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まずはわたし、頑張った!ド素人が医療業界に行っても、アカンです。初日から研修ひとつ受けることなく配属され、ゆっくり覚えればいいから、、、って、はぁ?知らない言葉で看護師さんから何かをするよう告げられ、わからないから同僚に聞いているのに「こっちも忙しいから」って、いやぁ、先生も待ってる、患者さんも待ってる、わたしは知らないから動けない😛わかる、忙しいのはわかる、でもそしたら、役立たずが一人前に立ってる場所ではない。診察の準備にかかる時間は労働時間ではないってのも、どうかと思う。(着替えだって今時は労働時間として認められるのに)さすがに朝の打ち合わせは、派遣会社に言って許可をもらい、時間外で申請した。当たり前じゃないか、立派な労働時間だ。まぁ、いろいろあって、またしても辞めた。いいよ、いい、嫌なら辞めていい。文句言いたくないから。一度きりの人生だから。そして、次の仕事も見つかった。事務で。よくぞ61歳を採用してくださいました!定年が65歳へとシフトしている過渡期だからか、単にラッキーだったのか。自分を信じて諦めなくて良かった。おかしいじゃんね、65歳まで年金はいただけないのに、60歳以上を対象にした求人で、普通に生活できるだけのお給料をいただける仕事は稀だ。シルバー人材センター的なところにも行ってみたが、出張ハローワークの窓口があり、希望時給を伝えると、「いやぁ、、、難しいですねぇ」って。ちゃんと見つけました。ハローワークの相談員さんたち、何なん?離婚して仕事を探している時も、鼻で笑われてさ。でもわたし、派遣から正社員になりましたけど。(辞めたけど)わたし、諦めませんから。そしてまた12月から新しいお仕事するんです。
2023年11月30日
上司に「せっかく正社員にしてあげたのに」と言われながら、定年前に辞めた。シニアで65歳まで残れたけれど辞めた。理由は、、、定年後を見越した異動先がつまらなかったから。黙って受け入れて、しぶとく64歳11ヶ月まで居残るのが賢い選択なんだろうな、と思いつつ、でもわたし、そもそも何十年もこの会社にいたわけでもないし、派遣からの成り上がりだし、退職金も少ないし、と言うか、もう我慢は嫌。二度と事務職で正社員採用なんてないけれど、次の仕事も見つからない状態で辞めた。介護、掃除、マンションの管理人、警備、、、やっと見つけたのは、某独立行政法人のコールセンター。「交通費支給」の派遣だったが、わたしは徒歩で通えたので、しつこく交渉して時給を上げていただいた。それでも7ヶ月しか続かなかった。複雑な内容と、融通の効かない案内、寄り添えない相談に心が折れた。鈍感力って大事。次に就いた仕事は契約社員。月給だし、仕事内容は良しとしても、重いPCとお弁当にお茶、上履きを背負って、毎日行く先が異なるので、家を出る時間も交通手段も変わり、変な緊張感があった。同僚の中には時給で働く派遣社員も多く、通勤にかかる時間も、わたしは短い方だった。派遣会社はいくつも登録したけれど、いずれもこの仕事は紹介してもらえなかった。だいたい「年齢、性別は関係ありません、何をしてきたかが大事です」とか言いながらも、Web面談で明らかに流される60歳おばちゃん、いやおばあちゃんか。おかげで直接雇用の契約社員で採用されたけど。(でも辞めたけど)もうね、文句ばっかり言ってなさい!って感じだけど、無理なものは無理。続けられない。そして次に見つけたのは、まったく知らない世界。未経験でも60歳でも大丈夫って言うし。10年前の時給に戻ってまた派遣で働く。カルテ?処方箋?間違えずにできるのか、わたし。
2023年07月25日
寒さで震えながら、6分咲くらいの桜を見て一升瓶を転がしてw こういう時間を大切にしたい。 利害関係のないただただ呑兵衛の集まり。 社会的地位とか、年収とか、学歴なんてのは何にも関係なく、一緒に呑んで笑って震えて、私をただそこにいる人として関わってくれる皆さん、ありがとう。 朝、目が覚めたらまたいつものように出勤するんだけど、仕事のことなんてぜーんぶ忘れてたくさん笑った。
2019年03月31日
