第23章

試練








 私は独りだった。
 この広い森を与えられてなお、鼓動する音は一つしかなかった。
 森を出ることは、禁止されていた。誰に禁止されたかなど覚えてはいないが、私はその約束を頑なに守っている。タブーを忌避する宗教者のように。
 独りには慣れていた。
 けれど、時折襲う懐かしい感じが、私に計り知れない寂寞の思いを感じさせた。何に対する感情なのか、それは分からないけれども。
 だから、私は彼らを創り出した。何故かすんなりと彼らを創ることが出来たのは、この胸の内の懐かしさが故なのだろうか。
 まさか後に彼らが“神”などと呼ばれるとは全く予想していなかったけど。
 初めに創った4人に私の森を区分して与え、私中心部の全てを見渡せる大木から彼らを見届けていた。彼らも私と同様に、“神”を創り出していった。彼らは誇らしいくらいに、とても優れた治世者たちだった。
 しかし、4人は競うにように“神”を創り続け、いつしか増えすぎた“神たち”は、己の位置を求めだし、強さによる優劣を決め始めた。
 私の子どもとも言える彼らが殺し合うのは、とても悲しかった。
 だけれど、私の中にも、戦いの記憶があった。不条理で、不平等な、いつ終わるともしれない赤の記憶。だから、私はその戦いさえも見届けた。
 いつしか戦いは終わり、私の創り出した子どもたちの子どもたちが、森を動かし始めた。
 そして私は、今なお彼らを見守り続けている。
 彼の、不安も全て。




 その日は、思いのほか簡単に訪れた。いや、長い歴史を考えればたった一瞬に過ぎないか。雲一つない、快晴。
「いい天気だ」
 昼過ぎのレイとの戦闘訓練を終え、ゼロは大きく深呼吸した。初めは違和感を覚えていた中央の空気にも、最早完全に順応したらしい。西に帰った場合が逆に不安にもなるのだが。
「いい身分だな。戦いはまだ終わってないというのに」
 皮肉りながらも、アノンの表情も穏やかだ。
 今日決着をつけに行こうと彼が思っているなど、彼女には知る由もない。



 夕刻、ゼロは一人家を出た。アノンはミュアンと共に買い物に行かせ、レイは昼過ぎから外出しているため、誰にも目撃はされていないはずだ。
 家からシーナの砦まで歩いて1時間半ほど。
 ちょうど人影が見えなくなる、ほとんど使われていない街道に差し掛かった頃だった。
「待っとったで、ゼロ」
 手近な木に寄りかかる形で、彼は立っていた。
「まぁ、なんとなく予想はしてたよ」
 呆れたように、ゼロがかぶりを振る。それを見たレイも苦笑する。
「俺がここでお前を止めようとするのも、予想の内やろ?」
「当然」
 お互い心中を探り合うように、不敵な笑みを浮かべながら言葉を交わす。
「それやったら」
「話は早いな」
 ゼロが言い終わる前に、レイが動いた。
 愛剣を木の根元に置いたまま、ゼロに殴りかかる。
 レイの右ストレートを左に身体を流し避ける。一瞬戸惑いを見せたゼロだったが、レイに合わせ彼も愛刀を手放した。
「ゼロ一人で行って、勝てる見込みがあるんかい?!」
 続けざまにレイが拳を振るう。
「今回ばかりは、誰かに頼っちゃ、勝っても意味が、無いんだよ!」
 レイの攻撃をかわしつつ、ゼロも拳を突き出す。華奢とも言える二人の腕からは、攻撃を当てようとも決定打は決まらない。
「勝てない戦いは、もっと意味ないやないか!」
 レイは知らない。ゼロが抱えている問題を。“直系にのみ許された第二の扉”の存在も。
「勝てない勝てないって、やってみなきゃ分からないだろうが!」
 ゼロも知らない。どうしてレイが頑なにゼロを止めようとするのかを。
「“神魔団”との戦いで、血吐くまで、ボロボロになったのは、どこのどいつや?!」
 段々と両者の動きが鈍くなってくる。殴り殴られ、まるで子どものケンカの様相を示す。だが、どことなく二人の表情に楽しげなものが浮かんでいるような。
「どうしても! どうしてもやらなきゃいけないことがあるんだよ!!」
 レイの拳をかわし、ゼロが彼の腹部へアッパーを入れる。
「かはっ」
 疲労と相まって、ついに彼の膝が地に落ちた。
 彼を見下すゼロも肩で息をし、足元もおぼついていない。
「ここは俺に任せて、リーダーは戦勝報告を待っとけ」
 そのまま身を翻し、シーナのいる砦へと歩を進める。
 レイは、その場に倒れ、去りゆくゼロの背中を虚ろな眼差しで見つめていた。
―――絶対に、死ぬのは、許さへんからな……。





