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原発事故の後や、安倍政権やその後でも、日本て、日本政府や与党政権て、こんなにも愚かになれるんだという下限を想定以上というか、下限を振り切って邁進していった一年でした。まあ、中国政府含め、ゼロコロナをあきらめた事で、コロナ禍に人類(各国政府)が白旗をあげた一年でもあった。予想以上に、中国での感染の広がりは甚大で、世界経済とかへの影響はすぐにでも出てくると思うけど、それはいったんさておく。日本政府が、専守防衛を投げ捨て、外国を先制攻撃すると公言したのも大きい。安倍元首相が暗殺されるという大事件が7月にあったけど、裁判が始まる様子はまだ無い。驚いた事に、テレビの年末特番で報じるキー局が皆無らしく、報道の自由度の世界ランクなものを気にするまでもなく、報道規制はもう戦時中にまで逆戻りしているらしい。トマホークの購入、アメリカから言われて買ったかどうかはある意味どうでもよくて、先制攻撃で例えば中国に向けて発射しても、弾着まで数時間かかるので、相手の大陸弾道弾(核弾頭搭載)の方が余裕で先に日本に届く(十数分)とか、少なくとも先制攻撃の意味は皆無ですよね?な事くらいは政権中枢は理解しておいてほしいし、その支持層にも理解しておいてほしい。無理なのは承知してるけど。ウクライナへのロシア侵攻で、いわゆる左派(安倍自民政権とかにも批判的だった人々)が、アメリカ憎しの心底が露呈してロシア・プロパガンダに乗せられてたのを嫌というほど見せつけられた一年でもあった。ウクライナの人が英語や日本語で丁寧に解説した記事がいくつも流れてたけど、アメリカの代理戦争論大好きな皆さんは台湾やトマホークの方で勢いを得てしまって自省する機会を逸したようだ。まぁ、日本政府が自己決定権を有していないのはおそらくその通りだというのが、理解を難しくしているのかも知れないけれど。アメリカ政府、そんな万能じゃないよ?円安が進んだ一年(というか10月後半くらいから)でもあったね。110円台後半で進んでたのが、150円くらいにまで乗って、いろいろあって今は131円くらいか。長期的に日本の価値が上がってく要素が皆無なので、また根源的な円安方向にしか振れていかないと思うけど。物価も上がる。税金も上がる。賃金が上がらない。そして戦争に突入する。それでどうやって国が経済が育つ?先制ミサイル撃てば破滅なのを理解してない与党政権支持者とともに滅ぼされる未来しか、今のところ無さそう。アメリカ政府がコントロールしてるなら、台湾戦役始まってからでないと撃たせないだろうから、それだけが歯止めになるかもね。ウクライナの人々は、本当に全てを懸けて戦い、ロシアに対し優位に戦況を推移させている。ロシアがやっている事は、ほぼ、かつての大日本帝国のやっている事と重なる。国連安保理常任理事国であり、有数の核兵器保有国という大きな違いが、世界を破滅の淵にまで追いやる可能性は消えていない。第三次世界大戦が起きる兆候が世界中で見られるとも言われている。単なる一般市民の一人でしかない自分に何が出来るのか、ずっと考えている。ほぼ何も無い、が答えでもある。大日本帝国が朝鮮を併合し中国を侵略し、無謀な太平洋戦争にまで踏み切った時、いずれも大多数の国民はその行動を支持した。熱狂的に。自滅行為でしかない先制攻撃論への熱狂的な支持を見るに、日本人は何も学べないようだ。学んだ人々も、学べたように見えた時期があったかも知れなくとも、引き返せない地点はとうの昔に過ぎ去って、もう戻れないようだ。安倍元首相暗殺の後に、旧統一教会との癒着が報道されるようになり、無茶苦茶なコロナ対策や軍事力強化の為の増税で殺されそうになっても、それでも自民党政権を支持し続ける日本人に、未来なんて無い。破滅以外の未来は。最大野党の立憲民主党も、支持母体の連合を切れないので、何も期待できない事をこれ以上ないくらい証明してくれた一年でもあった。ほんともう、どうしたら良いんだろね?と迷い続けた一年でもあった。引っ越したり車買ったりいろいろした一年でもあったんだけど、それらはあくまで私的な事で。世界的背景の基調として人口増加と、その増加を支えられない資源枯渇というか逼迫が不可避で、だから疫病や戦争が蔓延させられ、その歯止めとなる人権思想は後退させられている、のかも知れない。だとすると、本当に個々人に出来る事はほとんど無いのかも知れない。ガメさんも書いてた、人間性を失わないようにする、というのが最後の抵抗線にはなると思う。人間性を失う事を前提にするなら、本当に何でもありになってしまうから。たぶん来年は、世界の変動に翻弄されながらも、最後の一線は守ろうとしながら、それでも総体としては押し流されていく一年になるのかなと思います。コロナ禍とか、終わりが見えないしね。いつ起きてもおかしくないから書いておくけれど、東日本大震災くらいの天災が起きてもおかしくはないし、中国が最悪割れる事態が起きてもおかしくはない一年になるかも知れないとは書いておきます。(それが望ましい未来につながるかは未知数です)I wish us a happy new year.て感じかな・・・wウィルスに望みは託したくないけれど、そうなる可能性もある・・・
2022.12.31
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親等的にはとても近い誰かの生が終わった。絶縁状態にあったので、ガンになったと聞いても、手術したけど手遅れだと分かったと聞いても、臨終が近いかもとか聞いても、さして、というよりは、ほぼ全く、心は動かなかった。姉兄とかから情報をもらってても、葬式は行くよ、という反応しか返さなかったくらい。それが連れ添い続けた母を裏切り肉体的にも精神的にも傷つけ続けた相手に対する、当然の仕打ちくらいに思っていたし、それは今でも変わっていない。無理矢理退院してきて自宅療養というよりは看取りとなり、いよいよ本当にやばい、危篤状態だと聞いても、行くかどうかは悩んだ。結局は、行くことにしたというか、なったというか、微妙な感じだった。東京に出て二十年くらい住み、そこからさらに滋賀へと離れた道を逆向きに辿る里帰り。若い頃に慣れ親しんだ地元路線の駅名は、ひどく懐かしい感じがした。危篤だと聞いて来たのに、その前日はずいぶんと暴れたらしい。自分が着いた日には痛み止めを強くしてまともに話せない感じにはなっていたけど、そんなに元気ならまだしばらくは、という気がしないでもなかった。集まっていた家族達としばし歓談した後、彼彼女らは、帰宅していった。家に残っていたのは、その相手と連れ添っている同居人と、その相手の友人。夜遅くまで話し、風呂に入り、その相手が創り込んだ居間に布団を敷いて寝た。それからわずか二時間ほどで起こされて、その時が訪れているのを知った。連れ添いの人が、手を握りつつ、目を弱弱しくも開きながら、懸命に呼吸しているその相手に語りかけていた。友人の人が、その体を抱き支えながら、やはり語りかけていた。自分はその相手の目の前に屈み、その相手もこちらを見た。だんだんと目に力が宿り、目がしっかりとしてきた。「今なら、何か言えば伝わるよ」と友人の人に言われた。で、考えた。今まさにこの世から離れようとしてる人に、ある意味自分らしく生ききった人に、そして絶縁していた相手に、何かかける言葉があるだろうかと。がんばれ。違う。死ぬな。これも絶対に違う。生きろ。間違ってる。諦めるな?ふざけてる。かけるべき言葉は、思い浮かんだけれど、それはまだぎりぎりで死を迎えてない人にかけるべきものではなかった。力強さを取り戻しかけていたかに見えた目はだんだんとまぶたが閉じていった。抗うような呼吸も、だんだんと間隔が空いていった。そうして瞳が静かに閉じ、呼吸も、止まった。死が動かぬ確定したものになった後、私はその相手の額に触れ、言った。お疲れ様。と。他にかけるべき言葉は、見つからなかった。その後の数日は、その相手の知人友人その他諸々といろいろ言葉を交わし、故人となったその相手の知らなかったエピソードや側面などを数多く知る機会を得た。傍迷惑な存在ではあったけれど、誰かの力になったり支えになったりする事が出来る人でもあった。納棺までの数日も、納棺され出棺され焼かれて骨になり骨壷に収められてからも、悲しいという気持ちはひとかけらも浮かばなかった。納骨の際に家族で泣いてたのは姉一人で、自分や、妹の一人は、とても冷めた目でちりとりで粉状になった骨を最後に集められたその相手の末期の姿を見取っていた。近しい誰かに抱かれながら見送ってもらえた。親しかった誰かに惜しい人を亡くしたと悼んでもらえた。コロナなんて物騒なものがあっても、集まってくれた人々がいて、遺体の周りも、棺桶の中も、花で埋もれた。本人にとっては、たぶん、悪い人生では無かったのだと思う。人の意見を聞かない人で、誰よりも自分が正しいと信じ、それが元で医者の忠言を聞かなかったのが最後の命取りとなって、死んだ。笑える。きっと他人事なら、この相手もその誰かを笑ったことだろう。死ぬまでは、生きている。その相手の言葉で、自分が一番覚えている言葉。そう、確かに、死ぬまでは生きてて、ただしその瀬戸際に出会える機会は、たぶん、そう、無い。死んだ後の数日にあった出来事まで当人らしいと言えばらしい諦めの悪さがあったけれど、趣旨が逸れるのでここでは書かないで置く。でも、帰郷してから、また戻ってくるまでの数日で出会ったその相手のエピソードの数々は、話として聞く分には面白いものが多かったので、本か何かにまとめるかも知れません。そう、後日振り返ってみれば、というもので、当事者としてそこに立たされていればたまったものではない、というのが、いくつもいくつも出てきたから。迷ったけれども、結果的に、死に目には会えて良かったと思う。理屈ではなく。自分がどう残りの生を生き、どう死んでいくのか、という事を想像させられたりもしたけど、そういう事でも無く。元の生活空間に戻り、ペットホテルに預けていた猫と再会し、リモート中心で働く日々が再開され、コロナの発症はとりあえず無いようだと安堵しながら数日が経ってから、書かなきゃなぁ、と思っていたこの記事を書きました。今でも、かけるべき言葉と、そのタイミングは変わっていません。お疲れ様。
2020.08.27
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未来日報(2019年8月14日)2020年9月7日。7月22日から8月6日までのオリンピックでは四人、8月25日から9月6日までのパラリンピックでは十人の死者を出しつつ閉幕した東京五輪の組織委への批判が世界中から殺到する中、安倍内閣は、「東京五輪競技中に死者や急病人が続出した事は想定外の不幸なアクシデントであり、組織委の運営に落ち度は無かった」との閣議決定を発表した。この閣議決定に対し、東京五輪組織委と日本政府関係者のVIPルームにのみ冷房装置は取り付けられ稼動していたという事実にも海外のマスコミは批判を寄せているが、小泉進次郎官房長官は「そのような事実は存在しない」と記者会見で述べた。東京五輪前に新たな官房長官に任じられた彼とその妻と幼子と首相夫妻とが汗をかかずに観戦する写真は世界中のメディアのトップニュースを飾ったが「捏造だ。語るに値しない」と事実を否認している。なお、女子マラソンと男子マラソンで首位で新国立競技場まで戻ってきたものの、ゴールテープ寸前で倒れ急逝しメダル取得がならなかったそれぞれの日本代表選手に対し、靖国神社が英霊の座に加えることを提唱。超党派の日本会議所属議員達が特別立法を検討し始めた。両名に贈られる特別な金メダルはあさがおを象(かたちど)ったものになる予定。競技場の売店員や各競技の開催を支えたボランティアの間でも、オリンピックとパラリンピックの開催期間中に、三十人の死者と二百人を越える病院搬送者が出た事に関して、内閣の閣議決定も靖国神社も超党派議員達も言及を避けたが、東京五輪招致の象徴とも言える森元首相は取材に対し、「必要な尊い犠牲だった」とコメントした。2019年8月14日 未々嘉瀬代 著
2019.08.14
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久々の更新です。とあるツイートを見かけて書いてみます。反応したら負け判定らしいですが、そんなの糞食らえという事で。40歳独身バツ無しはヤバイ男、だそうで。肯定してみようか。否定したり、そう発言したら「ほら察し!(嘲笑)」となるそうなので。自分自身はまぁそれなりの理由があって、独身バツ無しで来たわけだが、それも自分自身の理由だと思う。いろいろ失態もやらかしてきたし、別にそれらを否定する理由も無い。だからと言って、「40歳独身バツ無しはヤバイ男」認定の暴言は看過してよい類の物とは思えない。例えば、私がヘテロでなくゲイだったら?あなたのその言葉は彼らの在り方を真っ向から否定し差別していた。その他身体的経済的心理的事由はいくつでも挙げられるけれど、男性を女性に置き換えてみるともっとはっきりする。40歳独身バツ無しはヤバイ女。こんな事を「女性が」つぶやいて、袋叩きに会わない理由もあまり無いと思う。「男性が」つぶやいたら炎上間違い無し案件だ。もっと端的には、クリスマスケーキ(25歳過ぎたら)とか、30歳越えて処女(童貞)だなんてとか、いろいろありふれた差別がある。発言した当人は軽く揶揄したり、イジってみただけとかいう意識しか無いかも知れない。普段まともそうな発言してる人達でも、「ほら察し(嘲笑」に同調してるのが何人もいた。自分は結婚してるから、もしくはパートナーがいるから、もしくはバツ(離婚歴)がついてるから、自分は該当しないから、だから該当している連中を差別して愉しんでも良いのだと考えてる。既婚でも独身でも何でもいいじゃん。そんなの当人の都合だけじゃ済まない物事なんだし。どうしてそんな他人の都合をからかって嘲笑しようとするかな?私はそんな人達を等しく軽蔑します。
2018.05.13
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何というか、もうほとんど使ってないブログなのだけど、pixivに連載している『GuP Zweite』のリンク先情報を載せるのに、ここが適当なのかな、という事で記載。(前の記事との落差がすごすぎだけどまぁそこはスルーでw)BoB出場戦車一覧と、参考リンク(一部追加変更入るかも知れません)第一セットグリズリーシュトルムティーガーⅡ号戦車M型T28ヴェルデハⅠE7538 (t) n.ASU-100YA20M7セントーテトラークブラックプリンスStrv.m42MT60SU100第二セットⅠ号戦車C型M2軽戦車クロムウェルコメット43MトゥラーンIII重戦車パンターFBT7JS3SU101SU100M1第3セットチャレンジャー重ヴァリアントスーパーパーシング(T26E4重戦車)KV1ST80E50A32T-44V(T54-1)レーヴェAH-IVM22ローカストT28コンセプトSav m/43Object 260Valentine XIObject 704SU18トータスT3 HMCT29T21
2017.03.28
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ブログに書き残すような事かどうか少し考えてみたが、やはり一生に一度しか無い事なので書き残しておこうと思う。 もう何十年も難病と闘い続けてきた人で、入院回数も期間も手術回数も飲んでた薬の数も全て把握してた人は誰もいなかったと思う。 あと数ヶ月とかあと半年なんて宣告を何度となく受け過ぎて生き延びすぎて、誰ももう深刻に受け止めていなかったし、本人があと数週間で私は死ぬと言い出しても結果は同じだった。 投薬の結果、人格や記憶が定かでなくなった期間すらあった。家族や自分すら分からなくなって、これは植物状態以上の人格の死ではないのかと思ったりもした。 昨年とその前くらいからフル介護が必要になったりもして、家族も相応の負担をした。自分自身を含めて。月並みだが経験しておいて良かったとは思う。 ここ最近は、当人のこれまでの病歴や状態を鑑みれば安定しており、正月には一週間ほど自宅で普通に過ごせていたらしいし、自分は電話越しにその元気な声に安心したりした。 それから僅か二週間後の今朝方、姉から電話があった。一度切れたが、こんなタイミングでかけてくる要件としてはほぼ一つしか考えられず、かけ直してそれは確かめられた。 悲しくはなかった。 涙を催す気配もなかった。 また暗い部屋の中、ベッドにネコと布団にくるまりながら、込み上げてくるだろう感傷に浸ろうともしてみたが、そうかぁ…、といった漠然としたものだった。 いろいろ間に合わなかったかという後悔めいたものはあったけれども、ツイッタで全く関係の無いやり取りをしながら朝を迎え、忌引きの手配をしたり、ペットホテルのアテをつけたり、その他諸々の準備を終えてから、予想外に早かった帰京を終え、躯となった母と再会した。 やはり悲しみは込み上げなかった。 穏やかな、本当に眠っているだけにしか見えない、往生した姿だった。(本人クリスチャンだけど) 兄弟や親族と葬儀その他の話を詰め、それぞれの家に帰る者と、遺体と共に残る者とに分かれ、台所を片付け、部屋に下がった後のことだった。 洗い物も片付けも済んだ筈の台所で、まだ何かを洗ったり片付けている音が続いていた。親族の一人の叔母さん。ここに通うには少し遠い場所に住んでいるのに、何かにつけ来てくれたり母の世話を手伝ってくれてたりした人だった。 兄が風呂を入れ、本人は疲れたからと入らずに部屋に下がり、叔母さんはまだ興奮しててお風呂入ってもすぐ寝付けずに湯冷めして風邪を引いてしまうからと辞退したので、自分もしばし部屋に下がった。 それから風呂に入る前、叔母さんに声をかけようとした。母の遺体を寝かせてある部屋の入口で、叔母さんは、正座したまま上体と顔を正面に折り畳み、泣くでもなく、震えるでもなく、おそらくその視界は床に向けて閉じられたまま、死体に、人生を終えた誰かに相対していた。 声をかけられず風呂に入り、出て、また部屋の前を覗くと、足を崩し身体を起こしていたので、何言かを交わし、会話の途切れる際にそこで風邪を召されないよう言い残して、自分はまた彼女をそこに残して、部屋に下がった。 まだ一時間ほども彼女は遺体の側にいた。 無言でその遺骸に向き合っていた。 言葉にするなら、あれが死を悼んでいる姿なのだろうと感じた。 これを書き終える頃になって、彼女は風呂には入らず、彼女に割り当てられた寝室に下がり、襖をすーっと閉じた。 これが、自分の母が死んだ一日だった。 2015年1月18日 記す
2015.01.19
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楽天ブログでは超久々の更新ですね。ほとんどツイッターで用が済んでしまっているので。しかしこれは一応手間がかかったので、パクつい対策の為に、ブログ経由でうpしておきます。嘘記事画像作り終わって、予定投稿時間までちょい時間あったからというのもありますが。英語記事も作ろうかと思いましたが、徹夜でこの時間になったのでたぶん別の気が向いた人にでもお願いします。フランス語は私できないので以下同順。いろいろありますが、いちおう、私はいつも通り、好きなように生きてるっぽいです。ではまた。元記事:仏紙が汚染水と東京五輪を風刺-大変遺憾、抗議すると菅官房長官 (1) 元記事記者とエディターと発信社様におかれましては、お茶目な偽(嘘)記事を看過して頂けますようお願い致します。
2013.09.13
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微妙にというか実際にはもう40歳は過ぎてたりするのだが、何となく。最近のガメさんのいくつかのエントリに関して思う所がいろいろあったので、書き留めておこうと思う。・はっぴー・あんはっぴー・30歳・「微かな叫び声」についてのメモ巡回ボット以外の誰が見てるんだというようなブログなので断り書きなど不要なのだろうけど、一応、冒頭に書いておく。ガメさんとの『光』に関するtwitterでの会話で、「違うと思う」という表現を使われたりしたが、実際、「違う」のだと思う。死に対する捉え方も距離感も、彼と私では違う。ガメさんの聞いたという声が、私の聞いた声とが同種だとは感じていない。単純に、「違う」のだ。ガメさんが何度も繰り返し書いているように、死や世界は、その大部分が言葉の外側に存在している。言葉は生きている人間が生み出してきたのだから、当然の帰結ではある。「世界が自分になど関心をもっていない」というのは親から教わらなくとも子供達が皆学び取っていく世界と人間との関係だと思う。暴走族のマフラー改造からいじめから他人に見せる宗教的な苦行まで、自分に関心を持って!、という叫び声としては一致している。自殺さえその手段の一つとして広く認知されてしまっている。だからこそ、世界の創造主たる『神』が「あなたを愛しています」という宗教は広く長く受け入れられてもきたのだとも思う。自分は世界から関心を持たれているのだと安堵出来るから。(その自己の存在を肯定してくれる『神』を必要としなかった日本語が何故生まれた得たのか、自分なりの解は探し終わっているが話がずれるのでここには書かない)だからこそ、人と人のつながりにおいて、人は自分の生に意味を見出しても来たのだろう。家族を成し、血と感情の系譜をつなげていく事によって。あるいは、何らかの作品や業績を後世に遺す事によって。英語にありそうで実は無い日本語として、客観的事実という言葉がある。使われ方としては、第三者にも検証され確認され得る事実、といった意味合いだろうか。英語では客観も主観も無く、factはfactでしかなく、realはrealでしか有り得ない。自分自身が気に入っている個人的な造語として、主観的事実という言葉がある。第三者からの検証や確認が不可能な事実。幽霊を見たというのも、他の誰にも聞こえない声を聴いたというのも、その他諸々他人からすれば即座に否定されてしまうかも知れなくとも、当人には絶対に起こった出来事などが該当する。私の最近の出来事の一つで言えば、もう何十年も闘病を続けている母のこんな言葉があった。「私、夢の中で神様と会ってね。あと五日で死ぬって言われたの」もうずっとずっと、あと数か月だの半年だの数年だの言われ続けてきた家族からすれば、その少し前に記憶をぐずぐずにしてくれた投薬の影響で、身体的な状態で言えばとてもあと数日で死亡する状況には見えなかったので、「そんな事無いって」というのが共通した反応となった。母がそんな話をしてから十日経ち二十日経ちひと月ふた月以上が既に過ぎた。容体も意識も言動も、当時から比べれば格段に安定してきている。だが、彼女が夢の中で神様と会って、「あと五日で死ぬ」と言われた事を否定する事は、誰にも出来ない。死はおそらく状態の変移にしか過ぎない。私自身、死にかけた機会は覚えているだけで2、3回はあった程度だと思うが、一度は記憶がその寸前から途切れ、次はベッドの病床の上で意識が戻ったので、幸か不幸か、死を体感したりはしなかった。もう一度は横転した車で崖下に落ちかけたなんて出来事だっただったりしたが、起こってから終わるまで死を意識するなんて暇は無く、天井が逆さまになった車の中でまだハンドルを握りながら笑い続けていたのを覚えている。死にかけて怖かったからなんて高尚な理由ではなく、単に事が起こる前から笑っていたのが続いていただけで、それだけ一瞬の間の出来事だった。ガメさんが死体だけから死の全てを語っているとも思わないが、死を迎え入れた体から人間の死の全てを語るのは、たぶん、違うと思う。端的に言うなら、セミの抜け殻を見て、それがセミの死骸であるかそうでないかという見地の違いだと思う。私は、幼い頃、小学一年か二年の頃だったと思うが、予知夢を見た。予知夢を否定する様々な言説を見聞してはいるが、自分の中の主観的事実を崩すには至っていない。デジャヴであれば数十回以上で、起こっている現実と重ね合わせの様に、起こっていたかも知れない現実を見た事もある。それ以外にも主観的事実としてしか語れないような数多くの出来事や体験などがあり、特に予知夢は、自分にとっての人生を決めたとても大きな一つの出来事だった。それを可能にする理屈が存在するのかどうか。ずっと考えてきた。しかし一つの大前提として、起こった事は否定され得ない。誰かに起こって他の誰かに起こらないから事実として認定され得ないというのは、全く論理的でも科学的でもないのは、最近の記事のいくつかに書いたりもした。そういった積み重ねから、当然、私は死が終わりでは無いと感じ取っていた。時の流れが一定でしか有り得ないという説も、世界の実態にそぐわないだろうとも感じている。私が聞いた『声』というのは、「知性」でも「光」でも、たぶん「時間」でもない。それは、人、の声です。女性の声でした。ただし、その人は、おそらく遥か遠く昔に死を迎え、その意志と意識で私に『声』を届けてくれました。その『声』の内容は、ここでは書けません。その後の私の調べ物のきっかけとなり、おそらく近い将来、私が出すであろう本の巻末にでもさらりと触れるでしょう。病気だとか電波だとかその他の評価はお任せします。世界は自分になど関心をもっていないかも知れません。でも、誰かは誰かに、もしくは誰かは何かに、関心を持つ事は出来ます。そしてそれは誰かにとっての世界を変え得るし、時や死を超える事さえ出来るのです。そういった全てが、私というたった一個の存在が生まれた理由だと思っています。私は、虫けらと人間やその他生き物で、宿っている命が別物だとは全く思っていません。同じ所から来た、同じ物質めいた何かで満たされていると考えています。だから、身内の葬式などで死体を見て、それが火葬されて原型を留めない姿となっても、あまり感慨は湧きません。逆に、毎年特に夏に跋扈する蚊を叩き潰す度に、その潰れた死骸を見て死を考えていたりします。
2013.03.05