6年ぶりぐらい? 保険屋を辞めて、クレジットカード会社の契約社員になり、それも半年で辞めた。 世の中にはいろんな仕事があるし、職に貴賎はないかもしれない。 でも、私は事務職を諦めたくなかった。 ハロワのカウンセラーには 「あなたの歳で事務職なんて、ありませんよ。20代30代でもなかなかありませんから。」 と言われ、面接の取次も「まぁ、面接だけなら自由ですけどどうします?」と迷惑そうに電話してくれた。 結局、ネットで探した派遣会社に登録し、事務職で派遣3年、そのまま直雇用の契約社員2年を経て、ようやく正社員になった。 この非正規雇用での5年のうち、派遣の3年は仕方ないにしても、契約社員だった2年はとても悔しい思いをした。 【私が契約した条件】 まず、社員同等と言われながら、同等に(いやそれ以上)働いても、時給。 派遣と同じく、お盆休みや年末年始を抱える月は生活できるだけのお給料を稼げない。 賞与はなし。 つまり、契約が変わって得たものは、交通費のみ。 この時点で、次の更新は辞めようと考えていた。 法律が変わり、非正規雇用のまま無期雇用に切り替えられるのが目に見えていた。 しかし、契約社員最初の更新書類に「賞与」の文字があるではないか! 少ないけれどないよりまし。 ただし!実はコレ、後日間違いだと言われました。 ここから戦います(笑) 一度契約したものを、悪い条件に、かつ遡って再契約って、あり得ないですね。 間違いが発覚するまで、すでにその条件で勤務しているのに。 直属の上司が普通に「間違いだった」と書類を持ってきたので、 ふざけるな! と、ばかりに社長他取締役に、個別で直談判いたしました。 次の更新はないかもしれないと思いながら。 派遣会社を通さないということは、自分で交渉するということです。 直属の上司は、交渉の余地はないと常に言ってましたが、コンプライアンスに引っかかりますね。 何を言っても上には上げず、握り潰す人なので、失礼を承知でスルーして直談判。 結果、わずかな賞与は契約書面に残りました。 契約社員の2年間、正社員での採用について、会社側は、社内規定がないとか、法律が変わって前例がないとか、他人事だと思って逃げ放題だった(と私は感じた)。 何やら規定が整うのに2年かかった、ということで、何もできない新人並のお給料で正社員(笑) 同じ職務で5年も働いているのにね。 時間はかかったけれど、事務職で正社員。 ハロワのカウンセラーさん、歳が大きくても可能性はありますから、見下してはいけませんよ。 給料は多くはないけど時給ではなくなり、まともな賞与の対象となった。 覚書としておこう。
2018年01月28日
月曜日は半休、昨日は休み、今日は…会社の同期生とランチしてそのまま世間話で午後の時間が過ぎたこんなんでいいのかま、常識外れの業界だからな一般企業なら立派な給料泥棒だ泥棒を抱えた企業はたくさんありそうだけど、残り少ないとは言え、いざ自分が給料泥棒の立場になると、メンタル面でしんどい毎日数字を追い掛けて西へ東へと散る同僚たちを横目に、いい気なもんだ私は腹黒い人間だけど、健康で元気に動けるのに何もしないなんて、ホントにもったいないこれは頑張ったご褒美なのか、後からしっぺ返しが来るのか、ちょっとスリルな日々でありますなぁ
2012年03月07日
つまるところが、やれる人は続く自分がされると嫌な事をやり続ける私には無理嫌われるのがイヤなんじゃなくて、自分を曲げることができなかった幸い拾ってくださる企業があるこんな時代にありがたいことです辞めると決まったら、まるで定年退職した人みたいにすることがないフォローできないので、新規開拓はもってのほかあと1ヶ月、仕事をしてるフリをして何をしよう…
2012年02月17日
バツつきが多い。家庭の事情はもちろん、学歴やキャリアなんか関係ないそして、喫煙率が異常に高く、皆さん髪の色がやたら明るいさらに、敬語がすこぶる怪しい誰でもWelcome保険会社の懐の広さはピカイチだそんな太っ腹の会社の幹部に聞いてみたい豊富な人材のせいなのか厳しく管理しないとあらぬ方向に行ってしまうからか「スーパー」つきのクールビズで節電が常識となった今でも、スーツ着用を義務づける炎天下でも同じく第一印象が大切、身だしなみが大切なのはわかるでも、スーツさえ着ていればいいのかうだるような暑さの中でも、ジャケットさえ着用していれば顧客の信用を得られるのか本当に大事なのは、誰でもWelcomeと迎え入れた人材一人ひとりが、自分の帰属、仕事、自社商品に誇りを持ち、数字ではなく、顧客のニーズに合ったものを、しっかりと販売できることではないのかまともな教育もせずにスーツだけ着用させて街へ放り出すなんて、社会の迷惑以外の何物でもない…と、新人は思うま、上記人材たちが親族や友人一同を巻き込んだらそれで十分かそのための誰でもWelcomeか
