全6件 (6件中 1-6件目)
1
昨日、とても興味深い話を聞いた。「男の料理」教室用のレシピは論理的&数値的じゃないと、理解できない。イラストや写真は役に立たないから、いらない。と、「男の台所」なる高齢者の男性向けの料理グループの運営者が宣った。え???イラストや写真って役に立たないの?保健所で以前一人暮らしの男性のためのレシピ集を作成していて、それは「わかりやすくするために」イラストで説明してありました。文章なら保健所の栄養士で間に合うものをわざわざデザイナーをかけてイラストにしたのでした。あらら、無駄だったのか。彼が言うには男は理屈っぽいから、事細かに、はじめから、順序立てて言葉でかかれていないと、理解できない。調理にかんする言葉の意味をほとんど知らないから、事細かに説明しなければ、1歩も先に進めない。ふうん。なるほど。確かに、「シルバー料理教室」などの講師をしたときのことを思い出した。作業の最中に聞かれることは「薄切りって何ミリに切るの?」・「ひたひた、って何CCの水を入れればいいの?」「中火ってガスのコックをどのくらいの角度に廻せばよいの?」とか、「火が通ったら」ってどうやって見分けるの?とか理科の実験じゃないんだから、と思いつつ、なんて説明のしにくいことをきくものかなと思ったモンでした。ふつうの料理本はすべて「ダメ」だそう。栄養士の書いたレシピも「ダメ」だそう。栄養士の書いたレシピをすべて自分の言葉で書き直している、とのこと。そういえば、そんな噂も聞いたなあ。書き直すそうだ、って。格別女の脳が、って訳でもなく調理師の書いた料理本もダメだそうだから料理の約束事が分かっていない人にとってはと言うことらしい。イラストがなぜダメ?ときいたら図と現実作業とを頭の中で一致させて再構成させることがとても難しいんだそうだ。つまり、幼い子どもにゾウやライオンの絵を見せてもさっぱり反応がないのと同じ。実物を見て現物を感じてイメージが頭の中に出来てこそイラストが立体化するということか。私たち料理をいつもしている者は抽象化されたものを具現化出来るけれど、「薄切りが」なんなのか分からない人にとって厚みもよく分からない薄切りはイメージができないってことなのだ。イラストの何の菜っ葉かよく分からない絵をみて、目の前の春菊がその菜っ葉だと理解できないのだ。だって葉の形がぜんぜんちがうもの。思いこみって恐い。よかれと思って絵解きにしたり写真にしたりするけれど、そんな風に思って居るとは知らなかった。彼の書いたレシピは、だから「長い」当然調理の最中に気軽に読みながら出来ると、いうわけにはいかない。あらかじめ渡しておいて熟読して、出来れば暗記してきてもらってから、調理に入る。ということらしい。「男の台所」。これからの団塊の世代の半分は男。調理を通じて夫婦の語らいのきっかけとなれば良いという目当てもあるという。失敗、OK。失敗から学ぶことが大きい。なるほどね。結果が良ければ・・・という帳尻あわせのような料理教室ではダメといことなのね。なんと、彼の主宰する「男の台所」の出席率は92%超。すごいことですよね。それだけ達成感があっておもしろいと言うこと。これは見習わなければ。レシピと教室の構成の見直しを図らなければ。よいお話をお聞きできました。
2006年07月23日
1年続いた東北放送ラジオの番組も今日で終了(番組改変)。お聞きくださった皆様、ありがとうございました。今日は先週にに引き続き「食育」について。食育は結局「生きること、いのちって何だろう」を考えさせることなのではないかとお話しました。食育というと田んぼにいってイベント的に田植えを体験させたり、いろいろな植物を栽培させたりということが行われています。ホントにこれで食育になるの?って思います。家の子どもが小さいとき、学校から稲の苗をもらってきました。バケツに入れてにわか田んぼを作り稲を育てました。大して手もかからずに立派な稲に育ちました。脱穀して、一升瓶にいれ棒でつついて精米して米にし炊いてたべました。この一連の作業の中で何を学んだかというと、なんと「お米って簡単にできるんだね」でした。バケツへの田植えではなく広い田んぼに植える大変さや虫、病気のしんぱい、台風、日照、水の管理、稲刈、田んぼの手入れなどなど本当に大変なところはすべてスキップして「米がなった」という結果だけがのこる。これでは「なんだ、農業なんてかんたんだ」で終わってしまうように思いました。食育はもっと地道に時間をかけて、本当の辛さ、たいへんさ、努力を体験させる「プログラム」を開発しなければならないと思いました。食育とはなにを「育てる」のかの根本思想をかかわるみんなが持っていないといけないとおもいます。日本ではすべてのことが「イベント」になってしまって、商売の種にされてしまう傾向があります。もちろん生産者も流通の関係者も衣のしたには鎧を着ているわけではありますが、なうるべく「衣」を厚くして、それも他の業種の人たちも同じ「衣」をまとって「食育」にあたって欲しいとおもうのです。栄養士も同じ。クッキング教室も良いし、エプロンシアターも良いし、やり方は案でもいいのだけれど、「生命の根源やいのちって何だろう」ということを考えさせるのが食育の本当の目的であることを認識してプログラムを考えたいものだとおもいます。
