しぐれ茶屋おりくの部屋

しぐれ茶屋おりくの部屋

童話「野辺のすみれ」



自家用車がびゅんびゅん通りすぎて行くその道は、家族で楽しめる遊園地に人を集めるために、交通の不便な山道をきり開いた道でした。でも、開発した人たちは、みんなやさしい人ばかりで、自然に咲く野の花を、道のはしに植えかえて根づかせました。 

「ほら!スミレの花がいっぱい並んでる。」

と奥さんがうれしそうに叫びました。いろんな草花が並ぶ間に、こむらさき色にいくつも咲いていました。 

「ぼくたちの家に咲いていたスミレは、水道工事の人が枯らせてしまったね。」

とご主人が言いました。やさしい奥さんは、野辺に咲く花が、とても好きなのです。歩きながらご主人は、奥さんのために、スミレの花をつんであげようかと考えていました。

スミレはこの道で毎年、花を咲かせているからそれもかわいそうだと思いました。奥さんとスミレとどちらが大切か、ずいぶん迷い始めました。とうとう奥さんに聞いてみました。

「ねえ、一本ぐらいお家に持って帰ってもいいだろう?」 

でも奥さんは首をたてにふりません。奥さんはスミレの気持ちをよく知っていたのです。まるで自分がスミレの花であるかのように、ここから別の場所に住むなんてできないと思っていました。

空は青空、春の雲がぽっかり浮かんでいるし、空気もおいしいし、風がそよそよ吹いているし、こんな素敵な場所からスミレたちも動きたくないでしょう?ねえ、スミレさんと心の中で話しかけていました。スミレたちはにっこり笑っています。

ご主人はずいぶん考えていましたが、奥さんのためにどうしても一株、持って帰ってあげようと決めてしまいました。

道に落ちていた枯れ木で、スミレの一株を掘りおこしました。奥さんがまわりのきれいな景色を見ている時でしたので、奥さんは気づきませんでした。 あちらこちら二人は楽しくハイキングしてお家へ帰りました。


「ほら!見てごらん、スミレの花。」ご主人はとくいそうに、奥さんに見せました。

「まあ、かわいそうに!どうして持ってきてしまったの?スミレはあの山道の方が気にいっているのに・・・。」

奥さんは、悲しそうな顔をしました。ご主人は、この時、しまったと思ったのです。スミレを掘りおこす時、奥さんに相談しなかったからです。でも、いまさらどうしようもありません。奥さんは心の中でスミレにあやまりながら、鉢植えにして玄関のそばに置きました。

二人とも、このスミレを大切に大切に育てました。雪の降る寒い晩は、鉢を家の中に入れて、こごえないようにしました。太陽が照りつける昼間は、表に鉢を出して光を浴びさせてやりました。

ご主人は毎朝、会社に行く時はかならずこのスミレの鉢の様子を見て出かけました。こうして次の春には、玄関口でスミレは立派に、こむらさきに咲きました。二人とも大よろこびでした。次の年も、そのまた次の春も、スミレは鉢の中で咲きました。


 ところが、奥さんが交通事故で急に亡くなってしまったのです。ご主人はあまりの悲しさに病気になって入院しました。子供のいないご主人は、ひとりぼっちになってしまいました。

ようやく退院したご主人は奥さんのことを忘れるために、仕事に夢中になりました。働きすぎた疲れをなおすために、お酒をのむようになりました。朝早くから会社で働き、夜遅くに帰って来る日が続きました。

するとどうでしょう?ご主人はスミレのことをすっかり忘れてしまっていたのです。それは、奥さんのことを考えなくなっていたからでした。

 奥さんが亡くなってから最初の春が来ました。うらの庭に置いてあったスミレの鉢を、日曜日にご主人は見つけたのです。スミレの花は、小さく、そしてうすいむらさき色でした。ご主人はおどろきました。これではスミレがかわいそうだと思ったのです。

次の日曜日にご主人はスミレの株を植木鉢から出して新聞紙に包み、もとの山道に返してあげることにしたのです。場所ははっきり覚えていました。スコップで地面を掘り、スミレをそうっと植えかえてやりました。水筒に入れてきた水をかけました。

不思議なことがあるものです。うすむらさきのスミレが、見る見るうちに、こむらさき色にかわり、しゃんとして大きく見えたのです。ご主人はその時、「あなた、ありがとう。」と言った奥さんの声を聞いたのです。

天国に行ったと思っていた奥さんは、スミレの花に変っていたのかも知れませんねえ。ご主人は、それから毎年、この山道のスミレの「会いに来て下さってありがとう」という奥さんの声を聞きました。
2003/03/30 13:05:22



最終更新日 2005年01月10日 13時32分49秒

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: