おいしい 千葉 ~ponの食べある記~

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2006.11.15
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カテゴリ: 蒼緑の新ページ



冷たい雨がはげしく降る夜だった。下の電話が鳴り響いていた。階下の彼がいないので、私がおりていって受話器をとった。
聞き取りにくい声だった。怯えているような、すすり上げるような女性の声。
「○○さん、○○さん?」
「はい。そうですけど」
淳子さんだった。
「美和ちゃんが大変なことになったの。とにかく今すぐに来て」
交通事故にあったという。病院の名をきくと一度部屋にもどってから、私は外に出た。大粒の雨が刺すように向かってくる中、自転車を急いで走らせた。走って何分もしないうちに全身ずぶ濡れになった。駅の向こう側に抜けなければならなかった。

病院はすぐにわかったが、裏のほうの入口をさがすのに手間取った。廊下の途中の長椅子がいくつも並ぶところに、大勢の人が立ちつくしていた。知らない人ばかりの中に、電話をくれた淳子さんが数人の女の子と立っていた。目のまわりが真っ赤に腫れていた。私を見つけると、顔を一気にゆがめた。首を何度もふる。
「ダメだったよ…ダメ…どうして彼女がこんな目にあわなければならないの」
私の腕をつかんできた。そうやって訴えるしかないのだろう。一度しか面とむかって話をしていないのに、遠慮の壁がすっかり取り払われていた。

塾のかえり道の途中、車にはねられたという。てっきり自転車かと思ったが、きょうは歩きだったらしい。住宅地が途切れた先の現場で、発見が遅れてしまった。かなり先の用水路に、彼女がさしていた傘が見つかった。車はそのまま逃げているという。

大泣きしてくずれていく彼女を見ていると、この場はなんとか我慢しようと思った。まわりじゅう妙な興奮状態で、ざわざわしている。どなり声のような、悲鳴のような声が交錯している。知らない人ばかりが目の前を通りすぎていく。椅子についていると、コート姿の男性に何か話しかけられた。どこかの記者か関係者のようだったが、私は手だけ振って勘弁してもらった。とても口をきく心境ではなかった。

しばらくすると、救急口のほうで大きな声がした。どうやら、逃げていた犯人がつかまったらしい。その知らせが入ってきていた。静まっていた騒ぎ声がまたぶり返し、淳子さんの仲間の一人が、なにか聞かれているようだった。(酔っぱらい運転)ということばを小耳にはさんだ。

どこにいても、いたたまれない。居場所がなかった。私は一人でトイレに向かった。

タイルが何箇所もはがれていて、蛍光灯のひとつが今にも切れそうな不安定な灯りかたをしていた。スチールサッシの窓を、雨が激しくたたいている。

(何なんだ。いったい何なんだ)(なぜ今、自分はこんな所にいるのか)(いったいここで何をしているというのか)(彼女が亡くなったって)(まさか、あるはずがない)(悪い冗談だろう)(これは本当に現実なのか。夢じゃないのか)(嘘だろう、嘘に決まっている)

演奏会のとき、ホールの扉口で私を悪戯っぽく見てきた彼女のひとみを思いだした。小さな花束を恥ずかしそうに渡して、見上げてくれた彼女を思いだした。まだあれから10日と少ししか経っていないというのに、なぜ。

窓際の下のところにスチームの管がむき出しになっていた。入口に背をむけるようにしてそこの前に立ち、私は涙の流れるままに任せた。立っているのがつらかった。逆に立っているから、なんとか今のつらい自分を支えられるような気もした。

     *      *      *      *

彼女を失った事実。永久に失ってしまった事実。それは、あまりにも激烈な一撃だった。半身が引き裂かれて持っていかれるというのを、はじめて経験した。心の内をどうやって整えればいいのか。いつもどんよりした気持ちが、重くのしかかるようになった。自分の内に、だれにも触れてほしくないダークゾーンができてしまった。そこがもやもやと、ただならぬ磁場を発生している。強力なコンプレックスを抱えたのと似たような心境だった。この件がその後の自分に影響したことは、疑いようもない事実だった。

現場がどこなのかは後から知った。一度足をむけてみたが、遠目で何か花らしきものを飾ってあるのを確認すると、それ以上は近寄らなかった。そのエリア一帯が、近寄る気さえ起こさない厳重な立入禁止区域となった。

テレビでその種のニュースがあると、目をそむけるか、スイッチを消してしまうようになった。それ以上聞くのがつらくてたまらない。いったい、それを知ったからといって何になるのか。だれのためになっているのか。生きていた人も、生きている人も、これから生きていく人も。すべての人の事実も心情も踏み越えて、ただ情報だけが淡々と垂れながされていく。システム全部がくだらなく思えた。

