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ふと思ったのだけれど、旧約聖書などに書かれている神による天地創造や、人間の創造の物語を、そのまま信じることがどうしていけないのだろう?ビッグ・バン説や進化論は、確かに意識のレベルに於いては真理かもしれない。だが、無意識のレベルに於いては、それらは信憑性を持ち得ない。結局は、意識の側に立てば、ビッグ・バン説と進化論を採るべきとなるし、無意識の側に立てば、神による天地創造や人間創造の説を採るべきとなるのではないか。一方のみを真とし、他方を偽とするのは、偏った態度といってよいだろう。何度も言うように、人間は意識の側面を持つと同時に無意識の側面をも持っている。ならば、正々堂々と、神による天地創造、人間創造の説を信じて良いのではないか。そんなことをふと思った。
2011/06/21
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日本語で、マネーとゴールドが同じ「金」だというのは紛らわしいね。この紛らわしさは、日本人のマネー信仰に一役買っているのかも。気になって money の語源を調べてみた。OED によると、"the name of a goddess (in classical times regarded as identical with Juno), in whose temple at Rome money was coined."「ある女神(古代ローマ時代にはジュノーと同一視された)の名前。ローマにあったこの女神の神殿で、貨幣が鋳造されていた。」というわけで、money と gold には特に言語上の関係はないようだ。紙幣や卑金属製の硬貨、ましてやデータ上の数字に、「金」の文字を使うのは最早相応しくないのでは。「お金」のことは、これからは意識的に「通貨」などと呼ぶようにした方がよいかも知れない。
2011/06/20
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ふと思ったので、ちょっとシミュレーションしてみた。何故国の借金がここまで膨らんだのか?それだけ貸す人がいたから。それは誰?主として銀行(郵貯含む)預金者。と云うことは、やっぱり、銀行に預金することは、国債発行を支援することになるね。金持ちは、ある程度以上の銀行預金は控えるべきかも。
2011/06/18
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日本人には前の戦争についての責任がある、これは当時生きていた日本人だけではなく、戦後生まれの日本人にも云え、今の日本人の若者にも云えることである。とまあこんな議論がある。村上春樹さんも以前からこのことを言っており、それを読んで私は、確かにそんな気もするけれど、どうも今ひとつ納得が出来ないでいた。当時生まれてもいなかった私にどうして責任があるのか?そして尖閣の事件があり、民主党政権は「船長」を解放し、私は悔し涙を流した。この時に私の中に生まれた気持ちが、国と民族の名誉を守る為ならば命なんて惜しくない、奴隷の平和を選ぶよりは戦って死にたい、という気持ちだ。そして前の戦争に思いを馳せた。当時、戦争に参加したり、戦争に賛成した人達もまた、同じ気持ちだったのではないか、と。そうして遅ればせながら前の戦争について勉強を始めてみて分かったことは、どうやら戦後生まれの日本人の戦争責任云々の話以前に、そもそも日本に戦争責任なんてものがないらしいと云うことだ。以前は日本には戦争責任があるということが大前提としてあり、その責任を戦後世代が負わなければならないのかどうか、負わなければならないのだとすれば一体いつまで負わなければならないのか、と云う点が私の関心事だった。だが、その大前提が一気に崩れてしまった。反日勢力の巧みな議論のすり替えにまんまと騙されていたらしい。喩えてみれば、魚の足は2本か4本かと云う議論をしていたようなものだ。反日勢力が、「魚の足は4本じゃないか! 認めなさい!」と云う。この時、彼らは魚に足があることを無言の内に大前提としている。お人好しな日本人は、この巧みな手口に引っかかって、魚に足があると云う前提を受け容れてしまう。そして、「いや4本じゃなくて、2本じゃないかなあ」などと反論する。喩えは上手くないが、このような議論のすり替えは、この問題だけでなく、他の様々な問題でも利用されている。日本人のお人好しは、ある意味美徳ではあるが、この文脈に於いては重大な欠点であり、犯罪的であるとすら云いたい気がする。ちなみに、歴史の縦軸と横軸における民族の連続性、また、その構成員の相互依存性については、私も積極的に認めたいと思っている。よって、仮に日本に戦争責任があったのだとすれば、その責任の一端を戦後世代も引き受けなければならないと考えたことだろう。
2011/06/14
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そういえば、前述の演説の中で村上春樹さんが「叡智を結集して」云々と語っていた。別の演説の中で、オバマ大統領もまた「叡智を結集しよう」と語っていた。だが、叡智なるものは結集するものではない。三人寄れば文殊の知恵と云うように、3人位までならば、あるいは叡智を結集して相乗効果が見込めるかも知れない。しかし、叡智というものは、基本的には叡智ある人がただ一人で発揮するものである。4人以上の叡智が集まれば、それらの叡智は、集まれば集まるほどに、薄められ、薄められ、薄められ、薄められ、薄められして、結局最後に残るのは最大公約数としての愚鈍のみとなる。「多ければ多いほどよい」と云うのは、まったく思慮浅薄の考えである。
2011/06/13
