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1-1 出会い
『出会い』---白木隆の場合:2026年8月末某日及び2027年2月某日
その日、おれは独りになれる場所を求めて、結局はいつもと同じ場所に
辿り着いた。
傾いた高層マンションの間の水面をすり抜け、お台場に渡るレインボー
ブリッジへと続く昇り車線に水陸両用自転車を乗り入れる。路面がねじれ
たロータリーを回って、橋桁が陥没した辺りの手前で自転車から降りた。
右手には水没した埠頭の倉庫群の屋根が海面から顔を出し、正面には、
お台場のシンボルだったテレビ局ビルから落下した球体が、夕日のオレ
ンジ色を周囲の海面にまき散らしていた。
「あと10センチ、いや5センチも無かったのになぁ・・・」
おれの投げた最後の一球がキャッチャーミットをかすめてバックネット
に達した光景が何度でも瞼の裏に蘇える。おれはかぶりをふり、柔軟運動
を始めた。
お台場の彼方の洋上には、蓮の花の様に洋上マンションが散在し、さら
にその先にはNBR社の巨大な施設群がかすんで見えた。
東主都臨水区。元東京都港区の海沿いは、ウォーターフロントなんて呼
ぶやつもいるけど、陸側に残った住民達は浸水区と自嘲気味に呼んでいた。
東京湾に接していた埋立地の大部分は、2012年の関東大震災発生時に
ちょっぴり水没した。震度9の揺れで地盤が液状化した所に津波を受けて、
最先端の耐震装置を兼ね備えていた高層マンション群でさえピサの斜塔よ
ろしく傾き、二階部分近くまで水没して誰も住めなくなっていた。
お台場もそこに渡るベイブリッジも復旧されていない。東京にも日本に
も、そんな余裕は無かった。関東大震災後の翌年には中部東海から四国九
州に至るまで大震災に襲われて、やっぱり甚大な被害を出して、日本に愛
想を尽かせた資産家や有力企業は相次いで国外へ脱出しちまったから。
立て続けに起こった大震災で、文字通り数百兆単位の国民金融資産が吹
き飛んで、GDPは4割、税収はそれ以上に落ち込んだって言うんだから、
まぁこの国も良くもったもんだ。NBR社がいなかったらどうなってたのか、
誰にもわからなかったにしても。
世界も同じ頃にアメリカの一極支配体制の崩壊だの中国の分裂だの二度
の大規模ウィルス災害だので日本に負けず劣らずけちょんけちょんにされ
ていたわけだけど、核ミサイルが飛び交うことも無く、人類は青息吐息な
がらも平常営業に戻ろうと必死にあがき続けた。
2009年生まれのおれが、何とか野球をやってこれたのも、都道府県制か
ら道州制に切り替わっても甲子園なんてイベントが意地になって維持され
てて参加できたのも、そんな平和志向の人類と、くじけなかった日本人の
努力の賜物だ。心から感謝してる。
その決勝戦まで進み、優勝を目前にしながらサヨナラ暴投をやらかした
張本人になり、その挙句ずっと付き合ってた彼女についさっきフラレタと
しても、だ。
ほとんど三角関係になってたキャッチャー、相手のスクイズを外した筈
の一球を取り損ねて試合後日自殺未遂までしやがった元相棒についててや
らないといけないと宣告されたのだ。
元カノからの録音メッセージを改めて聞き終えると、おれは振りかぶっ
て携帯を海へと放り投げた。バックスタンドからホームベースまで届くよ
うな勢いで投げても、それは橋から百メートルも離れてない海面に落ちて、
やがて海中に沈んで見えなくなってしまった。
おれは深呼吸して、叫んだ。
「ばっきゃろぉぉぉぉぉ!」
青年による青年の為の青年故の雄叫びは、しかしこだまして返ってくる
ことも無く波間に消えた。
叫んで少しはすっきりしたおれは、将来を考えてみた。優勝を逃したと
はいえ、プロからの誘いはいくつも来ていた。けれど今一つ、気分が乗ら
なかった。おれが野球を始めたそもそもの理由、おれが五歳の時に行方不
明になった両親を探すという目的は、ちっとも進展しなかったから。
甲子園で優勝候補と騒がれても、決勝戦で惨めな負け方をしても、両親
からは一通のメッセージも届かなかった。これ以上野球を続けても無意味
なんじゃないかと思ってしまうのも仕方無いだろ?
