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1-10 任命式典と指輪
任命式典と指輪と天皇家最期の二人
「なんでだよ、おれの親族って言えるの、もう行徳おじさんだけなの
に。どうして来てくれないの?」
一旦宿舎に戻ってから、式典の後の晩餐会は家族同伴可と聞いて、
おれは真っ先におじさんに電話した。けれどおじさんは、
「申し出はありがたいがな。わしの為にも隆の為にもなるまい。ただで
さえ勘ぐるのが仕事だと心得てる連中が手ぐすね引いて待ち構えておる
所に、わしが保護者面下げてのこのこと出て行ったらどうなる?」
の一点張りだった。
「これだから年寄りは・・・」
「その年寄りの知恵で助かることもあろう」
「わかったよ。で、皇居なんて初めてなんだけどさ、何か気をつけなきゃ
いけないことある?」
「服装は支給されたものを着てれば問題無かろうし、どこで何をすると
いった細々としたことは役人連中が教えてくれるだろう。あとは和久陛
下と相子殿下に馴れ馴れしい口をきかなければ何も問題あるまい」
「相子殿下が25歳、和久陛下が20歳か。近いって言えば近い歳なんだな」
「大昔と違って平伏する必要は無いがの。おお、そういえば、隆の議員
就任祝いの品を何にするか散々迷ったがの、ようやく決めて送っておい
たが届いておるか?」
傍らに控えてたAIが、小包を手渡してきた。
「うん、届いてるみたいだけど、何これ?」
それはとても軽く、ふっても中から音はしなかった。おじさんは何か
を期待するように身動きせずにじっと待っていたので、おれは仕方無く
包みを開けていき、CMとかで「開けてごらん」というセリフと共に手渡
される小箱を目にした。
「ちょっ・・・!おじさんこれ、どういうつもり?」
「わしの奥さんの形見じゃ。普通なら女親から手渡されるもんじゃろう
が、そこは我慢しておくれ」
「って、もしかしてあの始球式見てた?あの婚約が本気のもんだと思っ
てる?」
「少なくとも、相手の娘さんは本気だったろうの」
「おれの気持ちはどうなるのよ?」
「隆。これは誰にも無理強いはできんことじゃ。だからこれは、わしか
らの勝手な願い事だと聞き流してくれて構わん」
「早く孫を抱かしてくれだとか言わないでよ?」
「ほっほっほ。そこまで急かしはせん。ただわしの頼みは、その小箱の
中身をあの娘さんに手渡してくれということじゃ」
「どうしてさ?行徳おじさんまで、あの中目零那について妙な話を聞い
てたりしてるの?」
「隆、わしは全ての答えを知っとるわけじゃない。むしろ知らん方の部
類に入るだろう。しかしの、お前さんに一つ先輩として贈る言葉がある。
『全てが語られるとは限らない。
全てが語られたとしても満足できるとは限らない。
全てが語られたかどうか判断するのも、
聞いた内容で満足できたかどうか判断するのも、
決めるのは自分自身だからだ』」
「まぁ、そりゃそうだろうけどさ。これおじさんのオリジナル?」
「おそらくの。さて、わしも今晩は約束があるでの、出かけるわ。お前
さんも身仕度をしっかりな」
「一つだけ聞かせてよ。どうしてそんな大事な物を中目に?」
「わしが知っておる限り、それで救われる人がおるからじゃ。ではな、