街なかに彼女といった想い出の店が何軒かあった。寄りたい気持ちとぜったい寄りたくない気持ちと、半々だった。寄ってもいいが、それは痛みの強い今ではないような気がして、結局一度も寄ったことはなかった。自然に足が遠ざかるようになった。

最後に会った場面、そのシーンが何度も思いだされた。音楽ホールの角を曲がるところで、友だち4人と私のほうをうかがって来た彼女。淳子さんにうながされてこちらに目配せしてきた彼女。その姿が、ときにはスローモーションで、ときにはアップで鮮明に思いだされた。

自転車にのっていて、突然鉛の固まりを飲まされたようなどんよりした悲壮感に襲われたことがある。みぞおちの下のあたりが急に重苦しくなり、ブレーキをかけたその前方へのつんのめり方に呼応して、胃の中のものを全部吐き出してしまった。それは、みごとなくらいの拡散具合だった。胃液で苦いのか、悲しみで苦いのか。とにかく口の中がひどく気持ち悪い。目のまわりから口のまわりまで全部ぐずぐずだった。ベトベトしていた。

夜が怖くなるというのをはじめて経験した。夕方、部屋に一人でいる。そのうちあたりに薄闇が漂うようになる。すると、自分のまわりの空気中に毛細血管のような模様があらわれる。それが自分の意識のなかの毛細血管と通じあうような感じがした。どこかしら、チリチリいってこまかく明滅している。いつの間にか、黒く深い闇が充満してくる。自意識が暗闇に溶け出していた。その中では、自分という外形が本当にあるのかどうか。不安にかられてしまう。あわてて部屋の明かりをつけて、それでどうにかひと心地する。

変な耳鳴りがするときがあった。キーンという超音波のような高圧の音。しばらく放っておくと治まったが、それだけで気分が滅入ってしまう。耳の中の三半規管が、ブルブル震えるような感じを覚えるときがあった。またこれ以降、大きく思いきり息を吸えなくなった。そうしようすると、あばら骨のどこかに肺の一部が引っかかるような気がした。

クラシック音楽のよいところは、その固有の普遍性だろう。換言すると、時代に無関係な無色透明さがあるということか。その逆に流行歌は、その歌をきくと一気にその時代とその時代に生きた自分を思いだす。固有の時代性を背負っている。

しかし私は、その時代を想起させる悲しいクラシック曲を持ってしまっていた。モーツァルトの「レクイエム」とメンデルスゾーンの「三つのモテット」という2曲。斎場で耳にしてしまったせいで、これらの曲は私にとって唯一、あのときに瞬時に飛んでしまう曲である。いい曲であるのは分かっているが、いまだに聴こうとは思わない禁忌曲となっている。

20代のさなか、私は菜食主義を通していた。変な宗教に取りつかれたわけでもないし、極度の健康志向に走ったわけでもなかった。命を大切にするという、その一点だけのためだった。ポリシーとして実行していた。

さすがに完全なるベジタリアンだと、食べるものがほとんどない。穀類と野菜と豆類のみ。おかずは豆腐と納豆と海苔だけだった。何ヵ月か続けると貧血症状が出たので、そのあと卵と牛乳だけは取るようにした。この期間が長くつづいた。5年くらいして鰹節だけ許した。これで外食のメニューが少し増えた。玉子丼やかけそばを注文することができる。何かの本で魚には意識の座がないというのを読み、それからは魚系を食べるようになった。肉類の禁忌をといて一般並みの食事になるまで、6年くらいかかっている。

車を運転することが罪悪のように思えてならなかった。便利なことこの上ないし、行動範囲がグンと広くなる。視野が広くなるし、気晴らしにもなる。まわりがどんなに勧めても、私はガンとして譲らなかった。頑強なポリシーの一つとなった。なんとか自分を納得させて免許を取ったのは、30過ぎてからである。今も仕方がないから走らせているだけで。本来的に車の運転など、やめてしまいたいくらいである。

お酒を飲むことも、自分の中の禁忌事項にはいっていた。つきあいで少しだけ飲んでみて、系統的に強いということは分かったが、自分からやろうという気にはなれなかった。いつも、酒に飲まれていく人の変貌ぶりを眺める役である。それはこの齢になるまでつづいていて、今も年に数回、(宿泊先などで)そのあと車を運転する必要がなくなったとき、ワインかビールを軽くやるだけである。

降る音でいかにも大粒だと分かるような雨が降っている夜が、私はいまでも大嫌いである。どうしても、嫌なことが起こるような予感がしてしまう。その音を消したくて、それを打ち消すような音楽をながしたりすることがある。クラシック系よりむしろ歌詞のついたポップス系のほうが、効果が期待できた。

激しい雨の降る夜が、生理的に受けつけられなくなっていた。





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Last updated  2006.11.15 13:56:15 コメント(8) | コメントを書く


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