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コジの命を使って作った反魂香。
青い魂の炎は小さいながらも力強くゆらゆらと赤い蝋を舐め、その身を躍らせている。蝋からはモンスターの血などから作ったとは思えない馥郁とした香りが部屋中にたちこめている。
反魂香による変化は僅かずつだが確実に現れ始めた。プッチニアの硬く強張った顔が徐々に柔らかくなり、まずは大きな血管、そして小さな血管へと新鮮な血液が流れ込み始めたのだ。最初は微動だった心臓の動きがやがて力強くなり、次いで自発的な呼吸がなされるようになった。
ハンスとレティはプッチニアの両脇に座り、少しでも早く体温を取り戻そうと手足を擦り始めた。ほどなくしてくすんだ青白い肌が熱を持ち、元の薄桃がかった白磁に色を変え始める。子供のように少し高い体温。金糸の髪にもキラキラと光を反射する艶が戻り、今にも起き出しそうな風情だ。
しかしプッチニアはその状態のまま一日半たっても動く事はなかった。
「どうしたんだ。何故生き返らない・・・。」
プッチニアの蘇生を確信していたハンス、レティの落胆ぶりは言葉で言い尽くせないほどだった。比翼はいたたまれず、暗鬱な空気の立ち込める部屋を出て外の空気を吸いにいった。
春とはいえ、高地にあるビスルに吹き抜ける風は冷たい。身を切られるような寒風に混じってついに雪が舞い落ち出した。降りしきる細かな雪の破片を見上げていると、まるで自分が落ちていくような感覚に囚われる。
『何度も材料を確かめ、コジが命をかけて作った薬だったのに・・・。何がまずかったんだ。何が足りないというんだ。
俺はこれからどうすればいい・・・。』
ここまでがむしゃらに突っ走ってきた比翼だったが、最後の望みをかけた薬が効かなかったことで今度こそ絶望の淵へ追いやられてしまった。
「比翼。」
ふと目をあげるとそこには見慣れた相棒の顔。
「・・・連理!」
ガッ!!!
比翼は連理を力いっぱい殴りつけた。
口の端を切ったらしく、連理の頬を血が伝った。
「・・・今まで何やってたんだ!」
「ごめん・・・比翼・・・本当にごめん・・・。」
うな垂れたまま、連理は詫びた。
連理に次に会ったらあれも言ってやろう、これも言ってやろうと用意していた怒りの言葉が殴った瞬時に吹き飛んでしまった。どちらにしても今は恨みごとなど並べている状況ではない。
比翼は振り絞るように、これまであったことをかいつまんで連理に説明した。
「そうか、やっぱり・・・。」
「やっぱりってなんだよ・・・。プッチニアは生き返らなかったけど、コジは命を懸けて・・・!」
「いや、反魂香は効いている。プッチニアの体は体温を取り戻し、心臓が動き出したんだろう?意識を取り戻していないのには理由があるんだ。」
「理由?」
「これから村長の家に行く。ある術を行ってもらうために。」
「村長って・・・プッチニアを殺そうとしている奴だろ!なんの術かは知らないけど、協力してくれるわけがな・・・。」
「協力してくれるさ。村長がプッチニアを殺そうとしたのは禁断の術により生み出されたホムンクルスだからだろう。普通の人間なら話は別のはずだ。」
「・・・は・・・?どういうことだ?」
「順を追って話そう。僕はあることを確かめにソルティーケーブへ行ったんだ。」
お前と別れ、しばらく膝を抱えて暗闇で過ごしているうちに僕はだんだんと気分が落ち着いてきた。
どんなに可能性が低くても、とにかく進まなきゃいけないってことに遅ればせながら気付いたんだ。
しかし残された時間はあとわずか。
二人で同じものを追っても意味がない。
蘇生薬は比翼があの本を手がかりにきっと何とかしてくれる。薬はまかせて、僕は別のことを調べてみよう。
