、最も格式が高い自然と一体化した絵といわれています。最も長い壁画には、日本海を想定した海岸線に外海と内海を描き、下座から上座へ向かって陸地が見渡せるように配しています。床の間には岩山が、そして違い棚にまで絵は書き込んでいて、廊下側からの見る位置で立体感あふれるせり出した壁画になる工夫が凝らされています。初めは狩野派に学び、その後中国の遠近法を学んで写生に専念したり、西欧の陰影表現も取り入れたりと、独自の新しい画風を完成させた絵師円山応挙の面目躍如たる絵になっています。 非公開になっていますが門弟の長澤芦雪作『群猿図』、何か人間社会を風刺した、現在の世相に通じる偽悪的な表現絵に納得し紹介です。岩山を登って来る先頭の猿の尻尾には布で包んだご馳走が、それにあやかろうと付いて来る卑しい猿達。そして岩山の小猿を抱えた夫婦猿、何食わぬ顔で手と足でジャンケンをして嫁の勝ちになっています(嫁の手はパー、足はグー)。 興が乗り予定を大部オーバーした大乗寺見学、一目散に近くの餘部鉄橋へ向かいます。事前に時刻表で列車通過を調べていたので、間一髪間に合いました。危険回避なのか観光のためなのか橋に差し掛かると列車はゆっくりと走行。日本海に面し鉄橋の両側は山で風の通り道、現在はコンクリート橋への架け替え工事中で、こういった風景も後僅かの時間になりそうです。次回は四国伊予国、宇和島市の伊予伊達藩を中心に市内散策を予定しています。
2009.02.14
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九州14日間3,560kmの旅を終えて帰って来ました。家内と孫娘とは宮崎で落ち合い、福岡で分かれた4日間以外はのんきな一人旅、暑いくらいの快晴の日々に恵まれました。収穫は全国で12か所残る天守閣、その最後の訪問になった備中松山城を尋ねられたことで、急峻な山城を8合目から息を切らせて登ってきました。 もう一つの目的は神社仏閣巡り、過去に巡った所ばかりでしたが10か所に立ち寄りご朱印をいただいて来ました。その中でも宗像大社(福岡県 天照大神の子供で美人?3姉妹を祀り、海の法隆寺ともいわれる沖ノ島は世界遺産に申請中)に寄って、4番目の孫のお守りを求め、これで孫全員の札を揃えることができました。今回のブログは海幸彦・山幸彦で知られる青島神社(宮崎市 神武天皇のお爺さんを祀る)に出向いた折の、実に腹ただしい出来事の報告です。意地悪だった海幸彦を祀っているのかと錯覚するほどの印象でした。ご朱印は最近若い人にも人気だそうで、私は青森から鹿児島まで巡り6冊目になります。神社だと神社名、お寺だとご本尊を墨書きして、朱色の印を押して300円。もしご朱印帳を持ち合わせていなくても、無料で和紙に書いてくれるのが一般的です。ところが青島神社での出来事とは、青島神社名と弁財天(日向国七福神の一柱、取り扱いは30年前から?)の両方を書くのでなければ受け付けません・・・とそっけない返事。料金は600円。青島神社だけのご朱印でも600円は払っていただきますと上から目線。片方でも300円で応じてくれるのが通例だから、年甲斐も無くムカーとしてしまいました。しかもご朱印帳を忘れた方には、用紙代として100円徴収との張り紙まであるではありませんか。気になって個人初穂料を見ると5,000円(通常3,000円) からとありますから、お金を稼ぐ方にばかり気持ちが傾いているように感じてしまいます。寄進の勧誘も行われていましたし、ビロウ樹繁る元宮へ出向いた折も、縁起物の天の平甍投げで1枚200円の代金、全て商売に結び付けていると疑われても仕方がありません。一方、由緒ある神社仏閣の社は化粧され、境内は隅々まで手入れされ清められ、荘厳さを醸しだしているものですが、青島神社のそれは集めたお金がどこへ消えてしまったのか、参拝道は整備されておらず、社は汚れが目立ち、日々の境内の手入れや清掃が手抜きされているように感じます(30年前の火事で再建された社だから仕方がないか?)。天孫降臨からの神代三代(日向三代)と、神武天皇を祀る宮崎神宮の4つの神社の中で、一番見劣りがするのが青島神社、そこでハタと気付くことが青島は神社、他の3つは神宮、社格の違いは運営の志の違いなのかなと納得した次第です。とはいえどこからか灌頂してきた村の鎮守様とは違うのだから、菊のご紋を使用する自覚を持って欲しいと思いました。祀る山幸彦だって神話とはいえ釣り針を探しに海神の宮殿まで出かけたのに、海神の娘の豊玉毘売と懇ろになって、3年間も遊び呆けて帰って来るという、そこにも問題がある?ように感じてしまいます。 折角、足を運んでくれた参拝者にこんな商売に敏い扱いをしたのでは、超セコイ神社だ・・・と評判になっても仕方ありませんね。前回訪問と同じで、ご朱印を書いてもらう気分にはなれず帰ってきました。だから全国にある神話の主だった神社の中で、ご朱印の無いのはこの青島神社だけになりました。残念至極です。