2011年08月21日
年始に車を処分したので、汗だくで歩き回る日々社会保険を引かれると、パートタイマーのような収入こんな状態で生活できるのか辞めていく人、解雇される人…、私は残れるのか保険屋なんて、嫌われて当たり前だ私も大嫌いだった断られて当たり前だ私も冷たくあしらった久しぶりの知人の連絡は、ネットワークビジネスか保険屋だそこまで人を追い詰める営業って、どうなの…と、心の中で言いながら、今は頑張るしかない。しばらくは辛抱しないと、ダメだろうなぁま、仕事があるだけマシか今週は、お盆休みもある1週間ごとに、気合いを入れ直していこう
2011年08月08日
もう派遣では働かないと決めた案の定、全く仕事がない土日祝休の条件を譲れば、販売などの職種で探せそうだけど、どうしても譲れないもがき苦しんだあげく、たどり着いのは保険屋さんこの口下手な私が、営業なんてできるだろうかノルマに負けそうになっても、絶対に身近な人を巻き込まないと心に誓い、募集人資格を取った契約が取れず、潰れそうになったら…辞める
2011年07月03日
半年近く空けた日記がコレだ…やっぱりね、よく頑張ったよ私もともと性に合わないというか、向いてない仕事でしただらだらと居続けることはできるし、とんでもないことをしない限り、切られることはない職場だけど…離婚という思い切った手段で手に入れたお気楽生活、我慢はイヤなんだなこの厳しい時期に、ワガママもいいとこだでも、もう契約更新はしない
2011年05月29日
独身になって2回目の年越し、今日でやっと今年の仕事も終わった。今年もいろんなことがあったなぁしかしアレです宝くじのハズレよりも悲しかったのが、某出会いサイトどっさり届くメールから、選りすぐったメンズのはずが…まぁね、お相手の方々も同じ感想かもね。リセットして、新年を待ちましょう楽しく行こう
2010年12月30日
愛が目に見えるといいのになぁ。いろんな形の、いろんな大きさの、いろんな色の、愛がそこにあると、わかるように。できることなら触れるといいなぁ。温度がわかって、重さもわかる。見えないものを素直に信じて、疑いもしない、それこそが愛なら、愛することは案外楽なんじゃないか。
2010年12月12日
家に帰った時に灯りがついていること、あったかいご飯があること、洗ってたたんである、あるいはピシッとアイロン掛けされた、清潔な衣類、行き届いた掃除、すっきり整頓された部屋、いつでも空腹を癒やしてくれる冷蔵庫、やってくれる人がいれば、どんなに嬉しいことだろう…仕事帰りにお茶しながら、友達と、そんなことを話して笑う買えないねぇ~と
2010年10月13日
自分のペースで生きたいと、つくづく思う。とても勝手だけれど、とてもわがままだけれど…もともと、合わせるということが苦手だ。そこへ、歳を重ねる度に濃くなる本質が、オレンジジュースみたいに濃縮されている。合わせるのは、疲れる。自分のペースでゆったり生活したい。
2010年08月12日
健康診断に行ってきた。去年は離婚前に確認しておこうと思って、5月に人間ドックを受けたけど、今年は会社の成人病検診。パソコンを睨みっぱなしの仕事なので、やっぱり視力が落ちたなぁ気にしていた聴力は正常値で良かった独身者は健康第一自分がコケながら背負うものはないけど、背負ってくれる人もいないので、元気でいないとね。生活は厳しくなったけど、お気楽になったからか…太りましたなぁ~手軽なやっすいもんばっかり食べてるからかなぁ
2010年08月07日
昨日はバテ気味だったけど、今日はこの暑さの中、お散歩がてら…やっちゃったバーゲンもひと区切りで人出も少し引いたデパートにて、再値下げのアクセサリーだけではもちろん終わらず、値引きしてない京都の扇子、限定販売のコスメ、肌触りの良い浴衣、渋い帯、ついでに下駄とバッグ、いつ着るんだろう…デパートではスルーしたサンダルも、何故か地下街では吸い寄せられてカネマツで購入1時間でお給料の半分が無くなった明日をも知れぬ派遣の身で、発作的に散財してる場合ですかでもね、必要なんです私には。恋するためのグッズがぁぁぁっ