「ただいまー」
 ミュアンとアノンが買い物を終え帰宅しても、レイの家には誰一人いなかった。
「あれ?」
「誰もいないようだな」
 レイは朝から出かけていたため、まだ帰ってきていないのかもしれないが、ゼロは買い物にいく二人を見送ったはずだ。
「図書館でも行ったのだろうか?」
 アノンがそう言っても、ミュアンは何かとてつもない不安を覚えていた。





 日も沈み、森に暗闇が落ちた頃、ゼロ・アリオーシュはシーナ・ロードの砦へと到着した。
 地下への入口のある神殿の入り口に、彼は立っていた。
「戦う前から、ボロボロだな」
 月明かりに照らされたゼロの様子を見て、彼が話しかける。確かに、頬は赤くなっていて、衣類も汚れている。
「ちょっとした準備運動さ」
 余裕ぶって答えるゼロだが、確かに万全の状態ではない。
「そのまんま戦ったらフェアじゃないだろ!」
 突然神殿の中から声が聞こえ、緑色の光が一瞬ゼロを包み込んだ。
 不思議なことに、外傷が消え、疲労が和らいでいく。
「すごいな。流石神様だ」
 こんなことが出来るのは、エルフの森では間違いなく彼女しかいないだろう。神殿の中から現れた少女を見て、ゼロは抑揚もなく賞賛した。
 照れくさそうに、だが威張るように少女は腕を組んでいる。
「フィエルが俺以外のヴォルクツォイクに能力的関与をしたのは、お前が初めてだ。感謝するがいいさ」
 確かに一般的に考えて、種族の神である彼女が、たかが一エルフに過ぎない者に施しをするなど、到底ありえない話であろう。
「まぁ、これでお前の数少ない勝率も僅かながら上がったかもな」
「そういうことを、あんたが言っても嫌味にしか聞こえねえよ」
 ため息交じりにゼロが漏らす。
「ま、ややこしい話はなしだ。さっさとこの覇権を賭けた戦いを終わらせるとするか」
 シーナが抜き身の刀を右手に持つ。
「戦う前に、ひとつ聞いてもいいか?」
 臨戦態勢に入ろうとするシーナを余所に、ゼロはまだ構えずに、話を切り出す。
「なんだ?」
「あんたは、本当に権力に興味があるのか?」
 これまでの彼を見る限り、シーナ・ロードという男に権力への欲求は欠片も見受けられなかった。むしろ、世捨て人のような今の生活の方が合っているとも言えるだろう。
「面白いことを聞くな」
 今一度、シーナは刀を鞘へ収めた。ゼロが昔使っていたような、簡素な代物だ。
「人を動かす欲望は多い、権力、財産、力、女……俺とて一般的欲求は持ち合わせている」
「お前は何を求めている?」
「“最強”の名を求めたことはあるか?」
 質問に質問で返され、ゼロは言葉に詰まった。
「俺の一族は、当然のことながらイシュタルの直系だ。仮にも四大神の一柱たる神の末裔として、弱さは許されん。それが言わば一族の掟だ。当然俺も親父から常に最強であるように言いつけられていた。この言葉の意味が分かるか?」
 返答に詰まる。正直に、彼がただの言いつけに縛られるような者には思えないのだが。
「俺は最強を求められる。だが、俺の親父も最強を名乗っている」
 ゼロは黙って彼の話を聞く。フィエルも黙って、表情を暗くしながらも彼の話を聞いていた。
「かつて俺には2人の兄と1人の妹がいた。当然そいつらも最強を求められるわけだ」
 何と無く、彼の話の意図が見えてきた。ゼロの頬に冷や汗が伝った。
「一番下の者が15になる時、兄弟たちは最強と殺し合うのが習わしでな。兄弟4人力を合わせて親父と戦った。4対1だが、かなりギリギリの戦いだったよ。その戦いの中で2番目の兄と妹は死んだしな」
「な……!」
 俄かには信じられない。一族、血族が殺し合うなど、考えたくもないことだ。
「そして生き残った俺と長兄がまた殺し合う。協力して最強を打倒した直後に、だ。俺がまだ17だった頃だ」
