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【大谷楽器】Guitar … ギターショップ・バッジWeb担当さん
2010年05月07日
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カテゴリ: ニングルの森
舞台の上で何かを演じるとき、
私が一番こだわっていること、一番大切に考えていること、
それは、「どれだけココロとカラダを解放させることができるか」ということです。
解放させることこそが、観客や相手役、舞台装置、照明、小道具に至るまで、
ワタシでないものとひとつになることができる唯一の方法だと私は思っています。

ココロとカラダを解放させることに成功した時、
初めて、舞台のあらゆる嘘が本当のモノとなり、
登場人物が鮮やかに浮き上がってくるのだと思うのです。
解放とは、自分でないもの、つまり相手や観客やその場にあるすべてに、

これは、考える以上にとてもとても怖いことで勇気のいる事です。
怖いから、ついつい武装してしまったり、防御してみたり、
そうかと思えば、自分を押し通してみたり、或いは逃げ出してしまったり・・・。

でもそれでは心を動かすものは何も生まれてはきませんでした。
自分を他に委ねるということは、決して受け身になることではありません。
自分以外の「気」を敏感に感じ取ることは勿論必要ですが、
それと同じように自分の「気」も充分に出さなければいけません。
自分と他との「気」が交わった時、
舞台上ではウソが本当になるという奇跡が起こるのです。
そして私がみつけた自分の「気」とは、想うこと、想う力だったのです。



さて、今回私たちは、『ニングルの森』を選びました。


ところで、皆さんは風や木や水滴と話せる彼らを羨ましいと思いますか?
それとも、そんなモノと話してどうなるんだ?って思っている方が多いでしょうか。
でも、私たちにだってそういう、自分以外と会話できる能力があるとは思いませんか?
『ニングルの森』の中の8番目に、水滴というお話が載っています。
あるニングルのお父さんが、子供のころ水滴と出会います。

それからあちこちの海を回って
熱い海では水蒸気になって雲になって、
今度は冷たいヒマラヤまで流されて、
そこから風に乗ってそしてまたお父さんに会いに来ます。
長いこと長いことかかってまた父さんニングルと再会するのです。

考えてみて下さい。
同じように、昔々生まれた数ある原子のひとつが、
たった今たまたまワタシのカラダに入ってきました。
ワタシのカラダを通ったあと、原子はまた私から放たれ
今度は、また他の何かの中を通るのです。
繰り返されながら長い長い時を経て、
その原子はいつの日かワタシの子孫の誰かに戻ってくるかも知れません。

でも、いつのまにか、そんなつながりを私たちは忘れてしまいました。
ご存知のように、人間は今まであらゆる自然と対峙してきました。
そして攻撃し征服することで、問題点を解決しようとしました。
攻撃し征服することは、きっと人間の宿命なのでしょうね。
でも、そうして手に入れた安全や便利さは、自らを自分以外の他から隔離し、
話す術を忘れてしまったのだと思えてなりません。

もし、ニングルの感じている、いいえ、
かつて私たち人間が普通に感じていた自然感を持って今を生きることができたなら、
ワタシ以外のものと共存することも、できるのではないのかな。

場所や時間に限らず、音の空間すらなくなっている現代で、
自分を解放することは大変難しいし、様々な情報にいっさい惑わされず、
見えないものを追い求めるのは不可能だと諦めてしまいがちですが、
それでも、こういう作品に出会うと、
私の考えていることが決してただの理想論ではないんだと
とてもとても勇気づけられます。

遠藤真弓





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最終更新日  2010年05月16日 08時26分05秒
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