コミックや小説の感想つれづれ書き~かなり雑多に

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2025.05.18
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カテゴリ: コミック感想

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昭和の名作漫画のひとつですね。
が、これもまた完結をあきらめたコミックでもあります。
紅天女の里でエチュード開始、あたりまでは追っていましたが…

完結はあきらめて自分の中で「こうなる」と勝手に妄想して終わらせることにしました。

この漫画は昭和・平成の時代に終わらせておくべき漫画だったと思うんですよ。
「紅天女」という舞台の話があまりにも現代には向かない設定すぎる。

舞台やテレビが、映画が主流であり、世間を動かしているメディアであった時代ならともかく…今ではどんな名演技をしたところで、一部の人に「すごいね」と言われるだけの「舞台演劇」にすぎなくなっている。

そもそも登場人物たちの造形からして「昭和」でしかありませんしね。

途中から「携帯電話」が登場しているようですが、そもそもはじまりは「黒電話」ですよ?

だってせいぜい五年くらいしか経ってないはずなんですよ?

昭和から五年…せいぜい平成中期ですよね?

まずその設定からして「だめだろ」と感じてしまったんですよ。あくまでこの漫画の時代設定は「平成前期から中期」ってことにしておかないと。

月影先生…戦前の人なんですよ?
そういう描写を入れてしまった以上、時代は動かすべきじゃなかった。

この漫画のピークはおそらく「二人の王女」あたりまでだったろうと思うんですよね。
わたしはこの作中劇好きでした。

まあ、いうてオリゲルドがメインの話になっとるけどもね。

そういえばいつも思っていたんですが、いじわるな監督の小野寺さんは、いろんな嫌がらせをしてくる人ですが、監督としては有能なんだなぁと。

でなきゃ、数々の舞台を手掛けられませんよね?とくに亜弓の舞台にかかわっていることが多かったですし。

オリゲルドとアルディスの話は、それの前の段階のオーディションの回も好きでした。


ガラスの仮面はマヤが主人公ですが、亜弓もまた主人公であり、おそらくですが人気でいえば亜弓の方が勝っているのでは、と思います。

カーミラの時とか、亜弓に惚れた人は多かったはず。

そもそも亜弓は初期段階からマヤのことを侮れない子だと一目置いていた。ライバル認定してたんですよ。そして嫌がらせの類は一切しないし、むしろ奮い立たせてくれる人でしたよね。

人間ができすぎてるんですよ。
いい人すぎる…そりゃマヤもこの人には敵わんと思うやろ、というとてもいいキャラです。



一方でマヤはといえば、天才的すぎて、役者というよりは「巫女」に近いんですよ。
紅天女の時が一番それを感じました。

紅天女のさまざまなエチュードで月影先生が言っていた「風を演じろとは言ったが、風になれとは言っていない」と。
これはすごく重要で、亜弓はそれに衝撃を受けて「火」になろうとしますが、根っこから役者の亜弓は「火」になり、「火」としての演技もそこに加えた。つまり「魅せる」ということを常に頭に置いている。

ところがマヤはそれができない。
神降ろしをするみたいに、風であれ梅の木であれ、それになって「神気」をおろしてしまう。
そうして「巫女」のような語り手になってしまう。

巫女という天賦の才があるがゆえに、実はマヤは努力をないがしろにしてしまうところがある。

亜弓はつねに努力を重ねている。ダンス…バレエも日舞も、なんでもやる。演技に必要な「体づくり」を積み重ねていく。
演技は、体づくりがとても大事なんですよ。
とくに舞台役者ならそれをして当然です。体の演技、というものはある。

たとえば「剣技」のシーンがあるなら、やはり剣術はひととおりやっておくべきでしょう。せりふではなく、肉体の表現で「剣技」を魅せなければならないから。

魅せるための体づくりというものを怠らない亜弓に対して、マヤは苦手だから…とダンスなどは避けてきた。
狼少女のような役の「体力づくり」はするんだけど、肉体表現のための体づくりはしてないんですよ。
パントマイムでの表現も亜弓にかなわないのだけど、それは当たり前で、基礎の体づくりをしていない。

この差が顕著に表れたのが紅天女の練習で、ここらまではまあなんとなく読めたんですよ。
マヤがそれを克服しなきゃならないだろう…その後どうするんだろう…と

けど、なんかそういう体の表現をおろそかにしたまま舞台づくりしそうな予感しかしなかったし、あとは紫の薔薇の人まわりがきな臭くなってきてて…無理になってしまった。

しおりさん……あのお嬢様はさくっと退場させとくべきでしたよね。
とんでもない性悪というか、お嬢様である自分の立場を笠に着て…いやわかりやすい性悪女ならまだしも。
まあ真澄が悪いっちゃ悪いんですが。

紅天女練習から東京に戻ってきて…以後の話はもう読まないことにしたのでどうなったのか詳しくはわかりませんが、桜小路くんもなんかね…マヤにそれほど執着するのなんだろって。

ま、まあともかく、紅天女の話の内容とかも、もう今更どうでもいいか、となってしまったのは、現代に合わなさすぎるから、なんですよね。
古典としてなら受けいれられるのですが……なんかこれ、スピリチュアル系の話ですよね、結局。

そういう話は嫌いではないんですが、作中劇としては微妙なんじゃないかな、と思うんですよ。

作中劇で面白かったものって二人の王女や狼少女、真夏の夜の夢、ヘレンケラーとか…あとは一人芝居のヤツとか…けっこうあったとは思うんですが。アングラでやってた…えーっとタイトル忘れた、マヤが人形になるやつ。
もともと「舞台」として有名なものもあったりしたので入り込みやすかった、というのはありますね。
もちろんオリジナルのものもありましたが、有名なものをやっているため、わかりやすかったというのはかなりの大きかった。

ところが「紅天女」はオリジナルなんですよね…正直不安しかないです、その内容。


しかしこの作者さん、初期の頃の漫画ってけっこうおもしろいし、好きなのもあるんですよ。
孔雀色のカナリアとか黒百合の系図、妖鬼姫伝とか…ホラーやサスペンスがうまかった。
「ダイナマイト・みるく・パイ」みたいなちょっとコミカルな話も好きでした。
ほかにもいろいろとあってストーリーテラーとしてはさすがといえるんですが、しかしやはり「紅天女」は持ち上げられすぎて…いっそ紅天女をこれだけでコミカライズしてほしかったかな。

わたしもいいかげんBBAですので、ガラスの仮面の最終話は読むことになくあの世とやらにいきそうです。なので、もう終わったものと認識しておいた方がストレスないな、と思って。
王家の紋章やクリスタル・ドラゴンも同じく。

最終回はそれぞれの胸の中に。




そういうコミックがあってもまあいいかな、と。
あきらめも大事ってことです。





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最終更新日  2025.05.18 22:30:03
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