2005年03月29日
今日のラジオでのお話は「食育:について。近頃「食育」という言葉を良く耳にするようになりました。学校や保育園などで子どもたちに食品や食事について教育するということのようです。国会でも「食育基本法」なるものも国会に上程されています。さてここで言われている食育とはどんなものなのでしょう。食育基本法には次のように述べられています。子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている。もとより、食育はあらゆる世代の国民に必要なものであるが、子どもたちに対する食育は、心身の成長及び人格の形成に大きな影響を及ぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性をはぐくんでいく基礎となるものである。以下省略その総則のなかに(食に関する感謝の念と理解)第三条 食育の推進に当たっては、国民の食生活が、自然の恩恵の上に成り立っており、また、食に関わる人々の様々な活動に支えられていることについて、感謝の念や理解が深まるよう配慮されなければならない。というのがあります。私はこれが一番大切な概念だとおもうのです。でも、世の中で言われる「食育」はここが抜けてるように思われるのです。いま「食育」というと方法論ばかりがめだちます。学校や保育所、施設等の食育推進、家庭における食育推進、地域における食育推進、食育推進運動、生産者、消費者との交流の推進、食文化の継承の為の活動への指示などなど農水省関連では特に張り切ってイベントを企画したりしているよう。食育って何なんでしょうね。私は「生きる」ということの意味を「身に沁みて感じさせること」だと思う。生きるためには食べなければならない。食べるということは多かれ少なかれ「他の生き物の命を奪うこと」なんだとしることが一番大事なんだと思う。動物の命を奪うのはいけないからと「菜食」に走る人がいる。でも植物だって命を大切にいきている。意志の疎通があるから鯨は食べない、馬肉なんてとんでもない、犬を食べる文化は低俗だ、なんてことは一切ないのだ。命ということでは重さは同じなのだから。生物は生きるためには必ず他の生き物の命を頂いて生きていくのだ。だから食べものを粗末にすることはできないのだ。といいうことを「身に沁みて」感じさせることが「食育」の基本だと思うのです。私が小さい頃は庭をつつきまわってた鶏を肉屋さんにもっていって「潰して」もらって食べるとか、どじょうを獲ってきて煮て食べるとか、イナゴをとって砂糖でにるとか生き物を「殺して」食べることが普通に身のまわりにあった。可愛がっていた鶏をたべたけど、やはりちょっと食べづらかった。でもそうしなければ生きていけないのが人間。いまはたべものは「商品」。生きていた痕跡などはない。なるべく生きてきた証は隠すようにできている。だから子どもも生き物を殺しつつ生きるという現実が感じられないのだと思う。食育などと大上段に振りかぶるのではなく、魚でも、なんでもよいから「ぴくぴく生きている」物を「屠って」たべるという作業を見せたりしたりさせるのが必要だと思う。子どもが小さいときどじょうを買って来て鍋にいれ酒を振りかけたらばたばたと暴れた。そのようすを見て「残酷」といったが、でも食べるためにはそうしなければならないことを教えた。こんな小さなことの積み重ねが「命を粗末にしない、食べものを粗末にできない」人間を育てることになるのではないかしら。
2005年03月21日
今日のTBCラジオの話題は食塩の話にしました。このほど国際脳卒中会議においてNorthern Manhattan Studyの結果が明らかになり、55歳以上の人にとって10g以上の食塩摂取は虚血性脳疾患の危険を増大させることが報告されました。3月9日付け日経MedWaveによると55歳以上のニューヨークのコミュニティの人々を対象に1993年から行われている追跡調査で今後も継続されるそうです。人種構成は白人21%、黒人25%、ラテン・アメリカ系54%という割合だったそうで複数人種間でのナトリウム摂取と虚血性脳卒中との関係を明らかにした報告は初めてだそうです。この調査によると1日の食塩摂取量が10g以上のグループでは、6g未満のグループと比較して、虚血性脳卒中の危険が1.84増大していた。ボーダーラインだったのは、7.6~10gのグループで1.22増大した。としています。つまり10g以上の食塩を食べた場合6g以下の場合と比べると2倍近く危険が増すというのです。 注意!この数値はあくまでも高血圧の既往のない人が対象であって血圧が高い人は 食塩量を6g以下にしなければならないのです 日本高血圧学会のガイドラインによる 今年から用いられる「日本人の食事摂取基準」によると男性は10g以下、女性は8gとされています。やはり!ですね。ところで、10gの食塩ってどのくらいだと思います?実は普通に食事をとっていると味付けをしなくても2gくらいの食塩を食品から食べてしまっているのです。だから調味に使える食塩は6g~8gだけ。醤油なら小さじで6から9杯、塩なら小さじ1強から小さじ2弱。これは1日の量ですよ。一食ではありません。少ないでしょう?私たちは今普通の食事から12gから13gの食塩をたべています。倍以上の食塩を食べているわけで、「食塩中毒民族」と揶揄されても仕方ないですね。一時食塩摂取量が減少した時期もあったのですが近年増加に転じています。なぜなんでしょう。ふりかけ類が増えたとか中食や外食、惣菜の購買が増えたせいとか言われています。最近は居酒屋さんや飲食店でもかなり薄味のお店が増えてきたように感じられます。これは良い傾向だと思います。ところが、おかずの味付けが薄くなるとご飯の必要性が少なくなってしまうのです。どうやら日本人の穀類大食の原因は塩味にあったようです。おかずの味付けが薄くなると「味を中和させる意味でのご飯」が要らなくなってきている。おかずだけ食べてもおいしいのだから。さて、これはこれで困ったことで、食べたエネルギーの50%以上は炭水化物、できれば穀類からとるのが健康上望ましいのです。これが少なくなる。必然的に脂肪やたんぱく質が多くなる。難しい問題です。こうなると調理の概念を根本からみなし、おかずの調味とご飯の(主食)の調味を共に考えなおさなければなりません。おかずはあくまで薄味に、ご飯はきちんと食べられるだけの塩味をつける。姑息かも知れないけど、今後の課題として真剣に取り組むべきなのかも知れません。新しい日本食の開拓をしていかなければならないようですね。
2005年03月14日
菱餅材料小麦粉 1カップ砂糖 1カップ牛乳 1カップラズベリージャム(イチゴでもガレナデンシロップなどでも良い)小1抹茶 小1小麦粉と砂糖を混ぜ牛乳でだまにならないように溶く1/3の量の液にレズベリージャムを混ぜる長方形の入れ物(流し缶やバット、プラスチック容器など)にピンクに色付けした液を流しいれ2分くらいレンジにかける。表面が固まったら出し、残りの白い液の半分をいれてレンジにかける残りの液に抹茶を混ぜ一番上にながしてレンジにかける固まったら回りを丁寧にはがし(はがれにくいときは少量の水をかけるとはがれます)平らなものの上に逆さにとりだしますひし形に切ります。花形で抜いても可愛いです
2005年03月02日
今週のラジオはお雛さま。手軽にできる和菓子を放送。山芋で作る練りきりと菱餅です。練りきりは白餡で作るのが普通ですが白餡は手に入りにくいので山芋を使いました。長いもでは水気が多くて作れませんので山芋(大和芋、銀杏芋、つくね芋などでもよいです。あまりアクの強くないものを使ってください)お雛様 材料山芋 150g砂糖 大2コンデンスミルク 大1いちご 3個山芋は皮をむいてポリ袋に入れ3~4分電子レンジで加熱します。柔らかくなったら袋の上から麺棒などで押しつぶして塊がない状態にします小鍋に芋を入れ砂糖、コンデンスミルクを入れて弱中火にかけ焦がさないように練り上げます。始めはべちゃべちゃしますが4~5分に練り上げていると鍋はだからするする離れるようになります。お皿にとって2等分します。1つのほうには8mm角に切ったイチゴを潰さぬお湯に混ぜ2つに分けて丸く丸めます残りのほうも2個のわけ丸めておきます。(こちらが皮になります)皮の餡を手のひらにとって丸く平らに広げます。イチゴの混ざった餡を真ん中において皮でくるみます。丸くしてもよいし三角おにぎりのような形にしても良いです。チョコペンなどで目口、着物の模様などをかきます。皮の餡にゆで卵の黄身や抹茶を混ぜて色づけして着物のようにしても可愛いです。
2005年03月02日
全6件 (6件中 1-6件目)
1