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こんなニュースをtwitter経由で目にした。差別はネットの娯楽なのか(10)―不逞鮮人追放!韓流撲滅 デモ in 新大久保「良い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」そんで何度か紹介してる大庭亀夫さんとのやり取りで、『(^^;)そんなことをのんびり論評しているヒマがあったら大久保に行って日本人がそんなにケーハクなバカなのではないことを見せに行きなはれ @nanasinonaoto 双方の大多数はそんな事思ってないから行動を起こすまでも無いと達観してるつもりだからかな』と返されて、グウの音も出ないというか、うん、そうだよね、としか思えなかった。いつも書き物とかしてるスタバからの帰り道でも、いやそのレスを見た直後から自分の頭を過ったのは、いくつもの言い訳だった。いわく、職場の自分の立場や生活基盤への影響やなんかだ。職場の同僚との会話で聞き過ごせない内容等があれば、その相手との関係がその後どうなろうが言うべき事は言ってきたとは思う。だけれども、さらっと調べただけでも、それとは違うレベルの覚悟が必要とされてるのは分かった。気軽に、「じゃあ今度機会があったら行ってみますわ」と口約束だけして放り出せるようなレベルの主張だけに在特会が終始してないのも分かった。彼の日記をずっと読んでて、記憶に残ったフレーズにこんなのがあった。今まで読んだ書物の中で目にした悲惨の数々に対して、今までどれほどの行動をしてきたのか数えてみるといい。自分自身、二十年近く前の若い頃はバイトしながら政治方面のボランティアをしてた事もあった。選挙の手伝いをした事もあった。市民の中から有志の人を政治家にまでというような活動だった。今で言う大阪市長の政治塾の走りみたいなものだった。でも何年も関わってみて、そのやり方だとダメだろと見切りをつけて離れた。その判断自体は間違ってなかったと今でも思っている。その後、自分の基本的なスタンスは、自分に出来る範囲で、自分の出来る事をする、になった。最優先は、自分がその時一番やりたい事をする、で変わっていない。原発事故のその後に関しても、たぶん、すべき事からは離れている。韓国や中国に対する周囲の感情に対しても、たぶん、すべき事からは離れている。言い訳というか、言い訳にもなっていないが、結局は分かっているのだ。自分がアメリカの大学のキャンパスでただ一人の日本人として体験した困難な時期、自分を一番助けてくれたのは、その後の大学生活の基礎を築いてくれたのは、学校全体と言って良い程の”アンチ日本人”の雰囲気の中で、自分のルームメイトや同じ寮の生徒達や、その他ごく少数の例外達が、自分の傍にいてくれた事だった。つまりはそういう事なのだと思う。表立って自分を標的にしていた生徒達と行動を共にしない生徒達もいると見て分かるだけで救われていた。在特会はたかが一万二千人程しかいない。彼らの存在を、正直、私は今日の今日まで知らなかった。それなりに政治方面のニュースは気にして見てた方だと思うが、全く見落としていた。だが、彼らの姿を、もう二十年以上東京で生活している私は、一度も目にした事が無いのも事実だ。その名前を周囲の誰かから聞いた事も無い。日本が極右化していると外からは気にされているらしいが、日常を過ごしている限り、全く実感が無いのも、少なくとも個人ベースでは事実だ。右翼の街宣は相変わらずどこでもスルーされている。安倍政権になってから彼らが勢いを増したなんて事実もまたたぶん無い。それでも、極端な意見や行動が外部の目に留まりやすいのも事実ではある。まして公的な中立の存在である筈の警察が、彼らの行動を抑制するどころか容認しているのであれば、それを持って、外部の人々が「やはりそうだったのか」と思ってしまうのも当然の帰結なのだろう。「良い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」たぶん、日本人が唱えられる最低の主張の一つに数えられるだろう。在特会の内側に理性というものが存在しているのなら、このプラカートは掲げさせていなかった筈だ。ほんの少し調べただけでも、そんな理性を期待する方が無駄という事も分かってしまっているが。そんな連中の為に、自分の為の時間を一秒でも浪費したくはないという自分がいるのもまた事実だ。週末に自由に自宅を離れられなかったりもする家庭の事情もあったりするが、もしそれが無かったとしても、今後到底日本の大多数を占めるようになると思われない連中の主張を否定しに大久保なりに出かけるかというと、正直厳しいものがある。自分の興味が向いた内容で、それを調べる為なら対馬でも奄美でも沖縄でも九州でも山陰山陽でも関西でも北陸でも、日本の広範囲を探索してきた。それは、今みたいに竹島や尖閣が喧しい話題になるずっと前から書き始めた一遍の物語がきっかけになって、日本人だけでなく、周囲の韓国や北朝鮮や中国の人達や、在日と呼ばれている人達全てを巻き込んだ歴史の調べ物につながってしまった。もう大半は書きあがっている状態で、ある意味放置してある。良く言えば寝かしている。裏付けの一つの鍵となる『漢字』の発祥と変遷の解釈などで、自分自身を完全に納得させられる仮説をまだ立てられていないから。いつになったら正解に至れるのかは分からない。至れなくてもある程度の見切りをつけて、自費出版でも何でも、形にして残すとは思う。それがどの程度の影響を世に及ぼせるかなんて、私は知らない。それが大久保の在特会のデモに反対しに行く事よりも大事でないかどうかも。実際は、他の考え事や書き物やその他に興じてるだけだったりもするんだけどね。それら全ても含めて、私のやりたい事であり、やらなければいけない事でもあると思う。自分の手が届く範囲で、自分の目に届く範囲で、自分の耳に聞こえる範囲で何かがあれば、たぶん間違い無く、今まで同様、自分は自分に出来る事はすると思う。ただしそれでは明らかに足りないと分かった時、まぁつまり今がそうなのかも知れないけれど、やっぱり自分に出来る事をしてみようと思います。それが現地に行って何らかのメッセージを書いたプラカートを掲げる事になるかどうか、今は分かりません。歴史や領土問題などで、韓国側の主張が逐一正しいなんて私は露程も思っていない。しかしそういった食い違い全てを排除した上で、「良い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」という主張は絶対に間違っているだけでなく、日本人の今後を危うくする事にしか役立たない事だけは、今の自分にも出来る事として明記しておきます。
2013.02.18
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これは、どうすれば幽霊が見えるようになるかといった記事ではありません。単純に、幽霊が見える人と見えない人が同時に存在している状況を説明できる理屈について考えてみた記事です。幽霊は、論理的(Logical)な存在であり、その在り方は極めてデジタルな存在に近しいと考えられます。幽霊を否定する理屈は下記の様なものでしょう。・誰にでも見えるわけではない・誰にでも触(ふ)れられるわけではない・見えない、触れられない、すなわちそこに存在しているかどうか確かめられない。故に存在を証明できない。科学的な計測装置などでも検出できない、といったのもあるかも知れません。写真やビデオなどの映像装置の記録はこの際省いてしまって全く問題ありません。まず、見えないから存在しない、の考え方についてです。コンピューターやネットワーク上に置かれているデータ(電子情報)を考えて下さい。Aさんにはコンピュータやネットワーク上の同一ディレクトリ(階層)上にある特定のデータが見えて、Bさんには見えないという状況は、日常的に発生しています。幽霊の見える人見えない人の違いの根本は、正に全く同一の理屈(Logic)上に成り立っています。つまり、設定と権限の違いです。例えばWindowsには隠しフォルダという設定があり、システム的にユーザーの目に触れさせたくない場合、表示されないようになっています。表示されないように設定されている場合、全く同じ場所を見ても、見る事も出来ず、触る事も出来ません。会社の環境設定などによって、ユーザーが一切のシステム的な変更が出来ないように権限設定がされている場合、隠しフォルダを表示するように設定を変更する事も出来ません。生きている人間には、おそらく死んでからもですが、その設定を変更する権限が与えられていません。それは人間がいつどこで生まれるか、自殺しない限りいつどこで死ぬか、全く選べないようになっているのと同列の設定だと想われます。しかし例えばファイルシステムであれば、全体の容量と、AさんとBさんに見えるフォルダの容量合計の差から、Bさんには見えないけれども存在している物が計測できるではないか、という意見も出るでしょう。科学的計測という意味であれば、将来的には何らかの形で計測されるようになるでしょう。過去の理論や計測手段では存在を確認出来なかったものなど多数存在します。宇宙(放射)線や反物質が例に挙げられますし、宇宙の大半を満たしていると言われているダークマターも将来的には計測されるかも知れません。今、目に見えないから、手で触れられないから、或いは計測できないから、だから存在しない、というのは全く論理的でも科学的でもありません。トンデモ科学の常套文句かも知れませんが、日本で身近になってしまった放射性物質が一番判りやすい例かも知れませんね。幽霊が見える人と見えない人の間の違いは、設定と権限の違いにより生じています。それらは肉体的な視神経の状態や構造の違いなどには依存しておらず、昨日の記事でも触れた『魂』、肉体とは層(Layer)を異にする存在にでも設定されているのでしょう。人間には触れられない魂に、様々なパラメーターを施す存在を認める事は、一般的には宗教的な行為として受け取られてしまうでしょう。しかし私は単純な理屈として受け止めているだけです。昨日の記事の末尾で触れた夢で死体が埋められた場所を伝えられた人は、別に幽霊が見えるわけではない、と言っていたように記憶しています。(覚え違いかも知れませんが)これも、インターネット通信技術などと同列に考えられます。同一のサーバー配下に存在するクライアントコンピューター群でも、一斉に送られた情報やパケットを受け取れるかどうかは、その宛先に自分が含まれていたかどうかや、対象の情報を受け取る為のポートが開かれているかどうかに依ったりします。全くデジタルでロジカルな仕組みに過ぎません。自分には届いていないから送られていない、というのは現象の報告としてはあり得ても、情報そのものが送られたという事実を否定するには十分でありません。人間には、各ユーザーや端末上の動きを制御するネットワーク管理者の権限が与えられていないので、各ユーザーの権限設定を変更したり、そのネットワークのトラフィックログを確かめる事も出来ない。単純に、そういった理屈の上で、幽霊の見える人と見えない人とが存在しているのだと思われます。
2013.02.07
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ひょんな事から、ついった経由でそんなお題のブログ記事を書く事になりました。元々は、先日の日記でもご紹介した大庭亀夫さんのついった発言などがあったのですが、幽霊は存在しないかも知れないが動く人形とかはコワイ、みたいな。深く考えないでも、人間の記憶は脳の神経細胞の働きによって保持されてる、と一般には理解されています。故に、肉体的な脳を失っていれば、当然、考えられもせず意識を持てず生者と意志の疎通=言葉を用いたコミュニケーションまでこなすという事は、本来不可能な筈なのです。でも古今東西を問わず、様々なバリエーションはありますが、見える人には見えるし、会話の様なエピソードなんてのも数えきれない程存在し、今後も減る事は無いでしょう。与太話なので、出典は!?とか、根拠は!?とかは無しです。思考実験として、あるいはそれすら当てはまらないだろうというなら戯言や妄想の類としておいて下さい。まず前提その1。実際に起こっている事を起こっていない事にするのは、科学的ではありません。幽霊の見える見えないに個人差があるのにも、単純な理屈で説明がついてしまいますが、それは別記事で触れます。前提その2。人間が記憶を実現すると考えられている脳神経細胞の接続経路のパターンは有限であるのに対し、記憶の対象となり得る事象(映像や音声や言語や思考その他記憶され得る全て)は無限であるという単純な事実。もうここまででわかってしまう人にはわかってしまうでしょうが、先を続けます。それでは思考実験を開始します。その1.無限の数を有限な脳神経細胞で記憶しようとすると何が起こるか?<用意する物>・絶対に同一条件での実験を可能にする部屋:狭い個室で、真っ暗な部屋にスクリーンだけが表示されていると考えて下さい。・全く同一の生体条件を持つ、記憶がまっさらなクローン。<実験手順>1.スクリーンに、数字の1を表示させます。2.クローンに数字の1(数字としてではなく画像としてでしょうけれど)を記憶させ、その神経細胞の接続経路情報を記録します。3.次のクローンを部屋に入れ、スクリーンの数字の2を表示させます。4.クローンに数字の2を記憶させその神経細胞の接続経路情報を記録します。5.以降、人間の脳が実現し得る神経細胞の接続パターンを超える数を表示させ、クローンに記憶させ、その神経細胞の接続経路情報を記録していきます。スクリーンにはみ出す程長大な桁数の数字を覚えるのは現実的じゃないとか言うのであれば、文字と数字の組み合わせ(16進数その他)や、図形や色などを組み合わせて実現するとでも考えて下さい。しかし実験の結果おそらく明らかになるのは、同一の脳神経細胞の接続経路情報で、異なる情報が記憶され得るという矛盾です。(記憶のタグ付けなどに関する簡単な説明はこちら→■)脳以外の別の体の器官、例えば手足や胃腸などに記憶は蓄えられないでしょう。であれば、どこに、その違いを記憶しているのでしょうか?それは脳を含む、肉体的な細胞組織以外の働きで、肉体とは別個の存在に記憶(保存・識別)されると私は考えます。同一条件下で、同一情報を見せられて、同一の方法で記憶を神経細胞に保存しようとした場合、同一の神経細胞の接続パターンで記憶しようとする筈です。しかし先ほどの実験で、数字の1を同一の実験環境下で同一生体条件の複数体のクローン(それが2体でも10体でも100体でも1億体でも構いませんが)に覚えさせた場合、果たして脳の同一部所に同一の神経細胞接続パターンで記憶されるでしょうか?もし違うというのであれば、それはやはり『脳の神経細胞の働き(シナプスやたんぱく質の働き云々や現時点で解明されていない未知の脳細胞の機能全てを含めて)のみで記憶を形成している』という説に矛盾を生じさせるのです。違う状態の何かを記憶するには、脳の神経細胞は違う状態にならなければならない筈です。しかし、脳細胞の数は有限であり、記憶できる情報量もまた有限です。その条件下で無限通りの記憶を実現しているのであれば、脳の神経細胞以外の働きでそれを実現していると考えて初めて、脳を持たない筈の幽霊が記憶(情報)を持っていたり、意識を持っていたり、言語を用いた意志の疎通まで可能にしているとも考えられるのではないかと思います。まぁ、口にするのも憚られる、陳腐でありふれた言葉で昔からその存在は示唆されてきてるんですけどね。日本語で言うなら、『魂』という事になるのでしょう。その在り処は心臓とか、肉体の働きとかとは、またかけ離れている存在です。存在している層、英語で言えばLayerが違うだけです。単純な図式で説明すると、空中に浮いている水の塊(球体)でも想像してみて下さい。その内側から水風船を垂らしたのが、肉体と魂と、その出所の関係です。水風船が肉体。その内側に詰まっている水が魂。そして水風船はゴム紐のような存在でその出所とつながっており、出所から離れた肉体はやがて古びて滅び、中身だけがやがて出所に戻る。そんな図式です。魂が出所から離れて元に戻るまで間の記憶も全て、その出所に伝えられてそこにも保存されていると考えられます。モバイル端末とWEB上のデータストレージみたいな関係ですね。そういった図式があって初めて、海外ドラマMEDIUMにあったような、死者の記憶が、誰か別の生者に伝えられるといった事も起こりうるのだと思います。もちろん、幽霊も存在しないし、MEDIUMとかはいんちきだとか言うのも自由です。ただ私がある時に見聞した、MEDIUMの様な実例の報道(面倒なのでソースは探しませんが)、ある時誰かがどこかに殺されて埋められた場所を夢で伝えられて、実際にその場所を掘り返して死体が見つかって、犯人まで捕まったとかいうケースは、記憶が脳細胞内だけのお話で留まるのであれば絶対に説明できません。見つけた人は殺した人か目撃した人か情報を人伝にでも聞いていなければ不可能だ、という事になります。ですが、その夢で情報を伝えられたという人が言っていた言葉が私の心には残っています。「私に特別な能力があったわけじゃなくて、私はたまたま選ばれただけの事です」と、そんな感じでした。意識は、言葉の奴隷なんかじゃありません。記憶は、脳細胞の制約を越えています。存在は、死ねば終わりではありません。断っておくと、私ははっきりとは幽霊を見た事はありませんし、天国も地獄も特に信じてませんし、特定の宗教の教徒でもありませんし、自分でそういうのを始めるつもりもありません。霊能力者として信じている人がいるワケでもありません。ただ、実際に起こっているだろう事を論理的に説明する事は可能かどうか、試してみただけとでも思って下さい。私の実体験の数々は書けば書くほどいろんな信憑性みたいな物を減じてしまうでしょうから書かないでおきます。次回、まだ気が向いたら、幽霊が見える人と見えない人の違いが何故起こるのか、簡単な理屈で説明できる事について書いてみようと思います。
2013.02.06
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政治や社会にいろいろあったんですが、ツイッタですらつぶやかない日もあったりで、ブログ日記はなおの事野ざらしになってましたね。最近、久方ぶりにこれはと思うブログを見つけたのでそちらからご紹介しておきます。ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日http://gamayauber1001.wordpress.com/日本にも縁が深く長く住んでいた事もあるNZの方、らしいのですが、まぁどこの誰だとしても、大事なのは語っているその内容だけなので。ツイッタでの発言を含めてその全てに同感するワケでも無いのですが、一読の価値はあるブログかと思われます。飯に呼ばれたのでちと中断。・・・飯戻り。で、です。自民党は安倍を再選した事で、しかも党員票の結果に反してまで選んだ事で、体質が何も変わってない事を示しました。野田は、まぁ、身内に追い込まれる前に決断した事で傷を最小限に留めようと努力はしてるみたいですが、野党落ちは免れないでしょう。維新は、みんなとの連合も不十分だし、石原の年齢とかキャラクターの限界もあって、伸び悩むでしょうね。比例である程度稼げたとしても、比例の議席が水物だというのは、なんちゃらチルドレンだとかガールズだとか何だかの類が類証してます。その他有象無象はさておき、原発意地or廃止なんてのもさておき、今後の選挙で国民の側が忘れてはならない事がいくつかあります。それは、最終的な責任を負い対価を支払うのは、国民自身しかいないという事。さらに、国民は政治家からお願いされる立場にはまったくもっていないという事。いくら政治家を議員辞職に追い込もうが、省庁の規模を縮小したり予算を削ったりしようが、例えば福島の土地から原発事故の影響から全快する事はありません。私はだまされた。と被害者の立場に自分を置く事も、自己憐憫以外の役には立ちません。役人は専門家のふりして結局は何も知らず役立たずだったなんてのも今さらですしね。いわんや政治家をや。反原発を旗印に政治家生命を延命しようとしている有象無象連中がまだいたりしますが、相手にしないであげて下さい。困るのは最終的にあなた自身であり、あなたと同じ選挙区に住む他の誰かであり、全体で見れば以下略です。あと、領土問題について。自分の職場の同僚とかも含めて、日本社会が、自分が今までに見たことないくらい韓国や中国に対して辛辣になってきてるように感じます。でもね、混ぜるべきでない議論は、決して混ぜるべきではありません。韓国・中国企業の製品の品質や信頼性と、領土問題は関係ありません。韓国・中国企業の製品を使っていたら非国民とか、有り得ませんから。国交など全ての関係を断絶して日本がやっていけるとか、自分の影響力を増したいだけの人の意見に耳を貸したり票を投じたりしてはいけません。韓国人だからこうだとか、中国人だからああだとか、決めつけは絶対的に自分達の首を絞めます。日本人だから彼らより絶対的に人間的に上位の存在であると思い込むのは、人種差別と完全に同種の狂気でしかない事を認識し直して下さい。竹島や尖閣諸島が日本の領土であると主張する事と、韓国や中国やその国の人々を見下したり軽蔑したりする事とは、全くつながりを持ちません。私は同様に、韓国や中国の方が日本より優れているとか上位の存在だとも思っていませんし、領土問題でも特に譲るべき理由は見出せていませんが、差別の土壌を積極的に見出そうとしている雰囲気には危ない物を感じています。それともう一つ。日本で認められていないから世界でも認められていないだろうと思い込むのは、単なる思い込みに過ぎません。そうであったらいいなという幻想にしか過ぎません。韓国製品が日本製品に決定的に劣っているから日本では売れないのだ、と思い込むのは日本人の勝手です。が、もしそうなのであれば、なぜ日本家電は世界中で惨敗続きなのでしょうか?技術のダンピング云々だけであればかつて日本自身も通ってきた道であり、韓国企業なども厳しい価格競争にさらされているのは同じです。就職環境などはまだ日本の方がマシなんてのも時折目にしたりします。政治は日本だけでなく、欧州もアメリカも中国も韓国もぐだぐだみたいです。どっちの方がマシなんて議論は意味がありません。正義に関する議論なんてのも不要です。今求められているのは、どのような結果が求められているのか、という認識合わせだけです。竹島や尖閣諸島を実力支配下に置く/置き続ける為に、戦争をも辞さない覚悟があるのかないのか。原子力発電をあきらめる代わりに、不安定な原油価格に左右されるエネルギー事情と付き合って自腹を切る覚悟があるのかないのか。政治家や官僚が頼れる存在でないとしたら、予算編成や税金の徴収方法や税率、社会保障の在り方などを含めて、社会を自分達自身で切り盛りしていけるだけの覚悟と才覚があるのかないのか。具体的な一例を挙げるなら、沖縄の基地問題。米軍基地を全て県外へという意見と、領海を脅かす中国に毅然とした態度をという意見は一致しません。真逆です。演習を外交的配慮で取り止めるとか、自殺行為です。日本国政府に愛想を尽かした沖縄県が独立を果たしたとしましょう。そして彼らの主張通り、米軍をその領土から追い出したとしましょう。国連がどう騒ごうが、中国に進駐支配されてオシマイです。米軍が使っていた基地は中国に転用されて、兵士達による犯罪云々は、少なくとも以前より低いレベルに留まる可能性は低いでしょう。自分の身は自分で守る、が独立国としてのほぼ最低の矜持です。が、それが自分だけで達成できないのだとしたら、次善の策を取らざるを得ません。沖縄県が実際的に独立を目指し、自主防衛能力も実現するとしたら、核攻撃能力は必須となるでしょう。ミサイル防御システムなんて高額な物は構築・維持できませんから、原子力潜水艦などからの報復能力だけは完備する必要があるでしょうね。それが、米軍を追い出し、独立を勝ち取る前と比べて、結果として望ましい状況になるでしょうか?沖縄が核攻撃・報復能力を持つ事は絶対的に韓国をも刺激し、その後の状況は現在よりよほど酷い物になる可能性があります。市民税を引き下げれば云々てバカげた主張で地域政党の名乗りを上げた連中が名古屋にいました。(参考記事:河村の『減税日本』が詐欺集団でしかないという簡単な証明 )そこが郵政民営化の巻き戻しを主張し自分達とは関係の無い所で実現してしまったのに解党してないバカげた連中と結託したりしてます。有象無象がくっついた離れただなんてのは、どうでも良い話なんです。見せかけの減税で、日本が抱える財政状況がどうにかなりますか?反TPPで鎖国でもするんですか?脱原発で高額なエネルギー料金と付き合っていくとしても、これだけを政策主張にする事は国政政党として有り得ません。全部の原発が停止し再稼働しないと決められたら解党するんですか?それで他の全ての問題は知らんぷりで放置するのでしょうか?おそらく、自民は単独過半数は取れないでしょう。公明と合わせても足りないくらいかぎりぎりくらいか。民主と第3極というか維新が連立を組むという可能性は無きにしもあらずですが、準備不足でかつみんなとの合流も果たせなかった維新が50議席を超えてくらいがせいぜいとすると、選挙後の政局が現在よりも安定的になると見るのは楽観的過ぎると思われます。次の選挙で私が望むのは、役目を終えた有象無象が可能な限り表舞台から姿を消してくれる事くらいですかね。それではまたです。
2012.11.27