2016.11.19
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男性合唱が似合う箱根八里(箱根の山)の曲、『箱根の山は天下の険 函谷関(かんこくかん)も物ならず 萬丈の山 千仭の谷・・・・・』は、明治31年に作詞鳥居忱 作曲滝廉太郎によって作られ中学唱歌として掲載されました。氷川きよし歌う『箱根八里の半次郎』の曲もあるようですが、箱根山道は険しい難所で東海道五十三次の小田原と三島間の八里(32km)を指します。箱根は江戸幕府の権力を守る要害、甲州道の小仏、中山道の碓井と共に関所を設けた地です。そんなことで今回は、正月の箱根駅伝でも知られる早春間近の箱根路ご案内になります。 箱根といえば富士山が欠かせませんが、東名高速道を降りて湯河原から元箱根に向かう中腹で、スッキリクッキリと富士を望むことが出来ました。茶屋駐車場にしばし車を止めて歓談です。寄合いで湯本の温泉旅館に投宿して、豪華にお酒を飲んで食事やゴルフが思い出されます。と同時に東京本社勤務時代、21階のビル窓越しに千変万化する富士の景色が思い出され、特に冬場の変幻(雲の様や流れ、太陽沈む暮色、紫色空の孤高富士等など)する様子を間近に見られ感嘆させられたもので、記録写真を撮っていなかったのが悔やまれます。 箱根といえば古くからの良質温泉地、アクセスは小田原・湯河原・三島・御殿場からが便利。春、麓からゆっくり上って来る桜前線は1ヶ月も楽しめ、秋、ブナやカシなど300種もの木々が色濃く密集し染まる紅葉、或いは、火山活動を覗き見ることが出来る地獄、本来の歴史街道探訪とか美術館巡りなどの顔も兼ね備えた、そんな四季折々が楽しめる所が箱根になります。行動が自由な車か、電車なら小田急ロマンスカーで箱根湯本経由の箱根登山線がお勧めです。 ロープウェイでも車でも行ける大湧谷、早雲山の麓に位置する地獄になり、いつも満員です。どこの温泉地でも大小あっても地獄はあり、地面から勢い良く蒸気がこぼれて来ます。ここの名物は延命祈願の『黒たまご』になります。卵の表面の殻が黒く中身は独特の温泉臭、北海道屈斜路湖畔の硫黄山、別府温泉の海地獄、雲仙温泉地獄の温泉卵とは一味違う風味でした。 ガラス張り建物の『ポーラ美術館』 野外彫刻展示が特徴の『箱根彫刻の森美術館』 箱根にはどうしてこんなに美術館が林立しているのだろうかと思うほど沢山在ります。その双璧が、ポーラ美術館であり彫刻の森美術館だと小生は思い込んでいます。コンセプトをしっかり捉えて、ポーラ美術館は清潔感漂う館内で展示(化粧品会社だけに、旅用化粧セットコレクションもあり)、彫刻の森美術館は広い屋外(約2万1千坪)での彫刻展示とピカソ館が売りです。 箱根旧街道風情が残る宮ノ下で昼食と思い、目星を付けていた店は今一歩の構えとメニューの感じで失格、散々探し歩き元箱根(姥子付近)に意図する蕎麦屋さんはありました。小生の住まいの隣町にある高級蕎麦屋の支店で、店雰囲気は良いけど、でも値段の割には更科蕎麦の分量は一寸、三番粉田舎蕎麦でお腹が満たされる量が欲しかったと後悔仕切りです。 箱根といえばテレビ映像で、芦ノ湖湖畔や箱根神社鳥居、遊覧船(海賊船)がよく映し出され知られています。そこが元箱根になりますが、箱根駅伝往路の最難所5区(高低差800m)の終点であり折返し地点、箱根神社にもほど近く関所も置かれた旧街道の中心街になります。ロープウェイで駒ヶ岳に登るのも、芦ノ湖遊覧も、ホテルラウンジでのお茶も至福の一時です。 箱根神社は元関東総鎮守大権現の名社で、2,400有余年前から山岳信仰の一大霊場でした。そして明治初期の神仏分離で神社に改称した経緯があります。びっくり仰天の祭神は、天照大御神の孫で天孫降臨した迩迩芸命(ニニギノミコト)とその妻の木花咲耶姫命(コノハナノサクヤヒメミコト)、その子の彦火火出見尊(あの山幸彦のヒコホホデミノミコト)と由緒があります。平安初期に箱根路が開通、旅人の往来が多くなるにつれ道中祈願を祈る参拝者が増えていったようで、その後も源頼朝、執権北条氏、徳川家康らの崇敬の社として栄えています。 日光に金谷ホテルがあるように、箱根にもクラッシック・リゾートの富士屋ホテルがありました。明治11年創業で寺社建築を思わせる本館や西洋館などと共に、VIPに愛される旧御用邸の別館菊華荘など保有するホテルです。庶民の小生などの利用は一寸躊躇してしまいますが、せめてランチを楽しみたいと機会を伺っているところで、直営店のベーカリーショップ『ピコレット』での買い物でお茶を濁している処です。皆様には是非足を伸ばされ館内を楽しんで下さい。次回は和歌山県の真言密教の聖地、弘法大師が修行し入滅した高野山を予定しています。