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村上春樹さんの「原発批判」演説をYoutubeで見たが、聴いていてどうもしっくり来なかった。中学生か高校生の作文程度の内容しか無く、綺麗に話を纏めているだけで、説得力が感じられず、聴いていて白けてしまった。春樹さんの歴史認識、日本理解、世界認識には不十分なところが大分多いようだ。「世界共通の価値観を作れたら素晴らしい」みたいなことを言ったり、「我々は世界市民だ」みたいなことを言ったりもしていたが、この様な考えは私の考えとは相容れない。現在日本が経験している原子力災害について、私達日本人の全てが加害者であるという意識を持つことが大切だ、というのは、その通りであり、私も同意する。だが、その加害というのが如何なる意味に於いてであるのか、と云う点について、春樹さんの考えと私の考えには大きなずれがあるように感じる。春樹さんは、「効率追求」の過ちに全てを還元したいようだが、これには同意できない。問題はそのような単純なものではなく、もっともっと根深く複雑なものである、と云うのが私の認識である。また、広島の「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の言葉を「素晴らしい言葉です」などとも言っていた。春樹さんは小学生だか中学生だかの頃に中央公論社の『日本の歴史』シリーズを繰り返し読んでいたそうだから、その東京裁判史観が体に刷り込まれてしまっているのかも知れない。春樹さんの悪口を言うのは本意ではないし、また、事は単純ではないから、今回の件についてはこれで止めておくことにする。
2011/06/11
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日本語で物を読んだり書いたり考えたりするのに、日本語のボキャブラリの充実が必要であるのと同じように、イメージや象徴で物を考えたり感じたり掴んだり説明したりするのには、イメージと象徴のボキャブラリの充実が大切である。言葉が理性や思考の道具であるとすれば、イメージや象徴は体や無意識の道具である。世界認識や人間関係のために言葉が大切であるのと同じように、それらのためにはイメージや象徴も大切である。なんとなれば、人間は意識の動物であると同時に無意識の動物でもあるからである。イメージと象徴のボキャブラリの宝庫と云えば、もちろん神話であり宗教であり民話であり伝説である。イメージも象徴もあちらこちらに転がっているものではあるが、本源的なものは全てこれらの領域に備わっていると考えてよいだろう。言葉の素養や教育も勿論大切ではあるが、それと同時に、イメージと象徴の素養や教育も大切である。
2011/06/10
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反戦的内容。兵隊の扱いが如何に不当であったのかの描写に力点が置かれている。嫌々乍らに戦争に参加している兵隊ばかりが描かれており、またその描き方もふざけていて、兵隊に対する敬意が感じられない。本作品の舞台となっている戦いは、確かに無意味な戦いであったのかもしれない。其れに就いては他書を当たって確認しなければならないが、本作品に於いて、この戦いが如何様に無意味であったのかは充分に描かれておらず、あたかも大東亜戦争自体が無意味であったかのように読むことも可能。このあたりに、作品としての不十分さを感じた。水木氏は自身が兵隊として参加した経験があり、それが故に、大東亜戦争の全体を客観的に眺めることが出来ない部分があるのだろう。よって、水木氏を責めることはしない。懸念されるのは、本書を読む読者が、この作品で描かれていることを、そのまま大東亜戦争全体に拡大して解釈してしまうことである。本書を読んで、水木氏の大東亜戦争に対する立場が分かったし、また、作家として上記のような未熟度を持っていることも分かったので、今後水木氏の戦記物はあまり読みたい気がしない。
2011/06/09
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隣に住む難聴独居老人が一日中大音量でテレビを見ているので、私はほぼ一日中耳栓をしながら暮らしている。そんな私は在宅労働者でほぼ一日中家にいる。また、この老人は、夜中にベランダの洗濯機を回すことがよくあるので、寝る時も毎日耳栓をつけて寝ている。耳栓だけでは不十分な時は、耳栓の上から防音マフを装着する。で、気になったのが、こんな暮らしをしていて、耳に悪影響が生じないのかということ。検索してみると、どうも悪影響はないらしい。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317499333この知恵袋の質問、閲覧数:493お役立ち度に5人が「役に立つ」と評価。朋あり、遠方にて悩む。悪影響がないのは良いが、勿論何らかの影響はある。妙に耳の聞こえが良くなったような気がする。大音量で音楽を流している店などに行くと、音楽が耳に響いて痛い。我が愛用の防音マフは、H540A-411。耳栓はここでお得に購入。サイズや装着感は耳栓毎に異なるため、その時々に応じて適切な耳栓を選択する。一番強力なのは、MOLDEX CAMO PLUGS(モールデックス カモ プラグ)。しかし、これは長時間つけていると圧迫感が強すぎて耳が痛くなるので、他の耳栓では音を防ぎきれない時に最後の手段として使用している。普段は次の二つを主に愛用している。MOLDEX SPARK PLUGS(モールデックス スパークプラグ)E-A-R Classic Soft(イヤー クラシック ソフト)前者の方が強力。だが、その分圧迫感は強い。後者はそこらの薬局などで売られているものと同じだが、これが意外に優れもの。小さめのサイズであるため、子供や女性にもお勧め出来る。
2011/06/09
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http://www.youtube.com/watch?v=Jz4wolsUgFU&feature=youtube_gdataこれ、まさにその通り。左翼系の本はやたら置いてあるのに保守系の本は非常に少ない。例えば、保守系の雑誌『Will』はかなり売れている雑誌なのに、京都市の図書館はどの館にも置いてない。このような思想統制が、日本社会の様々な領域で隠密に行われている。
2011/06/01
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