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ついったーなどでは時々関連ネタをつぶやいてたりしてますが、モバマスをやってます。コンプガチャなどで話題になったゲームですが、私は無課金ユーザー、つまりお金を払わずに遊んでいます。その理由はいくつかあるのですが、一つには、いくらかけても際限が無い、というのがあります。ゲーム運営側としては、課金しているユーザーから搾れるだけ搾り取るあの手この手を打ってきていたのですが、最近、態度を豹変しました。一言で言って、無課金ユーザー締め出し。もちろん、諸経費がかかってビジネスとして展開している限り、無課金でユーザーを惹きつけておいて、一定ラインから有課金に切り替えていってもらう、というのがネットコンテンツビジネスの常道です。ただし、やり方がものすごくえげつない。最近まで、プレイヤー間で、ゲーム外掲示板(2ch)を通じた自由なトレードが活発に行われ、それが無課金ユーザーでも有課金ユーザーに張り合えるくらいのゲーム環境を整える手段でもあったのですが、その自由なトレードを禁じました。一日3取引までと配給チケット制による回数制限までかけました。さらに、売り手側から、アイドルのみをトレード対象にトレードを持ちかけられる『売り手のみ市場』を創設。その名も『フリートレード』というのですから笑ってしまいます。現実の株式市場で、株の売り手側からのみ条件を提示できる仕組みに切り替えたようなものです。いくら現金を持っていようが、現金に類する換金性の有価証券(アイテム)を持っていようが、それらを元に、『〇〇がいくらで買いたい』と相手に持ちかける事すらできなくなりました。さんざんネットを介したトレードをいくらでも便利に出来るシステムが存在している現在の世の中で、ここまで不便な物をユーザーに押し付ける運営側は大したものです。配給チケットは、有料のガチャを回した場合のみ3枚以上貯められるようになってるようで、無課金ユーザーの場合はどれだけトレードする資産を持っていたとしても、1日3件までがトレードできません。さらに、直近のイベントでは、お金を"直接的に"かけて買ったアイテムを使わないと、とても気分を悪くさせてくれるもので、そうなりたくなければお金でアイテム買って使ってね、という、従来のゲームシステムの妙やユーザーの工夫など一切を否定するものになっています。上位報酬は、キャラの育成その他などは一切関係無く、純粋に、一番多くそのアイテムを買って使った人達という、いくら何でもなドギツくえげつないものです。トレードの不自由さや今回のイベントの悪印象から、ゲームを引退した人も少なくないようです。ゲーム運営側としては、金を払ってないユーザーなどいくらいなくなっても痛くない、ついて来れる奴だけついてこい!、というスタンスですが、200万ユーザーと謳っているゲームが実質10~20万人程度で、しかもコアな課金層が2-3万人いるかいないかという程度だとすると、非常にお先真っ暗だとしか思えません。(イベント順位がだいたい10万人未満くらいまでで、課金せずとも2万位くらいには入れている事からの推測値)通常のパッケージゲーム開発に携わっている友人などからすると『焼き畑農業』と称されているやり口ですが、もはや農業ですらないというか。自分達で開発して、せっかくある程度まとまった人数に遊べてもらえているユーザーを大切にしているという姿勢も、ゲーム自体に対する愛情も、投げ出してしまったかのように映ります。運営が厳しくなってきたからという話でもおそらくありません。初期投資などはとうに回収し終わり、インフラ周りはすべてモバゲー(DeNA)持ちでしょうから、あとは絵師さんにギャラ払うのと少数の運営に給料払うだけなのですから。私自身がこのゲームを始め目標に定めたカードがガチャに再録された時がありました。スカウト券という、いわば外れクジを貯めればそれとカードを交換してあげるよという、いわばカードに値札がついてようなガチャが初めて導入されたのですが、1万3万円程度で3枚なら9万とか、それはさすがに無いだろと手を出しませんでした。トレードなどで地道に交換に必要な資産を集めていけば、少なくとも現金は使わずにその目標に近づいていけるのですから。ただ、実際遊んでみて、遊ぶ前に聞いてたよりも"遊べる・楽しめる"ゲームだというのがわかって、お礼的に若干課金してみてもいいかなとも思っていた矢先の、今回の酷いトレード仕様変更とイベントです。無料コンテンツからどうやってユーザーに課金してもらうか、本来は一番運営側が気を使わなければいけない事項でしょう。ガチャが絡むゲームでユーザーが一番心配になるのは、欲しいカードを手に入れる為に数万円を費やし、それでも手に入れられなかった場合でしょう。RMTはアカウント停止を食らいますし、ゲーム内通貨的なアイテムを元に『買い注文』を出す事も出来なくなってしまいました。(今まで一生懸命ゲーム内活動に参加してゲーム世界を盛り上げてきたプレイヤーの努力と時間を無に帰す行為は決して許されるべきではありません)他のいくつものネットゲームをプレイしてきた自分からすれば、運営側とプレイヤー側の折衷地点は明白です。月毎に、2000円、3000円、4000円など、1000円刻みくらいで、課金額に応じて、ゲーム内通貨的に使われているアイテム(スタミナドリンクかエナジードリンク)と、スカウト券を10枚、15枚、20枚などを貯められる仕組みにしてしまえばいいのです。高額カードは、少なくともゲーム内通貨的アイテムで数百個程度、スカウト券で少なくとも250~300枚からとかになりますので、月3千円課金で12か月なら36000円。ゲーム内通貨的アイテムで30個×12か月分貯まっていれば360個。スカウト券で15枚×12か月で180枚。欲しいカードがガチャのラインアップに加えられた時だけ3万円とかつぎ込む方が無駄が無いかも知れませんが、ゲーム内通貨的アイテムだけでなくスカウト券そのものもトレード可能にすれば、かけたお金は無駄にはならず、ガチャで自分が改めてカードを引きたい場合も貯めたスカウト券分値段はディスカウントされるので、やはりかけたお金は無駄になりません。ゲーム運営側としては、各プレイヤーが廃人の如く十万とかン十万とかつぎ込むとかは無くなるリスクを負うものの、安定して長期課金してくれるユーザーが幅広く増える方が、結果としてのゲームの寿命もトータルでの売り上げも収益もよほど増える筈です。(100人のアイドルの内、例えば1種を1000人が得る為に10万円かけても1億に過ぎませんが、3000円を5万人が月々払えば、一月で1億5000万です。(一月での世間一般の可処分所得を考えるなら、10万円はかけすぎな部類に入る事は言うまでもありません)モバマスは、第2弾のCDデビュー組を5人分最近発売したばかりで、まだまだこれからというコンテンツでもあるなら、運営側は最近の荒々しい課金への追い込み態度を少し反省して軌道修正して頂きたいものです。あ、ランクCからBに上がりました。道場主さん達のおかげでランクCの銅賞をもらえましたが、主さん達も今後を憂えてる人が少なくないようです・・・。今後どうなる事やら。
2012.08.20
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なんか久々の日記です。大津の教育委員長が襲われたとか、五輪会場で政治主張したりそれを褒めそやかす韓国の大統領や国民が図に乗り続けてたりとか、敗戦の日に不戦の誓いを新たになんて式辞もどうしたもんかなぁ、なんて感じたりしたので、つらつらと書いてみます。ふと想像したのが、例のプレートを掲げて走り回った韓国の選手が日本を訪れたりしたら、暴行を受けたりしても不思議じゃないよなと。(襲う方も同程度に前後が見えてなくて初めて成立するでしょうが)んで、日本の首相が竹島に強硬上陸しようとしたら、まぁ、良くて大事の一歩手前までは最低でもいくだろうなとか。それがどれだけ変な事なのか。不戦の誓いという言葉は美しい、かも知れない。(私からすれば不気味で危険にしか思えないけど)領土を巡る交渉などは、北方4島が好例で、「悔しかったら取り返してみろや、あぁ?!」と開き直られたら、しかも相手が核ミサイルまで持ってる国の場合、軍事的選択肢を取ろうとしても非常に厳しかったりします。で、韓国には、「対馬もオラが領土」みたいな連中もいたりするみたいですので、日本が彼らが望むだけの"謝罪と賠償"をして竹島は韓国のものだと譲歩(譲渡)した結果、対馬までも要求してきて、彼らが実効支配を目論んだ"侵攻"をしてきたと仮想してみましょう。当然、自衛隊の出番ですし、交戦が行われるべき場面となります。不戦の誓いとは、そういった行為を自ら封じてしまうという非常に危険な考え方なのです。さらに、対馬を例えに出しましたが、対馬も竹島も、日本の領土という意味合いにおいてはその重みに差はありません。尖閣と沖縄本土でも同様です。そういった場所を、韓国は"実効支配"、力による占拠を続けている事を看過し続けているのが如何に異常な状態か、日本が韓国近海の他の島を"実効支配"しようとしてみれば即座に判明する筈です。それこそ数日どころか一日の間も空けずに軍事的な対応が為される事でしょう。で、大津の教育委員長が襲われた事件と、五輪会場をプレート掲げて走り回った男がいた事件の関連性は、もちろん直接的にはありません。共通点を見出すとしたら、「思っていた事をやっちゃった」点くらいでしょうか。大津の教育委員会の対応が非常に腹立たしいものだったのは私も同感だし、じゃあ同じ事が自分や家族の身に起こったとしても同じ対応するんだよなお前は?、なんて心の中で思ったりもしたものです。私はそんな場面を実現する為にわざわざ現地まで赴きませんでしたが、教育委員長を殴った男は違いました。さて、五輪会場でご法度を破った男は、韓国国内では一切お咎め無しで兵役免除の特典も解除されないそうです。(つまり韓国という国家は今後も国際スポーツの場で政治的主張を続けていくと宣言したに等しいのですが、連中は気が付いてないか気にしてないようですね)まぁ、セレモニーなるものをキャンセルした代わりに、プラカードを持って走っちゃった選手も、竹島に上陸した大統領も、水泳で渡航した韓国のスター?達も、みな同列なワケです。日本が韓国に行ってきた援助(日韓金融協定など)を打ち切ろうとしたら、きっと彼らはこう言う事でしょう。「領土(政治)の問題と、経済の問題を混同すべきでない」韓国のバカどもの目を覚ますのには北を援助する方が早いんじゃないのかとかとも思ってしまったりもしますが・・・。そんなに日本が嫌いなら、韓流スターもK-POPもサッカー選手もその他全員、日本から引き揚げて二度と訪れなければいいのに。日本はそれでも全然大局的に困りません。日韓金融協定も相互の助け合いなのは形だけ。どちらがどちらにおもねっているのか、片側の当事者以外には明らかなんですけどね。そんな連中とも付き合っていかなきゃいけないとしても、その為に彼らの言いなりにならなくてはいけない必要なんてありません。不戦の誓いと領土問題の解決は、両立できないんじゃないのかなぁ、と敗戦の日にも思うのは私だけでしょうか?そんな8月15日でした。
2012.08.15
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ちきりんさんからの呼びかけはブログでも著書でも変わっておらず、自分のアタマで考えてみよう!、です。その理由は、みんなもっと考えるべき!、ではなく、考えるって楽しいよ?、という呼びかけです。三冊目となる「世界を歩いて考えよう!」は、異なる視点を持つ存在と旅の中で触れあって得た気づきと思考の足跡を辿る事が出来るいわば思索の旅のガイドブックです。通貨やイデオロギー、自然や遺跡、美術館や空港など、「旅」という一言ではくくりきれないような多様な切り口から、ちきりんさんが感じた事や考えた事を紹介されていますが、中でも私の印象に残ったのは、ビルマ(現ミャンマー)で出会ってその豪邸に招待されたという男性との会話のシーンでした。ボロだが豪邸や車を持ち、大金を持つ男性から俺と結婚してビルマに残らないかと誘われ、結婚云々は冗談だと互いにわかっているのですが、「ありえない」と答えたちきりんさんは、「すべてを持っている」と言う彼を全く羨ましいと思わなかったし、自分よりも豊かだとも思わず、それがなぜなのかを考えてみました。ひとつは持っているお金の差。金額の多寡の差ではなく、海外で通用するかどうか、日本の円とビルマの通貨では比較になりませんでした。ひとつは自由の差。日本国のパスポートでどこにでも旅できるちきりんさんと、例え外貨資産を持っていたとしても観光ビザの取得も容易ではない筈の彼とでは差は歴然としていました。ひとつは希望の差。いつ終わるとも知れない軍事政権下で未来に希望を抱けないからといって勝手に国を出る事もできない彼と、好景気の日本の若者としてなんの根拠もなく未来は明るいと信じられていたちきりんさん。一連の思考の末、ちきりんさんは結論に至ります。家や車や大金を持っているという彼よりも、何も持っていない自分の方が圧倒的に豊かだと。それは同時に、「何を持っているか、ということが、これほどまでに豊かさとは無関係なのだ」とちきりんさんが気がついた瞬間でした。「家や車やお金なんて持っていても、私の生活は決して豊かとは言えない。豊かな人生というのは、あなたのように希望や自由や選択肢のある人生なんだ」ビルマのその男性が伝えようとしたメッセージは、ちきりんさんから私たちにも伝えられていますが、とても重みがあります。金(親の遺産や家)も、コネ(マトモな就職先)も、飛び抜けた能力も無いから、自分やその人生に希望や価値なんて無いと思っているかも知れない(特に若い)人に、本当にそうなの?、自分のアタマで考えてみたら、実は違う結論が出るかも知れないんじゃないの?、と問いかけられているからです。自分の価値や人生の豊かさを決めるのは他人や世間じゃなくて、自分自身がどう考えるか次第。海外に出なくとも自分とは異なる視点を持つ存在に気づく事も出来るし、その理由を考えて楽しむ事も出来ます。ただ、崩壊前のソヴィエト連邦の共産主義社会も、死後の姿のまま乾燥したミイラを生んだウィグルの砂の世界も、生きるために食べるという原則を再確認させてくれるアフリカのサファリも、太平洋上の孤島であるが故に地球を体感できるイースター島の海も、お金で買える価値のあるものが何も無かったビルマの社会も、今の日本の中にいたままで感じる事も触れる事も出来ません。しかしそんな国境や時間の壁を越えて、異なる視点を持つ存在に触れたちきりんさんの思考の足跡を辿り、その感動を味わえるこの一冊、お手に取ってみてはいかがでしょうか?(『世界を歩いて考えよう!』の書評コンテストの応募用に書いたものです)
2012.06.17
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コンプガチャという商法が世間の話題に上ったのはつい先日の事だが、そもそもなぜ人は単なる絵合わせにしか過ぎない筈の電子データにお金を数万円単位以上でつぎ込むのか、正面から解説している記事に出会う事がほとんど無かった。たいていが、商法を非難するか金をつぎ込む人を蔑視するかのものでしかない。私がふとした事から始めたのは、アイドルマスター・シンデレラガールズというものだ。(公式・wiki)例に漏れず、確率を操作されたコンプガチャに数万円つぎ込んでもカードを揃えられない=コンプ報酬のカードが手に入れられないという悲鳴が上がったりしていたが、コンプガチャが自粛廃止されて確率(レアリティー)のみになったらもっと手に入れにくくなり、もっと金をつぎ込む人が出てくるという、後先見えていなかった行政の痴呆ぶりが露呈されたりしたが、毎度の事でありゲームとしての本質の議論からは全く外れた話なので脇に捨て置く。アイドルマスター・シンデレラガールズ、通称モバマスというゲームを要約するなら、プレイヤーはプロデューサーとしてアイドル達を育てユニットを組み、他のプロデューサーとそのアイドル達と競い合わせるゲームである。アイドルの育成方法はレッスンという形で他のアイドルのカードを「餌」として与えて(食べさせる)必要があり、つまりプロデューサーの好みによって育てるアイドルを誰にするかという取捨選択が一つの鍵になる。そして他のカードゲーム(MTGなど)と違い、同一のデッキで他プレイヤーと対決したりはしない(攻・守の二つに分かれている)為、最強のプレイヤーも最強のデッキも存在しないと言えるのもプレイヤーの自由裁量を増やしているもう一つの鍵である。ゲーム運営側が主催するイベントにおいては、行動する為のスタミナや攻守ポイントを回復するアイテムを激しく消費(つまり多額の投資)した人が、より高い成績をおさめ、よりレアなカードを手に入れられるという極めて資本主義的な世界が構成されている。逆に言えば、上位入賞を狙うのでなければ、イベントをまったりと楽しみ、完走に伴うご褒美(レアやSレアカードやその他アイテムやアイドルのカードなど)を手に入れ、それらを元に自分が欲しい他のアイテムやアイドルのカードとトレードする事も可能だ。つまりゲーム世界でトップで凌ぎを削ろうとするならば文字通りいくらでもつぎ込む事が出来、その覚悟と財力が無ければ競争からは脱落する事になる。そんな殺伐とした世界になぜプレイヤー達が魅入られ時間やお金を費やすかと言えば、最大の理由は、「自己の肯定」だろう。モバマスは、恋愛ゲームではないし、エロゲーでもない。しかし「誰かに頼られるゲーム」ではある。アイドル達のカード絵(データ)は、ネット上で簡単に手に入る。すなわちプレイヤーがその画像目当てにプレイしていると考えるのは完全な勘違いである。プレイヤーは、どのアイドルをプロデュースし、育て、ステージに立たせるのか、アイドル達の全ての命運を左右する立場にいる。これが現実世界では絶対に有り得ないのは誰にでも分かる事だが、誰かから頼られる、その命運を託されるというのはゲームならではの「遊び」である。どんなにカワイく、どんなに高性能なアイドル(カード)であっても、彼女を使うかどうか、手元に残すかどうかはプレイヤー次第であり、彼女達を育て、ファンを獲得していき、お金を稼いでいくというプロセスを世の中で実践できる人は、世間でも数えるほどしか存在しないだろうけれども、このゲームの中ではそれが可能なのである。こう書いてくると、ゲームに落とす金でキャバ行けとかソープ行けとか言ってくる人達もいるだろうが、阿呆かと言いたい。なぜなら、彼女達が相手にしているのはお客本人ではなく、彼が落とすお金である。実際にキャバ嬢と仲良くなり肉体関係を持ったり結婚したりする人もいたりはするだろうが、「若くて」「カワイイ」女性が本気で相手にするのは「イケメン」か「財力がある」かその他モテる要因を持つ限られた人々であるのもまた大半に適用される現実だろう。つまりは、わざわざキャバレーなどに行かなくても相手を見つけられるような人達がキャバレーに行ってもモテるだけの話である。もちろん、プレイヤーが正気を失っていようがいまいが、人はゲームの世界に入り込む事は出来ないし、プロデュースしたアイドルから予めプログラムされた以外の言葉をかけてもらう事は出来ない。ゲームとは、非現実の世界を遊ぶ為に存在する。その意味で、モバマスはまさに、誰でも、自分の好みのカワイイ女の子達から、頼られ、彼女達の命運を決定する立場に自分を置けるという点において、ゲームの王道を行っているのである。ガチャやカードのレアリティーやカード絵の魅力などは全て二次的な要素であり、プレイヤー達がモバマスというゲームをプレイする根本的な理由にはならない。もちろん、他人よりもレアなカードを先に手に入れて見せびらかしたい、目立ちたいというのがプレイする主な動機になっている人もいるだろうが、似たような性能や特技を持つカードは後からどんどん追加されていくので、過去のレアカードの価値は相対的に下がっていく事が宿命づけられており、これはモバマスに限らず全てのカードゲームなどが抱える宿命である。過去の製品を上回らない新製品は買われないのだから。ゲーム運営側は、搾り取れる層からは搾れるだけ搾る策を立て続けに講じてくるが、反面、無課金でも遊ぶ人達がきちんと遊べるだけの余裕もシステム的に組み込んでいる。ゲームシステム内の体力や攻守ポイントを回復させるアイテムは1個100円ほどの単価がついており、全てのカードはこのアイテムの個数で換算されてトレードされている。これらのアイテムは、無課金の人でもゲームを進めイベントなどに参加する事である程度の個数手に入るように設計されており、その他にも一定の性能の持つレアカードを誰でも複数最初から手にいられるようになっている。それらを元手に、より高性能なカードを手に入れる事もそう難しくない。そして、モバイル端末のゲーム(アプリ)の間でも激しい競争が続いているという点を忘れてはいけない。数十、数百を越える選択肢が存在し、日に日にその数が増えていく環境下で、ただ単にカードに「カワイイ女の子の絵が描いてある」だけで生き残り続けられる訳も無い。データだけなら探されて落とされてそれでオシマイなのだから。Xbox360の初代アイマスは、各アイドルと会話をし、彼女達はポリゴンで構成された肉体で身動きする事も可能だった。しかしモバマスは、純粋に固定された絵(立ち絵)と限られた数の台詞が与えられているのみである。結局、プロデューサーとアイドル達の間をつなぎとめているのは限られた情報を膨らまし補完する想像力なのかも知れない。プロデューサーたるプレイヤーがゲームを止めてしまえば、彼(彼女)が所持していたどんなカードも単なる電子データでしかなくなる。トレードやRMTで別のプレイヤーの手に渡る事もあるだろうが、冷静なプレイヤーなら、このゲーム(サービス)が未来永劫続く事が無いのも理解している筈だ。つまり数年後のどの時点になるかは不明だが、どこかの誰かがどれだけ電子データを『俺の嫁』呼ばわりして溺愛していようが、その関係は予め終わる事が確定している。それを遊ぶ側も理解している。つまり、これがゲーム=遊びに過ぎないと理解しているのである。人によっては、パチンコやスロットの台の前で一日をまるまる費やす事を時間や人生の浪費だと唾棄するだろうし、ゴルフの一ラウンドに数万円払うなど狂気の沙汰だし、一時的な効果しかもたらさないエステや化粧品に金をつぎ込み続ける人達に金の使い道を云々されたくもないだろう。趣味は究極的には嗜好の違いに過ぎない。誰かが個人の収入の範囲内で趣味にいくらつぎ込もうが、それはあくまでも自己責任の問題にしか過ぎない。一本数千円のパッケージソフトの開発がばからしくなるというのも、価値観と販売(対価との交換)方式の違いにしか過ぎない。アイテム課金方式は、パッケージの追加コンテンツの販売方式を極端化させたものに過ぎないとも言えるし、紙のカードゲームでも一個一万円以上の箱を数個買っても、大会で通用するカードをそれだけで揃えたりは出来たりはしない。そして一枚数千円で買ったカードの価値がずっと保たれる事も希だったりするのも常識に過ぎない。ガチャ商売を、露骨に確率を操作して金を落とさせるやり口を指してアコギだと非難する事はたやすい。しかしアニメなどのコンテンツが作成・販売で苦戦している現状と非常に好対象な現実が展開されている。人はなぜ、動きもしない喋りもしないカードを得る為に、アニメのDVDよりも多額のお金をつぎ込んだりするのか?モバマスは明らかに、その答えを提示する事に成功した一例である。後発で同様のビジネスを展開しようとする人達には、単なる二番煎じは失敗するだろうと警告しておこう。レアリティーを下げる事は一部の人達のプレイ(投資)意欲を下げるだろうし、カード能力のインフレを下げる事もプレイヤーの飽きを早めるだろう。複雑な会話を可能にしたとしても、それは選択肢方式を採らざるを得ないし、特定の結果を得るのに必要な選択肢情報は瞬時にネット上で広められてしまうだろうから、差別化の決定的要因にはなりにくい。親愛度というパラメータを最大まで上げないと出てこない台詞を用意する事や、同一キャラの各種イベント毎のバリエーションを出してカードのデザインや性能を新規に増やす事は既にモバマスで行われている。参考までに、私がモバマスを遊び始めた理由を述べておく。この双葉杏というアイドルの、ニートというマーケティング設定と、その楽曲の秀逸さに笑ってしまい、気に入ってしまったのが最大の要因。【動画】あんずのうた:feat by 初音ミクそのCDをAmazonで購入し、特典でついてきたのが双葉杏のSレアカード(あまり強くない)。せっかくだからとそのカードを使う為に始め、ついでにそのキャラのカードを揃えるのを目標に続けてみている。今の所、レアのカードの1枚目と2枚目を最大限に育て、特訓(合成)し、最大値にまで育て、さらに元のレアカードを再度入手してそれも最大値にまでほぼ育て終わっている。さらにCD特典でついてきたカードも2/3程度は育て終わり、特訓する為のもう一枚のカードも入手済みで、それら2枚を特訓したカードを最大値にまで育てれば当面の目標は達成される。後はゲーム内通貨で数百個(現金的な単純換算では数万円)に相当するこのカードが目標だが、そこまではまったりと到達する予定。遊びは遊びである。楽しんだ者勝ちであり、それ以上でも以下でもなく、「それは楽しくない!」と他人が言っても当人が楽しんでいるのなら、その言葉は聞き流されるだけに終わる。私が好きな漫画家がモバマスにはまってガチャにもある程度のお金をつぎ込んだらしいが、「お金がかかっていなければあそこまではまらなかった(楽しめなかった)」という彼の言葉と感覚は、この周辺でビジネスをしようと考えている人達には何らかのヒントになるのではないかと思う。それではまた。
2012.06.14