隆」
通信は切られ、おじさんの生けるミニチュアはただのマネキン人形
に戻った。
「なんだよ、みんなして。おれに人身御供になれってか?」
しかしマネキン人形はのっぺら坊な面のまま、何も答えてはくれな
かった。
それからAIの準備してくれた燕尾服に身を包んだ。どこで寸法取った
んだか、体にフィットしてくれてたのはいいんだが、黒の上下に白の蝶
ネクタイって、まるで新郎のモデルにでもされるようで落ち着かなかっ
た。ベストも、ズボンの両脇のシルクの飾りも目に慣れないものだった。
「これってイブニングだよね?確か内閣の任命式典で閣僚が着てるのっ
てモーニングじゃなかったっけ?」
「元々、モーニングは昼過ぎまで着用する午前中の礼装です。式典が夜
にあるのなら、イブニングを着用すべきものが慣習化していたに過ぎま
せん。さ、お似合いですよ、参りましょうか」
「かあさん、おれは、これを持っていくべきなのかな?」
行徳おじさんからの贈り物をポケットに入れていくべきかどうか、お
れは決めかねていた。
「ポケットの膨らみが気にかかるのでしたら、中身だけを入れておけば
目立たないでしょう」
「そういう話じゃなくてさ」
「それ以上は、私が口をさしはさむべきことではありません。タカシが
決める事です」
AIは言うべきことは言ったと背中を向けて玄関に歩き始めていた。お
れは、そんな母親の後姿に遅れまいと、忠告通りにして、渡すかどうか
の判断はその時の勢いに任せることに決めた。
なんか、頭の中身を二十四時間休み無しでジェットコースターに乗せ
られてる気分だった。いろいろ否応無しに詰め込まれて、溺れかけてる
ような状態だった。
一つだけはっきりしてたのは、おれがまだ中目零那という女性と結婚
するつもりが無いという事だった。レイナはかわいいとは思うし、まと
わりつかれて嬉しくないわけじゃない。ただ、自分たちのものでない周
りの都合でなし崩しにすべてを進められてしまう事に反発したくなるの
は、おれがただ若いからそう感じるってだけじゃないだろ?
然るべき相手と、然るべき手順を踏んで。
別にそれがレイナだってかまやしない。ただ周りに押し付けられて仕
方無くなんてのは、おれの哲学に反してた。それだけだった。
そんな事を考えてたら、車はあっというまに皇居に着いた、
千尋の間という場所に抽選議員全員と議長が集められ、宮内庁の官僚
からの服装チェックや任命式の進行の説明があった。
男性は全員お揃いのイブニング姿。女性は、和装と洋装が半々くらい
だった。年代別の性別毎に交互に並んでいたので、おれの右手には二緒
さんが、左手にはレイナがいた。
どっちを先に見るかでも悩んだが、どちらかと言えばレイナの方を意
識せざるを得ない。だからこそ、先に見たのは二緒さんの姿だった。
目が、釘付けになった。
これって正装なんですよね?、と疑いたくなるほど、下品では決して
無いんだけど、おれには刺激が強すぎた。光沢のある柔らかなワンピー
ス仕立ての生地で裾は踵が隠れるほどに長く、けれど胸元や肩が少し大
胆なくらいに開いていた。
見つめてたらいつまでも目が離せなくなりそうだったので、慌てて正
面の無機質な壁を見つめた。落ち着け落ち着くんだ、おれ!
