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そもそも「縁」とは何でしょうか?
辞書で調べると「巡り合わせ」「人との間柄」「つながり」などと出てきます。
仏教用語としては、
「結果を生ずるための間接的原因や条件」とあります。
このこと
を
「因縁果
」(インネンカ)
と言いま
す。
「因果」はよく聞きますが、原因があって結果があるわけではありません。
この間に条件が伴います。
例えば、花の
種
(原因
)
がある
。
花が咲
く
(
結果
)
。
とはなりません。
花が咲くには、水や太陽や土などの条件が必要です。
この間接的原因となる条件が「縁」です。
諺に「袖振り合うも他生の縁」というのがあります
。
「袖が触れ合うだけでも前世からの因縁があるほどの間柄」
というものです。
ですから、
今生で、縁がある人、出会う出来事、手元にある物などは、
大きく見たら不思議な出会いの元に巡りあっている関係だ
と受け取れます。
その出会う縁に 「良縁」「悪縁」
はあるでしょうか?
実
は
「縁」に良いも悪いもありません。
その人の想いで良縁にも悪縁にもなります。
良縁だと思っていた事が悪縁に転じることもあります。
良い縁を求めても思い通りになるとは限りません。
結果から判断しているに過ぎないのです
。
縁があるということは良くも悪くも 意味
があります。
嫌な人、苦手な人もいるでしょう。
病気や事故、災難や失敗など遭いたくない縁もあります。
でも いろんなことが起こるのが人生
です。
結果に一喜一憂するよりも、
出会った縁を良きように 〈生かしていくこと〉
が大切です。
悪縁と思った事を生かして良縁になることもあります。
つまり
「良縁と思うことも悪縁と思うことも、両方大切」
ということです。
哲学者で書家でもある山本空外上人は
「無二的人間形成」
と説示されていました。
人は自分さえ良ければいいとか、自分の思う通りになれば良い、と考える人が少なくない
。
そうではな
く、
相手を生かす。それでこそ、自分も生きている価値がある
。
それ
を
「無二的」(ムニテキ)と説いておられました。(月刊誌『致知』インタビュー記事より)
巡り合わせで与えられた縁を、
プラス思考やポジティブな捉え方などで、
自分なりに 〈生かしていくこと〉
が
前向きに人生を全うしていく生き方となるはずです
。
私たちはそうして、
様々な縁に育てられるので
す。
人間関係や失敗、災難などの悪縁だとしても、
そこから学ぶこと気づくことが
〈生かすこと〉
になり
ます。
合掌
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