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たぶん誰も書かないのだろうから書いておきます。・企業の障害者雇用率2%に 就職意欲受け15年ぶり引き上げ企業とは利益を追求する為の組織です。慈善活動を至上目的とはしていません。余裕がある企業には、働きたくても働けない障害者の人達を雇う事を義務化すべきだと云うのは、雇用の為の最低条件を満たさない者を企業に強制する点で決定的に間違っています。人的金銭的にも大企業より余裕が無い中小企業に対して一層の努力を求めるというのも気が狂っています。企業というのは、提供した物やサービスから得た対価からその活動原資を得ます。従業員に対する給与はその原資から払われている事は言うまでもありません。昨今、企業の提供する物やサービスに対する基準は厳格化される一方です。無為に緩まる事は無いでしょうが、障害者雇用はその流れに完全に逆行するのです。例えば、顧客情報の漏洩が企業に対して許される状況にはありませんが、「義務で雇っている障害者がやってしまったので」と企業側が釈明したら、さらに世間から叩かれるだろう事は想像に難くありません。食品の安全性が損なわれるような事故が起きたとして、それを義務化された雇用枠で働いていた障害者が起こしたとしたら?どうして「障害者ではない従業員がつきっきりで事故を避けなかったのか?」と責められるでしょう。最初から付き添いが必要が無い従業員を雇っている場合に比べて、2倍以上の負担とリスクを背負わせている事が分からないのでしょうか?誰かが誰かの監視の為だけに付き添う人を雇う余裕なんて、大半の企業にはありません。日本有数の大企業でも、です。むしろ大企業であればこそ、何かしらの事故を起こした時の損害額や影響範囲は大きくなります。働いた事の無い人達には分からないかも知れませんが、人は平等には出来ていません。出来ない仕事は出来ない人には決して出来ません。それは厳然たる事実なのです。例えば義務で雇った障害者には、他の従業員全てには許されている情報へのアクセスが制限されていたとします。情報漏洩を防ぐ為の最低限の自衛措置だとしましょう。しかしそれも憲法の条文などを持ち出されて法廷に持ち込まれて訴えられたら、企業に『全ての従業員に対する平等な扱い』が求められるかも知れません。障害の程度による部分も若干は存在するでしょうが、中途半端にパソコンやインターネットを扱える人の方が性質が悪いのは明らかです。企業の本業は、お金を稼ぐ事です。稼いだお金から徴収された税金から、公的機関が障害者達が必要とする社会保障を提供するべきなのであって、企業にその肩代わりを求めるのは間違っています。それでも原則論を振り回す人はいるでしょう。しかしその人も自分がその義務化の被害者になった途端意見を変えないわけにはいかないのです。例えば医療機関。例えば電気ガス水道などのライフライン。例えば警察や役所などの公的機関。生死や生活がかかっている場面で、もし障害者しか対応に出て来なくてどうにもいかなくなったらきっとその人も言うでしょう。「他に誰かいないのか」と。1%とか2%程度とかいう程度の問題ではありません。その人達が起こした事故の影響は、他の98~99%の従業員達に降りかかるのですから。その上で私達は考えるべきなのです。企業に障害者の雇用を義務化するべきなのかどうか。私の答えは、NOです。
2012.05.17
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元ネタ:橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化で、何か謝罪記事出すような顛末になってたので作ってみました。いや何か久々のブログ記事がこんなんでアレなんですがまぁいいや・・・。
2012.05.14
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・18歳成人問題、総務・法務省が意見対立つい先日、母子を殺した当時18歳の少年が、『18歳になってたから』というのも一つの大きな要因として死刑になったばかりです。(注1)その判断を下したのは最高裁判所です。で、死刑判決が確定した死刑確定囚に対して、死刑判決の審査が妥当だったかどうか裁判記録を審査するのは法務省ですし、「死刑執行起案書」や「死刑執行命令書」に署名するのは法務大臣です。で、その法務省が18歳への成人年齢引き下げに反対する理由が、『成人年齢の引き下げは、消費者被害拡大などの問題を引き起こす恐れがある』そんなの両親やクレジットカードの限度額や消費者金融側でだいぶコントロールできる問題でしょう?だいたいにおいて、18歳で高校卒業したばかりの人と、19歳~20歳の専門・大学生・浪人生で、どの程度の『大人としての責任能力』の違いが発生するのですか?犯罪を犯した時の『死刑を適用する年齢』として厳密に18歳以上を確定させるのであれば、それ以上に明確な『大人としての責任能力』の定義は存在しないでしょう。大人は18歳から。死刑も18歳から。選挙権も18歳から。(ついでにお酒はたばこも18歳になるでしょうけど)そこでたかだか消費者金融に対する認識程度がどうして成人年齢を定める重要な判断基準となるのでしょうか?20代でも30代でも40代でもそれ以上でもカード破産する人はしますし、結婚してるかどうかや子供の有無なども関係ありません。もう一度言います。法務省は、死刑を最終的に確定させる省庁でもあります。そこが成人年齢を定める基準として消費者被害の拡大を懸念してというのは、違和感を感じます。光市の母子殺害事件の死刑確定囚の法務省の審査と判断はこれからですが、それは成人年齢を確定する上でも一つの重要な布石とするべきではないでしょうか?一票の格差問題で議会はどの党も腰砕けして責任放棄してますが、年代格差を少しでも埋める意味でも、18歳への成人年齢引き下げは急がれて然るべきだと思います。注1:少年法51条1項により、18歳未満の年齢で犯罪行為を行った少年に対しては死刑に処することができない(死刑相当の場合は無期懲役が下される)と規定されているそうです。(wikiより)
2012.02.23
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・「社会正義示された」=死刑考え、悩んだ13年間―「喜びなく、厳粛」・本村洋さんこの方は大変な道のりを越えてこられたのだろう。「満足」という言葉には当事者にしか込められない重みも込められているものと思う。けれども、「社会正義」は示された、かも知れないが、決して、十分ではないし、再発を防ぐような方向性にも動いてないように見受けられる。例えば、自分がつらつらと気になったのは。・残忍性とかといった修飾的な部分が判決理由に含まれた点。殺人はその行為そのものだけが本来カウントされ刑罰の対象となるべきだし、ヤーさんとかが誰かを撃ち殺して刑務所に入ったり出たりなんてのは、何なの?一人の命の重みって一人分でしょ?違うの? 人が誰かを殺した場合、その殺し方は本来、本質的な問題じゃ無い筈。殺したという事実そのものに対してのみ罪が問われるべきではないの?・NHK夜9時のニュースが少年の生い立ちとかを追跡してたけど、印象に残ったのは、母親を自殺に追い込んだ暴力父と、やはり暴力を受けていた息子を同居させ続けた点。誰かを自殺に追い込んで罪に問われないのも、そんな加害者と被害者を同居させ続ける措置も全く意味不明。そして父親の再婚で彼は壊れたのは周辺の人達の証言からも明らか。 もちろん、現行法では犯人の父親は、母子殺しにおいて直接の罪に問われる事は無い。けれど、妻を自殺に追い込んだ主犯は明らかに夫である男であり、息子にも暴力をふるっていた彼を同居させ続けた法体制や地方自治体の保護体制は改善されていかなければならない。(もっと言えば、子供が父親(片親を自殺に追い込んだもう片方の親又は親族など)を訴えられるような仕組みすらあって良いと思う)・犯人の少年を擁護するつもりは無いけれども、18歳でも死刑になるというのなら、17歳と364日の少年ならどうなの?、といった点をもっと詰めていくべき。言うなれば、殺人を犯した奴は年齢に関わらず裁く方が平等じゃないの?悪い奴がやっと死刑の判決を受けましたオシマイで済む話では無い筈。 妻と子を失った遺族の方が体験されたような悲劇は今後も発生するにしても、ある程度減少させる直接的な手段はいくつも目に見えている。のであれば社会的に取り組まないのは怠慢だし、確率的に自分の近親者に被害が及んだ時に悲嘆に暮れても遅いよね、という事。 それから最期に、更生の可能性の有無が判決基準になるというのも、ものすごくどうなのかな? 例えば15歳の少年(少女)とかが、複数の児童を享楽の為に次々と殺していったりしたら、それが十人とか二十人といった単位に及び、捕まった時点で18歳になってたら、彼はどう裁かれるんでしょうか? 彼が真剣に反省して誰がどう見聞きしても彼は更生の可能性があるから判決は死刑にすべきでない、とかなるんでしょうか? そして判決が確定して彼が無期懲役から仮釈放とかされた後で、実は反省してませんでした的な言動が明らかになったら裁判をやり直すの? 私は死刑制度そのものには賛成です。 でもね、いろんな事が詰められないままに放置されている現状は放置し続けるべきでもないと思うし、特に制度の不備は可能な限り早期に補完されていくべきだと思う。
2012.02.20
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バレンタインもらったらお返しが必要と言われている。でも、サンタさんにプレゼントもらってバレンタインにお返ししたい、って子供の話なんて聞いた事ないなと。何か年齢的な物だけでは済まないような気がした。そんだけ。
2012.02.14
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ブログでの記事更新は久しぶりとなってしまいました。一つには足跡機能が無くなってしまったのもあるのですが、日常で見かけたニュース記事の感想などはTwittwerで済ませてしまっているのあります。中東の春の展開やその後とか、欧州情勢なども含めてネタはあったのですが、自分の中の考えや状況とがうまく合致してまとまらずそのままに来ました。タイトルにも書いた違和感の正体が何なのか分からないまま、感じてた事などをつらつらと書いてみます。まず中東の春のその後というか、最近ではシリアへの安保理決議を中国とロシアが拒否した事がそのまま市民虐殺の免罪符となってしまった事とか。別に米英仏がいつも正義の味方だとか中露がその逆とか言うほど何かではありませんが、世界っていつも通りだなぁと。エジプトの学生達が頑張っても頑張り過ぎがアダになってか市民達からそっぽを向かれて軍部と宗教勢力が結びついて根本的な情勢は覆りそうにないまま終わりそうだとか。ギリシャの野党勢力は結局ユーロ参加維持のまま提案受け入れるなら前首相追いだした時のゴネは政略でしか無かったし、削られる公務員達の姿とかに正義というか正解があるようにも思えず、若者の48%が失業状態という凄まじさが実は先進国でもそう珍しい事じゃないという実情になんだかなぁとか。米欧で昨年末辺りから格差是正を求めるデモとか横行してたけどデモ止まりで何も変わらなそうだねとか。意思表示は無駄では無い筈なんだけど、次につなげるにはそれだけじゃ駄目なのも皆分かってる筈なんだけど、じゃあティーパーティーが正解だったのかというと、それで当選した議員の質はどうなのよ的なレベルとか、オバマは演説上手いけどそれだけの人で終わりそうだったのを共和党の対立候補の小粒さというか矮小さ加減に救われて連投しそうな雰囲気だけどそれでアメリカの何かが変われそうかというとそうでも無い状況とかにも何だかなとか。自分の中の答えは、一つははっきりしてきてます。それは、民主主義は、少なくとも正解を選びだすシステムでは無いという事実。選挙で選べるのは、あくまでも候補の中の誰かであり、当選するのは基本的に最大得票数なり基準数(割合)以上の票を得た候補者であって、彼らが正解を持っているかどうかは全く無関係。民主化を求める運動が無意味とは言わない。けれど民主化が最も進んだと言われている欧米各国で起きている政争の数々や失業率の高さや格差の広がりなどを目にすると、中国などが安易にそちらに舵を切らない心情というのも理解できてしまう。だって例えば、中央銀行の運営に、多数意見の反映なんて基本的に必要無いどころか、たぶんやったら有害。何が正解かというのは政治的解決に多数決を要するものかも知れなくとも、そうでないものも確実に存在する。イタリアで選挙で選ばれた議員が全く含まれない内閣が発足したのもそういった認識から誕生したものとして、個人的には注目してます。自治という言葉の響きは貴いし、尊重もしなくてはいけないのだろうけど、原発と同レベルで、人の、特に大多数には手に負えないものが自治には含まれてきてしまっているんじゃないかなと。日本で起こった政権交代も意味が無いものじゃなかった。その間に起こった千年に一度と言われるくらいの震災や原発事故が重なった事も、その責任を自民党が直視せず官庁や東電だけに押しつけて素知らぬふりを続けている事も、選挙民は忘れるべきでないし。選挙で出来る事は、誰かを選ぶ事、だけなんです。それだけじゃ十分じゃなくなってる。だから平成維新をなんて掛け声はもう20年以上前からあって聞き飽きてます。官僚が悪で特別会計を叩けばいくらでも財源がなんて民主党の掛け声が空しいものだった事も明らかになってます。大阪維新なんて掛け声で駆け上がってきた橋下は国政に色気出してますが、二重行政を排しての効率化まではまだしも、それだけでは国政に不十分です。国政の抱える問題はそれだけじゃありませんから。じゃあ何をどうすればいいのか?そんな事をえっちらおっちら考えながら、出来る事をし積み重ねられる事を積み重ねていってます。そんな日々を迷いなどをそのまま記録しておきます。オチが無いのでその代わりのおまけ。『初音ミクがオリジナル曲を歌ってくれました「Fly Out」 - TV edit -』絶望して立ち止まる事はあったとしても、立ち止まり続ける事に芸も意味も無い。なんて単純な事実を噛みしめながら日々を過ごしております。はい。
2012.02.12
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共産党幹部:「正恩氏の様子はどうだ?」護衛の兵士:「ずっとトイレにこもられております」共産党幹部:「まだ無理も無いか。監視を怠るなよ」護衛の兵士:「はっ!」トイレの中金正恩:「うは、やばくねコレ?兄さんマジ感謝!」金正男:「ソフトも送ってやっから逃げ出すなよ?」金正恩:「とりあえず4年くらいは喪に服すとか言ってビバヒッキーライフひゃほーいっ!」金正男:「オヤジも発売日に死ぬなんてついてないよな」金正恩:「プレイしながら昇天てある意味理想じゃね?」金正男:「死因として公表できんけどなww」なんてね。w
2011.12.19
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・新卒一括採用の消滅!? ユニクロが検討する「大学1年生採用」の衝撃 - 週プレNEWS以前書いた記事『就活早期化が問題じゃない。それを問題と受け取る企業や社会の在り方の方が問題、というお話。』の中で、新卒一括採用ではなく、いつでも就職したい時に入れて、教育に戻りたい時に戻れるようなする仕組みを提言しましたが、そんな流れの中のお話です。なぜ新卒一括採用が非効率なのか。海外の二学期制の卒業生を採用するタイミングを考えただけでも結論は出てもいるのですが、採用した後、適正というのは雇ってみて一緒に働きださないと分かりません。例え優秀だと分かった場合でも、学生側が、「思ってた感じと違った」などと理由をつけて辞めてしまう可能性は低くありません。不幸な事に、引く手あまたな立場の学生ほどこのような行動に出やすいでしょう。もっと不幸な事に、学歴や面接受けだけが良くて、実際採用してみたら、全然使えない人材が山盛りなんて事が起こったりして、でも彼らを解雇する訳にもいかず何とか使い物にしようと悪戦苦闘が始まる訳です。他に行く先が無い人ほど残留するのも言うまでもありません。実際に1カ月から3カ月を職場で付き合ってみれば、相互のフィーリング(求めている物)が一致してるかどうか容易に判別が付くはずです。社会で企業の中で5年10年以上働いていると、『使えない人』の多さに驚きます。自分の能力について私は幻想を持っていないつもりですが、一流企業とされていて、Facebookの就職先人気ランキングでも上位に(何の間違いか)位置されてる会社でも、呆れる程に、実際に仕事が出来る人は少数派です。そして昇進していくのも、仕事が出来るかどうかではありません。昇進試験の受験資格を満たしたかどうか、試験に通ったかどうか、だけが基準です。ポストは限られていて基本は先着順にしたい筈ですから、昇格させるかどうかの基準も、自分の順番を脅かさないかどうか、が重要なチェックポイントになります。大学一年からの通年採用を最大限に活かすのであれば、彼らが入学して2年くらいになるまでの、通常であれば勉強以外の余暇的活動にも活発になる時期の内の3カ月程をインターン的に仮雇用してみて、資格があると判定すれば卒業時に雇用するという形態でしょう。半年に一度、外側から見たその会社のイメージや業績の改善策などに対するレポートなどを提出させるなどして学生の質をチェックするような措置は必要かも知れませんが、大学の前半で就職先を確保して、後半の卒業論文などに集中出来る環境を整える事は、学問と何かの両立にもつながるとも言えます。職場に入るまでの2-3年の間に、TOEICや任意の外国語能力や、業務に直接関係ある資格試験に自力で合格しておく事を、卒業時の採用条件に含めておくのも効果的でしょう。学生側にとってもメリットは多い筈ですし、入社してから実際に業務を始めるまでの期間短縮=費用削減にもつながるので、余力の少ない中小企業にこそ向いているでしょう。そんな訳で、この流れはおそらく止まりません。学生側も学校側も役所などの公的機関側も、環境の変化を読んで必要な対応を急いで下さい。ではまた。おまけ:使える人と使えない人の絶対的な差を生みだす源の一つ、『考える能力』を身につける為の良書『自分のアタマで考えよう 知識にだまされない思考の技術』 by ちきりんさん
2011.12.08
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帰る途中の電車の中で近くの人が読んでた日経の記事には、オリンパスの事件に関して、「社外取締役の質の向上を!」なんて様な記事が載ってました。相変わらずの倒錯っぷりです。そんな事で事態は何も改善されません。何せオリンパスときたら、事態を明るみにした元社長を訴えるとまで息まいているんですよ?・オリンパス、ウッドフォード氏に法的措置もさらに日経ビジネスなんぞは、「外資に渡れば国益損なうとの声も」って、おいおい・・・。だから上場維持すべきだし、主犯格とされた元社長とか3人だけでお咎めは済ませろって匂いが漂ってきますね。取締役とか監査役とかなんて、誰がなっても同じなんですよ。誰が何やってもお咎め無しならね。必要な事は、法律で定められたラインを踏み越えたら、自動的に一定の懲罰措置が発動される事です。例えば監査法人。今回の件でも、その存在意義は地に堕ちました。ゼロ以下ですね。たった一週間、外部の人達が入って調べただけでも暴ける不正を見抜けていなかったのなら無能ですし、そんな事も無いでしょう。だから、答えは簡単なのです。不正と知りながら見逃していたら、免許はく奪の上、全資産没収。少なくとも数年単位以上での営業停止と、不正に伴い市場に起きた資産毀損への賠償責任の一部(少なくとも数割以上)を負う事。これくらいのリスクを負わなければ、彼らはまた繰り返します。だってクライアント企業の意向の方が、法律よりも市場の信用よりも重いと判断できるのは、クライアント企業からの収入の方が大切だと彼らが判断したからです。日経が言うような社外取締役の質の向上って具体的に何を指してるんですか?それが何をどうしたら不正の再発防止につながるんですか?オリンパスの現経営陣が不正を明るみに出した人を訴えるなんて血迷えるの状態を先に何とかすべきなんじゃないんですか?だから言ってしまえば、監査法人とかが本来の業務を全うに遂行したら、オリンパスの一件だけじゃ済まなくて、だから市場のこれ以上の混乱を避けるために云々てのが実際の所なんでしょうけど、だからこそ、踏み込まなければいけない一歩であり機会なんですよ。最近の若者とか30代とかは心が弱いとかのたまうメディアには事欠かない日本ですが、だったらたまには社会の行き先を明るくするような振る舞いのお手本を見せて下さいな。日経なんぞ適当な立場にいるんじゃないんですか?なんでオリンパスは上場廃止すべきとかぶちあげないんですか?他のマスコミも、検察とかの動きがあまりにもライブドアの時とかと違う事に文句を言わないのでしょう?規模でも悪質さでも、今回の方がよほどヒドイのは誰の目にも明らかですが?東証と大証が合併に合意したからだから何ですか?こんなヒドイ企業が上場維持観測で連日ストップ高なんて状態を放置しておいて何が統合のメリットですか?糞と糞がくっついて何か新しい価値でも生まれるんですか?断言できますが、オリンパスという企業が如何に世界シェアがあろうと、関わった監査法人が如何に多くのクライアント企業を持っていようと、市場の信頼は買えないのです。発動されない法律に意味は生じません。一個の企業の存在と、市場全体の信頼と、どちらが重い物でしょうか?どちらが優先されるべきか、最初から答えは出ています。その答えから目をそらし続けているのが日経であり、他のマスコミであり、東証であり、現在の日本の企業社会でもあるのです。そんなんで社会に希望を抱けと若い人達に言わないで下さいな。年金債とかアホな事言いだしてる輩もいますが、償還財源が消費税とか、もう馬鹿すぎます。年金債の不足財源、たった2.5兆手当じゃ済まなくなるのは目に見えてます。受給開始年齢引き上げた分、長く働こうとする高齢者達の動向は、そのまま縮小する労働市場から若者が雇用される機会と給与を減少させます。高齢者世代よりよほどスキルも資産も労働機会も与えられない若者(現役)世代に対して同率の消費税をかける事が何を意味するのか明白なんですけどね。そもそも、公的年金を満額支給されてもそれだけじゃ生活していけないという現実に向き合うべきなんですけど。生活保護でしか生活していけなければ、年齢に関係なくそちらを頼りにする人数が増えるのは自明の理でもあります。そうなった時、各地方自治体の現在の執行予算の内、どれくらいを自前の徴税で賄えているか知っていたら、もう何をか言わんや、です。日本がギリシャやイタリアとかと同じとかなんて言いませんが、そういった日本の財政のこれまでとこれからとに向き合うのは、まぁ現在中年以下の世代なんですよね、主に。だからもう60歳以上くらいで、社会のてっぺん辺りの椅子を占めててふんぞり返ってる人達に言いましょう。お前ら、自分達がやってる事自覚してる?、と。ほんと、最低です。
2011.11.24
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NHKの夜9時のニュース見てても感じたのが、興味が湧かない、という率直な感想。どの道数年単位でかかる話なのはさておき、食糧の自給自足率がなんて戯言に耳を貸すつもりもないけれど、何か直観的に、どっちに転んでも大差ないのかな、と。貿易自由化したからといって、日本国内に雇用なんて簡単に増えません。税収が劇的に増えるといった事も無いでしょう。農業が壊滅するなんて事も、数百%かけてた関税の出所が変わるだけで、結局保護的な存在は維持されるだろうし。このままでいけば人口大幅減の日本はじり貧というのは確定してます。でもTPPがその解かと言われれば、そんな気もしないのですよね。強いて言えば、いっそ関税なんて全部無くしてしまえば何かは見えてくるのかなと思います。米がとか農業がとか言う人達は、その保護の原資の出所云々を気にするべきだし、「おれはお前を殴るけど、お前はおれを殴るな」と言ってる事に気が付くべきだと思うんですよね。経済成長が無ければ増税しても税収は増えません。税収が増えなければ結果として債務も減りませんし、国家予算に占める償還費の重みは、社会保障関連の出費増と相まって我々の将来の選択肢の幅を狭めます。国の保護も、国の余力から出ている物に過ぎないのです。今は国債の需給が取れているように見えても、実際は将来にツケを回し続けているだけの事で、そのツケを担う人の頭数は減少し続けています。お前は俺達の為に死ね。そんな類の事を言ってると気付いてない人もいますし、気付いてても言い続けている人もいます。だから私としては、そんな連中に死んでもらっても何も困りませんし、善意の呵責も感じません。年金とかでも同様の事が言えたりします。普通、8時間働いたら、8時間分の給料しかもらえませんよね?1日なら1日分の、1か月なら1カ月分の。それが当然です。ではなぜ、1日働いただけで、1.5日分とか、実際働いた以上のお金が受け取れるのか?だって老後は働けないし働きたくないんだからなんてのは、願望に過ぎません。銀行にお金預けたら、なぜそれが何故増えるのか?国に年金収めたら、なぜ将来預けた以上のお金が受け取れるのか?利息という存在は経済を突き動かす強い要因ですが、日本の金利が上がらない理由は、お金を借りても増やす見込みが立たないからです。だからゼロ金利でも借りられない、借りる需要が増えないのです。ギリシャで起こっていた事を見て彼らを冷笑する事は誰にでも出来ますが、『お金を刷る』ではなく、『お金を殖やす』事は非常にむずかしいのです。FXとかでレバレッジをかけるのは、そうでもしないと取引が成立しないか、成立してもあまりに利幅が取れないからです。根本的な問いかけはだから、『お金』とは何なのか?、というものです。TPPと欧州金融危機が同列で語られる事はあまり見かけませんが、個人的にはそう感じています。『お金』を『富』という言葉に置き換えた方が理解はされやすいでしょうけれども、『富』は資産などとイメージが被ってしまう為、避けます。『お金』をどうやったら殖やせるのか。違う立場にいる人達がそんな相談をする場の一つが、TPPという枠組みなのだと思います。EUもそうだとも言えます。日本は、そんな話し合いの場に参加するべきでしょうか?、するべきではないのでしょうか?自分達にとっての損得だけではなく、話し合いそのものに参加した場合と参加しなかった場合のその後の影響も考えていくべきでしょう。政治家の意見なんて、国民の側の意見が定まってなければ迷走するのも当たり前なのですから、JAがとか経団連がとかといったレベルではなく、どうやったら、自分達と自分達と交易する相手双方の『お金』をより殖やせるのか、その方法を考えていくべきなのでしょう。