2010年08月01日
離婚してから1年、目まぐるしく過ぎた。ここへは久しぶり毎日カレンダー通りに働き、たまには飲み過ぎて、お金もないくせにアレコレ買ってみたり、また発作的にベトナムへ行き、18年支えてくれたネコを天国に送り、慢性化した蕁麻疹に悩まされ、娘の非人間的生活に小言を並べ…、そろそろ恋をしても良くないですかもう結婚はしないだろうけど、友達以上の男性がいてもいいと思うなぁ大人な恋ね。あ、でも、よその旦那さんをお借りするようなのじゃなくて(笑)
2010年07月31日
早っもう4月も近いではないですか。石垣島、西表島、由布島、竹富島、行ってきましたよ、ひとりで。精悍な若者にはもちろんスルーされながらも、じーさんたちにはちゃんとナンパされ(笑)、「じーさんかい」と心の中で毒づきつつ感謝もしました、ええ。もっと哀愁に満ちたうるうる旅行かと思いきや、意外に丈夫だな、私いろんな事を思い出したけど、実はすっかり気持ちは前を向いていることもわかった。ただひとつ、やはり成人していても、娘には申し訳ないと思う。きっと息絶えるまで思う。後悔はないし、自分の選択を過ちとは思わないけれど。別居から1年、日記を読み返してみると、たとえ誰もほめてくれなくても、自分だけは認めてやろうよく頑張った私っ
2010年03月29日
2月が終わろうとしている。2008年末~2009年お正月、沖縄へ数年ぶりの家族旅行、3人で年を越し、しばらくして別居が始まった。夫婦って、お互いに続ける努力をしないと続かない。私もいろいろ考えていた時期だけれど、夫も娘にだけは「最後の家族旅行になると思う」と伝えていた。娘は言葉の意味をどこまで理解していただろう…。夫はどんな思いで過ごしたのだろう…。当たり前に免税店で浪費している私を、どう思っていたのだろう。仕事も半年経ち、有給休暇が取れるようになった途端に何故か沖縄へ、とても行きたくなった。行こう私のかつてのスタンダード、ひとり旅で。
2010年02月28日
標準報酬月額改定通知書が届いた。…A合意分割とB3号分割、2枚。平成19年以降3号分割は無条件で5割、それはわかる。同時期にAの合意分割にも金額が入っていて、その金額がBの3号分割と違う。またしても電話で確認、「どっちが正しい」きっと、事を複雑にして、電話がかかってくるのを待ってるんだと思うなぁ誰にでもわかるように通知書を作ってくれ結局、先に標準報酬月額を半分にしてAの合意分割に載せて、次に上限に合わせてカットした金額をBの3号分割に載せたらしい。わかりやすくできないのかなぁ…
2010年02月09日
一体どーなってるんだねんきんダイヤルはどこへ何を持って行くのか、確認するたびに言うことが違うなんて結局、二人揃ってねんきん事務所へ行けるなら、公正証書なんて要らなかった。二人で行く場合に必要なのは、二人の・みとめ印・戸籍謄本(婚姻期間のわかるもの)・住民票・年金手帳・運転免許証(本人確認資料)…以上。先に分割する年金の情報を請求しろだの、分割割合を書いた公正証書が要るだの、いい加減なこと案内して二度手間は避けたかったので、4回電話した。有料の専用ダイヤル。疲れたわ…でも、やっと終わった、と思う
2010年01月20日
ネットで調べると、分割を申請する時に、社会保険事務所に提出する書類がわかる。離婚後2年以内に申請する必要があることもわかる。がしかしっ…公正証書がわからない。ネットでは、やたらと司法書士事務所が上がってくる。ふ~ぅん、離婚て面倒だな。自分でできないのか自分の離婚なのに。私逹は協議離婚だし、年金は半分くれると言われている。文句ないでしょ。公正証書とは、どうやらそれを証明するものらしいということはわかった。公証人役場というところで作っくれるらしいこともわかった。電話をかけて聞いてみたら、やや上からの物言いのお姉さんが言うには、・二人の運転免許証(本人確認資料、夫のはコピーでも良い)・二人の年金手帳・年金情報通知書類などを持って、作成依頼に行くらしい。出来上がったら、内容を確認する必要があるので、二人で受け取りに行く。本人が行けない場合は代理人を立てる。(委任状が要るんだろうな、未確認だけど)態度のデカイお姉さん、ありがとう。近いうちに行きます。