ホムンクルスについてはまだ謎だらけだ。そこにまだ何か大事な事が隠されているに違いない。
しかしフィロウィは死に、研究室は灰塵に帰した。
ホムンクルスに関する情報が欲しくても、ここに残されている暗号本を読破する時間はない。
他に何かないか。
手がかりになりそうなもの・・・手がかりになる人間・・・。
僕はまずロビンに会いにアウグスタの大聖堂の奥へ行った。4番目のマップクエストでプッチニアに『フィロウィの命によりクラフトヒストリーを開けるべからず』という魔法をかけ、それに忠実に従って書物を開かなかったプッチニアの存在をフィロウィに伝えた女。フィロウィと通じているのであれば、ホムンクルスについて何か重要な事を知っているかもしれない。
しかしあの場所に女はすでにいなかった。
再び気力が萎えかけたとき、ふっと思い出したんだ。違うマップクエストで、あるモンスターが不思議なことを言っていたのを。
覚えているか?マップクエストでソルティーケーブへ古代ヴァンパイアの眼球を取りに行ったときこと。あの恐ろしく強かったモンスターがプッチニアに「お前の中身はあの時と同じ、赤子のままだ。」と言って自らの眼球を差し出し、その後追求を避けるように姿を消した。
ダンジョンの奥で息を潜めているモンスターとプッチニアが赤ん坊のときに出会うということは、誰かがそこに連れて行かなければいけない。だがハンスやレティがあんな危険な場所にわざわざプッチニアを同行させるとは思えない。
とすると、残る可能性は・・・。
一人であのダンジョンを抜けるためにいろいろ準備をして、ソルティーケーブに向かった。そして時間はかかったけれど、なんとかあの部屋へたどり着くことが出来た。
古代ヴァンパイアはあの時と同じように暗紫色の髪をなびかせ、部屋の中央で悠然とした微笑をたたえていた。
「ん?誰かと思えば、あのときのエルフのこわっぱではないか。」
「お久しぶりです。その節は失礼しました。」
「クエストなのじゃから気にすることはない。ところでこんなところに一人で何用じゃ?わしの目玉がまた必要になったのかの?」
「いいえ、今日はお話を聞きに参りました。」
桁外れに強いモンスター、古代ヴァンパイア。こうして対峙しているだけでもその力がびりびり伝わってくる。あのときは比翼とプッチニアの支援があったが、それでも全く歯が立たなかった。もし戦うことになったら・・・。そう思っただけで身がすくむ。
しかし古代ヴァンパイアは面白そうにほほっと笑い、
「わしのような者と話とは、長生きしていると珍しいこともあるものじゃの。よい、ちょうど退屈しておったところ。茶でもしんぜよう。」
奇妙なほど大きい骨ばった手で石壁にかかった額の縁に触れると、部屋の端にあった柱の一つに大きな穴が開いて下へ降りる細い階段が現れた。古代ヴァンパイアに促されるまま薄暗い階段、それに続く廊下を手探りで進むと、臙脂色のカーペットが敷き詰められた古めかしい部屋に到着した。全体的にはバロック調だが、ところどころに異国の飾り物が置かれ、ちぐはぐな印象を醸し出している。それはこの男の生きてきた歴史そのものであるように連理には感じられた。
中央のテーブルセットに腰を降ろすとソファーから埃が舞い上がり、連理は少しむせこんだ。部屋は黴と埃でとても寛げたものではなかったが、ヴァンパイアが淹れた紅茶は素敵にいい香りがした。
温かい紅茶でゆっくりと喉を潤してながら、連理は炎のモンスター襲撃事件からプッチニアの誘拐、仮死状態に至るまでを淡々と話した。
眉一つ動かさず静かに話を聞いていた古代ヴァンパイアだったが、やがて厳かな声で切り出した。
「なるほど。お主が主人と離れて旅している理由は分かった。しかし何故わしにそのような話をしにきた?」
「不躾ながら単刀直入にお聞きします。貴方はフィロウィをご存知ですね?」
「・・・!」