2011.11.11
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Twitterの方にも書いた事をまとめて、考察を付け加えておきます。まず、週刊東洋経済『本当に強い大学』特集からいくつかの数字を並べておきます。東大80.4%、京大83.1%、慶応82.1%、早稲田75.5%、近畿大74.3%、東北大65.7%、東工大71.1%。それぞれ卒業生から大学院進学者を除いた就職決定者数の比率。ランキング全体で言うと75~85近辺が多く、90代は非常に少ない。もう一つ目に付いたのが、志願倍率の低下。有名所でも2~3倍代なんてのがざら。多いのは3~5倍で、極例外で6~9倍くらい。そして今後。この倍率は絶対に落ちていきます。東大が秋季入学を検討し始めた、国内学生だけでは質(競争)の維持が不可能と判断したという理由が明確な数字で伝わってきました。そして後日目にした記事2本がこちら。・難関突破も需要伴わず 会計士1500人が就職浪人・司法修習生も就職難 「未定」35%に上る会計士や弁護士という具体的な資格を取っていてさえ就職の不安が払拭されないのであれば、その資格を取る為の学校や授業の価値も、低下せざるを得ません。さらに秋季入学を検討し始めた東大や、今回の特集を組んだ東洋経済を含めて見落としている点があります。それは、なぜ、海外の優秀な学生、又は彼らと渡り合える国内の優秀な学生が、日本の大学を選ばなくてはいけないのか、という根本的な問いかけです。日本の優秀な大学を出れば、日本での就職に有利だから、という答えが当然の如く返ってくるかも知れません。でも、忘れてませんか?日本の市場は今後縮小し続け、上場企業どころか中小企業でさえ、海外での売上比率が高まっていくという背景が変わらない限り、日本の大学に通う必要性はそもそも無い筈なのです。当たり前ですよね?特に外国人の場合、ビジネスが展開される現地語と英語が出来れば、そもそも十分な筈なのですから。なぜ彼らが、わざわざ大学教育を受ける為だけに、日本語という一つの言語をまるまる習得しなくてはいけないのでしょうか?それだけの価値が日本の大学に存在しますか?どの大学がそれだけの価値を世界に対して証明できますか?例え東大や京大でさえ難しいでしょう。というか不可能です。中国で展開されるビジネスの為に雇われるなら中国の最高学府を、インドで展開されるならインドの、といった具合に、日本の大学に通う必要性は無いんじゃないのか?、という現実に、日本の大学教育者は向き合わなくてはいけません。本社機能でさえ移転しつつある現在ですよ?移転してなくても社内公用語が英語になっていたり、日本語ができない外人達が日本本社にごろごろいたりするのがめずらしくない光景にある現在が、今後日本語重視の方向に転換する事は、有り得ません。だから、(教育機関にとっての)答えは、日本の大学が海外にキャンパス展開する事でしょう。もちろん、単位の相互認証などの問題は残りますが、東大香港キャンパスとか、東工大ムンバイキャンパスとか、そういった類です。日本と現地国の大学卒業資格を同時に取得できて、なおかつ現地語と英語と日本語を同時にマスターできる環境を整備する事。日本は海外に比べれば失業率は低いです。特に若年層はとても低めと言えます。海外の優秀な学生を惹きつけられるとすれば、海外展開に主軸を移しつつある日本企業が、彼らに日本語を押しつける事なく囲い込む事でしょう。そして大学や企業だけに全てを押しつけられるわけもありません。小中高の生徒も先生も、現在社会で既に働いている人々も全て、これらのプロセスに否応無しに参加する事を強要されるでしょう。雇用を失って職探ししているのなら尚更です。これから学校に通うだろうお子さんを持つ親御さん達は、日本で最高レベルの大学に通って資格を取っても不安が残るという現在の認識に捉われないで下さい。これからもっと悪化しますから。社会としては雇用制度をもっと柔軟にして、雇用と非雇用(失業)という0か1かという二元論ではなくて、正規雇用か非正規雇用かでもなく、企業がどうやって収益を得て、政府がどうやって社会補償の原資を得て配分しているのか、その仕組みをもっと広く理解した上で見直していく必要があります。話が際限無く広がりそうなので、この記事はここまで。ではでは。
2011.10.20
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・早期化する就活、ルール尊重を大学などに要請こんなニュースで何か書こうと思っていたら、今日の昼頃だったかな。NHKのニュース深読みという番組で、東大の秋入学を考察する番組がやっていました。紹介されていた論点の中で一番重要なのは、国内の学生だけでは、世界一流とされるレベルを維持するのは不可能という認識です。だからこそ、海外の学生がより入りやすくする環境を整える為に、海外では主流の9月入学なのです。 4月で年度が始まる社会的な仕組みをそのままにするのかどうか、会社だけでなく、小中高もそうですが、秋入学を実施した場合に発生する入学前と卒業後の空き期間(ギャップ)をどう解消するのかという問題(課題)も紹介されてたりしました。日本でトップだという事自体は無価値ではありません。しかしそれは、世界の一流でもあると外部から評価されていて初めて価値を生じるのです。そんな厳然とした事実に東大が向き合ったのは僥倖でしょう。しかし彼らだけでは限界があるのも事実です。そんな背景を俯瞰した時、企業の早期採用なんていうのは、問題ですら無い事に気が付きます。海外の企業を拘束できるルールなんて無いのですから。同時に、本当に優秀な、英語も出来て海外の人とのコミュニケーションに何の障害も無い人材が、日本の企業だけを就活相手に選ばなければいけない理由は、皆無なのです。だから、日本として、社会的に取り組むべき行動は明白です。1.横並びの4月一斉採用を止めて、通年採用と教育体制を整えていく 採用だけ決まっていればいつでも入りたい時に入れる会社と、そうでない会社と、どちらがより学生側にとって魅力的か、言うまでもありません。 その意味でも、画一的な4月onlyな入社体制は崩していくべきでしょう。2.並行して、大学一年生程度からの通年インターンを実施して、企業側と学生側双方からの相互評価をしあう。これで、入社3カ月程度の早期退職は相当程度減らせますし、人事部門という業務に関わってない人達からの評価や、面接だけで人材を採用してしまうという弊害も減らせます。一緒に働いてみないと実際の人材価値なんて分からない場合の方が多いです。 さらに踏み込むならば、企業から高評価を得た学生は、その段階で大学を休学し、夜学やオンラインや、数年後など戻ってきたいタイミングでまた受講を再開し、卒業資格まで与えられるような柔軟な体制の方が、より学生にとっても(企業にとっても)望ましいでしょう。 さらにもう一歩踏み込むなら、そんな企業(単一ではたぶん厳しいのでグループ単位)が、本当に受けさせたい教育を、仮採用した学生に受けさせる教育機関を発足させていくという姿も、今後生まれるでしょうね。(MBAなんていう狭い範囲のものでなく、『考え方』、Logical Thinkingなどのトレーニングなどを主眼に据えた1~3カ月程度の短期講座など人気を博すかも知れません。国内の人で言うなら、Chikirinさんとか、実際にそんなのが開かれたら抽選倍率はすごいものになるでしょう。3.英語を公用語の一つにする社会的体制を整え始めるNHKの番組でも触れられてましたが、英語(や他言語)を勉強すると日本語がおろそかになるというのは偏見だし誤解です。ある言語を他の言語に置換しようとする時、双方向からの理解が無ければそれは不可能なのですから。中高6年学んでも英語が話せないというのは広く共有されているらしいトラウマなのですが、必要性が無かっただけです。必要性があれば、学校で授業があろうが無かろうが話せるようになるだけのお話です。現在高齢者の方には厳しいでしょうが、カーナビ的な自動翻訳AIの登場はそう遠い未来でも無いでしょうし、国会演説等は副音声で同時通訳していればさしあたっては十分でしょう。NHKや教育プログラムは、全て別チャンネルで英語でも同時に流す。というより、NHKの悪い癖なのですが、日本人向けと、海外向けにコンテンツを作り分けるのを止めさせます。CNNでもBBCでもやってる事を同じ様にやるようにするだけの事。社会として国際化していくというのは、そういう作業なのです。もちろん10年、20年以上かかるでしょう。俳句とかお笑い、漫画やアニメその他文化的な創作活動などは日本語で発表されて翻訳されていくというスタイルが継続するかも知れませんが、それはそれでいいのだと思います。社会としての必要性を生む。これ以上の英語力向上法は社会的に存在しません。受験という手段が失敗し続けた歴史的事実は永く忘れられるべきではないでしょうね。そんな訳で、就活の早期化なんてのが問題じゃなくて、問題は人材競争が国際化しているという点であって、企業と学生の間の、就職と学業の間の垣根をなるべく低くして行き来しやすくする事が答えなんだよ、というお話でした。それではまた。
2011.10.08
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今年は難しそうだな、というのは、だいぶ早い時点から多くの人が感じていたと思う。打席数が多い試合でも無安打とか一安打とかいう試合が続く状態を見て、それでも石にかじりつくようにじりじりと安打数は増えていっても、200という数字には届きそうにはなかった。でも、途切れた事で楽になる事もあるかとは思うし、来年からはまた新たな気持ちで始めて頂ければと思う。応援するのはファンの勝手な心理だとしても、11度目とか、300安打とか、4割とか、期待はしてしまう。いずれ引退は待っているとしても、来年か再来年はまだ現役でいて欲しいとも思う。また、打席に向かうあなたの姿に心からの声援を送りたいと思います。今年もお疲れ様でした。・イチロー、200安打止まる=「なぜか晴れやか」―米大リーグ・イチローに稲葉らコメント「失礼でしょ」・2004.10.02 イチロー
2011.09.29
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新内閣が発足して、さっそくおバカ発言で一人辞任となりましたが、それは放置して、と。しばらく書くネタが無かったわけじゃないんですが、野田内閣が予想よりも好印象で迎えられてて、足引っ張るような恒例の外国人献金ネタとかも報道されてたので、ちと書いてみます。いわゆる黒い企業とか呼ばれる筋からの献金とかも含めてなんですが、いちいち外国人株主比率なんかも、献金受ける側がチェック出来るかというと、無理っぽいですよね。現行の仕組みだと。だったら、その度に揚げ足取り報道を繰り返すより、献金ルートをチェックするシステムを構築した方がよほど社会的に健全じゃありませんか?たぶん、主体としては選挙管理委員会に関係各省庁が協力するのがよろしいのでしょう。(金融庁とか警視庁とか外務省とか総務省)つまり、献金を直に政治家やその政治資金管理団体へと受け渡しできる仕組みだから問題は起きるわけです。その前に、ワンクッション置いて、そこで全ての献金申請を審査するようにすればいいだけ。外国籍の個人や団体でないか。借金のある企業や公的補助を受けている団体でないか。反社会的勢力(いわゆるヤー系)企業や団体でないか。外国籍の株主が法律に抵触するくらいの比率になっている企業からでないか。など、政治家個々人で調べてトレースして随時情報を更新していくにはあまりにも負荷がかかり過ぎて現実的な対応とは言えません。受けた献金返せばチャラみたいなテキトーな運用にはなってますが、こうすればどこの誰から誰に対して献金があったのか、ものすごくはっきりして、公的記録にも残りますよね?政治資金パーティーとかでも、申告券を購入するような形になります。それが審査機関でハネられたらアウトですが、後から調べて返金したりする手間とか社会で騒ぐコスト考えたら、どちらがマシかははっきりしてます。現金での授受を禁止するのも有効でしょうね。日時と振込元と振込先が明示されて記録に残る金融機関経由の振込のみしか認めないようにすれば、紙袋に一億円詰めたのいやそれは無理だのといった不毛な議論に社会が付きあわされるコストも省ける訳で。そんなわけで、911とか311とかに関してはまた気が向いたら別途書きます。ではまた。
2011.09.11
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例えば、普天間基地移設の問題とかね。菅の間に何か進んだかと言えば、震災とか原発事故のおかげで有耶無耶になってただけ。原発事故の後処理は、しょっちゅう汚泥とか放射能汚染水の処理が止まってたりするので、中長期かかると腰を据えてかかる必要があるでしょう。つまり現在野党でも、近い将来与党になる側は、自分達が攻められる側になった際の時を考えて行動していく必要があります。で、さらに、次の首相が誰になるかなんて当てっこクイズよりよほど喫緊の問題があります。それはコレ。・集団移転、沿岸26市町村が検討…高台や内陸へ被災地の復興プランでもあるんですが、でもね、確率的に言って、次は別の所で大規模震災とか津波が起こる方がよほど高いんじゃないでしょうか?つまり、現在は津波に呑まれてないけれども、数百年単位でも過去に大きな津波に呑まれた記録がある場所ならなおさら、実際の震災や津波が起こる前に、移転計画を立てて、随時実行していくべきではないでしょうか?どうせ5年10年は現地住民の間でもすったもんだの議論をしてもほぼ何にも進まないでしょう。そうやって10年かけてようやく下地が出来て、次の10年でようやく一部の市町村とかで対策が進んで、その頃には対策を怠ってた所が津波とかに襲われて、「(自分の所で災害が起きるなんて)想定外だった」とか言えば満足するんでしょうか?満足しないですよね?国に助けてくれって、泣きつきますよね?国に助けを求めるって事は、正しく、他人に助けを求めるというのと同意義なのです。その際に求める助けの内容と度合いと負担とが少なければ少ないほど、助けを求める側も求められる側も幸せだとは思いませんか?(その対策案とか→■)どこの市議でも県議でも国会議員でも構いません。復興プランを復興だけに終わらせず、おらが村の予防プランとして議論を始めて下さい。それはきっと無駄にはなりません。具体的に数百名とか数千名単位以上の犠牲者の数の違いを生み出すでしょう。それはとてもとても、やりがいのある仕事だと思うのですが、いかがでしょうか?
2011.08.11
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首都圏が大被害にあった時の為に関西圏に副首都を、って構想がニュースで流れてたので、安易だなぁ、と思って記事を書いておきます。東京が潰れたら一大事、ってそりゃそうだけど、関東大震災とか東京大空襲とか、いずれ復興されるだけの事。日本沈没的に東京だけ消失するとかしない限り、大阪が首都になる事はあり得ません。東京が核ミサイルの雨にさらされるような時、大阪や他の大都市が狙われないわけもありません。首都機能なんて大上段なお題目を掲げるから混乱を招くのです。必要なのは、首都機能が麻痺した際に、一時的に、緊急事態を処理できる機能を代替できる事。それだけです。例えば、国会議事堂が崩壊しても、国会議員や官僚達が無事なら、別の場所で国会を開けばいいだけです。電力需要と供給の脆弱性が今回の原発事故騒ぎで露呈しましたが、大阪が東京より優っていると言える面はありませんし、名古屋にしても同じです。つまり、数百万以上の住民を抱えるような大都市である必要はありません。大都市を維持するのには膨大なインフラと維持コストがかかり、それは脆弱性の裏返しでもあるからです。必要最低限な、緊急事態処理用機能群を書き出してみましょう。・自前の発電インフラを持ち、水、食糧なども自給自足可能(ストックでも可)※平常時には蓄電施設として稼働させておく・空港か航空自衛隊の基地がすぐ近くにある(全国どこへでも1-3時間程度で飛べる)・高速道路網からほど近い・可能ならば数万人単位の避難住民の仮設住宅をいつでも提供可能な空き地と水回りなどのインフラ・海岸地帯では無い立地電気さえ確保できれば、通信手段も確保されるでしょう。空港か航空自衛隊の基地が近くにあるメリットは、海外からの援助物資や救援部隊を、即座に受け入れておくためです。現在だと、一日以上経ってから世界各地から飛んできてもらってますから、3日72時間というクリティカルな時間の内、最初の24時間を浪費している事になります。ある程度無駄足になる可能性を踏まえても、発生数時間後までにある程度被害規模を見定めてから、随時飛んできてもらい受け入れていった方が余程救える命の数は増えます。今回の津波被害の範囲の捕捉や、原発事故の被害状況の把握など、無人機の発着陸施設があってもいいでしょう。マスコミの取材カメラとかに頼っている場合じゃありません。現地の通信インフラが全滅していても、携帯を含めたアンテナ基地の様なものをすぐに現地に飛ばせるようにすることも重要です。被害状況の把握が出来て初めて、現地で必要とされる援助を到達させられるのですから。今回の震災でも明らかになった様に、現地の生活インフラはすぐに復旧しません。であればこそ、生活インフラが整った緊急事態施設に、すぐに数千~数万人以上を移送できる体制を構築することの方が、副首都なんていうお題目を実現するよりも遥かに急務です。大規模な震災は20年に一度、中規模な災害は10年に一度程度は起こるものと最初から織り込んでしまうのです。都度対応しようとする設置コストより、用意しておいて維持する方がコストと安心感が違います。さらに付け加えるなら、東京の様な一千万人以上が生活しているような大都市圏の内、一割以上が避難を余儀なくされた場合、大阪のどこに収容可能だと言うのでしょうか? 一割ですら小さな県のサイズに匹敵してしまうのに、二、三割が避難を余儀なくされたら?つまり、首都圏が深刻な被害にあった時のことを真剣に想定するなら、その受け入れ先は他の大都市圏では有り得ないのです。都市をまるごと移すくらいの下準備をしておかないと数百万の避難民なんて受け入れられませんし、そのコストは膨大なものになるでしょう。ですから中程度のオプション、妥協策として、数万人程度を受け入れられる緊急事態施設を、全国各地に10個程度用意しておき、合計で最大50万~100万人程度まで受け入れられる態勢を築くのが、おそらく限界ではないかと思います。まぁ、現実的には、3~5個で、最大10万人程度の受け入れ可能にしておく、というところに落ち着きそうですが、例えば福島市程度の数十万人都市住民を避難させなければいけなくなったとしても、すぐにパンクしてしまう事は考慮しておかなければいけません。平常時のコストはどうするんだという意見も出るかも知れませんが、今回の福島の原発事故で出たような放射能汚染水や汚泥などを地下深くに保存する為の施設(敷地)を兼ねてもいいかも知れません。自治体によっては受け入れを嫌がるかも知れませんが、廃村なんてこれからも増えていく一方です。地方自治体の統廃合と、人口の半強制的な移住も、これからの日本が向き合わなくてはいけない課題です。そんな現実を無視して復興の基本方針を定めるのも無意味というより害悪でしかありません。せめて病院や高齢者収容施設は海岸から6km程度内陸になければならないか、高台へ移設しなくてはならないでしょう。そうでないと、今回と同様の悲劇はいずれまた必ず起きます。大切なのはお題目ではなく、具体的に実施する項目であり準備です。起こらないと思ってれば起こらないなんて事は無い事だけは肝に銘じて、準備を進めていくべきではないでしょうか。
2011.07.21
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翻すと、全体の半数以下の働く人で社会を支える国になっていくという事です。2010年の国勢調査で、全体の人口が1億2569万2千人。労働人口は6240万人(前回比で300万人減)。労働人口の定義を65歳までを69歳までに取るとかすれば若干は変わりますが、長期的な傾向として、5000万人を大きく割り込んでいく事は判明しています。社会の二人に一人以上が働いていない状態が今後ずっと続く。しかも、その大半が老人で高齢化していく一方。年金云々じゃなく、過去の負債のツケも、減少し続ける現役世代が払い続ける。しかも若ければ若い程にその負担は増していく。抜本的な改革とは、政治家もメディアも良く言う言葉だけど、じゃあどうするの?、という提言はほとんど無い。せいぜいが消費税率を15%かそれ以上上げろとかいうくらいだ。これから消費も消費人口も減っていくのにね。それで消費税率だけ上げていったらどうなるか、わかりそうなものだけど。このブログでは何度も書いてるからここでは深く繰り返さないけど、答えはたぶん、電子通貨化によるマイナス金利の実現と、経済全体の規模の把握。これで自営業への課税の不公平性とか、架空口座やタンス預金やブラックマネーなども一掃できる。税金はみなし徴収で行い、政府の活動資金はそこから支払われるようにする。税金を集めてそこから公務員の給与を払うというのは壮大なる無駄なのです。それも電子通貨なら極限までコストを落とせます。実質的な『無税金政府化』が答えです。過去の政府債務もその中から償還していき、実体経済への負担を無くします。予算枠は、前年GDP比25%までとか上限を決めておけばいいでしょう。公務員給与などを含めてインフレ率を制御します。一番大事なポイントは、通貨価値の維持のみと言い切れます。この1点さえ解決できれば、人口減少問題なんかも実は解決できてしまう手もあるんですが、それはまた別の機会に。
2011.06.30
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自分が好きな漫画、『神のみぞ知るセカイ』の作者が、(単行本は440円、BDは5000円。これだけの値段だと面白いだけじゃあダメで、「価値」を創出しないとなぁ。440円でもめちゃ苦労してるのに、5000円なんてすごい世界。) とつぶやかれてたのが印象に残ったので、少し考えてみました。ここ数年のアニメは、ドラゴンボールとかワンピースみたいな超人気作品以外は、深夜時間帯にひっそりと放映し、しばらく経ってからDVD/BDをレンタルや販売展開して採算を立てるという方式だったかと思われます。バンダイチャンネルなどのWEB上の視聴もありますが、どうやらそれだけだと採算性は取れない模様。(既に商品数がすごい数になってるのも原因の一つかと)なので、アニメ化の際は、当然、採算性が一番ネックになり、そのハードルを最初からクリアできるラノベなどのアニメと親近性が高い話題作からピックアップしてアニメ化という流れが主流ですかね。週間漫画誌でそこそこ人気が出たらというパターンも主流ですが、その場合、原作以上にアニメで人気が出る事はありません。ワンピースの人気がすごいのは、ひとえに原作の出来がすごいからです。逆では決してありません。さて、コンテンツ展開の本題に入る前に、440円と5000円という価格差に、ふとした疑問を感じたりはしませんか?漫画、神のみ~の原作は、現在13巻までですから、13巻を440円で買ったとしても、5720円です。これはアニメの1巻を定額で買った時の値段にほぼ等しいと言えます。(amazonの表示上の定価は7000円とか)仮に、将来原作が20巻で完結したとして、8800円。これが割引されたDVD/BD2巻(計4話分)と同額だと仮定した時、どちらがコンテンツとしてより魅力ある商品でしょうか?原作ファンである私なら当然、完結までの全巻の方を選びます。人によって答えは異なってくるでしょうけれども、そもそもDVD/BDを買ってもらわないと成立しないビジネスモデルというのが危う過ぎるのです。購入してくれる人が少数しかいないからというのが主要因にしろ、こんな例えを考えてみて下さい。スターウォーズ3部作の映画を、全部映画館で見ても、1800円×3=4800円にしかなりません。そして、特に洋画のDVDなどは大して高くありませんから、日本の映画館上映料金と変わらなかったりします。スターウォーズのトリロジーのDVDボックス(新品)でさえ、4100円だったりするのです。エピソード1~6と特典映像集などをつけたコンプリートBDのボックスでさえ、13000円以下です。で、翻ってみて下さい。確かに、スターウォーズと比較するなというお声はかかってくるでしょうが、たかが12話(1クール)のアニメ1作品の映像を所有する為のコストは、1巻(2話)5000円とした場合、3万円にも達するのです!つまりアニメ12話分を応援するという行為は、スターウォーズ全作品を収録したBDボックス特典付きを2個買う以上の出費を意味したりしてるのですが、コレ、何か不自然というか、もうちょっとやり様ある気がしてます。ちなみに、私がシリーズでの購入を決めたまどマギは、バンダイチャンネルでシリーズを通して観た上での判断でしたが、その視聴コストは12話まとめて2000円程(14日間)です。所有する為のコスト云々は、まぁ単純に録画してしまえば回避できてしまう点はさておき、結局ファンが手を出す一つの理由は、自分のひいきの作品を応援したいからでしょう。実際、神のみ~のアニメ作品に関して言えば、行間というか、(週間)漫画では表現し切れない細やかな演出とか間とかに精力をかけてて、とても良い仕上がりになってます。そんなクオリティーが、現在進行形の原作の所まで、可能なら最期までアニメ化されたら嬉しいなぁというのが単純なファン心理なんですけどね。で、結論めいた事を言うなら、原作はアニメの事を気にする必要は無い筈だし、440円と5000円の価格差=価値の差をどう付加するかという仕事は、アニメ製作者側に課せられた責任です。出来る範囲で原作者がアニメ製作に協力するというのももちろんアリですが、原作者にとって最重要課題は、原作のクオリティーを維持向上させる事のみじゃないのかなと。マネタイズという収益モデルに関して、コンテンツ制作者側がもっと関わるべきだ論みたいのもあって、確かに一理ある部分もあるのでしょうが、マネタイズできる仕組みがあっても、そこに載せられたコンテンツがお粗末なら市場の選択にあってボツる(失敗する)だけです。漫画に限らず電子出版で、誰でも気軽に市場に商品を送れたりする世の中にはなってきてますが、その中で選別され得るスタートラインに立つには既存の商品棚(雑誌など)に陳列される事が結局は早道だったりしています。440円と5000円の差をどう埋めるかの前に、まず440円を支払ってもらうだけの何かが無いといけません。海外連続ドラマシリーズとかで、第1巻のレンタルをタダにしたり、別のドラマの巻末におまけ映像として付けちゃったりするのは、そういった一連の誘導行為です。そして今後のコンテンツ制作の広がりを確保していくのなら、やはり所有してもらわないと採算取れないというのは厳しいのじゃないかと思います。容量的にもっと入る筈のディスクに2話分しか入れないのは、次の巻を買ってもらう為の費用分散手段でしか無いのですし。その意味で、制作者側は自らに問いかけた方がいいと思います。これはスターウォーズ6作+特典をつけたBDボックス2個以上分の価値を、押しつけられる代物だろうかと。どの道、ニコニコ動画などでアニメコンテンツは配布されちゃってたりする運命は不可避で、それが最終的なパイの大きさを制限する運命は変えられない(特に中国とか後進国市場は)のだとしたら、440円→5000円の価格差を埋める方法を考えるのではなく、440円→X円の差を小さくする方法を考えた方が発展性がありますよね。そのX円には、アニメ化に伴う全ての諸費用+次回作品の初期投資費用なども込み入れていいでしょうけど、例えばバンダイチャンネルなら、1話あたりの視聴費は100~300円程度です。12話、24話、36話など、まとめたサイズなどによってパック料金も変わってきます。ここら辺は、既存の漫画雑誌の持つビジネスモデルを組み合わせる事によって、アニメコンテンツを集中販売するチャンネルにどう展開して採算を取っていくかという方式も変わってくるでしょう。人気アニメ作品を漫画化しても大して売れなかったり、その逆なんてのも枚挙に暇が無いでしょうから。単純なアイディアを出すとしたら、ある作品に10万人以上のアニメ化期待投票が集まったら、デモ的な作品を作ってみるとか。現在はその目安が単行本販売数なんでしょうけど。似たような話はそこかしこでも出ているとは思うのでは、この話はここで切り上げておきます。それでは。