2009年12月10日
前の家でご近所だった、娘の保育園時代の母友から、携帯に留守電。「最近プジョー見かけないけど、まだここに住んでるよね電話ください」何にも言わずにごめんねあわてて折り返して、事情がわかった「実は洗濯物があまりに違ってたから、引っ越したかと思って表札を見たんだけど、変わってないし」※注「あまりに」が、ミソです(笑)元ダンから再婚話は聞いていたし、相手が子持ちなのも知っていたので、別居から離婚、現在に至るまでを話した。つながりの数だけ説明しなきゃいけないんだな。親類への転居のハガキで一波乱あって、やれやれと思っていたけど、事情聴取はまだまだ続くんだなぁ…どうでもいいけど、モトダンて漢字にするとガンタンぢゃん。
2009年11月26日
昨日は結婚記念日でしたね。もうお互い関係のない日になっちゃったけど…ずっと毎年家族3人でケーキを食べてきたけど、今年はひとりでケーキもなし。ホールケーキを食べる日が2日減りました(笑)昨日とあなたの誕生日。ここは、式を挙げた教会が近いから、時々鐘が聞こえます。引き摺ってはいないけど、思い出は心の中にずっとあります。娘は間もなく、私がウェディングドレスを着た年齢を越えます。娘を見ていると、私も何も知らなかったんだなぁと感慨深いです。明日、生命保険の変更手続きをしたら、やっと区切りがつきますね。どうかまた新しく、幸せな家庭を築いて欲しいと願っています。あ、私たちが築いた家庭も悪くはなかったでしょ
2009年11月07日
年末調整のための保険料控除証明書が届く。ぼーっと眺めながら、火災保険に入っていないことを思い出した。ここは鉄筋コンクリートのマンションだけど、世帯主が40代で、二人分の家財と地震保険も足すと、年間数千円では済まない。ふと実家を思い出し、参考までに保険料を聞いてみようと、久しぶりに父に電話をした。元気にしていることを伝えると、「お前のことだから心配はしていない、でも、どうしているか気にはしていた」と言われた。そうだよねぇ…弟も家を出ていて老人二人の暮らしだし、離婚して実家に戻るという選択もあったけど、私は戻らなかった。姓も戻さなかった。昔、自分が正しいと思った道を行きなさいと、迷う度に何度も言われたけど、今も変わらず「お前が自分で選んだことだから」と、一切非難しない父。ありがとう。先は厳しいけど、自分を信じて頑張って生きて行きます。
2009年10月28日
全てのことが良くない方に流れるもういいよね、私じゃなくても理不尽なことが多すぎて疲れたなもういいよね、私がやらなくても何もかもが面倒で大事な友達の呼び出しも楽しみにしていたお買い物も全部パス頭の中を整理する時間がなくて気持ちだけ空回りして何ひとつ形にならないそんな日もたまにはあるとよく知っているけど…今日は笑えない笑いたくても笑えないただちょっとだけ、休みたいもういいよね…
2009年10月27日
昨日の歌に感動したので、うちでも是非歌ってくださいと、うれしい電話をいただいた。落ちてる時にもいいことがあるもんだ別の音楽で路上でも歌うんだけど、ご機嫌なおっちゃんがお札をポンとくださる時がある。リクエスト曲を丁寧に歌っているのを、しみじみ聴いてくださるのも嬉しい。若いお兄ちゃんが、アンプの上にコロコロと硬貨を置いてくださるのも嬉しい。今、歌えることを本当に幸せに思う。歌わせてもらえることに感謝。
2009年10月20日
若いっていいなぁ趣味の音楽で、某所で歌って帰って来たら、娘がパーティードレスで出掛けるところ会場はすぐそこだけど、さすがにいつものチャリでは…(笑)娘よ、あなたの人生はこれからだから、どうか楽しく生きてちょうだい。幸せになるために生まれたんだからそしてもちろん私も、可愛いドレスは無理だけど(笑)楽しく笑って生きたいそんな日ばかりじゃないのは百も承知だけど、だからこそ、なるべく笑っていたいと思う。時間は戻せないから。
2009年10月18日
都会生活は便利だけれど、車がネックであります。派遣の薄給で駐車場に毎月31,500円…、今は娘がいるからいいけど、これはキツイ。だいたい、車なんて要らない。車検に18万、税金4万5千円、保険も娘が乗るから高い誰か…シェアしてくれないかなぁ。