生気も表情もないヴァンパイアの顔。しかしその目に一瞬狼狽の色が走るのを連理は見逃さなかった。
「何故そう思う?」
「前にここを訪れた際、貴方はプッチニアに『あの時と同じ、赤子のまま』と仰った。しかし彼女は養父母であるハンス、レティの元へ来てから14になるまであの村を離れたことがないと言っていた。だとしたら貴方に会ったのはその前、フィロウィがここに連れてきたとしか考えられないのです。」
「・・・ふむ、それで?」
「大事な自分のよりしろであるプッチニアを、わざわざこのような危険なダンジョンの最奥部まで連れ出してまで貴方に会わせた。そして貴方はプッチニアに再会したとき、彼女を知っていたことを隠そうとした。その理由を僕なりに考えてみました。」
一呼吸おいて、連理は自分より格段上のモンスターを少しも恐れることなく、藤色の長い睫毛に彩られた深紅の瞳の奥をじっと見つめた。
「・・・ネクロマンサーの術のことをフィロウィに話したのは貴方。そうですね?」
古代ヴァンパイアは重く目の前に垂れ下がった前髪をかき上げ、視線を連理に向けた。
「ほっ、たいした慧眼じゃ、エルフのこわっぱ。歳は幾つになる?」
「今は僕の歳の話をしているときでは・・・。」
「エルフの寿命はせいぜい400~500年。人間などよりはずっと長く生きるとはいえ、遥か古代から生きるわしにとってそれは瞬きほどの時間じゃな。」
注ぎ口が少し欠けたティーポットから茶褐色の液を空になった自分のカップに注ぎ、美貌のモンスターは優雅な手つきで口に運び、その馥郁たる香りを吸い込んだ。
「わしは永遠の命を持つ闇の魔物。この場所に居を構えるようになってから気の遠くなるほど長い間、この薄暗いダンジョンの中で目玉を狩りに来た人間を迎え撃つことだけを慰みにしてきた。負けたものは死んでその骸を晒し、勝って目玉を手に入れたものでもわしを恐れて二度とこの場所に足を踏み入れる事はない。しかしただ一人、妙に懐いて度々遊びに来るようになった男がいた。それがフィロウィじゃ。
病気になる前、奴はよく笑う陽気な若者での。『あの町のこういう料理が旨かった』だの『どこそこのダンジョンにあった不思議な仕掛け』だのと、いつもくるくると取り留めのない話をしては帰っていく。変わり者の生意気な小僧と思いつつも奴の土産話が面白く、わしはいつしか来訪を心待ちにするようになった。」
すみれ色の長い睫を伏せ、こう続けた。
「何度目の訪問だったか、奴はいつになく塞いだ顔をしていた。顔色も悪く、話も要領を得ない。どうにも気になって聞いてみると、ぽつり、ぽつりと自分の病について語り始めた。いつも楽しい事ばかり話していた陽気な男の口から漏れてくるのは、そのような運命を与えた神への呪詛だけだった。
もともと人の命は短い。しかしそのとき奴はまだたった28だった。快活で才能に溢れ、これから素晴らしい未来が待っているはずだった男。『何故よりによって自分が?』。そう思って神を恨み、どんな事をしてでも生きながらえたいと思っても仕方がないことだ。
・・・そしてまたわしも思ってしまった。もしも奴がわしと同じ不死の体を得たならば・・・、同じ時を生きてくれたなら・・・と。」
「そして仮死になる方法と『マリオネット』の術を教えてくれるネクロマンサーを紹介したのですね。」
「そうじゃ・・・。しかし奴がまさか正気をなくしてしまうとは思わなかった。ましてや聖なる炎により村を追われたフィロウィがさらに禁断の術に手を染め、人造生命を創って自らの体にしようとするなどとは・・・。」
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つづき
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