2011.06.21
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なってもならなくても、どちらが果たしてマシになるのか不明な状況ですが、まぁ一足先に記念品として。粉微塵になるのが政党だけだったらイイんですけどね・・・。
2011.06.08
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以前の日記でも書きましたが、答えは既に出ています。発電ではなく、蓄電です。原発から数Km離れた所に、有事の際に関係各機関の担当者が集まって情報集約と指示の効率化を図る、とは聞こえが良いのですが、今回全く機能しませんでした。・オフサイトセンター 機能せず外部からの電力供給が途絶え、その時の為に備えた非常用発電も震災の影響で故障して使い物にならなかったからです。原発からは数km離れてても津波の直撃を受けて使用前に壊滅した所なんてのもありました。非常用発電装置を備える事自体はおそらく無駄では無いでしょう。しかし、原発自身もそうでしたが、非常用発電を何重にしてても、同じ場所にあれば同じ震災でやられてしまう可能性が高く、かつ離れた所にあれば交通インフラが復活するまではやはり使い物にならないといった脆弱性を抱えます。交流・直流変換のロスや再充電の手間もありますが、ユニット化した蓄電装置(いわゆるバッテリー)の一番の利点は、持ち運びが可能な電力である事です。使用済みになって再充電が必要になったユニットは、非被災地で発電(充電)可能な地域に持ち込み、再充電したものを被災地へと運び込む。自衛隊の輸送機や輸送ヘリなどで迅速に運べるよう、全国一律の規格が当然望まれます。そして原発もオフサイトセンターも公的機関や病院などの施設も、重要なインフラの仕様変更として、外部電源からの電力供給を受けられるようにしておく事が必要です。最初からそうなっていれば、後は電源を何でもいいからつなげば、とにかく通電しその施設は利用可能になる、というのが望ましい姿です。発電施設云々や電源回路復旧などの時間的ロスなどを全てスキップする為です。装置類も全部を一体化しておくのではなく、機能毎にユニットをばらけさせておいて、必要なユニットだけ交換すれば再利用可能にするという仕様も重要でしょう。建屋が半壊しても装置を外に運び出して、持ち込んだ外部電源をつなげて、必要な機能を果たせるようにするというのが、在るべき姿です。また、MOB(Mobile Offshore Base)式の曳航可能な小型発電施設を全国2か所くらいに配備しておくのもアリかも知れません。汚水処理用施設も併設しておくのも効果的でしょうが、数か月以上の長きに渡って汚水循環施設への電源供給を効果的に行う為に、洋上から半固定で支援できる施設で、次回別の場所の震災にも利用できる事は非常に大きな利点を持ちます。目標としては、全国どこで今回と似たような被害が発生しても、12時間以内に1基、24時間以内もう1基が被災地に到着する事が望ましいですが、余震がある程度落ち着いてないと津波による二次被害が懸念される事もあって、数日から一週間、二週間程度到着までにかかっても、十分に費用対効果としてはペイするでしょう。(今回の電源復旧までにかかった右往左往ぶりを思えば尚更)さて、ここらでまとめておきます。・非常用発電装置は無駄では無いが、それ自体が故障してしまうとお手上げになってしまう・なので、蓄電ユニットを全国各地に貯め込んでおいて、有事の際に被災地に迅速に運び込んで使えるように体制を整えておく方が、インフラ復旧を待つよりは格段に早い・装置類も機能毎に着脱可能にしておいて、ユニット単位で交換や運び出しを可能にしておき、建屋が使い物にならなくなっても装置類は利用可能にする・装置類は全て、外部電源からの電力供給が可能なようにしておく(建屋の電力回路のみに依存しない)・MOB式の移動可能な小型発電所は、おそらく緊急時の電力供給に非常な力を発揮するので複数用意しておく(放射能汚染された汚水された処理施設も併設しておくと尚良い)オフサイトセンターの立地をとりあえず津波の影響を完全に除外できる所に移すなんてのは始まってますが、そんなのは序の口とも言えない初歩的な対処です。今回の福島以上に原発が密集している地域が、日本にはあります。そこに大規模な津波が来たという記録も、発電所は無いと言ってましたが、最近見つかったという報道も先日見ました。「そこにまで大震災と大津波が来るなんて想定外でした」なんて間抜けな記者会見を聞かないで済むように、必要な措置を講じて行く事が求められています。それも、迅速に。「こんなに立て続けに来るなんて(以下略)」なんて事になっても、後の祭りですからね。それではまた。
2011.06.06
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『鳩鉄砲 狙い外して 缶落ちず』『小沢鳩 梯子預けて 外されて』(小沢鳩=伝書鳩)『ウソつくな? 書いてないだろ そんなこと』『辞める時期? 目途が立つまで 選挙まで』『バカを見た 小沢信じた 自民党』『その小沢 鳩山信じて 共倒れ』twitterでもつぶやいたけど一番お気に入りはこれかな。『震災後 日本揺らした 鳩鉄砲』〆はこんなのいかがでしょ?『結局さ。誰得だったの、この騒ぎ?』あえて言えば菅が時間を若干稼いだ程度ですが、低からぬ代償も払ってますしね。小沢が高度な計算に基づいてなんて言ってる方もいますが、鳩山に梯子預けて政治生命預けてる時点でアボンです。鳩山もまず議員辞職してから他人を嘘つき呼ばわりしなさいって感じだし、自公も得意顔なんて出来るオチではありません。ほんと、次の選挙の時期がいつになるか不明ですが、誰にどういう根拠で投票すればいいのか、考えるだけで頭痛くなってきそうです・・・。ああ、後こんなのも思いついたので追加。『鳩目には バラけて見えぬ 民主党』・・・・・。
2011.06.03
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またぞろ、菅を引きずり降ろして、次は枝野か小沢なんてアンケートなんて出始めたり、内閣不信任案が今週中に提出されるかもなんていう事態になってきています。与野党側共に、後先が見えて無いですね。まず、野党側。筋道の整理がついていなさすぎです。1.協力への見返り小沢派の力借りて、倒閣に追い込んだとして、見返りに何を要求されるか分かってますよね?総理の椅子です。そんなの受け入れられるんですか?小沢を信望する人達がいるのも知ってはいますが、自身の公判が待ち構えている人ですよ?複数の元秘書達と自身に絡む裁判が今まさに行われている人物ですよ?よしんば判決が無罪に終わったとして、原発の後処理とか国際会議とか、裁判の合間を縫って執務ですか?例え総理でないとしても、閣内の重要ポストは要求してくるでしょうから、そんな不安定な人物を取り入れてリスクを抱えるのは正解でしょうか?2.原発推進と絶対安全信仰の崩壊に対する贖罪原発を推進し、「絶対安全だ!」と国民に説明してきた自民党政治家達の責任は、民主党政治家達の責任のそれを凌駕します。(選挙区にもよりますが)でも、誰ひとりとして詰め腹を切ったなんて話は聞いてませんし、極少数が自発的に動いたのでは党としての判断にはつながりません。原発推進と絶対安全信仰に関わった全議員の議員辞職ないし次回選挙への非公認。又は議員給与の半額以上を現地避難者や風評被害への補填などに宛て、年金をもらっている元議員達も自主的に全額国庫への返還。これらを党として強硬にでも実施し、日本社会に対して与えた様々な損害に対してケジメを自らつける。そうでないと、もし任期切れの次回総選挙で大勝したとしても、絶対に、執拗に攻撃される弱点となります。次に与党側の造反サイド。3.社会の空気を読め小沢総理が有り得ない事を自分達でまず掲げましょう。党を分裂しない事も約束しましょう。政局を望んでいるのではなく(望んでいるんだろうけど)、菅総理とその内閣の純粋な能力不足を根本的に改善したいだけだと公約しましょう。そうでないと、内閣不信任案が可決されたとしても、小沢派の明日はありません。(派閥の主自体に明日が無い事に気が付いていない一派なのですがそれはさておき)少なくとも小沢本人やその元秘書達の裁判が済むまでは、別の旗頭を掲げ、党の政権運営に全力で協力していかないと、前回の自民党なんてメじゃないくらいに民主党は大敗します。そんな事もわからないなら、このままとっとと政治的にでもそれ以外の意味でも逝って下さい。まだ正気が1ミクロンでも残っているなら、菅と小沢が対決した時の国会議員票以外の一般党員投票の大差を片時も忘れないで下さいね。あれから菅は株を下げたかも知れませんが、小沢の株を上げる要素も無かったのですから・・・。あと、小沢を旗頭に掲げて新党でなんて考えているとしたら、それは自殺行為とだけ言っておきます。小沢の狙いとしては、解散と選挙を経ずに菅を退陣に追い込み、自身の勢力と自民党議員の数の力で(一時的にでも)総理の座につく事でしょうが、そんな事は有り得ないという判別くらい自分でつけて下さいね。そして与党の政権運営サイドへ。4.解散をちらつかせつつ、枝野辺りへ引継を現状は、政局で遊んでいる暇も、総選挙やっている余力もありません。全滅した市町村とか避難区域の投票とかどうするのさ?、といった法律的な処理は、今回だけに終わる話でも無い筈です。菅が自身の限界を感じているのなら、政局圧力が限界に達する前に、解散をちらつかせるのも小沢派に対する威嚇としてはアリです(小沢は民主党から公認されない立場だから、彼についていく議員達は離党を余議なくされる)が、それはまぁ最期の手段です。原発の状況説明で(一応)評価を上げた枝野辺りへのバトンタッチを模索するのが、世間的な評価も低まりにくいでしょうね。脇を岡田と前原辺りで固め、渡辺とかに後見にまわってもらう。自公の党首とかに望むなら内閣に加わってもらうのもありと云えばありだけど、入らないでしょう。そして重要なポイントの直前直後に唐突に辞めるのではなく、政権としての行程を示した上で、引継しながら交代を行う。代表選を求められるかも知れませんが、民主党主流派だけで次の首相を指名する事はたぶん可能でしょう。(過半数でなくとも、第一位であれば良い)引継を受ける側の枝野は、小泉後の阿部には最低限ならないよう注意する。その結果次第で次回総選挙の獲得議席がまるで違ってくるでしょう。岡田も前原も千石みたいなプッツンは自制する。前原は特にメール事件時みたいな軽はずみな挙動を控える。まとめ・このまま解散総選挙になって自民が政権に返り咲いたとしても、社会的なオトシマエをつけていなければ、いずれつけさせられるだけの事。(原発の安全信仰を吹聴して社会へ浸透させてきた責任は、東電よりも遥かに重い事を自覚すべし)・民主党小沢派は、次のリーダーを担ぎ上げ、少なくとも各公判が(無事に)済むまでの浅慮な行動を慎む・民主党政権運営側は、解散権をちらつかせつつ、可能であれば原発処理が安定し、次回選挙を行える目途をつけてから後継者に移譲するのが望ましい。・次回選挙は、可能であれば、一票の格差を是正する党としての公約をとりまとめてから実施する事。各党による違いも、投票の重要な判断になりますから。こんな時期に政局を望むのなら、少なくともこんくらいは軽く考えた上で行動して下さいな。>そぞろ動いている議員の方々
2011.05.30
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育った魔法少女はその後どうなってしまうのだろう?そんな糸口から紡がれた物語。願いを一つ叶える代わりに、魔法少女になって欲しい。そんな問いかけをされる主人公達。そんな提示をされた側は、当然戸惑う。最初は、人々に害を為す魔女と戦う為の存在として、魔法少女という存在が提示される。分かりやすく言えば正義の味方であり、自分の存在価値を特に見いだせない主人公も、誰かの役に立てるのならと憧れたりもする。魔女は絶望をもたらす存在なら、魔法少女は希望をもたらす存在だと。しかし、主人公はむしろとまどう。どんな願い事でも叶える代わりに、という条件が付加されている事に。主人公の対となる人物は、主人公が魔法少女になる事を選択しないよう、忠告を重ね、妨害を続ける。魔法少女は正義の味方ではないし、希望をもたらす存在でもないと。物語は、序盤で主人公とその親友の危機を救った善意に満ちた魔法少女の死によって混迷を深め、主人公は魔法少女になろうという願いを諦める。しかし主人公の親友は、その幼馴染みの身に奇跡を起こす事と引き換えに、魔法少女になる事を決断する。主人公は、親友の身に起こる悲劇を通じて、奇跡を願う事の代償を目の当たりにする。主人公の対となる人物は、それでも揺らがない。最期まで、主人公が魔法少女となる事に反対する。一人では絶対勝てない危機が到来する事を知っていても、主人公を巻き込む事を拒絶し、その理由も終盤に明らかにされる。希望が絶望につながるというなら、望みを持つ事自体が間違っているのか。そんな問いかけに、主人公は答える。そうじゃない、と。何度でもそう言い返す。いつまでも言い張れると。そうして、主人公は願いを叶え、物語は閉幕する。ハッピーエンドでもワーストエンドでもなく、誰よりも主人公を失いたくなかったその対となる人物にかすかな希望を残して。『魔法少女』と冠されているものの、メルヘンな内容では無いし、ファンタジーというよりはSFの背景を持つ作品です。間違っても、小学年低中学年くらいまでの特に女の子には見せない方がいいだろう暗い内容だけれども、それは願いを持つからこそ絶望もするし、善意から始まった筈の行為が悪意に満ちた結末を呼び寄せる事もあるという現実の側面を描いているからです。願いを失ってでも先ず願い、願い続けなければ、願いは叶わないし、自分が満足できない状況から抜け出す事も出来ない。願え。誰が何を言っても、どんな状況に置かれても、誰にでも出来る事は、望みを持つ事そのもの。でも、そうは言っても現実は違う、という反論にも、この作品は応えています。「あなたは希望を叶えるんじゃない。あなた自身が希望になるのよ」こんなメッセージに、あなたならどう応えますか?そんな物語です。良き友人や家族に囲まれ、どんな奇跡でも一つ叶えてあげようと言われても特に思いつけない、そんな普通の人生を過ごしてきた少女が、自分の魂と引き換えにしてでも実現したい願いを抱くまでの、そんな決断を下すまでを描いた傑作です。主人公の対となる人物の、主人公を救う為に重ねてきた孤独な闘いの物語も涙を誘います。主題歌は彼女の物語を通して初めて、本当の意味が明らかになり、感動を増します。君はその魂と引き換えに、何を願う?物語中繰り返されるこの問いかけは、魂を人生に置き換えれば、こうも言い換えられるでしょう。君はその人生を、どんな願いを実現する為に費やす?奇跡や魔法なんてものに縁が無い人生でも、十分に普遍的な問いかけではないでしょうか。あなたはどんな願いを叶えて、あなたの魂を、あなたの人生を輝かせますか?それはとても素敵な問いかけではないでしょうか。・『魔法少女まどか☆マギカ』注:wikiはネタバレ多いので、視聴し終わってから見る事を推奨します。
2011.05.29
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『涼宮ハルヒ』はともかく、『魔法少女まどか☆マギカ』はあまり一般に馴染みは薄いかも知れません。しかしたぶん、ビジネスという側面において両作品が達成した証明について、作品そのものについての詳細な感想より先に触れておこうと思います。中国嫁日記のKEUMAYAさんのツィートで、こんな印象深い一言がありました。(発言への直リンク方法が不明だったので画像で代用)コンテンツビジネスに関わる人の意見として他にも、『売れない理由を客側に求めてはいけない』という点にも繰り返し触れられていたりします。つまり、理解されないのは、客側の理解力が低いのだ、とかいった責任転嫁ですね。『涼宮ハルヒ』も『魔法少女まどか☆マギカ』も、発表された当初は、市場的には無名の存在でした。有名になったのは市場的に成功を収めたからです。売れた理由の分析はそれぞれにあって良いでしょう。しかし、女子高生が主人公のラノベだからとか魔法少女という記号がとかいう分析は、片手落ちというかむしろミスリードでしょう。両作品は、本質的に、ハードSFです。ハードSFというコンテンツを市場に売り込み、自分達の伝えたい物語を商業的にも成功させる為に必要な装飾を施されているだけの事です。つまりコンテンツ制作の内容に関わっていない方面の方々からすれば、その装飾さえ踏襲すれば、後は作者や原画者や製作会社といったブランド名が添えられれば商業的な成功は見込めるといった錯覚は、ハリウッドでも繰り返され続けている誤解であり不理解です。錯覚させるだけでも一時的な売り上げにはつながるでしょうが、ブランドの価値は低下しますし維持には貢献しません。ではどうすれば良いのか?これはコンテンツビジネスに限った話ではありませんが、消費者側の望みを汲み取る事。そしてまだ消費者自身が気が付いていないその望みの先を具現化する事。消費者が自分自身では気が付けていなかった「求めていたモノ」を提示する事で初めて商品と対価の交換というビジネスが成り立ち、ブランドの価値も向上するし、次回作品への期待も高まります。今さらな事を?いえいえ。テンプレという枠は市場に数多く存在しますが、既存の枠通りの商品を用意しても成功など保証されてたりはしません。例えば、少年ヒーロー物の展開などを考えてみて下さい。少年がある日突然ヒーローになって、悪者をばったばったとなぎ倒すといった、テンプレの一つです。しかし誰が、最終回になるまでヒーローにならない物語を描こうとするでしょうか?そんな物語で市場に勝負を挑もうとするでしょうか?仮面ライダーやウルトラマンが、最終回になるまで一度も変身しないような物語です。一般的なビジネスマンなら、『有り得ないよ。却下だ』と提示された物語を発案者側に突き返すか、その人とは二度と取引しない事も有り得るかも知れません。しかし、それをやり遂げて市場的な成功も収めたのが、『魔法少女まどか☆マギカ』です。全12話ですが、主人公が変身するのは最終話のクライマックス付近でようやく、です。真打ちは遅れてやってくるという言葉は昔からあるにせよ、程がありますが、伏線等もキャラクター達の所作含め全て回収されていて破綻がありませんし、物語的にも非常に美しく展開し終幕を迎えます。内容的には、魔法少女モノというジャンルに区分していいのか迷うくらいのハードでダークなもので、これを幼い自分の娘に見せようとするパパ達は少数派というか限定されるでしょう。(というかトラウマ抱えそうなのでお勧めしませんが)つまり、マーケティング的にも、あえて広く取れたかも知れない間口を逆に狭める事で、作品としてのブレを無くしています。主要登場人物が残酷な死を遂げてしまう場面を正面から描いてしまうくらいですから。『涼宮ハルヒ』最新巻でも、ハードSFが正面から展開されていて見事に収束されているのですが、『魔法少女まどか☆マギカ』にも通じる物語の流れは、なぜ、どうして、主人公は、その判断を下すに至ったかという過程を描く事です。どんな記号を連ね装飾を施していても、その過程と結末が読者・視聴者に納得がいくものでなければ、共感も市場的成功も得られません。通常のビジネスマンが見落としてしまうのはむしろ当然でしょう。ハードSFを横糸に、人間模様を縦糸に、あとはそれぞれに必要な色づけを施されて織り上がったのが、『涼宮ハルヒ』であり『魔法少女まどか☆マギカ』という作品です。そして二つの作品が達成し証明した価値は小さくありません。日本という市場は縮小していく一方なのだから、最初から英語や中国語で勝負していくべきじゃないのかとか、マーケティングもアメリカや中国などを軸に考えた方がいいのじゃないのかとか、そんな小賢しい考えを粉砕している点です。(ハルヒの驚愕とかは最初から世界同時販売とかされてますが、作品の内容そのものがそこに影響を受けている訳ではないので誤解無きよう)もっと大きな点として、ハードSFだから売れないとか、魔法少女モノだから小さい女の子達に向けて作るべきだとか、そういった既成概念も見事に打ち破った上で、商業的な大成功も収めている点です。『涼宮ハルヒ』は古本屋ででも一巻を見つけて読んでみる事をお勧めします。『魔法少女まどか☆マギカ』はネット上でパックで観賞できます。両方とも、迂闊にWikiは参照しない方が良いでしょう。詳細なネタバレが記載されていますから。見るなら自分で読了・観賞してからです。特に自身がコンテンツ制作に関わっていたり、ビジネスを生み出す側の人は、両作品をご覧になる事を強くお勧めします。テンプレのど真ん中に直球勝負で挑み、その枠組みを破壊するくらいの作品がどういった内容なのか。作り手側の意気込みも含めて、ご自身の感性で堪能されて下さい。許容であれ拒絶であれ賛美であれ否定であれ、そこには何かしらの理由付けが行われる筈です。それぞれのその理由付けそのものが、次の何かしらのコンテンツ製作なりビジネスの創出につながっていく筈ですから。それでは。
2011.05.29