 言葉を失った。それが真実だとすれば、彼は壮絶な人生を経験していることになる。ゼロが17の頃と言えば、西王として統一戦争を繰り広げていた頃だが、自分には仲間がいた。だが、彼は一人ぼっちだ。その精神的負荷は言葉で言い表せるものではないだろう。
「くそみたいな話だろ? だから俺は俺の代でこの血を絶やすつもりだ。最強の名を、抱いたままな」
「直系の血を絶やすのか?」
「血の因果を嫌うお前でも、絶やすのは良くないと言うのか?」
「確かに最強の名を抱いたまま血を絶やせば、イシュタルは最強の名を抱いたまま伝説になるだろうさ。だが、それは逃げなんじゃないか?」
 今度はシーナが黙る番だった。
「掟を失くせばいいだろ。創造の神イシュタルなら、創造と破壊が表裏一体ってことも知ってるんじゃないか?」
「簡単に言ってくれる……。思うに、きっとこの掟も“森の意志”なのだろう。俺に子が出来れば、おそらく掟に支配されるだろうさ」
―――また“森の意志”かよ……。
 ゼロが表情をしかめる。相変わらずこの森はその不可視の存在に支配されているということを痛感させられる。“独創者”であるかないかの違いが、ここまで運命に従順かどうかを左右するなど、中央に来て知識を得るまで全く予想だにしていなかったことだ。
「そうだ、もっと簡単な考えもあるぞ」
 ふとした閃き。確かに最も簡単で、全てが丸く収まる方法。
「俺があんたに代わって最強になればいいんじゃないか?」
「何を言うかと思えば、お前みたいな奴に最強を名乗ることが出来ると思うか?」
 呆れたように首を振り、シーナは軽く苦笑した。それに対し、ゼロにふざけた様子はない。
「仮にも向こうじゃ最強を名乗らせてもらってるんだ、少しくらい知名度上がってもいいだろ?」
 ゼロの言葉を苦笑交じりにシーナは聞き続ける。
「よく考えたら、あんたに最強の名を残したままだと、俺がここで負けるっていう前提だろ? 俺は勝たなきゃいけないんだから、この前提を取り払うとすると、この考えが妥当だろうさ」
「確かに、筋は通っているが、筋を通すのと実際そうなるのでは、雲泥の差だ」
 刀の切っ先をゼロに向け、シーナが答える。ゼロの瞳にシーナの刀が映る。
「戦えば、答えも自ずと見えるか」
「ごもっとも!」
 ギィィィィン!!
 ゼロの言葉の直後、両者が動いた。両者とも武器は同じ、刀。森に数本しか存在しない、東方で主流と言われている片刃の武器。破壊力の高さの陰に、扱いにくさが存在する使い手を選ぶ一品だ。
 だが、今互いに刀を向き合わせている二人は、この森で1、2を争う猛者同士。この戦いを左右するのに武器に出番は回ってくるまい。ぶつかり合うは、互いの技量と信念か。
 鍔迫り合いにもつれ込ませることはせず、ゼロはすぐさま間合いを取った。
 筋肉量では、若干ながら分が悪い。さらに相手の出方が分からないまま接近戦はしたくなかったのが本音だ。自分の反応性に、自信があるからこその距離。
 再び敵が先に動いた。ゼロからは剣先しか見えない、ハッキリと突きと分かる攻撃。
―――速い!!
 単純な一撃に込められた、必殺の威力。速さになんとか対応し、左に一歩ステップを刻み避ける。だが、突きを繰り出し伸ばしきった腕が、あろうことか避けたゼロの方へ進行方向を変え、斬撃が迫った。
 敵はゼロが避けることを想定し、最初から突きのフリをした薙ぎを狙っていたのだ。
「ちぃ!」
 反応がコンマ数秒遅れ、衣服とともに薄く皮膚が裂ける。利き腕なのが、少々厄介だ。
 再度距離を置くゼロに対し、敵は間髪入れず次を放つ。
―――上か?!
 一瞬傷に意識がいった刹那、敵は視界から消えていた。本能で察知し、敢えてゼロも上へ跳躍する。
 重力に逆らう者と、重力に従う者が一点でぶつかり合う。
 甲高い音を響かせ、森が震えた。
 逆らいし者の懇親の力を込めた一撃は、敵との距離を生み出した。



 ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。
 やけにリアルに、自分の心臓の鼓動が聞こえた。
 ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。
 刻む音のペースは揺るがない。
 ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。
 揺るがないはずの音の中に、違和感がある。
 ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。
 まるで何かが目覚めんとするかのような気配。
 ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。
『勝チタイ。勝チタイ。勝チタイ、勝チタイ……!!』



 迫る敵の武器が眼前にあった。超絶な反応を見せ、ゼロはバク転の要領で攻撃を回避、次の動きの準備をする。少々意識が飛んでいた気がするが、今の反応は無意識下で動いていたのかもしれない。
 戦いながら、自分にぞっとする自分がいた。
 胸が熱い。
 心臓が発火しているのはないかと疑うような感覚。
 だが、そんな感覚とは裏腹に、身体の反応は止まらない。
 敵の攻撃を紙一重で避け続けている。
 敵の袈裟がけの一撃を、遠心力を加えた回転攻撃で弾き飛ばす。目まぐるしい視界の移動をものともせず、彼の動きに無駄はない。
 流れを止めずに、攻撃へと移行する。先の遠心力を利用し、間合いを取ろうとした敵へ一挙に接近、一閃。
「ちぃ!!」
 敵の左頬から血が滴る。致命傷ではないが、痛みに意識を奪われてしまう傷だ。
―――いける、いける、いける!!
 自分の意志で動いているはずなのに、どこか違和感を覚える。だが、彼は追撃を止めはしなかった。
 すぐさま相対距離を縮め、無駄のない連続攻撃へと繋げる。そのスピードに、敵の表情にも若干の焦りが浮かぶ。
 フィニッシュの一撃にタイミングを合わせ、敵のフルスイングと交錯し、また互いの距離が大きくなる。だが、今の攻撃中に敵に負わせた手傷は多い。
 ゼロの瞳が、深い輝きを放っていた。



「うおおおおお!」
 気付いたら、自分の敵が変わっていた。
 いや、敵だけではない。周辺の景色、いや、空間そのものが違うとも言えるような、足元が白く、それ以外は黒く、鮮明に自分以外の存在が映え出される空間だ。
 以外の攻撃が迫る。彼の手に握られるは、見たこともないような武器。自分の知識で最も端的に言い表すならば、馬鹿デカイ長騎剣か。ゼロの身の丈の3倍はあろうかという得物を、軽々と振り回す敵。
 黒髪と若干紫がかかった黒瞳、端正に整った顔立ちに秘められた猛々しい野性味と相反することなく際立つ気品。大きくはないが、たくましいと言える肉体。それら全て、どことなくゼロと似ている雰囲気がある。
 自分に攻撃してくる以上、敵なのだろうか。
 獣のように不敵な笑みを浮かべながら、敵が迫る。絶対的な間合いの外から来る攻撃に、容易には近づけさせてもらえない。武器の見た目の重量からは考えられない連撃をなんとかかい潜って敵へ接近していく。
「うおおおお!!」
 ゼロが敵を間合いに捉える。両者の一撃が、激突した。



 依然としてシーナは防戦を強いられていた。予想外の展開と言ってもいいだろう。
―――奴の呼吸を感じない……。始まったか……。
 経験者だからこそ分かる。“直系のみに許された第二の扉”を開けるための試練。
 本人が扉を開けた時、力が器から溢れ、暴走するのを防ぐため、試練を受けている者の体は潜在能力が全て解放された状態となっているのだ。シーナ自身は、父を倒し、兄と戦っている最中に今のゼロと同じ状態を経験した。
 当時のことを思い出すと、今でも背筋がゾッとする。
―――アリオーシュの試練がいかなるものかは知らんが、乗り越えてみせろ、ゼロ・アリオーシュ。
 当面シーナは潜在能力を解放したゼロと戦い続けねばならない。それ自体、かなりハードルの高いことなのだが。
「最強の名に誓って、お前が試練を乗り越えるまで時間を稼いでやる。お前が戻ってきた時、俺も力を開放しよう。真の決着をつけるぞ」
 再び迫るゼロの刀を防ぎつつ、シーナは今一度気合いを入れなおした。




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