「ふ~ん、やっぱりドレスの方が良かったのかなー?」
左手側の小声に振り向いてみると、そこには振り袖姿のきっちりと着
付けられた胸元を少しでも緩められないかと試してるレイナの姿があった。
「どうして和服姿にしたんだ?お前なら女子高校生の制服姿だって似合っ
たろうに」
「・・・それ、真面目に言ってる?」
「いや、冗談だ。似合わないとも思わんが、高校生じゃないもんな」
「それ、あたしにとって少しでも冗談になってると思う?」
パブリックチルドレンのレイナが高校に通った事は無い筈だった。
本人が、どれだけ願ってたとしても。
「すまん、無神経だった」
レイナは答えずに、そのままおれとは反対側に顔を向けて黙りこくっ
ちまった。
「なぁ、おい、許してくれよ」
レイナは答えてくれない。
「その、な、お前の振袖姿だってかわいいじゃないか。似合ってるよ」
白地に薄く桜の花びらが刺繍されて帯は桃色。髪飾りも桜を意匠した
物だった。
褒めてる言葉に嘘は無いつもりだったが、反応が返ってこなかったの
で、おれはまた正面の壁に視線を戻した。こんなんじゃ、おじさんの奥
さんの形見を渡す渡さないなんて状況じゃないな。そう思ってた時、左
の太腿に激痛が走った。
おれの左手は下手人の右手を捉えていた。
「お、ま、え、なぁ~!」
「あら、どうかしたの、タカシ君?」
小憎らしい笑顔を浮かべたレイナ。その口元を抑える左手には、その
薬指には・・・。
「おい、お前、それ・・・?」
「うふふ、ちょっと借りておくね、これ」
慌ててポケットを探ってみると、確かに入っていた筈のそれが無くなっ
ていた。
「それでは皆様、式典会場へご案内致します」
宮内庁のAIが待合室に現れ、レイナはとっととおれの手の届かない所
へと移動してしまっていた。
最悪だった。
この待合室にはテレビは入っていなかったし、晩餐会もマスコミには
非公開な筈だった。けれども式典の様子は公共放送で全国に流される。
そこで渦中の人物の左手の薬指に光る物が!、なんて報道されたら、も
うおれの逃げ場は無かった。
「白木君?」
怪訝そうな二緒さんの言葉でおれは我に帰った。中目は移動してたの
に、おれが動いてないせいで、後ろがつかえていたのだ。
おれはそのまま出口へと向かい、処刑台に送られる囚人の気持ちを想
像しながら正殿松の間という会場へと重い足取りで進んでいった。
式典会場の様子は、時々ニュースとかで見る映像そのままだった。ど
の道一般人が何回も立ち入る事の無い場所だ。もうちょっと心の余裕が
あれば間近にいらっしゃる天皇陛下の御姿にでも緊張できたんだろうが、
それは無理な相談だった。
宮内庁長官とか陛下とか議長とかの挨拶の言葉が続き、八神さんを先
頭に、春賀さん、赫さんと高齢の男女の順に呼ばれ、陛下と短い言葉を
交わし、証書を渡され、議員バッジを身につけさせられていた。
プロの政治組織に属してる人が多い選挙議員と違って、本当に普通の
人が抽選されてくるのが抽選議員だ。従来なら閣僚にしか行ってこなかっ
た任命式を、いわば入学式みたいなイベントを行う事で自覚を持たせよ
うとしてるのかも知れない。
そんな考えがつらつらと頭の中に浮かんでる間に、恐縮した様子の高
齢者から中年までの任命が終わり、自分も列から離れて壇上の脇へと並
んだ。
二緒さんは、若干他の議員よりは長い言葉を交わされていた。間近で
見る陛下は、こんな場所でなく服装も平易なら、どんな大学や街中でも
見かけそうな人だった。自分がもし普通に進学していても、先輩と呼ぶ
人達の中に絶対混じっていそうな、物静かで優しそうな人。何かを達観
したような儚い雰囲気が、そこらの同い年連中には纏えないようなもの
だったとしても。
「白木隆議員」
名前を呼ばれて、おれは和久陛下の前に進み出た。
脇に控えた議長から、おれの簡単なプロフィールの紹介があり、証書
が陛下から両手で差し出され、おれはそれを両手でかしこまって受け取っ
た。
お辞儀していた頭を上げて、和久陛下と真正面から目が合った。