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だから現場にもっと権限を与えてとか、政治主導なんて掛け声だけだとか、上がダメでも下がデキるから日本社会はもってるんだ、なんて声が聞こえてきそうなニュースがありました。・“海水の注入 継続していた”現場の判断としてはおそらく間違っていなかったでしょう。その後の状況展開からも考えて、現場としては最善の、そして唯一の選択肢であったかも知れません。しかしこの判断は、大きな問題をいくつも孕んでいる事を見落としてはいけません。その中で最も重要な点は、一現場責任者の判断が国全体の最高責任者の判断より優先されたという、結果論だけでは語れないし語るべきでないリスクです。日本は民主主義国家です。その最高責任者である総理の判断を、一現場責任者が不履行した。しかもどうでも良い判断ではなく、原発の運転という一大事に関わる致命的に重要な判断です。今回は結果として、おそらくは正解だった。しかしもしも事態が悪化するような結果につながっていた場合、一現場責任者が自殺すれば済むような話ではありません。しかも仕組み的なリスクは、物事が成功した(失敗しなかった)場合こそ、看過され、そのリスクを増していきます。太平洋戦争前の日中戦争に突入していった時の教訓を忘れてはいけません。現場の判断がどうして正しいのか、国の最高責任者が判断できないという現状そのものも大きなリスクなのですが、その判断が国としての行動に反映されない事以上のリスク(危険性)が、民主主義国家として有り得るでしょうか?政治主導を掛け声だけで終わらせない為には、政治の運営を担う人々が、非常に高度な専門性を習得し、日々更新されていくその専門性を維持していく必要がありますが、それは果たして可能でしょうか?考えてみて下さい。百年に一度という金融危機と、千年に一度という震災で引き起こされた原発危機と、その双方の専門性に完全に対応できる一個人が、地球上に何人いるでしょうか?ほぼ、いないと言い切れます。専門家をそのまま顧問などとして官僚組織に取り込まない限り、通常の官僚ですら無理でしょう。専門家は、誰にでも出来ない事が出来るからこそ、専門家(プロフェッショナル)足り得るのですから。ましてや、たかが選挙で選ばれただけの非専門家に、専門家と同程度の知識と判断能力を求める事は、果たして現実的でしょうか?全く、非現実的と断言できます。そしてそれこそが、民主主義政体の限界でもあり、多数決主義の限界でもあるのです。多数が支持した意見が正しいなんて事は、完全に電源を失った原発の処理一つ取っても、有り得ない事は明白です。どのくらい日本国民の原発という存在に対するリスク管理意識と知識が低かったかという事実は、例えば火災を起こしている原発の消火に、何の特別な装備を持たない地元の消防署に依頼したり、畑違いの機動隊の放水車を持ち出してきたりした点などからも明らかになりました。そんな社会に安穏と生活していたんだと、私はその時私自身に対して戦慄しました。つまり、選挙する側もされる側も、その程度でしかないのです。世界第二位の経済大国で在り続けていた、世界で最もロボット技術などが進んでいると思われていた、この日本ですら、とんだ醜態を晒しました。というか晒し続けています。全知全能の存在は、宗教の信仰上にしか存在しません。つまり、全てを知る事も、全てのリスクに備える事も不可能なのです。全ての事物に精通し、全ての判断を結果的に正しく行える存在もまた、いないのです。だから、いる筈もない存在を求めて、不要不毛な議論を繰り返す愚は避けましょう。鳩山から菅へと続いている民主党政権を、私は好評価するつもりはありません。しかし政権交代そのものを評価する向きは、当時社会に溢れていました。交代できる政体の仕組みを持つ事そのもののリスクは、交代が想定されていない政体の仕組みを持つ事のリスクより低いと、過去の歴史から日本の社会が判断した故でしょう。誰でもが何でもの専門家には、なれないのです。私の職場で、誰でもその作業が出来る手順書を作れと言われる事があります。でも、それがどれだけ矛盾した要求か、世の中にコールセンターが乱立する状況が物語っています。無能な上司を、有能な作業者が支えれば良いという話ではありません。ある事には有能かも知れない作業者も、別な事に対してはやはり無能かも知れないのですから。そして民主主義は、致命的な程に、適材適所を目的としたりそれを実現する仕組みではありません。より多く票を集める能力が、高度な金融経済や原子力発電の仕組みなどへの理解とそれぞれの専門家と同等な程に両立する事など、ほぼ有り得ません。(特定個人名で思い浮かぶ人はいたりもしますが、極限定された例外であり、政体全般のリスクを特定個人だけでカバーできる筈もありません)では、適材適所を実現すれば、必要な時に必要な判断材料が提供される体制が構築できるかというと、これが最大の難関だったりします。私がその業界の端っこにいる情報システム関連も、やはり一つの専門畑であり、ITと一くくりにされたりもしますが、メールやファイアウォールなどを挙げるだけでも全く異なった専門職です。で、そんな細分化していく情報システムを管理しきれなくなった企業がどうしたかというと、必要なシステムを、所要を充足できる外部ベンダー(専門企業)に委託するという方式です。これなら、各専門家を内部に全て抱え込む必要性とコストから解放される!、ともてはやされたりしているのですが、これも酷い現状をもたらしています。官僚に任せとけばいいと政治を丸投げしてたのと同じ次元と言うのですかね。外部ベンダーに委託するだけの社員達がいるとします。しかし彼らは、自分達では出来ないから外部に委託しているのです。その完全な依存体制は、内部の人達が外部の人達が何をやっているのか、例え報告されていてもその内容が理解できないという事態を招くのです。もっと言うなら、虚偽の報告をされても、最終的に致命的な事態が発覚するまで、その真偽の判断がつかなくなるのです。ね?金融でも原子力発電でも他の社会的場面でも、そんな話を聞いた事がありませんか?日本人の誰が班目委員長を笑えるのかというと、そんなに多くいないでしょうね。笑われていた理由も笑われなくなった理由も明らかでないし、明らかになってもそれが本当かどうか判断できる材料が社会に提供されていないし、そんな社会体制にもなっていないという、本当に笑えない話なのですから・・・。まとめると、・誰も、全ての専門家にはなれない・人任せにすると、判断する能力は失われていくその対処策としては、この事実から取り組み始めるしかありません。・人は当事者にならない限り、学ばない民意を上げるという言葉は具体性を欠きます。具体的に民意を上げる策としては、誰にでも当事者になる機会を与え、なるべく多くの人に当事者意識を持たせ、学習させていく事しか有り得ません。抽選での裁判員制度ならぬ、議員制度です。それを全議席とは云わないまでも、少なくとも二院制なら片方、地方議会なら半数程度を、抽選議員で埋めるようにするのです。そうして初めて、「政治家が悪い」という台詞の登場機会が減っていく事でしょう。少なくとも、鳩山や菅などを筆頭に、当選回数は何の品質保証にもならないという事実を私達はこの数年で思い知った筈です。それが自分達の生命などに直結してくる事も含めて。人は自分に出来ない事でも他人には求めるものです。それがどんな結末をもたらすのかを、私達はもう少し真剣に見直していくべき時が来ていると思います。
2011.05.26
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震災の影響による原発事故その他の補償の検討の報道で、こんな台詞をよく耳にするようになりました。「国がしっかりと必要なだけの補償を」みたいな。国の財源は限られているのは、誰もが知っている事実です。だから補償に国が割ける金額も有限だし、その金額は国の収益力=国民が負担できる範囲に収まるというのも自明の理です。今回の震災を下手に「東日本大震災」なんていう呼称にしてしまったから錯覚が起きてますが、実際に大きく被災したのは、東北の太平洋岸と、千葉茨城の一部と言い切れます。今回被災した方々に対応する為に、又今後の震災被害に対応する為に様々な法律が組まれるでしょうが、東京が同程度の震災と津波に直撃された場合、その被害額と補償額がどのくらいになるか。おそらく数倍では効かず、桁が1つか2つは違ってくるでしょう。そんな時保険会社が今回の様な支払いに応じられるかどうかも微妙だと思われますし、国や地方自治体においても同じ問題に直面します。つまり私達が忘れてはいけないのは、収入以上の支払いは出来ないという大原則です。震災という単語がそこに加わろうが加わるまいが、その原則は変わりません。加えて、今回の震災では主に宮城と福島という僅か2県に原発事故という要素が加わったものの、補償額は保険会社の支払い分だけで既に数兆円規模になっているという事実です。・震災の保険金支払い2.3兆円 企業向け募集停止相次ぐ原発事故に限らず大規模災害で集団移住(避難)が必要となるケースは、今後も発生するでしょう。最低でも政令指定都市の規模を持つ住民を避難させる必要性が生じた場合、受入住居や生活費(物資)の用意だけでも、数兆の数倍規模の財源が必要とされるでしょう。題名に書いた通り、津波被害が予測されるのは、今回の被災地に限りません。以前の記事に書いたように、津波被害を避ける最も効果的な手段は、被害が予測される地域から住民を移住させてしまう事です。その移転費用は、事が起こってから補償云々を取りざたするよりは遥かに安上がりで、かつ人的被害の桁も比較になりません。集団移住そのものが困難と思われる東京は、だからこそ都市計画として津波対策を従来とは異なる形で具体的に進めていかなくてはいけないのです。「想定外」という言葉は、その意味で禁句です。私達は既に、耐震という言葉だけには頼りきれない事実を思い知らされているのですから。限りある財源を、次の震災までの限られた時間の中で有効活用しなくてはなりません。阪神大震災が1995年1月に起こり、今回のが2011年3月ですから、20年も経っていません。つまり、現在20歳の人なら、80歳までの間にあと3,4回は同程度の震災に遭遇する可能性があるという事です。半恒久的な避難村のような集団移住施設を全国の過疎地域に準備していくのも一つの手です。震災地のインフラ復興よりは、震災地から被災者を移転させてしまう方が時間がかからずその後の支援も遥かに楽です。民間の保険会社では対応できない/し切れない集団避難やその後の生活支援は、広域自治体ですら対応できない場合が発生するでしょうから、国としての支援体制を今後整えていくしかないでしょう。一時的な義援金が無意味だとは言いませんが、一番重要なのは、雇用の確保です。失われた雇用の再確保は、生産施設だけを元に戻せば確保できるとは限りません。今回の震災の影響で倒産した企業は、別に被災地だけに限定されてもいませんし、壊れた工場を治せばそれで元通りなんて訳に行かない場合は非常に多いでしょう。結果として、恒常的に生活保障に頼らざるを得ない人口が積み重なっていった時の事も考えていかないといけません。それが何を意味してくるかと言うと、国民一人一人が、自分自身が被災した時の為に、どの程度までの資金(税金)を供出するから、だからどんな補償を受けられるような体制(インフラ含む)を築き維持してきましょうというビジョンを示し判断を下す事です。10万人が雇用を含む生活基盤を完全に失った場合、1カ月1人当たり10万円費用がかかったとして、1カ月当たりの総額は、100億円かかる事になります。1年だと×12倍で、1200億円です。100万人で同じ計算をするなら、1カ月で1000億。1年で1.2兆円ですが、100万人分の仮設住宅とスペースを用意するだけでも想像を絶する作業になるでしょう。そして東京が今回と同規模の津波に襲われた場合、避難住民の数が100万人で済むかどうか、誰にもわかりませんし、実際の費用も数兆円では済まないでしょう。義援金なんて、集まっても数百億とか数千億です。数千億から数兆円を継続的にねん出する手段は、税金しかありません。年金方式は徴収や管理コストが膨大になり効率が悪過ぎますので、必要になった時必要になった分だけ徴収するのが最も効率が良く、かつ必要最低限な施設は全国各地に分散して維持しておく方が緊急時に対応しやすく一々建てたり壊したりするコストも省けます。(建物や資材の耐久性の限界や維持コストも考慮する必要はありますが、都度の新規建設よりはおそらく安いかと。)繰り返しになりますが、国としての補償の財源は、自分達の支払う税金でしかありません。だからこそ、どの程度の原資を何に対して振り分けるのか、今まで以上に真剣で具体的な議論が求められて然るべきではないでしょうか。
2011.05.20
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・「基地ない沖縄」求め行進=復帰39年、普天間で前首相の首を最終的に絞めたこの問題ですが、アメリカ側の都合でまたもや結末が不鮮明に。しかもこれ、嘉手納周辺の住民の方々には受け入れがたいでしょうに。・米上院委員長ら嘉手納統合を提言軍隊がいないから平和になるなんてのは、妄想に過ぎません。自分の身は自分で守るものというのも、国家としての大事な原則です。咋年沖縄方面を回った時に強く感じたのが、変な団体云々ではなく、反米軍・反軍隊感情でした。でも、中国の密漁船などには毅然として対応して欲しいとか言う矛盾に、誰も気づいていないか、声としてはとても小さい様です。全体の絵図を俯瞰すると、今後、アメリカと日本の軍事予算が拡大していく事は、ほぼ、有り得ません。それは両国の軍隊の規模そのものが削減されていく事も意味します。逆に、中国の軍事予算は拡大され続けます。ハードウェアだけでなく、ソフトウェア面での差も縮小されていく一方でしょう。米軍が沖縄からいなくなればみんなハッピーなんて幻想は捨てましょう。違う国の軍隊が来て進駐されれば、以前以下の境遇に陥る事は明白なのですから。言論の自由一つ取っても、かの国には有りません。はっきり言って、この原発騒ぎの最中ですが、沖縄から通常軍の基地を払しょくする最短距離かつ最も現実的で格安の手段は、核武装する事です。沖縄自身が。核ミサイルの標的にはなるかも知れませんが、必ず相手を巻き添えにする。それが核武装の意味合いです。日本自身が所有する事には米韓などが難色を示すかも知れませんので、米軍の原潜などの寄港施設だけ近海上にMOBなどで用意すれば良いでしょう。後は敵対的潜水艦への防御艦隊や要員の常駐などですかね。(米戦略原潜は近海にいる必要はありませんが、大砲外交的なものですね)思考実験として、沖縄が自主独立を宣言した際の対処を考えておく必要性は低くありません。道州制は日本国内での熱は高くないものの、基地問題でずっと苛立ちを抱えてきた沖縄が自主憲法を定めて、通常軍備ではなく核武装を選択する可能性は、ゼロではありません。米軍には一定の施設と資金を援助する代わりに、核武装と攻撃してきた相手への自動報復を契約として求める。米軍基地施設の大半を失った沖縄の経済をどう運営していくのかが成否のカギとはなりますが、日本の核武装を集約する地域として、日本政府から一定の料金を徴収する事は可能でしょう。日本全体が核武装する事は、たぶん無いでしょう。自前で持つ必要性も、あまり高くありません。韓国とか北朝鮮に余計な刺激を与えかねませんし。しかし、半独立した沖縄が核武装した場合、台湾情勢を含めて全く変わってきます。原子力発電を将来的に放棄し、化石燃料に今後数十年頼らなくてはいけないかも知れない日本にとって、東南アジアや台湾近海の情勢は決して他人事ではありません。ロシアに天然ガスを頼るというのもぞっとしない選択肢ですしね。MOBは攻撃への脆弱性が懸念されますが、半移動式にしておくなど、対テロも含めていろいろやりようはあります。MOBにする意味は、沖縄本土上(地下含む)を攻撃しても核攻撃力(反撃力)は全く損なわれない体制にしておく事が、少なくとも相手の一次攻撃目標から外れる事にもつながるからです。技術的な問題の方が、政治的な問題よりもよほど簡単に解決できるでしょうから、お勧めかも知れません。沖縄の人々も本土の人々も忘れてはいけないのが、平和とはタダで手に入るものではないという事です。どこかの誰かが無償での平和を提案してきたりしたら、タダより高いものは無かったという当たり前な事実を後悔する事だけは避けましょうね。それではまた。
2011.05.15
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珍しくtwitter経由でお便りというかリクエストめいたものを頂いたので、書いてみます。ご要望としては、関西圏の自立性とか有事の首都機能代行とか国際競争力向上云々だったのですが、その前に日本全体の指向として、掲題の課題をたぶん避けては通れないので。さて、今後、原発の新規増設は無くなりました。少なくとも日本国内においては。それだけでなく、既存の原発も随時自然エネルギーや天然ガスなどの発電所に置きかえられていく可能性が高いでしょう。エネルギー政策の根本的置換を、という声は連日の様に聴きますが、具体的な策というと前述の二つくらいしか聴きません。軍事施設と同じく、皆、厄介なものは近くに置きたがりません。でもね、地方自治というお題目を唱えるのであれば、ライフラインの自立の確保は避けて通れない筈の課題なのです。ライフラインを外部に完全に依存した自治など有り得ないのですから。しかし、それが現状でもあります。そして、今後、東京等の大都市圏の為の発電所を抱えたがる自治体がどれほどあるでしょうか?大規模発電を地方自治の財源として掲げる所も出てくるでしょうが、現実的には規模や財源的な問題から賄い切れない可能性があります。都市圏は特にスペースの確保や土地代などの問題も絡み、ハードルは高いでしょう。飛躍的な発電効率の上昇などが無い限り、太陽光発電等の自然エネルギーが主要な発電手段になる社会はまだ先の事でしょう。各家庭やマンションや商業ビルの屋根/屋上/壁面への発電施設を組む込む事を法制化して税金の控除などで支援する事で、遠隔地にある発電施設への依存度は一定程度減らせるでしょう。それらは将来的な取り組みとして、今現在、最小限の技術開発と社会的取り組みで当座の電力危機を乗り越える方法があります。それが、発電より蓄電という考え方です。1日単位で見れば、夜間は昼間のピーク時に比べて50%近く使用電力が減ります。1年単位で見れば、夏(7-9月)が一番需要が大きく、冬(12-2月)がその数割減という感じです。(参考URL→■)単純に言ってしまえば、発電所の増設が無かったとしても、使わない時に使う時に足りなくなる分の電力を蓄電しておければ、間に合ってしまうのです。クーラーや冷蔵庫などが一番のネックになるでしょうが、これも自宅不在時の間に電力を貯めておければ済むでしょうし、マンションなどの集合住宅であれば尚更、屋上の水のタンクなどと同様電力タンクなどと呼べる大規模な蓄電装置を追加施設すれば済むお話です。使用電力需要の平均化。電力会社と技術開発側の調整が必要になるかも知れませんが、純粋な技術開発としてはほとんど無いくらいの低いハードルで、費用としても一家庭当たり数万円程度の負担であれば、それで夏場のクーラーの使用などが賄えるのであれば、喜んで迎えられる可能性の方が高いのではないでしょうか?電車の運営会社でも同じ事です。夏場の冷房が無いと、長距離通勤では倒れる人の数は例年の倍増では効かないでしょうし、経済的な打撃は未知数の物となります。それが最低限の投資で、夜間の蓄電のみで出勤と退勤時間帯の冷房がとりあえず確保できるのであれば、投資しない理由がありません。その費用分を税金から控除できるようにしてあげれば尚更でしょう。大都市圏のオフィスでも同様です。発電施設を各自が備えるのは燃料の搬入や事故の発生率の増加などから現実的では無くとも、少なくともコアとなる8時間分の電力を19時頃から翌7時頃までに蓄電しておければ、どれほどの電力需要の抑制につながるでしょう?もちろん、社会全体が一斉に夜間の蓄電を増やしても大丈夫なように、電力会社と社会とが協調して事を進める必要がありますが、技術的なハードルは限りなく低いと言い切れます。そしてこれらの施策は、この夏の東京に限った話ではなく、どこの発電所群が集中的に全滅したとして再建に数カ月以上を要したとしても、効力を発揮します。取りつけ装置その他の規格を統一し、更に取り外しと輸送を可能にしておけば、全国各地から物理的・継続的な蓄電電力の輸送が可能になるのですから。こういった体制の構築と整備こそが、震災などへの耐性につながります。政治の役割は、法律的な障害を除き、電力会社の経営と両立するような仕組みを社会的に築いていく事となります。国際競争力という曖昧な言葉も、震災への耐性に裏付けられているかどうか、具体的には電力の安定供給というビジネスへの絶対条件が保障されているかどうかで変わってくるのではないでしょうか?ノートパソコンや携帯など、コンセントにつないで充電しながら使用する事は、昔から当たり前に出来ていました。冷蔵庫やクーラーなどでも、同じ事が出来るようにするだけです。社会的な電力供給が95%程度に達するか止まった際に、蓄電したバッテリーから電力を供給されるようにしておけばいいだけ。バッテリーの容量上限はあるでしょうが、電力需要と消費の実態から、難しくは無い問題である事は言い切れます。そしてもう一つ書き加えておくなら、冷房の有無は人の命に直結する点です。通常の熱中症は屋外作業者の方が多いですが、特に高齢者が集中する施設の電力が頻繁に失われるようであれば、例年の数倍単位での死亡者が発生する恐れがあるという事です。(厚生労働省の資料→■)開発や設置等の費用は、社会全般で利用される事で相当程度に相殺可能でしょう。最後にもう一つ。各原発などでは電源車の確保や増加などが対策として検討されてたりしますが、お笑い草です。管制室分の電力しか供給できなかったり、冷却施設の極一部の機能を限定的に供給するだけの能力しか無いからです。しかも燃料切れを起こしたらそれまでなのですから。対策になっていません。だとしたら、各原発の近辺に、大量の蓄電装置を置いて、有事にはそこから運ぶかケーブルだけ通せば冷却施設などに必要な電力を最低数カ月単位で確保できるよう義務付けるべきでしょう。技術的なハードルは低く、費用対効果で言えば最高度でしょう。という訳で、発電より蓄電、が答えというお話でした。
2011.05.03
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さっき小耳に挟んだニュースだと、「この震災で取引先が別の製造業者と契約しないかと心配だ」なんてのたまってました。そんなの、供給できなければ、供給できるとこと契約するのは、当たり前の話でしかありませんよね?地球上でただ一社でのみ製造可能な製品なんて、そうはありません。ある程度の調整と妥協があれば、別のルートから代替の製品で間に合わせるのは常識に過ぎません。ただ一社、ただ一工場が被災したとかでビジネス全体が止まってしまうなんて体制自体が、モロ過ぎるのです。震災耐性ゼロとでも言えるでしょうか。別に震災に限らず中東の政変とかでも工場の操業は止まったりしますから、一般的には「リスク管理」と置き換えるべきでしょう。震災以降頻繁に耳にするようになった「想定外」の事態にも耐えられるような耐性(durability)を確保するにはどうしたら良いのでしょうか。答えは簡単です。生産/供給拠点を多重化し分散化すれば良いだけ。あとはコストがリスク管理費用に見合うかどうかの問題となりますが、世界で一社だけしかできない製品の場合は、ある程度相殺できるでしょう。しかしそんな物は商品全体の数割にも満たないでしょうし、ほとんどの企業は、単独での多重化や分散化に耐えられないでしょう。その解決策も単純です。単独で負担できないなら、耐えられるだけの頭数で体制を構築するのが最も簡単な方法です。つまり、製造工程や機械、工法など、普段は自分と自分の取引先の間の製品しか造れないものを、提携他者とその取引先の製品も造れるように、できるだけコンポーネント(要素)を共通化しておくのです。これはある程度同業他社間で進んでいる仕組みでもあるのですが、現行のOEM体制などでは不十分だった事は、世界中の自動車メーカーの生産そのものが数カ月以上の長期に渡って影響を受けてしまっている事態からも明らかです。行政が助け舟を出すなら、地域の同業者達のそういった協力体制の構築に必要な費用の一部を税の免除/軽減などで支援する事が考えられます。しかし、工場そのものが平地になってしまった零細企業とか、対象地域が根本的に全滅してしまうような事態に備えるとなると、これは遠隔地同士での連携が必要になるでしょう。別に海外とでもかまいません。保険会社や企業融資銀行(信用金庫)等の協力も必要でしょうけれど、どこかで潰れたビジネス(体制)を別の場所で再構築するという仕掛け(社会的仕組み)がこれから求められてくるでしょう。もちろん、震災で被害に会った場所で再興したいという場合の方が多いでしょうから、時限的に数年間共有/共用できる生産施設を日本中なり世界中にある程度整えておく事で、今回以上の甚大な被害に見舞われても、世界全体のビジネスに影響を及ぼさないか再供給開始までのタイムラグと損失を最小限度に抑える事は可能になります。費用対効果の計算が肝にはなるのですが、今回の様な津波が予測される場所に再度生産施設を・・・、という願望は叶えるべきではないでしょうね。それを非人道的だとかどうとか言うのは筋が違います。これは別に物理的な製造を行う工場に限った話ではない事は、東京が同程度以上の震災と津波に襲われた事態を想定して頂ければご明察頂けるかと。それは「必ず起こる」と想定されていて、問題は「いつ」という要素だけです。起こってしまってから、「想定外の事態が起こってしまったから・・・」と言うのは、慰めにもならない事が多いという教訓を胸に、費用対効果の件も考慮していくべきでしょうね。それではまた。
2011.04.27