大学はとっくの昔に全入時代になってたけれど、特に学びたい事は無かっ
た。
進路の可能性はもう一つあったが、これは一高校球児が甲子園決勝のマ
ウンドに登るのより断然低い確率でしか無かった。
「どうしたもんかなぁ・・・」
両親が務めていたNBR社の巨大施設を見つめながら、おれは橋の手すりに
乗ってみた。橋の支柱を手にかけながら、怖いもの見たさで下を覗き込ん
でみた。真下は海面じゃなくてコンクリートの土台だった。
じゃあ上は?
見上げたおれの視線の先、橋の支柱のてっぺんには、女の子がいた。
・・・って、おい!?
目を疑った。両目をこすってみたりもした。が、彼女は変わらずそこに
いた。
全長2キロはある橋を支える支柱だ。おれのいた手すりからも50メートル
は高いところに、どうやってだか、彼女はいた。
彼女は、驚いているおれの視線に気付き、翔んだ。
にっこりと笑った彼女の視線と、狼狽しているおれの視線が絡み合った。
哀しげな微笑みだった。
ていうかそんな感傷に浸る間は無かった。
彼女が飛んだのは海面の方。逆なら手すりを降りて受け止めようとした
かも知れない。しかし逆側の真下は、海ではなく橋梁を支えるコンクリー
トの土台。
右手が支柱を掴んでる状態で、彼女の体が目の前を通りかかったらどう
する?
とっさの反射で、左手で、掴み取ろうとした。
自分の脇を飛び抜けようとするライナーにグラブを差し出すのと似て
いた。普段グラブをはめている右手は埋まっていたから、左手を伸ばすし
かなかった。
そして当然、落ちてくる人を片手で受け止められる筈も無く、おれの体
は巻き込まれて空に飛び出していた。
左肩の付け根からイヤな音がして、左腕の感覚が無くなった。
おれは体が下に引っ張られる瞬間、思い切り手すりを蹴って、残った右
手で彼女を抱き寄せた。
彼女も、抱きついてきた。
柔らかくて温かいなんて感触に浸る暇なんてほんの一瞬で終わった。
何せ地上数千メートルからのダイブじゃない。
水面もコンクリートの土台もすぐそこだった。
おれは脚を一瞬折りたたんで支柱を蹴り、二人の体はきりもみ状態で水
面に突っ込んだ。おれの左腕を固いコンクリートにかすめながら。
そう。おれの左腕の何割かは、コンクリートの土台にへずりとられていた。
骨や関節だってばっきばきのぼっきぼきだ。
水中でおれは、死ぬほど絶叫してた。文面にすれば「あいうぇお」の並
び替えと濁点の付け替えと強弱の変化だけで数ページ分くらいは余裕で埋
まってたと思う。
正直、その直後は生きてたか死んでたかも、分からなかったし。
だから水面まで二人を運んでくれたのも、おれの体をどうやってだかコ
ンクリートの土台の上まで引き揚げてくれたのも、彼女だったと思う。
彼女は、左腕の痛み以外何も考えられず絶叫していたおれの唇を、自分
の唇でふさいだ。
一種のショック療法っていうのかな。
痛みとキスのショックでもごもごしてたおれが叫び止むまで、彼女は唇
を離さなかった。
おれが叫ばなくなってしばらくしてからようやく彼女は唇を離し、こう
言った。
「あたしを助けちゃった責任、取ってもらうからね」
おれはワケがわからないまま答えた。
「ああ、どーんと任せておけ!」
そのままおれは気絶したらしく、次に気が付いた時には、病院のベッド
の上にいた。
橋のたもとを通りかかった船に助けられたらしい。おれの他にはその場
に誰もいなかったそうだ。
おれの左腕は修復不可能なダメージを受けて、おれは選択を、いや一択
を迫られた。左腕を切り落として片腕で生きていくか、人工腕を付けるか。
どちらを選んでもプロへの道が閉ざされるのは変わり無かったので、お
れは人工腕を選んだ。
もしまた目の前をカワイイコが落ちていっても、今度は片腕で受け止め
られるかも知れない・・・。二度とごめんだが。
とにかくこれが、おれとあいつの出会いだった。
夏の終わりから秋にかけては、人工腕の慣らしにほとんどの時間を取ら
れた。もちろん、勉強も試験もあったが、身が入るわけも無かった。プロ
に進むと信じ切っていたのだから。
成績はパッとしないまま、秋も冬も過ぎた。大学全入時代のおかげで、
適当な大学への入学許可通知が何通か卒業式までに届いてはいた。
どの道に進むべきか?