2009.02.28
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関東平野の最東端、利根川河口に位置する銚子市は人口7.5万人、全国有数の漁獲量と水産業、そして350年の歴史を誇る全国ブランド醤油の街になります。しかも元日前後の10日間だけは、全国で一番早く初日の出が見られる所にもなります。その一方で、地域医療を担っていた『銚子市立総合病院』が閉院という暗いニュース、医療崩壊を防ぐ住民投票に発展です。そんなことで今回は、赤字ローカル線『銚子電鉄』や犬吠崎、銚子漁港など町の話題案内です。 まずは異名が『子守電車』といわれる銚子電鉄、小船のように走行中は右に左に揺れ子供が眠ってしまうことからの命名? それだけ路線整備に手が届いていない経営状態になります。JR銚子駅とホーム続きで、銚子-外川間を10駅6.4kmを約20分、全列車各駅停車の単線で1輌編成、時間2~3本で日に36往復の運転、職員数20名強、ローカル色豊かな鉄道です。しかも上下の電車が駅ですれ違う時は、骨董品になるタブレット(通票)交換風景が見られ、初日の出が絶景の君ヶ浜、白亜の犬吠崎、地球の丸く見える丘、温泉など抱える路線になります。 保有車両は6輌、東京地下鉄銀座線で走っていた50年も前の車両など現役は4輌です。近年、電車通過中に遮断機が上がったり踏み切りの赤色灯が脱落、枕木が腐食しレールに亀裂が、或いは、乗車してみて窓枠が錆でボロボロ開けるのも一苦労・・・でも補修費用が困難、車両の法定点検もままならない経営は崖っぷち・・・開業の大正12年にタイムスリップしたようです。当然、国交省からは事業改善命令が出されますが・・・その運命は如何に・・・です!本当に施設の老朽化が進み保全する資金が不足、存続が危ぶまれる昨今です。 首都圏では珍しいとびっきりローカルな銚子電鉄、ホームペーシ見て支援して下さい。 それでもちゃんと孝行息子がいました。本業収入は1億2千万円足らずなのに、副業のぬれ煎餅(身がしっとり軟らか醤油味の煎餅)で2億円も稼ぎ出しています。それから幾多の経営危機を逆手に、銚子-本銚子間の『合格祈願切符』を、上り銚子行(上り調子)、本銚子行(本調子)、本銚子発-銚子間往復(本銚子に戻る)の3枚組の硬券切符を縁起物として販売しています。それだけでは足りませんから、地元を中心に熱きサポーターズが組織されて、走る列車を舞台に生演奏会(C列車で行こう)や芝居(銚電スリーナイン)を企画したり、電車内や駅舎を丸ごとアート作品展会場に、撮影会や結婚式場にも、或いは、車体広告の大口企業協賛してもらったりと、あれやこれやのユニークな暖かい支援で凌いでいるのが現状です。 本社は仲ノ町駅にあり、昔懐かし切符と売り方、手作り料金表など郷愁を感じます。でも、職員室内は書類や備品・荷物が氾濫状態で、安全運行に?を感じてしまいます。 職員室では黒電話が未だ活躍、手作り料金掲示板、ガラス窓越の対面切符販売、硬券切符(厚紙)や日付打刻機の使用など・・・昭和30年代の夕陽の三丁目風景が再現されています。スイス風やポルトガル調とかヨーロッパの冠を被せた駅舎、でも漁師風の終点外川駅が一番! 銚子港の昨年水揚量は25万トンで3年連続日本一、でも魚価が安いサバの水揚げが半分以上を占め漁獲高302億円で低調、漁師は苦労を強いられているようです。少年時代を宮城県の水産加工場(竹輪、笹蒲鉾、薩摩揚げ製造)で過ごした小生、午後でも活気ある港町を懐かしく感じながら、でも、あの魚臭さは苦手で閉口させられます。遅くなった昼食は漁港に近い評判のマグロ専門料理店、窓越しに海鳥を見ながらのランチになりました。地軸の悪戯で元日前後の10日間、北海道納沙布岬より早い初日の出が望める犬吠崎です。日本一早い初日の出を拝むと願いが叶う!・・・新年の太陽が放つエネルギーは偉大です。 犬吠崎灯台は明治24年に国内24番目として完成。江戸幕府末期に米・英・仏・蘭と江戸条約を結び、順次、船の安全航行のため西洋式灯台が建設されますが、当初、英製レンガ使用の予定を費用の面で国産レンガ(約19万個)に置き換え、レンガ造り建造物日本一の高塔として完成します。太平洋に面した銚子港、昔から波荒く危険な海でしたが灯台は安全航行を約束してくれました。夕方時、99段の螺旋階段を一気に駆け上がって牛蒡抜き、そんな思い出が懐かしい。次回は寒い寒い季節に温か『おでん』、仙台『おでん 三吉』家族の店を予定しています。
2009.01.17
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