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河村の「減税日本」という詐欺集団の勢いが止まったとかは、僥倖と言うべきでしょうね。蓮舫のダンナが落ちたとかはどーでも良い部類ですが、現職の首長が強かった選挙というのは、それだけ投票する側が"自分の命を得体の知れない有象無象に預けたくない"という意識が働いたのかも知れません。さて、『夏時間、節電効果は限定的 休日分散の10分の1以下』という記事を見かけたので、感想など書いておきます。勤務形態の変更による節電効果まず、GW以上の連休取得を全部の会社に義務付けるわけにはいきませんし、特に中小企業間でスケジュール調整などできませんし、そもそも社会活動に支障が出るくらいの連休の嵐を組み込むのは現実的じゃありません。従業員の懐も、勤務日数的に直撃しますしね。夜間に操業をずらすのでも、やはり人件費(夜間手当)などが企業利益を圧迫するので、継続的な措置としては厳しいのが実情です。株式市場などに連動した業職の場合、市場が開いている日と時間帯でないと勤務(出勤)する意味合いが消失してしまうなど、平日と休日で単純に分散できないケースは、社会的に相当数挙げられるでしょう。自宅勤務の推奨にしても、冷房需要がオフィスから自宅に変わるだけなので、全体で見た場合どの程度電力需要が減らせるのか不明です。そこで、夜間/休日シフトを現実のものとするにはどんな対処が必要なのか、考えてみましょう。1.震災対策としての夜間/休日シフトの手当の時限的停止・電力が落ちて仕事にならなければどの道その分の給料は有給消化にでもしない限り払われません。・夜間/休日シフトの25%給与手当を、電力不足が予想される7-9月の間だけ停止する為、従業員/労組と企業側が合意を形成し、法律的な問題は政治で予め解決しておく・予定シフトからはみ出した勤務時間は、通常の残業手当額を支給する。・課題としては、やはり夜間や休日のシフトを避けたがる人が多いでしょうから、従業員間で不公平が起きないようシフトを組む必要があります。・取引先企業が開いてないと(操業していないと)自分の所だけ開いていても意味が無いという場合も多いでしょうから、社会的に広範な取り組みにしないと機能しません。※政治ができる側面支援として、夜間/休日シフトに参加する企業への法人税を、10%程度対象期間中減税するなどの明確なメリットを与えないとダメでしょう。※その減税分から、従業員への手当をねん出してもらうという事にもつながります。2.証券取引所などの営業時間の変更措置など・業種により休日出勤が意味無くなる事を未然に防ぎます。・システム的には、営業時間の拡大(夜7時まで)や、土日/休日の営業が必要となります。・あと2カ月ほどで銀行や証券会社などの取り引きシステムに必要な変更が加えられるかどうかが決まりますが、そもそも23区の主要部でも節電に協力不可避という事になり、場中(現行の取引時間帯)に停電が起これば、利益/機会損失は比べようもなく大きくかつ不平等な物になるだけです。・これらもある程度強制措置を発動できるよう、政治的措置が必要になるでしょう。・食品などの市場だけでなく、鉄道やバスの運行スケジュールなどの協力体制が必要になるのも言うまでもありません。要は、社会的合意と、その合意を形にする為の仕組み作りと法律的受け皿の調整作業が大半です。人によっては、朝早く起きなくていいとか、空いてる土日に出勤したいとかもあるでしょう。5~10日の休暇を全員が複数回取れる訳もありませんし、今年だけ節電すれば大丈夫という保証もありませんので、この機会に社会的に節電への協力体制を確立しておく事は無駄では無い筈です。それではまた。
2011.04.25
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久々の更新、になってしまいましたか。福島の原発騒ぎも長期戦だし、都知事選は石原が翻意した瞬間に終わってたし、リビアもぐだぐだだったし、というわけで気乗りしなかったのでtwitterで用を済ませてました。開票始まる前に当確なんてのは予想通りだったのですが、得票数が意外でした。東国原と渡辺を足すと270万票で、石原の260万を上回っていたのですね。まぁ、次がどうなるかは不明ですが、何かの光明なんですかね。かといって東国原に何も期待してませんけど。不毛な話に用は無いので、これから震災に対して必要な対策についていくつか触れておきます。石原は4期目の目標の一つとして、耐震性の問題に取り組むと言っています。もちろんそれは無駄ではないでしょうが、今回の東北を震源とした大震災で判明したのは、津波対策の必要性です。地震そのものによる建物の倒壊よりも圧倒的に多くの人が津波で亡くなられています。ギネスにのった防波堤も、津波を若干遅らせる効果はあったようですが、力に力で対抗しようとしても根本的な解決にはならないという例証として活かすべきでしょう。より頑強でより高い防波堤で日本の海岸線を埋め尽くす事は不可能なのですし。論点を絞ります。1.地震による建物の倒壊より、津波による被害の方が大きい2.死因の大半は、水死かがれきと共に流されたことによる多発性外傷3.死者の過半数は、高齢者(つまり逃げ遅れやすい)まず、1の津波による被害ですが、当然、ゼロには出来ません。よほどSF的な発明などが為されない限り、焦点はだから、如何に犠牲を減らすかという1点に絞られます。そして津波は、例えゼロメートル地帯でも、どこまでも進むものでもありません。国土地理院がまとめた津波影響範囲の地図を見ると、おおよそで5km程に留まっています。ニュースなどを見ていると、家族などを探しに行って(戻って)そのまま行方不明になったりするケースも多かったようです。つまり、今回の教訓を活かすのならば、津波の被害の恐れがある海岸付近、具体的には、10km内には、高齢者を集約する施設を置かない事が重要です。病人や子供などが集中する施設も、よほどの高台にでも無い限り、海岸線10km圏内に置かなければ、彼らを心配して戻る必要性を最初から無くせます。立地的にどうしても5km範囲内に引っかかってしまう地域も存在するでしょうけれども、それはこれからの復興プロセスなどの中で、津波のリスク、つまり命と引き換えにしてもそこにまた住みますか?、という問いかけと向きあわなくてはいけません。行政が万能で有り得ないのも、常に証明され続けている事実に過ぎません。政治は結局の所、自分達がどうするのかという問いかけに落ちつくのですから。まず、津波の影響から、犠牲者になりやすい層を最初から除外しておく事。これが二次被害を最初から最小化する唯一で最高の効率の施策です。次に、津波による死者の減らし方です。東京都内の場合、海岸線から5km程のラインに、東京23区の少なからぬ部分が入ってしまいます。飯田橋とか上野とかも含まれます。川を遡って津波が内陸地まで入り込む事も実証されていますから、墨田区や台東区なども安穏としてられません。港湾施設は東京の生命線でもありますので、海岸線を堤防で埋め尽くすわけにもいきません。ではどうするのか?単純に現在でも出来る事としては、震災直後に、高層建物は全て、避難場所として誰でも逃げ込めるようにする措置が非常に効果的でしょう。普段は外部の人をシャットアウトするマンションも例外ではありません。可能な限り多くの人を緊急時に速やかに受け入れられる体制と施設を整えておく事と、近隣住民や会社員の誘導なども含めて訓練しておく事が欠かせません。外部電源が全て落ちた場合なども想定しておく事も重要です。場合によっては開かなくなった正面自動ドアを叩き割って入ったりとか、屋上のドアを叩き壊して入ったりとかしないといけない場合も出てくるでしょうから、そういった緊急時の行動が罪に問われないような法体制を整備しておく事も必要です。かといって、震災発生後30分以内に、全ての住民が15m以上の高さのある建物に避難できるかというと、現実的に難しいでしょうから、逃げ場所を確保できない人の生存率を高める措置も必要になります。犠牲者を減らすには、死因を減らす必要があります。その対策としては、以下の3点が考えられます。・障害物対策(スクリーニング)・建物対策(カバーリング)・溺死対策(フローリング)今回の津波にのまれた方でも、浮いていられれば助かったケースは複数報告されています。津波とは押し寄せる水ですから、そこに油やヘドロが混じっていようがとにかく水面に浮かんでいられれば呼吸はできますし、建物などに避難できる可能性も増えます。一番単純なのは、飛行機に乗る時に装備されてる救命胴衣を、都民や東京都などで働く人達全員に配布しておく事。コストパフォーマンスも悪くは無いでしょう。(荷物とかを持っているとそれらが元で溺れる可能性も増えますから、公的な荷物預かり所を津波の影響を完全に排除できる地域に用意しておくのも効果的です。)漁港で魚のイケスに使うプラスチック容器に人が入って浮かんでてそれで助かっていた人達もいますので、高齢者を含む家族向けにもゴムボートなりがあっても良さそうです。ただし直撃された場合間違い無く転覆するでしょうから、何らかの対策は最初から必要です。次に、障害物対策(スクリーニング)です。今回の震災では、大量の自動車が流されてそれが通りを塞いでたり、家そのものが流されたりしてましたが、最初からそれらが起こる事を想定して、なるべく水だけを濾して流す措置を都市(防災)設計として組み込みます。単位としては、流されない建物(ブロック)と通り(ストリート)、濾し棒(スクリーニング・スティック)で構成します。鉄筋コンクリートの建物はよほどの事が無い限り、津波の直撃を受けても流されません。後に述べる建物対策(カバーリング)で屋内への水の侵入をなるべく防ぐ事も試みますが、ここで肝要なのは、家屋や車などの大規模障害物を後方に流さない事です。これは震災や津波襲来後の救命や復興活動までにかかるロスを短縮する為にも重要な作業です。海岸に高くて厚い堤防を築くのではなく、流されないビルとビルの間、特に道路を、地中深くに埋め込んだ柔軟性を持つゴムの柱のような物を立てる事で、大規模障害物をスクリーニング(除去)します。全ての道路に施設する事は難しいでしょうけれども、都内の主要道路から手をつけていく事は可能で、大規模堤防で東京湾岸を覆うよりは実質的な効果は高いでしょう。絵的には、エヴァの地中都市が地表に出てくるような感じで、電柱より細い柱(高さ15m程度)が2メートル未満の感覚で通りを何重か(2か3くらい?)で立てます。埋め立て地域は液状化も起きるでしょうから、それも計算に入れると土木作業的には大変そうですが、要は流されない柔軟な柱が大きな障害物を流さないような間隔で立っていれば良いだけの話です。下手(上手?)な話、穴だけ用意してあって、津波が来るまでの間に立てられてれば良いだけ。下手に電子化して大規模な震災来て全部ダウンして使い物にならなかったというよりはローテクの方が良いのやも知れません。どの道、道路は完全に麻痺するでしょうから、車が邪魔で柱が立てられないなんて状況の方が多発するでしょうけれども、それらを傷つけてでも強制的に立てられる仕組みが望ましいですね。この柱は当然、誰かがそこに捕まって(登って)波をやり過ごせられるようなものである必要があります。実際に電柱に登って助かった方々もいらっしゃいましたから。まぁ、津波に対するスクリーニングは、多少SFチックというか、今後都市の防災計画とともに技術開発して実現するかどうかという類のものですが、最後の建物対策(カバーリング)は、単純に建物の外周を弾力性と耐水性のあるシートで覆ってしまう措置です。戸建住宅はどんなに頑丈に立てても流されてしまうでしょうけれども、病院や商業施設、団地やマンションなどは、手抜き工事されてない限り、建物の基礎部分は大丈夫でしょう。沿岸から若干遠い地域では、戸建住宅でも被害を免れる可能性も高まりますが、1階部分が浸水して、家の中の物が流れ出してしまうというケースは十分考えられ、そして流れ出た物は全て、津波に呑まれた人々への障害物、凶器となります。カバーリングは、それらを最小化する為の措置です。スクリーニングで大きな物を防ぎ、カバーリングで細かいものをなるべく流さないようにしましょうという事です。これはハウスメーカーさんと大学研究室ででも開発して欲しいですが、建物の家屋そのものをシートの様なもので覆う(カバーする)事は難しくない筈です。そしてなるべくなら、津波を受け流すかその衝撃をいくらかでも柔らげ、家の中への浸水を防ぐ事が要点です。今回の震災で海岸近くに立っていた頑丈そうな病院の建物はほぼ無事だったものの、内部に車その他が突っ込んできてて利用不可能な状態に陥ったりしていましたが、建物そのものが津波に耐えられるのであれば、その外側を水の流れを誘導できるもので覆えれば、建物の内部まで保護する事は可能ではないでしょうか。コンピューターのシミュレーションとか大規模実験施設とかも必要になるでしょうけれど、東京が同程度の震災と津波に襲われれば、今回の犠牲者や不明者数より、1桁か2桁は多くなるでしょうから、やる価値は有ります。天災後の復旧にかかる費用や期間も短縮できるでしょうし。もっと言うなら、数百万人単位の避難受入先地域や施設の確保なんかも、相互に策定しておくべきなんですけどね。それはまた別の長い話になりそうなんで、今回はこの辺で。それではまた。
2011.04.11
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東北地方を襲った大震災の影響で、自動車部品の製造が停止し、欧米の各社の工場まで操業を短縮したり一部停止したり、受注そのものを停止せざるを得ない状況にまで追い込まれています。そんな環境に、どこの誰が新規に工場を設置したりしようとするでしょうか? 損害を受けた工場を再稼働させるにしても、長期的には震災や津波や原発事故や停電などの影響が無い場所へ移転する事を検討し始めるでしょう。これは、今回直接の被害を受けなかった全ての工場にも当てはめられます。日本の先端企業の多くが、海外での収益が数割から半分以上となっていたりするのですから、停電や放射能騒ぎで悩まされるくらいなら、本社機能の移転すら、長期的には検討せざるを得ません。海外の優秀な人材が、日本企業で働くのはいいけど、日本では働きたくないというケースは、今後当面の間続くでしょう。京都や長崎といった、震災地から遠く離れた場所ですら海外旅行客が激減してしまっているのですから、観光業や周辺産業で働く人々、特に貯蓄や他に技能を持たない若い人々が転職先を見つけられるかどうかは非常に大きな問題となってきます。TDLなどは液状化現象の影響もあるものの、すぐ再開できるかどうか、電力需要の関係もあって半年以内の再開は難しいのではないでしょうか?震災の影響で内定取り消しなど、人生そのものが狂わされた人々の受入先となるような大規模集約的な工場が、今後日本国内で確保がむずかしくなる一方だとするなら、海外での就職を支援するしかなくなるでしょう。少なくとも、東京の一極集中の緩和の方向にはつながってくる筈です。被災地の人々が口にする、「それでも前を向いて進むしかない」という言葉に全ては集約されるのでしょう。短期的な方策としては、若年失業者には、復興支援活動で生活を下支えしてもらう事。(営業時間短縮などで、通常の外食業などは新規雇用を増やす状況には全く無い)企業の工場と部品などは、やはり同系統の部品を世界的に違う場所で同時に生産するしかありません。企業間での部品の共通化はある程度進んでいますので、個別での対応が難しいのなら、業界内で規格化・標準化を通して、被害を受けた企業の補填に努める体制を築くしかありません。宮城や岩手の、直接的な被害は、いずれ復興するでしょう。住民が半減した自治体などは再編成する必要も出てくるでしょうが、その中で住民の移住措置も勧められるべきでしょう。今回の復興の中で一番むずかしいのが、雇用の維持と確保です。国が復興費用を負担しますと言ってますが、それは国民の税金で負担しますと言っているだけです。その税金は、企業や労働者の税金で賄われるのです。その企業が海外へ本社を移転してしまい、雇用も失われれば、税金による収入は減少します。国債を新たに刷ればいいとか、日銀に引き受けさせれば良いというだけの問題でもありません。福島原発の事故を受けての今後のエネルギー政策をどうするのかも含めて、この国を私達がどう形作っていくのか。そういう問いかけをされている状況なのです。参考記事・「フクシマ以降」の時代(ちきりんさん)・現地へ医療支援に行かれた方の日誌こういう現実を見据えながら、今回の出来事を忘れないように、なるべく同じ悲劇が起きないように、起きてももっと小さく被害を留め、復興も早められるように、特に、東京及び首都圏の人々は考え、対策を進めていく必要があるでしょう。東京が同程度の被害に襲われたら、被害者の数は桁が一つが二つは違ってくるでしょうから。
2011.03.27
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自戒を込めて。一連の原子力発電所の騒ぎで、どれだけ私達が考えてなかったのか、書いてみます。1足す1は、2。1引く1は、0。同様に、原子炉で火災が起きてますが、放射線量が高くて近づけません。地元の消防署に鎮火を依頼しました。だけど彼らはそんな緊急事態に対応できる装備なんてありません。機動隊の放水車を持ってきてみました。やっぱり彼らは十分に近付けず、放水を行ったものの目標には届きませんでした。空からヘリで水を撒いてみました。約30トンくらいのうち、効果は焼け石に水ですが、空になってるかもしれないお隣のプールは、1200トンです。自衛隊員とかに犠牲を強いてどうにかするにしてもひどすぎるレベルです。想定されていた以上の事態が起きた?いいえ。2004年に、専門家集団でもない共産党福島県議団に指摘されて無視していたレベルです。『福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。』うん、まさに、今回起きてる事態ですね。(共産党は、地味に、共産主義とは全然関係の無い処で、いい仕事をしてたりします。)専門外の、装備もない地元の消防団に、原子炉の消火を依頼している時点で、根本的な何かがおかしいとは感じませんか?放射線量が高い処に、射程の短い放水車を持ってきて、で?人員を無駄に危険に晒し、かつ人々の耳目を集めさせておくという時間稼ぎ以外に、何か役に立ちましたか?自衛隊の特殊な消防車で、車内から放水して、最初からそれで良かったじゃないですか。それを一日に、時間を空けて、複数回行っていた方が良かったんじゃないですか?東京電力の対応がまずかった点とか、政治家がどうとか言う前に、私達日本人全体が、そんなあやふやな体制を元に日常を送っていたという事そのものに、戦慄しました。おいおいおい、マジかよ、オレ?、て感じです。日常の電力の一定割合を原子力に頼っている社会なのに、その災害時に専門に対応する消防車すら1台も持たないでいたなんて、それで安穏と生活していた事実に対して驚愕しました。装備だけでなく、体制も知れば知る程に、その無考慮さが信じられませんでした。各原子力発電所に設けられてる電力供給手段が全て断たれてすぐには復旧できない場合の、人任せ運任せな状態に唖然としました。これはもう、現地で残って文字通り、命や人生かけて奮闘している方々を英雄と立て奉ればすむような、すまされるような話ではありませんし、そうすべきでもありません。そんなもので放射線による後遺症が治るわけもないのですから。海外の友人とやり取りしてると、感じている危機感が全く違うのが伝わってきます。東京で停電がーとか、電車がーとか文句垂れてるのは、私達が冷静なせいなのかも知れませんけれども、意図的に危機から目をそらす事で精神の平衡を保っているのもあるでしょう。今日一日、自衛隊のヘリで水を散布するだのしないのだの、機動隊の放水車で放水が昼頃から云々とか、根本的な事態が何か変わったかと言われれば、何も変わっていません。そして、4号機については、意図的に、報道は避けられてきました。これから考えます。考えてるところです。せいぜい、そのくらいです。5号機、6号機とかも対処しなくちゃいけないと存在が浮上してきてますし、1号機も2号機も完全に安定したという状態ではありません。ヘリで1、2回とか、一日合計100トン未満の放水しかできない状態で、早急に1000トン以上給水しなくてはいけないものを、ヘリで上空100メートル以内にすら留まれないものを、果たしてどうするつもりなのか?それを私達は、目先をそらす放水作業で、24時間以上、無駄にしたのです。世界中からの援助隊が付近にまだ活動しているというのに。彼らに退避勧告も自主的に出していないというのに。目先の食糧やガソリンや生活物資を買い占めるくらいにしか脳が働いていません。せいぜいそれらを止めましょうと呼びかけるくらいにしか。はっきり言って、原子力発電所の管理は、国内問題に留まりません。だからこそ、アメリカもロシアも韓国その他の国々も、真剣に援助を申し出てくれているのです。だからこそ、その援助を申し出てくれてる国々は、自国民に日本から脱出するか、数百km以上彼方まで遠ざかるように勧告し始めているのです。私達は、自問する必要があります。私達は、本当に冷静なのか。それとも単に、現状から目をそらして冷静を装っているだけなのか。チェルノブイリとは同じ現象にはならないとは私も聞いています。しかし最悪の事態が起きた時、少なくともそれは付近数十km以上の範囲で深刻な事態をもたらします。私は、東京から離れるつもりはありません。そうする必要が無いという客観的(らしい)情報に触れているからです。・torii_h氏による英大使館会見邦訳まとめ。政府と東京電力に求められているのは、何よりも、最悪の事態を想定した上で必要な行動を起こしていく事です。マスコミに全ての情報を流す事は絶対条件ではありません。社会秩序の維持という名目は確かに重要ですから。しかし同時に、必要な行動だけを、最小限の人的被害とリスクの元で、最大限の速度で行う事は、絶対条件です。見せかけで実効の無い行動で時間を無駄にする事は、最大の禁忌でもあります。私達は、おそらく、今回の福島の原発が最悪の事態を迎えようと迎えまいと、その事態を乗り越えて、生活を営んでいくでしょう。海外へ避難した人達が帰って来るかどうかは、さして気にする必要は無いか、優先順位は低くて良いでしょう。何より大切なのは、自分達が見落としていたか、意図的に目をそらしていた対象に目を向けて、必要な考察をして、必要な対策を講じる事。東京電力という会社は社会的生命を終えるか看板の掛け替えを迫られるかするかも知れませんが、それは問題の根本的解決とは何の本質的関係がありません。一つの私企業に、原子力発電所という危険極まりないものの運用を任せ切ってもいけないでしょうし、少なくとも既存の仕組みが、今回の様な事態に非常に不十分な存在であった事は確かになった訳ですから、私達が生活に必要な電気というエネルギーをどうやって生み出していくのか、その媒体を何からどう得て、運用をどう管理していくのか、正面から考えていく必要があります。それはもう、CO2排出量がどうとかいう超馬鹿げた理由で原発の建設を推進するなんて間抜けな議論を廃絶して、自分達の生命と安全に直結する深刻な問題として、向き合っていこうではありませんか?現状で太陽光や風水力発電に頼りきれない事も明白ですから、原子力に一定程度頼らざるを得ないのであれば尚更です。被災地で無い処で、計画停電による信号の消灯が原因で事故死する人も出ているのです。夜から大規模に停電するかも!?という報道で、慌てて駅に向かって長時間電気の途絶えた満員電車に閉じ込められたり、それを避ける為に歩いて帰る途中で信号の消えた交差点で車に突っ込まれたり、そんな目に遭う前に、私達には、たぶん、出来る事がある筈です。
2011.03.17
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東京で暮らし、働いてもいるのですが、20年近く生活してて、近所のスーパーやコンビニから文字通り食料品関係が消失した光景には初めて遭遇しました。インスタント食品や水から始まり、冷凍食品、缶詰、そば、うどん、納豆、ミルク、パン、そして米そのものまで完全消失。入ってくるそばから全て買い占められてしまうそうで、最近では少し保存がききそうなスナック菓子類まで半分くらい姿を消してます。ついには何の関連も無い筈のトイレットペーパーまで・・・。政府も報道機関も、落ちつこうよ、と呼び掛けてはいますが、あまり効果は無さそうです。私も先ほど行ってきたスーパーで、姑と嫁とその子供達が5カゴ一杯に、食糧その他をレジに通してる姿に遭遇しました。そのお嫁さんらしき人の背中には赤ちゃんもいて、他に育ち盛りらしい子供がレジを通した商品を袋詰めしてました。まじまじと見つめてしまいましたが、あちらとしては、「仕様が無いでしょ!?」オーラを全面に展開していました。説得が通じる雰囲気ではなかったです。今はまだ外食産業に物資が行きわたってるらしいので、サラリーマン達が飢え死にする事は避けられそうですが・・・。私は最小限の、調理されたお惣菜1品と、ふんだんに残っている海鮮物の中からシラスと、あとビール1缶。それだけ。今、レジに並ぶ人達は、なるべく買いこもうとしてる人と、最小限に済まそうとしている人とに二分化されてると思います。日本人は大震災に遭っても辛抱強くモラルを保って対応してるとか報道されてる事が多いのですが、それも自己の利益が保存されているか、自己利益の保存に走っても無意味だと諦めているかの二通りだと私は受け止めています。確かに、ちきりんさんが記事にしたような海外では有り得ないような規律の高さも存在はします。が、計画停電の影響で止まってしまった路線の線路を数百人が歩いていってしまったというような現象も起きていますし、何より首都近郊で起きている買い占め現象は、モラルというものの限界を示しています。なので、私はこう思います。普段通りの生活を送る事が、何よりの復興支援だと。街頭やネットなどで義援金を送るのも良いでしょう。しかし、普段通りの生活をして、消費をして、働いていれば、そこで落ちるお金や税金は、国に渡り、復興支援の費用となりますし、また他の人に渡り経済を潤滑させていきます。このくらいの震災になると、復興には十年以上かかるでしょう。その間毎月1000円ずつ募金するのは、言うほど容易く無い筈です。しかし、普段通りの生活を送るのは、おそらく可能な筈です。普段、1カゴしか買わないような人達が3カゴ以上買うのは、どうしたって、普段通りじゃないのです。言葉で通じないのなら、一人でも多くの人達が、最小限の買い物で済ませている姿を見せるしかありません。首都圏の物資が枯渇してくれば(またはそう表面上見えれば)、企業も対応せざるを得なくなってきますが、今は被災地への援助が優先されるべき時で、それを補って十分な物資が首都圏にも実際には供給されているのです。それを、不安に駆られた人々が買い占めているだけで。だから、普段通りの生活を送りましょう。停電のある地域の方々はむずかしいかも知れませんが、節電をなるべく心がけるべき時であり協力していくべきですが、それでもほぼ普段通りの生活を送ることは出来る筈です。無理は続きません。普段通りの生活で、出来る範囲の事をしていきましょう。それが普段通りの生活を送れなくなった人々へも、何よりの支援になると思います。
2011.03.15
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