5歳の時に、おれの前から姿を消した両親を探し出すというささやかな
ライフワークも行き詰まったままで、おれは途方に暮れながら卒業式当日
を迎えた。
高校3年間の野球部生活でずっと相棒だった男、甲子園決勝でおれの暴投
を捕れなくてこの上、いや際限無く落ち込んでいた筈の男は、おれをフっ
た彼女の付き添いの甲斐あってか、すっかり立ち直り、プロからも指名さ
れていた。
おれとあいつの注目度は当然ながら逆転していた。世の常ってつらいやね。
そんな二人と顔を合わせてもお互いに居辛いだけだったが、幸い違うク
ラスだった。式の最中も、式が終わった後も、その二人だけでなく、元野
球部の仲間達も避けた。
式が終わって、校門前にいたファン(そう、まだいてくれたのだ)、そ
してマスコミ連中(こちらは元相棒がメインの取材対象だろう)を避ける
為に、おれは校内をうろついた。教室も、野球部の部室も、他の連中がい
て近寄れなかった。
こそこそ逃げ回っているうちに、おれは屋上にたどり着いた。
頭上いっぱいに広がる青空がうれしかった。
思い切り背伸びをして新鮮な空気を吸い込み、おれは金網の方に歩いて
いった。
で、その向こう側に、あいつがいた。
おれの左腕を、プロ野球選手としての将来を奪った奴だ。
あいつは、金網の向こうの、校舎の縁に腰掛けながら、足をぶらぶらさ
せていた。
おれの足音だか気配を感じ取ったあいつは、縁にぱっと立ち上がると、
おれに向かって言った。
「やあ!」
おれは、反射的に応えていた。
「よお!」
「きちんとしたアイサツは、初めてかな、かな?あたしは、中目零那。
レイナって呼んでね!」
「お、おう! ・・・って、お前、またそんな所にいて!だいたいお前の
せいでおれは・・・!」
レイナと名乗った彼女は、175cmはあるおれの背丈よりも高いフェンスを
飛び越えて、おれの傍らに見事に着地した。ぽかんと口を開けたのは言う
までもないが、次の一言でおれの顎はさらに落ち込んだ。
「あたしね、ちゃんとした理由があって、自分を殺すつもりだったの」
「自分を殺すって・・・」
「それをあなたは、理由も知らずに助けちゃったんだな。だからあなたに
は責任があるの」
「助けたんだから、一生面倒を見ろ!、とか言うんじゃないだろうな?」
「ううん、あなたは、私を助けちゃったの。だから、私を殺す責任があるの」
まるで、一足す一は二という様な口調だった。
しかしレイナの口調や眼差しに、ふざけたところは無かった。
それだけに面食らってしまったが、左腕の付け根がちくりと痛んで、
おれは正気に戻れた。
「いいかげんにしろ!人の左腕と将来を潰しておいて、その上犯罪者にな
れだと!?」
「・・・知りたくないの?」
左手で彼女の横面を張ろうとして、あわてて右手に切り替えようとして
いたおれに、レイナは言った。
「何をだよ?」
「全部♪」
「全部?」
「シラキ、タカシ君だよね。お父さんとお母さん、どうしていなくなっ
ちゃったのか、知りたくないの?」
「な、何でお前がそんな事知ってるんだよ?だいたい、お前どうやってお
れの名前や学校まで・・・」
「だから、全部教えてあげるよ。私を殺すって、ちゃんと約束して、実
行してくれたら」
「ふざけるな!第一、殺したら死んじまってるだろ!どうやって教えるっ
てんだ?」
今までに、この類のストーカー系のファンがいなかったわけじゃない。
だが、目の前の女は体の張り方からして格が違っていた。
「ん~、いきなりは信じてもらえないか、やっぱり」
「当たり前だ!」
「じゃあ、ちゃんと時間をかけて、あたしのこと信じて?そしたら、あた
しの事好きにしていいから」
「お、お前、人をからかうのもイイカゲンに・・・」
「タカシ君とあたし、同じ仕事するんだし」