2009年10月16日
いいお天気娘とのふたり暮らしも慣れてきた。今日は近所のカフェでランチして、自転車で若い人で賑わう町へ。帰りにデパートも寄れるし。マンハッタンとは全然違うけど、名前だけはセントラルパーク。緑もあるし、隅っこならベンチでタバコも吸えちゃう。こんな便利なところに住むことになるなんて、想像もしなかったなぁ。離婚して2ヶ月と半分(笑)お金の面での心配がない、と言えば嘘になるけど、友達の愚痴も「ふぅ~ん」と聞き流し、今は手に入れた自由を満喫している。今月はやっとお給料も満額入るし、保険も年金も加入できた。頑張ろう、わたし
2009年10月12日
決まったうちから自転車で行ける銀行で働かせてもらえる。派遣だから先が明るいとは言えないけど、それでも本当にありがたいことです。あ~、ご飯が食べられる、良かった履歴書を何枚書いても不採用ばかりで、もう自分は不要な人間かもと凹んでたけど、まだ拾う神あり、感謝
2009年08月07日
夫からメールがきた。役所に届出をしましたと。これで正式に離婚したことになる。すっきりしたような、しないような…別居していたので、もう心の中ではお互いに区切りがついていたんだと思う。お世話になりました。私はこのまま苗字を変えずに行こう。だって、こっちのほうがつきあいが長いんだもんね。いろんなことがあったなぁ…まだまだ人生これからだし、巻き返さないとなっ。
2009年07月29日
20周年の記念日に、私だけブルガリのリングを買った。離婚届にハンコを押した時に外して、しばらくは何だかスースーして寂し気だったけど、やっと慣れて気にならなくなってきた。このまましまい込むのももったいないから、そのうちまたファッションリングとして使おう元気出して明るく行かないとなっ仕事も決まらず、お先真っ暗だけど、泣いても笑っても太陽はまた上る。どうせなら笑っていたい。リングを外した左手はそれなりに寂し気だけど、自由を手に入れた私そのものだ。
2009年07月29日
「片付いたら一度呼んでください」と、夫からメールが来た。どーして見ておきたいんだろうか。今さらなんの興味があるんだろうか。う~ん…ボロマンションでゴキ太郎が出ますが。会社の用事で夫の留守宅に行ったら、テレビも冷蔵庫も洗濯機も、ソファーも入ってた。もういいじゃんね、私の生活なんか知らなくても。彼女ができたみたいで、援助のお金も打ち切りだし。(前からいたんだとは思うけど)確かにいただいたお金で買ったマンションだけど、呼ぶのか私…
2009年07月27日
足が痛い、ひたすら痛い…歩き疲れ段ボールはなくならず、それでもエアコン、電話とネット、電気工事、全部終わったここは便利な場所だけど、こういう街中はコンビニも駐車場がない。とにかくよく歩く。自分の駐車場は建物の真裏、荷物を抱えててくてく…。ふと思った。ニューヨークにいるみたいだ。自分の車があるし、公共交通機関の運賃はこちらの方が高いけど(笑)アパートメントホテルで滞在したときは、毎日足がこんなに痛かったのを思い出した。荷物が片付かずちょっと不便だし、ニューヨーク気分満喫の2日目であります。明日は仕事の面接1件、見込みは、う~~ん…
2009年07月22日
荷造りも終わり、夜が明けたら引越屋さんがくる。明日のお昼には新しい生活だ。引っ張ってきた別居も、いい加減にカタをつけないとね…。夫が置いていった離婚届に署名捺印する。案外冷静なもんです。今までお世話になりました、ありがとう。たまには娘を連れ出してやってください。ふたりの自慢の娘です。そしてどうか、あなたの次の人生が幸せでありますように、心から願っています。でも、添い遂げられなかったことを申し訳なく思うと同時に、こういう選択も私達らしいんじゃないかとも思います。そこがいかにも私だと、あなたは苦笑いしそうですね。23年間、あなたは幸せでしたか
2009年07月20日
家の中で段ボールと不燃ゴミに埋もれている。私は夫の稼ぎからどれだけの物を買ったのだろう…明日は資源回収なのが幸いして、タンスの中の衣類もごっそり。そして、離婚はエネルギーを消費すると先輩たち(私の友達)が言ってたけど、直面するとよくわかる。精神的な部分もそうだけど、体力的にもきつい。ま、いろんなパターンがあるんだろうけど。…それを身をもってしるから、みんな多くを語らないんだろな。