おれからは、何て言葉をかけていいかなんてわからなかった。陛下は、
じっとおれの目を見つめた後、控えているAIから議員バッジを受け取り、
おれの上着のボタンホールに付けてくれた。
その、体が最も近づいた時、和久陛下がぽそりと呟いた。
「あの人を、お願いしますね」
近くにいたAIのマイクでも拾えたかどうか怪しいくらいの小さな声。
そして元の立ち位置に戻った陛下は、笑顔に戻って言った。
「私は先日ようやく20歳になりましたが、皇位を継いだのは12年前の
8歳の時でした。何とかなるかなと思え始めたのは、ちょうどあなたく
らいの年の頃でした。がんばってくださいね」
「は、はい。ありがとうございます」
和久陛下が握手を求めてきたので、おれは握り返し、それでおれの番
はおしまいだった。
最後に登壇したレイナは、たぶん他のどの議員よりも長く留まり、た
くさんの言葉を交わしていた。何度か、左手を口元にあてて笑っていた。
それでもおれが列に戻ってから三分も経たない内に、レイナも列に加
わった。
最後に陛下から短い挨拶があり退出された後、抽選議員一同は別の待
合室に移され、晩餐会開始まで小休憩となった。
そこには抽選議員の家族達が待っていて、一気に賑やかになったが、
おれは親族なんて誰も呼んでいなかったし、それは親族のいないレイナ
も同じだった。
二人とも何となく部屋の片隅へと移動して、何となく沈黙の一時を過
ごした後、レイナの手が触れてきて、何かひんやりしたものが掌にすべ
りこんできた。
「返しておくね。ありがと」
「いいのかよ?」
掌を開けてみると、小さなダイヤが嵌められた指輪だった。
「そういうのはちゃんと、相手から渡してもらわないと意味無いもんね」
「わかってるじゃねぇか」
だったらやるな、という言葉は寸前で呑み込んだ。
なぜ?、を考えてみたから。
なぜ、行徳おじさんはこのタイミングでこんな物騒な物を贈ってきた?
なぜ、あの式典の間だけ、レイナはそれもんの指輪をはめている必要
があった?
おじさんは言った。これで救われる人物がいる、と。
「お前、やっぱり・・・」
「タカシ君は、知りたい?」
「いや、お前が話したくなったら、話したい事だけ話してくれりゃ、そ
れでいい」
「えへへ、タカシ君、やっぱりイイ男だね。惚れなおしたよ」
「バカヤロ」
そんなあいつの瞳は、涙で潤んでた。
おれは胸ポケットのハンカチを引き出して、
「使えよ」
と渡してやった。レイナはそれで目元やらをぬぐってたが、ピークド
ラベルだか何だか知らない折り方で使われないまま返却されるよりも、
ハンカチも日の目を見たことになるだろう。
レイナはそのまますんすんいってたが、おれは気恥ずかしくなって見
てられなくなった。これが高校で二人とも制服姿だったら、何をどう誤
解されてもおかしくなかったろう。
逃げ出したくもなったが、気配を察したのか、レイナが小指をおれの
小指に絡めてきた。
赤面するおれにあいつは言った。
「ね、どうして未婚の女性は振袖なのか知ってる?」
「うんにゃ。女の人の正装なんておれにはちっともわからん」
「魂振りのおまじないに使われていたからなんだって」
「どんなまじないなんだそれ?」
「意中の相手が振り向いてくれるっていうおまじない」
「そうか。じゃあおれはそっぽを向いてやる」
「ひどーい!」
おれは実際逃げ出したかったが、レイナがいるのとは逆方向を見るだ
けで絡めた指は解かなかった。こんな時冷やかしに来てくれそうな奈良
橋さんも、他の議員もまるで二人を善意で無視してくれているみたいで、
余計に小っ恥ずかしかった。
まぁ、そんな時間は幸いに長くは続かず、晩餐会の開始を告げるAIの
一声で二人の間の小指は解けた。
そのAIはレイナに近づいてくると、丁寧に折り畳まれた状態のハンカ
チを差し出した。レイナは受け取ったそれをおれの胸ポケットに納める
と、くるりと踵を返して他の議員達に声をかけに離れて行った。
おれはまだ掌の中にあった指輪をポケットにしまいこみ、先導役のAI
に従って宴席の会場へと向かった。