「仕事?大学の事か?」
「ううん、お仕事。覚えてないかなぁ?」
「何をだよ?」
「タカシ君、去年、ある資格試験受けて合格してなかったかな?」
記憶を探って、一つだけ思い当たった。
「受かった連中は他にもいたさ。ていうより、落ちた奴なんかほとんど
いねぇ。合格した連中の間で、数十万、数百万分の一って確率のアレだ
ろ・・・?」
レイナはうなずいた。
受けたのは、両親が姿を消してから自分を引き取って育ててくれた遠縁
のおじさんが、その"仕事"にまつわる仕事をしていたことがあったので、
義理で受けたのが半分。もう半分は、プロ野球と同じくらいか、それ以上
に、両親の失踪の謎に迫れるかも知れないと思ったからだった。
レイナが、おれの目を覗き込んできて言った。
「思い出したかな、かな?」
「思いだしたけどよ。確かに抽選資格試験には合格したが、抽選当選者の
発表ってまだだろ?」
ん~、と人差し指を唇の前で左右に振って、レイナは言った。
「あたしには聞こえるよ。お迎えの人達が、今、ここへの階段を昇ってき
てる足音が。・・・ほら、3,2,1、ゼロ!」
どかどかという足音の群れが、おれの耳にも届いていた。
ばんっ、と威勢よく開いた扉からは、おれが"来る"と身構えたファンや
マスコミなどではなく、黒服にサングラスといった、いかにも、な連中
だった。
そいつらはあっという間に、おれとレイナを何重にも取り囲んだ。
「お、おい、こいつらなんだよ?」
レイナはくすくすと笑って応えなかった。
黒服達の間から、灰色のスーツに身を包んだ女性型AIが姿を現した。
AIの視線は、AIである事を示す横長のアイ・バイザーによって遮られて
いたが、その顔立ちや立ち姿に、おれはどうしてだか見覚えがあった。
おれがまだ、両親と一緒にいた頃の記念写真に写っていた女性の姿。
当時まだ三十代前半だった母親の13年後の面差しが、目の前のAIにあった。
か、かあさん・・・?
それは声にならず、AIもおれの傍らに無感動に立つと、事務的な口調で
告げた。
「白木隆様ですね?」
「は、はい。あなたは・・・?」
「私は、憲法裁判所所属、抽選議院議員付AIです。あなたをお迎えに参り
ました」
「選ばれたの、おれが?」
「はい。十代男性代表の抽選議員として、あなたは選ばれました。白木隆様」
はっとしてレイナを振り返った。
「そ、私が十代女性代表。よろしくね、タカシ君!」
レイナは、おれの傍らに寄ってきて腕を絡めると、体をすり寄せてきた。
おれは身体が硬直した。いろんな意味で、いろんな所が。
AIは、そんなおれの様子には構わず、淡々と告げた。
「正式な一般発表はまだですが、宿舎へとこのままお連れします。よろし
いですね?」
「は~い!」
元気良くレイナが返事した。
「ちょちょちょっと待てよ!これがどっきりとかじゃないって証拠はど
こに?」
AIは黙って身分証明書を開いておれに見せた。本物らしく見えた。
レイナはおれのわき腹を肘で小突いて気を引くと、空や校門などを指差
して言った。
「あれが、冗談に見える?」
空には警察のものと思われるヘリが十機ほど旋回していた。校門の外に
は、いつの間にか、馬鹿でかい黒い卵を載せて運んでいるような超々高級
希少車、セレスティスが一台と、パトカーが学校の周囲に何十台も停車し
ていた。
「ま、マジかよぉぉぉぉ!?」
助けを求めて右往左往するおれの腕を取ったレイナはちゃっちゃと進み、
AIは二人を先導し、黒服達はその周囲を何重にも囲って移動した。
こうしておれは、野球漬けの世界から、得体の知れない政治の世界へと
放り込まれたのだった。
<次へ>
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