2009年07月19日
段ボールを箱の形にして、ガムテープ貼って、さて、何からいこうか…私の部屋から続く納戸を開けるえ゛トランクを出さないと何にも出せないあ~、これで娘とドイツ行ったなぁ。小さいのは今年の年越しで沖縄に行った時も使った。夫は最後の家族旅行だと決めてたんだなぁ。手前の物を少しだけ動かして、手が止まった。「夫は幸せだったのかなぁ」「私は夫の人生を台無しにしてしまったのかなぁ」夫は、母に他界された私の父が継母と再婚した歳よりうんと若い。どうぞ優しい人を見つけて、やり直して欲しいと思う。お互いを思いやることができず、それぞれ別の方向を向いてしまったけれど、私は夫のことを応援したい。手を貸すことは困難だし、一心同体はもう無理、でも、頑張って欲しい。一緒に歩いて行けなくて、申し訳ありません。
2009年07月10日
マンション受け渡しの日が決まり、お金も口座に揃えた。引越の日も決まり、段ボールが届いた。光テレビやインターネットの解約手続き、郵便局へ転居届も済んだ。仕事だけは決まらない(笑)それでも進むしかない。
2009年07月05日
占いを気にしてたらキリがない。…そう言いながら、実は気にしなさすぎに生きてきた。細木先生によると、私は大殺界の3年目ま、そろそろ上向きになっても良い頃か。この時期には事故、病気、離婚など、人生の危機に遭遇するそうな。当たり~と、喜んでいるわけにいかない現在です引っ越しで吉方位、凶方位などと聞くけど、今年は南に移動してはいけないらしい。買ったマンションは南だ…大殺界の時にはそういうものを選んでしまうのか…でも、そのマンションの契約書を見ると、去年までは著名な方の持ち物だとわかり、なるほどぴかぴかにリフォームされてるわけだと喜んでいた。う~んいろんなことがいいことなのか悪いことなのか、あの世に行く時までわからないと思うんだよね。すべては気の持ちようで
2009年06月11日
1ヶ月…なーんにも変化がなかった。それなりに動いてはいたけど。派遣の仕事も相手先が「おばちゃんは要りません」だし、正社員なんて応募する前の電話で蹴られる。年齢を重ねて、いかに使えない人間になったかを思い知らされる。・仕事を覚えられなくてすぐに辞める・若い人の下で働けない・柔軟さに欠け、人間関係でコケる…・更年期でカリカリしている言い出したらキリがないんだろうなぁ。エクセル、ワード、キャド、簿記、英検…何の役にも立たない。「おばちゃんは一般的に…」で、くくられる。悔しいけど、こんな不況ではしょうがないな。仕事を選んでる時点で間違っているらしい(笑)あまりにも進まないから、住まいを先に確保することにした。逃避だな。出て行った夫に、いつまでも不自由な思いをさせてるのも気の毒だし。私は無職だし、娘も社会人2年目ではローンも組めないので、現金で買える中古マンションを買った。虎の子はたいて、老後どうするんだろ、私。
2009年06月10日
娘と出かけているうちに、夫が仕事の用でうちに来ていた。さらに、離婚届に署名捺印して置いていかれたん~~、これは「早くしましょう」ということですねまだ仕事、ないんですけどっ
2009年05月10日
ひとりでご飯を食べていく気持ちだけは前を向いていても、ビジョンが明確ではないインターネットで何とかならんやろか…ニッチなところを狙って…探りながらも、はたしてそれでご飯が食べられるのかわからない。今からの失敗は痛い。でも、一回こっきりの人生やし…失敗したらハハハと笑ってまたやり直すか離婚で壊すものを思うと、ちょっとぐらい冒険して失敗しても、大したことじゃないと思えてくる。私の人生、平均寿命からするとまだ半分やけど、こんなゴンタでいられる期間はそう長くないやろなぁ。だって、就職先、ないし…
2009年04月26日
4月22日、「よいふーふ」てぇっ11月22日も「いいふーふ」やろ。世の中の夫婦、どんだけ仲がいいんぢゃ…ま、いいけどね、崩壊してる身にはどっちでも。別居生活も2ヶ月めに入ってしばらく経つけど、なんだかんだで夫とは週1~2回顔を合わせている。私に収入がなく、ご飯を食べさせてもらっているので、仕事のお手伝いもあるし。ものすごぉく不思議な夫婦だろな、端から見ると。実は当事者の私にも、よくわからない働かなくてもご飯が食べられて、自由な生活をしている。デパートでお買い物する回数は減ったけど、近くのモールに行って気晴らしはできる。趣味も相変わらず続けてるし。たいそうなご身分だ…。夫に何も文句はない。当たり前だ。はて…これはこれで、「よいふーふ」ではないのか(笑)