会場に入ると、正装した紳士淑女が一斉に立ち上がって拍手で出迎え
てくれた。会場を埋め尽くした三百人以上の視線が一斉にこちらに向く
様は、ピッチャーマウンドに登る時とは違う緊張感を味わわせてくれた。
体育館を埋め尽くした生徒からの注目や、満席のスタンドから浴びる
視線とはまた違った、背筋が寒くなるような、ぞわぞわ来るような、
ゾッとする感覚。
得体の知れない悪寒を感じながら、おれとレイナと二緒さんと奈良橋
さんは、正面の壇上に一番近い主賓席に案内された。各自のAIが脇に立っ
て椅子を引いてくれた。六人掛けのテーブルには、空席が二つあった。
正面に向かって左手側におれとレイナが、右手側に二緒さんと奈良橋さ
んが着席した。
少なくとも、この4人には親族がいないか呼ばなかったのは確かなよ
うだった。
抽選議員とその家族達が着席すると、自分たちが入ってきたのとは違
う入口から、女性が一人現れた。
見間違いようもなく、最期にたった2人残された皇家の内の1人、相子
殿下だった。
壇上にいる中年の男性が拍手で出迎えていたが、こちらは先程の式典
でも見た越智首相だった。着席したばかりの抽選議員も他の参加者達も
また立ち上がって拍手していたので、おれも慌てて立ち上がった。
相子殿下は、壇上でマイクを受け取ると、それが合図で全員が拍手を
止めて着席した。
「皆様、今宵はわざわざのお越し、ありがとうございます。
抽選議員の皆様、ご当選おめでとうございます。今後は選挙議院、企
業院の皆様と共に、この国の営みにご尽力頂きますようお願い申し上げ
ます。
それからこれは私事ですが、律子、今日は来てくれてありがとうね!」
わっ、と満場から拍手があがった。二緒さんが公の場に出てくるのは、
今までならほぼ有り得ない事だった。相子殿下も二緒さんほどじゃない
にしろ、公の場にはほとんど出て来ない人だった。皇家がたった二人に
なってからは、外遊も国内の視察もほとんど行われなくなり、皇居から
出ることさえままならないと聞いていた。
まるで絶滅してしまったトキのように扱われている。それが通説で、
和久陛下はそんな状況を粛々と受け入れ、相子殿下は反発している。そ
してある時を境に、相子殿下は公の場で二人で同席する事を完全に拒絶
した。だからここに、和久陛下の姿は無かった。
相子殿下の挨拶が終わると、首相が乾杯の音頭を取った。
グラスを打ち鳴らす音が会場中に響き渡ると、壇上にいた二人が自分
と同じテーブルに着席した。中目の隣に首相、その隣に相子殿下、その
隣は奈良橋さんといった具合に。おれの正面に相子殿下が座っていたが、
今まで対峙したどんな強打者よりも強いプレッシャーを感じた。
食事が次々に運び込まれてきたが、見たことも味わったこともないよ
うなものばかりだった。正面の相子殿下や首相と同じテーブルについて
いるという緊張もあって、味はろくにわからなかった。(食べ方がわか
らないようなものは後ろに控えたAIがそっと耳打ちしてくれたので、テー
ブルマナーは及第点だった筈だが)
付け加えて、中目と並んで会場の一番注目の集まるテーブルの一番注
目を浴びる位置にいたので、本当に結婚式の披露宴にいるような気分に
もさせられた。おれの左隣には二緒さんもいたので、フリータイム(?)
になればどれだけの人がここに押し寄せるのか想像させられてさらにげっ
そりした。
ディナーも進行してメインディッシュも下げられた頃だった。
「白木君、甲子園、残念だったわね」
レイナでも二緒さんでもない女性の声で話しかけられていた。テーブ
ルには他に一人しか女性はいない。分かっててもおれは緊張して答えた。
「いえ、あれが実力ですから」
相子殿下は優しく微笑んで、ちらりとおれの左手を見て言った。
「あの後、律子を慰めるの大変だったんだから」
「ちょっと相子!それは言わない約束でしょ?!あ、し、失礼しました
殿下」
おれは隣の席で腰を浮かせて顔を朱に染めた二緒さんを見て目を丸く
した。二緒さんがおれのファンだったって?