2009年04月22日
とりかかりましたよ、ええ…それはもう、端から見ると面白いぐらいの、私らしい凝り様ででもね、先行投資は慎重にいかないとね失敗して取り返しのつく歳じゃないんです、私。若かったら何にも考えずにやらかすんだろうなぁ…大人になると守りに入る。私も大人になったってことかネコみたいなこっそり忍び足で、慎重にとりかかる40代であります。でも目標はしっかりとコンセプトは明確に大人は、基礎をしっかり固めていきます。(本人はそのつもり)やらなきゃいけないんです、私
2009年04月18日
見つけましたよ、やりたいこと。ええ、それはもう、いろいろリサーチして。でも、それにとりかかれない諸々の事情によってひとまず続けている夫の会社の仕事、どうしても譲れない、大事な自分の趣味…目の前のことをこなすのに精一杯で、ちーーーーっともとりかかれない。でも、これってぢつわ、心の深いところで、まだ逃げてるのかなぁ…とりかかれないんじゃなくて、とりかからない…のかなぁ本当にしたいことなら、夜も寝ないでやってるかも知れない。新しいことを始めるのに、自信がないのかも知れない。勇気が足りないのかも知れない。失敗が恐いのかも知れない。ひとりでやっていかなくちゃいけないんです…認識が甘いのかも知れない。
2009年04月12日
「仕事がありません」と言いながら、楽しい計画はどんどん増えるでも、本当にに楽しいのかどうかわからない。あれもこれも、ベースあってこその楽しみではなかったか…ただ、今は先に進みたくても動けない…それも言い訳?楽しいことで一時期な気晴らしにはなるけど、戻るとまた落ちる。私は両足でしっかり立って、がしがしと歩いて行きたいんです。顔を上げて、胸を張って、歩いて行きたいんです
2009年03月27日
夫は相変わらず頑張ってお仕事をしている(と思う)夫のお給料日が近いので、「お仕事ないんです、生活費くださいね」と言っておく。ついでに、「年払いの私の保険が口座から落ちるんです」とも言ってみる。上記発言によって、常用口座の通帳とキャッシュカードを置いていった夫は素晴らしいご飯も食べられるし、家も変わらず、生活の変化もないし…変わったのは夫がいないことのみこれは大変おいしい状況であると判断するのが賢明ではないか…安易に印を押してはいけないと考えるのは、間違っていないはず。
2009年03月24日
月曜日は就職情報をチェックする日だ。だからコンビニに行く店頭で有料求人誌をめくって「お仕事はない」と確認し、無料の求人誌を6冊いただいて帰る。いただいた求人誌をながめて、インターネットでもチェックする。お仕事は…ないよしよし、ちゃんと確認した。以上、本日の任務完了。お仕事はありません。夫よ、申し訳ないけれど、もうしばらくお金をください。だいたいアレです、「よーしやるぞ」と自分で立ち上がったのと違うんです。確かに種を蒔いて育てていたとは言えども、「寒くなりましたね…」と編み物しながら冬眠してたところを、突然どばしゃーとお水がかかったんです。まったくパワーがないんです。
2009年03月23日
娘の前では泣かないようにしているけれど、思い出したり考えたりすると、涙がこぼれる。積み重ねた日々の重さに押し潰されそうになる。夫は同じ道を歩いてくれる人を探したいと言っているし、私は夫の要求には応えられない。応えたふりをして後ろで舌を出すという賢い選択があることは知っている。でも、こんな妻を23年も面倒見てくれた夫だ。もう解放してあげたいし、やり直しもいいんじゃないかと思う。日が経つにつれ、そう思えるようになった。解放…、もともと私が望んでいたことでもあった。優秀な家政婦で秘書なら、お払い箱にはならない。私は優秀ではなかった、それだけのこと。認めて前に進もう
2009年03月19日
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