「失礼でも何でも無いんだけど、次に殿下なんて私に言ったら絶交だか
らね、律子。他の人もできるだけ殿下なんて言わないでね。越智さんも
よ?」
首相は苦笑してうなずいてたが、レイナは反論していた。
「私は条件付けで出来ません。お許し下さい」
「レイナちゃんはいいのよ。今日は和久にも会ってくれてありがとね」
「いえ。職務ですから」
「ふふ、そういうことにしておこっか」
相子殿下の砕けた様子に驚いてるのは、おれと奈良橋さん、だけかと
思ったら、奈良橋さんは意外と平静に受け止めてるみたいだった。ホス
トだったから、いろんな女の人を見慣れているせいなのか?
レイナが相子殿下と顔見知りなのは、皇居に勤めていたこともあるか
らだとして。なんかいろいろと一人だけ置いてけぼりを食っている印象
を受けた。
レイナは卒なく隣の首相と小難しそうな話をしてたし、相子殿下は奈
良橋さんと話しこんでいた。当然残された二人というとおれと二緒さん
になるのだが、まだ顔をほんのり赤くしてうつむいてた。
「二緒さん、野球好きだったんですか?」
「き、嫌いじゃないわ」
「へぇー、意外ですね。NBRならどのスポーツチームでも買収できる
のにどこのスポンサーにもついてないから、てっきりスポーツにはあま
りご興味が無いのかと思ってましたよ」
二緒さんは、ますます顔を赤くして、
「ごめんなさい。ちょっとお化粧直してきます」
と言って席を立ってしまった。
「ちょっと律子!ごめんなさい、私も少し外しますね」
そう言って相子殿下は二緒さんの後を追って会場からいなくなってし
まった。
会場の主賓を二人までも退室させてしまった張本人として、おれはま
た会場中の注目を浴びてしまった。滝のような汗をかくと言うが、真夏
のマウンドでも経験が無いくらいの量だった。
おれはレイナに助けを求めた。
「なぁ、おれ、なんかマズイこと言ったのか?」
「・・・タカシ君、あたし達も少し外の風浴びよっか?」
「ん、ああ、おれはいいけど」
「というわけで首相、私達も少し席を外しますね」
「行っておいで、中目君、白木君。どの道食事が終われば魑魅魍魎が山
ほど寄ってたかってくるだろうからね」
「はーい、逃げてきまーす!」
そしてレイナはおれの手を取ると、会場から内庭に出た。背後にAIは
ついてきてたが、それ以外の人影は無かった。
見事な日本庭園で、所々足元がライトアップされていたが、月明かり
がまぶしいくらいの夜だった。
「連れ出してくれて助かったよ。ありがとうな」
「ううん。それはいいんだけど、あまり二緒さんに不用意なこと言っちゃ
ダメだよ」
「不用意って、二緒さんが人間嫌いで、NBRがどのスポーツチームの
スポンサーにもなってこなかったのは事実じゃないか?」
レイナは、聞こえないくらいの小さなため息をついて言った。
「どうしてだと思う?」
「人間嫌いなのは、その、二緒さんが体験した事件の影響だろ?でも、
それがどうしてスポーツに関心が無かったのかって言われて席を立つこ
とにつながるんだ?」
「タカシ君、知らないことは罪じゃないかも知れない。でも、そのこと
で誰かを傷付けたら、知らなかった事を免罪符にはできないんだよ?」
「レイナちゃん、あまり白木君を責めてもしょうがないわ。わからなく
て当然なんだもの」
いつの間にか、相子殿下が二人の傍に来ていた。
「あの、二緒さんは?何か失礼な事を聞いてしまったのなら、お詫びし
ないと・・・」
「私の部屋で休んでるわ。でも、上辺だけのお詫びなんて誰も必要とし
てないの。それよりもあなた達、もう、そういう関係なの?」
おれも、レイナも、固まった。
「そう、まだなのね」
くすくすと笑いながら、相子殿下はレイナにつと近寄ってその左手を
取った。
「ちゃんと婚約したわけでもなし。じゃあ、律子にそう伝えておくね」
「何をどう伝えるって言うんですか?」
「まだ望みはあるってことよ」
相子殿下はウィンクして、そのまま中庭からフェードアウトして行っ
た。
「・・・レイナ、お前、全部の事情を知ってるって言ってたよな?」
「知ってても、あたしの口から言うべきじゃないことはたくさんあるの」
「贅沢な悩みだな」
視界が揺らぎ、パァン!という音が後から響いた。頬を思いきり張り
飛ばされたらしい。
「あたしが、あたしが、好きでそうしてると思うの?!」
レイナは悔しそうに涙をこぼしながら走り去ってしまった。
おれはもうわけがわからなくなって、その場に座り込んだ。
「女って、なんなんだ・・・?」
そうこぼさずにはいられなかった。
「青年よ、悩んどるな?そういう時は人生の先輩に相談するもんや」
奈良橋さんと首相がおれの両脇にどさっと腰を降ろした。
「いつからいたんです?」
「細かいこと気にすな。どの道信じるも信じないもタカシ君次第だけぇ」
首相は黙って、水割りらしきものが入ったグラスを差し出してくれた。
「悩むのが人の特権さ。呑んで倒れて寝てしまうのも然り。大切なのは
生き続けることだ」
「おおー、重いお言葉でんな。今度接客する時に使わせてもらいますわ」
「好きにしなさい」
首相はでも、ほがらかに笑っていた。
首相から受け取った水割りのグラスは、思っていたよりも濃くて強く
て、飲み下した時に喉がかーっと熱くなって、少し咳きこんだ。
奈良橋さんはからからと笑って、でも背中をさすってくれた。
「別に今夜のことだけじゃないんです。もう、わけがわからないことば
かりで・・・」
「政治の事であれば、慣れが解決してくれる。その他の事も、時間と経
験が答えを出してくれるだろう」
「渋い。渋いでんなー。わいが同じ事言うてもよう格好つきませんわ」
首相は黙ってグラスを傾けて、おれが咳きこんだのとたぶん同じ物を
平然と飲み下してから続けた。
「白木君、君は、どこまで話を聞いたのかね?」
「どこまでって、中目からですか?」
「まぁ、そうなるかな」
「まだ入り口付近なんだと思います。それでも十分頭がパンク状態にな
りました」
って、こんな話、横に奈良橋さんがいるのにと思って見てみると、首
相も奈良橋さんも平然としていた。という事は・・・?
「我々は、全て関係者だ。むしろ関係していない者はいなくなると言っ
ていい。けれども、全ての事情を事前に明らかにされるのがほんの一握
りの者に限られるだろうことも事実だ。それは何故かね、白木君?」
「無用な混乱を避ける為ですか?」
「外れじゃないにしろ、浅いのう」
奈良橋さんは、空になったグラスに、持ってきていたらしい瓶から直
接お代わりを注いでいた。
「みんな、ぼくにあいつを、中目零那を押しつけようとしてる。でも、
その理由は教えてくれない。ぼくにどうしろって言うんですか?どうす
ればあなた達は満足なんですか?」
「考えることだ、白木君。それがどのような答えをもたらそうと、それ
は一縷の安らぎをもたらしてくれるだろう」
「他人の満足なんて気にせんでええんよ、青年。自分と、自分の気にな
る相手が最高に満足するにはどうしたらええんか。それだけ気にせい。
したら答えは出てくる」
いつの間にか空になってたグラスは再び酒を注がれて、その後の記憶
は飛び飛びになって。気がついたら宿舎のベッドで次の朝を迎えていた。
<次へ>
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